はてなキーワード: モラトリアムとは
レポート出せって言ったら中身が以前はwikiの丸写しで、今は生成AIの丸写し。
いかんのか?
年収500万のクソザコプログラマーやっとるけど、俺の仕事だってそんなもんだぞ。
基本は過去に作ったものの使いまわしだし、わからんところは他人のコードの使いまわしだし
まぁ、丸写ししてレポート出して終わり!じゃなくて最適な形に手直しする必要はあるけど、
いちからアルゴリズムを考えたりすることなんかまったくないわ。
仮に「僕は将来ノーベル賞を取るんです!」とか言うてる奴がそのレベルだったらいかんでしょって感じだけど
大学生なんか就職までのモラトリアムたまこでしかないんだから、別に生成AIに答えさせたらええやん。
ということでギリギリZ世代の若手面みたいな心境をはてなとの関わりを交えて書き散らしておきます。以下3分で読めますが、結論から言うとアラサーになるのが嫌です。
信じてもらえるか微妙なのでうごメモはてなの思い出でも書くか。当時中学生の自分はお年玉でDSiを買い、棒人間を描くのに夢中になっていました。(正直な話、うごメモ使いたいだけにDSi買った人多いと思う。)
クレカも無い学生のくせにカラースターがとても魅力的に見えたので、人力検索はてなでちまちま回答して集めたポイントでカラースターボックスを買った覚えがあります。当時のカラースターはうごメモはてな上ではとてつもない価値がありました。レッドスターが複数、パープルスターが1個でも付けば人気順エントリーに作品が登るためみんながこぞって欲しがり、また自分も好きな作品を広めるためになんとか集める方法を調べた覚えがあります。今思うと意味わかんないですね。
3DS版のうごメモは機能こそ増えたものの、うごメモはてなは終了、またフレンド経由でのメモ共有機能も色々トラブルが起きて停止になったので悲しかったです。3Dレイヤー機能は当時感動したけど、使いこなせなかったな……テレビもスマホも3Dに浮かれた時代だっただけに、未来を感じていました。
うごメモはてなで使い古されたアカウントをリブートするのはそれから4年後のお話。大学生になって電車通学をするようになってからニュースアプリとしてはてブを入れたのがきっかけです。アプリストアだとニュースアプリの面してるの面白いですよね、実際はチラシの裏なのに……
大学生特有の持て余した時間をブコメや増田発掘に費やすうちに、一時は政治に怒り、一時は少子化に絶望し、一時は新卒採用に辟易して、一時はお気持ち長文に熱中して、一時は古典文学に入り浸り、ほとぼりが冷めた頃には卒業の時期でした。大人になるとちゃんと政治を見るんだ、すっげー!みたいな気持ちも当時ありましたが、最後の方にはレスバトルは辞めて部屋の片付けでもしたほうがいい事が分かりました。
増田発掘は当時一番楽しんでいました。エントリは一人Slackに流しており、とても捗りました。ただ、自分が気に入っていたのは機能そのものではなく「新しい情報収集ツールを使う」ワクワク感だけだったようで、数年でやめました。この現象は何か改善しようとするたびに顔を出してきて、本当にうんざりします。誰か名前を付けておいてください。
増田を読み漁ることは、一種の自傷行為でした。この空間は、憎悪を煮て煮詰めて残った泥をアイスクリーム・ディッシャーで掻き集めて並べているかのような様相をしています。それを好んで端から端までホテルの朝食バイキングみたいに皿に取っていました。一つ取っては自己を戒めるような回りくどい批判をし、一つ取っては大げさに悲しい顔をしました。特に「俺は◯◯のために怒ってやってんだぞ!!!」みたいなスタンスが一番に気持ち良かったです。虚しいこと限りないですけど、それに気付くには時間が掛かりました。
はてな匿名ダイアリーを悪く言うつもりは無いので釈明すると、文章の生まれはさておき、憎悪の陳列棚に並べているのは言うまでもなくブクマカです。暇になったブクマカがどこからともなくやってきて、潮干狩りのように浜辺をボコボコ掘り起こして帰っていくだけです。掘り起こされた側はいい迷惑ですね。
