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はてなキーワード: 積ん読とは

2020-03-05

積ん読がひどい

借りてきても読む気なくして返却〜

2020-02-01

ストラテラを飲み始めた

軽度のADHDだと自覚しながら生きてきたが、年齢を重ねるにつれて嫌気が差してきて

重い腰を上げて心療内科に行くとストラテラを処方された。

頭の中が静かになるというのは本当で、落ち着いて物事を考えられるようになって、感情の起伏が減った気がする。

下らないストレスや雑念のせいで頭痛がしたり眠れなかったのが改善されたのは嬉しい。

集中力や注意力は上がった自覚はあるものの悪い習慣(積ん読とか)は変わらず。

寒気や射精障害副作用は出ているけど我慢できそう。

今年は普通の人のふりをしてやっていけると自信を付けられるようになりたいなぁ。

2020-01-18

anond:20200118031051

いやいや、他の予定や買い物メモとかも書く手帳にとっさにアニメ人物メモするものから

次のクールまってると手帳だけ先にすすんじゃうんだよね

物語シリーズは録画して一時停止かけて長台詞を読まないといけない変わったアニメ

まり小説みたいなアニメになってるんだけど

録画しちゃった安心感により全く見なくなるという積ん読みたいなことになっちゃった

2020-01-13

図書館凄さをお前らに説明してやんよ

毎月活字の本10冊程度読む俺が最近図書館凄さ説明する

23区内の図書館を前提とした話で他の地域はしらんけどとにかく説明する

1.ウェブで予約できる

在庫検索は当然予約までできる

2.同じ地域の別図書館在庫を取り寄せして最寄りの図書館で受け取れる

これは無いだろって思ってる本でも余裕であってびびる

3.3営業日内には最寄りの図書館に届く

アマゾンマケプレより早い

4.10冊以上借りられる

他の区は知らないけどうちの区は最大15冊借りられる

5.3週間借りられる

2週間+予約が入ってない本なら1週間借りられる

6.無料

1万円の本10冊借りても0円

7.積ん読対策

返却期限が迫ってきて一気に読み倒したりできる

8.古い本も在庫されてる

デカ本屋より蔵書数が多いし絶版の本もある

9.土日も20時とか21時まで開いてる

ブックオフ並に営業時間が長い

もっと凄い点色々ありそうだから

俺はこんな使い方してるぜってひといたら教えてくれ

2020-01-01

100分de名著シリーズバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった

補足書きました

思った以上の反応を頂いて驚いてます

コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事しました。

興味あったら見てください。

https://anond.hatelabo.jp/20200102201209

はしがき

釣りっぽく書いたけどほんと。

結構色んな意味読書知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった

なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます

書きたいのは100分de名著シリーズ対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。

ちなみに、読破したと言っても読破したのはあくま解説本。

スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。

いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。

から最初20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。

原典を読むのは、それが終わってからでも遅くないと感じた。

本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名思想歴史上の出来事など)があることがわかった

勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。

さらに、その要素が「影響を与えられた」もの解説として出てきたり「影響を与えた」もの解説として出てきたりする。

何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。

なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。

原典が全16巻とか(おまけに明治時代の訳だったり)あるものがあった

まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。

そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。

実に20年ぶりくらいに読書エンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。

約1年かけてバックナンバー読破して効用として感じていることは、、、


文系学問価値理解できるようになった

ちなみに私は理系出身

よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。

今みたいにリアルタイム意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。

ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。

アインシュタイン相対性理論だって洞窟暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。

それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、

現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。

そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。

文系学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。

果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家哲学者だけれど、

天才誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通文学者役割で、

アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。

これ、理系ブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。

天才、と呼ばれる人間自身の業績についてちょっと違う視点物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)

大学教育意味について捉え直せた

バックナンバーの消化も終わりに近づいたことろ、私は思った

「かなりいい勉強になった」

大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」

「というか大学でこういう講義あってもいいのに」

「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。

そこで計算した。

100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。

以下、とても雑な計算だけれど。

大学はだいたい15時間講義で1単位とされる。

まり900分だ。上記解説本でいうと、9冊。

100冊なら、約11単位計算してみて驚いたが、たったそれだけ。

一般的大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。

定義サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。

嘘でしょ?

驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。

こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。

http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html

1冊辺り6時間程度の読書時間が追加で想定できるわけで、

原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。

するとつまり大学とは本来

「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」

場所だ、ということだ。

ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。

私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあん無駄時間を、、、

可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。

叶うなら今度こそ、学士になりたいものだ。

読書習慣と、読書をする体力を取り戻せた

なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。

活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味読書趣味にすることは出来ないと思った。

ていうか、楽しむ余裕がない。

スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。

この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割果たしてくれたと思う。

練習のための練習として、この「解説読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ

2-3時間で1冊終わること

週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。

平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置しおりを挟んで寝ることが出来る。

進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。

無駄足にならないこと

価値保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、

読んでいた時間無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)

という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。

つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。

今後読書を続ける動機づけになった

いろいろな本の中で語られていたことだが、

日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。

下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので

自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが

考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。

実はこれが一番の収穫だと思っている。

これから

というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。

の前に

山川日本史世界史を買った。

解説読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。

これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論まさか高校教科書だった。

今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識統合がすすむすすむ。

なぜ俺はあん無駄時間を、、、と思うけど、おそらく解説読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。

さて、年末山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、

途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。

来年シリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。

やりたいことが増えていくともっと若くからやっときゃよかったと思うことばかりだけど、

何もすることが無いよりはいいか、、、

とりあえず、今買った30冊とプラスαくらいは、今年の年末までに読み終わっておきたいところだ。たぶん出来る気がする

2019-12-10

anond:20191210064937

エロじゃないけどちょうど自分も蔵書整理でクラウドで再入手可能不可能かで区別しようとおもったんだけど

紙本って見るたびに「これメルカリ販売できるんじゃなかろうか」という邪念が生まれてきて困る

あと積ん読本をデータ化してもたぶん読まない自分予測できてこまる

2019-12-05

エンジニア職に就いたあと辞めたポエム

補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350


これは退職アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初自分ブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌

What's this

よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます

ということで、今年あった自分体験談を残すことにします。

といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。

この話はここから先はフィクションです。剣も魔法労基法も出てこないファンタジーです。

who are you

地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんれいきらさんです。

これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係バイトをしてきました。玉掛フォークリフトなら任せろーバリバリ

入社の経緯

会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。

その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社システム部門で人手を探しているとのことでした。会社ホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分スキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページDreamWeaverサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。

面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubatcoderアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。

やったこ

地方製造業システム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間プログラムが分かるのは業界経験自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。

レスポンシブ化

ちょうど入ったタイミング情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社サイトスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマ運用してきた様でした。もちろん仕様書ローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分Webデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応しましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。

新規Webサービス

入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたこから、いつのまにか新規案件自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなとき相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpjscssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。

既存システムの移行

Windows Server 2012で動いていたサービスLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHPowerShellからマニュアルコマンドコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...

自分ツール作成

毎日出退時間規定EXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。

FE取得

これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。

チーム開発などという概念存在せず、「1案件を1人で上流から実装運用保守サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲ギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります

とりくめなかったこ

自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これから物理フォルダーと社内サーバ散逸した各種の情報混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。

サーバオンプレでした。自分クレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。

余談ですがオンプレ面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)

イキってカイゼンジャーニー情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分ロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。

退職経緯

さてお待ちかねメインディッシュですね。

もともと技術コンテンツ会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。

これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議日報エクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。

社内のコミュニケーションツールLINEだったので使い勝手も悪く、会議chatworkslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。

えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能マストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。

初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場システム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。

もともと会社製造業から始まったため、えらい人たちとの見解齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備マンパワー時間線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署MTGのためのプロジェクター設定、全PCwindows updateに伴うドライバ更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。

そして、よくあることですが、理念実態乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしま人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。

違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)

総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね

これから

現在スキー場住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。

可処分所得可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます賃金ふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nest面白そうな感じです。あと寮のwifi談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります

先のことはなにも決まってませんが、ちゃんエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがありますレビュースクラムアジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外大麻栽培でも始めようかなぁ。

いかがでしたか

巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプ生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会要請ならばそれまでですが。

