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はてなキーワード: 学食とは

2024-11-08

anond:20241108145948

俺は5年間週3で通った学食で同じメニューしか買わなかった 食事から得られる快楽なんか知れてる(何を食ってもまあまあ美味い)んだからリスク取る意味いね

2024-10-23

有名な映画セリフ

1. 「うぉぉぉぉ!あのカップ麺3分待てない!」(『カップヌードルインパクト』)

• 熱湯を注いだ瞬間から始まる命がけのバトル。なんだかんだでやっぱり待てない。

2. 「スイカバーの種を全部取るのは無理だよ…!」(『夏の終わり』)

• さわやかで甘酸っぱいシーン…のはずが、ひたすらスイカバーの種と格闘する少年一言

3. 「これが…わが家のポテトサラダ秘密だ!」(『お母さんの料理は最強』)

何の変哲もない家庭料理が、まさか世界を救う鍵に!?

4. 「バルス!…え、まだ?」(『天空の城の昼下がり』)

タイミングを完全に見誤った呪文一言。ドキドキが一転して、微妙空気に。

5. 「オレたちの焼きそばパンは…まだ終わらねえ!」(『学食サバイバル』)

• 買いに行くたびに売り切れ。それでも諦めない男子高校生たちの奮闘劇

6. 「いいか、ここがタピオカ限界だ。」(『タピオカ・ウォーズ』)

• もはや謎の深さを感じさせるセリフ飲み物なのか、それとも…?

7. 「フライドポテトを、無限に!」(『ポテト伝説』)

フライドポテト好きによる、フライドポテト好きのための壮大な叙事詩

8. 「猫が人の言葉をしゃべったら、すごいことになるに決まってんだろ!」(『しゃべる猫』)

• しゃべり出す猫のせいで、とんでもない大騒動が巻き起こる。

9. 「これが…俺の人生最後チャーハンだ。」(『チャーハン夜明け』)

• 炒められる米とともに人生を振り返る主人公まさかの感動巨編。

10. 「天丼天丼が足りない!」(『天丼無双』)

