はてなキーワード: 林間学校とは
アメリカの小学校で働いて6年目のわたしが感じるのは、身体は自分のもの、他に人に触らせない、見せない、という教えが徹底されている。特にプライベートな部分は子どもたちに「それは自分と家族とお医者さんだけ」ときつく教えている。例えば、キンダーや1年生くらいで、おしりを触ってふざけ合うことがあるけど、これは笑いごとでなくきつく注意し、止まらなければ校長へ送る。
https://twitter.com/sgwhn8727/status/1730572315396583776
これは温泉や大浴場文化がある日本とは文化的に大きく違うから一概には言えない。でも、林間学校や臨海学校、修学旅行等でクラスの同性の全員の裸を見たことがあるって、アメリカのスタンダードで言うと見られた方も見せた方もトラウマになるレベルだと思う。当時は何とも思わなかったけれど大人になって日本を出たいま、こういう経験が性を軽くみることに繋がり、そして性犯罪に繋がっているのかもしれないと思う。
自分は中学生のころまでは他の女子たちよりも何倍も遅れてる子だった。
ブラジャーを何故つけなければいけないのかも分かってなかったし、母も買ってくれなかったから体育の授業もずっとノーブラで同級生から「ブラしたほうがいいよ」と言われ続け、脇毛は剃るものだと知らなかったから水泳の授業でも脇毛ボーボーで参加して「脇毛は剃ったほうがいいよ」と同級生から言われ……。
スカートから出てる生足にすね毛がボーボーに生えてる? 知らんがな。勝手に生えてきてるだけ。そういう認識。
私服も親が買ってくれないから持ってない。制服以外だと、林間学校用に親が西友で買ってくれた1枚1000円のTシャツ2枚とダボダボのジーンズとノーブランドのへんなスニーカーしか持ってないレベル。
16歳のときにバイト先の美人な先輩から「化粧してみたら?」と言われて、貯めたバイト代を持って勇気を振り絞ってデパコスカウンターへ行ってビューティーアドバイザーさんからイチからメイクを教わった。
習ったメイク用品を全て買って2〜3万円くらい。
雑誌に載っていた、青山にある美容室に死ぬほど勇気を振り絞って行ってカット&カラーで15000円くらい。
服は何を買っていいかどこに行けばいいのか分からなかったから、とりあえずユニクロでひたすら試着を繰り返して分からないなりに適当に2〜3万円分くらい購入。
そしたらいきなり周りの人の見る目が変わって、「こいつは女だ」と認識されるようになった。
バイト先の警備員からいきなり映画に誘われたり、早朝ウォーキングしてたらいきなり車が寄ってきてナンパされて恐怖したり。
こいつらマジで外見で「女」か「それ以外の生き物」かを判断してやがるんだ……と衝撃を受けた。
「女」は大人になったら自動的になるものじゃなくて、努力してなるものなんだと知った。
周りの人は、彼氏が出来たからメイクやオシャレをするようになったと思ったらしい。
いや違うよ。ダサい生き物に男なんて寄ってこないから彼氏なんてできないよ?
アメリカの小学校で働いて6年目のわたしが感じるのは、身体は自分のもの、他に人に触らせない、見せない、という教えが徹底されている。特にプライベートな部分は子どもたちに「それは自分と家族とお医者さんだけ」ときつく教えている。例えば、キンダーや1年生くらいで、おしりを触ってふざけ合うことがあるけど、これは笑いごとでなくきつく注意し、止まらなければ校長へ送る。
https://twitter.com/sgwhn8727/status/1730572315396583776
これは温泉や大浴場文化がある日本とは文化的に大きく違うから一概には言えない。でも、林間学校や臨海学校、修学旅行等でクラスの同性の全員の裸を見たことがあるって、アメリカのスタンダードで言うと見られた方も見せた方もトラウマになるレベルだと思う。当時は何とも思わなかったけれど大人になって日本を出たいま、こういう経験が性を軽くみることに繋がり、そして性犯罪に繋がっているのかもしれないと思う。
アメリカの小学校で働いて6年目のわたしが感じるのは、身体は自分のもの、他に人に触らせない、見せない、という教えが徹底されている。特にプライベートな部分は子どもたちに「それは自分と家族とお医者さんだけ」ときつく教えている。例えば、キンダーや1年生くらいで、おしりを触ってふざけ合うことがあるけど、これは笑いごとでなくきつく注意し、止まらなければ校長へ送る。
https://twitter.com/sgwhn8727/status/1730572315396583776
