2018-10-03

沈黙という映画

遠藤周作原作マーティンスコセッシが監督して作ったもの。窪塚とか出てる。

ポルトガル語を話しているはずの神父英語を話していたり、村人が結構英語を解するあたり違和感があったが

まぁそれはいいとして

途中で踏み絵をすることになったらどうすればいいと悩む村人に、一人の神父がtrembleといった。

一人はそれに対しYou can't と血相を変えた。

どうやらtrembleは字幕では「踏むのだ」と訳されているが、英英辞典でも震えるとかそういったニュアンスしか載っていない。

するとこれは意訳なわけだが、踏み絵をする→震える というあたりの感覚イマイチからないと同時に新鮮だった。

踏むのだ、(さすれば恐らく神の怒りを震えて待て)くらいの文脈解釈できる。

あとパライゾといった村人にパラダイスと訂正するシーンがあったがポルトガル語ではパライゾで音的にはそんなに間違ってないのでは?と思ったりもした。

そもそも棄教踏み絵ではなく、棄教したら二度とキリスト教回帰しないことを神の名の下誓わせるという日本頭脳プレー

功を奏しているらしいので「踏む」「踏まない」で序盤逡巡しているあたりが謎だった。まぁ原作がそう描いていたら仕方ないかもだが。

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