ラストで飛び出すこのセリフ。とにかく天丼が足りないらしい、理由誰も知らない

2024-10-17

ダイエット飯、炭水化物ダイエットを諦めて、敢えて発芽玄米の米を食べるとして、

メインディッシュはもう家で食べないで、学食とか社食でいうところの、よくオプションが棚に入ってるじゃん、冷ややっことかお浸しとか漬物とか生タマゴとか納豆とか、

米と棚のオプションみたいな構成だけにしようかな

あと味噌汁、これはインスタントでいいし

ダイエット云々は大事だけど、それより調理がどんどんめんどくさくなってきた

毎食メインディッシュがなければいけない、みたいな強迫観念が太らせてるんじゃないだろうか

お米と納豆と生タマゴとキムチ、みたいなのを最近繰り返し食べてたら、これでいいんじゃないかという気がしてきた

バランス良く食べるよりも、とにかく食べる量を減らさないとなぁ…😟

2024-10-15

anond:20241015130530

大学学食で、おばちゃんご飯の上に麻婆豆腐だったかかけてて、俺が

「それ注文したのと違うんですが…」

みたいに言ったら、しれっと同じ皿に別のあんぶっかけて、ミックス丼がやってきたのを思い出す…😟

2024-10-11

貧乏人は独立系書店に行くな

私は本が好きだ。なるべく新刊を買うようにしている。

しか最近バイトが減ったこともあって本に使えるお金はあまり多くないので、買うときはなるべく吟味して本当に必要ものを買うようにしている。

先日も、以前から気になっていた小さな独立系書店に立ち寄る機会があり、いつものように陳列された本を吟味していた。

すると、

「長時間立ち読みはご遠慮いただけますか」

……え!私に言っているのか。

かに、私は15分くらい店内をうろうろしていた。ちょっと長かったかもしれない。

だけど一冊一冊はちょっとずつしか目を通していないし、決して「ここで読破してやろう!」ってわけじゃないんだが。

他の個人書店ではそんなことを言われたことがなかったので心底驚いた。

しか本屋も厳しい商売だし、と申し訳なく思ってしまい、そのとき手にしていた学食3回分の値段がする本を咄嗟レジに持って行ってしまった。

本に罪はない。でもモヤモヤした。

「売り物を汚い手で触るな」「買う気が無いなら帰れ」という言い分も分かる。あくま商売から

でも私は、本屋はいろんな人に開かれた場であってほしいと思っている。

しかも多くの独立系書店は、そのリベラル性によって客を集めている。

お前らは、在日朝鮮人トランスジェンダーに関する本を陳列してマイノリティ連帯する素振りを見せつつ、貧乏人は排除するのか。

インターセクショナリティ概念とは何だったのか

でもやっぱり、お金がない人は小さな新刊書店に行くんじゃなくて、蔦屋書店とかブックオフかに行った方がいいのかもしれない。

今度からそうしよう。

2024-10-10

学食で隣のテーブルで話していたやつが

「なんで中指立てたら怒られるんだろ…仏陀だって

中指立てて天上天我唯我独尊って言いながら歩いたじゃん。仏陀は良くて凡夫の俺はだめなんかい」と言っていたけど

「それ、中指じゃない、人差し指だ!」

心の中で突っ込んでしまったよ私は

2024-10-05

[]きょう、図書館で悲しくなった

普段はこういうのは日記帳に書くんだけど出先で持ってないのでここに書く。

昨日移動に4時間かけて内定式に出席した私は、まだ土地勘のない場所で今晩の食事の予定までの時間を潰さねばならなかった。

お金もないし充電もないしで図書館に入った。土曜日図書館勉強している人でいっぱいだった。勉強していない人もいっぱいいた。みんな本を読んでいた。

そんなごく普通のことすら自然にできなくなっている自分が恥ずかしく、悲しかった。

この数年、心からかに没頭できない。心から求めるものがない。

以前は知識欲が旺盛な方だった。知識を得ることに純粋な喜びを感じていた。

何かを極めて一番になるタイプでもなかったけれど、本屋に入ると興味のある本を探して手に取り、気づいたら1時間経っていたり家族とはぐれたりしていた。

今もその時の興味の残り火で研究らしきものをしている。来春には研究とは直接関係のない職種に就く。

気づけば趣味にも興味にも義務感を感じるようになっていた。

頭が働かなくなった。数学思考論理的思考ができなくなった。脳のメモリが0になった感覚認知機能全般短期記憶力も長期記憶力も落ちたように思う。

休みの日は何をしているの?」という質問に「美術館行ったりするのが好き。趣味は〜〜で〜〜」と答えるけれど、そう答えるためにそれらの行動をとっているような気がする。

文章を読んでも目が滑って飛ばし飛ばし読むようになってしまった。思考に関する忍耐力が本当になくなってしまった。解けない問題を考えるのが好きだったのに、今はその逆。

ツイッターを見て、リプにぶら下がっているwiki記事を読む。その中のリンクから別の記事に飛ぶ。これにすらどこか「情報を得なければ」という義務感と焦りがつきまとう。美術館で展示を見る。展示につけられた説明飛ばし飛ばし読む。何か感じなければならない。何か得なければならない。自分思考力低下から来る考えだと思われる。

いろんな原因を考えた。

うつ病うつ病ではないにしても何らかの発達障害(元々その気はある)もしくは精神疾患

入ってくる情報量が多すぎて脳が情報処理方法を変えたのかも。

何かで見かけた「脳は使わないと錆びる」という言葉が浮かぶ大学に入って二年ほど、みるみる落ちる思考力と怠惰単位を回収するのに必死自分で考えるということをしなかった。うん、やっぱり主な原因は怠惰ではないかな。

いや、ただ単に早熟子供だっただけかもしれない。天才も、二十歳過ぎれば...というように、大人になるというのはそういうことなのかもしれない。実際、医者を含め誰に話しても「別に普通に見えるけど...」と言われて相談にすらならない。

どんな話も本筋がどうせ理解できないので些細なことにばかり目がいく。少しでも何か情報を得なければ、置いていかれる。

漫画でさえも何も考えずに読むことができなくなった。心から楽しめなくなった。

同期は博士課程に進むらしい。後輩の一人も。

入った図書館で知っている人の博士論文をいくつか開いてみる。自分のいる分野だが中身を読みたいという気持ちが一切湧かない。楽しくない。

以前の自分のまま、勉学を楽しみながら進められていたら、今頃博士課程を考えていただろうか。無邪気に進学する同期や先輩にネガティブ感情が浮かぶ。私には何年かかっても終えることができないだろう。もう知識を得ることにも何かに興味を持つことにも楽しさが見出せないのだから

