はてなキーワード: 英英辞典とは
オンライン英英辞典「Merriam-Webster」では名詞の「playback」は録音した音や画像を「reproducing=再生」とある。
国会図書館でを検索すると「playback」の説明に「再生」と出てくる最も古い書籍は『映画脚本二十講 : トーキー・サイレント』(森岩雄、1930年)だ。
プレイバック(Playback)試聴。吹込みたるものを、ワックス(「ワックス」を参照)により再生し、それを聞きて良否を定む。
ここでの「ワックス」とは蓄音機で音を記録するための蝋板もしくは蝋管のことだ。
「蝋管」はWikipedia英語版では「Phonograph cylinder」であり、その説明では「medium for recording and reproducing sound」とあり、やはりreproducing=再生」である。
推測に過ぎないが、『映画脚本二十講 : トーキー・サイレント』の「Playback」の引用元とした英語の資料でも「reproducing」が使われていて、それを上記のように「再生」と翻訳し引用たものがいつの間にか「playback=再生」と誤認され、さらに「play=再生」としても使われるようになったのではないだろうか。
よく考えたら、英英辞典でも「playback」の説明に「reproduce」を使っており、そもそも蝋を使って科学的に音を「reproduce=再生」することが元の意味ということであれば、「playback」を日本語で「再生」としても問題ないように思う。
default noun (STANDARD SETTING)
a standard setting esp. of computer software, such as of type size or style:
The default color of text on the screen is black.
(Definition of default from the Cambridge Academic Content Dictionary © Cambridge University Press)
ワイは日本語も英語も堪能なので、増田の「デフォルトの意味は最後に落ちるところ=債務不履行だけ」という主張が全く欠片も理解できない
ぶっちゃけ増田的にはこれ愚問でしかないんだけど、たぶんみんなタイトルだけ見て完全にこの記事の内容勘違いして想像してると思うんだよね。
この記事は、実はその勘違いがどっから起きてんのかって話です。
夏目漱石の有名な一節「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と、昨今みんな当たり前のように理解したつもりで使ってる「政治的な正しさ」が日本語の乱れによってどんな風に誤って解釈されているか。
まあこの辺でちゃんとしてる人はもう気づいてると思うけど、それは「的な」という便利ないいかげんな日本語表現から来てるよってことを述べる記事でござんす。気づかなかった君こそ読もう。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」って言葉は、国語の授業で「こころ」を読んだ中高生はたいてい知ってる。
ときには授業のあとにクラスで、冗談めかして馬鹿だ馬鹿だと言い合う遊びが流行ったりしただろう。
でもその意味を本当には理解できているのか? 「精神的に向上心のないもの」とは何だ? 「精神的にでなく向上心のないもの」とは何が違うんだ?
この言葉は作中で計二回用いられている。一度めはKが何気ない場面で「私(若き日の先生)」にかけた言葉。そして二度めは、それを反復して「私」がKにやり返した言葉だ。
最初の場面にはただこう書かれている。
つまりKにとって「精神的に向上心のないもの」とは、ただ「日蓮の事について取り合わなかったもの」のことなのだ。
次の場面には、これをもうちょっと細かく解説した文がつけられている。
Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。
ここでは「精神的に向上心のないもの」とは、一言で言えば恋をするものということになっている。
もうだいぶ見えてきた。実はこの「精神的に」という言葉は、君たちが思ってるよりだいぶシンプルで、現代となっては時代錯誤過ぎて本気には取れないような内容なのだ。
spiritually
そう、Kにとっての「精神的に向上心のないもの」とは、ただ単に宗教的精進をしないものということなのだ。
普通の向上心、つまり立身出世とか勉学の追究とか、そういう現世利益とは程遠いという意味で、わざわざ「精神的に」とつけているのだ。
これは英語のpolitically correctの訳語なので、英語で調べるのが手っ取り早い。オックスフォード英英辞典のcorrectの項目には、こんな類似表現が紹介されている。
environmentally correct
環境的に正しい、とでも訳そうか。これはどういう意味だろうか?
普通に考えれば、平易な日本語で言う「環境に優しい」くらいの意味だろう。まかり間違っても、本音では違うんだけど環境に配慮して用意した建前、なんて入りくんだ意味ではないだろう。
それなのになぜ、「政治的に正しい」という表現になると、そのような皮肉を含んだ偽善的なニュアンスをもつものになると考える人がいるのだろうか? 同じニュアンスで「優しい政治の」くらいにふんわり理解しても良さそうなものなのに。
結論を言えば、これはひとえに「的な」という便利な、それゆえに乱暴に使われがちな日本語表現の問題から来ている。もちろんそれと、そういう曖昧さを悪用しようとするずるい詭弁愛好精神にもよるものだけど、これを言い出すと話がややこしくなるので触れません。
「的な」という言葉は、上で見てきた例のように、英語の名詞から作られた形容詞を直訳するための便利な接尾語という側面がある。この場合、もとの英語の意味内容をそのまま適用して、その名詞の事柄に関するものというくらいのニュアンスしか持たないとおおらかに解釈しておくべきだ。
しかしここに何故、もっと皮肉なニュアンスが含まれると勘違いしてしまいがちなのか。
君たち的にはどう思う?
……そう、つまりこういうことだよね。口語のブロークンな表現として、「オレ的には」「アイツ的には」なんて言い方で、その人にとってはそうだけど、他の人には必ずしも理解されるわけではないよっていうエクスキューズの言葉に使われているからだよね。
でも注意深く考えてみればわかるけど、それは一般の形容詞を作る場合、特に外国語を訳して作られた言葉の場合には何の関係もない、あくまで「的な」の複数の意味内容のひとつにすぎないんだよね。それこそ、「口語的」にはそうだけど、堅い術語では違うわけ。
こういう解釈で「精神的な」「政治的な」を解釈したら、本来の意味が薄れちゃう。「政治的な正しさ」に建前だとか皮肉な意味なんてないし、「精神的な向上心」は「気持ち的に高まる」みたいな曖昧な意味ではない。
増田的には、みんながもっとこの点に注意深く、誠実になってくれることを切に望むよ。将来展望的に。
そういう人は多いと思う。英英辞典の解説を丸暗記しようとしても覚えられない、1つの単語に途方もない時間がかかる。
簡単な英語は和訳せずに読めるが、なおかつ英英辞典を使うのをあきらめた人はこれを見て、実践して欲しい。
まず、理解とは**「知っている言葉に言い換えられる」ということだ。
そして、知っているとは、イメージで想起できること。体験したこと。
なので、英英辞典に書かれている「take」や「food」などの中1レベルの単語は「知っている」必要がある。
そのためにまず、調べた言葉が動詞か名詞か区別する必要がある。
例として、nourishmentという単語を上げてみたい。
nourishmentを調べるとこうだ。
noun
nounと書かれているので、名詞。そしてこの文章の中で言い換えられる名詞を探す。
大体初めに書かれている、若しくは主語。この場合、「the food」がそれにあたる。
そして、「nourishment=food」なのだと理解する。
ぶっちゃけこれだけ覚えてればいい。そして、これから文章の中に「nourishment」がでてきたら「food」に変換する。