これは温泉や大浴場文化がある日本とは文化的に大きく違うから一概には言えない。でも、林間学校や臨海学校、修学旅行等でクラスの同性の全員の裸を見たことがあるって、アメリカのスタンダードで言うと見られた方も見せた方もトラウマになるレベルだと思う。当時は何とも思わなかったけれど大人になって日本を出たいま、こういう経験が性を軽くみることに繋がり、そして性犯罪に繋がっているのかもしれないと思う。
昨日、家族旅行に行ったのですが最悪でした。この気持ちを皆さんに味わってほしくないので書き留めておきます。
家族旅行の行き先は父親が勝手に決めます。父親の趣味しか反映されず、家族の意見は通りません。ちなみにほぼ毎年関東以北です。
今回の旅行では、行き先が在住地の近郊で、特急で一本のところでした。そんな場所正直いつでも行けるし家族みんなで行くようなところでもありません。
私と姉は大学の授業期間中で到底旅行に行けるような状況ではありませんでした。しかし父親の意向で、私は授業終わりに特急に乗って現地集合、姉は就職相談の予約を取り消して旅行に行きました。
本来旅行は家族全員の予定に余裕があるときに行くべきであって、無理に予定を開けて行くようなものではありません。
今回泊まらせられたのは、俗に言う”安宿”でした。小学生の林間学校で泊まるようなところです。オフシーズンで1泊9,000円という価格です。そんな安宿ではホスピタリティの概念がなく、いい体験はできません。
今回の安宿の食事は、夜と朝はバイキングでした。バイキングは幼い子供には好評だと思いますが(偏食でも許されるため)、食事のクオリティをある程度理解した高校生以上の人にはウケが悪いです。そもそも多くの人が触ったトングとかを触りたくないし、人が集まるところに行きたくないです。バイキングは衛生的にも良いとは言えないので旅行の計画に組まないほうがいいです。
今回の旅行で、母親が、「旅行先の地元のスーパーに寄りたい」と言っていました。しかし父親はこれを、「旅行計画にないから」と一蹴。結局寄れませんでした。地元のスーパーでは地産地消の野菜や特産品が安く買えることがありますが、このメリットをわかって欲しいです。
旅行の帰り道に、父親の単身赴任先をわざと通るようにルート設定されることがあります。父親は勝手に仕事場を見られて嬉しいのでしょうが、私達には無関係です。早く帰らせてほしいです。
この話はあまりに属人的ですが、帰りの夕飯に吉野家とか大衆食堂に寄るやつ、絶対やめてください。思い出が最悪です。
【追記】
「旅行を断れない理由を知りたい」という意見が散見されたので書いていきます。
これが一番大きいと思います。父親に反抗的な態度を取ると、「誰が学費払ってると思ってるんだ!」と言われて何も言い返せなくなります。前にTwitter(現X)で、「『学費払ってるのはありがたいけど、それを使って子どもを黙らせるのは楽しいか』と言い返す」とか言うつぶやきを見つけましたが言い返すと癇癪をおこすので無理です。
旅行は父親が良かれと思ってやってると思うので、旅行に反対すれば最悪学費貰えず退学なんてこともあり得ると思います。
父親は、子どものときに家族旅行というものを経験したことがないようです(本人談)。このような思いを子どもにはさせたくないとの考えで毎年旅行に行くのだと思います。もし旅行に行きたくないといえば、父親の根幹にある昔の寂しさを思い起こさせてしまうと思って家族は皆、旅行に行きたくないと言えないのだと思います。
父親は客観的に見て過保護な部類に入ると思います。ちょっと父親の過保護エピを書いていきます。
・就職しても一人暮らしはさせないつもり(姉がもうすぐ就職ですが、一人暮らしを許可されるか全く読めません。)。
2分ぐらい考えただけでこれぐらい出てきました。外泊については、姉が昔、父親には言わずに大阪に泊まったときに、わざわざ深夜1時に迎えに行ったことがあります。
先程触れた外泊についてですが、父親が深夜バスで迎えに行って翌朝始発の新幹線で帰ってきたのですが、帰ってきてすぐに説教の時間が始まりました。午前10時頃帰ってきたのですが、午後2時頃まで説教が続きました。この間も、「姉は将来風俗嬢になる」だの、「親の苦労を全くわかっていない」だの、罵詈雑言を飛ばしていました。私や当時7歳の妹を含め、父親以外の家族全員は正座させられて聞かされました。
旅費は父親と母親が持ってくれています。子どもは自分のお土産代を出すぐらいなので、子どもは何も言い出せないというのが現状です。