自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。

といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。

ぼくのポエムはこれでおしまい。じゃあね。

2019-10-26

怠け者が不意にやる気を出すことだってある

チュート徳井やらかしたことはちゃん社会的に裁かれるべき事案だと思うし活動自粛妥当で、

なんなら今後テレビで干されたって文句は言えないと思う

ただ、

ルーズって言ってるくせに旅費を経費にするのはできるのか」とか

「面倒くさがりなのに節税のための法人設立してるの矛盾してない?」

みたいな意見にはなんか違和感を覚えてしま

自身怠け者っていうかそれ系の診断貰ってる身だけど、

別に怠け者だからって常にやる気が0なわけじゃないんだよね

基本はやる気は20くらいで生きてて、不意に80くらいでて行動したりとか

最初100以上あるのに後半で一気に0になるとか、そういうのが多いイメージ


夏休みの宿題とかだと最初だけクラスの誰よりも早いペースで進めるけど急にやる気がなくなって友達にどんどん追い抜かれて結局最期まで終わらなくて怒られるとか、

分厚い文学作品を頑張って最後の方まで読むけど最後の章で萎え10年以上積ん読になるとか、そんな感じだったわ

別に怠け者だって決まったアルゴリズムで動くロボットじゃないんだから、そう動くときと動かないときがあったって別に矛盾しないんじゃないってちょっと思った

2019-10-25

anond:20191023162907

時間がかかるもの全て。

アニメの全話視聴

買い切りゲーム

積ん読の解消

・作りかけ超大作の完成

・長期日程の旅

会社雑談に使える趣味の発掘

楽器

メイク練習

妊婦体験

時間なくてもできるけど学生時代にやれば良かったと思うこと

大学図書館入り浸り

大学の工具使い倒し

・友人と遊ぶ(社会人になると価値観矯正されたりする)

・似合わない系統の服チャレンジ(なんだって若い方が似合う)

アウトプット練習

説明練習

やっとけば良かったというより、クソ社会人からやっとけよと言いたいこと

バイト

今のところ以上です。

2019-08-15

誰か教えてほしい。。。

別にうんこを漏らさな方法とか、僕が今現在うんこを漏らしていて、それをどうやって処理すればいいか?とかそういった話ではない。きっとこのエントリーからうんこ匂いは全くしないはずだ。それどころか、最近はデオコをつかっているからこのエントリーから女子高生匂いがするはずだ。そう。このエントリーを書いているのはうんこを漏らしていない女子高生だと思ってもらって構わない。その点を踏まえて読んでくれればと幸いだ。そうすればきっと温かいコメントで埋め尽くされることだろう。

ここに書いているのは僕の純粋な悩みだ。単純明快。「自分が作ったWebサービスに人が来ない」というものだ。

もともとサービスを作った理由自分が使いたいからだ。僕は本を読むのが好きで、Twitterやはてぶで流れてきた面白そうな本をメモしたり、本屋巡りをして目についた本のあらすじで買ってみたり、帯で面白そうだからと買ったりしているのだが、気に入る本に当たる確率が非常に低い。これは読んで良かったと思える本に出会える確率は1割にも満たない。本を読んでいる途中で投げ出したくなる本と出会うことも多々あるわけだけど、「最後驚愕どんでん返しが!」という帯があると帯を書いた人間の策略通り最後まで読まざるえなくなるわけだ。そして僕には「驚愕」と感じられないオチを見て、「なるほどね」と落胆をしてまた次の本を探し出すことになる。これを繰り返していると、新しく本を探しに行くのがどんどん億劫になっていくのだよ。

そこで、僕はひらめいたんだ。「欲しい物を書いておけば勝手に誰かがおすすめしてくれるサービスがあればすべて解決するんじゃないか?」と。

僕なんて本当に本を読む人から比べたら鼻くそぐらいの量の本しか読んだことがないのだし、めっちゃ読んでる人が気まぐれにでも「これ面白いよ」って軽い気持ちでも教えてくれるサービス存在すれば、僕は日々本屋を回りながら面白そうな本を探すということをせずとも勝手面白い本がガンガン集まってくるんじゃないかと思ったわけだ。Twitterバイラル的なサービス流行っているのでこれに乗っかって、自分が欲しい物をTwitter上で公開すれば自分のことをなんとなく知っているTwitterフォロワーから好きな本を教えてくれるサービスがあれば便利だなと思ったわけ。いろんなサービス機械的おすすめメールを送ってきてくれたりするけどそんな冷たいものではなく、もっとぬくもりを感じられるゆるくつながって教えたり教えられたりするサービスができたらきっと素晴らしいだろうと思うんだよ。