でも他人にそんな深刻な話題を出しても本気にされないから、これからも何かに興味を持つフリをしながら生きていく。

ここから追記(10/8 21:50)

Twitter自分日記をみかけるとは思わなかった。びっくり。

似たような状況の人が多く、また反応がいくつかに収斂しているので返信してみる。

休めってコメントが多いので先に書いておくと数週間後に5日間何もしない日を設けることにした。ネットを見ない、連絡返さない、自炊して掃除して散歩してぼーっとする。

・休め、情報を入れるな、寝ろ、ぼーっとしろ運動しろ、好きなことだけやれ

みんな優しい、ありがとう

スマホ依存自覚はある。言い訳すると最近全てがスマホに結びついているように思う。

日常の決済だけでなく、大学学食すらQRコード決済になった。家に置いていくことができない。

とはいえやっぱりTwitterインスタTikTok情報中毒になっているので、スマホを置いて散歩する頻度を高めようと思う。

寝てはいます。6時間は死守しないと次の日を虚無にしてしまう体質なので...

あと手を動かす趣味もある。狭い下宿で思うようにできず...というのは言い訳なのでちょっとずつ復活させていきたい。

コロナ後遺症では?

コロナ禍以前からこのような症状があったのでこれが根本的な原因ではなさげ。ただ、コロナ禍に入り塞ぎ込んだことで抑鬱状態になった(次の項目にも関連)。

その後コロナに二度感染し、各回で体力の上限が削られたような気がする。

病院行け

コロナ禍で抑鬱になったとき診療所に行った。これが続くと鬱病だと言われたが大学夏休み期間に入ったこともあり、寝付きの悪さやメンタル状態は多少持ち直した。今は楽しくはないけど鬱ってほどではないなという感じ。ただこれが一生続くと思うと絶望ちゃう

その後も不眠で精神科に行ったりもしたが、不眠以外はあまりにも健康ですね、と言われ終了。「脳にモヤがかかってるようで...」とは伝えたが日常生活が送れているので特に何も対処されなかった。

上の過程発達障害に関しても「グレーかもしれないが診断はつかない程度」と言われている。課題の期限は守れないけど業務連絡や病院の予約、友達との待ち合わせではむしろ早めに動きすぎて気を遣わせてしまうこともある。接客バイトでも優秀な方だった。プログラミングとか、数学とかができなくなった分のリソースがそっちに行ってるだけっぽいけど。頭の中が常にどうでもいいことで満たされていて、情報の整理ができなくなって久しい。コンサータ飲んでみたかったな。

これも診断ついてないけど幼いとき強迫観念がすごかった(儀式行為確認行為数字へのこだわり)のでメンタルが元々そんなに強くはないんだろうなーって感じ。

まり一応心身ともに健康ということになっている。

・俺かと思った

普段いる環境には何歳になっても情熱を失わずやる気で満ち溢れた人が多いので、同じような人がいっぱいいるのがわかって安心した。よくある悩みなんだな。意外とみんなこんなもんなんだな。いや、みんなこんなんで大丈夫なのか。

過去に同じ状態になったけどこうやって回復した/受容した/改善したというコメントはどれも参考になる。歳とってこうなる人も結構いるみたい。

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をという本を挙げている人も多かった。気にはなってたので買ってみる。

・恵まれてるね

相対的には少なかったけどいくつか見かけた。本当にその通りすぎる。能力環境のおかげで今まで好きなことだけやってどうにかなってきた。

好きなことじゃなくても淡々とやるってのも必要だなと改めて思いました。

なんか増田とは思えないくらいみんな優しくて少し泣いた。Twitter引用も、ブコメも温かった。

焦らず時間をかけてみることにします。同じ悩みを抱えてる人のつらさも少しでも減りますように。

2024-10-03

今日は大雨だった

それで昔を思い出すことがあったので、ちょっと書いてみることにした。

俺がまだ大学生だった頃の話で、その日は雨模様が変わって急にどしゃ降りみたいに振り出した。

俺は傘を持っていたか問題なかったんだけど、駅を出て少し歩くと向こうから歩いてくる女性が居た。

女性は傘を持ってなくて、大雨の中をびしょ濡れになって歩いてて、俺は思わず彼女のもとへ行って自分の傘をさした。

どうしてそんなことをしたのか。

元々俺は人見知りだし、人と関わるのがそれほど得意な方でもない。だからあのとき行為咄嗟に取ったもので、無意識にそうしていたというのが多分一番正しいと思う。何より大雨に打たれながら歩く人をそのまま見過ごすことができなかった。本当にただそれだけのことだったと思う。

