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はてなキーワード: 至上命題とは

2021-07-05

転生者いただろって発見

酔ってパウチパックを開けるのは危険なので気をつけないとな、と思っていたのに最後最後に切り取り部分を切り離す時にシンクにぶちまけ、いや、排水口がにおうのは繁殖した細菌活動によるものから問題ない、と、洗ったモッツァレラチーズを半泣きで食べている。

これに比べれば「白カビはセーフ」はかなり攻めている割に現実的ルールだ。

青カビのチーズを、科学というもの存在しないうちから食べ、統計さえ待たず食文化にしたのマジですごい。しかも比類無きうまさ。

きのこの挑戦とは違う方向にすごい。きのこワンチャンあるし見た目の違いが分かりにくい。でもカビはさ…黒がダメなんだから青は無理でしょ…

しかもその先に人類生存における至上命題解決存在抗生物質発見されるなんて、出来過ぎでしょ。転生者いたでしょ

余談が長くなってすまなかった。人類史のオーパーツのうち、転生者いたでしょってくらい発見が信じられないやつ、なんかないか

2021-06-09

育ちが悪い

朝、エレベーター待ちのとき、社内公示用のモニターを見た。

変なポーズで並んでいる若手社員が映し出されていた。

多分、サイバーエージェント辺り意識イケてる私たち!という社員全員への意識高揚なんだろうなと思った。

そしてドン滑りしてんな。と思った。

自分日本海側のとある町で育った。謙遜支配しているようなところだった。

90年代ということもあり、頑張る人間揶揄するような目風潮だった。

ややアスペ気味で目立ちたがり屋の自分はそこで20年叩かれて目立つ人間憎悪を向けるようになった。

目立つな、恥をかくな、嘲笑われるなが至上命題になった。

ちなみに人とコミュニケーションが取れないことを知ったのは東京に出てからだった。謙遜社会はやさしさも含んでいた。

そんな感じで育ったので目立ちたがり屋の性分が出るたびに謙遜して火消しに必死だった。笑いのネタ自己卑下だった。

はぁちゅうとかネットを華麗に泳ぐ女子はまぶしくて仕方なかった。

そんなわけで、変なポーズ10人くらいで取る若手の彼らは「そういうのもう5年遅れだし、クオリティ低いし、やめろよ恥ずかしい」と私の気分をどーんと落ち込ませた。

本当はもう少しひどいことを思ったが、ここには書かない。自己卑下を繰り返せば人間こんなひどいこと言えるんだなとは思った。

2021-05-28

anond:20210528230242

それは半分は正しいけど残りがズレているよ。

スポーツ選手至上命題は「勝つこと」ではなく「勝って客の人気を得ること」だから

もちろん勝つの大事だけど、それ以上に人気商売なので、勝っても不人気になってスポンサーに降りられたら負け。

ラケット破壊はセーフか、アウトか。それは客が決めて良いこと。

スポーツ選手なんて所詮は単なる客商売コマなんだから

ラケット破壊批判する日本人生産性が低いのは当然

まだラケット破壊についてブツブツお気持ち表明してる連中を見て、改めて、日本人って終わってるな、と思わされた。

プロスポーツ選手にとって最も重要なことは、勝つことだ。

勝てなければ何の意味価値もない。

他の要素は全て勝ってからの話。

本人だけの問題じゃない。

支えてくれるチームや導いてくれるコーチ、道具を提供してくれるスポンサー、全ては勝っているか存在していて、勝つことが最大の恩返し。

大坂なおみ世界トップだ。勝つことによってその恩恵を支えてくれる人たちに日々返している。

勝てなければそれはできなくなる。

つの大事。非常に大事ラケット破壊して勝率が上がるならやるべきに決まってる。

勝利でも、生産性でも、トップは何らかの至上命題を持っており、他のことを後回しにしても注力する必要がある。


この「至上命題」「必要性」を全然理解しないのが日本人なんだよな。

生産性の向上は社会にとっての至上命題だ。

それなのに、勝てればいいわけじゃないとか、勝つより大事なことあるだろ、とかヌルいこと言いながら負け続ける。

生産性より大切なものはある、などとわけのわからない観念論に逃げる。

目先の「道徳」にとらわれて、生産性を向上できない。

すると当然、全体の取り分はシュリンクする。

スポーツチームなら解散すれば済むが、社会全体なら弱者を切り捨てる方向に走る。

しかし奇妙なことに、自分は優しい人間だとか思い込み、優しいから、道徳的だから勝てない、世界が悪いなどとほざく。

至上命題を全力で達成しないことこそが、最も不道徳であり、自分を悪だと思っていない最悪の存在なのだが。

2021-04-17

中国間抜け過ぎない?

中国にとって台湾統合したいというのは至上命題というか最重要戦略だとは思う。

だけど、一方で、台湾沖のシーレーン中国が扼することで日本海路が阻まれたら

日本石油オーストラリア南側回りで輸入するか中国の顔色を窺い続ける必要が出てしま

石油輸送費の増大は物価ガソリン代に影響して、深刻な問題になるのは予想できる。

輸出入品は何も石油に限らないし輸出入先はシーレーン上の各国で西アジアだけではない。

から日本米国にとっては、台湾沖を敵とみなした国が掌握する事は許せない。

関係諸国は、そういう共通認識を持っているはずだし、中国台湾統合したいなら

日本尖閣諸島問題などで刺激する事は、百害あって一利なしだったと思うんだよな。

しろ日本安心させて味方に付けて、中国台湾沖を握っても被害はないよと安心させて、

出来れば日米離間し日中という枠組みを作るべきだった。

だけど、日米離間どころか、長年にわたって歴史問題や、靖国参拝尖閣諸島問題日本を刺激し続けたので

今や日本人の8割以上は中国は敵、アメリカに頼るしかないという認識を持つに至った。

敵にシーレーンを握られれば終わりと恐怖を持たせてしまった。この現状変更には50年はかかるだろう。

日米が組むことになればファイブアイズはもちろん日米側、QUADも日米側、勝ち馬に乗りたがってEUが加われば

中国には三跪九叩頭が待ってるだけだ。そして実際に、もうそうなった。日米による台湾防衛宣言がなされてしまった。

間抜けだよなぁ。100年の大計ってものがなかったのかな?