昨日、家族旅行に行ったのですが最悪でした。この気持ちを皆さんに味わってほしくないので書き留めておきます。
家族旅行の行き先は父親が勝手に決めます。父親の趣味しか反映されず、家族の意見は通りません。ちなみにほぼ毎年関東以北です。
今回の旅行では、行き先が在住地の近郊で、特急で一本のところでした。そんな場所正直いつでも行けるし家族みんなで行くようなところでもありません。
私と姉は大学の授業期間中で到底旅行に行けるような状況ではありませんでした。しかし父親の意向で、私は授業終わりに特急に乗って現地集合、姉は就職相談の予約を取り消して旅行に行きました。
本来旅行は家族全員の予定に余裕があるときに行くべきであって、無理に予定を開けて行くようなものではありません。
今回泊まらせられたのは、俗に言う”安宿”でした。小学生の林間学校で泊まるようなところです。オフシーズンで1泊9,000円という価格です。そんな安宿ではホスピタリティの概念がなく、いい体験はできません。
今回の安宿の食事は、夜と朝はバイキングでした。バイキングは幼い子供には好評だと思いますが(偏食でも許されるため)、食事のクオリティをある程度理解した高校生以上の人にはウケが悪いです。そもそも多くの人が触ったトングとかを触りたくないし、人が集まるところに行きたくないです。バイキングは衛生的にも良いとは言えないので旅行の計画に組まないほうがいいです。
今回の旅行で、母親が、「旅行先の地元のスーパーに寄りたい」と言っていました。しかし父親はこれを、「旅行計画にないから」と一蹴。結局寄れませんでした。地元のスーパーでは地産地消の野菜や特産品が安く買えることがありますが、このメリットをわかって欲しいです。
旅行の帰り道に、父親の単身赴任先をわざと通るようにルート設定されることがあります。父親は勝手に仕事場を見られて嬉しいのでしょうが、私達には無関係です。早く帰らせてほしいです。
TVアニメの「久保さんは僕を許さない」という作品を見た。コロナの影響で第6話を区切りに続きは来期となるらしい。ここまでの流れ、恋愛もののアニメが好きな自分は、もうのたうち回るほど続きが見たいという状態。それであるから続きが見られないのがあまりにも辛かった。ので、3話位の段階でまとめ買いをしていた原作を、6話終了と同時に一気に読み進めた。
多少のネタバレをお許し願いたい。
これは間違いなく自分の中で恋愛もの作品の上位に入ってくる素晴らしい作品だった。そこかしこで出てくる「その感情に"恋"と名が付く2歩手前」という文句がまさにぴったりだ。自分の感情に自覚していない白石くんと久保さんの掛け合いが大変微笑ましく、もどかしい。お互いがお互いを知ることによって芽生える感情。感情に気付かぬまま、白石くんは優しさ、あたたかさ、無償の愛を久保さんに与え、久保さんはそれを受けて更に感情を震わせ、思いを昂らせる。そして優しさ、あたたかさ、無償の愛を与え返す。なんとあたたかい光景なのだろうか…。
そしてなにが良いって、周りのあたたかい目で見守ってひっぱって支えてくれる友達。葉月、たま、須藤。本当に素敵な友人だよ…。みんなが皆優しくて、白石久保ペアのことを支えていて。今まで「当たり前」の学生生活を送ることが出来なかった白石くんに初めてをたくさん経験させてあげる4人の構図は、目頭が熱くなる。林間学校の写真のシーンは泣いた。
他にも明菜さんや沙貴、白石母や誠太。みんなが優しい。このハートフルな人達に囲まれて、白石くんは幸せ者やな……。
この作品の目玉のひとつとして、表紙裏に隠れたポエムがある。私はなんだかんだでこういったものが好きなので毎巻の楽しみになっていた。刺さったものはいくつかあるが、その中で最も刺さったのは2巻の表紙裏……ではなく、目次にあったポエムである。
10年後の私へ
あなたは
誰のとなりで
笑っていますか
幸せですか
これを見て、30分くらい頭を抱えた。
これをみたどこかの誰か、本当に良い作品だから見て欲しい。何かのご縁でここに流れ着いた作品の関係者の方が見ていらっしゃったら、心からのお礼を伝えたい。素敵な作品に出会わせてくれてありがとうございました。心に残った、素晴らしい作品でした。
と、ここまでの感想を書くならば、わざわざ匿名にしない。私も匿名でない、こういった感想を綴るブログはある。
