はてなキーワード: メロドラマとは
マガジン20選を決める際、一人一作しばりを外した。ちばてつやと梶原一騎(高森朝雄)はどうしても二作選ばなければならなかった。週刊少年マガジンはちばてつやに育てられ梶原一騎に鍛えられた。特にちばてつやがいなければ今日のマガジンはない。
『ちかいの魔球』1961-1963『ハチのす大将』1963『紫電改のタカ』1963-1965『ハリスの旋風』1965-1967『あしたのジョー』1968-1973『おれは鉄兵』1973-1980『あした天気になあれ』1981-1991『少年よラケットを抱け』1992-1994
と三十年以上に渡りマガジンを牽引してきた生き神様のような存在だ。新人発掘のちばてつや賞選考委員として世に送り出した漫画家たちも数多い。Wikipediaを見るとあの人もこの人もちばてつや賞出身だったのかと驚く。漫画家初の文化勲章受章者になったのも当然すぎるほど当然の偉人。
梶原一騎は他誌でも書いているがマガジンでのヒット作が多い。『空手バカ一代』も『愛と誠』もマガジン連載作。
部活漫画の開祖。ガキ大将が剣道やボクシングやサッカー等様々なスポーツに挑戦する。後世への影響力は『あしたのジョー』以上ではないだろうか。アニメ化の際はガキ大将が大山のぶ代、メガネくんが小原乃梨子という配役だった。後のドラえもんコンビの原点という意味でも重要だ。
『墓場の鬼太郎』から改題。マガジン発ではないがマガジン連載で有名になり今もアニメがリメイクされる国民的キャラクターになった。
後世への影響力は間違いなくマガジンNo.1。苦悩する主人公、激しい特訓、写実的な絵でスポ根というジャンルを確立した。漫画界に地殻変動を起こした。その分パロディの対象にされることも多い。夏目房之介『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』と斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』を読むと理解が深まる。
奇跡の名作。二つの異なる才能がぶつかり合い、週刊連載による偶然が積み重なり、梶原一騎的世界ともちばてつや的世界とも違う唯一無二の作品が完成した。日本漫画史はここで一つの頂点に達する。
日本最高の漫画を選ぶなら『あしたのジョー』と『デビルマン』は有力候補になるだろう。この二作が同時に載っていた当時のマガジンの恐ろしさ。永井豪は週刊少年漫画誌5誌全てに連載を持っていた。
アウトドア漫画の魁。前代未聞の高度な画力で釣りを啓蒙した。梶原一騎や時代の影響で暗くなっていたマガジンから明るさを取り戻す好機にもなった。当時10年間連載というのは非常に稀なことだった。
少年誌のラブコメの基礎を築いたというだけでも偉大だが、その後深刻なメロドラマへと変貌する。今の瀬尾公治や流石景はこの流れの中にある。柳沢きみおは過小評価されている。永井豪同様5誌全てに連載を持っていた。
熱血の時代から熱血を笑う時代へのパラダイムシフトを象徴する一作。小林まことと島本和彦は熱血する自分を高らかに笑いながらまた熱血し続ける。三四郎は『ハリスの旋風』のようにスポーツを転々とする。『青春少年マガジン 1978〜1983』を読むと壮絶な舞台裏が垣間見える。
かつてマガジン最長連載を誇っていた。超巨大学園の抗争から異種格闘技になったかと思えば突然ロックバンドをやり出して最終章ではどシリアスな展開に突入し「新」では柔道漫画に様変わり…と融通無碍な作風。マガジンのカラーそのものだ。「L」連載中マガジンSPECIALに移籍し2004年に中断。
峠の走り屋だった高校生が世界的レーサーへと成長するまでの物語。楠みちはる『あいつとララバイ』と共に80年代のバイクブームを盛り上げた。『バリバリ伝説』をバイブルと呼ぶバイク乗りは多い。後の『頭文字D』の布石にもなった。
森川ジョージはちばてつやの正統的後継者だ。『ハリスの旋風』を読んで漫画家を志し、ちば先生が描いているからという理由でマガジンに持ち込みデビュー。ちばてつや的世界を平成風にアップデートした『はじめの一歩』は途轍もなく面白い漫画だった。そんな時代があった。
世間への悪影響ではトップクラス。今でこそ「な、なんだってー!」をネタにしていられるが当時1999年人類滅亡に本気で怯えた子供は多い。70年代の五島勉の記憶が薄らいだ頃に再びノストラダムス大予言の恐怖を植え付けた。山本弘『トンデモノストラダムス本の世界』『トンデモ大予言の後始末』は解毒剤として有効。後者でのMMR批判は傑作。
ヤンキー漫画の集大成。同時期の『湘南純愛組!』『カメレオン』等と共にマガジンの治安の悪さに貢献した。これ以上不良を熱く描くのはもう不可能かもしれない。
1億部を超えるマガジン最大のヒット作。推理漫画というマイナージャンルを一気に隆盛へと押し上げた。雨後の筍のように模倣作が乱立しその中から『名探偵コナン』というもう一つの巨星が生まれた。影響力では『巨人の星』に次ぐNo.2だろう。福井健太『本格ミステリ漫画ゼミ』は推理漫画の歴史を概観した労作。これを読むと『金田一少年の事件簿』以前以後で全く景色が違うのがわかる。
『湘南純愛組!』の主人公の一人だったヤンキーが教師になって大暴れ。マガジンがジャンプを破り日本一の発行部数に君臨する立役者にもなった。TVドラマも大ヒット。反町隆史・松嶋菜々子のビッグカップル誕生のきっかけになったという意味でも影響力は大きい。
