はてなキーワード: クリーンとは
歴史的経緯を無視して現代の動きだけ見てもトヨタ労組は共産党の主張を支持できないのよ。
何せ欧州のCAFE規制は明確なトヨタ潰しであって、CAFE規制そのものが原発を前提に組まれているものだからな。
原発へ強い反対主張を繰り返す共産党とトヨタが融和するわけもなく、更に言えば大企業というだけて内部留保をもってバッシングを続ける始末で、原発ナシにする技術開発する資金すら貯め込んじゃいけないと来たもんだ。
原発レベルの高効率エネルギー理論の開発研究がそんじょそこらの低予算で出来ると思ってるのかと。いま使ってない金を将来どう使うかもわからんのに。
90年代は確かにクソだったけど、バブルの残り香で経済的にまだ元気があった最後の時代なんだよな。2000年以降は社会はクリーンになる一方で経済が停滞し続けてどんどん貧乏臭くしょぼくれた雰囲気になっていってしまった。
ちょうどこの前ニュースで見かけた「子育て応援アイドルALOMA」とかいう集団が、貧乏臭くしょぼくれた日本の極北を感じさせた。
※実際にはなんとも思ってない。
例えばシュッとしたナルシストイケメンタイプ、可愛らしい年下タイプ(だいたい内面は冷酷)、ゴリゴリの体育会系だけど面倒見の良さで萌えさせるタイプ。これってギャルゲと同じ文法だと思うんだよね。男の品目を取り揃えて選び放題みたいな。
そして時々仲間内でやたら可愛らしい喧嘩をしたりするシーンが挿入されるんだけど、いかにも男子って子供っぽくてかわいい、という表現が先鋭化しててキモチワルイ。女子って男子を等身大で見てない。男子を自分たちの性癖消費のためにみてるんだなぁって思うんだよね。あと友情表現がベタベタしてて、「あいつがいないとスケート滑れない」外人とか何なんですかね。どうしてうかつにホモを連想させるの? 男子がみんなホモだと思ってるの?
あと題材もアメフトとかガチムチがいそうなスポーツを避けて新体操とか水球とか、結局イケメンの胸板が見たいだけじゃないの? あんななめらかな筋肉を強調したアニメって、結局女の人が抱かれるときの妄想に基づいてるわけじゃない? 男子同士の部活であんなにクリーンな空気が形成されるわけないじゃないですか。実際の男子の部活なんてマウントとおかしな慣習のオンパレードなので。『押忍!空手部』あたりが実相だよ。アレはアレで極端だけど。
なんであんなに長い肩幅、大きな胸板、極端な長身が揃ってるの? ホルモンバランスが崩れたデブと短小包茎とハゲも揃えるべきじゃない? それが真の平等では? デブと短小包茎のホモ行為も盛り込むべきじゃない? それが真の平等では?
あれだけブルマーについて調べたのだから、しばらくはブルマーに対する知的関心も収まるだろう。そう思ってはいたものの、何となくツイッターでブルマーと検索したときに、ヨーロッパの女の子のブルマー姿を目撃し、疑問が再発した(画像はこちら。フェチの人のアカウントにつき注意)。結局、東欧のブルマーの普及っていつからだったんだ?
以前の調査でも、チェコやポーランドにもブルマーが存在していることまでは調べたが、言語の壁もあり画像検索にとどまっていた。ならば、まとまった時間が取れたことだし、しっかり調べてみるべきではないだろうか。元々チェコ文化には文学や音楽を通してなじみがあることだし。ドヴォルザークいいよね。
社会主義政権下では、制服を着て体育の授業に出るのが義務であった。
体操服としての制服は、第一共和国時代(1918-1938)にはすでに一部の学校やソコル(後述)で必要とされていたが、社会主義の時代になって初めて一斉に普及し、広く統一されたものとなった。
男子は白いタンクトップに赤い短パン、女子は短い袖に青いスエットパンツだった。この強制され対象は階級のない社会主義の未来の象徴だった。これは1965年、チェコの3回目のSpartakiada(東側の体育祭、後述)のためにデザインされ、70年代から80年代にかけてが最盛期であった。1985年のSpartakiadaではチェコ国旗の三色を再現するため、赤いブルマも導入されたようだ(ここは誤訳かもしれない)。
女子の短パンはお尻の周りゴワゴワとまとわりつき、ウエストは高く、太ももにはゴムが入っていた。ブルマーによく似ているが、体育の授業のたびに太ももに跡がつくくらいきつかったという。
ちなみに、この時代の運動靴は後に普段使われたり、バレーダンサーがはくようになったりしたそうだ。のちに、ポーランドなどに輸出もされたらしい。
Jednotný cvičební úbor: noční můra děvčat za socialismu - ExtraStory
https://www.abczech.cz/Jednotny-cvicebni-ubor-P7035300.html
プラハで創設された民族的体育運動協会。現チェコの国民性の形成に重要な役割を果たしたと言われる。元々はハプスブルク家からの独立を目指す意図を持っていた。
