はてなキーワード: 教会とは
遠方で暮らす両親。
うち、親父が死んだわけですよ。
親父が死んで保険金がおりたわけです。
年金ぐらしだけどそれでも1000万円ほど入ってきたわけ。
おかんのところへ。
そんでそのおかんだけど、
まぁそれはいいんだけどね。
関東だと全部で200万円くらいは見ておいたほうがいいあれですよ。
200万円とはいえ軍資金は1000万円あるわけだから平気だと思うじゃん?
あまいんだなー。
あまい。
教会は怖いよー。
ちなみに香典も300万円くらいだったと思うけど、それも教会にいってる。
葬式のときのお金は元々親父が残していたからね。葬式のときに香典は使ってないのよ。
1300万円。いやーいい金額ですね。ってかうちあんまり金もってねーなー。
まぁそれはいいや。
で、流石に俺がしってるおかんも、そこまで使い込まないと思っていたのよ。
多少使うとは思っていたけど、すっからかんは流石にこれまでと比べても違和感がありまして。
やっぱり遠方で一人暮らしで、それがより宗教への依存度を高めてしまったのかなと。
おかんには兄がいて、まぁ俺からしたらおじさんだよね。独身なんだけどさ。
おかんとは一緒には住んでないんだけど、車で一時間くらいのところなんだけど、
偉いもんでマニュアルに乗ってるんだよね。踏み間違えてもエンストするから安心っていうりゆうで。
まぁそんなおじさんに聞いてみたわけよ。
親父死んでからおかん変わった?前より変になったとかある?って。
なんか察したみたいで、理由を聞かれたわけよ。
そんで話したわけよ。
そしたらよ。
またか!!
また?ってなに?パードゥン?
ってことで話を聞いてみたら、
ばあちゃんの貯金、おじさんがばあちゃんが死んだとき用にためてた貯金、ばあちゃんの年金を全部持っていってたんだとよ。
もう二十年前後も前の話だけど。
そりゃ俺も貯金たまんねーわーってな。
まぁそれで合点がいった部分がたくさんありまして。
おじさんは死んだときのことは俺に頼むぞということで、保険の受取人は俺になってるのよね。
なお、おかんは親父が生きてる間からずっとパートに出てるんだけど、
親父って厚生年金の他にも企業年金やら個人年金結構積み立ててたから、
老後も月35万くらいもらってて。
持ち家だし、おかんがパートに出なきゃいけないほど生活困ってへんやろ?って聞いたことあるんだけど、
親父は親父で、おかんに金渡しても自分たちの生活費がなくなるまで宗教に金使うからお金渡さないようにしてるっていっててな。
今にして思えば、わかってたんなら保険の受取人も俺にせーよ!!!って話なんだけど、
まぁそりゃいいや。
で、なんだっけ。そうそう。
オレオレ詐欺なんて結局は一時のもんだし、繰り返し狙われても現在の財産を奪われるだけで終わるじゃん。
身内から金奪い取ってきたり、自分たちの生活費が困るほど毎月搾り取ったりしないじゃん。
騙されたのなら悔しさもあるけど、おかんは感謝しか無いんだぜ。アホか。
俺は1000万円あると思ったら200万円払え言われてんだぜ。アホか。
親父が天国だかどこかにいくために1000万円かかったんだかなんだか知らないけど、現実には墓も立てれずリビングに居るんだぜ。
なにそれ。
それが幸福なのでしょうか。
夫婦のあるべき形とは、旦那の墓を建てるお金も残らず使うことなのでしょうか。
確実に。
狂ってる。
こんなこと年末に知りたくもねーよ。
年越せねーよ。
で、ため息がでるんだよ。
はぁーーーーーーー。ってな。
宗教なんて嫌いだ。
今まで頑張って一人で教会活動しようとしてたんだけど司祭から横槍入ってアホくさくなったので教会行くの辞めます。
思想信条に限らず、僕は世の中にありふれてるモノそのものとコミュニケーションしなければ誰も幸せになれないと考えていまして、そのための活動をネット使って上手いことやりましょうと提案したんですが、結果的には自分ひとりでポツポツとやっていたんです。
ただ、内容に問題があるということで横槍が入って、僕の意見は一切ナシに活動不可能ということになりました。
僕は僕なりにめちゃめちゃ苦労して、生活に山ほどトラブル抱えていてもそんなの関係なしに話を黙って聞いてくれた人がいたから「ここに何か返さないと」と思っていたんです。
世の中程度はともかくそういう人は山ほどいます。どれだけ毎日辛くて、逃げたくて、モヤモヤする生活なのか僕は身を持って知っています。
そんな生活を潤してくれているものがあるなら、少なくとも僕はそういう世の中のいろんなことに「ありがとう」とか、「おめでとう」とか、「ご苦労さん」って言ってあげないとと思っています。
その話はさせてもらえませんでした。
つまり教会はコミュニケーションする相手を選べということですよね?
