はてなキーワード: エラいとは
「読書」は無趣味な人が履歴書の趣味欄に書くものの代表その1のように扱われる。読書が趣味はそんなにダメか。
就活をする上で、趣味欄に読書と書くなと何度も就職課の人間に言われた。
改めて自分の生活を振り返ってみるが、完全に読書が生活の主軸になっているように思う。
本屋でアルバイトをしているし、そのバイト代のほとんどを本屋に還元している。大学の図書館の蔵書もかなりの数を読んだ。
古い本より最近の本のほうが肌にあうので古本屋にはほとんど行かないが、絶版本が読みたくて足を運んだことも少なからずある。
蒐集癖はないので読んだそばから売っている。もういちど読みたくなったら、新しく買いなおすか図書館で借りるかする。
どのくらい読んだかを競うゲームではないので自分がどのくらいの本を読んだのか正確にはわからないが、同年代ではトップクラスじゃないかと思う。
金銭の多寡だけが偉さを決める数値ではないと思うが、趣味にこれだけのお金をつぎ込む人もそう多くはないだろう。
ところが面接に行くとまず鼻で笑われる。本を読むしかすることがないのかとバカにされる。たくさん読むことがエラいわけじゃないんだよと諭される。
ここで冷静に、「いえ、そうではないんです、私は本当に本を読むことが好きで、、、」と、上述のようなことを説明したとしても、
「趣味は読書」にマイナスのバイアスがかかっているせいか、きちんと聞いてくれる人事の人間はあまり多くない。
(ちゃんと聞いてくれたわずかばかりの面接官の方、ありがとうございます)
日本テレビで2016年4月期 から「ゆとりですがなにか」という連続ドラマが放送されるという。まあ50代後半にもなる私には今イチ興味ひかれるタイトルではないが、宮藤官九朗さんの関わるドラマは好きな方なので日テレHPのドラマ情報をチェックしてみた。すると、イントロダクションで非常にマズイ情報が提示されていたのである。
「2002年に行われた教育改正。完全週5日制、授業内容、時間数削減、絶対評価導入 ゆとり第一世代と呼ばれる 1987年生まれの彼らは今年29歳。 人生の岐路を迎える」
これを読むと、あたかも授業内容や時間が2002年から減っているように読めてしまうが、実際は違うのである。
実は、実際に学習量や授業数の削減は1980年から始まっているのである。http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318313.htm
2002年よりも20年も前である。しかも文科省の情報を見ると、この1980年の教育改訂は「大幅な学習量削減と思い切って授業時間を減らしたこと」が特色とされており、さらに「ゆとりと充実」というキャッチフレーズまで登場しているのだ。
なぜ、この時の教育を受けた世代を「ゆとり世代」としないのか?
いや、実は本来はこの世代が「ゆとり世代」だった。若い人は昔の記憶が無いだろうが、1980年の教育を受けた世代を「ゆとり世代」だとするのは私のようなオヤジには非常に納得感があるのだ。私は50代後半だから実感としても「ゆとり世代」という言葉が少なくとも十数年前から出ていたことを知っている。
そして、十数年前に10~20代を意味していた「ゆとり世代」が、数十年経過した現在には20~30代にならずに未だに10~20代であり「1987年生まれの彼らは今年29歳になっている」という定義に変わってしまった事も知っている。
定義が途中から変わった表向きの理由として、2002年の学習量削減の方が規模が大きかったという事がある。減った学習量が多いわけだ。
でも、私のような詰め込み世代から見れば、多かれ少なかれ学習量が減っているのだから同じようなモノである。「俺の方が学習量の減りが少ないぞ。だから俺は若い奴らより偉いんだぞ」と言うのは幼稚すぎやしないか?
こういった事を「マズイ」と内心気づいた最初のゆとり世代、つまり1980年の教育を受けた人達は、おそらくネット上などで何らかの工作をしたと思われる。
その結果、何と学習量が最初に減った時期に関する情報自体が長い間ウィキペディアなどで消され続けていたのである。復活したのはつい最近の事だ。
復活したきっかけというのは、池上彰氏の発言が大きいように思う。池上氏はちゃんと文部科学省から情報を得ていたため、ゆとり世代が実は40代も含まれることを知っていたので、それを発言してしまったのである。
また、長い間学習量が最初に減った世代に関する情報が隠され続けていた別の要因として「若者バカにする系」を好んで視聴したり支持したりする特定層の人間の存在がある。これはヘイト・スピーチの対象をそのまま若者に移したような若者嫌いもいれば「おバカブーム」の支持者のような若者好きもいる。どちらも共通しているのは「若者の中でもバカな奴をピックアップして注目する事で優越感に浸れる中高年の娯楽」を重視している事である。
マスコミが若者をバカにする事を目的とする記事を書いたり、番組を制作する事で、一定の視聴率なり支持が得られたのだとすれば、そういう社会心理が透けて見える。
人間には嫉妬という感情があり、老いていく自分を日々感じるなかで、身近の若い人が、自分よりも肉体的に優れていたり、容姿がキレイだったりすると、無意識にそういった感情が誘発されてしまう。しかも、若い人の多くは自分よりも社会的地位が低い場合が多いため「俺の方がエラいはずなのに、なんでアイツが・・」という気になる。その結果「若者バカにする系」信者となる。
集団というのは、時にそういった感情を生み出すので注意が必要である。そうしないと今回のように事実が隠蔽され、多くの人に間違った認識を広めてしまう結果となってしまう。この恐ろしさに気づいている人が、まだ少ないように思う。
周囲の人がビビりまくっているので、実際の制作に従事している人に向けて、私の考えを述べたい。