何故匿名にしたかというと、この作品を見たことによって、自分の心の中のモヤモヤをデトックスしておきたいと思ったからだ。回りくどい言い方を避けると誰にも言えてない自分語りをしてスッキリしたい。こういった作品を読むと、満足感と同時にどうしても思い悩んでしまう(もちろん、作品はなんにも悪くない)。それは過去のトラウマ、トラウマ、トラウマが蘇ってしまうからなのかもしれない。よく考えたら、断片的な話を友人に話してきたつもりかもしれないが、所々は私の脳内にしまったままになっているかもしれない。それを解放したい。そして、これを読み進めてくれた誰かに笑って欲しい。それだけで報われる気がする。
私は北関東に在住する20代前半のしがない会社員である。東京の親元を離れ2年ほど、東京とは打って変わったクソ田舎で過ごしている。
恋愛もの作品が好きだが、所謂オタクの私には恋愛のれの字もない。正直とっくに諦めている。というか、過去のトラウマでやろうと思ってもできない。だからこそ、恋愛ものの作品を見て、幸せそうな男女の関係を見て満たされるのが最近ハマっているのだろう。私は恋愛ができない。
小学生の時も中学生の時も、いっちょ前に好きな子はいた。その中でも一緒に帰ったり、一緒に勉強したり、遊びに行ったりした仲になった子もいた。しかし、それ以上の関係になることは無かったし、それ以上の関係があることも中学3年くらいまで知らなかった。知った時には遅かった。何をすれば良いか。告白ってなんなのか。伝えさきはどうすれば良いのか。わからなかった。そうして、何も伝えぬまま、中学を卒業して、都内の男子校に進学した。
Twitterでたまたま中学最後に好きになった子を見かけた。今思うとかなりの気持ち悪い行動だと思うが、フォローしてDMを送った。返ってきた。当時スマホを持っていなかったので、ガラケーのメアドを交換して、やり取りが続いた。そして、次第に疎遠になった。何をすれば良いのか、わからなかった。気付いたら、関係がなくなっていた。
高校で理系を選択した私は、理系単科大学に進学した。もはやもう恋愛なんてものは程遠い所に行ってしまった。と思っていた。大学1年も終わりの頃、旧友の女子に会った。3年間男子校に通い、オタクを加速させ、見た目も中身も向上させる意欲を失った自分の前に現れたのは、人違いか?と思うほどに変わった友人の姿だった。元々メンタルは強い人間ではなかったが、その日を境に完全にメンタルが弱ってしまった。
「変わらないね」
その何気ない一言には、私を地の底に叩きつけるには十分すぎる威力を孕んでいた。
不思議なもので、メンタルが死んでいるのにそこから何度も会うことになった。麻薬の様なものか、会っている時間だけそれを忘れ、それ以外の時間はもがき苦しんでいた。気付けば、体重は激減し、メンタルは底。なのに自分は人生で初めての告白をした。もちろんダメだった。
分かっていたことなのに、メンタルはやられた。アホ。二度と自分からは言わないと心に誓った。未だにトラウマになって、思い出すと体がビクッとして過呼吸になりかける。
すり減らすメンタルもなくなり、動機が不純過ぎるがカウンセリングを受けた。初回は人生でトップクラスに泣いた。自分が嫌だった。自分が許せなかった。でも、甘やかして勘違いをする自分がいた。それも許せなかった。気付けば、自分の最後の味方である自分を殺していた。
でも、カウンセリングを受けるうちに、自分が許せなくて目を向けていなかった、自分の良いところに気づけた。自分は自分が思う程に悪い人間では無いのかもしれない、と少し思った。それからは少し気が楽な状態で、恋愛のことも忘れ、自分の楽しいことを楽しむ余裕が出来た。恋愛なんてするもんかと思っていたし、する状況にないと思えばより軽くなった。大学3年はそれは楽しい一年だった。
4年になるとコロナ禍になった。部屋でアニメを見て、たまに研究をして、マイペースに過ごせた。オタクのイベントが無くなるのは辛かったが、バイトもなく、悠々な生活をしていた。
していたはずだった。メンタルも平和なはずだった。そんな矢先にバイトが復活した。
世のみんな、巣ごもり生活で人に飢えていたのだろう。ある人物に見つかってしまった。それはバイト先の人間で、今まではあまり話してこなかった同い年のやつだ。
誓は破られた。これが人生初めての「彼女」という存在になった。
ぎこちないながらも遅れた青春を味わっているつもりになっていた。色んなところに行った。しかし怖くて最初に自分から相手に触れることはなかった。
楽しんでいるつもりだった。ドキドキしているつもりだった。でも自分のメンタルは何故か過去最高に落ちていった。
望んでいたキラキラな青春を遅れながらも歩いていたつもりが、何故か自分にとっては茨の道になっていた。何故かわからなかった。それくらいからだろうか。大学に行く朝、自分は線路を見つめることが増えた。