人いないのに正気です?
教会がそれを出来ないなら僕はそんなところ御免です。
なんだっけ、符号みたいなやつあったはず
ザホワイトハウスでクリスチャンの亡命者に対して本当にクリスチャンなのかクリスチャンなら教会が保護するけどそうじゃないのなら送り返すって話で本物か試す言葉を使ってた
ど忘れしたけどググったら出てくるはず
なんか、教会の集まりって「すごく辛い目に遭ってる人」には目を向けるけど「ちょっと辛い目に遭ってる人」に対してめちゃめちゃ厳しいなぁって最近思うことが多くて、教会そのものともちょっとギクシャクしてて、なんか今日お祝いしましょうっていう気が起きなかったんです。「なら久しぶりにクリぼっちしてみっかぁ」という事になりました。今薪燃えてるの見てます。
みんな「今日くらいなんか楽しいことしようぜ」って気持ちで今日過ごしてるのをtwitterと動画のコメントを行き来しながら見てると、「なんだみんな逞しいじゃねぇか」ってなったんです。
世の中から見たらなんの意味もないバックレだけど、クソみたいな世の中でも俺から手を取ってみんなと何かを共有したがったクリスチャンがたまたまいたんだよ。みんないい人になろうとして都合のいい人やどうでもいい人にならないようにしようぜ。メリークリスマス。
夢みた。
曇った午後、もしくは明け方、とにかく5時くらいに知らない街を歩く。地図アプリを見ながら目的地に向かう。少し治安が悪い(ようには見えないけれども地図にそう書かれている)ところもヒヤヒヤしながら通って、目指す大通りへたどり着いた。そこは中華街で、あたたかいスープのどんぶりのお店がたくさん並んでいる。Aさん(ツイッターの人)と待ち合わせだったらしい。
千と千尋の神隠しみたいな赤い世界のお風呂屋さんにRちゃん(中学校の友人)と入館する。受付で番頭のおじさんに占いをされるが、わたしだけひどいことを聞かれたりしたので不機嫌な態度で言い返して応戦する。そういえば毛を剃っていなかったのでちょっと焦る。
いつのまにか内装がぜんぶ白くなっていて、薄暗い。自分もまわりも裸ではないけれども気持ちとしては裸で、服に拘束されることなくなにか秘密を共有するような気持ちでいる。中では美術展みたいな催しが開かれていて、白い立体を子供が動かして遊んでいる。それらを流し見する中でふと気付いた窓からの景色が最高のとりあわせだった。薄暗い街と桜の木と見切れた海の断片、かと思ったら、隣町の教会の青い屋根だった。それをYさん(ツイッターの人)含む3人ほどで見て、写真にも切り取った。展示を全て消化したのでAさんを探しに階下のミュージアムショップに寄る。Mちゃん(中学校の友人)に「AさんかYさん(ツイッターの人)に会えたら教えて」とことづけし、階段を下りる途中でKとI(いずれも高校の友人)に会う。ヨーロッパのレコードやステッカーや本が並んでいる。粗末な本のコーナーにファンZINEがあったので、まさか、と思ったらF(好きなバンド)のもあった。縦書きで、P(メンバー)のインタビューが目玉記事で、あとは新メンバーをフューチャーした記事。Pが「ラッド」と呼ばれていて、「ラッド(P) それはわからんな(横柄な口調。かわいいかよ)」みたいな感じ。薄くて折れもあるのに1200円したので迷ったけど、ここでしか読めないインタビューだと思って買おうと決めて手に持った。ら、夢だったからファンZINEも写真もなにも残っていない。
以前、「創価学会員だった彼氏と別れた話」というタイトルで匿名ダイアリーに長文を書きました。
あれは火曜日に書いたんですけど、次の日になってから色んな人の目にとまったみたいで、色々なコメントをいただけました。
「はてなブックマークを読みました。
そこまで苦しんでるとは思わなかった。
◻︎◻︎(私の名前)の気持ちに応えてあげられなくてごめん。」
これ水曜の夜にきたんです。
あんまり寝つきがよくなくて、寝てたけど目を覚ましたらね、これが来てました。(文章は少し変えてます。)
正直ね、よく読んだなって思いました。
だって時期的に私が書いたって察しはついたと思うんですよ。
それに、もしかしたら自分のことボロカスに書かれてるかもしれない。
あとむっっちゃくちゃ長い。長いって色んな人に言われたし、私自身長すぎて文字数制限引っかかるんじゃないかって気にしたレベルで長い。
そんな文を読んだわけです!元彼は!