様々な情報や意見が飛び交っているが、現場の制作において今回の件に学ぶべきことは、以下の1点だけだと私は思う。
少なくとも「絶対にバレない」という状態まで加工しろ。「もはやオリジナル」と言えるまでに。
実際のところ、今回の敗因(?)となったのは、佐野氏がネットの画像を無許可で使用していたことがバレたことに尽きる。ほんとにこれだけ。
「⚪︎⚪︎に似てる」とか、そんなことは個人の意見の範疇なんだから、問題の根本ではない。
(事実、佐野氏は画像の無断使用にしか謝罪はしていないし、それ以上の謝罪は必要なかったように思う)
昨日(8/1)の会見で、組織委員会はエンブレム取り下げの理由を「ひとえに一般国民の理解を得られなかったから」と言っていた。
まあ、それはそうなんだろう。だって、ほかに決定打となる明確な理由などない。
しかしより根本的には、その明確な理由があったとすれば、エンブレム自体ではなく、佐野氏自身のデザイナーとしての信用の問題だろう。
「パクり」と「画像の無断使用」に関して(ネットで両者が混同されていることに驚く)、前者に関しては真偽はわからないものの、後者は明らかにおこなっていたのだ。
著作権を犯した作品を現在進行形で商業の場で発表していた人(それが部下の仕事とかはマジでどうでもいい)を、国際的な祭典の壇上に立たせることは、問題視されてもしかたがない。
前科が見つかって立場を降ろされるのは、個人的には納得ができる。
ネットの勝利だとか、インターネット時代のクリエイティブの危機とか言っている人がいるが、さすがにネットの意見に押されただけで、組織委員会は決定を覆したりはせんでしょう。いや、絶対ない。
今回の騒動は、「エンブレムが気に入らない」に端を発し、「明確な著作権侵害」という、攻撃されるスキを見せてしまったことでここまでの騒動に至った。
しかし逆に言えば、ただそれだけの話だし、ただそれだけの結果をもってして、何か危機的な状況だと感じている人は、「ネットの画像をつかえなくなるのが危機的な状況なんですか?」と問いたい。
今回の件は、ただただ佐野氏が悪い。「ネットの画像を無断で使用して国民からの信用を失った佐野氏」が悪いのだ。
さて、筆がノったついでに、以下、もっと大きな問題についての私感を少し。
現場への影響に関しては上記くらいの認識で良いと思っているが、そのほか、業界的に問題だと思っていることを2点。
・(コンペの審査員とかの)村社会的な体制は、村社会が通じるところでやろう。
・業界のエラい人は、文句があるならどうして猛抗議しなかった。
そのままなんだけれど、一応ひとことずつ。
前者に関しては、本来ならべつに問題ないというか、どの業界でもだいたいそういうものだと思っている。
が、「ここを攻められたら反論しにくいよね」というポイントのひとつだと思うし、オリンピックは相手が悪かった。
実際、「デザイン」っていう分野がここまで脚光を浴びたことなんて、私が生きてきたなかでは初めてのことだと思う(同時に、東京で生きてきたなかで最大のイベントだと思う)。
オリンピックSUGEEってことね。
後者に関しては、素直にかっこ悪いなあという印象。
こういう態度を取られると、「ビビって逃げてる」か、「ネットのバカには意見するだけ無駄だと考えている」と捉えられても仕方がないように思う。
いずれにせよ、「一般国民」から距離を取って、「あたし佐野さんと友達だから」とか、「この良さがわからないとは」みたいなJKの女子会レベルの論拠を持ち出すのは、マジでダサいからやめてほしい。
こんな日に、書くと意味深だが。
気分が悪いので、チラシの裏で吐き出すべき所を公共の場で、吐き出すのだが。。
過去は、忘れて、頭を自分の幸せや他のことに向けましょうと、言われるが。
悲しんだそぶりや、悲しい顔をして助けを求めても、結局、誰も何もしてくれなかったんではないか?
つらい。
自分の意識。自分の電気信号、自分のホルモンバランスが崩れて精神が崩れているだけなのだ。
自分の脳が、イメージが肥大してして、恐怖心が妄想を膨らませて、相手の存在を大きくしたのだ。
そして、それに対して、自分は、独りになったとき、怒りの気持ちを増幅させているのだ。
謝ってきた。
でも、気が済まない。涙を見た。膝から崩れる姿も、見た。相手が恐怖で歪む顔も見た。
でも、気が済まない。納得できない。
事実を整理して、積み上げよう。
使う記憶は、相手の涙。膝から崩れる姿。恐怖で歪んだ顔。足早に自分から立ち去る姿。
それと、もう一人のアイツ。
監督者であるべき立場でありながら、一緒になって、おれを、いじめた。
というか、弁明の機会さえも、与えなかった。。
あいつも、動揺を見せた。
「おれは、おれは、エラいんだぞ!!」
とファビョッた。
その瞬間を見たいが為に、復讐をした。
事実として、アイツも、負けを認めたのだ。一瞬でも。
おれが、翻弄をしたのだ。
結局、この世の中って、力関係というか、あんたらも、説教くさいことを言う割には、しっかりしてねーじゃん。
くそ忌々しい奴らだ。
自分の頃はそんな物は必要ではなかったが、最近の日差しはエラい強いし
子供の頃に紫外線を受けた影響は年を取った時に出てくるそうで、
そこら辺の研究が進んで今まで見えなかった脅威が明るみにでたということでもあるのだろう。
母子手帳ではかつて日光浴を推奨する項目があったが、今はとりはずされているそうだ。
もう無理に日焼けをさせる時代ではないし、日焼け=健康という図式はもう成り立っていないのだろう。
しかし、表題にもかいてある日焼け止めを付けてはダメという学校も一部であるそうだ。
プールの水が汚れるというのもあるが、
日焼けが健康的で良いからそうするべきであるみたいな、そういう価値観を持っている人もいるのではないかとおもってしまう。
たしかに良い。
スクール水着のあとが残っている上でのビキニなんてあれは単なるヌード以上だよ。
いや年齢がうえでもいい。
あの良さは何なのだろうか。