すっごく不思議なんだけど、歴史を後から見ると、間抜け判断連続になる時期がある、そんなものではあるよね。

2021-03-06

anond:20210306063818

おっしゃるとおりにいたしま

 ↓

ノウハウ流出ちゃうから

こんかいは手伝わせることができないし

忙しいか

おてつだいの内容を考えてあげることができない

他の人もそう言っていた

作業を考えるだけで苦痛

そういう業界なんだなぁ

邪魔者だよね わかる

そういう業界

自分がそういう立場になった時 邪魔者扱い

そうだろうな

あなたがそういう立場になった十時

モブの人みたいに

速やかに消えることを至上命題にしている

人にとっては

そうだろうなぁと思う

価値観が違うけど

理解はできる 共感はできないけど そんなもん

2021-02-09

anond:20210208215333

女性が求めてるのはこういう話題共感のために消費することだけだよ。

そんな論理的なことは考えてない。考えてたとしても本質的にそれを目的としていない。

自分の属してるコミュニティ内で、自分が上手く立ち回るための具にする以外の価値見出してない。

どんなに意識高そうなこと言ってても、実のところそんなことはどうでも良い建前で、集団の中に上手く存在し続けることが至上命題

からそうやって悩むだけ無駄だよ。

2021-01-24

歳とともに臆病になっているのを感じる

たとえばいいなと思った異性に対しての態度。

以前は照れとか拒絶される恐怖とか感じながらも、スマートとはいえなくともなんとかして話しかけるなどの行動ができていた。

しかし今はできていない。

結果はともかく、行動しないことには何も始まらないし、起こらない。

歳とともに価値観が変わり、プライドは上がるが自分価値は下がる、自信もなくなっていくことが原因だろう。

このままでは私は男として一度も花開くことなく一生を終えることになる。

この状況を打開するために必要な「勇気」を身につけることが至上命題である

2020-09-15

性風俗業が対象外とされているのは職業差別だとして提訴した女性経営者って、よりによってデリヘル経営者なのか。

デリヘルに「経営者」って存在意義が分からない。

店舗型の風俗店ならまだ分かる。場所設備提供とか、何かあったら男スタッフを呼んで対処するとか何とかで恩恵を受けるという理屈が成り立つから

でもデリヘルって「経営者」、要らなくない…?めちゃくちゃ搾取のものじゃない?

ていうか、常にお国に逆らうなを至上命題とし、なおかつ性風俗産業を肯定するネトウヨミソジニスト的にはこういう行動ってどういう評価なの。

2020-08-20

怒る理由を探す人たち

世の中には、人生における至上命題が「他者のあらを探すこと」という人たちが一定存在する

他者というのは、同級生であったり、職場の部下であったり、恋人であったり、家族であったりするが、基本的に彼らが”強者”サイドに立てる何かしらの要素を持っている相手になりやす


アラを探して何をするかといえば、そこを責めるのだ

責めることで、精神的優位性を得られることになる



それはたとえば、「晩ご飯何がよい?」と聞かれ「何でもよい」と答えておきながら、出てきたモノが微妙だとナンクセをつけること

それはたとえば、旅行の行き先を二択まで絞っておきながら最後相手に決めさせ、行った先が激混みで文句を言うこと

それはたとえば、絶対ミスが生じるような作業を部下にさせ、ミスが出た時点でそれ見たことかと説教を始めること


彼らの目的晩ご飯満足度を上げることでも旅行を楽しむことでも部下を成長させることでもない

相手を責める理由を作り、責めることで "自分相対的に上に立てた" という一時的な満足感、という名の錯覚を得ることだ



確実に関わってはいけないタイプ人間なわけだけど、彼らも好きでそういう精神状態になっているわけではないというのが難しい

この辺りは自分も独学なので誤認や知識不足もあるだろうが、だいたいは育ってきた環境依存するらしい


反抗期での衝突の不足であったり親から愛情の不足であったり安心感の不足であったり、いまでいう自己肯定感の欠如の源流に近いものもあるのだろうか

そういう歪んだ環境で育った人間が、自分(の育った環境)に問題があったと認識すること自体が難しい



他人に指摘されたところでそれを受け入れるほどの心の余裕がない彼らには、自分で症状を認める以外の選択肢はないのかもしれない

2020-07-26

お前らに「人権」なんてないよ?

元を正せば「人権」って西洋から来た押し付け概念であって全人類普遍的に受け入れた概念でも何でもない、歴史も何もない考え方な訳よ

そんなに有難がるものでもない。なのに至上命題みたいに扱うのっておかしくないか

西洋の、もっと言えば西洋白人たちが考えたサイキョーの考えが人権だってだけで、それに従わない奴は悪だ!って言ってるのっておかしくないか

優生思想に基づいた人種差別と何らレベルとしては変わらないと思うんだけど。何でそんなに人権が大切なんだ?誰か教えてくれ

2020-07-18

渡辺明孤独な闘い

 藤井聡太棋聖誕生し、世間は大きく湧いている。

 けれど、ここでは、番勝負で敗れた渡辺明二冠の話をさせてください。

羽生藤井の間

 渡辺明は、昨年このような発言したことがある。

「今の棋士自分も含めて、歴史的には羽生藤井の間、という位置づけになるんじゃないですかね」

2019年2月27日付「日本経済新聞」夕刊)

 いつものようにニヒルな笑いを浮かべて、彼はあっけらかんとこのようなことを言った。

 しかし、この発言は私にとっては結構な衝撃であった。渡辺明は、羽生の次は藤井時代だ、自分時代を作る棋士ではない、そう言ったのである

 この言葉意味は、とてつもなく重い。

 渡辺明は、紛れもない「天才である

 中学生棋士になり、20歳将棋界の最高タイトル竜王を獲得する。

 玉を堅く囲い、針の穴に糸を通すような細い攻めを見事に通す。理路整然としたその将棋は、美しく、絶品である

 2008年には、羽生善治との頂上決戦を3連敗4連勝という劇的な結末の末制し、初代永世竜王の座を手にする。

 こうやって書くと、渡辺棋士人生は栄華に満ちているようであるしかし、そうではない。彼の棋士人生は、常に孤独との闘いであった。

 渡辺の同世代で、彼と同じレベルトップを張り合える棋士はいなかった。渡辺は、若いから、一回り以上も上の羽生世代と「たった一人で」しのぎを削り続けた。

 羽生世代は、底知れぬ力を持った将棋怪物たちである渡辺は、たった一人で怪物たちと剣を交え、互角以上の戦いを続けてきた。

 最強の羽生世代と争ってきた彼は、これまで年下の棋士タイトルで敗れたことがない。はっきりいうと、「格」が違うのである。踏んできた場数も、積んできた経験も、何もかもが違う。孤独と闘ってきたものけが持つ、底知れぬ「凄み」のようなもので、彼は年下の棋士たちを蹴散らしてきた。