そして、「necessary for growth, health, and good condition」の後の説明は流し読みしとけばいい。「necessary for health」くらいうっすらと覚えておくだけで、意味が通じるようになる。
上記の方法が通用しなかった、2回検索しないといけない場合、すぐに日本語で検索する。
なぜなら1つの単語を覚えるのに精いっぱいなのに、2個も3個も覚えられないからだ。
たとえば、organic compoundと調べると以下が出てくる。
a compound (= a chemical that combines two or more elements) containing carbon
名詞がa compoundしかない(正確に言うとcarbonもだけど、形容詞句の一部のため除外)。
確かに、containing carbonしてる何か、とか考えることもできるけれど、言い換える言葉がとっとと見つからないだけで十分ストレスなので「有機化合物」と日本語で覚えておく。
という風に英英辞書を使えるようになると、英語を英語のまま理解できるし語彙の理解力も数も増えていく。
基本的に、
で覚えよう。人間は曖昧な情報は覚えらえるが、正確な情報は1つ覚えるので精いっぱいだ。
ぜひやってみて欲しい。
こんなハメにならないようにと思って書く。
でも実際はもう時間いっぱいで他の事やる余裕がなかったり。
TOEIC LRは5年くらい受けてない
たぶん向上しているが、ペラペラには程遠い
一年経って、母娘がお料理している写真の写真描写をしようとしたら
なっかなか英語が出てこなくって、とても落ち込んだ
今まで一体何やってたんだろと
1. 瞬間英作文 538時間
1. 瞬間英作文 365日
2. 単語 365日
3. シャドーイング 365日
4. 速読 245日
6. オンライン英会話の予習 241日+ブランク+41日(更新中)
7. オンライン英会話 357日(数日ブランクあり。予約してた時間を覚え間違えたり)
9. 多聴 182日
●トレーニング別やった(完遂した)教材(同じ順)
瞬間英作文:どんスラポンバン計4冊+どんスラのおかわり計2冊
単語:金フレ、キクタン800、DISTINCTION1、キクタン4000の計4冊の見出し語、例文全て
シャドーイング:TEDtalks4本、JapanTimesのスピーチ3本+インタビュー4本
速読:TOEIC超特急スピード強化編+ダブルパッセージ編、OPINION1100(Z会)、
多読:ラダーシリーズ61冊、2周読んだ本入れると67冊分相当(89万文字)
オンライン英会話:毎日1レッスン(初期の頃は一日3レッスン)、テーマ別ディスカッション
スピーチや独り言:NHK WORLD から一記事を選んで、原稿作って、1分間暗唱できるまで練習、録音、セルフフィードバック
(初期の頃は、TOEFLやIELTSのサンプル問題から原稿作って、セルフトーク)
ライティング:初期の頃はnoteにジャーナリング。その後、TOEFLやIELTSのライティング問題を解く。220本辺りでやめる。
1. 瞬間英作文 やった教材の復習
2. 単語 TOEIC系の英単の定義(definition)を英語の文章で説明(英英辞典っぽく)
3. シャドーイング 遺伝子編集と生命倫理のインタビュー記事を使用
スピーチや独り言:オリジナルなことを作って喋る、リスニング以外の全スキル向上
多聴:たくさん聞く
ライティング:使いたい表現を使う、混文や論理的な文章を書く練習
1. 速読、多聴のつもりで始めたが結局、精読、たまにシャドーイングしたり、ボキャビルだったりする
3. 体系的に勉強することが科学的のように見えるが、なんだかとっ散らかった感じもする
4. テストの公式問題集は一切やってない。これに集中した方が効率良かったかも、と思う未練があったりする。
5. でも多言語話者なんかは「ドリルなんて要らない」って言うので核心は不明
7. 法則性を理解することと、自分の口で再現できることは全然別
9. YouTubeなどで〇ヶ月でマスターしたみたいな動画のサムネイルを見ると辛くなる
10. ってか日本人YouTuberの動画は見てて辛くなる、美男美女多めだし
11. 結局ネイティブや非ネイティブ且つ非日本人の英語学習(多言語学習)YouTuberを見るようになる
13. でもこういう映画やバラエティ番組を使ってゆるーくやる勉強の方が効果的だったのかもと未練がある
14. 実際のところは不明
2. 言語はインプット量と言うが、使わないまま忘却する知識も増えてしまう
3. たくさんインプットするほどアウトプットする場面は多くない
4. でも忘れてしまうのはもったいないので、またやりお直して覚える→忘れる、の繰り返し
7. 瞬間英作文は自作できる英文もあるので全滅することはないが、結局あらかたサビる。
8. 未来完了などのレアな文法を使う場面や、shall weなどの疑問文は使う機会がない
11. が、おそらくやり過ぎだと思う。リターンが乏しい。
12. シャドーイングの教材の難易度が適切かよく分からない。
13. 特にインタビューものは、アンフォーマルな英語なので難しい。
14. 普通にTOEIC L や TOEFL でいいような気もする。
●将来
1. 5000時間は余裕、10000時間もたぶんいけると思う。
2. しかし、継続日数や量とかじゃなかくて、そろそろリターンが欲しい。
3. 50歳までにバーでネイティブとビア飲みながらワイワイお喋りしたい。
5. ってか仕事したくない。
1. 一年記念に英語学習YouTubeを始めた。まだ全然下手だけど
2. インフルエンサーみたいに教えるスタイルではなく、「実際にやっている」動画を主にアップしている
5. でも結局一つもヒットしてないけど
6. ゆっくりやっていく感じ
●さいごに
なんか書き忘れたことがある気がする。
追記していくかも。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 69 | 6401 | 92.8 | 29 |
01 | 67 | 6894 | 102.9 | 21 |
02 | 32 | 3609 | 112.8 | 23.5 |
03 | 29 | 8246 | 284.3 | 42 |
04 | 15 | 4011 | 267.4 | 36 |
05 | 25 | 2387 | 95.5 | 52 |
06 | 27 | 2299 | 85.1 | 50 |
07 | 64 | 4472 | 69.9 | 45.5 |
08 | 141 | 11035 | 78.3 | 43 |
09 | 197 | 14466 | 73.4 | 42 |
10 | 178 | 16191 | 91.0 | 40 |
11 | 221 | 15921 | 72.0 | 39 |
12 | 271 | 20998 | 77.5 | 42 |
13 | 160 | 12304 | 76.9 | 46 |
14 | 150 | 10953 | 73.0 | 45 |
15 | 117 | 10953 | 93.6 | 39 |
16 | 189 | 17060 | 90.3 | 45 |
17 | 195 | 22108 | 113.4 | 47 |
18 | 149 | 13724 | 92.1 | 41 |
19 | 133 | 18136 | 136.4 | 45 |
20 | 119 | 11965 | 100.5 | 46 |
21 | 128 | 14121 | 110.3 | 44.5 |
22 | 123 | 11786 | 95.8 | 49 |
23 | 113 | 12087 | 107.0 | 25 |
1日 | 2912 | 272127 | 93.5 | 42 |
ドンファン(5), grapee(3), ふかわりょう(5), 英英辞典(4), mtf(4), 紀州(6), 経済動物(4), 乗り鉄(9), アフォーダンス(3), 革ジャン(3), 4月26日(3), 幽霊(13), 包装(15), ネトゲ(10), GW(17), あてがえ(19), Mac(11), ブレーキ(9), マッチング(15), 撮影(24), 競馬(17), 弱者男性(70), ウマ娘(29), 変異(11), iPhone(13), 鉄道(9), 強者(20), 下方婚(14), 高卒(14), 目指す(14), オリンピック(19), 関係者(11), 煽り(15), 教師(12)
