はてなキーワード: 教会とは
何かの流行に乗っかって話すことは格好悪いと思っていた。
厳密に言えば今も推奨はしてない。
かつて絵画では聖杯やら聖骸布をイメージさせるものを描いていれば、
後は自由に表現していい、という暗黙のルールがあった(日本画家山口晃の言)。
これは別段教会がそうしろといったわけではない。単純にクライアントの需要の問題からだ。
同じ様に現代の二次創作者もなにかの元ネタから自分の画力を添えて表現する。
キャラ愛という言葉で修飾されているものの、おそらく6割以上の人間が二次キャラを閲覧数のために使っている。
増田のダベリもTwitterやTogettarから流れてきたおこぼれを消化する形で伸びる。
皆自分という主体性を隠しながらメインの防弾チョッキを着て戦場を走り抜けてゆく。
死体には目もくれない。
ただ、添え物ってのは単なる方法論だから許容するしかないんだろうと。
そうまでして二次的な主役になりたいのだ、みんな。
小島秀夫も絶賛していたらしい、スウェーデンの映画『ボーダー (Gräns)』
取り替え子 (Changeling)・・・トロールなどの子どもと人間の子どもが交換されるヨーロッパの伝承をモチーフにした話で
森で暮らすヒロインがすごーーく醜いって設定
たぶん増田もはてなもミニシアター映画は観ないと思うので以下完全にネタバレ
ヒロインのティーナは不美人だが、人間の感情を嗅ぎ取り読み取ることが出来る特殊な能力を持つ
彼女は税関職員としてその力を遺憾なく発揮し、日々密輸やその他の悪事を完璧に摘発する
醜い容姿から、幼少期は虐められ、大人になり職を得た現在も不躾な視線は一向に無くならず、
疲れ果て、森の自宅へ戻っても、いるのは働かない上に浮気を隠す気がない同居人と襲いかかってくる犬
父親を見舞いに行けば「あの家はお前のものなんだぞ」とは言われるものの、
「彼は優しい。わたしは一緒にいてくれる人が欲しいだけ」と彼女は答えるしかない
そんなある日、税関で自分と似たような外見と不可解な匂いのする大男を見つける
それどころか、どうみても大男なのに女性器を持ち更には手術痕すらないという
なんやかんやあったのち彼女は自分と似たような男(?)ヴォーレを森の自宅の離れに住まわす
働かない上に浮気を隠す気がない同居人は『シリアルキラーかあいつは?なぜ僕に無断で決めたんだ』とおこだったがティーナはシカトした
そしてなんやかんやあったのち、自分は人間ではなくトロールであったことを知る
醜かったわけではなく単純に種族が違っただけだったのだ。彼女は生まれながらに完璧で出来損ないなんかではなかったのだ
人間の世界では疎外感を感じるのでヴォーレと一緒にトロールの同族を探し、同族と共に暮らすと申し出るも、
「キミは人間の世界に適応出来ている。辞めとけ」と言われてしまう
税関で児童ポルノビデオを摘発した能力を買われ、児童ポルノビデオを制作している住所を探し出して欲しいと依頼される
ヴォーレは人間の赤ちゃんを攫っては自分の生み落とした赤ちゃん(無精で出産出来る)と交換し、
人間の赤ちゃんは児童ポルノなど闇組織に売り払い、人間たちへの復讐とフィンランドにいるらしいトロールの同族探しの資金としていたのだ
ティーナはトロールが人間にどんな目にあわされたかはヴォーレから聞いている
トロールは人体実験をされ刻まれ精神病院へ閉じ込められ、その殆どは生き残ることは出来なかった
運良く生き延びられたティーナも尻尾を切られ、人間から酷い虐めを受け、今もなお不躾な視線を向けられ続けているし、
森の家を残してくれた父親にしたって、本当の両親(トロール)のことについて尋ねれば、人間の犯した罪と向き合わず、怒鳴り散らすだけだ
先日摘発した児童ポルノ制作の犯人たちにしたって普通の人間の夫婦で一見はまともなご家庭風だった