 2017年度には、大きく勝率を下げ、プロ入り後初の負け越しを喫する。「衰え」がきたのか-そう思った人もいたかもしれない。

 しかし、渡辺は死ななかった。自らの将棋を大きく改造し、再び上昇気流に乗る。鬱憤を晴らすように勝ちまくり、再び三冠の座に上り詰めた。

 そんな渡辺明という天才が、当時まだタイトルを獲得していない棋士を、タイトル99期の羽生の次だと言った。自分飛ばして、である

 渡辺明は、本音をはっきりと口にするタイプで、お世辞で人を持ち上げるようなことはしない。

 いいものはいい、ダメものダメと、はっきりと言う。

 「羽生藤井の間」との発言も、率直な彼の実感なのだろうと思った。そう思うと同時に、私は恐ろしくなった。

 藤井聡太とは、いったいどれほどの棋士なのか。どこまで行く棋士なのか。

 天才しか、見えない世界があるのだろう。言わば藤井聡太は、「天才から見た天才」。雲の上の、そのまた雲の上にあるような世界は、想像も及ばなかった。

 想像も及ばないから、見てみたいと思った。渡辺明と、藤井聡太によるタイトル戦。その舞台を、心待ちにした。

抗いの舞台

 待ち望んだ舞台は、時を経ずに実現する。2020年6月渡辺が保持していた棋聖タイトルに名乗りを上げたのは、藤井だった。

 

 「なるべくなら藤井と当たりたくない」そう言って笑っていた渡辺だったが、藤井聡太にとって初のタイトル戦を待ち受けることになるのは、自分だった。

 このあたりは、強者宿命である。あるいは、将棋神様が、渡辺に課している試練なのかもしれない。

 渡辺明は、自らが「時代を作る棋士」と評した最強の挑戦者と、盤を挟むことになった。これまで蹴散らしてきた年下の挑戦者たちとは違う。そのことは、渡辺自身が、始まる前から一番分かっていただろう。

 棋聖戦5番勝負が、幕を開けた。

 第1局、矢倉選択した藤井は、凄まじい、人間離れした踏み込み渡辺を圧倒する。1三の地点に、飛車と角が次々に飛び込む。鮮烈な寄せ。驚異の見切り。

 将棋から、地割れの音が聴こえた気がした。

 第2局。この将棋に関しては、今も冷静に振り返ることができない。これまで見てきた将棋の中で、一番の衝撃だった。

 先手番で矢倉選択した渡辺将棋は、基本的には先手が主導権を握ることのできるゲームで、特に渡辺の先手番は抜群に強い。用意周到な作戦で一局を支配する、それが渡辺である

 その渡辺が、何もさせてもらえなかった。王手すら、かけることができなかった。藤井が放つ異筋の手が、渡辺矢倉破壊した。観戦しながら、頭が割れるような、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。こんなことは、もう後にも先にも訪れないかもしれない。

 「いつ不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢」。渡辺ブログでそう回顧した。理路整然とした彼の口からたことが信じられない言葉だった。

 2連敗。これまでタイトル戦でストレート負けをしたことのない渡辺が、あっという間の土俵である羽生の次は藤井時代だといった渡辺言葉は、残酷にも証明されようとしていた。私は茫然とした。最強の渡辺明が、手も足も出ない。自分が見ているものは、悪夢だと思いたかった。羽生世代という怪物たちと剣を交えてきた渡辺。その渡辺の、剣先すら届かない。こんなことがあるのか。私は叫び出したい気持ちだった。

 2020年7月9日棋聖戦第3局。私は仕事を休んでこの将棋を観戦した。藤井聡太の初タイトルを見るためではない。渡辺明の「意地」を見るために、仕事を休んだ。このまま終わる渡辺ではない。そう自分に言い聞かせながら、食い入るように盤面を見つめた。

 第3局、渡辺は角換わり腰掛け銀で、90手目のあたりまで想定していたという、圧倒的な研究を投入する。研究の多さと深さは棋界随一の渡辺だが、今回投入したのは、とっておきの中でもとっておきの研究だったと思う。藤井聡太から白星を挙げる。たった一点の至上命題を果たすため、渡辺はついに、極限まで研ぎ澄ました剣を抜いた。序盤から中盤、ほとんど時間を使わない渡辺研究範囲時間を使わずに指す、この徹底的な合理主義渡辺の特徴だ。用意周到な研究リードを奪い、抜群のゲームメイクで、渡辺は一局を支配し、離さない。藤井の追撃も凄まじかったが、序盤を飛ばして残しておいた時間最後に物をいう。渡辺、腰を落とし、崩れない。そして、ついに藤井が頭を下げる。

 渡辺明藤井聡太に初勝利。「これが渡辺明だよ!」今度は、本当に叫んでいた。もし、渡辺が何もできないまま3連敗していたら、私はしばらく将棋を見られなくなったかもしれない。しかし、3連敗する渡辺ではなかった。3連敗など、するはずがなかった。

 この勝利は、たんなる1勝ではない。もはや渡辺明の「凄み」としか言いようがない。盤を挟んだ目の前にいる棋士は、まさに今、次の時代を切り拓こうとしている。渡辺にとって、その「圧」は凄まじかったと思う。自らを飲み込もうとする圧倒的な濁流に、渡辺は自らの強みである研究」で立ち向かい、そして振り払った。あの舞台でこんなことができる棋士は、渡辺明以外にいない。大舞台で、濁流に抗う。孤高の棋士渡辺明が報いた、最強の「一矢」だった。

 棋聖戦第4局。先手番となった渡辺は、第2局で完敗した急戦矢倉作戦を再び用いた。胸が熱くなった。「気付いたら敗勢」そう振り返った、渡辺にとって悪夢のような将棋である。負けたら終わりの一戦で、再びこの作戦選択することには相当な勇気がいる。しかし、渡辺悪夢悪夢のまま終わらせておく男ではなかった。自身が完敗した将棋を徹底的に研究し、改良手順を藤井にぶつけたのである妥協を許さない、トッププロとしての威信をかけた将棋だった。

 渡辺研究は功を奏し、互角からやや渡辺有利の形勢で局面は進行する。しかし、藤井は全く崩れずに渡辺のすぐ後ろをひた走る。紙一重の攻防の中で、渡辺盲点の一手があった。藤井の攻め駒が、気付けば渡辺の玉を左右から包囲していた。「負け」。渡辺は、このあたりで覚悟を決めたという。

 ピンと背筋を伸ばした渡辺が、「負けました」と声を発する。渡辺明棋聖戦が終わり、史上最年少タイトルホルダー、藤井聡太棋聖誕生した瞬間である

 

次の機会

 激闘を終えた当日の深夜、渡辺自身ブログ更新した。そして、自身将棋を、淡々と、それでいて的確に分析する。信じられないような完敗を喫した第2局の後も、タイトルを失った第4局の後も、その姿勢は全く変わらなかった。目を覆いたくなるような将棋を、淡々と振り返る。それも、当日の夜に。普通人間なら、抜け殻のようになっていてもおかしくない。すぐに敗局の分析をする。これもまた、渡辺の「凄み」である

 「負け方がどれも想像を超えてるので、もうなんなんだろうね、という感じです」

 渡辺はそう述懐した。藤井聡太と初めてタイトル戦を闘った男の、偽らざる本音なのだろうと思った。棋界のトップを走り続ける男が、「想像を超えている」と述べた。その意味は果てしなく重い。