陳列された憎悪を手に取る度に、人間が抱えるストレスの多さにただただ泣きたくなったり、布団から出れなかったり、日記の内容そのままな悪夢も見たりしました。モラトリアムと被ったのも含めて最悪ですが、現実で同じものが降り掛かって来たときに動揺する機会が減ったのは結果的に良かったと思えます。
はてなブックマークに話を戻しますが、このサイトには30代以降の理系しか居るように思えません。信じてもらえるか分かりませんが、同年代では生成AIの話も文化資本の話も、積立NISAでさえあがってきやしません。はじめは世間との乖離具合にびっくりしましたが、今はどちらが外れ値なのかよくわかります。
長々と心境を明かしましたが、やっぱりアラサーにはなりたくありません。見苦しく誕生日まで若さを謳歌しようと思います。クソッ
先に結論を書く。
「大人の成りをした小学生(笑)の集団」だから「汚い(事実汚い。印象も汚ければ、全てが汚い)」。
コロナのせいか。モラトリアムか。個々人のストレスや圧迫もあっただろうが、コロナは平等に俺等に襲いかかり、コミュニケーションの距離を奪った。
そのせいで身内の距離しか知らないからだろう。本当に「汚い」。
若い男らは「煩く、汚い」。
実際には「若い=大学生、新卒ぐらい」までが「若い」であろうか。
まぁ、オラオラ体育会系の会社の3年目ぐらいまでも「汚い」んだけど。
この「汚い」印象が貧乏くさいファッションのせいもあるだろう。ファストファッションって邪悪だよね。
だが、それは些末な問題だ(いや実際洗練されてないファッションは汚そうに見える)。
だが繁華街だからといって猿のように吠えてはいけない。公共であり、社会生活の範囲なのだから。
カラーギャング(笑)が跋扈していたサンシャイン通りじゃねぇんだよ。
となると早稲田の学生なのか? まぁ、早稲田という大学の気風や規範から推察するに不思議じゃないが、コロナ前と比べても猿の群れが暴れてる印象はある。
暴れてるというより、その集団の規範が「常に身内だけ」のせいではないか、と。
「コロナのせい」は可哀想だとは思うが、黙示録の騎士は平等に鎌を振ってんだよ。
小学生っぽい行動してんじゃねぇよ。「体験が無いからわかりません!」って通じねぇんだよ。
だってオマエラもう「成人」してんだよ。即適応しろよ。オマエラの個性なんぞ、社会は認知しねぇんだよ。
俺は今日、29歳になった。
この歳になって初めて自分は何者にもなれず、死んでいくのだと気づいた。
今から何者かになるために何かを始めようにも、俺が始めようとしている「何か」はもっと若い頃に初めている「誰か」がいて、俺はその下位互換にしかなれない。
それも、世界の「誰か」ではなく、自分の高校の同級生や、大学の同級生という身近な存在である。
そんなことにすら、29歳になるまで気づけなかった。
俺は18で東大に入り、何者にでもなれると思っていた。何者にでもなれるとの慢心から進路について深く考えることもせずモラトリアムを延長し、大学院に進んだ。
何者にでもなれるはずだった俺は東大のトップ層が入るような輝かしい就職先に入ると思っていたが、そのような会社には縁がなく、とある業界トップの日系JTCに入った。
社会に出るのが2年遅れ、普通の人間が1年目に23歳を迎えるところ、俺は25で新卒を迎えた。大学院を出てまでいくような会社ではなかった。
転職や、手に職をつけて独立なども考えていたが、結局踏み出すことができず、この歳になってしまった。
外資系のコンサルに勤める友人が多かったので第二新卒のうちに転職しようとも考えたが、今の会社に2年勤めたあとに転職しても、少し前まで一緒に学んでいた同級生の2-4年遅れになるのが嫌でやめた。
東大での成績も悪くなかったのでプログラミングを極めようと思ったこともあったが、同級生が会社の金で1,2年目からアメリカの大学でCS修士をとっているのをみて、日本でシコシコ勉強しても勝てないと思ってやめた。
