世の中には、人生における至上命題が「他者のあらを探すこと」という人たちが一定数存在する
他者というのは、同級生であったり、職場の部下であったり、恋人であったり、家族であったりするが、基本的に彼らが”強者”サイドに立てる何かしらの要素を持っている相手になりやすい
アラを探して何をするかといえば、そこを責めるのだ
責めることで、精神的優位性を得られることになる
それはたとえば、「晩ご飯何がよい?」と聞かれ「何でもよい」と答えておきながら、出てきたモノが微妙だとナンクセをつけること
それはたとえば、旅行の行き先を二択まで絞っておきながら最後に相手に決めさせ、行った先が激混みで文句を言うこと
それはたとえば、絶対にミスが生じるような作業を部下にさせ、ミスが出た時点でそれ見たことかと説教を始めること
彼らの目的は晩ご飯の満足度を上げることでも旅行を楽しむことでも部下を成長させることでもない
相手を責める理由を作り、責めることで "自分が相対的に上に立てた" という一時的な満足感、という名の錯覚を得ることだ
確実に関わってはいけないタイプの人間なわけだけど、彼らも好きでそういう精神状態になっているわけではないというのが難しい
この辺りは自分も独学なので誤認や知識不足もあるだろうが、だいたいは育ってきた環境に依存するらしい
反抗期での衝突の不足であったり親からの愛情の不足であったり安心感の不足であったり、いまでいう自己肯定感の欠如の源流に近いものもあるのだろうか
そういう歪んだ環境で育った人間が、自分(の育った環境)に問題があったと認識すること自体が難しい
他人に指摘されたところでそれを受け入れるほどの心の余裕がない彼らには、自分で症状を認める以外の選択肢はないのかもしれない