ソコル設立の動きは他のスラヴ系民族にも波及し、1908年にスラヴ・ソコル連盟が設立された。チェコ以外にもスラヴ諸国の連盟が加入し、1912年にはプラハで全スラヴ・ソコル祭典が開催される。1926年には180,000の観客を収容可能なマスゲームの上演のためのGreat Strahov Stadiumが完成。
両大戦間にソコルはより発展するが、ソビエト連邦では活動を禁止された。ナチス下では解散させられるが、戦後協会は再建される。しかし、共産党政権下では東欧諸国のソコルは事実上活動を禁止され、協会は国外で活動を継続した。1948年にプラハで開催されたソコル祭典の集団演技には98,000人の学童と273,000の会員が参加し、2週間にわたって行われた大会の中で共産主義政権への反発が露にされた。
チェコスロバキアではソコルの活動が停止した後、社会主義的な演出を施した「Spartakiada」というマスゲームを中心とした体育大会が1955年から5年ごとに行われるようになった(後述)。
なお、もともとは同じユニフォームの着用、マスゲームの参加は過去には民族主義による開放感をもたらしていたが、関心が多様化した社会ではそれらの行為は拘束として受け止められているそうである。現に、上から国民を教育しようとしたこの運動はあまり成果が出ず、徐々に管理主義的になっていったという。民族の自由を求める戦いも、完全にクリーンというわけでもないらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%AB_(%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)
ソビエト連邦がスポンサーになったスポーツの大会である。ソビエト連邦はもともとオリンピックに対抗し、これを補完しようとしていた。国際Spartakiadaは1928年から1937年に5度開催されたが、のちにこれは東側ブロックの国ごとのイベントになった。名前はスパルタクスから来ており、プロレタリア国際主義を象徴する。貴族的・資本主義的な(古代)オリンピックとの対比になっている。
その後、チェコでは大規模場マスゲームを指す言葉にも転用された。これは先述のGreat Strahov Stadiumで5年に一度開かれた。規模は非常に大きく、1960年は75万人が国中から参加し、200万人がイベントを目にしている。
1955年から5年ごとに開かれたが、1970年はプラハの春で中止、1990年はビロード革命で中断され、小規模な形で再開した。
1994年以降ソコル祭典は6年ごとに開かれているが、祭典のマスゲームやパレードに参加する会員の多くは過去のソコルに馴染みが深い高齢者で占められているらしい。
https://en.wikipedia.org/wiki/Spartakiad_(Czechoslovakia):title]
オフトピだけど、完全にクリーンな気持ちで胸を張って自称できる称号ってあんまり思い付かないな?
「はじめまして! はてなブックマーカーの増田です。ぜひブクマカーの増田と呼んでください!」
うーん、どうだろうね。
腐女子の呼称を使うべきではない派だ。反論をいただいたので回答したい。
“腐女子”を自称するとき、完全にクリーンな気持ちなんですか?
胸を張って称号を誇れる? 自嘲を感じることさえない…?
元増田さんがまとめた、使うべき派の意見にあるように、「歪めていることに対する自戒」のために自称していると主張する人は、はてな匿名ダイアリーに散見される。“腐女子” 同士での、いわゆる学級会もツイッターでよく開かれている。彼女たちは男オタクと比べて、架空のキャラクターのために過度に自省的になっているのではないかと思っています。反省の習慣を持てるのは人として素晴らしい資質だけれど、それを強要する空気があるのなら、それ自体は精神の抑圧だ。咎められる理由がないのだから萎縮は不要だ。
「お宅」の意味、何が宅なのかほとんど知られてないし気にもされていないけれど、「腐る」の意味は当事者にはよく広まってるのではないか。BL愛好家 との呼び分けが明確なのにもそれは現れてると思う。自戒せよという訓戒が単語の意味にビルトインされていて現実に教義が継承されている限り、ネガティブな印象はどこまでもつきまとうでしょう。
私はそのようなことは主張していない。先回りしての防衛のために言わされてることを自分たちの好きでやっている主体的な選択のように思い込むのは自己欺瞞だ、と言いたいのです。根本的な解決に必要なのは自衛としての自虐ではなく、反撃だ。日陰に追いやる連中に怒りの声を上げ、糾弾し、反撃し、結果として必要な自衛行為が少なければ少なくなれば、いいと思う。しかし現状、彼女たちは置かれている差別的状況を内面化して諦めてしまっているように見えるのです。正義に周りが手を貸すのは社会の義務だと思うけど、そもそも当事者の心が折れていては… 他人の立場からは強く言うこともできない。腐女子たちよ… ホントにそれでええんか…