会社では役職がついて年収は1000万を超えたが高校大学の同級生のように好きなことを仕事にし、1000万を優に超える金額を稼ぐ中、俺は毎日やりたくもない仕事に忙殺されて、たかだか1000万を稼いで生きている。
言い訳をつけて新卒から行動を起こさなかった結果がこのザマだ。
なまじ勉強ができただけに何者にでもなれるはずだった俺は気づいたら何者にもなれない凡人になっていた。本当に生きているのが恥ずかしい。鏡を見るたびに自分が嫌になる。
こんなエントリーを投げたところで叩かれるしかないのも分かっているが22歳の頃に戻れるのなら、
・軽い気持ちで大学院に行くのはやめろ、20代の2年間は軽くない
そう伝えたい。
微分積分とは、帰納と演繹に置き換えることができるのかもしれない。
つまり、データから法則を出す営みと、法則からデータを出す営みである。
グラフ上にプロットされたデータをいちいち t=1の時x=2, t=2の時x=4 …などと列挙していてはキリがないので、
この式はデータだったのだ。
ようやく「微分せよ」という表現が何を言わんとしているのか分かった気がする。
そうすれば、勉学で躓くこともなく、周囲の学生たちに劣等感を抱くこともなく、
自分が将来なりたい目標を考えたうえで進路を選択できたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
勉学で挫折し、不登校に陥り、モラトリアム延長で名前を書ければ入れる専門学校に進み、
その専門学校すら不登校に陥り、主体性を喪失したなし崩しの人生を転がるに任せ、
何かあればすぐセックス、悩めばセックス、若いセックス、熟女セックス、セックスセックス。
思春期の少年かよ、そんなにセックス好きなら官能小説賞でも作ってろや。
夫婦生活もカップルも、セックスしてるのは一緒に居る時間の10分の1くらいにも満たないのに、なんで小説の方がセックスセックスなんだよ。
お前が感じている「面白さ」ってのは、文学としての「面白さ」じゃなくて、実は他人のセックスを覗き込む「面白さ」を「文学」だと勘違いしてるだけじゃないのか。
若いうちから賞を手に入れて、小説家としてのキャリアを進んだ人間が身内だけで評価してるから、もう文学じゃなくてただの貴族の暇つぶしなんよ。内容が光源氏で終わってるんよ。
文学賞とったら人生あがり、インタビュー受けるか旅行行くかしかやること無いから、大学生くらいで人生経験が止まっているのよな。
だからセックスとモラトリアムで文学が終わってんのよ。俺らはとっくに大人になってんの。
どの芸術分野にも、強すぎるが故に行うのが「無粋」として行われるものが存在する。
お笑いで言えば下ネタ。料理で言えば味の素、少し昔ならデミグラスソースなんかそうだ。
効果的で完成されたものは、芸術を画一化し進歩を止めてしまう。
ここ数年の「文学」はその無粋を行いすぎている。
第三者から見れば糞詰まんねぇ身内ネタを有難がっている。周りはとっくに飽きている。
銭湯に描かれた富士山のように、見ていて恥ずかしくなってくる。
金があるのであれば。
世界中の金持ちの子弟は、実家を継いだり「起業」するためのモラトリアムで世界中の大学院を渡り歩いていて、
そういう連中向けの、授業料が高くて教員は一流で学生の負担は少なくてしょっちゅうパーティやってるコースが、各国でそこそこの知名度の大学院にはだいたい設置されている。
目的はかつて大学生だったときみたいなモラトリアムを楽しむことだ。勉強する気はゼロ。
夜遅くまで雑誌や新聞や適当に目に付いた本を読みながら図書館居座ったり、学食でぼーっとしたり、生協に冷やかしに行って学割で本買ったり、雀荘で頭痛くなるまで麻雀打ったり、キャンパス周辺の飲食店制覇したりしたあの楽しい生活に戻りたい。
無職は世間体が悪いので嫌だし、もう学部は卒業しちゃったので、どうせなら大学院に潜り込んで意識低い学生生活をもう一回やろうと思ってるんだけど、
「単位なんて取る気ないし論文も書く気ないです」って姿勢でも周りから文句言われず快適な院生ライフを送ることは可能だろうか?