萌えをマガジンに定着させた。雑誌のカラーを変えたという点でかなり重要。これ以後の『スクールランブル』等の恋愛漫画にもつながる。一方でヤンキー漫画は減っていった。
正確なスポーツ描写の時代を象徴する一作。同時期の『あひるの空』はスポーツ弱小校を描くことによって、『ベイビーステップ』は現実的なトレーニング理論を取り入れることによってリアリティを追求した。梶原一騎の根性主義は完全に過去のものになった。
70年代しかあり得なかったはずの週刊少年漫画誌全誌連載が10年代に甦った。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『FAIRY TAIL』『魔法先生ネギま!』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。
障害にいじめという深刻な問題を描き大反響を呼び様々な議論を巻き起こした。マガジンは塀内夏子以来女性漫画家が多い。(最初は里中満智子だが流れを作ったのは塀内夏子)『シュート!』の大島司、『Harlem Beat』の西山優里子、『ゴッドハンド輝』の山本航暉、『トッキュー!!』の久保ミツロウ、『ベイビーステップ』の勝木光、『ヤンキー君とメガネちゃん』の吉河美希、『ドメスティックな彼女』の流石景等。
今、不良は現実でも漫画でも下火になっている。その状況で不良漫画を描くにはどうしたらいいか。タイムリープで不良が盛んな時代に行けばいい!という発想の転換で大ヒットになった。時代の移り変わりを象徴する一作。
『天才バカボン』も『男おいどん』も『野球狂の詩』も『三つ目がとおる』も『ミスター味っ子』も『シュート!』も『BOYS BE…』も『サイコメトラーEIJI』も『エア・ギア』も『FAIRY TAIL』も『五等分の花嫁』も『ブルーロック』も選外になってしまったが、マガジンの歴史の流れを重視して選んだ。
追記・返信
今回の20選は「後世への影響力」「時代の象徴」という観点から選びました。
>”柳沢きみおは過小評価されている。” 同意なのですが、すっきり終わるのがないからでしょうか。
今の流行と合わないというのもありますが、本人が自分のブランド化に失敗してる感じもします。
>ミスター味っ子はグルメ漫画の演出にだいぶ影響を与えたのではないだろうか。むしろアニメ版が大きいのか?
そうですね、『ミスター味っ子』の影響力はアニメの今川演出によるところが多く、原作は割と普通なので。
>巨人の星とあしたのジョーの連載時期が重なっていることを再認識して呆気にとられる
本当に恐ろしい。よほどマガジンの風が合ったのか。
>90〜ゼロ年代の読者には「週刊少年キバヤシ」みたいな印象があるが、こうして列挙されるとそこまででもない、のかな。いや
>バリ伝が入ってるのは嬉しい。イニDのキャラクターに感じられなかった生気のようなものがまだあった。
『バリバリ伝説』は絶対入れようと思ってました。『頭文字D』よりこっちですね。
>七つの大罪ってそんなか?とか所々疑問はある。
うーん確かに。『FAIRY TAIL』の方がよかったかもしれません。
>「コータローまかりとおる!」途中で訳が分からなくなって、読むのを止めた。それまでは楽しみに読んでたよ。私は20選に選ばない
まあ名作というわけではないけど、あのなんでもありな感じが実にマガジンらしいと思います。
> 味っ子IN大罪OUTだな、スーパードクターKは面白いけどブラックジャックと北斗の拳の悪魔合体だし
うーんやっぱり『七つの大罪』は外そうかな。Kを入れなかったのはまさにその理由です。
>つのだじろう「うしろの百太郎」は外せないのではないか。当時恐怖オカルトマンガ大ブームの立役者の一つだったよ。
> 私は良き読者でないのでどれを落とせとは言えないのだけど『天才バカボン』を外すのは納得できん。友人は「当時のマガジンはガロなんかよりよっぽど前衛的だった」と言っていた。ていうか全般に赤塚評価低すぎん?
『天才バカボン』も本当は入れなきゃいけないんですが……。かなり悩みました。赤塚作品はサンデー10選にもりぼん10選にも入ってるので全般的に評価が低い訳ではないと思います。
>「ミスター味っ子」は良くも悪くも王道の少年グルメ漫画なので、個人的にマガジンならではって意味では「将太の寿司」の方が重要かな。
同感です。入れるなら味っ子より将太。しかしただでさえ90年代が多いのでこれ以上入れるのは難しかった。
>ミスター味っ子は料理漫画としてエポックメイキングだったし、オフサイドは女性作家の描くスポ根漫画としてエポックメイキングだったと思う。
塀内夏子はマガジン漫画家20選なら入ると思います。かなり重要な作家。ただ作品で見ると20選は難しいかと。
>概ね同意ではあるんだが、さすがに真島ヒロが居ないのはおかしい。 迷うが、七つの大罪→FAIRY TAILはしないといけないかと。
そうですね。真島ヒロはここ四半世紀のマガジンには欠かせない……。『七つの大罪』と『FAIRY TAIL』を入れ替えるか。
Twitterでの反応も
https://x.com/FUNDOSHIMASK/status/1851540864256065548?t=4HG7KChe6go4rpZiQoj5uA&s=19
>しかしジャンプ版でもサンデー版でもそうだったけど、通史で語るとどうしても21世紀が弱くなっちゃいがち。というか流石に21世紀マガジン作家として、ばっちょ>真島ヒロは無くない?