水鉄砲による抗議はなぜ失敗したのか。
まずここでいう失敗とは五輪開催について政治家が躊躇せざるを得ないうねりを作れなかったことと定義している。
その意味で水鉄砲による抗議は一般人に対する攻撃として捉えられ、聖火ランナーに対する同情を誘い、むしろ五輪開催に向けた警備強化を正当化する理由を作ったように思う。
(水鉄砲を放った人物は人に対する攻撃と捉えられるとは想定していなかったかもしれないが。)
今回の水鉄砲の直接的な被害者は一般人であった。であればより有名な選手や大会関係者であれば良かったのか。
いや、その場合はより問題になっていただろう。自陣に負い目のある状態で主張を続けることは難しい。被害者のいる陣営の主張は同情を誘うことになる。
暴力的な行動に出た時点でその陣営の主張の支持は減るだろう。特に人命を理由に開催の中止を主張するならなおさらだ。
今や五輪開催については国民の過半数以上が中止か延期を望んでいる。実際に、インターネットによる署名活動や医療従事者によるプラカード行進、抗議デモなど、これまでにも五輪開催については数多の抗議活動が行われてきた。
しかしながら現状政府や委員会などが強引に開催に向けて進めており、五輪は中止されることなくほぼ間違いなく開催されるだろうと予想している。
このことはいずれの抗議活動も政府や委員会の意思決定の決定打にはなり得なかったことを示している。
では今の政治体系や社会構造の中でどういった抗議方法であればより効果的であっただろうか。
五輪を中止させる最も効果的な方法は、五輪に対する人々のリスペクトをゼロにすることである。
五輪が五輪たりうる理由は、人々がその大会に勝利した人を尊敬するからである。地元の小学校のかけっこ競争で勝利したからといっても履歴書に載せるのは憚られるだろう。
五輪に参加した。五輪で優勝した。五輪のスポンサーをした。このことに価値があるからこそ開催に意味がある。
五輪は人々が価値を感じることによって価値が生まれているという点で貨幣と似ている。
例えば日本国内で流通する通貨である日本銀行券はお札という紙でできた券である。それ自体には何の価値もない。ただし人がこれを価値あるものだと信じるから価値がある。
このように人々の間で持たれる共通の信頼によって流通する貨幣のことを信用貨幣というが、その価値を支えるのは発行者に対する信頼、価値の安定、そして強制通用力の三つの条件であり、そのいずれかが崩れた場合は価値を失う。
それぞれについて簡単に説明すると、発行者に対する信頼とは、偽物が存在しないと信じられること。
価値の安定については価値が昨日今日で変動せず、おおまかには一定であること。
そして強制通用力は「これには価値がある」と主張できる強力な後ろ盾があることである。
例えば犯罪者が偽札を大量に流通し始めれば貨幣に対する信頼は落ちるだろう。
一日おきに同じ金額で購入可能なものが変わるような貨幣についても人々は受け取りたくないだろう。
また日本においてはその価値が人々の間で共通のものとなるよう日本銀行券を決済の最終手段として認めるという法律が存在し、国家権力によって貨幣に対する信頼を補強している。
さて、貨幣と同じような価値構造を持つ五輪ではそれぞれに対して何が対応するだろうか。
発行者に対する信頼については、類似する大会がないことや参加する選手や関係者の不祥事がないことが対応する。
価値の安定については、ある年の金メダルは全大会の金メダルより価値が少ないと人々が思わないような施策を打つこと。
強制通用力についてはメディアによる宣伝などで「この大会には価値がある」と人々に共通認識を与えることが対応するだろう。
貨幣と同じような構造を持つのであれば、これらのいずれかが崩れた場合に五輪は価値を失う。いわゆるブランド力を失うということになる。
そうなった場合、選手は大会に価値を感じなくなり参加しなくなる。また人々が注目しないのであればスポンサーをする意味もなくなり開催に必要な資金を集めることもできなくなる。
ではそれぞれの条件がどのような状態で崩れるかを考えてみよう。
発行者(運営や選手)に対する信頼を揺るがせることについては五輪関係者や政治家の汚職、選手の身勝手な行動などを喧伝するだけで人々の反感を誘うことができるため、容易に取れる手段かもしれない。
ただしこの方法だけでは中止には至らない。なぜなら人ひとりふたり程度の汚職や犯罪程度では開催が揺るがないほど五輪は大規模であるからだ。
また、五輪の運営側や選手の不祥事が発生したとしても、その問題はあくまで個人の問題であって五輪に参加した人物は変わらずリスペクトするという人が多い場合については、いくら喧伝しても五輪の価値は下がらない。
このためこの方法では五輪に対する信頼はすべての試合が八百長だったと発覚するなどよほどの事件が発生しない限り減りにくく、また減ったとしても中止に至るほどのダメージではない。