元々隠されていた部分というのが端的に白い部分として強調されている。
それがビキニ姿であらわになったときに、その腹部の禁断性がより向上されるのだ。
腹部でありながら局部以上のパワー、エナジー、パトスを持つ存在に昇華して
そのイデアを前にして僕はすでにエポケーをする以外ほかないほとで
僕のファルスは神がかり、今までにないejaculationを経験してしまう。
おことわり:やけにひらがなが多いのは、自動リンク避けのためでございます。読みづらくてごめーん。
女性が率先して女性専用車両に乗ることによって、一般車両のエリアが1人分余裕ができるってことで
そういう意味で、ちかんとかは別にどうでもいいけど、気を遣って乗ってる人のが大半じゃないかとおもうのですケド…
2015/6/2 18:38
はてなのシステムの優れているところは、同じIDは2つ存在できない、というところだろうと思う。
(そういう仕様だったはず…間違っていたらごめんなさい)
ついらー(まきじた)あたりは、絶対値はRSSのナニガシだけだもんね。(記憶違いだったらごめんなさい)
不要になっても永久に管理しつづけなければいけないなら、新規登録フォームにそう書いておいてほしい。
あ、そうか。安全に運用したい人は、お金を払って認証を受けろと?(めんどくさ…)
・・・というゆめをみました。
あときそねんきんばんごうとか、今回の漏洩対象者だけじゃなく希望すれば誰でも変更してくれるような運用になればいいのに。
今でもできるのか?よくしりませんが…
(さすらいの非正規雇用人(現在は無職)としては、まいなんばー発行前後で、わけておくと今後安心かなっておもうの。はけんさきはホワイト企業ばかりじゃないしね…)
2015/6/25
ぜっさんえんじょうちゅうのあの案件は、昨年末にも急☆募10人とか出てました。(しばらく出なかったから、ああ落ち着いたンだねよかた…と思ってたら。あんのじょうですか。)
草花を愛でるがごとく、webのデータを日々ながめてます。(←まだむしょく)
養分にもなれなくてごめんなさい…(一度コケると復活するのに体力いる年齢になってきまちた)
2015/6/30 8:57
ぎりしゃヨーグルトがすっごく好きなの。ああいう類の、主婦しか知らない現地のお料理TIPS、さがしても中々でてこない。
ぎりしゃ料理うぃきぺみたいのに広告つけて、債務にまわしたりできない?やけいしにみずかしら…
ただ座っているだけよりましであろう。
掃除があんなに苦手だったのに、今となってはストレス解消の一つとなっている。
苦手意識というのは、「(やればできるのに)できない自分を直視したくない」というところからくるのかもしれないなあと、ぼんやり考える。
2015/7/13 19:34
ねむい
2015/7/14 14:13
代々木の体育館(?)建て替えで増えた予算って、totoから助成金が出てるんでしょ。今サッカーに興味ない人たちがどのくらいの金額参加すれば、何年でまかなえるんだろ?ファンキーな元都知事がおっしゃってたことも、なんとなく理解できるから、東京都民の税金にだけ依存しないやり方でどうにかできないか、今ある仕組みを生かして何とか工夫できればなあと思っただけで、玄人の皆さんの苦労はまったく想定しておりません…。
とはいえサッカーのルールを知らない私は、お金を賭けるほどにのめり込めません…ばあさんにでも理解できるように教えておくれでないかい。
専業しゅふが家庭の管理を任され、誰かが外貨を稼いでくるというモデルは家庭という小さな社会ネットワーク単体でみるととても調和のとれている仕組みではあるとおもうのだが、井戸端会議をなくした21世紀の都会在住核家族家庭の専業しゅふさんたちは、どうやって社会性を取り込んでいるのだろうか・・・
と、こまちを見てておもったが、ネットのこういう媒体が、21世紀の井戸端会議的役割を担っていければいいんだろうな。リアルの人間関係に振り回されなくて済むという点では、進化しているといっても過言ではないだろう。(しらんけど)
プレミアム商品券って換金に一ヶ月くらいかかるんだ。大変…現金で買う人たちが支援できればいいですね。
席数の少ない店では、他人との会話のキャッチボールを楽しむことに意義があるのであって、自分がもつ悩みなどの正確な対処法など誰も求めていない。そういうのが欲しければ、身銭をきって専門家へGO。
日本語(正確にはローマ字入力)そんなに間違えずにタッチタイプ(?キーボードみないで打つ)できるのに、英語の長文だと、まったく関係ない文字を打ってしまうことがある。英語を出力するぞと理解しているにもかかわらず、アタマの中に流れる音声をローマ字出力しているのかも?(うまくせつめいできない)まぁ、私だけですね、多分。
2015/9/21 15:25
なんつうかあれですわ。まぁ。そんなかんじ。
とりあえず目的は達成。
別に、IDは同じでいいんだけど、別人に向けての郵便物を弾く仕組みがあるといいんじゃねえのかなと思うけど。(郵便物だって、前の住人宛のものは、局で弾いてくれるじゃん) と、だいぶまえに思ったことがあるけれど、エラい人に「そんなもん何の役にたつんだ(笑)」と一蹴されてしょぼん、みたいな。はいはい、もーなんもいいません。
頭がいい人が沢山本を読める、というのはその、本を読む上での基本的な情報量の違い、なんじゃないかと思うの…。(ポジティブなサイクル)エンジニアは技術書をさくさくと読めるかもしれないけれど、新人のうちはそんなわけにいかないでせう。
ねっとふりっくす、解約しようと思ったんだけど、英語字幕を表示できることに一昨日気づいて、とりあえずもう一ヶ月くらい使ってみる事にした。英語の勉強になるかな?(主にヒアリングの)
単語はかけるけど聞き取れない、というのはあれだ、方言のある土地に引越してった直後の心細さに似てるような気がするな。(わたしだけ)(ってことは、ききとれるようになるってことだよね?)