 渡辺トッププロとしての矜持を胸に、全力で闘い抜いた。第1局、第2局では、昼食に高額なうな重を連投した。これは、藤井聡太が昼食の値段を気にせず、好きなものを頼めるようにした配慮だと言われている。藤井聡太が残り時間3分の場面でトイレに走った時、渡辺は次の手を指さなかった。そこですぐに指せば、藤井の持ち時間を減らし、追い詰めることもできた。しかし、渡辺藤井が戻るのを待ってから盤上に手を伸ばした。藤井を戸惑わせるような「盤外戦術はいらない。時代が動くか動かないかというこの戦いにおいて、そんなものは「邪道」でしかない。渡辺は、藤井が全力を出せるように環境を整え、「将棋」で真正から勝負した。

 結果は、1勝3敗での敗退。「羽生の次は藤井時代」という渡辺言葉が、現実のものになろうとしているのかもしれない。藤井聡太時代が、今まさに幕を開けたのかもしれない。

 しかし、渡辺抗う。自らが発した言葉に抗い続ける。そう信じている。

 「次の機会までに考えます渡辺はそうブログを締めくくった。渡辺は、もうすでに「次の機会」を見据えている。ここからまた、渡辺明の闘いは続く。

 渡辺明二冠、棋聖番勝負、本当にお疲れ様でした。これからも、ずっと応援します。

2020-06-28

さよなら青春

夢を見た

中学生の時に単純に好きとも嫌いとも言い切れないクラスメート女の子が夢の中に出てきた。そいつと親密に接する夢だった。別に健全な内容の夢だ。

起きてすぐ、何とも言えない嫌な気分になった。

今までに夢にそいつが出てきた時はあまり何も思わないか、どちらかと言えば嬉しい、と思っていた気がする。

実際にそう思ったことに正しいもくそもないが、何とも言えない嫌な気分になるのは今までで一番正しい気がした。

そういう気分になるということは、自分がいままでずっと何を考えてきたのかようやくだいたいわかった気がした。

 

今までの自分人生で一度も誰にも言わなかったことを書く。

大した話ではないかもしれない。

手紙恋愛地獄

現実の話。

中学生の時ある事件があり、クラスメート女の子が落ち込んでいるか担任からそいつに対して全員それぞれ手紙を書けと言われた。

俺は小学生の時から作文が苦手で毎回「何を書けばいいのかわからない」と思い、書き出すまで相当時間がかかってしまう。(今思うと多分これが自分人生でわかりやすポイントだと思った)

事件は単純な嫌がらせの話で、自分からそいつに言えることはあんまりないと思った。

今まで特別したことないクラスメートの異性だし。

容姿が良くて優秀、でもなんか知らんが中の良い友達1人とだけずっと話しているというイメージのやつだった。

負けるながんばれ!というような力強いことをあまり悩まずに1行書けて担任に預けた。

普段から全然そういう風に言う性格ではないが、単純にそれが一番心に伝わる言葉だと思ったのでそう書いた。

全員から手紙集めた担任が、帰りのホームルームそいつに全員の手紙を渡しホームルームが終了し帰宅した。

そいつがそのまま自分の席で手紙を読んだのか家に帰ってから読んだのかは知らない。

 

翌日から、変わった。

実際にはそこではないのかもしれない。でも俺の感覚ではそこから変わった。

なぜたった1行、それだけでそいつの俺に対する反応がそんなに変わるのかわからなかった。

ドン引きされるかもしれないとも思っていたが、確かにそいつの心に伝えられる謎の自信もあった。

でもそんな…そんなにそいつが変わる、しかもそういう方向の反応になる…そんな俺にとってムシの良いことがあるのか…。

なんで俺にそんなに関心を持っているんだ??

目が合うと負の感情ではないすごいエネルギーが送られてきて顔が赤くなってくる…嫌な気持にはならない。そんな感じだった。

 

他のやつの書いた手紙もっと何行も書いているやつもいたらしい。担任から褒められていたのは他のやつだった。

普通に、他のやつに対しても変わっているのに俺に対してだけ変わった!?気持ちの悪い誤解をしているのかもしれない。

俺は、明らかに違った態度をしてくるそいつ毎日キドキするようになった。

そいつ容姿が良いのでそういう風になって欲しい、という欲望はもともと確かにあったかもしれない。

俺は同年代でも見た目が幼く大人いからか女の子から親切にしてもらえることは比較的多かったが、あくまで親切という感じでそれまで誰かと親しくなることもなかった。

まあ、とにかく嬉しいに決まっている。

だが…

なぜたったそれだけでそいつが変わるのかわから

本当に、心底、

だんだんそいつがとても怖いとも思うようになってしまった。

本当に。

 

俺の一挙一動でまたそいつが何か良い方向にも悪い方向にも変わってしまうかもしれない。

単純に嫌われるのが怖い、だけとも違う。

当時からインターネットで調べることができたので自分が脇見恐怖症と思われるようなものになっていると分かった。

好きな気持ちよりも怖い気持ちの方が上回ってしまうようになっていた。

だれにも相談できずずっとどう接していいのかわからず、

結局何もなく卒業した。

そいつからしたらなぜ俺があんな感じだったのか、嫌われてるのかなんなのか意味が分からなくて苦痛だったと思う。

全部自分の都合の良い狂ったストーカーのような妄想なんじゃないかと思って今までの人生で一度も誰にも話したりしなかった。

というか今思えばどう考えても普通に俺以外にも気に入ってるやつは何人もいただろう。自分がそうであったように。

もう30代だからどう考えても都合よく記憶改ざんしていることは山ほどあるとは思う。

現在

そいつが出てきた夢から覚め、何とも言えない嫌な気分になった後、

その時から現在までの自分を考えた。

ずっと俺は何においても自分が単純に怖がり、ヘタレだと考えていた。

具体的に考えてみたが、おそらく何においても選択を間違えることが異常に怖かったのだと思った。

怒られたくない。文句を言われたくない。恥をかきたくない。

それで家を出た今親とも連絡しなくなってしまった。

日常会話でこれを言ったら空気読めてないんじゃないかと思い発言時間がかかる。

自分の好きなものを正直に友達にも家族にもなかなか言えなかった。

自分の良い面だけ見せたい。自分の悪い面は隠したい。

ネット上ですらうっかり変なこと書いて馬鹿にされるのが怖くて匿名掲示板にもなかなか書きこめない。

就職先、やりたいことがない。必然的に楽で儲かる仕事をしたいと考える。でもどこが良いのかよくわからない。

成功したい。どうにか正解の選択肢を選びたい。

友達も選びたい。恋人も選びたい。でもうまく嘘をついて断ったりとかちょっとでも卑怯なことはバレるのが怖くてほとんどできなかった。

優秀な奴ならできるのかもしれない。でも自分能力ではそんなことはなかなかできない。できない自分を受け入れられない。

他のやつはうまくやれてるように見えるのになぜ自分はうまくやれないのかわからない。

でも初見で正解の選択肢を掴むことが至上命題のように考えてしまう。

負のループ

物事は表裏一体で、頑張ろうと自分だけを厳しく追い込むと必然的他人にも心のどこかで嫌な風に思ってしまう。親切に遊びに誘ってくれる友人にさえも。

どこかで自分を許さないと他人も許せない。

それでは人はついて来ない。だからずっと俺は孤独なんだ。

ようやく自分と向き合えた気がする。

でも気がするだけで合っているかは多分一生わからないしそう簡単には変われない。 

 