ティーナはトロールの同族探しの旅への同行は断り、ヴォーレに警察を差し向ける
ヴォーレは武装した警察官に囲まれるとフェリーから飛び降り夜の海へ消えた
浮気を隠すつもりも働くつもりも襲う犬を躾ける気も無いがとりあえずティーナと一緒にはいてくれた同居人は追い出したし、
トロールの同族だったヴォーレは外道だった上に海に消えたしで、
森の自宅でひとりで過ごすティーナの元に老人ホームから父親がやってくる
トロールの人体実験を行なっていた精神病院に警備員として勤めていた父親は子宝に恵まれず子を欲していた
もちろん、トロールの夫婦は多くのトロールと同様に人体実験の末、病院の裏に人知れず埋められたが、
しかし父親はティーナの本当の名を伝えてもなおトロールの名で彼女を呼ばず、人間がしてきたこと自分が傍観してきたことに向き合わない
完全にひとりになったティーナの元に小包みが届く。その中にはトロールの赤ちゃんとフィンランドの絵葉書が
あるぞ
ヒロインはトロール故に人間の美的価値観からしたら醜いって設定なんだけど
あと、人間との違い(不気味さ)を出す演出に『虫』を食べるがあったが、
北欧って怖いところだなって思いました、まる
陸続きなんで血が混ざり合うのは当たり前っちゃ当たり前の話なんですが
ブクマカ見てるとそう思い至らない人たちもいらっしゃるようなので追記するよ
(なお、差別は国や特定の人種では無く、個人のパーソナリティだと予め書いておきます。
奴隷解放宣言前の19世紀に教会の宗派まで変えてジョン万次郎を受け入れてくれたホイットフィールド船長然り、
同じく、奴隷解放前に、白人でないばかりか結合双生児のチャン&エン・ブンカー兄弟(シャムの双子)を受け入れた人たち然り、
厳しい時代においても差別しない人は差別しません。その逆にダイバーシティを謳う時代でも差別する人は残念ながらいます)
人間も寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして虫を食べますし、
なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね
ある猟師が、森でタコの足跡を探していた。最初のうちは8本あった足跡が、7本6本と減っていき、やがて2本になり途中で途絶えてしまった。まだ近くに続きがあるはずだと辺りを見渡すと、森の中に教会があった。教会の前には斧を持った神父がいて、こちらをジッと見ている。猟師は神父に言った。「タコの足跡を見なかったか?」すると神父は「よし、今からライオンのところへと連れていこう」と答えた。突然のことに驚いた猟師はその場を後にしようとしたが、「先日はご馳走をありがとう、今度は私がご馳走するからいらっしゃい」と神父に半ば強引に教会の中に連れられてしまった。仕方なく猟師はその場で地面に倒れて死んだふりをすると、神父は泣き出し「ロバの運命が、私にこの分けかたを教えてくれました」と言って暖炉に飛び込んだ。しばらくすると黒焦げになった神父の遺体が七輪の上のスルメのようにそり返り、そこで猟師は気がついた。「どおりで2本残ったわけだ」
何を食べてもおいしいし、文化的にも興味深い。
故宮博物館では一日つぶせるし、道教の建物も見ていて飽きない。
日本人受けのする九份もおすすめだが、個人的には金瓜石という鉱山の跡がよかった。
日本統治時代の神社の廃墟を見て、歴史の流れに思いをはせるといい。
自分は二泊三日での旅行だったが、できたら三泊四日くらいで行くのがいいと思う。
いいホテルだと日本語が通じるので気楽だし、治安もいいのでツアーよりも個人旅行が楽しいはず。
自分が、旗を持ってぞろぞろ動く集団行動が嫌いなだけかもしれんが、自分で電車やバスに乗って移動したほうが、土地勘がついて愉快だ。