女性は当然驚いて「え?」って感じで俺を見つめてきて、気まずかった。俺も慌ててしまって、しどろもどろになりながらも大雨の中を傘もささないで歩いていたからとか、そんなことを言ってたと思う。

それから少し話をして、彼女の家がそれほど遠くないことが分かった。家まで送っていきますと申し出ると女性は少し悩む素振りをみせて、それからお願いされた。送る道中はもちろん相合傘状態で、その間は何を喋ったか全然覚えてない。それほど会話もなかったと思う。何より俺は非モテで、そういったことに慣れていなかったので、とにかく緊張してた。彼女アパートにつくとそこで別れて、連絡先を交換した。

翌日のことだった。本当にびっくりしたのを覚えてる。彼女の方から連絡があって、もしかして◯◯?と大学名を言われ、当たっていたのだ。そして彼女も俺と同じ大学で、一年先輩であることが判明した。同時に、お礼に学食を奢るから来てと言われて一緒に昼食を食べたんだ。そこで色々と話して、どうやら彼女の方は俺のことを何度か見かけたことがあったらしい。

俺の方は先輩のことを知らなくて、ちょっと傷ついたみたいだった。俺は多分学年が違うからとかちょうど取ってる講義時間が違ったからですとか、とにかくテンパりながら色々言った。

先輩は冗談だよって笑ってくれて、そのとき笑顔が美しい…というか、なんか凛とした雰囲気の人なのに可愛くて、印象的で、今でも覚えてる。

それから交流が始まって、お互いはっきりと告白すると言ったことがないまま先輩と付き合い始めた。

そうなんだよ…こうやって、改めて書き出してみて分かったんだけど、そういえば告白してなかったな…ってことに気がついた。

でも全く告白をしていない訳じゃない。ただ順序が少しおかしいというか、告白は一度きりで、「結婚してください」と俺から言ったときだけだと思う。

今日、また大雨だった。駅に向かって歩いてるとき、傘もささずに歩いている年配のご婦人が居た。大雨の中、その人だけが雨に打たれていて、俺は気づけば女性を傘に入れていた。驚かれて、俺はテンパりながらまた説明して、それで二人で駅まで一緒に歩いていった。ご婦人は気さくな方で、よく話しかけてくれて、それで10分くらい楽しく駅まで歩いた。駅に着くと深々と頭を下げてくれて、感謝の印だからデパ地下お菓子まで頂いてしまった。

申し訳ないのでいいですよと言うとご婦人は「嬉しかたから、いいのよ」と言ってくれた。

それでさっき帰って妻にそのお菓子を渡したら「どうしたの!?」って驚いたから、ことの顛末説明した。

そうしたら「10年前と変わってないね」と微笑んで言ってくれて、なんだか胸がぎゅっとなった。

本当に嬉しかたから、思わずここに書いてみた。

それと高説を垂れるみたいで悪いけど、ちょっとした優しさが人を幸せにするなら、その幸せ自分にも必ず帰ってくるよというのを、もし共感してくれたら俺はすごく嬉しい

2024-09-07

新しいキャンパスがすげえ立派だった

大学時代、俺の行ってた学部ひとつだけ独立したキャンパスを持っていた もともと別大学だったのが統合されたので、前大学キャンパスをそのまま使っていた感じだ

キャンパスがある場所はまあ山で、「何もない山奥」というにはそれなりにものがあるんだけど、しかし他の街中にあるキャンパスと比べるとかなり見劣りする立地だった

そこは彩都という街で、彩都バブル時代ガンガン山を切り拓いて計画都市高級住宅街をやるぞー!つって途中まで景気良くやってたんだけど、バブル崩壊かなんかで計画がオシャカになってしまって、全てが途中で投げ出された……みたいなストーリーを持っていた これは俺が人から聞いた話を適当脳内補完したものなので、全然間違っている可能性アリ

背景はとにかく実際のところ、彩都はでかいマンションやいい感じの住宅街がフツっと途切れて途中からただ切り拓かれただけの更地になり、更地の先は切り拓かれてすらいない山となる、という、独特の景観を持っていた