これから

あれから同窓会かにも全く行っていない。学生時代の誰にも会いたくなかった。嫌だった。

俺の連絡先をクラスメート誰も知らない。でも実家に連絡があったという話も聞かないのでそもそもハブられてるのかもしれない。

ただクラスメート全員に会ってみたい気持ちが少し出た。

理由。年々知っている有名人が死んでいくから。30代とかで若くして突然死ぬ有名人もいたから。自分も嫌になって全部投げ出そうかとかたまに漠然と思うから友達がいないから。結婚してないから。糞だと思う。こんな30代になりたくなかった。

あいつに会ったとして何事もないようにふるまうべきなのか、何もかも正直に話して謝るのかまだよくわからない。

ただ、会ったとしてもも別にかになっていると思う。

俺は論理的に「卒業してクラスメートの誰かが結婚してようが何してようが別に同一人物だろう。同じ名前人間なんだから。」と、ずっとそう思っていた。

でも一緒に過ごした3年間とかの時間よりも、何倍もの時間自分とは別のところで既に過ごしている以上、それはもうほぼほぼ別の人間に入れ替わっているようなものだろうと気付いた。

みんな毎日色んなものを食べ想像もつかないくらい膨大な量の身体組織が入れ替わり、色んな経験をしている。

懐かしい話ができるかもしれない。ウマが合うかもしれない。でも、それを話す人はもう別の人間だ。あの頃の俺もあいももういない。

 

それが分かっている奴は卒業式で泣くんだろうと思った。

卒業式、人生で俺は一回も泣かなかった。

小中高、俺のクラスのやつらも大体が泣いていなかった。

そういえば、なぜ俺のクラスのやつらは卒業式であまり泣かないんだろう、とずっと前から心に引っかかっていた。

 

 

おわり

しかしたら自分のような人がいるかもしれないと思い、書いた。

俺が誰かに相談できたり、同じような共感できる人がいたらもっと早く何か変われたかもしれない。そう思ったので書いた。

俺は去年頃からから好きだったミュージシャンかにようやくメッセージ送ったりできるようになった。

2020-06-04

続:あつ森を楽しめない自分人類の仲間になれない

以前の増田のものです。

少し付け足します。

自分クエストとかお遣いとかストーリーに沿った動きが好き、というわけではありません。まったくそういうものがない某ゲームにはまったこともあり、自分がしたいことを目指すのが嫌いなわけではないです。

ただ、あつ森は創造的なものをする土壌とは思えなかったのです。どこまでいっても作業の積み重ねです。箱庭ゲーの特徴かもしれませんが、結果は作業時間に比例します。つまり作業を多くすれば結果は伴う反面、工夫の余地があまりありません。また、どこまでいっても蒐集の域を超える物ではありません。庭や建物を作るにしても、それらが相互に影響し合って予想もしないことに繋がるかと言えばそんなわけではないですよね。例えばマリオメーカーマイクラのように、計算機を作るといった芸当はありません。

ポケモン世界観を作る人は本当にすごいと思います。少ないものアーティスティックなことをするのは素晴らしいと思います。だけどそこまででなければ自己満足世界です。その自己満足世界を形作るのには徹底的な作業ゲーでしか到達できません。その作業ゲーには住民との会話が含まれ、それが少しでも面倒になったらこゲームは木を切るか石を割るか釣りをするかしかない単調極まりないものに変貌します。

資格勉強のために漢字練習帳を埋めるような行為だと私は思いました。いったいこのゲームはなにを目指しているんだろう。自分の見えないものを他の人は見ているんだろうか。

横にずれますが、某ゲームでは現実フィールドアーティスティックな絵を描くことが可能であり、それを利用した協力プレイをよくしていました。そのゲームでは自身の動ける範囲選択肢がとても限られる上に、1ワールドゆえに他者から妨害を受ける可能性が非常に高いのです。よって時間をかけて一つのサーバで大作を作る、ということは不可能であり、覆って一瞬で作業を行うために綿密な作業行程の周知や様々な協力をする必要があるのです。

ゆえにそのような協力プレイは総プレイ時間ゲームの腕前はあまり関係なく、むしろ社会での能力現実空間でどれだけアクティブに動けるかなどが求められます。ようは結果ではなく過程や準備こそが重要でした。そこにあらゆる可能性があったが故に面白みがあるのです。

しかしあつ森のような、自分の閉じた世界だけで満足しなければいけないゲームでは、結局プレイ時間を増やさないとやりたいことが一切できません。また街を発達させることこそが至上命題のような節があり、そこが自分に一切合いませんでした。だって家具家電や住人に特に面白みがないのですから

逆に好みのアイテムがあればそれでよかったかというと、そんなわけでもありません。そもそも蒐集が得意ではないのです。

単調作業の繰り返しでも面白ゲームはたくさんあります。ただ、あつ森にそれはいらないかなと。あえていうと青バラの要素が無数にあったら楽しめたのかもしれません。

anond:20200602145522

2020-05-13

anond:20200512021208

アンチ安倍の主張とは裏腹に、安倍政権ビビリだから、新解釈の強行でも改竄でも、コトの本丸には手を付けない傾向にある。

原理的にはやりたい放題になる可能性はあるんだが、それを利用してめちゃくちゃやるのかというと、そうでもない。

森友の改竄も、読めば確かに文書趣旨は変わっておらず、まあ政治家とか首相夫人名前が消えてたんで一部の人らは発狂してたけど、

彼らの関与で土地の値段が下がったわけではないのは明らかだったんで、あれ、野党マスコミビビりすぎたのが最大の失態なのよ。

要は安倍政権というのは、とりあえず政権が存続することが至上命題になっている感すらある。改憲ですら与党陣営へのポーズに見えてしまう。

安倍が巨額のカネを動かすとか、どこ見てもないでしょ。疑惑になるのは、政権周辺の、せせこましい案件ばかりだ。

それにしてもポスト安倍となると、与党にも野党にも、インパクトのある経済政策を語れるものが少ない。

しろ維新が緊縮の側から存在感を増してきてやばい

ええ、安倍のやってることは緊縮ですよ。ただし安倍に信念はない。風向きが変われば、コロッと2回消費増税を延期したりもする。

信念がなければこそ、財政拡大派の学者をしれっとブレーンに据えたりもするし、またその下で金融緩和だけ続けつつ、財務省の言うがままインフレにならぬよういわゆるデフレスタビライザーで財政出動を抑え、財政健全化の実績を作っていたりする。