■弱者男性は本当に女をあてがわれたいのか? /20210428014129(28), ■競馬やタバコや風俗や /20210428024349(27), ■ /20200428225115(18), ■競馬と動物愛護とジンギスカン /20210428084830(18), ■なんで処女じゃないんですか!? /20210428163305(17), (タイトル不明) /20210428141102(15), ■マッチングアプリで地雷男に捕まる女ってどういう探し方してるの? /20210428194351(11), ■「親が金持ちだったんだね」 /20210428113104(11), ■硬貨とか紙幣の原価っていくらなの? /20210428103700(11), ■ /20210427161021(10), ■女性として会社勤務してるmtfだけど、側から見て偏見が終わってる。 /20210427214817(9), ■他人を無遠慮に撮影する撮り鉄中学生は非がないのか /20210428122650(9), ■ /20210427231131(9), ■エゾシカとぼく /20210428185205(8), ■Telegramって日本では人気ないの? /20210427123153(8), ■anond:20210426231311 /20210427140936(8), ■車を止めてはいけない駐車場を修理した話 /20210428022710(8), ■「男だというだけで強者扱いしないで欲しい」がわからない /20210428124402(7), ■妻とケンカばかり /20210428134843(7), ■路上飲み会がニュースになってるけど /20210428162201(7), ■「問題解決を、セクシーに。」小泉進次郎 Powered by Apple /20210427215251(7), ■義父をよりボケさすには /20210428170526(7), ■バズり狙いゴロが大量発生して全然心地良くないんだがウマ娘界隈 /20210428075114(7), ■ /20210428081918(7), ■ネトウヨとパヨク /20210428085422(7), ■現時点から庶民の力でオリンピックを終わらせるには /20210428010351(7), ■弱者男性を救う現実的な解決策ってなに? /20210428120222(7)
日本語で「差別主義者」という言葉は、オタク差別とか、ホームレス差別とか、田舎者を差別とか、他人をその人の属性によって異なる扱いをする人全般を指す否定的な表現です。
これは、不思議な言葉です。差別解消とかいうのは、おそらくアメリカの公民権運動が世界で一番有名な例だと思うのですが、そのアメリカには、一般に「差別主義者」をあらわす単語はありません。和英辞書で差別主義者という単語を調べるとracist (人種差別主義者); sexist(性差別主義者); segregationist(人種差別主義者(硬い))の三つが出てきます。あえて言うならsegregationistになりますが、そもそもracistに比べると使用頻度が1/50の単語ですし、segregationを英英辞典で調べれば、まず出てくるのが「人種および階級による差別」なので、一般の日本語で言う「差別主義者」にはあたらないでしょう。
アメリカでは人種差別は厳しく否定されています。レイシストという単語は、日本でいう性犯罪者よりもさらに否定的な言葉で、ほとんどの上場企業では、レイシストは無条件で一発クビというルール(zero tolerance)があります。大学だったら一発で退学です。BLMとか警察の暴行はどうなってるんだ、という話ですが、警察側の建前としては、一応「犯罪の疑いの高い人を制圧した」とか、「犯罪の起こりやすい地域を重点的にパトロールした」みたいな話になっています。もし「黒人だから怪しいと思った」みたいなことを言ったら、それがプライベートな場だったとしても、その録音がネットに流れたりすれば、即クビでしょう。実際、根拠のない偏見で勤務時間外に黒人男性を警察に通報した白人女性が、それだけで解雇されています。
もちろん、アメリカでもプライベートな場で「オタクきもいよねー」って言ってもクビにはなりません。つまり、オタク「差別」と、人種「差別」は根本的に違うものとして扱われています。これは妥当な話で、「差別」なんていうのは定義できないからです。人種差別禁止や宗教差別禁止なら具体的に社内規定に落とせるし、それに基づいてクビにもできます。ですが、「差別」っていうのはどこまで含むのかが非常にあいまいで、クジラ食べる人のことを理解できないとか言ったらダメなのか、AndroidのことをiPhoneのパクリって言ったらダメなのか、きりがないです。そもそもそんなことをやるつもりがないから、「差別主義者」っていう単語がないのでしょう。
だから、「差別のない社会」とか聞くと、そんな一般に他人をその人の属性によって異なる扱いをすることを排除するなんてできるわけないし、そんなに人々の内心を強く規制するなんて、ディストピアだよ、って思います。「差別のない社会」みたいなのはナンセンスで、目指すべき社会ではありません。
日本でも、増田の適当な議論とかじゃなくて、憲法とかはしっかりしています。憲法14条では、差別を受けない属性は具体的に列挙されており、それ以外のことは保証されていません。「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別を受けない。」ってやつです。
注:日本語の「差別」に近い単語としては、discriminationっていうものがあります。遺伝子に基づく差別とか、広がりを持つ言葉です。ですが、これは行動に対して使われる言葉で、人に対して使われる言葉ではありません。discriminationistという単語は、ネットには存在しますが、辞書には記載されていません。
俺は断然これ
https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/luke-skywalker
ロングマン現代英英辞典より、ルーク・スカイウォーカーの項目
Sky‧walk‧er, Luke /ˈskaɪwɔːkə $ -wɒːkər/
one of the main characters in the Star Wars films, who leads the fight against the evil empire and Darth Vader, who is in fact Luke's father
映画スターウォーズシリーズの主要登場人物のひとりで、悪の帝国とダースベイダーに対する戦いを率いるが、実はダースベイダーは彼の父である
Who is in fact Luke’s fatherをわざわざ付け足してネタバレしてるのが本当にいい 絶対書かなくてもなんとかなるんだよな
エヴァの翻訳が変わって英語圏が大荒れという話題のブコメ、ちょっと信じられない見解が多いな。
原文が読めないとすべての翻訳にケチをつけてはいけない、とはもちろん言わない。明らかに言葉遣いがおかしいとか、誤字脱字だらけで解読不能とか、そういうレベルの指摘なら、別に原文を読んでなくてもできるだろう。
女らしいおしとやかなキャラの一人称が「俺っち」だったりしたら、それも原文を読まずに文句をつけていいかもしれない(もっとも、原文で「男っぽい口調でしゃべる女らしいおしとやかキャラ」ではないことを確認した上で批判するのが望ましいだろうが。仮に原文でも男っぽい口調でしゃべってるのなら、その翻訳は正しい)。
でも、「ここの『好き』は愛情か友情か」みたいな議論するなら原文読めないと話にならないでしょ。
当たり前だけど、文学作品の唯一正しいテキストは原文です。翻訳はわかりやすい補助輪に過ぎない。
(どれが「正しい原文」か、という問題はめんどくさいしエヴァにはまるで関係ないからここでは論じない)
別に補助輪使ってたって悪いわけじゃないけど、補助輪しか使えないのに他人を非難しはじめるなら話は別だよ。
解釈違いだと翻訳者に文句を言う以上は原文が読めて当たり前です。「読める」にも程度があり、ネイティブスピーカー並じゃないといけないとは微塵も思わないけど、日本語の文字が読めて辞書が引けて簡単な和文を翻訳できるくらいは文句をつける最低ラインじゃない?
