はてなキーワード: マーティンスとは
かわいい~ンとか言ってスコティッスフォールドみたいなのペットショップで買って飼う人は警戒してる
まずペットを飼うにあたって生き物の命を預かるわけだから事前にいろいろ調査するべきなのは言うまでもないんだけど
ペットショップでシュコシュッシュホールドを見て一目惚れとか言って即買いよるようなのはもう論外中の論外で
たとえ一目惚れしても一旦家に持ち帰ってスココッコホォールドの飼育条件とか猫の健康状態の見極め方とか調べ尽くす姿勢が無いとこれからの時代厳しい
そして調べる過程で当然ペット産業が構造的にブリーダーによる劣悪な飼育環境や無理な繁殖によって支えられているようなとこにまで辿り着けないようでは状況分析能力を疑うレベル
あとスコスッシホールドの運動能力の低さや病気のなりやすさとかを知って品種改良業界の闇みたいのを感じ取れないのもキツイ
いずれにせよマーティンスコセッシをおうちにお迎えするならそうとうの覚悟が必要なのにペットショップで買ってるようなのは安易と言わざるを得ない
遠藤周作の原作をマーティンスコセッシが監督して作ったもの。窪塚とか出てる。
ポルトガル語を話しているはずの神父が英語を話していたり、村人が結構英語を解するあたり違和感があったが
まぁそれはいいとして
途中で踏み絵をすることになったらどうすればいいと悩む村人に、一人の神父がtrembleといった。
一人はそれに対しYou can't と血相を変えた。
どうやらtrembleは字幕では「踏むのだ」と訳されているが、英英辞典でも震えるとかそういったニュアンスしか載っていない。
するとこれは意訳なわけだが、踏み絵をする→震える というあたりの感覚がイマイチ分からないと同時に新鮮だった。
踏むのだ、(さすれば恐らく神の怒りを震えて待て)くらいの文脈で解釈できる。
あとパライゾといった村人にパラダイスと訂正するシーンがあったがポルトガル語ではパライゾで音的にはそんなに間違ってないのでは?と思ったりもした。
そもそも、棄教は踏み絵ではなく、棄教したら二度とキリスト教に回帰しないことを神の名の下誓わせるという日本の頭脳プレーが
功を奏しているらしいので「踏む」「踏まない」で序盤逡巡しているあたりが謎だった。まぁ原作がそう描いていたら仕方ないかもだが。