しかしこんな右往左往安倍に対してですら、特にマクロ経済政策において、アベノミクス問題点個別に指摘し、うちの党は金融政策はこうやる、財政についてはこうだ、と語れる政治家ほとんど皆無だ。

カネを右から左に移すことしか考えてない政治家多すぎ。

アベノミクス金持ち優遇格差拡大!としか言えない奴ら、論外。「人への投資しか言えないのも、論外。

さらコロナ騒ぎで増税正当化しようと躍起になっている連中が跋扈している。これに日本国民抵抗するのは、至難のわざだよ。

安倍みたいに汚れまくってる奴より、清廉な顔して、国民のために寝ずに働いてます、この身を犠牲にしてでも国民のために頑張ります、みたいな顔してる奴が、一番危険

2020-05-09

AI支配し、スパコンの性能が社会的ヒエラルキーを決める未来

政治

スパコン量子コンピューター)がすべての政策を決定し、大臣仕事は決められた政策施行することと、国家予算の許す限りコンピューターAIの性能を向上させること。

他国に対していかに高性能なスパコンAIを維持するかが至上命題

テクノロジーの面で後進国に追いつかれるような事態は、決してあってはならないこと。

大企業

スパコン量子コンピューター)がすべての企業行動を決定し、社長・重役の仕事は決められた方針を実行することと、企業資金の許す限りコンピューターAIの性能を向上させること。

競合他社に対していかに高性能なスパコンAIを維持するかが至上命題

テクノロジーの面で中小企業に追いつかれるような事態は、決してあってはならないこと。

中小企業

スパコン量子コンピューター)がすべての企業行動を決定し、社長と重役(いるの?)の仕事は決められた方針を実行することと、企業資金の許す限りコンピューターAIの性能を向上させること。

競合他社に対していかに高性能なスパコンAIを維持するかが至上命題

テクノロジーの面で個人に追いつかれるような事態は、決してあってはならないこと。

個人

スパコン量子コンピューター)がすべての個人の行動を決定し、個人仕事AIの指示を実行することと、貯金額の許す限りコンピューターAIの性能を向上させること。

他人に対していかに高性能なスパコンAIを維持するかが至上命題

テクノロジーの面で他者に遅れを取るような事態は、決してあってはならないこと。

便宜上、今回はスパコン量子コンピューターを厳密に区別していない

2020-03-20

フェミは単に因縁付けて騒いでいるだけやぞ

音声合成技術視点から考える『なぜ案内AI女性なのか』問題

https://togetter.com/li/1483022

フェミは単に自分が気に入らなかったら噛みつくだけなので深く考えるだけ無駄やぞ。

これは赤十字JAの一件を見ても良く判る事や。

からフェミの言い分何て常に変わり続けるし、まともに聞いているだけ無駄評価される事になったんやぞ。

これがフェミニストがお気持ちヤクザと呼ばれ、ゴールポストは常に動き続けると言われる所以や。

しか人間らしい応答のできるAIと言うのは実は至上命題だったりするのだけど、この辺もフェミ特有の固定概念で潰そうとしている辺り、こいつら単なる経済的文化的被害を与える社会悪と言うだけではなく、技術的発展面においても停滞や衰退をさせかねない諸悪の根源とも言える代物になりつつある。

まぁ、このJR東日本のこの代物自体AIと言うよりも昔からある人工無能みたいなものだが。

それとフェミニストとキリスト教等のカルト宗教親和性が高かったりするのは事実としてあるけど、こういう方向性を見てもそれがある意味では納得できる。

悪用する弱者権利問題についても実在する被害が出ている問題よりも自らの思想を優先し、それに利用する為に弱者権利悪用する点は同じだし、更にその弱者権利や場を更に荒らし、より状況を悪化させる点も似通っている。

更に論理的科学説明反論をされてもそれを無視して思い込みだけで規制やら圧力やらを平然とかけてくる。

何より創作物やこの手の人間が人工的に作り出したものが大嫌いだし、こいつらの偽善的な行動が行き過ぎて実害だしまくっている点も同じ。

自身さえよければそれで良く、自身の行動の結果、実被害弊害が出ても責任すら取らないし、どうなろうが知った事ではない。

もはや人類悪そのもの

フェミニストが固定概念押し付けを良くやる事はそれこそJAラブライブの一件で指摘されたけど、この人達こそジェンダー反差別と口先だけで言いながらも実は家父長制に囚われ、逆に男性差別等を散々行っていた事は指摘されつくしている。

この辺のボロが出だしたからこそ、昨今フェミニストやこの手の人権団体が毛嫌いされ始めたし、反社勢力認定され始めたのもある。

2020-02-21

俺はやる。目から下の毛を全て滅ぼしてやるんだ。

中学生になってから生えてきたすね毛や陰毛にずっと不快感を持っていた。

しかし、いざ剃ると周囲から「お前男なのに剃ってるとかホモかよ」と笑われ、嫌々剃るのをやめた。

あれから10年。俺も今年で26になり、堂々アラサー入りをした。

普段剃るのは手のムダ毛と髭くらいなものである。俺は肌が不健康に青白い。その上、髭と陰毛だけ毛深いのだ。

髭は朝7時に剃っても14時にもなるとジョリジョリである残業が続いて24時に退社する頃には完全な泥棒である

これはいけない。そもそも毎朝T字カミソリで剃る時間無駄だ。社畜たる俺は朝だけはしっかり寝ていたい。

朝の睡眠時間10分を確保するのは、我が社畜人生における至上命題に思えた。

何度もショッピングサイトカートから出し入れをし、ようやく腹を据えてト〇〇という脱毛器をポチッた。

4万円。二か月分の食費に相当する高価な機器だ。言っとくがステマでもなんでもねえぞ。まだ届いてすらねーからな。一応伏字にしておいてやる。

何やら家庭用脱毛レーザー機器の中でも、確かな効果のある(FDAとやらの認可が下り効果があるとされる)らしい機器だ。

俺は脱毛のことに詳しくない。軽くggると「今までの家庭用脱毛機器は毛の減量はできてたが永久脱毛はできなかった」とのこと。

正直分からん。とりあえず最新式っぽいのをポチッた訳だ。

脱毛をしっかりしたいのであれば、ゴリラだの何だのっつークリニックに通うのが一番なんだろうけど、2回予約したが2回とも残業説明聞きに行くのすら適わなかった俺は、もうコレ(家庭用脱毛器)しかねえ。

なーーーーにがなんでも、俺の体中に生えるムダ毛というムダ毛を取り除きてえ!!!!!!

マジで気持ち悪い!!!!いらねえよ全部!!!