そんでキャンパスのまわり、徒歩でフラッといける圏内に安いチェーン店とかはなく、歓楽街みたいなものも当然なく、交通手段モノレール(割高)がメインなので行きにくい、というような感じで、とにかく隔絶された雰囲気があった

講義が少ない日にキャンパスのまわりをフラフラ散歩してみたりすると、もう全然人とすれ違わなくて、道は広くて綺麗、マンションデカい、気軽に入れるウェルカム雰囲気の店は全然ない、というので、なんつうのかな、知らんけど共産圏みたいというか、そういう独特の孤独感っていうんですかね、ソリチュード、そういうものがあったように思う

あっでも、在学中にでっけえディスカウントスーパーができて、そこはちょっとウェルカム感あったな いや、無かった気もする 売ってるものが全部デカくて、店内通路も妙に広くて、冷房がムチャクチャ効いてて激寒、ずっとオリジナルコマーシャルソングが流れている、という空間だった

やっぱあの街って"そう"だったわ デカく、孤高 そういう雰囲気があって、それは実のところ好ましかった

そう、好ましかったんですよ

 

で、それはそれとしてですよ、この前久しぶりに大学の近くに行ってですよ、ちょうど俺が卒業したくらいに移転したという、新しいキャンパスを覗いてみたわけですよ

すげえ立派だったんだよなあ

まず、なにやら大規模な都市計画が動いたってハナシで、中心市街地から伸びていた電車の線を二駅ぶんくらい延伸して、その駅に直結する形でキャンパスが設けられているわけよ

安い・早い電車で、駅直結でいける場所にある これはデカ

そんでなんか、大学ってだけではなくて市民交流の場も兼ねよう、みたいな構想があったらしくて、図書館なんかが市民図書館大学図書館を合体させたオシャレな感じの建物になっている

ハワイアンカフェなんてものが入ってんだぜ 図書館

俺たちの時代には図書館には当然なにも入ってなかったし、そもそもキャンパス内にあるのは最低限の機能を備えた学食だけだった(ササミチーズカツはマジで美味かったですけどね)

大衆迎合たからといって専門性も損なわれていない感じだった 1階は広く読みやすい本が集められてて、3階とか4階に行くと誰が読むねんって感じの本の集合になっていた まったく悪くなかった 自習室とかワーキングスペースみたいなのもあって、全体的にカッコよかった

まあ実際、よく考えると俺たちの時代図書館にもそういうのはあった気がするんだけど、根本的な機能が同じでも、古く薄暗い場所にあるものと新しく明るい場所にあるものでは、後者の方がイケて見えるわけじゃないですか

そういうことなんですよね

そんでこれはまあ偶然なんだろうけど、キャンパスに隣接するところに酒メインのスーパーとか揚げたて天ぷらのチェーンとかそういうものがある

俺が大学時代、わざわざ地図を見ながらバスに乗って来て、天ぷらを食って酒スーパーを覗いて帰ったあのコースが、キャンパスに隣接している

キャンパス建物自体もなんかよくわかんねえ網目状の構造物がついてたり、ガラス張りっぽい感じだったりしてカッコいい

直結する駅は地下(?)にあって、そこまで降りるエスカレーターが長くてアイコニックだ 駅構内キューバサンドを売ってたり、謎のアーティストジャズみたいなのを演奏していたりもした

なんというか、体験密度が違いそうだった

俺は彩都が好きだったし、空きコマに巨大ディスカウントスーパーに走って100円のタコ焼きを買って、ボロボロの部室でひとりそれを食うのはかなり良い体験だったと素直に思っている

いっぽうで、あの新しいキャンパス大学時代を過ごしていたら、俺はもっと文化的な4年間を過ごせていたんじゃないか?という思いも捨てきれない

あのわかりやすくカッコいい図書館にだったらもう少し通ってたかもしれん 天ぷらを常食していたかもしれん スーパー銭湯の常連になってたかもしれん

キャンパスを出て散歩すっぞ!と思って外に出る道を歩いてたら「マムシに注意」って書いてある看板が立ってて心底ビビったり、キャンパスの裏にある山を登ってそこにある公園トイレに入ったらカマドウマみてえな虫がメチャクチャ死んでたり、ああい体験も確かに悪くはなかった リトアニア語の集中講義を受けるなら、ああい孤立した場所で受けるほうがより没入感が出てよかったと思う