一方で五輪の不祥事の多さや意思決定の不明瞭さについては現状多くの人が疑問に思っているところだろうから、そのあたりのクリーンさをアピールした代替の大会が開催されるとなれば五輪のブランド力はそれなりに失われるのではないだろうか。
価値の安定については、東京五輪についてはかなり自爆しているように思える。
4年に一度開催され、多くの競技が行われる世界で最も伝統的な大会というのが五輪の特徴だとすると、開催側としてはその特徴を傷つけることは避けるべきである。
新型コロナウイルスの流行によって2020年の開催が延期されたことによって4年に一度の開催という特徴は陰りを見せてしまったが、こちらについては天災によるものとして納得できる人が多いのではないか。
しかしながらその後の対応として政府や委員会は世論的な反対とは逆に開催に向けて強行してしまった。五輪の理念であるオリンピニズムをかなぐり捨てたその動きに嫌悪感を抱く人が増えたと予想している。
新型コロナウイルスが蔓延して人々が苦しみ、五輪の開催に疑問を抱く人が多くいる中、無邪気に「五輪開催に参加です!」と表立って言える人はなかなかいないだろう。
その意味で五輪は五輪自身のためにも開催に向けて動くべきではなかったと言える。
五輪は名前の通り歴史的な権威などを使って武装し、基本的にテレビや新聞などメディアによる宣伝によってその価値を喧伝してきた。
多くのメディアが五輪の話題にあげ、参加し優勝などをした選手を称えることで人々は五輪に対する価値を認めてきた。
メディアは五輪の大きなスポンサーとなっていることが多く、五輪が話題になればなるほど収益が上がる構造となっている。
想像するに、一度五輪が開催されれば反対していた人々でさえテレビや動画配信を通して五輪を観るだろうから、メディアが世論を五輪中止へ誘うことは考えにくいだろう。
ほかの毀損手段としては、有名なスポーツ選手などが五輪に対する不快感などを表明し、不参加や不支持をすることが挙げられる。
しかしながらスポーツ選手が声を上げることは現在のスポーツ業界では難しいだろうから現実的ではない。
以上のように五輪の特性上、強制通用力については崩すことが難しいだろう。
ここまでを踏まえてまとめると、貨幣との類似性をもとに五輪の中止を扇動を考えるのであれば、
1.五輪関係者の不祥事を喧伝しつつ、クリーンさをアピールした別の大会を開催すること
2.五輪関係者に五輪開催の強硬によるブランド力低下のリスクを理解させること
しかしながら1については五輪に代わる大会が増えるだけであり、今回の五輪を中止したいそもそもの理由に対する解決にはならない。
2については希望は残るが、運営が理性的だったとすると、スポンサーや政策、契約上の問題などによってそのリスクを承知の上で強硬したほうがましな結果と試算した可能性があり、また運営が理性的でないならそもそもリスクについて理解はできないだろう。
ここまで長々と話してきたうえで、私が考える最も効果的かつ全く推奨しない方法について述べる。
とても簡単に言えば、人々が五輪の価値を徹底して否定することが最も効果的だと考えられる。
貨幣と同様、五輪は五輪に価値があるという信頼、あるいは権威性によって成り立っている。ここまで述べてきた3つの条件はあくまでも人々の信頼を補完するものでしかない。
このため、人々が「五輪の価値を認めない」と宣言してしまった場合、五輪の価値はその瞬間消し飛ぶ。
具体的には、五輪に出場する選手、スポンサーとして参加している企業、五輪に関わる政治家などをリストにしたものをWebサイトなどで公開し、開催に賛成の個人や法人としてレッテル貼りをしたうえでSEO対策をし、SNS上などで拡散するといったものだ。
ここで重要なのは、個人や法人に対する直接的な攻撃は行わないことだ。個人や法人に対する直接的な攻撃をしてしまうと、五輪反対派は過激だというレッテルを貼られ、人々は逆に賛成派に対して同情的になるからだ。
あくまでこれらの人たちが「五輪に賛成している」という事実を述べ、関係者に対するワクチンの優先接種など、制度や構造に対する批判のみを宣伝する。これであれば直接的な攻撃とは受け止められにくい。
そういったリストが公開された場合にどういったことが発生するかは想像に難くなく、私であればそのようなリストに名前を連ねたいとは思わない。
これらの行動は中傷の扇動にあたるだろうし、人としての倫理観が怪しいところなので私自身は全くしようとは思わないし、ほかのだれかがやっていても軽蔑するだろう。
しかしながら、五輪開催の条件すらあいまいなまま強行していく開催者側と交渉するには、水鉄砲よりは効果的なのではないかと思う。
3GSからいつも最新とはいかないまでも、毎回あいふぉん使ってきたけど、流石に愛想が尽きたわ。
次のあいふぉんでも指紋認証が搭載できないとかなんなん?それは独創的な製品というよりただ独善的なだけでは?オンスクリーン指紋認証はコストがかかる?十万円も取っといてコストなんか知らんがな。