2ヶ月後、漫画のような展開になっていることがわかった。所謂NTRてやつだ。取った本人から暴露されたが、さすがに足が震えた。でも分からない。笑いが止まらなかった。なんか安心感すら覚えた。やっぱりね、という感情か。自分には釣り合わない相手だと思っていたからか。わからない。でもすごく納得してしまった自分がいた。
半ばお前が悪いと言わんばかりに別れを告げられた。何か枷が取れた感覚になった。写真も消した。連絡先はブロックした。バイトは既に抜け出して辞めている。思い出の品は即捨てた。友人と乾杯をした。酒を笑って飲んだ。話をネタにした。涙は出なかった。ここ数年で1番メンタルが良好になった。自由になった。自分を慰めた。自分をもっと好きな自分になる為に、少しずつ努力した。
もっと早い段階で気付くべきだった。自分は誰かとそういう関係になることは出来なかったのだ。ここは漫画の世界では無い。
だからか、自分は恋愛ものの作品を好むのは。自分が好きになる作品には悪い人間は出てこない。皆優しい。主人公たちは幸せになる。
この世界は汚い。これだけ理性的な動物が思慮のひとつも無く本能に走るのが見ていてキレ散らかしそうになる。それが無いのだ、好きな作品には。動物的ではなく人間的な関係で話が進む。自己の本能よりも他人の心を大事にしている。現実もそんな世界であって欲しいのに。
恋愛もの作品の世界はいつまでもカレイドスコープのようなキラキラ世界でいて欲しい。私はそれのレンズを覗き続け、キラキラな世界を見たまま、周りの荒野を再び見ることなく、幸せな気持ちで死んでいきたい。
何を書いているんだかわからなくなった。
・俺のような教室内の2~3人の日陰者たちが共有できるカウンターカルチャーなどというものは現代には存在しません。
「しかたない」
・俺はどうすればいいんですか。助けてください。
「同じ趣味の仲間を集める、アニメ見る、自分から行動しないやつに面白いことなんて絶対にやって来ない。「経験談」他人を誘って遊ぶしかない」
・いつからクッセエ萌え豚アニメや淫夢はこんな日向の連中に浸透した。オタクがライト化したのか?こんな奴らのことをわざわざオタクと呼ばなければいけないんでしょうかこいつらのことをオタクと呼びたくありません。そういうライトオタク共はデカい顔して教室の真ん中で机を囲んで昼飯を食ったりしています。
「あんたは自分がオタクだとわかっていないオタクですね。それにオタクの好きなアニメを見下しているつまり、暗い系のオタクも明るい系のオタクもどちらも見下している。そんなつもりはない?と感じるかもしれないがそれを判断するのは世の中や周囲の人間だ。あんたじゃないと気が付け」
「あいつは詳しいから重度のオタクとかあいつは浅いからライトオタクとか上下をつけたがるなんて愚かです。
ウェーイ系とかライトオタクとかひとくくりにしているのがまず思い込みであり、オタク差別と同じことをしている。
いいやつもいれば悪いやつもいるのはオタクも変わりません
彼らクラスの明るい連中はデカい顔しているわけじゃなくて仲間たちと遊んでいるだけで、それを色眼鏡で見て決めつけて極端に怖がってるだけですよね?」
当時オタクだった少年がユーチューバーになり、当時の彼らウェーイな人たちと会談をしたとき彼らはこういいました
「話しかければよかったじゃん」と
常に扉は開いているわけだ。
それと容姿を求められる集団であることに変わりはないので、着の身着のままじゃ拒否られて当たり前
・みすぼらしいヘアスタイル
・荒れた肌
・衣服の汚れ「フケとか染み」
これらはオタク側が悪い。
そういう時代の流れはあらがうだけ無駄、どうしようもなく変えられない。
むしろそういう美意識は世の中の流れだから、社会人になるなら磨いておくのが正しいとすら思う
あと明るい連中の中には威張り散らしているやつらもいるから一概にあんたが悪いとは言えない
かくいう自分も林間学校のときごはん配膳をしている最中、隣の子にご飯茶碗を渡したとき、いきなり怒鳴りつけられて
「俺らに速く渡せよ!なんでこいつらが先なんだよ」と威圧された
そういうのは苦い経験として尾を引く
そいつらは悪いやつらかもしれないし
後輩に接するときは勇敢だったりして尊敬されていたりするかもしれない
オタクも似たようなもんだ。
俺はオタクじゃないと思いながらアニメをたしなんで同じオタクを蔑んでいるオタク
何が悲しくて子どもをわざわざ弱者男性に育てなきゃならんのだ。