そんなゆるーくつながるサービスイメージして「積んでけ」ってサービス名も考えたわけ。「積ん読」をモジッてだれかが適当な置き場を作ったら、そこを通りがかった人が知ってるやつを気軽にポーンと積んでいってってほしいなという願いを込めてつけたわけ。ひらめいたときは我ながらダサかっこいいところを攻めたいい名前をひらめいたと思ったもんだよ。いいと思わないか?気軽に目に止まった置き場に自分が知っているやつを積んでって、それを見た人がありがとうって言ってくれる世界って。それが面白かったんだったら、こっちも面白いと思うぞってなってほしいし、じゃあ私からもなんか教えよっかなって思ったりするじゃんか。アフィリエイトもできるようにしてるからブログで紹介するなら1冊に付き1回までしかかけないかもしれないけど、面白かった1つの本を沢山の人間おすすめすることができるんだぞ!これも画期的だと思ったわけだよ。

で、頑張って作ったわけだけどまーーーーったく人が来ないわけだ。

これはそもそもサービスのコンセプトが悪いのか?

それとも誰の目にもとまっていないから使われていないだけなのか?

それともデザインがしょぼすぎて使う気にならないのか?

それとも動線が悪すぎて何をやっていいのかわからないのか?

まーったく判断がつかない。このサービス特性上、人が集まらなければ面白くないサービスなので、最初面白くないサービスに人を呼び込んでくる必要があるわけだ。そんなアクロバティックなことをどうやればいいのかと考えても全く案が浮かんでこない。Amazonギフト券を配って書いてもらおうかとも考えたが、そもそもサービスを使ってくれたらAmazonギフト券がもらえる」ということをみんなに知らせる手段存在しない。人がいないところに人を呼び込む最初は一体みんなどうやっているんだ・・・?試しに1万円ほどTwitter広告を出向してみたが全く無風だ。こうなることがわかっていたなら、1万円分の本を買えばその中にあたりの1冊ぐらい混じっていたのではないかという自分本末転倒ぶりに呆れたりもしたもんだ。全くどうすればいいのかわからん

だれか、僕にサービスの広め方を教えてくれ!

あと、万が一でもこの文章を読んで気が向いたのであれば、なにかおすすめの本を教えてくれ!!!

おすすめしてくれた本は読んで感想を書くから!!!

https://tsundeke.me/area/y5xMPAD1QpqnQyngiyoK

2019-08-01

さよなら挨拶

これは自分の公開ブログに書こうとして、踏みとどまったものです。でも、誰かに読んでほしくてここに書かせてもらいました。



最近、つくづくツイッターは向いていないことを実感した。

交流をさせていただいて、とても楽しかった。

でも、疲れてしまった。

私には、才能がない。どうあがいても、ないものはない。

だけど、楽しく創作を続けたい。書くのは自由勝手で、私は自分の書いた作品が好きだ。どんなに出来が悪くても、売れなくても、自分で作り上げた世界を愛している。

私は、精神を痛めつけられる創作が好きだ。

いわゆる、地獄からハッピーエンド

バッドエンドでも、それがどうにもならない結末なのであれば受け入れられる。

要は、自分が納得できるかどうか。幸せじゃない終わりに、ほんの少しの優しさを見いだせるかどうか。

それが、今の現ジャンルでは敬遠されがちだったとしても、だ。

私がまだまだ実力が足りないことは重々承知の上です。

みんな同じことをしているの、私はつまらないと思います

その人の性癖がつまった同人が読みたい。

同じような話が悪いのではない。

ただ、そこに性癖を、どうにもならない萌えの根源を感じられる作品でないと、読むのがつらい。三回くらいよんでらしんばんに売ってしまう。

読んだあとに傷跡を残されたい。心臓の表面を包丁でそがれるような痛みを覚えたい。私にとって、創作での痛みは間違いなく快楽だ。おどろおどろしいもの、人

見たくないもの、きたないもの……突きつけられるたびに、ぞっとしてしまう。きれいな感情だけじゃない、人間のものがたりを読むたびに胸が高鳴る。ただ幸せ物語も好き。だけど、同人でそれを自分ができるか?と言われたらできない。私が時間をかけて作りたい物語は、幸せ真逆地獄を這って汚泥をすすり、人間らしくあがいて泣いて、ださくても苦しくても立ち上がる人間のものがたりが好き。

萌えをかみしめていたはずの自分が、萌えを消費するものとして扱ってしまうことに、ひどく動揺した。積ん読している同人誌があること自体、もう自分キャパティを超えてしまった。