いまだにBluetoothに繋がるとミュージックアプリの音楽が勝手に流れ始めるのなんなん?サブスクやストリーミングなど、おめーお呼びじゃねーんだよ。アプリを削除すればいい?じゃあ、最初からいれてんじゃねーよゴミ。
それは屁理屈だ。屁だよ屁。Fartishな意見。太陽光発電の優遇買い入れ金額のお小遣いが欲しいために、柵や基礎や周辺環境の安全工事をいい加減にしている発電所設置の人の土木工事が邪悪なのであって太陽光発電はクリーン。
原子力で邪悪な手抜き工事して放射能遮蔽省略したりすると動かした瞬間に回りの生物無生物分子原子レベルでどんどん死ぬ。
太陽光発電の土木工事手抜きして土砂崩れ=手抜き土木工事の問題で、太陽光発電の問題じゃない。そんなのビルの建設現場でも同じ。基礎の鉄筋少ないとか姉歯とか問題になった。太陽光発電関係ない。土木建設で手抜きして儲けようという人がいることの問題。
買い物に行こうと車を運転中、道路の真ん中に仔猫の死体があるのを見つけた。車にはねられたようだ。朝ここを通った時には見なかったし原形を留めているので、まだ死んで時間は経ってないのかなと思った。買い物から帰ってきてもそのままだったら拾おうと思って出掛けた。
買い物中も罪悪感がすごかった。やっぱり見た時点で家に引き返して、空き箱持って駆けつければよかったかなぁ、と。もし買い物してる間に仔猫が再び轢かれて猫煎餅化してたら、どうするんだ。さすがに平たくなった猫を道路から引き剥がす勇気は私にはない。
ふがいないなぁ。形を保った仔猫は拾えて猫煎餅は拾えないというのか、猫は猫だぞ! しかし、私どうしてもスプラッターはダメなもので。
帰宅するとき、同じ道を通ったら、猫は先ほどと変わらぬ状態で横たわっていた。通る車達は仔猫に気づくと大回りして避けていた。そうして猫煎餅は回避されていた。
家に帰って買ったものを全部冷蔵庫にしまってから、段ボールの空き箱の中に新聞紙敷いたやつと軍手を持って、現場に駆けつけた。仔猫はやっぱりそのまま倒れていた。よく見たら、猫の周囲のあちこちに血が飛び散っていて、車にはねられた直後はまだ息があってしばらくのたうち回ったのかもしれない。
幸いにも車は一台も通らない。私は覚悟を決めて軍手をはめ猫を持ち上げた、その時初めて、持ってきた箱が仔猫のサイズに地味に合ってないことに気づいた。あっヤベェ、どう入れたらいいんだこれ、と捧げ持った猫を傾けたら、耳からどぼっと血が溢れて箱の蓋に垂れた。これ以上斜めの体勢で持ってたら、血だけじゃなくてなんかもっと出て欲しくないものが出てきそうだと思って、半ば強引に猫を箱の中に突っ込んだ。頭から猫は箱の中に落ち、案の定足が大幅に箱からはみ出た。
仔猫は茶色のしましま模様だった。生前はさぞかし可愛かったんだろうが、死体はやけに薄汚れて見えた。足の毛づやが良く、痩せてもいないので、ちゃんとご飯を食べさせてもらっていたと思われる。
半開きの猫の右目のまぶたの中身が無い気がするんだよな……と思いつつ、私は箱を抱えて歩いた。
実は、この事故現場からほんの数歩のところで、去年同じようなしましま模様で同じような体格の仔猫がやっぱり車に跳ねられて死んでいて、それを私はやっぱり拾いにいったんだけれども、近所のお婆さん達がそこに集まってなんやかんや言っていたので断念した。
近所のお婆さんが言うには、この近くに猫を餌付けしているおうちがあって、たぶん死んだ仔猫もその家の人が餌をやっていた猫たちのうちの一匹だという。それを教えてくれたお婆さんは、
といった。猫の死骸は餌付けしている人に責任を取らせればいいとお婆さん達は言って、一人が餌付け人の家に言ってドアをガンガン叩いて家の人を呼び出し文句を言っていた。そんなわけで、その仔猫は餌付け人か誰かが引き取ったか捨てたかしたらしく、数時間後にはなくなっていた。
私が今日拾った仔猫は去年のあの仔猫の弟か妹なのかもしれない。見た目がほんとうに良く似ていた。
今日はお婆さん達はいないから誰にも文句は言われないはずだ。私は箱を持って餌付け人のおうちの前を通りかかった。餌付け人も猫可愛さに餌をやってるんだろうし、最後のお別れくらいしたいのではないか? と思った。仔猫だって、餌をくれる人間が好きだろうし、じぶんを葬ってくれる人間を選べるんなら通りすがりの他人よりも馴れた人がいいんじゃないか。
だけど私は猫の死体を家まで持って帰った。そして、役場の環境課に電話をかけて、死んだ猫を拾ったがどこに捨てればいいのか教えて欲しいと言った。電話に出た人は、クリーンセンターで処分を受け付けているから直接センターに持ち込んでくれないかと言った。それで、今すぐに行っていいかと私が聞くと、大丈夫だというので、私は猫を箱ごと燃えるゴミ袋に入れて、車の助手席に置いた。
せっかく猫煎餅を回避したのにゴミ袋に入れてゴミ焼却所に持っていくだなんて、これはこれで酷いよなと思うのだが、この辺は田舎だけど勝手に生き物の死骸を埋めていい場所はどこにもない程度に区画整理されている田舎なので、しょうがないのだ。