そういう気持ちが先行したかポチったんだ。

いか、俺は誰が望まずとも届き次第使って正直な感想投稿してやる、粘着質にな。

そしてクソだったらハッキリとクソと書きなぐる所存だ。つか高ぇよ、4万円。

2020-02-19

anond:20200219211119

ありがとうございます

是非とも一緒に頑張っていきましょう。

永年女性社会繁栄こそが私たち至上命題なのですから

でも、きっと存外簡単に達成できると思いますきっかけさえあれば。

私たちがその、きっかけになるのです。

2020-01-22

ゲーム規制から考える「勉強」の意味

「親は子供勉強させる」というのは今も昔も親にとっての共通課題であるように感じる。それはなぜだろう。

物事を極端に単純化してみれば「生物至上命題生物を絶やさないことである」と捉えることもできる。そのためには生命現象を停止させることができる様々な脅威への対策必要になる。生物の長い歴史の中で脅威への対策は「多様性」だった。いろんな脅威に対応できるいろんな個体がいれば、そのうちのいくつかは生き残り、また多様性を生み出して新たな脅威に備える。適者生存による自然選択である

人類はある種この「生物多様化」というトレンドの極端な例外であると言える。なぜならば、人類は高い「知能」を使って脅威を事前に発見し、回避する術を手に入れたから。これまでは平たく言ってしまえば「数撃ちゃ当たる」的なスタンスで脅威に立ち向かってきた生物は自ら脅威を取り除くことができるようになった。つまり人類の最大の武器は「知能」あるいは「知性」であり、これを最大化することが生存の最適戦略であるというのは納得できる話で、故に「親が子供勉強させたい」というのはごく自然欲求であるように感じる。

では「勉強とはなにか」ということを真面目に考察する必要があるわけだが、現代日本人が「勉強」という単語を聞いて想起するのはそれこそいわゆる「勉強であるように思う。それは義務教育の小中学校で行う、教師から生徒への一方的知識の詰め込みだ。このやり方は一見効率はいいし、それらの知識を体得することで未来が明るいことが(実際にはそうでなく集団幻覚としてであっても)約束されている場合には子どもたちも「やる気」にはなるとも思える。しかし、現代においてそれは成り立たない。世界の裏側の(厳密には世界の裏側は海である確率が高いが)人たちの様子が光の速度で伝わってくるレベル地球全体が高度に繋がった時代では最適戦略も変わって来る。

どういうことか。人類の知性が想定しうる脅威は急速に個人の力で対策できるものではなくなっていったのだ。社会形成した人類は一つの脅威に立ち向かうために複数人協調して脅威に立ち向かうことを余儀なくされ、今では数百や数千人を動員する必要があるプロジェクトがざらにある。たとえばがん研究に携わっている人間の数は見積もることすらできるかどうかわからない。研究のためのデータ提供する勇敢な患者さんや一線で活躍するために琢磨する学生たちも含めればゆうに万の桁を超えるだろう。そんな環境の中で生き残るためにはどうすればいいのか、「成功するというのは一体どういうことなのか」についてもっと真剣に考えた方がいいのではないかと思うことがある。

成功定義できない親が「成功のために勉強しろ」と宣うのはちゃんちゃらおかしいのではないだろうか。そもそも小中学生の親程度の年齢で自分人生が、あるいは自分人生観が導いた結論としての成功定義が、本当に子供にとっての「成功なのだろうか。まもなく30に差し掛かる私は統計的にはあと50年ほどの時間が残されている。今子供を産んだらその子小中学生になっている頃に私は40前後計算になる。そこまできてようやく人生の折り返し地点。終身雇用だったとして退職まで残り25年。それまで勤めている会社があるのかどうか、国があるのかどうか、自分の生き死にすら保証されない中で、成功定義付けて恐らくは自分より未来を生きる子供押し付けていいのだろうか。どんなに私ががんばっても遠い国の主宰ボタンを一つ押しただけで、私達の知る世界は消えてしまうのかもしれないのに。

では私はどう思うのか。私は一番大事なことは「勉強がしたい、あるいはしないといけないと自覚した時に、それを全力でサポートできること」だと思う。一口に「勉強」と言っても色々ある。私はずっと科学が大好きで、アメリカの優秀な中学校表彰される程度には科学に関するあらゆる知識を吸収する探究心があった。でも逆に、いわゆる「文化系」の科目は大の苦手、というか大嫌いだった。国語歴史地理、こういった科目には一切の興味がなかったし常に成績が悪かった。きっとそういう人は多いんじゃないだろうかと思う。学校で教えている教科でなくてもいい。たとえばスポーツだって勉強だ。見ている分には非常に単純なマラソンだって勉強しなくてはならないことがたくさんある。その証拠に私はマラソンでより早く走るために何を勉強したらいいのかすらわからない:まずそこから勉強しなくてはならない。

ゲームだってそうだ。私が一時期ものすごくハマっていたリーグ・オブ・レジェンド勉強しなくてはならないことが山ほどある。キャラクター武器、そしてゲームプレイに影響を与える様々なギミックの数値を知り、それを最適に組み合わせて実行に移さなくてはいけない。私はこういったことが得意だったので、最初は上達が早かった。でも次第に自分の才能(熱心に取り組んで考えて成長する力)が足りないことに気がついた。世の中には私よりはるかに上手にこれをこなすことができる人たちが存在する。そしておよそ5年間、毎日時間とのめり込んできたゲームをある日突然全然遊ばなくなった。せいぜい数週間に一度、まとまって友人たちとわいわいとやるくらいになった。そして私はいわゆる「勉強」を始めた。それまで大学を通してやってきたプログラミングに割く時間が圧倒的に増えた。この時私は周りからゲームしろ!」だなんて言われなかった。だからすんなりと離れることができた。

最後に一つ、個人的なエピソードについて語りたい。私は高校二年生最初の学期の時に物理赤点を取った。当然両親には怒られた。しかし次の学期には期末試験で学年二位の点数を取った。なぜか?当然、両親に怒られたからではない。自分が好きだと自負していた物理という科目で赤点を取ったのが悔しかたからだ。私は自分勉強方法見直して、物理という科目への向き合い方を徹底的に変えた。その結果、ものの数ヶ月で私は学年トップを争えるようになったのだ。実際にはクラスの進度に歩調をあわせていたのでもっとくその域に達していたのだと思う。その経験から私は「何かをしたいと、本当に、心の底から思うのなら、それはきっとできる」と信じるようになった。だから逆に、焦っても仕方がないのだとも思うようになった。勉強というのはそういうものなんだろうと、私は思っている。

もちろん、これもまた私が個人的に経験した一つの成功体験でしかない。これが普遍的真実であるとは思わない。残念なのはそのことに気がついたのは私が指導してきた数人の後輩たちを凹ませてしまったあとだったことだ。私は、こういう原則でいるがために、完全に自主性に任せて「できない」ことを「やらない」ことだと決めつけていた。実際には取り組むための「きっかけ」が必要なんだという基本的なことにすら気づかずに。自主性に任せてどんどんと探求する意欲を芽生えさせるためにどうしてあげたらいいのか、私にはまだわからないし、あるいはそうすることが本当にいいことなのかどうかもわからない。だから私は現時点で子供を産んで育てるということをしようとは思っていない。でももし、また誰かが私に学びたいと申し出てきたのであれば、それがプログラミングだろうとゲームだろうと、私はその人がやりたいことに熱中できるようになるきっかけを探す努力をできるようになりたいと思っている。