同じように萌えを消費する最近SNSが息苦しくなって、もうだめだと思った。

なので壁打ちアカウントを作って、私と同じようなドMがいたら「すごいな……」って思うようにしようと。


この日記をもって、こちらのブログはおわります

今まで、本当にありがとうございました

2019-07-25

anond:20190719194053

そういう人はその本に興味を持ったら読むか読まないか考えないで買っちゃうの。そしてそのまま山積みにして放置して忘れるの。うちの父がまさにそのタイプ。本を買うだけで知識を手に入れた気分になるのだろう。

なぜ読まないのか、どうして放置するのか追及してもムダ。ちなみに娘の私は面白そうだと思った本を図書館で借りるけど、ほとんど読めないまま返却期限が来て返すことになる。でもやっぱり気になるのでまた同じ本を借りてしまう。手元には残らないけど、貸し出し履歴を見た図書館職員は「この人なんでこんなに何回も同じ本借りてるの?」と思うだろう。

元増田の疑問はもっともだけど、積ん読する本人に理由なんか聞いても分からないと思うよ。

anond:20190719194053

「本を買ってはみたけど、よまずに、積んで置いてる」ことを

しゃれで「積ん読」と言ってるだけだ。

まらん、オヤジギャグ

2019-05-10

本が読めなくなった自分が再び本を読めるようになった話

 本が読めない。

 読書家が人生において遅かれ早かれ直面するところの事件である

 本が読めない。


 特に文学小説が読めなくなった。


 当方二十代後半の男であるが、今より遡ること十八年ほど前にラノベブギーポップは笑わない)と出会い、それ以降文芸における視野国内外純文学文芸作品へと広げ、様々なジャンルにおける読書体験を営みながら、これまでの人生を生きてきたのである

 そして、その読書体験の勢いと呼ぶべきものを二十代の前半辺りにまで持続させ、さてこれから人生においても長い付き合いになりそうだなあ、などと呑気に構えていた時分、不意にその能力消失したのであった。


 読書能力消失

 何故なのかは分からないけれど、突然本が読めなくなったのだ。

 書物との別れ。


 何故なのだろう?

 当方通勤に一時間以上を費やす難儀な民であるため、通勤時間中は心を半ば無にし、脳の活動を極低状態にまで抑え、死んだ目で通勤していたのが仇になったのだろうか。
(皆さん、覚えておいてほしいのだけれど、通勤時間20分を上回るようになると脳の鬱傾向が加速するというエヴィデンスがあるそうなので、通勤時間はできるだけ短縮するようにしましょう)

 でも、俺に関して言えば未だに通勤時間は二十代の前半から変わっていない。むしろ職場の変更から伸びたくらいであって、つまりその移動距離は未だに脳に対して厄介な負担を掛け続けているということになる。


 まあそら本も読めなくなるわな。

 考えてみれば当たり前の帰結である


 とにかく去年の夏に至るまでの数年間、俺は本を読むことができなかった。


 読みたい本はたくさんあった。それこそ山のようにあった。かつて、若き日の盛りに大阪へと日帰りの小旅行に行った思い出があるのだけれど、それは梅田存在する某超大型一般書店に立ち寄るためだけに計画された小旅行なのであった。そんなこんなで、俺はその超大型書店へと赴き、そこで購入できる限りの本をわんさと買った後で、地元へと帰還したわけである。無論、それらの本の内の殆ど積ん読ルートを辿り、今も尚本棚一角を占めその存在感を俺にアピールし続けている。

 まるでそれは十字架だった。

 俺の、購入した時点で尽き果ててしまった、知識に対する独占欲好奇心に対して釘を打ち付けるかのような、それは罪悪感を俺に植え付けるための十字架だった。

 何故なのだろう。

 何故我々は本が読めなくなってしまうのだろう?


 ここに至る理由には色々あると思うのだけれど、第一に思い浮かぶ理由といえば加齢である


 残酷な、そして受け入れがたい真実――加齢は脳を萎縮させる。

 人間の脳は部位によっては三十代を超えてもなお成長し続けると一般に言われているが、しかし厳然として人間の肉体は二十代の半ばを境に衰え続けるのも事実である。というか、どちらかと言えば成長よりも衰退の方を意識せざるを得ないのが殆どではなかろうか、と思う。我々は衰退している。というか、我々の脳は衰退しているのである。衰退しました。
 ――つまりは、我々は一度読書能力を失ってしまうと、よっぽどの克己心を持たない限り――あるいは、そのような驚異的克己心を持たない限り――そのような超人的克己心に基づく人格改造なり人体改造を経ない限り――再び読書能力を取り戻すことは、難しいということなである