だからこの増田は思考実験だよ。そもそも当たり前に俺自身にパートナーはいないしね。家族は増え得ないしね。
女の子の、誰かの、笑顔をみたいと思っているのに、迷惑なんて絶対に掛けたくないと思っているのに、それでも積極的な思い入れが、逆に、相手を傷つけてしまうこと。
負のフィードバックループを理解したときに、女性への自己効力感は完全に消滅する。
無力感となる。
優しい心を持っていないと、女性に復讐するミソジニーになったり、粗雑に扱ってイキる強さを得て黒イケメンに育ったりする。弱者男性としての無力感を維持できない。
子どもの頃に読んだサバイバル術の本で「火の起こし方」を詳しく解説したページがあった
当時の私はとにかく好奇心旺盛で、「こんな方法で本当に火が起こせるのか」と試したくなり、かといえ勝手に試して火事にでもなったら父親に殺されかねないと思い、一番身近だった大人である小学校の担任の先生に「この実験をやってみたい」と、とても熱くプレゼンをした
林間学校を翌月に控えていたことと、すでに着火している私の好奇心に引き寄せられた数名のクラスメイトからの懇願もあり、「やる方向で検討するから、どんなもの必要なのかまとめて欲しい」と言ってくれた
当時の小学校では担任の裁量で自由な使い方をしてもいい「学活」という時間があり、そこでは主にドッヂボール大会やお楽しみ会などのイベントが開催されており、私が提案した「火起こし」もその学活の時間で行われることになった
とはいえ、人数分の木の板と手頃な棒を調達するには調整がなかなか大変だったようで、最終的には工務店を営むクラスメイトの伊藤くんのお父さんが火起こしのセットと大量のおが屑を提供してくれ準備は整った
ちなみにその後から2ヶ月ほどは伊藤くんはクラスのヒーローになった
火起こし当日、発起人である私と数名の友達で大量の木材とおが屑を校庭に運び、消火用に水を張ったバケツと用務員のおじさんから借りた園芸用ホースを準備し、いよいよ火起こしの時間が来た
まずは板と棒を配り、先生が火起こしの方法をまとめたプリントを配布した
先生はプリントを見ながら「いろいろな火の起こし方があるが、今日は一番シンプルな「きりもみ式」でやってみよう」と説明し、「じゃあまず先生がやってみるから見やすい位置に広がって」「じゃあ行くよー!」と棒を両手で回し始めた
すぐにでも大きく炎が上がると思ってみていたものの、出るのは先生の汗と「おっかしいなぁ」という呟きだけで、炎どころか煙すら出てこない
ふうふうと明らかに疲労を隠せない先生を見てすでに飽き始めたクラスメイトが出始めた頃、万が一の事態に備えて待機していた校長先生が代役を買って出た
流れるように所作で担任と変わり、老練の手つきで棒を回し始めあっという間に煙が出……ることはなく、ものの数分で校長先生の方が燃え尽きる結果となった
大人の男性でも煙すら出ないとは……と、長い戦いを覚悟した子どもたちは静々と自分たちのスペースに戻った
誰も無駄口をたたかず、ただ「ふん」だの「よいしょ」だのという自らへのエールと木が擦れる音のみが漏れ聞こえる中、よく見ると富山くんだけがこの挑戦に挑んでいなかった
富山くんは周囲を見ては恥ずかしそうに顔を伏せ、また周りを見回しては赤面しモジモジしていた
座りながらズボンのポケットに手を入れなにかゴソゴソしては、棒を手に取って少し回しては「へへへっ」と生ぬるい笑みをこぼしていた
先生は相変わらず汗だくで自分の棒を回し、校長先生は両手をぶらぶらさせながら、細い腕にすこしだけ残った筋肉から疲労物質を押し流そうとしていた
そうなると、無責任にも目の前の火がつかない火起こしよりも富山くんに俄然興味が湧いてきた
中腰でこっそりと富山くんに近づき、背後から「なんでやらないの?」と声をかけると、富山くんは「うへゃぁ!」と驚きの声を上げながら後ろを振り返った
その時、富山くんが持っていた棒が落ち、木の板をコーンと鳴らした
そこで私は気づいてしまった
私を見ようと体を反らせるような体勢になった富山くんは驚くほど勃起していたのだった
「え?なんでぼっ」と言いかけたが、ここでそれを指摘してしまっては富山くんはきっと数年は「ボッキマン」という人権を無視したニックネームで呼ばれることになる
私は慌てて残りの言葉を飲み込み、富山くんの耳元で「なんでそんなになってんの?だから火起こしやってないの?」と聞いた
なんと言おうか悩み顔の富山くんは少し考えたあと、私に「だってこれエッチくない?」と耳打ちし返した
何がエッチなんだろう?火を起こすことのどこにエロに感じるのだろうと不思議に思うと、富山くんは「だってさ、これシコるやつじゃん」と続けた