とかいいつつ、のだめ(かんたーびれ)一気見しちゃった…ちあきさまああああ
そうそう、日本語吹き替え&日本語字幕も面白いよ。のだめ↑で説明すると、演奏している曲名が表示されるの便利。(検索しようにも、素人ひとりだとてくにかるたーむにたどりつけない。え?サントラかえ?はいはい…)
うーん。教え方が上手な英語の先生みたいな感じですかね。(ねっとふりっくす)
またはらなあ。うーん。もうあがっちゃった身(なにが)としては、ダイレクトに聞いてくる人には、オブラート?なにそれおいしいの的にその旨回答(どんびきされようがしったことか。おまえが聞いてきたんだろうが。)ですかね…最近、遠回しな嫌味の言い方を勉強してます。
日本語字幕は、二度目以降にみるからこそ良いのかも。ということがわかった勤労感謝の日。(すみませんすみません)1度目に日本語字幕つきで見ると、文字情報のほうへと意識がいってしまい細かい画面の要素まで目につかないことがある。なるほど、洋画みてるときもこうなのかなあ~ぬぬぬ。
ぴあのとにちぶの教えかたの違い、みたいな本を読んでる。いつまでも終わらない巨大なジグソーパズルの、ずっと嵌らなかった要の位置にあるピースが、ぱたぱたと嵌っていく瞬間であった。(まぁ、にちぶはやったことないけど)
ネットだいすきっこ(BBA)ですので、光学メディア(?っていうの?DVDとかぶるーれいとか)あたりからは遠い世界にいたのですが、最近地上波を録画して見たりキャッキャする事にはまっている都合上、スペースをあけるためにとりあえずDVD-Rを買ってきてごにょってる。はう。1枚につき15分番組3本しか入らないのですね。気がとおくなるわー。まんどくせー。(ゆうちゅうぶあたりに…って。いや、それでは意味がないのでござる。)これ、メディアの中身の管理も結構面倒くさそうだよね。DVDつっこんだらタイトル名さらってリストしてしーえすぶいとかにするスクリプトとかプログラム、どこかに落ちていないかしら。ないか。(なら自分で作るしか…)あー。
あー。なるほどですね。(3本録画したといってもファイルが3つに分割されてるわけでもないのですね。ますますDVD化する意欲減退…)タイトルだけ管理したいだけなんですけど、どうにかなんないですかね。なんねえか。はー。(DVDにナンバリングして、手元の一覧とリンク。文字列検索できるようにしたいだけなのに…)
なんとなく、カセットテープのころを思い出す。(ツメ折ったりとかさー)
無線LAN接続のプリンタの設定おわた。えすえすあいでぃーはすてるすにしてるから設定だけUSBケーブル経由とかいう回りくどい方法でやりました。もっというと、意味あんのかよくわからないルータの設定(むせんらんつうしんはまっくあどれす制限してる)も影響していたためちょい時間かかった。(PCはなぜかまだ有線接続なので、こいつのまっくあどれすを追加しなければいけなかった)
あとね、無線LAN接続に時間制限?をもうけています。具体的には深夜0時から朝5時まで自動的に無線LANがオフになるようルータを設定。自宅ではもばいるでーたつうしんをOFFにしている都合上(最安プラン=パケット代節約)、寝ながらスマホしてても自動的に接続がきれてしまうので、夜更かし防止にも効果があります。
15分番組をDVD1枚に14本(?単位あってる?)録画する所まではべんきょうしますた。画像が荒くなってしまいますがそこはまぁ良いことに。ここの環境では、外部メディアにはBDも使えるんですが、どうも個人的に「その規格、本当に大丈夫…?いつか突然円盤になったりしない?(べーたとかぶいえいちえすとかそのあたりの記憶由来)」と、不安になるのですよね。大丈夫だろうとは思うんだけど。よく知らないから先入観だけで判断しちゃってすみません。
新しいサイトができたんですね。読書感想文かけるなら登録してみようかな。システム的にちゃんとIDになってれば、もうどこでもいいんだけど。(賃貸アパートみたいな仕組みのクラウドのアプリケーションって、想像するだに恐ろしい…それはせきゅりてぃほーるというのではないのでせうか)(WEBのシステムとしてはありえない前提でかいてます)
同日14:46
やらなければいけない掃除を目の前に、つい違うことをしてしまうそこのあなた。(え?わたし?)そういう時は、とりあえず厚手のゴム手袋をはいてしまいましょう。あきらめがつくし、なぜか掃除がしたくなります。(はい、がんばります…)
たっきゅう先生さすがすぐるw いんたーねっつがインフラと化したあとのいらいらもやもやを、すかっと言語化してくださる。かっけえ。あと、こどくのぐるめは本当にいだいであります。食に関する情報をたくさん持つ人の「ひとり飯」時の脳内が、孤独なわけがないのです。(同じ情報を持つ人同士は、こういうのあうんのこきゅうで理解できるんだけどね。わざわざいわないだけで。)
http://anond.hatelabo.jp/20150327231607
社内に既にいる社員のいうことをきいて八割方理解できる素養・知識があるかを見ているのと、
会社が与える自分がやりたいわけではない仕事をできるかを判定している。
会社は勉強する場ではない、だから、自社にとって必要最低限の素養・知識をもっているか
学歴で確認している。能力はあっても前提となる素養・知識のない人間をゼロから教育する
手間を掛けられるほど企業は暇ではない。
勉強を本当の意味で好きな人間はいない。社会で自分のやりたい仕事をできる人間は
努力した一握りだけ。