通史という性格上今が弱くなるのは仕方ないかと。しかし確かに鈴木央を入れて真島ヒロを入れないのはおかしいか。
https://x.com/renge_kick/status/1851544678833025184?t=5xA6twKuvH1r8CV6s02t7g&s=19
>RAVEはマガジン史においてかなり重要だと思う(ヒット規模はFAIRY TAILのほうがデカいけどマガジンに能力バトルが増えたのはRAVEからだと思ってるので)
https://x.com/renge_kick/status/1851601194126614683?t=n_MMf633SxuDnTGjJXmTUQ&s=19
>厳密にはRAVEよりも先にゲトバやKYOが始まってるんだけど、人気に火がついた早さやその後のネギまやツバサなんかのファンタジーバトルもののノリを見るとやっぱ重要なのはRAVEだよなーって
https://x.com/npeofnpe/status/1851570584460910706?t=ZqperbBdCK13dY0B_N36cg&s=19
>ごとよめって確か巻割100万いってましたよね?ラブコメ史上最強といえるので入ってない方が変かな
聲の形は単発でパッとあたったけどマガジン史においてなんか重要かと言われると別に…
というわけで改訂版を出します。00年代漫画が一作だけなのも気になっていた。
驚異的な執筆量で21世紀のマガジンを牽引する真島ヒロ。本作は海外人気も非常に高い。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『魔法先生ネギま!』『七つの大罪』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。
その落差で暗澹たる気分になる。
俺ってつまんねーな。
youtubeの弾き語り動画みたいにカッコよくギターを弾きたいと思って練習するも全然ダメ。
指痛くてコード押さえられねぇ。
雑誌のモデルや俳優みたいにオシャレな髪型にしたいと思って工夫するも全然ダメ。
湿度高くて天パが暴れる。
デコが広くてダセぇ。
メロドラマみたいに可愛い彼女作りたいと思って努力するも全然ダメ。
.hack//G.U. やってるんだけどさ、登場人物がほとんど承認欲求がデカすぎる女みたいなやつらなんだよな。
昔はなんとなく冗長な脚本だなーと思ってただけなんだけど俺も危険物取扱者になってわかったんだけど、日本の「脚本」っていう作業ってテーマにそって承認欲求のデカい女を喋らせることを意味しているんだよな(岡田斗司夫)。
今なら俺でも書けるぜ台本が!まず「仕事と私どっちが大事」みたいなこと言うんだよな「そんなに密度の高い関係性を築きましたっけ」って段階で。要するに彼女らメロドラマを演じたくて、それに付き合ってあげるのが恋愛なんだよね。
逆説的か。メロドラマ⇔メンヘラ恋愛でフィードバックループが起きてるのでハウって煩くてかなわないんだよな(シン・岡田斗司夫)。
.hack//G.U. のネタバレ注意!
ここ数日、増田界隈ではぬいぐるみペニス現象(ただの友人だと思っていた友達が突然恋愛感情(もっというと性欲)を見せてくると、女はドン引きする)について分かる・分からんの話が盛り上がっているが、今日Xで流れてきたある男性の「オペラ座の怪人」の解釈が、扱うものや主張の方向性は違えど、同じような議論の呼水になっていた。
事前情報としてお伝えすると、オペラ座の怪人といえば劇団四季でもお馴染みの、フランスの伝奇小説を叩き台にした、メロドラマミュージカルだ。オペラ座のコーラスガールのクリスティーヌが、謎の存在「オペラ座の怪人」に見出されてプリマドンナになるとともに、突然現れた幼馴染のイケメン貴族とあっという間に恋に落ちたため、怪人が嫉妬に狂って人を殺したりシャンデリアを落としてオペラ座を破壊したりする話である。
物語のラストで、怪人はクリスティーヌに「俺と結婚しないとお前の恋人を殺すぞ!」と脅迫するのだが、そこでクリスティーヌは怪人にキスをする。怪人は泣き崩れて、クリスティーヌを恋人ごと逃してやる。この切なすぎるラストは、いろんな解釈を産み、きちんと出版された二次創作や、さらには二次創作ベースの別のミュージカルなどもある。
今日Xに流れていたのは、デジタルデザイン分野でご活躍されている男性のツイートで「劇団四季のオペラ座の怪人を見に行ったが、ラストのキスシーンを2人が愛し合っている証だと理解できないほどに日本人の読解力は弱くなっている(要約)」というものだった。重ねて、「原語(英語)のままで鑑賞できない、日本人の英語力の問題だよなあ」という発言もあった。ただ、私もオペラ座の怪人は日本語版でも英語版でも複数回鑑賞し、英文のスクリプトも精読したこともあるので言いたいが、英語で読むと余計にそんな単純な話じゃないと思う。