A Volunteerを「ボランティア軍」と訳してツッコまれてるけど、ツッコんでる連中は最低限、volunteerには日本語の「ボランティア」の他に「義勇兵」とか「志願兵」って意味があり、ここでは文脈的に「ボランティア」じゃないよな、ってことくらいは弁えてるわけじゃん。
You are not yourself! の文字通りの意味がわからん奴には『ロード・オブ・ザ・リング』の「嘘つき!」を批判する権利はカケラもない、ってのもわかってもらえるよな?
aircraft carrierと聞けば一般教養で「空母」だとわかるしわからなくても英和辞書を引いて「空母」のことだとわかるからなっちの「航空機運搬船」に文句を言えるわけじゃん。
逆もまた然りだよ。
カヲル君のセリフを聞いて理解するか、あるいはヒアリングが無理でもせめて書き起こされたセリフを読んである程度意味がわかる程度の語学力がないのに、なんで字幕の批判ができるんだ? 理解に苦しむ。
日本語母語話者はハリウッドの日本語字幕を批判するにあたって英語をある程度理解して、わからなけりゃ英和辞書なり英英辞典なりを引いてるんだから、日本アニメを英語字幕で見る非日本語母語話者にも同じ水準を要求するのは当然じゃない?
書き起こしを通してでもいいから日本語を理解して、わからん箇所を和英辞典なり国語辞典なりを引いて確認できる程度の語学力が、エヴァの字幕を批判するに際しては最低限必要でしょうよ。
もちろん、批判側には日本語学習者がおおぜいいる。そういうひとたちが、原文の日本語と対照させて英語字幕を批判してるのは、全然いいと思う。オッケーだ。素晴らしい。
でも日本語が読めない聞き取れないわからないっていう奴には字幕の解釈違いを批判する権利なんてねーよ。当然だろ。
そもそも今回は、旧字幕と新字幕が食い違ってて、旧字幕の方が好きって連中がヒスってるわけだよね?
でもその字幕の違いが、旧字幕が間違ってるのを新字幕が訂正したのか、旧字幕が正しいのを新字幕が歪めたのか、どっちの字幕も間違ってるのか、原文が曖昧でどちらの解釈にもそれなりの理があるのか、は、原文読まないとわかるわけないじゃん。そういう意味で原文読んでない、読む能力がない、なんてのはお話にならん。
ポーランド語読めないやつに『ソラリス』の翻訳の解釈でケチつける権利なんてあるわけないじゃん、当たり前でしょ? ポーランド語読めないくせに翻訳に文句つける権利があると思ってる方が傲慢じゃない?
上に書いたように、慣用句の間違いとか文体の不統一とかそういう純粋に日本語上のミスなら文句つけてもいいかもしれないけど、作品の解釈にかかわる文句があるなら原文読んでないと話にならんよ。
俺? もちろん読めないよ。当然沼野充義訳に文句つけようと思ったこともないけど。
旧訳の「I love you」が新訳で「I like you」に変更されたのが、同性愛排除だと憤激されていると…。しかし、そこで「日本語読め」という方がエスノセントリズムでは。/新劇場版はTVより同性愛っぽさが強調されてるよな。
訳の良し悪しを論じるなら原文を読め、というのは文学やその他の世界ではごくごく当たり前の話であって、人文系の学問をそれなりに勉強した人間なら国境を超えて同意してもらえると思うけど。
まあ、褒めるときは別に読まなくてもいいかもしれない。でも批判するなら読んでないと文字通りお話にならないでしょ。外国の文化を勉強する人にとっては常識です。
むしろ、「日本語の原文は読まなくていい」の方がエスノセントリズムでしょ。日本の映画ファンは英語を勉強してあの映画の字幕はここがおかしいとか議論してるんだから、外国の日本アニメファンも同じことをすべき。
それは面倒だやりたくないっていうなら、出された字幕にケチなんてつけるもんじゃない。原語わからんやつに翻訳に文句を言う資格はないので。英語わからんやつが戸田奈津子に文句つける資格がないのと同じ。
それとも「英語は学んで当然だけど日本語は学ばなくともよい」って思ってる? それを英語帝国主義というんやで。エスノセントリズムここに極まれり。
例えば「博士の異常な愛情」を今さら「ストレンジラブ博士」って邦題にされても「前の方がよかった」って思うから初出の訳が与えるインパクトは強い/なっち訳のハリポタ映画も本と違うスネイプの一人称で荒れてたし
すまんがあれは原文では別に変な口調ではないのを無理やり「我輩」とかいうヘンテコリンな口調に訳しやがった静山社が悪い案件なので映画の字幕は悪くないやで。日本語版ハリポタはよ改訳してくれ~。
でもこれを言えるのも俺が英文読めて原文でスネイプ先生が何て言ってるかわかるからであって、英文読めないやつは静山社に文句つける権利ないよね、という話であり。
いちおうスマホはのためにぐぐる翻訳コピペってやるよバカどもありがたがれよ
1・mass noun 1人または1人のグループに対する、あるいは不公平と見なされる形での、または反対に対する偏見または偏見。
より多くの例文同義語
より多くの例文
1.2 その導出において考慮されていない要因による統計結果の系統的な歪み。
例文
2 織物の織り方に対して斜めの方向。
より多くの例文同義語
3 (ボウルに)ボウルの片側に与えられた不規則な形状。
例文
3.1 その不規則な形状の結果としてボウルによって取られる斜めのコース。
例文
4 電子機器
システムまたはデバイスを所定の範囲で動作させるために、システムまたはデバイスに印加される定常電圧、磁界、またはその他の要因。
ポリアモリーかもしれないって、妻が言い出した。
夕飯のときいきなり。月曜から夜ふかし観てるとき。月曜からポリアモリー。
ということ。
つまり妻は、おれ以外に好きな男が(女かもしれないけど)がいて
そしてその願望は、正当なことであると認めろと言っているわけだ。おれに。
最低かよ。
ぶん殴りたい衝動に駆られたけど、これで手を出したら
「妻のセクシュアリティを否定したうえに暴力を振るったクズゴミ男」
ということになるんだろう。なんとか堪えた。
この概念を知って、これは自分のこととマジで思ってるのだろう。
うまいこと言って不倫を正当化しようとしているわけじゃないことは、
まあ妻が浮気してることは、知ってたよ。
週3で朝帰りしてた時期もあったしさ。
でも、問い詰めてもしかたないしって黙ってたんだよ。
別れたくないし。
いつか「好きな人ができた」って言われるんじゃないかってビビってた。
でもそれより最低だ。
だって、ずるいだろ。ずるすぎるだろ。
恨んでも怒っても拒否しても、おれが悪いことになるじゃないか。
悪者として彼女に認識されたくないかぎり、おれは認めるしかないじゃないか。
それでなんで、おれはこんなやつと、まだ別れたくないんだよ。
遠藤周作の原作をマーティンスコセッシが監督して作ったもの。窪塚とか出てる。
ポルトガル語を話しているはずの神父が英語を話していたり、村人が結構英語を解するあたり違和感があったが
まぁそれはいいとして
途中で踏み絵をすることになったらどうすればいいと悩む村人に、一人の神父がtrembleといった。
一人はそれに対しYou can't と血相を変えた。
どうやらtrembleは字幕では「踏むのだ」と訳されているが、英英辞典でも震えるとかそういったニュアンスしか載っていない。
するとこれは意訳なわけだが、踏み絵をする→震える というあたりの感覚がイマイチ分からないと同時に新鮮だった。
踏むのだ、(さすれば恐らく神の怒りを震えて待て)くらいの文脈で解釈できる。
あとパライゾといった村人にパラダイスと訂正するシーンがあったがポルトガル語ではパライゾで音的にはそんなに間違ってないのでは?と思ったりもした。
そもそも、棄教は踏み絵ではなく、棄教したら二度とキリスト教に回帰しないことを神の名の下誓わせるという日本の頭脳プレーが
功を奏しているらしいので「踏む」「踏まない」で序盤逡巡しているあたりが謎だった。まぁ原作がそう描いていたら仕方ないかもだが。
01. ハンドルネームは?