好きでもない勉強を頑張ってきた人間は、会社の与える好きでもない仕事をきちんと
こなしてくれるだろうという見方もしていると思う。
[追記]
最近というかゆとり世代のガキは自分たちを特別な存在か何かと勘違いしすぎ。
能力があるんなら、学生時代、頑張って結果出してて当たり前と、社会に出てる
上の世代は見てるんだよ。
義務教育から高等教育まで、勉強だけしてればいい環境というか箱庭を上の世代が用意し
与えてるんだから、箱庭から出たときに、大学のランクで区別され、大学のランクが
高いほどゲタも高いゲタが履けるのは当たり前なんだよ。
上の世代が社会に出てくる学生あがりに対して求めている、というか、学校という
箱庭にいる人間を評価するのは、どれくらい勉強してきたか、学校という勉強して
さえいれば評価される環境で勉強してこない人間はそもそも評価の対象じゃない。
能力があるというんなら、学校という箱庭にいる段階で勉強して、
能力に見合う結果を出してこいというのが社会であり、企業なんだよ。
勉強してこない奴は能なしとみなすんだよ。
大学に入るまでのマイル・ストーンは社会の評価対象ではないから
ね。勘違いしないようにね。偶に勘違いしているバカがいるけど。。。
まわってるんだよ。
この文章を頭わるいと書いたバカがいるけど、アホが、と思ったよ。
社会に出れば、学校のお勉強なんか基礎の基礎の基礎みたいなもんだよ。
与える、というか、評価するわけないだろ。
社会に出れば、学校で学んだ基礎の上に仕事に必要な専門知識を積み上げた
学校で机に座って教えられる勉強を頑張れない人間が、社会に出て
自分で仕事に必要な評価されない勉強を自発的にできるとは思えないとも
社会では考えるね。
学校で基礎を学んでいる状態で慢心しているアホかバカは社会から
ハジカれるよ、注意しようね。
お勉強だけしていて評価されるのは、学校という箱庭の中にいる間だけだよ。
関東では周期的に大地震起きてるんだから、いつかは来るでしょう。
そのとき、震災で建物が倒壊して下敷きになって即死なんかはしょうがない。
しょうがないっつーか、諦めがつく。
怖いのは、処置すれば助かるけど、処置できなければ死、あるいは体の一部が壊死したりするような大怪我を負ってしまうこと。
東京くらい人口が集中している都市で、震災が起きてしまったら、人員的に救助あるいは医療は間に合うのかね?
おそらく数百万人単位の人間が、怪我を負ったりするわけじゃん。
助けなきゃいけない人間の数自体が少ないから、外からの救援も可能でしょうよ。
でも東京が被災でもした日にゃ、助けるべき人間の数が多すぎて、とても手が回らないようにしか思えないんだけど。
東京都、あるいは国は、東京に震災が起きたときに、ちゃんと被災者を救助できるシステムができてんの?
教えてエラい人。
http://uxlayman.hatenablog.com/entry/2014/07/06/205350
まあひどい。
ドラム式とか一人暮らしにはオーバースペックすぎ。邪魔で仕方ない。
一人暮らしなら洗濯機なんて買う必要ない。代行サービスで十分だ。
2週間分服を用意して毎週出せばいい。
ひとり分の洗濯なんて自分でやってたら時間がもったいない。その間にデートでもしてくれ。
ルンバが必要なほど一人暮らしの床は広くない。ケッつまずいて壊すのが関の山だ。
マキタの掃除機で十分だ。軽いから汚れに気づいたらすぐ掃除できる。
http://www.makita.co.jp/product/li_ion/cl100dw/cl100dw.html
家で使うときは紙パック式がいいぞ。紙パックはアマゾンで大量に買っておいても小さいから収納に困らない。
ゴミ箱だけは高い方がいい。安い足踏み式のゴミ箱はすぐ壊れるんだ。壊れるとゴミ箱がゴミになる。
とはいえカネがないなら生ごみは袋タイプのジップロックに入れて捨てればいい。
ジップロックは安物の使い古しで十分だ。ニオイもしないし水漏れもしない。捗るぞ。
http://www.topvalu.net/items/detail.php?id=11759&sid=8&cid=35&mid=241
こんなので十分だ。どうせ使い捨てだから安いやつ使った方がいい。
ブラインドはやめとけ、引っ越しの時、確実に粗大ごみになるし、冬は超寒いぞ。
カーテンってのは防寒具なんだ。厚めのカーテンがあるのと無いのとでは冬の部屋の温度がエラい違いだ。
だがカーテンは引っ越すとごみになる。一部屋文買うと数万円になるのに出るときにはゴミだ。これはもったいない。
3月4月じゃなければこの部屋借りるからカーテンつけてほしいってお願いすると結構つけてくれる大家も多いから交渉してみるといいぞ。
タバコ吸わないって約束するとつけてくれる可能性もアップするぞ。
ひとり暮らしならキッチンは極力使うな。ひとり暮らしの料理というのは効率がとても悪い。
食材を腐らせるか、毎日同じものを食い続けなければならなくなる。ひとりなら外食が基本でいいよ。節約した時間分働いて稼げばいい。
どうしてもキッチンを使いたいならそもそも収納がきちんとしたキッチンのある部屋を選べ。
多少家賃が上がってもおかしな収納を買うよりも長期的に安くつくぞ。
ひとり暮らしでもざるくらいは必要だろうが、ザルは網目のものにしろ。
パンチングのザルは水切れが悪い。サラダにしろ冷やし麺にしろ、水切れが悪いとクソ不味い。
http://www.muji.net/lab/project/kitchentool/140129.html