ある一つの解釈としていえば、オペラ座の怪人は典型的なぬいペニショックの話でもある。うっかり幼馴染のイケメンといちゃついているのを見られて、怪人の怒りを買ったクリスティーヌは殺されかける上、その後拉致監禁され、無理矢理に怪人と結婚させられそうになる。クリスティーヌは強いショックを受け、そのうちに怪人を憎み出す。クリスティーヌにとって怪人は、死んだ父の代わりであり、腕のいい教師であり、何かと融通を聞かせてくれる守護天使なのだ。そんな相手が自分と結婚しろ、彼氏とは別れろなど、彼女からすれば青天の霹靂、ぬいぐるみ(無害な存在、なんなら都合のいい存在)が性欲モロ出しで迫ってきたも同然である。そのため、作中ではクリスティーヌが「ずっと私を騙してたのか!」と怪人にブチギレるシーンがある。観客からすれば、怪人がはじめからクリスティーヌを性的に見ていることは見て取れるが、怪人は「私は君の父親、守護天使」とあくまで下心がないとクリスティーヌには振る舞うため、クリスティーヌからすれば怪人は性的なことから遠いぬいぐるみである。
オペラ座の怪人はぬいペニ現場の分かりやすい例だと思っていたのだが、人によってはこの2人に男女の愛があると解釈し、あまつさえ「この解釈ができないのは日本人の読解力が下がっているから」と決めつけているので、こりゃあぬいペニ現象も分かる人・分からない人に別れるよなあと思った。
怪人とクリスティーヌは、怪人の思いが隠れているうちは信頼関係があった。なんなら2人に肉体的な接触はなかった。しかし、クリスティーヌの彼氏の登場により、怪人は粗暴な手段でクリスティーヌに言い寄り、結果ドン引きされている。ぬいぐるみにペニスがあるわけない、という思い込みが外れたショックに加えて、怪人がペニスを押し付けてくる(比喩)速さ・手段の荒々しさに、クリスティーヌは引いている。これで「ぬいぐるみだと思う方が悪い」「ペニスがないと思い込む方が悪い」というのは、さすがにクリスティーヌが可哀想ではないか。
それでも、これが怪人とクリスティーヌの激しい恋の物語で、ラストは愛し合いながらも引き裂かれる2人だ、それが正しい解釈だという風に言われるならば、ぬいペニ現象について理解が進むのって難しそう〜とげっそりしてしまった
加害者は客
客「結婚の約束した相手が 「店の金に貸して」と言うので 2千万円貸したのに結婚詐欺で騙された」
ママ「客がしつこい」
客がママに「札束」計2千万を「貸すよ」と単純に渡したのかと思ったんだけど
以下妄想内容
店で営業中
客「結婚する!」(本気)
客「結婚する!」(本気)
ママ「お金なくて困ってる、お店(の売上)に協力して(ハート)」(営業)
客「(2人の将来の)店のためなら大金用意する!」(本気)
店で営業中
客「(2人の財産の)お店のために100万円用意した」(本気)
「税務署が贈与ウルサイから売上げの形にするね(ハート)」(営業)
客
金が無くなって客として来れなくなった
元客「騙された!」(絶望)
これは妄想であって
水商売の前払いって何さ?
売り子も客もどちらも
本気にさせちゃいけないし
本気になっちゃいけないよ
あっ、一昔前のメロドラマで聞いたやつだ!
映画好きだけど怖いの嫌だからホラーは頑なに避けてきた。でもインターネットミーハーだから話題性に屈してヘレディタリーとか呪詛を観た。超怖かった。
ママがスパイダーマンしてるシーンとかがギャグだとか言ってる人おるけど怖えよ普通に。ヒネてるのかホラー耐性がつき過ぎてんのか知らんけど。
ミッドサマーは純愛の映画だとかセラピーの映画だとか言うノリもあったけど、あれもすみっコぐらしはFateだみたいな誇張こじつけノリに近いものを感じて寒いなあって思った。まあどれほど本気かは知らんけどアリアスター自身もそういうコメントはしてたらしいし、その手の視点が的外れという事もないんだろうけど。
とにかく初手で異常に怖いやつを観てハードルが壊れたんじゃね?と思って今まで避けてきたホラーの名作も着手してみようと思った。まずはエクソシストとかエルム街辺りから。
全然怖くはなかった。観たあとでも全然一人でトイレ行ける。ストーリー上の怖さは屁でもない。もはやミーム化してしまっているという所もあるかもしれない。チェンソーマンで悪魔が親しまれると弱体化するみたいなのもそういう事なんかなって思った。
でもスプラッターというかゴア描写?はやっぱり苦手。耐性がつかない。その点ヘルレイザーは怖いと言えた気がする。メロドラマはかったるいけど、おじさんが受肉するシーンとか光るものがあって普通にかっこいいなとも思った。
銃でパンパン撃たれたりザクッと斬られたりするのは別になんでもないんだけど、引き裂かれたり擦り下ろされたりする所をねっとり映されると直視できない。死刑に至る病の冒頭のアレも観てらんなかった。
エブエブの紙をシュッてやるのとかアウトレイジの拷問とかは、苦手なんだけど怖いともまたちょっと違う気がする。身近な痛みを想起させられて手に力が入らなくなってくなような感じ。
ボコスコ殴られてるのは特に何も感じない。スタント感を感じてしまうのかもしれない。マトリックスで殴られた壁や柱が発泡スチロールみたいに粉々になるのを観て、すごいパンチだなと思うよりはヤワなセットなんだなと思ってしまうような、そんな感じ。
ホラーに限らず決定的な外傷というか不可逆的な欠損を負うのも苦手なんだけど、それはなんというかストーリー的な嫌さであって怖さとはまた別口な感じがする。キャラクターに対する部分的な喪失感とでも言うような。