院がいいんだよなあ。
大変だった人も多いだろうけど、俺にとっては、もうすぐ終わるかもしれないし、ずっと終わらないかもしれない自粛生活は物語の中のようなモラトリアムだった。入り浸っていた女の子の家、リモートのだらだらとした仕事、20時までの営業の普段は予約が大変な飲食店、暇つぶしのためだけに眺めていたテレビのバラエティ。今となっては全部が懐かしい。大人になると人生は選択の連続だけれど、すべての選択を先送りにして良いという空気感がそこにはあった。ずっと夕方だったような気さえする。あの時が戻ってきて欲しいなんて口が裂けても言えないけれど、あの時のことをもう少し記録しておけば良かったなとたまに思う。最後の長い休暇だったのかもしれない。
日本固有の話なのか知らんがそれはそれとして、やりたいことが曖昧な奴は多いよな
モラトリアム的に、就職はしたくないし昔得意だったから・・・くらいで大学院に来るけど、単に高校~学部程度で多少得意だったくらいで研究レベルの話には興味もないしそもそも研究する能力がないみたいなパターンが多すぎる
研究がしたかったのではなく一般企業就職がしたくなかっただけっていう
専門性が活かせないとか偉そうなこと言うやつに限って専門性なんてないし、専門分野で勝てないからスキルの多寡がバレにくい他所で非専門家相手に喚いてる
大学院も大学院で本来は「君に資質はないよ」ってスパッと切ってあげるべきなんだろうけど、学生がいないと金も入らないしでなんとなく入学させてしまって学生自身は人生詰み
「アリスとテレスのまぼろし工場」だけど、本作は言うに及ばず、過去作もフェミニズム、女性の政治的権利にはつながらない人だよねと、いつも見てる人には当たり前の感想を思った。
それもあり、当然ながらヒロイズム喝采な盛り上がり方もできないし、一方でポリティカルテンプレの誉め方で持ち上げようがないし、日本的な意味でも海外的な意味でも売れ筋から背を向けてて、正しく古いオタク向けの人ですよね岡田監督。この人を女性監督という取り上げ方をするのも大概バカみたいだけど、そういう戦略性も含めてオジサンにウケる人。
「少年少女」じゃない。おそらく10年以上なんなら20年近く「中学生として振る舞い続けること」をやってきた、周囲の監視の目もあって童貞処女のままの30代半ば。キモイ。似てる設定というと「スカイ・クロラ」だけど、あちらほど精神状態が終わってないのがまた煮え切らなくてキモイ。
ここで既に物語テンプレのロールや社会的ロールに沿った理解を当てはめようとする人が全員振り落とされる。「十代のドラマなら十代のドラマらしい話にしろよ」も「30代の擦れた男女のドラマならもっとそれっぽく作れよ」も適用されない。イラついて「設定がちゃんとしてないんだよ」と毒づく。
まあね、でも実際そんなだったじゃん90年前半バブル崩壊で取り残された団塊ジュニアども。
保守的な伝統社会はぶっ壊されてたし、理念先行の社会主義なんて信じてないし、経済成長に従ってれば会社が人生のレールを敷いてくれるって幻想も一瞬で消え、2、3学年上の先輩たちの話はまるで参考にならない。稼ぎがないので結婚しないし、景気が悪い上に自分たちの世代が一番人口が多いせいもあって職場に後輩も少ないなんなら後輩いない、なんなら終身雇用と派遣の狭間で企業側もフラフラと方針定まらないまま。いつまで経ってもマンガアニメから卒業しない「子供のまま」だったのが、気が付けば世間の方がマンガアニメに迎合しだしちゃって。
設定らしい設定がないので、子どもなのか親なのか、先輩なのか後輩なのか、若者なのか中年なのか、どういうロールが正しいのかわからん連中が日本の人口のマス層として取り残された。