絶対彼の身バレはしたらいけないから気をつけましたが、書くことに許可も得てないし、何よりクソポエムだし…。
そのことを謝ったら、いや、そこは別に気にしてないよ。と返ってきました。強いな。
ただ、そこまで辛い思いをさせてるとは思わなかったんだ。
傷つけてごめんなさい。
と、書かれてました。
私は彼のことを恨んだりしてません。
傷つけてごめんって書いてあるけど、私は彼に一方的に傷つけられたわけではないです。
私もかなり微妙なリアクションしたし、創価学会を受け入れないようなラインしか送ってません。
生まれた時から創価学会と共に生きてきた彼にとって、そういう態度を取られるのは傷つくことだったと思います。
お互い傷つけあったんです。
私は二連休のことは私が言ってないだけだし、傷つけたのは私もだと。
電話番号分かったのは書いた通りだから携帯勝手に触ったり、どこかから情報が漏れてるわけではないことを書いて送りました。
そしたら、少しでも落ち着いたなら良かった。
ラインブロックした僕が100%悪いんだけど、電話が鳴った時は死ぬほどびっくりした笑と返ってきました。
この感じがね、付き合ってた頃を少し思い出させます。
この後私が彼のことを疑ったりして、私の疑念通りならわざわざ連絡くれないよね、疑ってすみません、と送ったら、気にしないで。◻︎◻︎(私の名前)の気が済むまで付き合うよ。と言われました。
前の日記読んだ人なら分かると思うんですけどね、私、すごく粘着質なんですよ。
コメントでも何人か言われましたが。
(これに関してはもっと言われると思ってたので、言ってる人があまりいなくて驚きました)
そんな粘着質な元カノの相手って、むちゃくちゃ面倒だと思うんですよ!!
なんでや…?と思って聞いたら、
どんな理由であれ、女性を泣かせたなら悪いのは男だと思ってる。
泣き止むまでは、話くらい聞くよ。
と言われました。
いやもうほんとね、別れてやり直すつもりもないのにね、こういうこと言ってくるんですよ。
それに、その考え方だととにかく泣いて貴方を悪者にする女もいると思うんです。
彼はこういう考えで動いてるだけで、私だったから、じゃないんです。
私が泣いてたから連絡してきたんじゃなくて、そういう考えの元生きてるから連絡してきたんです。
それが分かってるのに、嬉しいんです。
彼は自分の言葉がどれだけ私の心を動かすのか分かってないのでしょうか?
でも、泣き止むまで、だから、やっぱりやり直す道はないんだなって思いました。
そもそも最初に私の気持ちに応えられなくてごめんって書いてあるんですけど。余計ね。
そのことと、個人的に聞きたかったこと(創価学会関連のこと)を聞きました。
そしたら、質問に関してははぐらかされました。
「しかし、あまりやりとりを続けるのもお互いの為にもならないし、これぐらいにしておこう。
それじゃ、バイバイ。」
ときました。
え、さっきまでの優しさどこ行ったん?