映画は避けてたけど、おれはホラーは不条理なものであって欲しかった。モヤッとはするんだけど、伏線が散りばめられたような理詰めの怖さってなんか陳腐な感じがするから。アリアスター作品と呪詛を観てその考えは少し変わったんだけど、この間ヒッチコックの鳥を観て徹底した謎ってやっぱりいいよなって思った。理解した瞬間の怖さってなんか大喜利とかの親戚辺りにいる様な感じがするし、理解できないが故の恐怖の方がなんか世界の不思議に期待出来るような感じがする。
クラスでナルトが流行ってた頃、おれは家庭内でチャンネル選択権が無くてウチにあった白土三平の忍者漫画を読んでた。
武士はおおよそ搾取者のカス集団だし、忍者はその犬なんだなって思った。今でも割と思ってる。
戦国時代はよくフィクションの題材になってる。おれはその手のやつはほとんど見ないけど、大河ドラマとかじゃ内戦状態をまとめ上げる義務感とか、海の外からの対外侵略への憂慮とか、上に立つ者の苦悩とか、政治劇とか、時代を問わぬ普遍的なメロドラマとか、取り沙汰されるテーマはそういう感じだと思う。
そういう世の中を引っ張っていくようなカッコイイ一面だってあったのかもしれないし、エンタメとして別に全然それで良いと思う。今の価値観で過去を断罪するのは云々みたいな話もまあそうかなって思う。
それはそれとして、武士道だのなんだの言ってるけど結局封建社会に胡座をかいてる人殺し集団として描かれる作品ももっとあっていいと思う。
別に日本に限った話じゃないけど、今も労働者が大多数であるように中世だって大半が農民だったのだろうし。いわゆるニホンブンカ的なものは武士や町民から発するものが多かったかもしれないけど、人口比で言えばそういう人らって一握りだったんだろうし。
おれの目に入らないだけでそういう作品も沢山あるのかもしれんけど。
前に見た『いちげき』とかはちょっとそれっぽかったかもしれない。今度やるたけしの『首』もそんな感じらしいので楽しみ。
庶民にフォーカスするかどうかは知らんけど、刀に物言わせた支配者として描かれる武士。戦国時代版アウトレイジ。美化される事のない武士の乾いた暴力を早く見たいぜ。
韓国ドラマ以下Kドラは、もうそうだと思わせるくらい女の性欲をぶっ刺しにきている。
全部ではないが、こんな話は多い。
昔の韓流メロドラマと違うのは、恋愛要素に加えて、女性の社会的に自立したいという欲求も叶えるという点にある。
これがポルノだと言うのは、ドラマの前提となる設定が余りにも女性側に都合良くできているからである。主人公の女性は男社会でやっていけるくらいの能力を持ちながら、オンナを使えるくらいには美人設定で、言うなれば才色兼備。
また、オンナの使い方も枕営業といった下品なことはしない。あくまで女を盾にして、男なら殴られるから言えないようなことを平気な顔で言い放ったり、好意を向けてくる男をうまく利用したり、といった狡猾な使い方である。
一方、彼女の相手をするイケメンの類は男児のような幼い顔で、大人しく、ツルツルした女性のような顔立ちである。男の暴力性は無害化され、男のわがままは男児の駄々こねに見えるくらい可愛く描写される。
少年漫画や王道アニメでは、仲間のために強くなれる男をヒロインが好きになるという共同体の構造が必ずある。しかし、Kドラは、この共同体の概念を希薄させ、私とあなたの物語の周縁程度にとどめる。そして、最終的には私が気持ち良くなるようにあなたとその周りを改変させていく。この過度な私中心のストーリー展開はポルノ的と指摘せざるを得ない。
しかし、Kドラは女性をエンパワーメントしているとフェミニスト界隈ではむしろ称賛されている。能力を活かして仕事をバリバリこなす筋書きなら理解できる。しかし、オンナを逆手にとって、都合よく愚かに設定した男性社会をのし上がり、一番魅力的な男を自分だけのものにする過程を描くことはエンパワーメントではなく、単なるエンターテイメントである。
同時に、過度に弱体化した男性相手に性的な優位性を取って支配下に置くことはもはやレイプ演出と呼べるのではないだろうか。
しかし、ポルノをポルノだと見抜けないまま大人になると痛い目に遭うのだ。充分に成熟しないとポルノを閲覧してはいけないのはそのためである。これは今まで男の専売特許だと言われてきたが、女にも言える時代が来たのだと思う。女性用風俗が産業になる時代なのだ。
Kドラに感化されるのはいいものの、現実はそこまで都合良くできていない。実際、美人や能力者ではない女性は取り残されるという、ドラマ設定の裏の脅迫に対して多くの弱者女性たちは無力だ。だからこそ彼女たちは美容整形に走ったり、摂食障害になってしまったり、姫扱いしてくれるホストクラブにハマってしまったり、ODに依存したりといった逃避・自傷行為に出るようになったのではないか。
また、現実にはドラマほど愚かな男性は中々おらず、ドラマで見るような鉄槌を下す機会などほとんどない。煮え切らない思いをぶつけるために、一部フェミニストが敵の定義を不必要に押し広げた結果、フェミニズム運動は女性にすら支持されないくらい過激化してしまった。