死んだ仔猫を助手席に乗せて、クリーンセンターに向かう。ちょっとしたドライブだ。こんな知らない人間が連れ回してごめんねって思う。餌付け人の家を訪ねれば、仔猫の母親がいるかもしれない。猫は賢くて家族の死を悲しむことくらいはするので、会わせてやれたらよかったかもしれない。けど、餌付け人にわざわざ死んだ仔猫を届けるのはなんかやっちゃいけないことのような気がして無理だと思った。運転しながら何度も同じことを考えて、無理だと結論してまた脳内議論をふりだしに戻した。
クリーンセンターに着くと、電話で対応した職員さんが出てきて猫の入った袋を受けとってくれた。
「本当に死んでるってことでいいんですよね?」
「えぇ、死んでます」
と言葉を交わしたのち、私はお礼を言ってクリーンセンターを出た。なんかもっと訊かれるかなと思ったけど、あっさりしたものだった。
帰りには、やっと肩の荷が降りたなと思った。もう二十年くらい前になるけれど、ある夜に元彼の車で東京のどこだかの幹線道路を通っていたら、元彼が道端に猫の轢死体を見つけて、車を停めた。すると私達の車の前を走っていた車もハザードを点滅させて道路端に停まった。
元彼が車を降り、前の車からも女性が降りてきた。女性のほうも猫の死体を見つけて、救助するために車を留めたらしかった。救助しようにも猫はすでに煎餅化していた。女性はじぶんの表着を犠牲にして猫の轢死体を拾おうとしていたが、元彼がそれを止めた。元彼は車のトランクからバスタオルを何枚か出した。元彼の仕事がデリヘルの店長だったために、車の中にはいつもバスタオルがストックされていたのだ。
元彼と女性が協力して猫をタオルに包んだ。女性は元彼がたくさんバスタオルを出してくれたから、猫の埋葬はじぶんが責任を持ってすると言ったそうで、猫はその女性に引き取られていった。
元彼は車に戻ってきて、世の中には親切な人もいるもんだなと言った。私は、じぶんが運転手かつ第一発見者だったら確実にスルーしていたなと思った。
そんなことがあった。元彼とはとっくの昔に別れて完全に縁が切れている。猫を引き取ってくれた女性はただの通りすがりの人なので、いまどこでどうしてるかなんか、もちろん私にはわかる訳もない。けど、あの人たちの善意というか、優しさをまっすぐ行動に移せる強さとか、すごいなと思ったし、これを見たからには私自身も同じことに直面したら彼らのように行動しなければならないという呪いに、その時かかったような気がした。彼らみたいに立派な人になりたいというより、見てしまったからには受け継がなくてはならないと思った。
だが、轢かれて死んだ猫なり、道端で困っている誰かなりを見かけたとしても、見なかったふりをして通り過ぎるばかりの人生を私はあれから二十年近くも送ってきた。
でも今日は見すごさなかった。しかし、いいやり方ではないのは明白。結局クリーンセンターという他人に押し付けて終わりにしただけなのだし。だけど、見て見ぬふりをするのはもっとダメ。そういう呪いがかかったまま、私は生きていかなくてはならないんだと思う。
ボクシングで親友に勝てない主人公がやさぐれて戦場に出向いて人殺し回ったあとで雷神(エミタイ)と呼ばれて帰国。親友と対決するが、親友は山の中で仙人みたいな修行ばっかして余裕ぶっこいてる雲上人。これにパンチが当たらず、「もう殺す」とか親友に殺意を向けるが、どういうわけかクリーンファイトに目覚めて打ち合うという話。
結局ボクシングで人生を棒に振ったようしかみえない。傭兵になるまで思いつめなくてももっと他に人生はあったよ、という優しい一声が欲しかった大作。
つねに「ぐは!」と言いながら投げたり投げなかったりする漫画。ラブコメ要素があるけどまあ普通の漫画だと思う。最終話掲載のビッグコミックスピリッツがうちの倉庫に眠ってます。表紙はゆうきなえじゃなかったっけ(違うかも。調べろ。嫌だめんどくさい)。松田さんが日刊エブリーという雑誌の記者だったことを何故か覚えてることと、アニメ版の1話はパンチラ強調しすぎ。永井真理子は良い。以上。
北斗のイメージと言えばパチスロ。パチスロといえば北斗というくらい某所得層に残った漫画だが、笑えるエピソードが多すぎて元祖シリアスギャグ漫画家な、と思っている。シリアスギャグ漫画の二大巨頭は『カイタン』と『彼岸島』なんだけど、思えば北斗もわりとね。ただあまりにも出来に開きがありすぎるので原先生に失礼だと思う。
き、気持ちいいぜ~ぴやばっ
某所の某電力の原発漫画の第一人者だが、古舘伊知郎と絡んで以降当人も特にマンガで食ってゆく意思がなく、リタイア。ぶっちゃけプロの目があったと思う(まあめちゃコミとかRenta!とかそういう系列だが)。
腐ってるって自称するところに セルフネグレクト を感じてしまうんだよね。
部外者としては「増田さんって腐女子なんですよね??」みたいに言うのはためらってしまう。