寒暖差が凄まじい。このあっさりさが寂しい。
この会話で終わりなら、日記に色々書いたけど何か言いたいことはないかとか、学会外の人と付き合って、それが原因で別れるのは辛くないのかとか、入信の譲歩案はやっぱりだめだったのかとか聞くべきでした。
この話をしたら友人に、どうした元彼、生理か?って言われました。笑いました。笑っちゃいけないんだろうけど。
でも、彼の言う通り、このままやりとりを続けても忘れられなくなるだけなんですよね。
もしかしたら彼も、私と連絡を取り続けると後々辛くなるから早々に離れたのかもしれません。
お互いにって言葉が出てきたから、彼もまだ私への思いを持っていてくれたのでしょうか。
私は一回落ち着いたつもりでした。
でも、落ち着いてなかったみたいです。
彼と別れたことが辛かったし、もっと好きになったことも辛かったし、創価学会に入れば一緒にいられるなら入ろうかと、また悩み始めたし。
昨日だけで三回泣いたし、今日も泣きそうでした。出先じゃなかったら泣いてた。
あ、でも創価学会には入りません!
前にも書きましたけど、同じだけの気持ちで信仰しなかったらお互い嫌な思いするんですよ。ちなみにこれお母さんの言葉じゃなくて私の言葉です!褒めるなら私を褒めて欲しい!
仮に私が試しに…で会合?座談会?とか参加して、信仰できなかったら別れなきゃいけなくなるから、それもまたお互い傷つくんですよね。
友人にも、信仰できるようになるまで彼がずっと側にいるとは限らないと思うって言われました。
そうだったら本末転倒ですからね。この言葉のおかげで落ち着きました。
そうそう、コメントでね、思ったより彼が批判されててね、申し訳なくなりました。
勘違いされてる部分もあるので訂正すると、私が名前だけ入ってもいいとか言ってたのを彼が知ったのはおそらく前の日記を読んでからだと思います。
私はこれで最後だな、読んでくれるかは分からないけど、って気持ちで送ったメールにこのことを書いてたので、ラインしてる段階では完全に入る気がない女としか映ってないと思います。このあたりは私の書き方が悪かったです。
でも、それを知っても彼は先日のメールのような感じだったので、それではだめなんでしょうね。
ラインブロックに関しても、話したら辛くなるだけ、って思ってブロックしたのかもしれないし、不誠実だとかは思ってないです。
もっと早く言うべきだろと言うのは、まあ私も分からなくはないです。
今までそれで別れてきたわけからそのことを思い出すと言いづらくなった、その気持ちは分かります。
私達は半年前にアニメ好きの婚活パーティー的なもの(終了後顔合わせできるのはマッチングした人とのみ、連絡先は教えたいと思った人に主催を通じて送るシステム、みたいなやつ)で出会いました。
彼の今までの経験則ではこのタイミングで言えば傷が浅く済んだのかもしれないですね。
まだ深く関わりすぎてない状態で、ってことで。
ただ今回は、私があまりにも彼のことを好きになりすぎたからこんな結果になったのかもしれません。
私たちもあまり好き好き言い合うカップルではなかったですし、かっこいいとか好きとか、言わなかったです。思ってはいたけど。
顔が好きすぎて、ファッションにまともに目がいくのが会ってから一時間後とかよくありましたからね。
だから、こんな熱量で好かれてるなんて思ってなかったんでしょう。
そこまで苦しんでるとは思わなかった、というのはそういうことだと思います。
あと言われててこれはちゃんと言っておきたいなって思ったのは、他の宗教だった場合どうしたの、って話。
私の答えとしては、その人が敬虔な信者であり、私にもそれを求めるならどの宗教でも結果は変わらないと思います。悩んだ上に一緒になるかもしれないし、今回みたいに相手から別れを告げられるかもしれないし。
だって、自分の心の支えとか、そういう大事なものに一切敬いの気持ちがない伴侶って、人にもよるだろうけど嫌なんじゃないかな…。
あと、他の宗教にしても、結構色々やらなきゃいけないことがあったりするでしょ。
自分がそれをできるか、っていうのは、敬虔な信者の人と結婚するとか、そういう職種(と言っていいのか)に就いてる人と結婚する場合はきっちり考えなきゃいけないと思います。
やっぱり結婚って家の繋がりでもあるし、その家の人間になる以上私だけ知りません関係ありませんは難しいんですよ。
仕事も手伝わなきゃいけないだろうし。
私が読んでた漫画にさんすくみっていう漫画がありまして、この作品の主人公の家、それぞれ神社とお寺と教会なんですよ。