韓国の異常すぎる整形文化、”韓国フェミニズム”と呼ばれるに至った特殊なフェミニズム、憎悪としか形容できない激烈な男女間対立と、極度に低下した出生率は、Kドラをはじめとする女性用ポルノの悪影響と言えるのではないか。もちろん、依然として残り続ける儒教社会の悪習や、周辺国相手に全く役に立たない弱腰軍隊(や徴兵制)及び政治家への辟易など、男性を糾弾する土壌が先にあって、その欲求に応えるようにKドラが発展し、その価値観を強化して捻じ曲げたとの見方もできる。
日本でも、トー横キッズ、歌舞伎町界隈、港区女子、過激なフェミニズムといった女性が登場する世相の乱れが目立ってきたのは、女性用ポルノの無制限の蔓延をその要因の一つに挙げても良いのではないだろうか。
ポルノは社会の風紀を乱す。だからこそ男性向けポルノは文化的に暗がりに追いやられ、法的にも規制されており、表立って語られるときは冗談や嘲笑の対象にすることで現実との距離感を保っている。
それなのに、Kドラに見られるような女性用ポルノは忌避されるどころか、政治的妥当で、多様性準拠で、年齢制限も緩くて良いものとみなされている。今もなお、エンタメ界のど真ん中を、スポットライトを浴びながら威風堂々と闊歩しているのだ。
ポルノを嗜む主体性を女性が得たことは歓迎するべきことである。しかし、主体性に伴う責任と枷のようなものが、男性側には文化・慣習の中で課せられている一方で、女性はそのような社会的装置を壊すことが近代であったがために、際限のない自由に放たれてしまったことは問題視したい。
自由を阻むものは自分だけである。だから自由は弱き者にとっては呪いでしかない。フェミニズムは弱者女性を救うことができないまま、自由だが不安定な空虚だけを残したのだ。
そんな空虚を埋めるために、男性向けポルノのような規制を受けない女性向けポルノが広まるのは当たり前のことだった。その女性向けポルノが、Kドラこと最近の韓国ドラマなのである。
どれの話題か明言しないけど、人間ってイケイケ状態になるとマジ出入り業者とか冷遇して憚らなくなるみたいなんだよね
役割を演じているうちに、人格が役割に乗っ取られてしまうんじゃないかと思った
そんな中で心を痛めながら正気を保ってる人もいて立派だなあと感じるということがむかしありました
ロールモデルとか
こうするとかっこよく見えるとか
たとえば親の役目を演じることで本当に親になっていくのかもしれない
ただ、自分は忙しいから些事に関わっていられないよ、買い出しみたいな雑用は誰かに任せちゃうよ、みたいな人格を演じているとヤバくなりがち
これは最初の話と違う話題だけど、誰かがメロドラマの登場人物になりきって暮らしていたら周囲は疲れちゃうよね
本人は気持ちいいかもしれないけど、目上の人がスリッパで頭を叩かないといけない
百田先生とかハックル先生は崇高な目的でやってるつもりだから便所サンダルで叩かないといけない
大変だ
映像を学んでいた学生時代、トレーニングとしてTVの演出や映像テクニックを真剣に見るということをやっていた。
試しにみんなも3分だけでもやってみたら良い。
映像を作る技術や手間の多さに気づいて、誰しもが頭がおかしくなる筈だ。
大学を出てからは、TVを観るときは必ず突っ込むようにしている。
昔、小学校の同窓会で、「私、家に居るときにTVに向かって話しかけているの」ってヤベー奴発言をしていた女子が居たけど、彼女は正解だったと思う。
多くのTV番組なんて、子供が言葉や所作を学んだり、老人がボケ予防のために観るものだと見下した方がいい。
いつの間にかステレオタイプに毒されて、面白くない奴がダウンタウン思想に染まるように、TVから流れる空気が正解だと盲信するようになる。
「アンタと観ていると気分が悪くなる」
YouTubeにはTVのような高度な演出技術が存在していない。
最近、そんなYouTubeのショート映像に「だが、情熱はある」というドラマの宣伝が頻繁に流れるようになって来た。
こういうマーケティングだな、というのは勿論、MCバトル動画を見ている人に紐づけているのかな?と考えた。
オードリーと南海キャンディーズがブレイクするきっかけとなったM-1は当然リアルタイムで観ていた。
爆笑オンエアバトル出演から存在を知っていた2組の異色漫才コンビが、今や芸能界で超売れっ子になっているのは世も末だなと思っていた。
この「世も末だな」という言葉は、僕自身の世が末になっているという意味だ。
そんな2組の喋り口調や漫才ネタを役者達が忠実に再現している所が興味深かった。
でも、オードリーや南海キャンディーズを支持するのは自分が負け組であると認めて傷を舐め合うような情けないような気がしていたので、「オードリー良いよね」「南海キャンディーズ良いよね」なんて言う人とは近づきたくないと思っていた。
そう、世も末だということを認めたくなかったのだ。
で、このドラマのキャスティングを調べてみた所、主演の二人は現役のジャニーズアイドルだったことを知る。
ジャニーズは嫌いだ。数多の実写化作品を強引なキャスティングで潰して来た恨みがある。
それにつけて、ジャニー喜多川の性加害問題が都市伝説から公然の事実となった。
でも、このドラマはなんか気になる。
すると今度は、YouTubeで「オードリーのオールナイトニッポン」の音源がおすすめに上がって来た。
オードリー春日がプロポーズ直前の浮気をフライデーされた回だった。
YouTubeとWikipediaでオードリーの背景を知ってしまったので、機会があれば「だが、情熱はある」を観てみようと思った。