好奇心旺盛ではあったが性的なことには疎い私に比べ、中学生の兄を持つ富山くんは今思えば当時すでに自慰行為をしていたのだろう
しかものちに知ることになるが、シコる方法がオーソドックスな上下に動かすピストンタイプではなく、火起こしをする時のきりもみ式だったようで、富山くんにとって好きな女子がきりもみ式で顔を上気させるシチュエーションは全力勃起案件だった
その時の私は申し訳ないが意味がわからず、それでも無責任に放棄しかけた火起こしチャレンジ発起人としての立場から富山くんにも参加して欲しく「でもさ、ちょっとやってみてよ」とお願いした
富山くんは股間の棒が落ち着くのを待ち、先ほどを落とした棒を拾い「無理だと思うけどなぁ」と独り言をぶつぶつと言いながら棒を回し始めた
回し始めて回数にして6回転目くらいに異変が起こった
富山くんがにやけ始めるとほぼ同時に細く薄い煙が立ち上り始めたのだ
私は「先生!先生!富山くん出てる!」と叫び、クラス中の視線が富山くんに集中した
煙を見た先生はおが屑を一掴みし、富山くんの元へ駆け寄ってきた
その間も富山くんは「ぐっふ、ぐふふ!」と気持ち悪い笑みを浮かべ手を動かし続けた
富山くんの元にたどり着いた先生が「富山すごいぞ!」ちょっと棒貸してみろ!」と興奮気味に棒を取り上げると、棒の先端は黒ずんでいて、板には小さな火種が起こっていた
そこに先生がおが屑を少し乗せ慎重に息を吹き込み、おが屑に燃え移った瞬間に板から大きくなった火種を落とした
残りのおが屑に火が移り、数分前まで全員が絶望していた火起こしが完遂された
火が大きくなると歓声と拍手も次第に大きくなり「え?誰がやったの?」「富山すげー!」「富山くんやったじゃん!」と富山くんを讃える大歓声になった
富山くんはさっきまでの完全な異常者のような気持ち悪い笑顔から、やり遂げたまるで賢者のような清々しい表情で、降り注ぐ賞賛を一身に浴びていた
その後「富山くん!私のもやって!」「その次は俺のやってよ!」とひっきりなしに呼ばれては火を起こし、また新しい棒を受け取ってはあっという間に火種を起こしていった
少し前には「ボッキマン」というひどいあだ名にになりそうだった富山くんは、この偉業から「チャッカマン」と呼ばれクラス中の尊敬を集めることになった
実はこれは約15年前の話だ
なぜ唐突に思い出したかというと、私のTwitterのタイムラインに「女装男性が富山スタイルで自慰行為をしている動画」が流れてきたからだ
その動画は口元までしか映っていなかったが、富山くんがあの時の見せた気味の悪い笑顔の口元を彷彿させていた
きっと彼は今日もどこかで自分のペニスで火起こしをしているに違いない
いきなり訴訟とかは勘弁してください
林間学校で火を付けた棒でやるやつでしょ
それ本気で仰ってるんですか?
最初にはっきりと申し上げておくが、私はアスリートの方々に「非」があるとは思っていない。彼ら彼女らだって当然、身体的にも精神的にも安心した状態でオリンピックに挑みたかっただろう。別にアスリートの方々が「死人が出ようが知らん、オリンピックの方が大事だ」と言ったわけでも、「絶対に2021年に開催しろ」と言ったわけでもない。アスリートの方々に「死人を踏み台にしている」だとか「アスリート様」だとか、誹謗中傷を送るのは間違いだ。「このコロナ禍で」オリンピックを開催したのは彼ら彼女らではない。非があるのは、この状況を生み出した政治家だ。昨年の時点で「来年の時点でコロナが収束しているとは考えにくい」と発信して下さっていた有識者の方々はいらっしゃったのに、それを無視したのだから。最初から2年延期すると決断さえしていればこんなことにはならなかったはずだ。
でも、私はどうしてもアスリートの方々に訊きたいことがある。あなた方に非は決してないことは重々承知の上で、でも問いたい。「本当にこれで良いと思っていらっしゃるのですか」と。この状況に、あなたがたは「関係ない」のですか。
私は2000年生まれの21歳だ。昨年成人を迎えたが、成人式は行われなかった。振り袖を着て、写真を撮って、神社に参拝して、それだけ。同窓会もなかった。「友達少ないしそもそも行くか迷ってたし、なくても変わらないよ」と直前まで思っていたが、いざなくなってみると凄まじい喪失感に襲われた。自分で「行かない」と選択することと「初めからない」ことには天と地ほどの差があると、私はそのとき痛感した。それまでに消えていった旅行や行事や学生生活のことも思い返され、当日は少しだけ泣いた。