彼らね、家業が原因で振られたりするんです。重たく感じられるんですよね。
無信心な人がそういう家の人と家族になるって、やっぱり同じ無信心の人と付き合うよりハードル高いんじゃないかなと思います。
私はまだ彼のことが好きです。
もし彼が他の女の人と仲よさそうに歩いてるのを見たら泣いてしまうかもしれません。
彼のこれからの人生を隣で見ていたかったし、彼を幸せにする要因の1つが私でありたかったし。
でも、私が彼を幸せにする要因の1つを受け入れられませんでした。だからこの関係は終わりました。
彼がなぜ学会外で相手を探してるのかは分かりません。趣味を分かってくれる人がいいと考えてるのかもしれません。
もし学会外の人と付き合って相手家族にも布教しなさい、という指示の下相手を探してるなら、私はとても悲しいです。
傷つけた私が言えることではないのですが、彼にはもう傷ついてほしくないのです。
どうか幸せになってほしい。
私はそろそろいい人いないの?って言われるような歳で、彼は私より5歳以上上なので、学会とかからも急かされてるのでしょうか…。
二人で出かけた時に撮った写真とかを見返すのも、ラインを読み返すのも辛い。
彼とのことで後悔してるのがね、私、彼の写真、一枚も撮ってないんです。
あんまり写真撮るタイプじゃないし、インカメで撮るのも下手で。全然撮ってませんでした。
でもツーショットの写真ほしいなって思って、練習して、紅葉観に行ったときに綺麗な景色と共に撮ろうと思ってました。
もっと早めに撮っておくべきでしたね。
撮ってたら撮ってたで、これがあると余計辛いとか言ってた気もしますが。
前の日記では創価学会に入ればやり直せるんじゃないか、やり直したいという気持ちが強くて愛してます、と言ってました。
今は、愛してました。にできるかな。
まだ未練がまったくない訳ではないけれど。
もし彼が、創価学会を捨てて私を選んでくれたなら…とか思っちゃいますね。
元彼さんへ
前の時点で地雷臭しかしないタイトルの日記をよく読んだと思います。今回の日記はもう読まないとは思いますが、一応書いておきます。
私が泣き止まなくても、もう連絡はしてこなくて大丈夫ですよ。バイバイって言ってたから、貴方もする気はないと思いますが。
貴方が連絡してくるなら、創価学会より私を選んだ時にして下さい。
私はこうやって気持ちを日記に吐き出したけど、貴方はどうしてるのだろう?
前の日記にも文句言わず、謝って、私の気持ちを気にしてくれたけど、貴方の気持ちはどうなんだろう?辛くなってないだろうか?それが気がかりです。
今回は前より短く済ませられるだろって思ってたけどクソ長文になってしまった!!
もう辛くても、創価がどうたらのタイトルで書かないと思います。
失敗すると一生言われるから。
こればっかりは金額の問題ではないのでほぼボランティアのつもりでやったほうがいい。
「お金いりません。いやいやそこまでいうのなら。」のてい。
1.ロケハン
何はなくともロケハン。つまり事前の式場チェック。最低一回は式場に事前に足を運んでおくこと。
おおよその照度、照明の種類、会場の広さ、大体の撮影ポイントなんかが把握できるのことも大事だけど、それ以上に何よりまずスタッフの人とコミュニケーションが取れる。
やってみて意外だったのは、式場カメラマン以外冷たい対応されるかな?って思ってたけど、流石にあちらもサービス業のスペシャリストだけあってゲストのゲストにはとても親切。
あくまで招待客の1人だけどカメラマンを頼まれたっていう前提だからかもしれない。
もちろんこちらも事前にしっかりと好印象を与えておくことは大事。
これをやるとやらないとでは、当日の段取りが全く変わってくる。
当日いきなりスタッフさんとかに挨拶しても、向こうは忙しいわこちらは時間ないわでめちゃくちゃ。無理ゲー。
事前に挨拶しておくと、次はどういうシーンなのであの辺にいるといいですよ。とか教えてもらえることもある。
教会風の結婚式ならお祈りの時間はシャッター厳禁。ステージ上も立ち入り禁止。
そこまではお決まりなんだけど、決まってるけど敢えてそれを神父さんに確認する。
そうすると神父さんからみて、このカメラマンは禁止事項を理解しているという風に見られるので、神父さんは安心して式に集中できるようになる。
これを怠ると要所要所で神父さんから冷たい視線が送られてきて、それが入っている写真は全て没になるので注意。