何も予定の無い平日2連休。全話観れるhuluが2週間無料らしく、一気観をした。
20年前は邪道だと否定されてたけど、現代においてナレーションによる場面展開は正当な技法として認められている。
ドラマを見ながら、ネット検索をしてドラマの再現性に感心した。
YouTubeのショートではしずちゃん役の背の低さに難色があったものの、ドラマを視聴するにつれてあまり気にならなくなっていた。
脚光を浴びたM-1の舞台でのネタを劇中で全編放送していることによって、視聴者がカタルシスを感じることが出来ていた。
役者の演技力と、メロドラマに走らない制作側の真摯さによって成立していると思った。
「作品に罪はない」
例えジャニーズが気に入らないとしても、ジャニー喜多川が死んで影響力が無くなった今、ジャニーズ事務所が強引なキャスティングをする事は難しくなった。
日本はようやく作品のクオリティだけで評価される時代が来たのかも知れない。世も末である。
けど、若林と山里の「たりないふたり」ってユニットは正直、面白く無い気がする。Twitterが大好物のロックとお笑いが好きなサブカル俗物たちに支持されてるだけに過ぎない印象だ。
愛するというのは、分け与えるということ。端的に言うと、腹減ってるときにパンひとつ持ってたら、それを半分こしたいと思うのが愛であり愛情。これは一般的な感情ね。極端な事いうと、あなたの命を捨てることで相手の命が助かるなら自分の命を投げうってでも助けたいという感情ね。はっきりいうけど、これは常識ね。愛というのはそういうもの。こういう風に誰かを愛せる人は多くないかも。だから、あなたに説教する友人も含めて、本当に愛情をもって誰かと付き合ってる人なんてあんまりいないかも。だからそれができないからといって気にすることはない。
で、あなたは本気で婚活してるわけだから、結婚したいわけでしょ。で、出会って付き合ってセックスまでいけるわけだから、表面的なスペックでは問題ないわけだ。これはとても幸福なことだよ。それは理解したほうがいい。
で、そっから先の恋愛感情とか愛情とかがわかんないってのは、結婚を実現するという目的とはまた別の次元の話だろ。大恋愛してラブラブでメロドラマみたいな結婚ストーリーを歩みたいの?そういうのは恋愛体質じゃないと難しいよ。
あなたの目的が結婚とか出産ならもうあんまりあなた自身の感情は問題ではなくて、相手の感情のほうが問題だよね。おおよそ過半数の人間は愛する人と結婚したがるから。そうなるとあなたに必要なのは愛することではなくて愛されることだ。わかるね?
あなたは自分の感情が冷めたら恋人と別れるという。まあ若いころの恋愛ならみんなそんなもんだけど、婚活はどういうふうにうまくいかないの?お互いの条件がわかってるんだから利害の一致を計るのはそれほどむずかしくないはずなのに。
シン・ゴジラが面白かったのでシン・ウルトラマンも期待出来る!
と思い初日に観てきました。
参考になれば幸いです
・アラサーの男
・ウルトラマンほぼ未見
特に、自分みたいにシン・ゴジラで期待値を高めた人には合わないだろう
禍特対の連中は怪獣の襲撃中でも軽口を叩いているし
戯けた演技で怯えたり喚いたりしている
全てに「本気感」が見えるし、そこが観客のストレスをなくして良かったと思ったんだけど
シンウルトラマンではノリの軽さからか「本気感」が見えず観ててイライラしてしまった
説明が説明としか機能しておらず、ストーリーの動きを兼ねていないので退屈に感じる
話している内容そのものが興味を引く部分ではなかったりして
登場人物が意味ありげに喋りだすと「止まってしまう」感じがある
さらにセリフの退屈さを補うためか、妙なカメラアングルを多用するのだけど
より退屈さを際立たせてしまっていると感じた
(この辺りはもしかしたら自分の分からないコンテクストがあるのかもしれない)
シンゴジでは(特に序盤の会議シーン)そのあたりの処理が非常に上手く
矢継早に状況の説明をしながら登場人物の立ち位置、物語の動きをスマートにこなしていて
当然構図や絵面なんかも演出意図に応じてビシッとキマっているから
これはエヴァでもそうなので庵野監督の力量によるところが大きいのかな…と
樋口監督、進撃の実写でも説明シーンやセリフが退屈に感じられたので…
禍特対の面々も、いかにも変人でございってなセリフや演技をしてキャラクター性を作ろうとしてるんだけど
いかんせんそれが物語で登場人物がこなす役割と一致していないので「ただ変なことを言う人たち」でしかない
極端な話、神永以外の禍特対の面々の性格が全員違ってても物語が成り立ってしまう
主要人物がその内面性故に物語の役割を果たす場面がとても少ない
怪獣や異星人の行動に驚いたりするくらいで、それも皆一様に同じ反応
禍特対の面々って終盤まで単なる驚き要因でしかないんですよ
当然キャラクター同士のアンサンブルも生まれないし、物語の動きも生まれないし
それが前述のセリフの退屈さにつながってくる
おまけに端役の愚かなキャラが順当に愚かな行為で足を引っ張るので
「強大で狡猾な異星人の策略に右往左往する地球人(日本人)」でしかなく
取り付く島もない異星人同士の喧嘩が終盤までずっと続く