こういう停滞感、今までも色々と表現されてきたけど、比喩としては一番ダイレクトで何のひねりもなく、分かりやすい。現実に設定がしっかりしてないから、設定ではっきりするほうが噓でしょ、って明け透けな見せ方。これが今回いちばん岡田麿里らしいとこじゃないですかね。
いわゆる岡田監督らしさについては、本人が自覚的に自分の過去作を振り返って他人から言われる評価を参照しつつ作ったってパンフで言ってるし、そこまで評価するとこでも突っかかるとこでもない気がした。上手いですけどね。女と母親とどちらでもある自己っていう振れ幅を一つの台詞に同時に込めるとか、うわーえぐーい。オジサンはこういうのやられると負けるわ。
ただまあ、今回は前よりかすっきり整理してて分かりやすいし、監督そのもの、監督らしさ、岡田マリー節炸裂、とは思わなかった。70%マリーぐらい。200%って言ってる残りの130%は作画スタッフとか役者とか視聴者の思い込みとかだと思う。
ただ、その70%で、ファンタジー世界を作り上げた神たる老人の「俺はこう生きた、君たちはどう生きるか」に対し、ファンタジー世界に囚われた住人の立場から「中年のあたしたち俺たちはこう生きてきたし、こう生きていきますが、それで、何かご質問が?」と打ち返してるのが、マリー持ってんなと。このタイミングでこのカウンターを見逃すのはホント勿体ないので見たほうがいいと思う。
その他。
なんか「あの花」とか最近作しか出てこないので、老害的に付け足し。
この人はファンタジー作家です。現実世界のリアリズムとかの人じゃない。のでリアリズムは求めないほうがいい。
ファンタジー作家としての気質は「砂沙美魔法少女クラブ」で100%発揮されてる。以降もだいたいこんな感じ。
「スカイ・クロラ」を引き合いに出したので繋がりでいうと「シムーン」の後半。シムーンは押井守と仲良しな西村純二監督が「スカイ・クロラ」とほぼ同時期にやった「モラトリアムな人たちの出てくる戦闘機乗りの話」で、シムーンの企画原作やってた人たちの手を離れて後半はマリー西村コンビへ。このコンビの流れで「true tears」に繋がり、そこから「花咲くいろは」へと。
煮詰まって先に進まない男女関係だと「とらドラ!」。原作あるけど、まったく前に進まなくてどうすんだこれ、って澱みっぷりは岡田脚本の本領発揮だと思う。秩父三部作だと長井龍雲監督の調整がけっこう入って長井節になってるので、あんま澱まない。
個人的にマリー100%だと思ってるのは「ブラックロックシューター」。ファンタジーで少女バトルでバイオレンス。別に下ネタじゃなくても100%だと思う。気に入ってしまって円盤買って家族に強制的に見せたのは、ちょっと反省している。
まあ脚本家のキャリア長いし、原作ものも当然のように多いし、普通に現場の調整の中で仕事してる人なので、なんもかんもマリーってこたない。
[B! 漫画] 週スピ&月!スピ読切・【読切】東京最低最悪最高!/鳥トマト
なんか皆熱くなってて不思議だ。
この人の漫画が語ってるのが空虚で薄っぺらいことなんて歴史メンタリスト読めば3分で分かる。
https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755072898938
あとリンクは貼らないけどTwitterで自分で「呪詛&絶望」とか自分の作品を評してるのもなんだか実にペラペラしている。
存在の耐えられない軽さ
ネガティブなものがとにかく格好良く見える中高生の価値観のままモラトリアムに閉じ込められている人たちには受けそうだなって気はする。