ボールとザルはセットで買え。バラバラに買うと収納が悲惨なことになる。
フライパンは安いテフロンのものでいい。ひとり暮らしなんてフライパンほとんど使わないから耐久性なんてどうでもいい。
鉄のフライパンは確かに良いが、毎日使わないと錆びる。錆びるものはひとり暮らしには向かない。
同じ理由で包丁はオールステンレスがいい。鋼は錆びるし、柄の部分が木製だとカビるからな。
ビールを各テーブルに注ぐことから始まり、そこからは各テーブルで飲み物が無くなってる人がいないかどうかずっと監視
もし見逃して飲み物を取りに行く人がいれば気がつかないやつだなぁのヤジ
それに一つ上の先輩がそういうことを率先してやってしまうから、そこでも先輩にやらせんのかのヤジ
オレがやるのでやらないで下さいとは言いづらいし、それとなく言ってもやられてしまう……
飲み会の達人みたいな上司にマジ顔で詰め寄られるのも精神的にキツい
新人歓迎会でもそんな調子だからオチオチ飯も食えないし、酒も全然飲めない
あと、飯が食えないような状態ってわかってるのかわかってないのか知らんけど、ちゃんと食べてるか~って親切だと思って言ってくるやつ
それで最後に一番最悪なのがオレも主任や係長と同じ額の金を出さされること
一番エラい人が一番若い人の分を出すのが普通じゃないの?コンパニオンみたいなこと雰囲気で半強制しておいてそれはないだろと
千円や二千円くらい出せよ!と毎回思う
「おっさん」認定師とか「ネタ」認定師は、他者を勝手に認定することで、自分の中の何かを守っているつもりになっているだけだよ。
彼らは他人を見ていない。他人と向き合いたくないからだ。自分の狭い世界の中に閉じこもって、侵入してくる異物を全部排除することで、ちっぽけなプライドとかその世界とかを守っている、と自分で納得できればそれでいいだけ。
内容を吟味して「これはおっさんの投稿、これはガチ投稿」なんて分析してるわけじゃない。というか、内容を吟味する人なら、おっさんの投稿だと思った時点で反応する必要がない。かといって彼らが「おっさんの投稿だから、他の人が欺されないようにしてあげなきゃ」とかそういう慈善精神を発揮しているわけではない。「おっさん」認定することで、彼らは「欺されなかった自分、エラい」と自分を誉めたいだけだ。そして、一抹の安心感を得ればそれでいいんだ。それが事実おっさんであったら満足だし、おっさんでなかったとしても、元から何も持っていないし得る予定もない彼らには、失うものなんてないからだ。だから彼らは今日も「埼玉のおっさん」「埼玉のおっさん」と書く。
http://www.2chopo.com/article/732/
この人腐女子じゃなくてただの同性愛者でしょ。話題になってるから表面だけすくって取り上げてるだけ。
「二次創作なんだからBLには【腐向け】をつけろ」って、筋が通らないよね。
言うのであれば「権利者の許可なく二次創作をするな」「二次創作を商業利用するな」「このキャラとこのキャラはそういう関係じゃないじゃない!!」というようなことをBLに限らず全ての二次創作に言うべきです。
「スピード違反してるのは私だけじゃない理論」ですね。こういう言い方するとそもそも「二次創作は良くないこと」って認めちゃうことになるのでやめて欲しいです。二次創作の擁護に全然なってないどころから後ろから撃ってます。迷惑です。
わたしはこう問い返したいです。「なにを対象にしたどの統計を根拠に『多い・少ない』って言ってるの? もしかして『自分は同性愛が不快だ』ということを『みんな同性愛が不快だ』って、責任逃れしつつ大げさに言ってるだけではないの?
それに、多いことがなぜえらいことなの?」
統計なんて取らなくても『同性愛が不快だ』って人が多いから、この人『レズビアンライフサポーター』なんてやってるんでしょ。同性愛の人が生き辛いって事実があるんでしょ。そんな『何時何分何秒、地球何回回ったときー?』みたいな虚勢を張った問い返しをしてどうするの。
それに、多いことは偉いことでしょ。その場にいる大多数の意見で色々決まってしまうから「マイノリティの抱える問題をどうしようか?」って話になってるわけで、すでに現実的な結論の分かっていることについて、無理に言い返すのは相手の神経を逆なでするだけだと思う。思考停止を動かしたいのならもっと賢い物の言い方があるでしょ。
「みんなが」とか「多いから」とか、そういう相手の土俵に乗らずに「私が表現したいことの自由をどうして奪うの?」って話で良いじゃない。
こんな頭の悪い主張してる人がどこにいるんですか。仮にいたとしてもそれってごく一部なんじゃないですか。無理に理由のひとつとして取り上げなくて良いと思うんですよね。
関連で貼られていた
http://www.2chopo.com/article/565/
これを見ても、この人が腐女子にそんな興味があるとは全然思えない。
この人の理屈で行くと、非常に迷惑なことに、すでに「腐女子」に対しても「インターネット・ミーム」って出来上がってて「腐女子」というのは「ホモネタを操りエラいことをやらかす未来に生きてる連中」くらいにしか思われてない気がする。今回はその流れで「腐女子テロwww」っておもしろおかしく取り上げられていただけの話。
最近のはてブに対する保険屋のアタックは目に余るモノがあるな。
んで、まあ、大量の情報を前にすると、人は考えることをやめる。
結論にだけ飛びつきたくなると言うか、良い所しか見えなくなると言うか。