かつて匿名ダイアリーで KKO(キモくてカネのないおっさん) などと呼ばれてた人たちは、いまでは 弱者男性 と呼び名を変えた。
クリーンな名前が発明されて以後、気兼ねなく言及できるようになって、現在(令和三年)まではてなブックマークをにぎわす人気の話題になっている。
オタクが世間に認められたいま、腐女子も日の光の下で伸び伸びとできればいいのにって思ってた。
だけど最近、BL もポリティカリーコレクトじゃないよね、って責められてるときに、
「でもそもそも腐ってるじゃん。いまさら何をキレイぶる必要がある」みたいに使われてるのを見て、ああこれは鎧なんだ、って気付いた。
自己防衛のための、鎧。
宇宙人であるA氏は地上に地球人が産まれる前に地球に降り立った。
彼の宇宙船はガスや二酸化炭素類が発生しないクリーンなエネルギーであり、菌類は旅立つ前に滅菌室で滅菌されていた。
A氏は着陸し次第船体を四次元のボックスに折りたたんで収納し、四畳半の居住区を地球の物質だけで形成した。
完全なエコ住居であり、彼はできるだけ地球環境に改変を加えないように現地の食物は食べず、タンパク質と炭水化物を合成して作り出す器具からペースト状の食物だけを摂取した。
遠く母星への通信は量子論をもとにした通信設備で、ラグなく通信することができた。
光学迷彩的な家には匂いの偽装が施されており、虫も寄り付かない設計であった。
彼は地球の生態を母星に送り続けると、全く平和なまま母星から持ち込んだお茶を飲んで、つつがなく数年を過ごした。
そうして報告をすべて終えると、彼は住居を風呂敷のように畳んで四次元ボックスに入れ、代わりに宇宙船を取り出すと去っていってしまった。
まるでたった一人の花見客が、酒瓶をすっかり片付けて姿を消すようにである。
立つ鳥跡を濁さず(意訳)という信念を持つ彼であったので、一粒たりとも地上の改変箇所は見当たらないままだった。エネルギーは小型の縮退回路で間に合わせ、便は小型ブラックホールの中で分解した。
2年ほど前からパチンカスやってる者です。分かる人向けに言うと設定付きパチンコが流行り始めた辺り。スロットはあまりやらないけどハーデスとかが撤去された辺りな記憶はある。
2年パチンカスやってきて気づいたパチンカスならではの特徴、見抜き方を教えます。彼氏、夫の動向が怪しかった時に役立てて下さい。
・普通じゃ考えられない量の1000円札、100円玉を持っている
パチンコ店ではサンド(お金入れる所)に入れた後に使わなくて余ったお金は精算機で払い戻します。ほとんどの店では1000円札、100円玉しか出てきません。
例えば1万円入れて2000円しか使わなかったとしたら精算機では1000円札8枚で戻されます。
大体のパチンカスは毎度1000円札入れるのは面倒なので大体1万円から突っ込みます。なので必然的に異様な枚数の1000円札が増えていきます。彼氏が何十枚も1000円札を持っていれば要注意です。
パチンコで勝つ時は景品交換所を挟んで換金するっていうのは有名な話ですが換金ができる特殊景品は大体500円からになっています。(余談だが200円の特殊景品を1度だけ見た事がある)
じゃあ500円に満たなかったらどうなるかっていうと小さいお菓子とかジュースとかに交換されます。アンパンマンのおもちゃとか生活用品も置いてますがこれ交換してる人は見たことないです。
夫がよくお菓子の小袋1つだけとか普段買わないような缶ジュースとか持ってたら要注意です。なぜかヤクルト1本だけとか持ってたらほぼ確定です。
ここでいう特定のアニメとか漫画っていうのは「戦姫絶唱シンフォギア」とか「まどか☆マギカ」とか「バジリスク甲賀忍法貼」とか「北斗の拳」とかの事を差します、この辺を突然見始めたりやたら詳しかったらパチンカスかもしれません。
上記の作品は現在パチンコスロットで大人気です。ゆえに1度は触った事のあるパチンカスがほとんどです。
若い彼氏がいるあなた、世代でもないのに北斗の拳や聖闘士星矢、花の慶次等に詳しかったら要注意です。
当たり前ですがパチンコ店の中で電話に出ようものなら騒音ですぐにバレてしまいます。店の入り口とかでも漏れてくるのである程度離れてからかけ直さなきゃいけない以上ある程度のタイムラグがあります。ただしLINEの既読はすぐ付けれます。今はスマホ見ながら打ってる人も多いので。
確認無しに突然電話をかけてすぐに出ない頻度が多いならパチンコ打ってる可能性が高いです。
難易度は高いですが夫や彼氏のYouTubeの再生履歴が見れる状態にあるならバレないように覗いてみましょう。パチンカスの半数はパチンコの実践動画を見ているのでおすすめ欄がパチンコ関係の動画だらけになります。
再生履歴を消したとてこのおすすめ欄はもう一段階踏まないとリセットされません。
ただしパチンカスはこういう察知能力だけは高いので少しでも見られていると感じたら対策を取ってきます。信頼関係にも響くのでおすすめはしません。
少なくは鳴りましたが今でもテレビでキュイン!という音が使われる事はありますよね?