 残酷な、そして、受け入れがたい真実

 俺もそうであった。

 読書能力との別れは辛いものである

 それは、まるで一人の気のおけない友人との別れにも似ている。


 結論から言うと、俺は再び読書ができるようになった。


 ぶっちゃけると何でなのかは分からない。でも、確かにできるようになった。

 復活した。アーメン



イースターの季節ですね)

p.s.このテキストを書いたのは4/22です)


 去年の夏頃からその能力は突如として再生した。昨年から現在に至るまでの読書量は、読書能力が失われていた時代を遥かに超えている。ここのところお硬い文学小説にばかり目を通しているのだけれども、ここ一年間くらいで読んだページ数は5000頁を優に超えた。これまでの読書量を遥かに凌駕するレベルである(待っててくれプルースト

 正直なところ、何かを意識して自己改革したという記憶殆どない。強いて言うならば、当時スマートフォン通信制限喫緊重要課題と成り果てていたため、そのデータ通信量を節約するという実情に迫られて、通勤手段である電車に乗り込んでから本を読むようになったのがその理由と言えるかもしれない。


 行きに十ページ、帰りに十ページ。

 それを毎日

 仮に、一ヶ月の間に通勤期間が二十三存在するとすれば、行きに十ページ帰りに十ページを繰り返すのであれば、一ヶ月で我々の読書量は460ページに到達するということになる。

 猿でも分かる(猿には分からない)計算である


 とは言え、まずはそういうレベルから始めるのが得策であろうと思われる。人間は恐らく一日の間に二十ページ以上の本を読むことはできないのだ――特に文学小説のような対象相手取るのであれば、僕らの克己心は我々の想像する以上に貧弱なのである

 さて。


 これは正確に言うとライフハックではない。

 電車の行き帰りで、それぞれ十頁ほどの時間読書に費やすようになった男が存在している、というだけの話である

 そう、キーワード電車だ。脳ミソと通信量のダブルダメージを避けようと、不意に読書人生途上で――つまりはレールの上で――再開しただけの、それだけの話なのである


 参考になったであろうか?

 恐らくは、なるまいと思う。

 とは言え、かつて存在しその後に失われてしまったところの能力が、突如として復活するということは有り得るのだと――俺はただただその事だけを――伝えたかったのだ。今日を生き始めたものけが、かつての息吹に再び胸をなでおろすことができるようになるのである

 皆さん、本を読みましょう。

 魂を取り戻すために。

2019-05-03

日本海北上している。

今年のGW10連休ですね。

みんな旅行とか行ったのかな。

移動時間がひたすら多い電車の旅をしました。

積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。

増田初心者なので不手際あっても許してね。


秋田行きの特急列車に乗っている。

新潟駅発の特急いなほ5号である

運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィークしかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席からなのだろうが。

当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席チケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。

窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。

奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。

そう、窓際の席とは山側なのだった。

初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである

列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である

新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。

さて、新潟平野自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である

そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まり富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまり日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。

富山駅を出たのは朝5時台の電車でだった。

富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しか富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店モーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業吉野家のみであった。

その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦唐揚げ、新鮮な蛍烏賊踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。

しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。

あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。

さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。

日本海は海が近い。個人的感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。

電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。

直江津駅には立ち売り駅弁がある。

大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。

到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。

電車旅の楽しみは駅弁である

電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色楽しいものだが、そこにご当地駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。

朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。

改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。

しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。

いただいたのは鱈づくし弁当であるしかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメ天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。

味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかスルメ天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います

流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。

そして今、新潟発のいなほ5号に揺られている。

今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。

点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である

わず口元も緩んでしまう。

駅弁とは随分と贅沢なものだ。

美しい景色を眺めながら、その土地食べ物いただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。

ここが機内食やなんかと違う所なのである駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。

反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。

また美しい旅は続く。少し眠ったら山形に入り、そうしたら鳥海山も見ることが出来るだろう。

長い文章を読んでいただいてありがとうございました。

2019-04-23

本が読めなくなった自分が再び本を読めるようになった話

 本が読めない。

 読書家が人生において遅かれ早かれ直面するところの事件である

 本が読めない。


 特に文学小説が読めなくなった。


 当方二十代後半の男であるが、今より遡ること十八年ほど前にラノベブギーポップは笑わない)と出会い、それ以降文芸における視野国内外純文学文芸作品へと広げ、様々なジャンルにおける読書体験を営みながら、これまでの人生を生きてきたのである

 そして、その読書体験の勢いと呼ぶべきものを二十代の前半辺りにまで持続させ、さてこれから人生においても長い付き合いになりそうだなあ、などと呑気に構えていた時分、不意にその能力消失したのであった。


 読書能力消失

 何故なのかは分からないけれど、突然本が読めなくなったのだ。

 書物との別れ。


 何故なのだろう?