なので、判りやすく少ない情報で、保険を選ぶときの勘所を押さえとこうぜ。
つーか、そうしてもらわないと、自分で適当に入ったわりに、後で恨まれるの末端の人間だし。
なんつーか世の中の商売は大抵そうなんだけど、慈善事業じゃないんだよね。
商売でやってる以上、かならず利益は出るようになってる。銀行だってそうだよ。
生命保険屋は相互会社だから非営利法人だとか言うけど、ちゃんと給料も出る会社だからね。
つまり、「手間賃」なりなんなりは必ず取られてる。見えにくいだけで。
もちろん普通の事だし悪いことじゃないけど、「何で稼いでるのコレ」というのは必ず意識してくれ。
「払込保険料よりも、払い戻しが多い。定期預金と比べてみて下さい」は、良く言う台詞だけど、ちょっと考えてみてくれ。
つーことは、オマエさんから預かった金を、そのまんま金庫に入れてたら赤字になるってのは目に見えてるわけだ。
日本生命はだ、相互会社だが、50兆円規模の資産を運用する機関投資家でもある。
おまえさんが貯蓄のつもりで預けた保険金は、すんげえまとまったデカいカネとして、マネーゲームに投入されるわけだ。
で、資産運用に失敗すれば(元本割りのリスクがあります)って小さく書いてある保険から切り捨てられてく。
掛け捨て保険はまんまギャンブルだから、当然親が勝つようになってる。
これぐらい健康体のヤツは、1万人あたりこれぐらいの確率で死ぬから、これぐらい保険料貰っとくと足は出ないな、って計算がされてる。
まあ、1万人あたり殆ど全てのヤツはギャンブルに負けるわけだが、たまに勝つヤツがいるから、みんなやるわけだ。宝くじと一緒だな。
「オレって、先進医療を使うような病気する方に賭けるんだな」ってのを、頭の片隅にでも思い出してくれ。
で、こっからが本筋だが、例えば学資保険とかで払い込み料免除とかってのがあるな、
あれは「そういう掛け捨ての保険部分がついてる」と考えてくれ。つーか、実態はそうだから。
つまり、貯蓄部分が大きくて死んだりしたら払い込み料免除になる保険ってのは、「貯蓄保険+掛け捨て保険」のセット販売してるわけだ。
んで、じゃあそういう「掛け捨てじゃない保険」ってのがなにかっていうと、これがさっき言ったマネーゲーム用の種銭だ。
だから、大抵の場合何十年単位で資金がロックされて、引き出そうとすると、ペナルティがかかる。
んで、例えば200万の金額を20年ロックされて、払い戻しが245万だから超お得ですよ、とか言うわけだ。
これ、年率に戻すと1%複利な。つまり、20年間でインフレが進んで国債の利率が5%とかになると推測してりゃ、ボロ儲けなわけだ。
そういう、「今後の経済状況を見て、損しない固定金利を顧客に約束する」のが大抵保険屋の儲け方になるわけだ。
失敗するとエラいことになるわけだけどな。
3つ選択肢がある。
掛け捨て保険に関しては、こりゃどっちかというと信念の問題だ。
病気したら運が悪いし、その時は大部屋だってまあ、運の悪さの一環で我慢するさ、とかね。
大抵の場合そういう「病気しない方に賭ける」人の方が勝つことが多い。
平成 24 年簡易生命表(厚生労働省が統計から出してる)をみると、男の87.8%、女の93.8%は、65歳まで生き延びてる。
つまり、「仕事してるし死んだら妻と子が困るし、生命保険は必須だよな」って言うお父ちゃんの10人に8人は、ギャンブルに負ける。
怪我とか病気とか、全部そう。でもまさに「安心を売るのが保険」なわけだ。
貯蓄型保険ってのは、基本的に保険会社が種銭を集めるためってハナシはしたな。
ただ、大抵の場合、保険の入る時に元本割れだの利率固定のリスクは聞いてもらえない。
んで、なんか大騒ぎになったときに、株買って大損こいたヤツと、学資保険が大幅減額したときとで、世間の心証も裁判の結果も違う。
なので、其処まで考えた上で投資とかガラじゃないしなーってヤツは、検討しても良いかも知れない。
あ、繰り返しになるけど「なんかあったら以後の保険料はいただきません」タイプのは、ちゃんと掛け捨ての定期死亡保障と比較してな。
(たいていの学資保険で払込期間が短い方が払戻率が良いのは、そこが原因な)
100円ショップも、全部が全部儲けが出てるわけじゃないらしいな。
大抵の場合、目玉商品だけ買ったりとか、セール品だけ買われたら店は損しちまう。
と、同じように、保険にもその手の「こういう組み合わせでこうすると、得になる」ってタイプのヤツが無いとは言えない。
あと、生命保険料控除みたいな控除があるのは、政府が保険に入って欲しいからだな。
というように、うまいこと控除を使って税金で取られる分を減らしつつ、解約時のペナルティが少ないヤツにすると、
さほどロックされずに儲けることができる、かも知れない。
これに関してはポジショントークでもあるし、勘弁して欲しい。
病気にはならん!とか言って、国民健康保険料を払うのやめちまってイイとは思えない。
火災保険だって自賠責保険だって、入ってないと相当大変なことになる。
だからまあ、変に得しようとか考えずに、どう損するか考えて保険は選んでくれ。
私はとある宗教の2世で、子どものころから親に宗教行為を強制されるのがいやでいやで仕方なかった。
やれ毎日朝晩仏壇に手を合わせろ、会合に行くぞ、勧誘に行くからついて来いなどなど。
本当に本当にいやで仕方なかった。
学業に成功するようにと祈っている時間で勉強したいんですけど! 明日部活で朝早いのに夜の会合とか無理!
相手は明らかに嫌がっているよね。なにこれ仲間内で勧誘人数を競っているの?