ただし、式場カメラマンには基本的にNGがない。これは式場カメラマンに撮影を依頼する一番大きな理由といってもいいくらい。
それを無視して式が中断になることはさすがにないけど、雰囲気を台無しにするようなメンタルは自分にはありません。
3.機材の準備
アットホームな距離感なら40~80mmくらいの明るい単焦点。
会場が広い、新郎新婦に近づけない作りなら200mmくらいの望遠。
EF70-200mm F2.8L USMなら14万くらいだな。
標準レンズが一番中途半端。F4通しならまだしもテレ端F5.6は役に立たない。
ロケハンのときに実際の照明に近づけてもらって、テスト撮影してWBを確認しておくこと。
それに合わせて必要なだけストロボのカラーフィルターを持っていく。
レンズを付け替えている暇なんてないので、広角側はコンデジかスマホ。どうせボケは得られないから。
3脚に28-70mmくらいを取り付けたミラーレスを構えておいてもすぐにビデオ撮影とかできて便利。
どちらの親族にもまずはご挨拶。カメラマンやります!って伝えておく。
そうじゃないといきなりカメラを向けられると人間はキョドるから。
できるだけ好印象。一度その時点で集合写真とか撮っても面白い。
5.撮影
挙式
披露宴~各種催し物
お見送り
この辺のスケジュールを大体把握しておいて、事前に装備を切り替えておく。
ケーキカットとか出遅れたら終わるので、基本は新郎新婦席の近くに待機。
大体の式場も披露宴会場も照明が暗いシーンなら望遠は諦める。とにかく足で稼ぐ。
食事は諦める。酔ったら終わり。
少なくともご祝儀の元なんてとってる暇ないです。
6.現像
大体平均して2~3000枚の中から絞り込む。
この辺はカメラの連射性能や動体追尾が求められるので、いわゆるハイアマチュア向けのモデルが必要になってくる。
現像していてどちらも捨てがたい似たようなシーンがあった場合は心を鬼にしてどちらか1枚に選ぶ。
どんだけ捨てがたい写真でも、消してしまえば新郎新婦はその写真の存在なんて知らないままだから大丈夫。
そうやって絞り込んでから今度は一枚一枚を絵作りする。
特に目まぐるしく照明状況が変わる披露宴なんかは現像設定のコピーが使えない場合がほとんど。
いい忘れていたけど基本的にミックス光、低照度の式場ではRAW撮影が基本。JPEGなんてもってのほか。
撮影時はややアンダーで手ブレ・被写体ブレを回避してRAWの力で掘り起こすのがコツ。
プロユースの現像ソフトだとブラシで加工できるので、照明があたっている箇所ごとに色温度を調整すると全体が自然に仕上がります。
例えば手前側はスピードライトと天井照明のミックス光、背景は天井照明、ドレスの一部はスポットライトみたいなときとか、場所ごとにブラシを使ってWBを設定してあげればいいよってこと。
7.フォトブック
これが結構喜ばれる。
写真データ、個別印刷ももちろんだけど、ある程度レイアウトしてあげて製本。
安いサービスいっぱいあるけど、こればっかりは記念品なのでハードカバーで1冊5~6000円が望ましい。
新郎新婦、各ご両親合わせて3冊くらい。
大体こんな感じ。
途中専門的な話がでてきたと思うのだけど、式場で撮影するならその辺の知識レベルは最低限必要という意味でご理解下さい。
マウントを取りたいわけじゃなくて、これが理解できないとほぼ間違いなく失敗する。それくらい式場での撮影はシビア。
労力的にもおそらくこの辺が最低ライン。(フォトブックは別として)
これだけのことを2~3万で引き受けるなら、むしろお金はもらわないほうがいい。
もしくは事後評価。
確かに式場カメラマンは定形に収まりがちだけど、そうでもしないと失敗が量産されるので仕方ないかなって思うし、それが嫌なら事前にどれだけリクエストできるかってことかかってくると思います。
結論。
結婚式の写真を頼まれたら絶対に断る。それが費用を要因とするものなら尚更。
式場カメラマンの料金なんて残りの人生を後悔で終わることと比べればタダ同然。
その上で書いてあることをできる範囲で実践して、出来上がった写真を渡す。
何も期待されていない中で、期待以上の写真を渡すのが一番幸せだと思います。
頼む側の人も相手のこうした技術的な部分を見極めようともせずに、お金をケチりたいだけで依頼しようとすればやけどして当然。
SNSなんて下手な鉄砲を当たるまで撃ってる人が大半な世界で、アップされている上手く撮れた写真だけを見て判断するのがそもそもの間違い。