03. xyzzyについて何かwebサイトを持っていますか?
持っていません
0.2.2.253
15年くらい
昔のことすぎて忘れましたが、学校の UNIX 演習で Emacs を使っていたので、Windows でも使おうと思っていて見つけたんだと思います
07. xyzzy 以外に使っているテキストエディタはありますか?
Atom, McEditor
08. xyzzy を使う前に Emacs 系のテキストエディタを使ったことはありますか?
プログラムを書いたり設定ファイルをいじったり、テキストに関することならだいたい
10. xyzzy が関連付けされているファイルタイプは何ですか?
txt, md, log, ini, bat, html, xml, css, less, scss, sass, styl, js, coffee, pl, php, py, rb, java, sql ほかにもあるかも
11. xyzzy を他人に勧めたことはありますか? また、結果はどうでしたか?
使い始めた当時同級生が何人か使っていました
12. xyzzy がフリーじゃなかったとしたらいくら位の値段になると思いますか?
今なら3000円くらいなら買う
じじー
14. xyzzy の好きな点・嫌いな点はどこですか?
嫌いな点:動作をカスタマイズするときに不自由なところがある点
15. パソコンを立ち上げている時間の内、xyzzy をどのくらい使っていますか?
16. キーバインドは Windows風ですか? Emacs風ですか? オリジナルですか?
17. .xyzzyに書く派ですか? .siteinitに書く派ですか?
必要に応じてそれぞれに
してます
実際にさわりながら。Lisp は Google 先生さまさま
22. xyzzy を使うにあたって一番苦労したことは何ですか?
xyzzy 自体の Lisp API がマニュアル化されていないところ
23. xyzzy を使って目からウロコだった機能は何ですか?
Buffer Menu
24. 今の xyzzy に望むことはありますか? またそれは何ですか?
矩形機能に影響が出そうだけどプロポーショナルフォントへの対応と、絵文字など最近 Unicode に追加された文字への対応
26. Lisp のほかに読み書きできるプログラム言語はありますか?
JavaScript, ES 2016, Coffee Script, Action Script 3, C, C++のごく一部, Objective-C, Rust, Swift, Perl, PHP, Python, Ruby, bash, xyzzy lisp
28. 拡張Lisp で導入しているものは何ですか? (多い方は代表的なものをお答えください)
clickable-uri, jscript-mode, markdown-mode など
29. これは外せない! という 拡張Lisp はありますか? またそれは何ですか?
30. NetInstaller を利用していますか?
31. 拡張DLL を導入していますか? またそれは何ですか?
popup-dododo のための Cairo とか?
32. ドキュメント(info,reference等) は使っていますか? また、それは何ですか?
使っていません。自分で改造してキーワードを全部 Web で検索するようにしています
33. ネット関係の 拡張Lisp(www-mode,kamail等)を使っていますか?
xyttr
34. アウトライン系のLispは使っていますか? またそれは何ですか?
使っていません
35. メモ系(changelog-memo,howm等)Lispは使っていますか? またそれは何ですか?
使っていません
36. xyzzy の五目並べはやったことがありますか? また、結果はどうでしたか?
たまに。テキストの整形処理なら正規表現でゴリゴリやるほうが多いです
使っていません。国語、英和・和英、英英辞典は iPhone のアプリを使います
毎日の仕事に欠かせません。便利にカスタマイズしすぎてむしろファイラだけのために新しく xyzzy 自体を起動することもあります
あまり使いません。新しく(Windows における)ウィンドウ
使っていません
42. メーリングリストには参加していますか? また、メールを送信したことはありますか?
ありません
43. 2ch の xyzzy 関連スレッドに書き込みをしたことはありますか? また、その頻度はどのらいですか?
大昔にどうしてもわからないことがあって書き込んだ記憶があります
44. xyzzywikiに書き込みをしたことはありますか? また、その頻度はどのくらいですか?
たまにほしくなるので表示しています
隠しています
47. xyzzy のファンクションバーは表示していますか?
表示していません
表示していません
49. 色、フォントなどは変更していますか? またそれは何ですか?
色は暗い背景色、ハイライトカラーはできるだけ色相を離したパステルカラーです。
フォントは Consolas に源新ゴシック Regular を組み合わせています。
まだまだ xyzzy は不滅です
日本人にとって、直訳という言葉は「機械的に文法に沿って訳語を並べて、意味不明の訳文を作ること」といった印象が強い。意味が通じる翻訳をするには、意訳、つまり元の文を理解した上でその内容を自分の言葉で書き直す必要があると考えられている。
しかし英語で直訳を表わす"literal translation"は、そういった言葉ではない。もちろん、機械的に置き換えて意味の通じない文を作ってしまうことも言うのだが、"literal translation"は「原文に忠実である」というポジティブな側面を持っていて、formalで立派な翻訳という感覚を伴う。
それはつまり、「意訳」に良い印象がないということでもある。それは「意訳」に当たる適切な英語表現がないことでも分かる。
https://www.onehourtranslation.com/translation/blog/literal-translation-vs-conveying-sense-text
ここでは"literal translation vs. conveying the sense of the text"(直訳 vs. テキストの意味を伝えること)というタイトルになっている。日本人から見ると「"直訳 vs."と来たら『意訳』が来るに決まっているだろう」と言いたくなる。しかし、英語で意訳という言葉は、直訳とvs.出来るほどの市民権を得ていない。
英語の翻訳はフランス語やラテン語といったヨーロッパ圏の言語から知識を取り入れるために行われることが多く、ヨーロッパ圏の近縁語同士では直訳は有効な方法論だ。結果として、"literal translation"は立派でフォーマルな翻訳という意味合いが生じた。
対して、訳者が勝手に自分なりの表現を加えてしまうと、fidelity(原文に対する忠実さ)が欠けているという批判の対象になる。
たとえば、私は素人ながらアニメの英語翻訳に関わったことがあるのだが、海外のアニメオタクは意訳を嫌う。佐藤さんはSatou-san,斎藤先輩はSaitou-senpaiだし、学校の先生の敬称は英語だとMr.なのだが、犬塚先生はInuzuka-senseiだ。
たとえば、アニメのセリフに「ありえなくね?」と出てきたら、文字通り"That's impossible, right?"と訳すのが好まれ、意味を汲み取って"Are you kidding?"と訳したりすると、"over-translation"とか"liberal translation"などと言われて叩かれてしまう。日本人の私から見ると、とても理不尽に感じるが、彼らの感性はそうなっている。
この問題についてググっていたら「literal translationが良いというのは神話だ」という海外の人の意見を見つけた。これを言っているのが日本語の英訳をしている人だというのも示唆的だ。