仏壇で30分唱えたらこの紙の升目を埋めていくんだぞ。お父さんなんかもうこんなに埋めたんだ。お前もがんばれ。
いやいや、なにその無駄な時間の使い方。ないから。ありえないから。
子ども時代は、強制される宗教行為からいかに逃げるかということばかり考えていた。
中二病全盛期には、周りにいるその宗教関係の人間全てを軽蔑し、馬鹿にしていたように思う。
「これ印刷物じゃないんですか? 息を吹きかけてはいけないのはなんでですか?」
とある日の会合で幹部と呼ばれるエラい人にそのようなイキガッタ質問をしたのを今でも覚えてる。恥ずかしい。
そんな宗教嫌いだった自分だが、一度だけ、宗教についての考え方を大きく変えるできごとがあった。
私には叔母がいて、日ごろから親しくし、いろいろとかわいがってもらっていた。
しかしある日突然、叔母がくも膜下出血で倒れて緊急手術をすることになったのだ。
それを知ったのは夕方のこと。家族みんなで病院に向かい深夜まで病院で涙目でフラフラ、日が変わるころに親に連れられて家に戻ったが当然ながら眠れるはずがない。
家に帰ったら家族一同で仏壇に向かい祈りをあげた。そして僕も生まれて初めて、本気で祈ったように思う。
今思うに、
本当に祈るしかないときというのが人生にはいくつかあって、そういうときに宗教というのは必要なんだと思う。
少なくとも祈っている瞬間は、何かしたいのに何もできないというそのどうしようもないもどかしさから逃れることができた。
その瞬間だけは、僕はこの宗教があってよかったと思ったのだ。救われていたのだ。たとえそれがただの逃避だとしても。
とはいえ喉元過ぎればなんとやら。叔母の手術が成功し、自分の生活が通常に戻るにつれて宗教行為をサボりがちになり、
進学を機に親元から離れることで完全にその宗教から足を洗うことになった。
私の宗教に対する考えをまとめると次のようになる
「宗教を必要とする人は少なからずいる。私も必要とした瞬間が一時とはいえたしかにあった。
もしかしたらまたどうしようもないときに必要とするときがあるかもしれない。」
おそらく私は、本質的に宗教行為には興味がなく、思考停止の道具としての祈りしか必要としていないのだろう。
(そしてそのような道具に頼るほど自分は弱い人間であることを自覚している。)
そこには信仰心のかけらもない。苦しいときの神頼みをする自分を自己弁護しているにすぎない。
中高とずっとイジメられていて、殴り殺されたら楽になるのにとずっと考えていた。
当然友達なんて一人もいなかった。
けど、ToHeartやこみっくパーティーやToHeart2のアニメを見るために、東映KANONのアニメを見るためにとりあえず生きていた。
P/ECEに音楽を入れて電車の中で聞く時間だけが救いだった。(叩かれそうだから、ボカして書いてるけど色々察し欲しい)
そして、ToHeart2のアニメを通じてラジオという人間が生み出した最高の娯楽と出会い、少し前向きになり、
そのラジオで話されていた「同性愛」というものに興味をもち、ジェンダーについて学びたく大学進学のために勉強をはじめた。
相変わらず友達は一人もいなかったけど、教授や院生の先輩たちと仲良くなった。
最初は教授の外国語の講義で興味をもって、その教授の交通学の講義をとって、その教授のゼミに入って、
そこで交通シミュレーションのプログラムに触れたのが、僕が動いているプログラムに触れたはじめたの体験だった。
教授自身に興味をもち、交通学に興味をもち、そしてプログラムっていう仕事に繋がる楽しいことが見つかった。
論文を書いて学会に出たはいいけど、質疑応答でしどろもどろになって、ホテルで教授に慰められたのもいい思い出だ。
四回生の先輩の卒論用のプログラムを代わりに書いていたら、気づくと卒論の本文までほとんど僕が書くことになったのも
自分が四回生になったときに、ゼミの人たちのプログラムの大半に携わっていたのも、大変だけど本当に楽しかった。
大学でやっていたFortranとは全然違う.Netをはじめとするマイクロソフトの技術に触れたことで、より一層プログラムが好きになった。
特にSilverlightを使って3DアニメーションのUIを開発したときは、大学の時に学んだ数学がこんな所で役にたつのかあ、とシナプスが繋がる楽しさがあった。
プログラムだけじゃなくて、自分で企画したWebアプリのプレゼン資料の準備をするのも楽しかったし、
派遣でいった先で、Flexに触れて、暇なときにパフォーマンスチューニングをゴリゴリやって、レスポンスを10倍ぐらい早くできたときは
「自分この仕事向いてるんじゃないかな?」とか天狗になって、そのあとそのパフォチューのせいでバグが見つかって大目玉を食らったけど
それでもやっぱり、楽しかった。(本番環境にデプロイする前で本当に助かった)
RIAだけじゃなくて、WindowsFormsでガントチャートをなんのライブラリを使わずにつくる仕事も楽しかった。
D&Dの実装はメンドイし、お客からは「この線を船の形にしてや!」なんて無茶振りにこたえるのも楽しかった。
そのあと、確かSilverlightが実質終焉を迎えた頃、事件があった。
女性社員と個人的にもめたのが拗れて、裁判沙汰になり、和解金を払い解決した。
その事件のせいで、就職した会社にはいられれなくなったものの、タイミングよく独立する上司がいたたため、
その人についていって、仕事に困ることはなかった。
本当に楽しかった日々は、それ以来ツラいだけの日々になった。
なのに、今僕は中高生のツラかったあの日々よりも、ツラいと感じている。
何も理由はない、転職したけど仕事にも不満はない、友達は相変わらずいないけど、Xboxをつければフレンドのアバターが迎えてくれる。
はてなにログインすれば、お知らせのところの赤い丸数字が承認欲求を満たしてくれる。
なのに、今ただただツラい。
本や漫画を読んでも、文章がブロック単位で入ってこない、ただの一文字一文字の羅列としか思えない。
ゲームをしていてもコントローラーを持つ手がいうことを聞いてくれない。
仕事もあれだけ楽しかったプログラミングがただの穴を掘って埋める意味のない作業にしか思えない。
特に女性の声は聞くだけで発狂しそうになる、タオルを口につめないと大声をあげてしまいそうになる。
ただただ、ツラい。
足を動かすのが、トイレにいくのがツラい。
それでも、その上司のことを考えると自殺するわけにはいかないと思い頑張ってきた。
けれど、どうももう僕がいなくても、大丈夫になったと思う。
そう思えたときから、ツラい日々が「どう自殺するか?」を考える日々になった。
今請け負っている仕事が終わるのが三月末。
そろそろ退社の意思を伝えて、六月ぐらいに退社して、自殺しようと思う。
嘘です。
自殺なんてしたくない。
死にたくない、ラジオを聞きたい。
ゲームがしたい。
アニメがみたい。
本が読みたい。
プログラムがしたい。
でも、その全てが楽しくないんです。
誰か僕を見つけてください。
追記