悪くはなかった一方で、あと何年か遅く生まれていたら、あるいはもっとアーバンキャンパスライフを送ることもできていたのかも、と思うと、少し悔しかったりするわけですよ

人生ってそういうもんですよね

 

2024-08-31

アメトークの「男子校芸人」を見てるのだが、「学内女性が居なさすぎて、学食・購買・保健室のオバちゃんを異性として見る。誰が好きか話し合う」と言っていて

そんなことあるかと笑ってしまった

いくら男子校であっても学外には女が山の様に居るわけで

何も身近な女で済まそうとしなくてもいいじゃんという話

まあ、世の中「同じ学校・学年・クラス部活サークル職場恋愛」が溢れていることを考えると、手近で済ませるのも仕方ないのことなのかもなと思うけれども

そういうのも別に「面倒だから」じゃないんだろうけどね。単に「いつも傍に居るから」という理由で好きになるとかなんだろうけれども(自分だってそうだし)

でもなあ

男子校でオバちゃん狙いとか、冗談だろうって思う。「ちょっと年上の女教師」とかだったら分かるけれども

…違うのか?

女ならなんでもいいのか?

オバちゃんなんて自分の母ちゃんと同じじゃないのか?

それとも最初から婆専なのか?

2024-08-27

学食PayPay

行列のできる位置が食券機前からカウンター前に移動しただけでは?

食券の並べ方で茹でる麺の数やトッピングを把握してたのに、スマホを一瞬見せられただけで注文を全部覚えなきゃならなくなって

給食のおばちゃんがかわいそう

過労死すると思う。

2024-08-06

写真撮ったお金奨学金返してる

大学生のうちから写真撮っては写真販売サイト投稿

飯の写真とか風景とかな

3万円稼げればいいわけでして。

【たくさん投稿したら】だれでも稼げます

パッシャパッシャとってアップ。

sns美少女アイコンにして

写真撮り方教えてーって呟いてたら

すーぐよ。無料で教えてもらえる

調べてもいいけど

としょかんいってかりてもいいしな

学食写真だけでも2000枚はあるから

自分のとって

人のも撮ってた。

飯の写真撮るだけならみんな許可してくれるで。

旅行行きながら写真撮るかーって

やってたからそんな大変でもない。

2024-07-19

anond:20240719164105

大学入ってサークル飲み会で酒飲んだら退学食らったみたいなレベルの話でやったことに対して明らかにやり過ぎなんよな。

2024-06-18

学食ロリータファッションのおじさんいたんだが

ワイが大学生のころの話な

からもう十数年前なんだけどさ

ロリータファッションで首から上は普通のおじさんってやつがおったんよ

あれが存在としてなんだったのかいまだにはっきりしてないんよ

今で言うLGBTとは違うだろ?

トランス女性なのだとしたら、髪型ぐらい女っぽくするだろうし

そもそも女の格好するならまだしも、ロリータである必要性が全く無い

ある程度の大学から、そんなのが居てもみんなスルーしてたけどさ

今考えてみても、一体なにがどうなっておじさんがロリータファッション学食で飯食ってたのか説明つかんのだが、お前らはなんだと思う?

2024-05-28

ごめんなさい。筆者大卒です。嘘ではありません。

高卒と思った方は間違っています

証明することはできませんが、大学学食小麦粉まみれの安いカツカレーがあることを知っています

下ネタみたいでごめんなさい。他に証明の仕方がないので。

2024-05-26

anond:20240525112330

全日キャンパスがあって、通信教育もやってるとこに入るのがいいと思うよ

学割だけなら放送大学が最強

学食図書館は近場の市民に開放してるとこ多いよ

学部講義別に潜り込むだけなら身分いらないと思う

2024-05-25

親「働かず食う飯は美味いか」俺「そもそもお前の飯を美味いと思ったことがない」

学生の頃、弁当を持たされてたがなんか適当に詰め込んでたせいかべっちょべっちょでかみごたえが全く無い薄味な冷凍食品と異様に薄味で全く飯が進まないおかずでやっぱりべっちょべっちょの米を流し込むを学食で買ったジュースで流し込むという苦役のような昼飯をしてた。