パチンカスは全員このキュイン音が大好きなので鳴っていたら即座に反応します。一瞬なのでごまかしも出来ません。また霜降り明星が好きなパチンカスも多いです。(霜降り明星の粗品が大のパチンコ好きなのは有名な話)
またあまり見る事はありませんが今年の4月放送自粛が解禁されてパチンコ台のテレビCMが打てるようになりました。放送できる時間帯がほぼ夜中だけなので見る事は少ないですがこの手のCMにもパチンカスは反応します。(今って源さんとギンパラ以外テレビCMやってたかな?新しい牙狼がCMやるって話しか聞かないな・・・)
上記の中から2つぐらいが当てはまってたら5割ぐらいはパチンカス、それ以上ならほぼ確定でパチンカスです。直接聞くと露骨に嫌がったり話を逸らしたりするのでほのめかす程度に聞いてみましょう。
昔の反社が牛耳ってた時代と違って今店員も普通の人だし禁煙にもなったので少しはクリーンな空間にはなっています。週に数回低貸しで遊ぶ程度なら許してやってください。やめろと言って素直にやめれる人種じゃないので。
もちろん何万と使っていたり周りに迷惑をかけるようでしたらそれなりの対応をしなきゃいけません。精神科でもなんでも頼ってやめさせましょう。今はパチンコ依存症を見てくれる医者もいます。
スキルは様々。
毒入り抹茶Lv.10、フェミ隠しLv.5、鼻くそ弾Lv.20、茶柱Lv.55、茶柱手裏剣Lv.15、応接スマイルLv.0(固定)、灰皿クリーナーLv.20、給湯座談会Lv.98、陰口Lv.70、観葉植物への水やりLv.30、ゴミ箱のビニール交換Lv.10、辞表の理(ことわり)Lv.60。
ちなみに鼻くそのスキルレベルが低いのは、自分自身相手のお茶に鼻くそを入れることに生理的嫌悪があるからだ。
高圧的な取引先に対して茶柱手裏剣を見舞って転倒させたこともある。
私はフェミだけどイケメンは別口だ。イケメンなら最悪服従してもいい。
そう思っているせいでフェミ隠しもそんなにレベルが上がらない。
しかしN上司の依頼は、バーコード頭のYにもお茶を入れてくれというものだった。
Yには鼻くそ爆弾を何発か見舞った程だ。スキルにはない鼻毛を入れて怒られたこともある。
他ならないNの依頼とあってはしかたないと思い、片方の茶には鼻くそを入れ、もう片方は茶柱を発動して事に臨んだ。
彼女は私が入れたお茶を自分が渡すと言ってぶんどってしまった。
ウェーブはその持ち前の鈍さを遺憾なく発揮して鼻くそ入りをNの前においてしまった。
茶柱が立って喜ぶY。
しまったと思ったが、もう遅い。
私はNの口元に茶が運ばれる前にスキル「観葉植物の水やり」「灰皿クリーナー」を合成してお茶の鼻くそを浄化した。
すかさず聞こえてくるNの声。
「うわなんだ、これ。水じゃないか」
ウェーブは赤っ恥をかき、Nはただの水を飲んだが事なきを得て、Yはホッコリ顔で仕事に励んでいる。
しかしただでは済まない。
ウェーブはブチ切れて給湯室で私に詰め寄ってきた。
何やら喚き散らすウェーブを尻目に「応接スマイル」を連発し、「ゴミ箱のビニール交換」スキルを使ってストッキングを半脱ぎ状態にしてみせた。
ウェーブは転倒して叫び声を上げ、その上に「鼻くそ弾」の直弾、「茶柱手裏剣」が追撃を加えた。
ウェーブは意識を失ったせいで私の弁解タイムはそれなりに確保された。
それ以来スキルは誰にも気づかれていない。
観葉植物の水やりが一瞬んで終わることも、お茶がなんとなくクリーンなことも、全く気づかれることがない。
ただ、私はLv.99だ。なにかかが強いわけではないが、お茶くみの世界では最強だと思う。
しかし、お茶くみの世界で最強、という称号になんの意味があるのかと問いかけられると心細くなる。
そうやってデパ地下で一人心細くなっていると、弁当を入荷している業者さんの荷物――おそらくオキニの牛とろ弁当――が今まさに崩れようとしているのが目に入った。
商品は高価だし、私はお得意様だし、業者さんがリカバーに入ろうとしているのがスローモーションで飛び込んできた。
私の目が光った。
「鼻くそ弾――!」
高速で射出された鼻糞が弁当の底面を滑らせ、高速回転する。
良かったですね、と私は「応接スマイル」を発動。
業者さんは、
「後でお礼したいのでせめて名前だけでも」
そう思うと気が気ではなかった。
大層奇特な面を持つOLとして私は帰宅し、9時台のドラマを見て就寝した。
Lv.99だが特に便利なところはない。睡眠が時短できるわけでもなければ、お給金が上がるわけでもない。
そして、レベル99であることにほぼ誰も気づかない。いや、デパ地下の業者さんも意味不明だろう。
そういえばLv.99ってなんだろうと寝る前に考えた。