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
もしも十分なお金が手に入ったなら。
まず仕事を辞める。
体力も気力もすっかり回復した俺は多分何か新しいことを始める。当然子育てにもかなり力強くコミットする。
小説を書いたり音が楽議論を勉強し直してイケてる楽曲作ったりする。
日本国内で有名なお祭りをターゲットにして家族旅行を計画したりする。
疎遠になっている友人に積極的に連絡を取ってみたりする
そしてついには大学へ通ってみたりする。もしかしたら物理学を学び始めて地球の成り立ちに関する論文を書いてみたりする。
寺へ行き座禅を組んでみたりする。
川のせせらぎが聞こえる旅館で1日中昔を懐かしんでみたりする。
どこかの誰かとバンドを組む。
そしてもう少し遊びたいなぁと思う位のタイミングで人生の幕を引く。
困ってる人がいたら助けてあげる。
おわり。
もしも十分なお金が手に入ったなら。
まず仕事を辞める。
体力も気力もすっかり回復した俺は多分何か新しいことを始める。
Causing pain so that anymore, it's crazy cuckoo me to city market 当然子育てにもかなり力強くコミットする。
小説を書いたり音が楽議論を勉強し直してイケてる楽曲作ったりする。
日本国内で有名なお祭りをターゲットにして家族旅行を計画したりする。
疎遠になっている友人に積極的に連絡を取ってみたりする
そしてついには大学へ通ってみたりする。もしかしたら物理学を学び始めて地球の成り立ちに関する論文を書いてみたりする。
寺へ行き座禅を組んでみたりする。
川のせせらぎが聞こえる旅館で1日中昔を懐かしんでみたりする。
どこかの誰かとバンドを組む。
そしてもう少し遊びたいなぁと思う位のタイミングで人生の幕を引く。
困ってる人がいたら助けてあげる。
おわり。
※訪れる際は時期外れ、移動距離の長さ、ガソリンスタンドの少なさ、渋滞、雪、アイスバーン、狭い山道、公共交通の少なさ、畑や牧場への不法侵入、ヒグマなどに注意する。
※それぞれリンクを貼ろうとしたがスパムと見做されたのか弾かれたので諦めた。
※残念ながらどこのステマでもない。25万円欲しい。
https://www.google.co.jp/imghp?hl=ja
《留萌振興局》
《宗谷総合振興局》
礼文町 澄海岬
《根室振興局》
《釧路総合振興局》
釧路市 幣舞橋 夕日
《十勝総合振興局》
帯広市 紫竹ガーデン
《日高振興局》
《上川総合振興局》
旭川市 就実の丘
士別市 羊と雲の丘
中富良野町 彩香の里
美瑛町 ぜるぶの丘
《空知総合振興局》
由仁町 ゆにガーデン
《胆振総合振興局》
《石狩振興局》
千歳市 苔の回廊
《後志総合振興局》
《檜山振興局》
《渡島総合振興局》
>メディア報道を辿り豪パース空港での日本人青年逮捕を伝える2019.11.4付豪州国境警備隊(ABF)公式リリースを発見した。詳報の内容は、ほぼこのリリースの通りで、参照する「輸出入禁止品目(prohibited goods)」のIllegal porn(違法ポルノ)の中にChild pornography(児童ポルノ)が含まれていた。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191564220548042752
>日本がいかに実在児童個人の保護法益を適用していても、その論理は国外では通用せず処罰の対象になり得る。それを如実に示したのが今回のオーストラリアでのケース。政治家ならこの現実の問題に対する解を示してほしいものだ。一国主義的な主張は何も解決に寄与しない。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191611038350733313
ある意味では予想通り。
聞いた途端、そうだろうなと思った。
オーストラリアは昔からはっきり言ってアメリカ以上にアレな国だし、そもそも今回のセックスドール規制に関してもここから始まった代物だからな。
更に言えば、セックスドールに限らず、最近はウエディングドレスにすら児童婚だの噛みついて、販売停止に追い込んだりしたからな。
「少女向けウェディングドレス」は児童婚を連想? オーストラリアのスーパーが販売停止して物議