それでも次の日には、また気持ちを切り替えて自粛生活に励むことが出来た。バイト先の学童で接している小学生達のことを思えば。私が我慢すれば、彼ら彼女らの我慢が減るかもしれない。それが自粛のモチベーションだった。実際、4月5月頃は少しずつ元の世活を取り戻していたように思う。未だ感染対策は必要不可欠だったが、「入学式に出られた」「運動会ができた」という報告を子ども達の親御さんから多く伺った。運動会で勝ったことを嬉しそうに報告する子ども達を見ると、もうしばらく自粛を頑張る勇気が湧いてきたものだった。だがここ数日、大きく風向きが変わってきた。「修学旅行が中止になった」「運動会がなくなった」「遠足がなくなった」連日そういう報告を聞く。理由は皆一緒だ。感染者が爆発的に増えたから。
あなた方は「スポーツを通して子ども達に夢を与える」と仰った。それは素晴らしいことだ。あなた方にしかできない。だから私も私に出来ることをする。あなた方が夢を与えたいと仰った子ども達の現状を伝えることだ。修学旅行の中止。林間学校の中止。遠足の中止。運動会の中止。帰省や旅行の取りやめ。話し声のない給食。与えた夢と失われた楽しみ、トントンじゃないのか? これでいいのか? 本当に? 感染者数の増加とオリンピックは関係ないという政府の言葉を信じて、オリンピックがスポーツウォッシングに利用されていることからも顔を背けて、知らない顔をし続けるのか? 夢を与えた子ども達の、行き着く先がここですか?
ここまでぐだぐだと八つ当たりじみたことを書き連ねたが、私はアスリートの方々に「声を上げろ」と要求する気はない。なぜなら、そういう声を上げるにはアスリートの方々があまりにも多くの物を背負っているからだ。私はスポーツ界に明るくはないが、きっと上の人間から圧力を加えられたり、干されたり、スポンサーにいい顔をされなかったりするのだろう。私だって社会の変革のために人生と夢を投げ出せと言われたって、きっとできない。私は、自分が出来もしないことを他人に要求してはならないと思っている。そもそもこうして匿名で文章を書いている私がそんなことを要求するのはお門違いだ。
だから、何かアクションを起こして欲しい、とは言わない。ただせめて知って欲しい。そして考えて欲しい。多くの人が「一生に一度」の機会をなくした。それはあなた方の「せい」では決して、決してないけれど、でも無関係ではないはずだ。そして感染が拡大した今、更に多くの「一生に一度」が失われようとしている。踏み付けにしたとまでは言わないけれど、オリンピックはその上で成り立っていると、どうか知ってほしい。
子ども達やその親御さん方に「感染者が増えたから予定されていた学校行事が中止になった」と伝えられる度、胸が痛くなる。七夕の短冊に「修学旅行に行けますように」と書いて、それが叶わなかった子の寂しそうな顔が、破って捨てられた短冊が目に焼き付いて離れない。一つ下の後輩が「未だにキャンパス内の地図を覚えてないんです」と苦笑した顔が忘れられない。お子さんの卒業式がなくなって涙ぐむ親御さんの顔なんて見たくなかった。
あの人達がどんな思いをしているのか、政治家と、申し訳ないがアスリートの方々にも想像して欲しい。それでも尚、「関係ない」と思えるか。もしも「関係なくない」と思って下さるなら、ぜひ一緒に考えて欲しい。私はどうするべきだったのか。貴方はどうするべきだったのか。どうしたら子ども達にとってよりよい社会が作れるのか。難しいことだし、私も結論は出ないけれど、でも考えないより考える方がずっとましだ。
もしかしたら、私がこんな文章を書く前から皆さん色々と考えて下さっている方もいるかもしれない。だとしたら釈迦に説法で申し訳ない。だが、パラリンピック選手団の方々の「子ども達の観戦を」という提案をみて不安になったのだ。「オリンピック・パラリンピックが開催されて、出られたらそれでOK」と考えていらっしゃるんじゃ、と。だからこの文章を書いた。あなた方の「一生に一度」は叶い、その裏で多くの「一生に一度」が失われている。それもあなた方が夢を与えたいと仰った存在の「一生に一度」が。お願いだから、その意味をよく考えて欲しい。私も私に出来ることをするから、あなた方もあなた方にできることをして欲しい。
まあ冒頭で自己顕示欲を抑えきれずに自分の成人式のこととか書いてる時点でお察しだが、私自身「子ども」という存在を利用して自分の主張を書いている面は否めない。その手の批判は甘んじて受け入れます。そもそもはてなに投げてる上このクソ長い文章に批判が来るほど読み手がつくかは甚だ疑問だけど、一応。