二次創作活動をしている。気がつけばツイッターのフォロワーもそこそこいて、ピクシブのフォロワーもそこそこいる。ブクマやいいね、リツイートも結構貰う。
販売会でも持っていった本は完売できるし、通販も二日三日で売り切れてしまう。
きっと、そこそこなんだと思う。
ある程度の創作者が、誰かに見てもらいたい、理解してもらいたい、賞賛してもらいたいって願う、その立場に近い位置にはいると、自分でも思う。
ただ、怖い。
たくさんの目が怖い。
もともとごく少数の知人に見せるために創作をしていた。それこそ二次じゃなくて、一次で。
それがいつのまにか二次にはまり、しばらくするとぼちぼち良い評価を貰うようになって、それが嬉しかった。ツイッターもやっていないあの頃、十ついたブクマに友人に見て見て、と嬉しそうに報告していた。
ある時、爆発的に評価された。
その作品は、その万を超えるであろう創作のあるジャンルの中で、ブクマ数順に並べ替えて上から数えればすぐに見つかる程だ。
嬉しかった。純粋に嬉しかった。こうなればいい、ああなればいい、絵空事の妄想がここまで評価されたのだ。気がつけばフォロワーも増えていて、いいねとブクマは投稿してから時間が経った今でもポツリポツリと伸びる。
そこからだった。
作品を上げれば、一定数は必ずブクマといいねを貰えるようになった。
嬉しい、と。そう思っていた。
認められている、共感されている、評価されている。それは創作者が必ず願うことで、嬉しいに決まっている。
ただ、一度疑ってしまった。
なにを言ってるんだお前は、と自分でも思う。でも違うのだ。フォローしてくれている人が、上げて数分もしないうちにブクマをする。それは、本当に内容を見て、素敵だ、好きだ、共感できる、と思ってくれたのだろうか。この人の作品なら間違い無い、と思い込みのブクマじゃないだろうか。
このブクマ数は、いいねは、自分の作品の正当な評価なのだろうか?
人間だから、誰だって依怙贔屓してしまうと思う。その贔屓の対象になっていないのか、不安で仕方ない。自分は本当に、この評価に値する作品を創作できているのか、分からない。誰も教えてくれない。かけてるよ、すごいよ、と言ってくれる人はきっと贔屓目で見てくれているからだと、一度疑ってしまった自分は、信じられない。
フォローしないで、と思う。自分を見ないで、と思う。見て欲しいのは作品だ。そこに自分を入れないで欲しい。
最近創作をし始めた人に、相談される。ブクマが伸びない、いいねが伸びない、閲覧数が増えない。どうすればいい、と聞かれるのだ。
その人からすればきっと、自分はその人の憧れの対象なのかもしれない。
いい子ちゃんで優等生の自分は、「人目なんて気にして創作しちゃダメだよ。他人の為の創作じゃなくて、自分の好きなものを創作しよう」と模範回答をする。
最初の一つこそ、正当な評価かもしれない。けれどもだんだん、usersタグに引き寄せられて色眼鏡評価が増えてるのかもしれない。この人の作品だから、という評価かもしれない。
自分を見ないで欲しい。
フォロワー多くていいな、と言われても、やめてほしい。違うのだ。自分はただ、創作したいだけなのだ。評価して欲しくて創作を始めたんじゃない。私にとって創作はもう呼吸と同じもので、息を吐けたからと言って賞賛して欲しいわけじゃない。ただ、吐き出した息に混じった酸素を誰かが吸うのかもしれない、そう思って世に出してみただけだ。
たしかにそう願う時もあったはずなのに。
いつから人の目がこんなに怖くなったんだろう。
そんな面倒くせえ感じなら創作やめちまえ、と思うが、やめられない。
二次創作は所詮二次なの。君の評価じゃないの。 作品がいいからそれに上乗せされているだけに過ぎないの。 君への評価では決してないの。