日本では英語文献を翻訳するのが主なので、literal translation、直訳はほとんど役に立たず、ひどい翻訳の代名詞のようになっている。英語話者にとっての日本語の英訳でも同じだろう。
基本的に、英語圏でTranslationと呼ばれているものと、日本で翻訳と呼ばれているものは、行為としては似ているが、内実は全く異なっている。
英語圏で行われているのは直訳であり、我々がやっているのは意訳だ。英語圏でやっているのは文法ルールと訳語を覚えて他言語に当てはめ、原文を出来るだけ変えずに英語に直すことであるが、我々がやっているのは「他言語を(何らかの方法で)理解し、その内容を自分なりに日本語で作文する」という行為である
直訳が役に立たないということは、つまり文法ルールを覚え、日本語の訳語を覚えて適用しても、英語を理解することは出来ないということだ。
これは残酷な現実であるが、「いくつの文法ルールを覚え、何万の訳語を覚えても、英語を理解することは出来ない」
これは文法や訳語が不必要だと言っているのではない。文法や訳語はヒントにはなる。だが、答えにはならない。
はっきりいえば、ヒントを一生懸命集めて暗記しても、意味がない。文法ルールをいくつ暗記しようと、英単語の訳語をいくつ暗記しようと、それは英語力ではない。
身も蓋もない言い方になってしまうが、法則化出来ないなんらかのプロセスによって、英語を直接理解する能力。それが英語力だ。
そして直訳が出来ない、つまり英語を日本語に変換して理解するための法則が導けないという事実から分かるのは、日本語を理解している我々の脳をどういじくっても、それを英語に適用することは出来ないということだ。
それはつまり、「英語を理解するための脳の回路を、日本語とは別にゼロから構築する必要がある」ということに他ならない。赤ん坊が新しい言語を習得するときのように、何年もかけて、少しずつ脳を開発していき、英語を理解できる脳を構築していくしかないのである。
どこかの英語学習体験記で読んだことがあるのだが、「留学に行った所、フィンランドの学習者と同部屋になった。フィンランドの学習者はひたすら単語帳を眺め、英単語だけをひたすら覚えていたが、それによってあっという間に英語が出来るようになっていた。だから、私も一生懸命単語帳を眺めることにした」といったものだ。
これがつまり、直訳が可能な言語を使用している脳と、直訳できない言語を使用している脳の違いだ。欧州の人々は基本的に、母国語を理解するために使っている脳を英語向けにアレンジするだけで、英語ができるようになる。我々はそうではない。
たしかその体験記の終わりは、「一生懸命英単語を覚えた結果、留学を終える頃にはかなり英語ができるようになっていた」となっていたように思う。しかし私が声を大にして言いたいのは「それは英単語を覚えたおかげではない」
日本の英語学習界には、留学神話がある。「留学さえすれば英語は出来るようになる。留学しないといつまでたっても英語ができるようにはならない」というものだ。
もちろん留学さえすれば英語ができるようになるというのは嘘だ。それはもちろん神話でしかない。「留学して、英語を使わざるを得ない環境に自分を追い込み、一生懸命英語に取り組めば英語は出来るようになる」というのは正しいが、「留学はしたものの、日本人同士で固まって遊んでいただけで、勉強はしていない」といった生活で英語ができるようになるはずもない。実はそういう日本人留学生は数多い。
しかし「留学しなければ英語ができるようにはならない」というのは真実を突いている。
日本の英語教育に従って、文法ルールを覚え、訳語を覚え、どんなに努力を続けても、英語ができるようにはならない。留学して、日本の英語教育から離れ、ただがむしゃらに英語と格闘すれば、それだけで英語は出来るようになる。
そして「がむしゃらに英語と格闘する」ためには、留学は別に必須ではない。がむしゃらに英語の本を読む事もできるし、映画を見てもいい。海外英語フォーラムに書き込んでもいいし、Lang-8で英語で日記をつけてネイティブに添削してもらうのも、アジア圏のネイティブとスカイプ英会話をやるのも良いだろう。
がむしゃらに英語と格闘することが必要なだけだ。そしてそれ以外に英語ができるようになる方法はない。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H1M_V20C15A5CR0000/
全国の公立中学・高校の英語教員のうち、英検準1級以上かそれに相当する資格を取得しているのは中学で28.8%、高校で55.4%だったことが25日、文部科学省の2014年度英語教育調査で分かった。政府の教育振興基本計画は17年度までに中学で50%、高校で75%との目標を掲げている。英語教員のいっそうのレベルアップが必要な状況が浮かんだ。
高校の英語教師で英検準一級が55%、半分近くが英検準一級を持っていないということだ。準一級を持ってないということは、日本の文法・単語の暗記中心の教育をする能力すら疑問符がつく。
準一級の問題は、日本の英語教育で教えられたとおりに暗記した単語を当てはめ、文法ルールにそって直訳すれば理解出来る、日本人向けの英語もどきでしかない。それが分からないということは、英語もどきを教える資格もないということだ。
もちろん教師は聖職として尊敬されるべき存在であり、それを指揮するのは霞が関文部科学省のエリート官僚であるから、自分たちが教えているのが「実際には役に立たない英語もどきです」とは言えない。「私たちは英語がよく分かりませんし、『生徒をちゃんと英語が出来るようにしろ』と言われても出来るわけありませんよ。むしろ、そんなやり方を知っているなら教えて下さいよ」などと口が裂けても言えるはずがない。
それに対して一方では「聞き流すだけで英語がペラペラに!」とか「たった100語で英語は出来る!」とか「頻出フレーズを暗記すれば日常会話はバッチリ!」とか、英語教育界はオカルトだらけである。
もちろん商売でやってるのであるから、「がむしゃらに英語と格闘しろ、それ以外ない」などと言えるはずもないのだが、そんなことを言っていても誰も英語が出来るようにならない。なんとかならないものだろうか。
私が実践してきた、オススメの、実際はがむしゃらにやるだけの英語学習法を紹介しておく。
http://anond.hatelabo.jp/20170526220542
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
コメントを頂いた。本を読んでもTOEIC3000語が覚えられない、ということだった。
TOEICのリーディングは結構速読が必要なので、その実力が身につくまで、100万語ぐらい、500ページのペーパーバックを12冊分程度読まないと、普通は最後までたどり着かないんじゃないかと思う。12冊分を辞書を引きながら、単語や表現の感覚を感じ取りながら舐めるように読めば、どうやっても8000語程度の単語を感覚的に理解できる、生きた語彙力が身についてるはずだ。必要なのは暗記力ではなく、文を深く読み、英語表現の意味を感じとる力だ。記憶は忘れるけれど、感覚は忘れない。忘れたと思っていても残っていて、何度か同じ表現を見かければ、その都度感覚は強化され磨かれていく。
単語を覚えるというのは読書の途中で自動的についてくるもので、ピクニックの途中で摘める野イチゴのようなものだ。しかし英語学習者は読書というピクニックには出かけず、ピクニックの準備だけを念入りに行っているように感じている。「自分にはピクニックも難しい。ピクニックに出かけたらヤマで遭難するかもしれない。その時のために食料を買い込んでおこう」と言いながら、辛い奴隷労働をして腐りかけのイチゴを買い込んでいるように見える。ヤマに出ればいくらでもおいしい野イチゴが摘めるのに、ヤマに行っても腐ってて使い物にならない表面だけの単語知識を必死で暗記しているように感じている。これは本当によくないことだと思う。
もう一つコメントを頂いた。学習者は英英辞典はオックスフォードでなく、ロングマンをやるべき、というご意見だ。