正直いらなかったし昼飯代持たせてくれたほうが嬉しかったがそんな事言うとブチギレ確定なので言わなかった。

今は自分の部屋があるのにほぼ朝から晩まで台所居座り趣味の品を広げる母親に嫌味を言われながらあの頃と大差ない飯を食わされてる。

しかも年取ったせいか食が細くなり薄味化が進んでいるので量が少なく味も薄いという苦役度が高まっている

しかしいらないと言ったらブチ切れられる。というかブチ切れられた

そんなのなら自分で買ってきて自分で作りたいのだが、朝から晩まで台所に居座る母親の前でそんなことやったら戦争だろう。

その癖すこしでも気を抜くと「食費を」「作ってやってる」といった上から目線の嫌味が飛んでくる。

そのため我が家での食事は黙って目の前の飯出されたを流し込む作業しかなく、わりと普通に一人で食うマックのほうが美味い。

というかストレスを感じながら神経を尖らせながら食うなに食ってるのかわからない飯はホントに食べた気が全くしない。

夜食カップ麺主食になってるまである

食事は何を食べるかではなく誰と食べるかやんだなとほんとに思ったりしながら日々暮らしている

楽しく一緒にマックを食べれるような友人が欲しい。。

anond:20240524223357

学割使いたい

・好きな時に学食図書館使いたい(貸出含め)

面白そうな学部講義あったら潜り込んで聴きたい

こういう目的でなるべく家に近くて受かりやす大学院(学費安ければ安いほどいいので国公立)行こうと思うんですけど、いきなり研究室に姿一切現さないと問題になりますか?

「体調崩しちゃって、回復するまで研究できないです」

と言えばちゃん放置してもらえますか?

2024-05-15

anond:20240508162036

安くコーヒーを飲みたいだけなら自宅で飲めばいいんだよ。それが一番安上がりに決まってるだろ。 

外でコーヒーを飲むのにかける金のほとんどは場所代(含時間代)なんだからさ、場所代コーヒー代として出す価値がある金なら多少高くても出せばいいってだけのこと。一方、いくら安くてもその金に見合う価値の無い出費なら典型的な安物買いの銭失いにしかならない。

俺なら快活クラブとやらで280円出すよりも、まともなホテルラウンジで1000円出してコーヒー飲む方がずっとマシで有意義な出費に思えるね。 

繰り返すが、安さを最優先に考えるなら自宅で飲め。それか大学学食とか役所食堂とか、そういうところで安くすまりゃいいじゃん。

2024-05-11

食事通の黄金比、それはマズい飯1、インスタント3、学食レベル3、激うま

これくらいがちょうどいい

うまみ慣れした舌は平和ボケでショボい

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。東プレという会社だ。今は、産業用のキーボードとか作る仕事をしている。

オフィス工場は、東京神奈川にある。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

https://d.kuku.lu/fnam52xya

https://d.kuku.lu/fvzdknbv6

https://d.kuku.lu/nhm347cjs

https://d.kuku.lu/xvwa6hugx

ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

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大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分は、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」

って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、現時点の感覚で、「学生時代は楽しかたか?」と自問すると、「楽しかったよ」が答えになる。

当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識ではわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 2/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193038

大学2回生の頃~

学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。

ここでは、体育会部活支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活トレーニングルーム使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。

自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。

ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。

あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。

結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。

確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチ回避してるんだよな。日中スズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫である

ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部柔道部といった上意下達イメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。

3.柔道部とそれ以外の部活の人

 夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパス中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベータートイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。

 基本的に、体育会人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。

 例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。

 ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。



まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。

大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制イベントだったけど、ああい体験って、あの時分じゃないとできない。

大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉カフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。

教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。

大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。



4.野球部の人たち

 今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。

 どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっとなすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。

 さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社講義室に似てる)で、中国明朝歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。

 授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。

 出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。

 これはいかん、と思って俺は、「ちょっとちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。

後輩に「当たり屋やれ」 佛教大野部員、無期停学に

(以下は個人ブログURL長大のため短縮化)

https://x.gd/2hdl3

 上記ニュースは私が入学する前の出来事だが、大学体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。

 結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。

教職員に対する懲戒処分について(令和6年2月13日

https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html

 上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。

 ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的存在についてはキッチリ管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。

不満ばかりを書いてる気がする。

大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部(サークル)である

文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字作品創造する喜びを得ることができた。

あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。

最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分仕事ひとつになっていく感覚

こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味活動だってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会のものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定空間だったりもする。

ひとつ、少なくともひとつ大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。

あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。

どのアニメかは忘れたけど、女の子ドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技ダンスバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。

え、そんなもの面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

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