ただ、バスによっては停車の案内がなかったりするので、グーグルマップを見ながら今どのあたりか注意したほうがいい。
それと、怪しいタクシーには注意だ。
あと、知人はウラジオストクを訪れていた。
六本木のバイカルというロシア料理屋のおばちゃんを見てそう思った。
韓国も、現代アートが名高いし、寺を見るのも面白そうで、個人的には行きたいが、関係が悪化しているのが残念だな。
いい旅を。
飼われている身なので衣食住には困りません。
同期で結婚した人が何人もいますが、結婚という言葉は知りません。
親が持ってきてくれるのを待つしかないです。
遊ぶ金すらないです。
先日、父の葬式が行われている夢を見ました。
建物は木造の教会で私が廊下を歩くと右手の部屋がとても暑く、仮装が行われていると感づきました。
左手の部屋は教会のメインの部屋で母と大勢の人が座っていました。
母は葬式で泣きながら次のように言ってました「損をする」
どうやら父が「死んだ」ということを「損をする」という言葉に置き換えて喋っていました。
これが何の予言なのかはさっぱりわかりません。
「私の言う通りにすれば明るい未来が待っている」「私は貴方より数年も経験豊富なんだ」「私をリスペクトしろ!!」
※父と私は年齢差45年
父の命令に従うのがいい子どもなんでしょうけど現状は違うと思います。
私も妹も親に依存しています。何がいけなかったのかよくわからない。
歳を取ると、真面目に政治を語っていた奴らが胡散臭く青臭い奴らだったと気づく瞬間がある
もう少し歳を取ると、その青臭い少年・青年も、自分のように目が覚める人がいると気づく瞬間が来る
それで、世界の政治、大昔の戦も結局青臭い何かから生まれているのではいかという考えに至る
一旦「こんなのは偽物だ」と思ってから、「偽物こそ本物だった」という考えに至るわけだ
年齢ではないはずだ
ジジババになっても青年同様に青臭いことを言って地に足のついてない人はそこそこ居る
他に境界線を引くとしたら、命や生活に影響があるかどうか、実効性があるかどうかでしかない
プッチーニのオペラ《トスカ》の第一幕は、スカルピアが教会で一人トスカへの邪な欲望を歌い上げるなか、聖歌が響き渡り幕が下りる。《テ・デウム》と言われる名シーンだ。
https://www.youtube.com/watch?v=tgWW6o1y9xI
このときスカルピアは「トスカ、お前は俺に神をも忘れさせる」と叫ぶ。これは、神を忘れなければ非道をなしえないという、彼の拭い切れない信仰心の残滓を感じさせる言葉である。オペラ最後で、トスカは「スカルピアよ、神の前で会おう」と言って飛び降りる。トスカと並んで神の前に立ったスカルピアの心中や如何。忘れ去ったはずの神を目前にして、彼の良心は傷んだのだろうか。
職場にキリスト教徒のフィリピン人がいる。こいつが、ちょっとした不正行為を行って、しかもその協力を俺に要求してくるんで困っているのだ。1回数百円程度の不正で、頻度も多いわけではないが、他の同僚にも協力してあげなよ的なプレッシャーをかけられるし、本人も当然のごとく不正の協力を要求してくるので断りづらく、ズルズルとやってしまっている。やってはいるが、不愉快でもやもやしている。その不正を自由にできる立場にありながら自分はやらないのは、それが不正だからだ。信仰心のある人間よりない俺の方が倫理的だというのはおもしろい話ではある。しかし不思議なのは、その不正行為を行っているとき、彼の神はどこにいるのだろうかということ。神の前で恥ずかしくないのだろうか。それとも神が不道徳であるとか盲目であるとかが想定されているのか。ひょっとしたら「数百円、お前は俺に神をも忘れさせる」なのかもしれないが。