辞書から得られるものは単語の理解ではなく、ヒントでしかない。ヒントを英語で貰っても基本的に英語学習者にはわかりにくい。英英辞典自体を読み物として楽しめないなら、英英辞典を見ても英和より効率が悪いと考えている。もちろんロングマンが読み物として楽しい、読んで頭に入りやすいという方がいるならその方が良いと思う。私はオックスフォードが読み物として楽しいので使っているが、面倒な時はウェブリオに走っている。
この記事は長文すぎて最後が切れていたので、二つに分割したものの後半部分だ。前半部分はこの記事と繋がりがあるようでないのだが、いろいろと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170529095534
ネタがなくなったので、多分この増田で吠える英語考察は今回でしばらく休止するかと思います。今まで長文をご覧いただいた方、コメントを頂いた方、ありがとうございました。
さて、今回は私の英語学習法の核心、「英単語の暗記をしない」ということについて語ってみたい。
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
ここで前回リスニングについて語った内容には、凄まじい反響があった。私は1500というブクマ数にoverwhelmされてしまった。
いきなり何を言ってるのか、と思われるだろうが、私の感覚の中では、1500ブクマという気分を一番表せるのは、日本語の「圧倒された」ではなく、英語の"overwhelm"だ。
この単語はただ「圧倒された」だけでなく、「圧倒的な力に晒されて、疲弊してしまった」という感覚がある。もしこれが増田でなく普通のブログだったら、プレッシャーで何も書けなくなっていたかもしれない。
他にも、前回の「英語をあるがままに受け入れなければならない」という結論の部分は、最初は「英語をあるがままにembraceしなければならない」と書いてあったのだが、伝わらなさそうなので書き直した。embraceは「抱擁するように受け入れる」というような感覚だが、日本語で書くと何のことやらわからない。
英単語を覚えるということは、こういった単語に伴う感覚を一つ一つ身につけていくことだ。そうすれば英単語が自分のものなり、ライティングやスピーキングでも自然に単語が湧いてきて、自由に使うことができるようになる。
英単語それぞれに固有であるこの感覚をどう身につけるのか、というのがここで語りたい話題である。
英語学習の世界で良く出て来るスローガンに「英語は英語のままに理解しなさい」「日本語に訳して理解してはいけません」というのがある。
しかし「英語は英語のままで理解しろ」と言われても、初心者には何のことか分からず、何か魔術的な、自分には絶対にできない思考法によってしか、英語は理解できないのではないか、という気にさせられてしまう。私も高校生の頃に、このスローガンを聞いて、そんな絶望感に襲われたことがある。
日本語しかできない日本人にとって、言語で思考する際に使える唯一のツールは日本語だ。英単語の意味を知りたいなら、日本語の訳語なり、日本語で書かれた説明によって理解するしかない。
日本語の訳語を当てはめ、文法ルールに従って語順を並び替えて、並び替えた日本語から文意をつかむ。ノンネイティブである学習者はそこからスタートするしかない。そして大学受験レベルになっても、難関校を受験するのでなければ、その方法論で通用するだろう。
そのレベルの英語力が欲しいならば、訳語を覚えることは有効だ。
ただ、「英単語を覚えるぞ!」と単語帳を開き、そこに記された訳語や例文を見たり、書いたり、発音したりしてみても、それで記憶できるのは記憶力がいい人だけで、普通は無理だ。
そしてそのレベルの、日本語の訳語を並べ替えるような英語力では、現実世界にあるほとんどの英文は読めず、あまり役に立たない。日本語と英語はあまりにも違いすぎるので、逐語訳、直訳はほとんど通用せず、日本語の訳語をそのまま適用しても英文を理解することは出来ない。
なので、受験と関係ない大人にとって、日本語の訳語による英語の理解は、目指すべき目標にはなりえない。
「『英語は英語のままに理解しなさい』か。ならば英英辞典を使って英語で意味を覚えよう!」と考えるのは自然な発想だ。しかし、これもうまくいかない。
日本語を介して英語を理解する段階を超えるには、英単語の持つ固有の感覚を覚える必要がある。
英単語から日本語の訳語が想起されるようではいけない。それと同様に、英英辞典に書いてある語の定義が想起されるのも、その隣に書いてある同意語が想起されるのもアウトだ。そういった余計なものが出て来るようでは、リスニングはできるはずもないし、リーディングにも苦労を伴うことになる。
日本人にとっては、日本語の単語が持っている感覚を想起するのは容易い。一方、英語から感覚を想起するのは難しい。英単語と感覚を結びつけるという意味では、日本語の訳語を介したほうが早い。
しかし、日本語の訳語と英単語では、意味に違いがある。日本語の訳語を介して英単語を理解しても、不正確な理解にしかならない。しかしそれは、英英辞典に書いてある定義にしても、同意語にしても同じことだ。同意語といっても、単語が違う以上はニュアンスの違いがあり、辞典の短い説明でそれを完全に言い表すことは出来ない。
なので、単語を覚えるために英英辞典を使うべきではない。(*1)
英和辞典や英英辞典では、英単語が持っている本当の感覚を掴むことはできない。
英単語の本当の意味は、その単語が実際に使われたシチュエーションの中にあり、その中にしかない。その単語を発した人の感情であったり、伝えたいメッセージがその単語の中に込められる。それを感じ取ることが出来れば、その単語の本当に意味するところが伝わってくる。
もちろん人によって、単語に込める意味には多少の違いがあるし、一度や二度その単語に出会っただけで、その感覚を本当に自分のものに出来るかはわからない。その単語に何度も出会い、修正を重ねながら、感覚を確かなものにしていく必要がある。
いずれにしても、実際にその単語が使われている生の英語を、深く理解し、言葉を発した人物の気持ちやシチュエーションをしっかりと読み取ることで、そこに出てきた単語の本当の意味を掴むことが出来る。辞書の定義や、ぶつ切りにされた例文からでは分からない。
小説や映画のシチュエーションを深く感じ取って理解し、記憶の中に蓄積していくことで、そこで出てきた英単語やイディオムといった英語表現の意味を、実感を伴って理解することが出来る。やがてその英語表現は自分の身体の中に染み込んで、感覚的に使いこなすことができるようになる。
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
私が以前ここに書いた学習法では、「辞書を引きながら小説を読む、映画の英語字幕を一時停止しながら解釈する」といった事が勧められている。それは小説や映画が、人物の心情があり、シチュエーションがある生の英語の塊だからだ。そして「自分が楽しめるものを見る」ことを勧めているのは、そうでないと登場人物の心情に寄り添ったり、シチュエーションにハラハラすることが難しくなり、英語を感覚的に深く読み取ることができないために、著しく学習効果が落ちてしまうからだ。
ここで使う辞書はもちろん英和で構わない。ただし辞書の記述はヒント程度にとどめ、単語の本当の意味は作品の中から感じ取ることが重要だ。辞書からは単語の感覚を理解することは出来ず、実際に使用されたシチュエーションを蓄積することでしか、単語を自分のものとすることは出来ない。
単語やイディオム等、全ての英語表現は、小説や映画や実体験などから、記憶の中にその表現が使用されたシチュエーションが蓄積されることで、その表現に固有の感覚が醸成されていく。
そのシチュエーションが印象深いほどに、感覚はより明確になり、記憶への定着率も上がる。そしてシチュエーションの数が増えるほどに、感覚はより正確に、記憶はより強固になっていく。
シチュエーション自体は時とともに忘れてしまう場合が多い。しかしその表現に染み付いた感覚は、シチュエーションを忘れた後も残っている。