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191026-00010003-huffpost-int
要は児童ポルノに託けた児童に見えるものは何でも逮捕できる口実にしているって所だよ。
ついでに言うと一部のキリスト系フェミ団体が国連を利用するのもこの辺からな。
ここがおかしな国である事は何も児童ポルノ問題に限った事ではないからな。
昨今ではフェイクニュース規制辺りでこの国のおかしさはニュージーランドと共に知れ渡っているはずだしね。
この辺の話ね。
検閲法を有するニュージーランド政府、「不快な出版物を頒布することは違法行為であり、懲役刑で処罰されることを国民に思い出させていただきます」とTwitterで堂々宣言
https://togetter.com/li/1330035
そう言えば、一時期話題になったシーシェパードもこの辺の国が関わりあったよね。
ただその安易な規制強化と際限なく拡大したせいで、欧米では実在児童の児童ポルノの件数が悪化し、事実上リソースを超えて、対応不能状態に追い込まれ、フィリピンでは児童ポルノの動画件数や売春が西洋人によって悪化していると言うふざけた結果を招いたのも事実としか言いようがないのだけどね。
だってこの辺は無論、警察の恣意的運用や冤罪等の危険性も指摘されていたけど、当時から下手な規制の拡大により、逆に実在児童保護自体が悪化しかねない問題点も普通に指摘されていたからな。
今回に関して言えば、この辺が、以前に指摘された前提があるので、規制により逆に実在児童への被害が増大したと言える様な事態を招いたとしか言えないんだけどね。
現に日本より児童ポルノ規制が厳しい国でこの様な事が起きているのは規制が厳しすぎた結果、カリギュラ効果とか働いて、逆に興味をもった人が増えてしまった事実としか言いようがないからね。
下手な安易な規制が危険であると個人的には思うのはこの辺からもあるんだよ。
https://toyokeizai.net/articles/-/309872
フィリピンの児童ポルノ動画、「西洋人によって悪化」 BBC番組が取材
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48781713
>フィリピンでは現在、キリスト教の教会に対してオンラインの児童性的虐待のサインを見逃さないよう警告が出ている。
>ガルベルト牧師は、親が「自分の子どもにカメラの前で売春をさせている」のは「吐き気がする行為だ」と話し、貧しくて他の選択肢がなかったという主張は通らないと一蹴した。
良くもまぁ、こんな事抜け抜けと言えるなと普通に思ったよ(苦笑)
ちなみにこのキリスト教の性的虐待は昔から指摘されてきたことで、最近漸くニュースでも取り上げ始めたなと思ったりする。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29979
https://www.afpbb.com/articles/-/3210932
まずは本当に実在児童保護を主にするならば、一度全ての規制を見直した方が良い。
性的虐待物にのみに絞れと言われていたのもこの辺の事情もあるからね。
ただあの人達は気に入らないものを潰す為に、子供の権利を利用しているに過ぎないし、実際の子供の保護なんてどうでも良い事は日本の実在児童保護の予算付けるべきだと言う指摘をガン無視した件でも判っている事なんだけどね。
>確かに、日本の児ポ法における保護法益は児童個人の尊厳の保護であるが、他国では異なる。表現規制派が拠り所にしがちな件のスウェーデン最高裁判決で問われた法益は、「所持される図画で描写されている児童及び児童一般に対する尊厳」だった。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191611035699924992
この辺もとっくにおぎのさんに指摘されている所だし、逆に当時そうであったからこそ、裁判になり、違憲判決が出る様な騒ぎになったとも言える。
はっきり言って当初からスウェーデンの定義自体、実在児童保護のみに絞っていたら、ああ言う裁判自体起きなかったと言えるからね。
何にしても漫画やらゲームやらアニメやらセックスドールやら児童ポルノに含んでも実在児童保護に役に立たない所か、逆にリソースを奪って、捜査の破綻等の事態を招きだしたのは昨今のニュースを見ても判る事だから、実在児童保護をメインにするならば、一度本気で見直した方が良いよ。