ゴジラの襲撃という受動的な立場ながらも人が話を動かしていく様子がちゃんと描かれている
職務としての役割をメインに描いてるので一般的なキャラクター作劇とは少し違うのかもしれないけど…
人間ドラマなんてなくても良いものは作れる、という評はシンゴジ放映当時しきりに聞かれたことではあるけど
それはよほど上手く作られた群像劇だからこそ成り立つ手法であって
作品との兼ね合いが悪ければただ単につまらないだけのモノになってしまう
無いからこそどの登場人物にも思い入れを持てないモノになっている
ただ物語自体は理解しやすいし前知識も要らないので間口を広く作った映画だとは思っている
ただ作劇の本質的な部分で弱さや粗さを感じて残念だったし
見ていると下品なコント部分の主張が強すぎてあんまり関係ない感じになるんだが、一応この映画って政治ドタバタのコント部分と現場でマジメにやってる主人公達のドラマ部分・・・という構成にしようとした気配を感じないでもない。「いや主人公たちの部分もコントだろ?」というのは確かにそうでやたらおおげさなキスシーンとか、終始マジになるなよと言われている感じでしんどいところではある。が、一応話の枠みたいなのはあったので、それについて話をしたい。で、間違ってると思うのでいろいろほんとのところを教えて欲しい。とあとこの部分についての疑問があるのでいろいろ教えて欲しい。
まずこの映画では主人公が所属している特務隊というたぶん怪獣退治を専門とする組織と、またおそらくなんだけど自衛隊が軍隊化した国防軍という組織がある。どちらも2012年の前に起こったなんらかの事件が原因で2012年に発足した組織で微妙な対立関係にある。
ほいで、主人公帯刀アラタとその元恋人雨音ユキノと、現在の夫雨音正彦、あとついでにいうとユキノの兄青島涼はもともと特務隊に所属して怪獣対策にあたっていた。
で、この映画のはじまる数年前に問題の大怪獣が出現し、特務隊が対処にあたるが手に負えず、最終的に突然あらわれた謎の光によって大怪獣は倒された。
そのときにおそらく最終作戦的なものが行われて雨音正彦は片足を失い、アラタは行方不明となりその後三年間姿を消した。
ユキノとアラタは大怪獣出現前に結婚寸前みたいな状態で余命幾ばくもないユキノの母に結婚した姿をはやくみせたいねみたいな状態だったわけだが、大怪獣討伐にともなうアラタの失踪後ユキノは正彦と結婚したが、3年後アラタは生還する。が、3年間何故姿を消していたのかについては語らない・・・。みたいなメロドラマ設定がある。たぶん。
で、ここで映画がはじまるわけなんだけどいくつか疑問があって
・結局アラタが三年間行方不明だったのはなんでなの?なんかしれっと復帰してるけどそんな簡単なもんなの?
・特務隊が発足するに至った2012年以前のなにかってなんなの?大怪獣とは多分別だよね?
マジメに考えてもしょうがないんだろうけどわかるひとがいるならおしえてほしい。
評判は知ってたし、見ようかなとも何度も思ったけど、ひねくれ者だから見に行かなかった。で、ひねくれ者だから、『ドライブ・マイ・カー』を見に行く代わりに今更見た。シコシコと一人で土曜の夜中に見た。
実際見てみたら、とにかく2時間イライラさせられただけだった。粋な夜電波がどうしたんだよ、今村夏子がどうしたんだよ、堀江敏幸がなんなんだよ。固有名詞で語るなよ。その固有名詞の中身を話せ、菅田将暉。粋な夜電波のキンプリ会の話をしろ。
いいかメロドラマってのは、記号に頼らなくても日常的な仕草の組み合わせが物語になるから凄いんだよ。これは記号に頼った甘ったれクソ物語だよ。って、大学生の時、有村架純の姉に顔が似ている恋人に講釈垂れたら「増田くんって意味わかんない」って返されて喧嘩になった。
真面目だけが取り柄の国立大生みたいな見た目した有村架純がそんなに可愛くないのもイラッときた。飛田給だから外大生なのかな?とも思ったけど、普通に実家暮らしだった。『愛がなんだ』の岸井ゆきのが笑った時の歯茎のほうがよっぽどキュート。
それで、この映画って具体的な大学が全く出てこないことに気付いた。『文章教室』と『セッちゃん』の早稲田も、『人のセックスを笑うな』の女子美も、『Pink』の東大も出てこなかった。とにかくそういう各学生街が独自に放っているような土地性が隠蔽されていた。「サブカルチャー」とか、モラトリアムセックス期の生ぬるさと学歴の関係が完全に隠蔽されてた。
とにかく見終わっても、なにこれクソ長いジョナサンのCMか?って感じだし、ムカつくから大学時代の元カノのインスタを見に行った。増田と付き合ってたときは「ハスミシゲヒコ、ダレソレ?」とか言ってたくせに、おしゃれなカフェでカフェラテと『伯爵夫人』を並べたインスタントカメラ風の写真をアップしてて、さらにムカついた。しかもちゃんと奥にテクノカット男がぼんやりと映ってた。
ムカつくからもっと遡って見たら、「『花束』自分の話かと思った」って投稿があってさらにムカついた。
というか手が滑ってストーリーをタップしたら、婚約指輪を婚姻届の上に二つ並べた画像が出てきてムカついた。クソっ、増田が作家になりたいって言って就活しなかった時、「増田くんといても先が見えない」って言ってた有村なんとか似のあの女、幸せになりやがれよ。