そして英語表現からその感覚が直接想起されるようになれば、日本語を介さず「英語を英語のまま理解する」状態に至ることができる。その状態に至れば、その英語表現を感覚的に理解し、適切な時に適切な形でアウトプットすることも出来るようになる。
そうはいっても、「私の英語力では小説も映画もとても歯が立たない。それは語彙力が足りないからだ。まず単語を覚えなければ」と考える人は多い。
そして単語学習のあまりのつまらなさ、記憶の定着しなさに絶望して諦めてしまうというという人が後を絶たない。しかしそれは根本が間違っている。
辞書というものがある以上、英語を解釈するのに語彙力は必須ではない。テスト問題を解くためには、辞書なしで英語を読み解く力が必要かも知れないが、小説や映画を味わうために必須なものではない。
「単語を調べるためにいちいち辞書を引いていたら、話が先に進まず、読書体験がぶつ切りになるので楽しめない」という考え方もあるだろう。しかし私は「辞書を引きながら頑張って読んだからこそ、心に深く残る読書体験になる」と考えている。
通常の母国語の読書では、立ち止まり、辞書を引き、文法構造を考え、熟考しながら読み解くというような作業はまず行わない。学習者が文章を理解するために行うそれらの作業は、文章を深く読むことにも役立っている。
最初に読んだ一冊、私の場合は"There's a Boy in the Girls' Bathroom"という児童書だったが、当時の私には非常に難しく、何度も立ち止まり、辞書を引き、検索し、英文法に立ち返り、悪戦苦闘した。ただ、これは本当に素晴らしい本で、読む価値があると思えたから頑張ることができた。登場人物の心情に寄り添い、シチュエーションにハラハラしながら、苦しいながらも素晴らしい読書体験をすることが出来た。
一冊目を終えれば二冊目はずっと簡単に読めた。三冊、四冊と進むに連れて英語力がぐんぐんと増していき、読書から苦が減り喜びが増していった。やがて「ゲームの達人」のような大人向けにも手が出せるようになり、刑事ハリー・ボッシュシリーズにハマる頃には映画を英語字幕で存分に楽しめるようになっていた。
そして今はKindleがある。単語を長押しすれば辞書が引ける、検索も直ぐに出来る、洋書はなんでも安くダウンロードでき、スマホに入れて持ち運べる。これは英語学習のために存在するような素晴らしいツールだ。
Kindleがあれば語彙力は読書の障害にはなりえない。ただし、児童書レベルでも英文を読むためには、ある程度の文法力が必要だ。そのためには受験参考書を活用してほしい。日本の受験英語界には素晴らしい文法解説がたくさんある。
日本語を介してしまうと英語を深く感じ取れないため、基本的に日本語訳は使うべきではないと考えている。
ただ、どうしても理解できない英文に出会うことはある。いくら時間を費やしても理解できない、そういう時には、日本語訳を見る。日本語字幕であったり、訳書であったりだ。プロフェッショナルの訳からは、独習では得難いものが得られることも多い。
世の本屋には「基本単語1000」とか「TOEIC必須単語3000」といったような、頻出単語とその意味を並べた参考書が大量に並んでいる。
「英文に登場する単語の90%は1000語に含まれる、だからこの基本語をまず暗記して、それから英文を読むのが効率的だ」などと言う人もいる。しかしこれはほとんどデタラメである。
英文に登場する単語の大半が基本語なのは確かだ。しかし500ページそこそこの参考書に1000個も意味が書けるほど、基本語の内容は浅くない。私は今でも日常的に、基本語を辞書で引いている。そしてその単語のさまざまな使い方を見て、基本語の奥深さを噛み締めている。
英語は読むにしても、書くにしても、聞くにしても、話すにしても、基本語は身体の一部になるぐらいまで深く理解する必要がある。実際の英語の中で気が遠くなるほど何度も遭遇し、使用シチュエーションを蓄積し、自分でも使ってみる、そういった積み重ねの中でしか、その本当に意味するところは分からない。参考書レベルで基本語を分かった気になっても、少し派生的な意味で登場しただけで分からなくなるのがオチだろう。
そして英語の語彙の中で特に難しいのは、基本語の組み合わせによって発生する熟語、イディオムである。イディオムの意味は単語が意味するものから大きくかけ離れていることが多く、故にイディオムと呼ばれるわけだが、この知識も参考書ではほとんど得られない。このように、90%とされる基本語の中にも、参考書に含まれていないものが大量にある。
「それでも、頻出単語の基本的な意味だけでも抑えておくのは重要ではないか。小説などでランダムに出て来るのに任せたら、時間がどれだけかかるかわからない」そう思う人もいるだろう。
しかし、頻出語は頻出するから頻出語と言われる。基本単語1000ぐらいなら、小説を1冊読む頃には否応なく頭に染み付いているはずだ。それも単語の参考書で得たものとは違って、単語から想起される感覚を伴った、生きた英単語として身についている。
TOEIC3000語も、何の本でも数冊読めばほぼ頭に入っているはずだ。3000語を感覚的に理解できるようになれば、その3000語で構成された文は、日本語を介さず感覚的に理解できるようになり、「英語を英語のままで」理解できるようになる。そうなれば読書がスムーズに進むようになり、インプットのスピードが上がり、それが英語の上達を加速させる好循環に入ることができる。成長の実感は英語学習のモチベーションを高め、それがさらに成長を加速させる。3000語を感覚で理解できる頃には、英語学習にドハマリして抜け出せなくなっているはずだ。
高難度の単語は出現頻度が低くなるので、そういった単語を網羅的に学習するのは、小説や映画ばかりを偏って見ているノンネイティブには難しいかもしれない。英語上達完全マップによると、多読などの自然な方法に任せると二万五千~七千程度で語彙力は伸びなくなるという。
現在私の語彙は2万5千~7千と思われますが、多読などの自然なボキャビルにまかせると、この当たりで語彙の伸びは止まるようで、ここ10年くらい同じレベルにとどまっています。 http://mutuno.o.oo7.jp/05_training/05_training06.html
それ以上の高難度の単語を網羅的に学習したい場合は、単語の参考書を使うのは有効だろう。高難度の単語なら基本語のように意味が派生したりイディオムになったりということは少なく、参考書レベルの理解でもなんとかなるかもしれない。
ただ、参考書による単語学習はやっても覚えられないので、私はやらない。無数にある見たことのない単語の予習に励むより、知らない単語が出てきても、話を追い続ける力を磨いたほうが現実的だと考えている。
何の学習法でも言えることだが、自分が今やるべきでない学習法、自分に合ってない学習法は、やってみると身体が本能的に拒否する。そういう学習法は、無理にやっても身が入らないのでやらないほうが良い(もちろん私の勧めている学習法も含めて)。
気持ちよくて、クタクタに疲れられる学習法と出会ったら、それをやるべきだ。疲れているということは脳が働いているということで、気持ち良ければずっと続けられる。
そのうちに慣れると疲れなくなってくる。トレーニングしても疲れていない場合、上達は見込めない。そうなったら学習法をアレンジし、負荷を上げて、気持ちよく疲れられるところまで調節する。誰かに教わった学習法でも、こうして自分の今のレベルに合った形にアレンジすることで、効果を高めることが出来る。
追記:
*1 しかし英英辞典自体は、それを使いこなせる英語力が身についた後ならば、英語学習の強力な武器になる。 私は普段はオックスフォード英英辞典を使っている。グーグルの使用言語を英語にして単語をググると、一番上にオックスフォードの記述が出てくるので、まずこれを見る(出てこない場合は検索語にdefinitionを加える)。Kindleに無料でついてくる英英辞典もオックスフォードだ。 オックスフォードでは、英単語をより難しい英単語で説明している。その単語も辞書で引くことで、際限なく難しい単語に出会えるため、いくらでも語彙を増やすことが出来る。単語の定義も難解で味わい深く、その文章に触れること自体が英語力を向上させてくれる。