2019-12-12

ヴィーガンにも環境活動家にもフェミニストにも弱者人生は救えない

 ヴィーガンかいう人々がいるらしい。動物人間と同じように扱うべきだと考えて動物を食べないとか。ふーん。結構なことだ。

 なんとかい環境活動家がいて、こいつを批判する人は現実から逃避したい人だとか少女が偉そうにしてるのが気にくわない差別主義だとか言われるらしいね環境保護、立派と思います

 エロ本萌え表現存在するだけで女性差別が強化されると思い、男女平等理想のために表現規制をしたいフェミニストってのがいる。男女平等、偉い偉い。

 でもこいつらは、人間人生に、人生意味生き甲斐を与えることにはすこしも興味がない。「平等であれ」という倫理世界に広げることには興味があっても、社会の片隅でひっそりと生きている独身弱者男性の生きがいが奪われることには興味がない。

 

 人生意味を語ることは非合理な宗教信者しかできない。世界はただ存在して、人間は誰かが避妊せずセックスした結果としてのみ生まれ生物学必然としてのみ死んでいく。この世界で、子孫を残す望みのない弱者独身者は、孤独人間は、何を希望に生きればいいのか?ただ自分寿命を維持するためだけにクソみたいな労働をして、雀の涙みたいなカネをもらい、家畜の餌みたいな飯を食うだけの人生を浪費する。こんな人生に何の希望があるのか?

 

 虚無にまるっきり等しい人生ごまかすためのもの何だか分かるか。1つは肉を思い切り焼いて食うこと。1つは度数の強い酒を飲むこと。1つはオナニーをすること。強い快楽を脳に浴びせ続けて、絶望を忘れ続けることだ。

 上に挙げたような人たちは倫理的に生きることだけを至上命題としている。それも、動物未来世代女性と、他者との関係の上での平等を中心にしている。でも僕たちが倫理であるのは人間関係を円滑にして自分生存を維持するためであって、全ての動物地球で仲良くするためではない。環境大事にしようと思うのは残された子供世代が生きることを考えているから生まれる考えであって、独身子供を持たない人間にはなんの利益ももたらさない。社会で生きる女性就職賃金地位の面で不利益を受けているのは正されるべきだと思っても、わざわざ見に行かなければ何の影響ももたらさないような表現規制することが女性社会進出に役立つ度合いが、弱者独身男性のオナニーの機会を奪うことまで正当化できるほど大きいとは思えない。

 

 僕たちの生きる意味、いや、生の絶望ごまかすための手段が、こんなことで制限されていいとでも思っているのか。

 倫理的に生きることは、よく生きることに優越しない。絶望生存のぎりぎりのラインを生きる人に、そんな強い倫理要求を課す権利があるなんて、何で思えるんだ。リベラル欺瞞なんてことが言われるのは、他者と対等に交感しあい友と親しい関係を築くことが人生意味だなんて大層なことを言いながら、自分達には下品な性欲も食欲もありませんみたいな振りをしつつ、それを代替人生意味を補うための家族友達金も職業弱者が欲しいものは全部持っていて、何もない孤独独身男性に偉そうな倫理マウントをとるからだ。

 現代倫理エリート活動家どもには、人生無意味直視してもらいたい。弱者孤独独身で救いようのないゴミ人間も、命を持って生きていることに対して向き合えないなら、お前たちの思想にも活動にも何の意味もない。

2019-11-14

なんで誰も権利濫用公共の福祉を軸に離さないの?

フェミと呼ばれる方々が元気だ。この世から一切の萌え絵排除してあわよくばそういうのを法律禁止すべき、そういうのが好きな男は粛清すべき、くらいの過激な事を言う。

アンチフェミもそれに呼応して元気だ。あいつらはなんの問題もない事をギャンギャン大袈裟に騒ぎ立てる、俺らの人権侵害して奪い去る事が至上命題のようだ、俺たちの権利を守れ!俺たちはターゲットにされている!そこかしこに堂々と可愛い萌えキャラがボディラインを強調したイラストが貼られることは許されるべきだ!

なんでこの人たち0と100だけで話してんだろう?いや、殴りあってんだろう。

少し考えたんだけど、どっちも公共の福祉無視しながら権利濫用してんだよ。

公共の福祉って言うのは、誰かの権利を守る事で他の誰かの権利侵害されないようにバランスを取ろうぜ!っていう考え方。

権利濫用って言うのは、いくら権利があるからってそれを振りかざしてわがまま放題するんじゃねーぞ、っていうかんがえ。

どちらも学校で習うけど、じゃぁ実際なんだよっていうことは全然教わった気がしない。

まぁ、この二つを大雑把にいうならば、「確かに権利はあるけど、このくらいの侵害なら許容範囲かな」っていう綱引きだ。

ラディカルとか原理主義とか言われる人らはこの許容範囲がすごく狭いか又は0だ。

例えば献血ポスター萌え絵採用しても良いけど、ボディラインは強調しない(と言うか萌え絵は何着ててもボディラインが丸見えなんだよね)し、変に色気だしてないとか、デザインや構図も献血宣伝にきちんと関係してるなら良いか、とかだよ。

から、みんな法律の都合いいとこだけ切り取ったり、なんかそれっぽい理屈捻り出して全勝狙うんじゃなくてきちんと落とし所探ろうぜ。

その上でラディカルとか原理主義とかそういう自分らの主張以外全く受け入れられないような奴らは自分たちがバランスぶっ壊れてる事自覚しようぜ。

2019-08-29

1.北朝鮮は現体制の維持を至上命題としているように見えるが、この認識妥当

2.韓国政府は1の認識了解しているのか

3.了解している場合韓国政府はどのように南北統一を達成するつもりなのか

誰か教えて

2019-08-21

東京通勤ラッシュを捌く」という至上命題Suica/Felica普及の阻害要因

東京通勤ラッシュを捌く」ために必要スペックが足かせとなり事業者側の負担も下げられず

NFCの規格にねじ込んでも海外での採用事例も一向に増えない。

東京名古屋大阪あたりならまだギリギリ利用するメリットの方が上回るだろうが、

それ以外の地域じゃそもそも交通系ICカードを持つ必要性が大してない。

交通機関個人間送金に対応する必要性も薄いし、一度チャージすると基本的対応事業者への支払いにしか使えないし、

現金化には払い戻しが必要現金より使い勝手が悪い。

電子マネー」というより「電子切符」だな。切符で買い物できる店がそこそこ増えたってだけ。

電子マネーじゃないんだから電子マネー市場覇権なんぞ取れるわけない。

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