 当方通勤に一時間以上を費やす難儀な民であるため、通勤時間中は心を半ば無にし、脳の活動を極低状態にまで抑え、死んだ目で通勤していたのが仇になったのだろうか。
(皆さん、覚えておいてほしいのだけれど、通勤時間20分を上回るようになると脳の鬱傾向が加速するというエヴィデンスがあるそうなので、通勤時間はできるだけ短縮するようにしましょう)

 でも、俺に関して言えば未だに通勤時間は二十代の前半から変わっていない。むしろ職場の変更から伸びたくらいであって、つまりその移動距離は未だに脳に対して厄介な負担を掛け続けているということになる。


 まあそら本も読めなくなるわな。

 考えてみれば当たり前の帰結である


 とにかく去年の夏に至るまでの数年間、俺は本を読むことができなかった。


 読みたい本はたくさんあった。それこそ山のようにあった。かつて、若き日の盛りに大阪へと日帰りの小旅行に行った思い出があるのだけれど、それは梅田存在する某超大型一般書店に立ち寄るためだけに計画された小旅行なのであった。そんなこんなで、俺はその超大型書店へと赴き、そこで購入できる限りの本をわんさと買った後で、地元へと帰還したわけである。無論、それらの本の内の殆ど積ん読ルートを辿り、今も尚本棚一角を占めその存在感を俺にアピールし続けている。

 まるでそれは十字架だった。

 俺の、購入した時点で尽き果ててしまった、知識に対する独占欲好奇心に対して釘を打ち付けるかのような、それは罪悪感を俺に植え付けるための十字架だった。

 何故なのだろう。

 何故我々は本が読めなくなってしまうのだろう?


 ここに至る理由には色々あると思うのだけれど、第一に思い浮かぶ理由といえば加齢である


 残酷な、そして受け入れがたい真実――加齢は脳を萎縮させる。

 人間の脳は部位によっては三十代を超えてもなお成長し続けると一般に言われているが、しかし厳然として人間の肉体は二十代の半ばを境に衰え続けるのも事実である。というか、どちらかと言えば成長よりも衰退の方を意識せざるを得ないのが殆どではなかろうか、と思う。我々は衰退している。というか、我々の脳は衰退しているのである。衰退しました。
 ――つまりは、我々は一度読書能力を失ってしまうと、よっぽどの克己心を持たない限り――あるいは、そのような驚異的克己心を持たない限り――そのような超人的克己心に基づく人格改造なり人体改造を経ない限り――再び読書能力を取り戻すことは、難しいということなである

 残酷な、そして、受け入れがたい真実

 俺もそうであった。

 読書能力との別れは辛いものである

 それは、まるで一人の気のおけない友人との別れにも似ている。


 結論から言うと、俺は再び読書ができるようになった。


 ぶっちゃけると何でなのかは分からない。でも、確かにできるようになった。

 復活した。アーメン



イースターの季節ですね)


 去年の夏頃からその能力は突如として再生した。昨年から現在に至るまでの読書量は、読書能力が失われていた時代を遥かに超えている。ここのところお硬い文学小説にばかり目を通しているのだけれども、ここ一年間くらいで読んだページ数は5000頁を優に超えた。これまでの読書量を遥かに凌駕するレベルである(待っててくれプルースト

 正直なところ、何かを意識して自己改革したという記憶殆どない。強いて言うならば、当時スマートフォン通信制限喫緊重要課題と成り果てていたため、そのデータ通信量を節約するという実情に迫られて、通勤手段である電車に乗り込んでから本を読むようになったのがその理由と言えるかもしれない。


 行きに十ページ、帰りに十ページ。

 それを毎日

 仮に、一ヶ月の間に通勤期間が二十三存在するとすれば、行きに十ページ帰りに十ページを繰り返すのであれば、一ヶ月で我々の読書量は460ページに到達するということになる。

 猿でも分かる(猿には分からない)計算である


 とは言え、まずはそういうレベルから始めるのが得策であろうと思われる。人間は恐らく一日の間に二十ページ以上の本を読むことはできないのだ――特に文学小説のような対象相手取るのであれば、僕らの克己心は我々の想像する以上に貧弱なのである

 さて。


 これは正確に言うとライフハックではない。

 電車の行き帰りで、それぞれ十頁ほどの時間読書に費やすようになった男が存在している、というだけの話である

 そう、キーワード電車だ。脳ミソと通信量のダブルダメージを避けようと、不意に読書人生途上で――つまりはレールの上で――再開しただけの、それだけの話なのである


 参考になったであろうか?

 恐らくは、なるまいと思う。

 とは言え、かつて存在しその後に失われてしまったところの能力が、突如として復活するということは有り得るのだと――俺はただただその事だけを――伝えたかったのだ。今日を生き始めたものけが、かつての息吹に再び胸をなでおろすことができるようになるのである

 皆さん、本を読みましょう。

 魂を取り戻すために。

2019-04-16

最初はそのゲームが好きで、ログインボーナスはもちろんデイリークエストも必ずこなしていた

が、ある時にふと同じパターンの繰り返しだな、と思ってしまって以降、遊ぶことは滅多になくなった

が、夢中だった当時のゲーム通貨アイテム価値意識なのはしっかり身について、毎日決まった時間に来る通知に合わせてログインボーナスだけ回収する

こういうゲーム名前付いてないのだろうか

本でいうと積ん読、みたいな ちょっと違うけど

2019-03-23

本を読めなくなった

加齢なのかストレスなのか、まったく内容が頭に入ってこない

何度も同じ行を読み返していたかと思えば、目は次のページへ進んでいるのに頭の中ではまったく別のことを考えていたり

登場人物地名はもちろん覚えられず、数行おきに確認するから一向に進まない

買っても積ん読するだけなので、期限を決めては?と図書館で借りてみたが、変わらないどころか「早く読まないと…」というプレッシャーますます悪化したので諦めて途中で返した

最近積ん読されてる本を手に取る気も起きず、ダラダラネットばかりしてる

帯や書評を見れば面白そうと思うし、読みたい気持ちは変わらずあるんだけど

こういうのはどうしたら回復するもんだろうか

2018-12-24

anond:20181224032047

世のパチンカーは、自宅に台があってお金を掛けずに打ててもあんなに熱中するのかという問題と一脈通じる気がする

成果(ゲームとしての快楽クリアの達成感)ではなく、かけた労力あるいはお金に対するこだわりが自己目的化する本末転倒というか

金額の桁は劣るけど、俺も定期的に秋葉原池袋に行って好きな作品同人誌を買い込んでしまう癖が治らず、10年ぐらい前に比べると多忙のせいで積ん読化が増えてるのに、やめられない罠

2018-11-21

積ん読

積ん読積みゲーは「いつでも読める」「いつでも遊べる」という安心感を買うものだと最近思うようになった。書籍に関しては物理的な実感も加わるので、なおさらその気持ちも強まるのだろう

もっとも行きすぎると、「積むだけ積んで読まない遊ばない」単なる安心感、充足感を得る行為に成り果てるんだけど。まあ何事も思い立ったが吉日ということで、積まずに読むのが一番良いんだろうな。

そんなことを思いながらも、積ん読が増える一方なので頭を抱えている次第である

2018-08-19

anond:20180819161756

「もう積ん読生活を始めてしまったんだ。本を買うのは読む為ではなく、読みたいと思った時に読むまでのハードルを下げる作業しか過ぎない」

「読みたいと思った時に入手できず、それに伴い読むというモチベーションが削がれてしまうことが増田にとっては致命的なのだろう? ならば、あらかじめ入手しておく事に何の問題があるだろうか」

「考えてみろ。一冊何百円かだぞ? お前の給料だって決して多くはないかもしれないが、せいぜいワンコインだ。ケチるほどのものか?」

2018-08-02

死にたくないよぉ…

嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない。

嫌だよ。セックスしたい。

セックス。肉くいたい。赤身のやつ。寿司も食べたい。

海を見たい。川に行きたい。山に行きたい。電車で遠くに行きたい。

アニメ見たい。気になってるアニメがたくさんあったんだよ。

小説も読みたい。積ん読してる本がたくさんある。

漫画も読みたい。

アイス食べたいな。氷のやつとクリームのやつどっちも。

死にたくないよぉ…

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