はてなキーワード: 習い事とは
祖母は優しかった。いつでも私のことを可愛がってくれたし、私も祖母の前では良い子でいられた。怒られたくないというよりは、悲しませたくない気持ちが強かった。自分のことを、いつまでも可愛い孫だと思って欲しかった。
自分が嬉しかったことを伝えたら祖母も嬉しくなると思っていた幼い頃の私は何かある毎にすぐFAXを送ったし、すぐ電話した。手紙もいっぱい書いた。遠方に住んでいたから、とにかく自分の存在を忘れられないように一生懸命だった。(今考えたら疎遠でもない孫を忘れるはずがないとは思う)
祖母は手料理をほとんど作らなかった。作れなかったのか作らなかったのかは分からない。いつも祖父母に会いに行くときは2.3日しかいれなかったので、外食をすることが多かった。きっと子供だから外食を喜ぶだろうと思ってたのだと思うけど、私は祖母の作るご飯が食べたかった。結局祖母の手料理は1回だけしか食べられなかった。おにぎり。誰が作っても美味しいのかもしれないけれど、私は今でもあのおにぎりの味を覚えている。
祖母は刺繍が上手だった。亡くなってから知ったことだけど、祖父母の家にあるのれんやリュック、ポシェットや額縁に入った布の作品すべてが祖母の刺繍作品だった。少し大きい象の人形のようなものも祖母が刺繍を施していた。本当は色々やりたかった刺繍があったらしいけど、段々と細かいものが見えなくなって諦めたらしい。やりたいのに出来ないってどんなに悲しいことだろう。
私が高校生になってなかなか祖父母に会いに行けなくなっていた。一般家庭におけるFAX文化も廃れ、電話は祖父母のお誕生日、敬老の日、お正月くらいに減っていた。それでもたまにする電話で祖母は私がする話を嬉しそうに聞いてくれた。習い事を続けて頑張っていたことも褒めてくれた。
祖母は段々足が痛いというようになり、歩けなくなった。父と祖父母の3人で旅行した時、祖母はすぐ疲れたといい椅子に座っていることが多かったらしい。せっかくの旅行なのにごめんねと謝る祖母を見て、父は涙が出そうになったと言っていた。私は聞いているだけで胸が詰まり、お風呂で泣いた。
祖母は寝たきりになっていった。動くのがしんどいと言い、会いに行ってもずっとベッドで横になっていた。足の筋肉は衰えて、私の二の腕くらいになっていた。また私はこっそり泣いた。
祖母は記憶をなくしていった。電話をした時、私のことを伯父と間違えた。話が噛み合ってないような気がしたけど、訂正することが良いことなのか悪いことなのか分からず誤魔化した。電話を切ってから父に気付かれないように泣いた。
祖母はものを食べることができなくなった。この頃になると祖母は祖父以外の人を誰なのか判別できなくなっていた。新幹線に乗り久々に会いに行った祖母は、祖母だけど祖母じゃない別の人のように感じた。いくら話しかけてもこっちを見てくれなかった。そりゃそうだ。毎日何も口にしていないから首を動かす力もないのだ。そこで急に祖母がいなくなることが怖くなって家族の前で泣いた。まだ目の前に祖母は生きているのに。
そして祖母は息を引き取った。祖父も父も伯父も家族みんな揃って最期を看取れたらしい。父は仕事柄頻繁に全国出張に行くので本当にタイミングが合った奇跡だったと思う。
お通夜は次の日だったので、その日は普通に仕事に行った。上司に報告して、訃報連絡の書類などは自分で作った。みんなに全然悲しくなさそうだねと言われトイレで泣いた。悲しくないわけがない。
棺で寝ている祖母は安らかな顔だった。ガリガリになっていたから綿を詰めていたのがすぐ分かった。祖父が、棺に入れようと言って私がいっぱい書いたFAXや手紙を持ってきた。中には祖父宛に書いたものもあったが、祖父は構わず全部入れてしまえと言った。ちょっとそれはないわと思って笑ってしまった。
祖母に送る最後の手紙はいつまでも私のことを可愛い孫だと思ってもらえるような内容にした。天国で再会した時に可愛がってもらわなくちゃいけないから。
おばあちゃん、ご飯はいっぱい食べれてますか?私がそっちに行った時は豪華な手料理食べさせてね。
あと、おばあちゃんの刺繍の本と糸もらったよ。1年かけてまだほとんど何も作れてないけど、一生の趣味にしたいんだ。おばあちゃんの血が入ってるから才能はあるはず。数十年後、私の棺に作品を入れてもらう予定だからその時にまた見せるね。
去年のことだ。
ペアチケットを譲り受け、彼氏とディズニーに行くことになった。
チケットは彼が持っているので有効期限は彼氏のみが知ってる状態。
空いている平日に行きたいね、とお互い言っていた。
有効期限の1週間前になって、有効期限がそろそろ切れることを言ってきた。
正直平日に行きたかったが自分から聞かなかったのも悪いし土曜日で了承。
さらに、3日前になって「土曜日は習い事があるから日曜日に行ってお泊まりしよう」と。
せっかく休みを取ってくれたなら悪いから私も会社に無理を言って休みをもらった。
翌日、彼氏は休みをとる日付を間違えていたことに気づいたが、変更はせず
責任感無さすぎ。
ただ、向こうにも向こうの事情があると思い黙ってた。
当日、待ち合わせで会って開口一番「土曜日習い事休んじゃった」
ほんと呆れた。
休んでいいような習い事のために日付ずらして、こっちだって休んでるのに。
呆れたけど機嫌に出してもつまらないデートになるだけだから我慢してた
土曜日ならお天気良かったのに。
お泊まりデートも終わって、お互い仕事も始まったので嫌味もこめて
「会社の人に直前にチクチク言れちゃったよ」と言ったら
「私の職場厳しいんだよね、次は気を付けないとね」といったら既読スルー。
こんな子供みたいな30代がいるのよ。
なんか生理的に無理になって、別れた。
自慢じゃないけど、何をやっても長続きしない。仕事に関しても基本的に根性なしだけど、楽しいはずの趣味で「やってみたいなぁ…」と思ってチャレンジしたものでもダメだ。
1 折り紙
子供の遊びだと思われてるかも知れないけど、連鶴(紙に切り込みを入れて何羽もつながった折り鶴を作る)とかユニット折り紙(何十枚も部品を折り上げて組み立て、
くす玉とかそれに類するものを組み上げる)とかなかなか技と根気を必要とする代物がある。高校生から大学生ぐらいまでは一所懸命やっていたんだけど、気が付いたら
めんどくさくてやらないものの筆頭になっていた。が、紙製品は相変わらず好きで、単価も安いので、折り紙とかキレイな包装紙とか和紙とか見かけるとつい買ってしまう。
老後の楽しみに取っておいてもいいんだけど、今よりさらに老眼が進んで、根性もなくなったら結局やらないんじゃないかと心配である。
2 切り紙
上記の目的で買い集めた紙製品を無駄にしないために、型紙がデータ化されてCD-ROMで付いてる本と、アート用の細かいところまで切れるカッターを買ってみた。1個か2個 ぐらい作ってみたけど、作った切り紙の使い道がなくて、すぐに飽きた。でも連鶴やユニット折り紙を作るよりはこっちの方がお手軽だと思うんだけどな。
無心に作業できるところが良さそうだと思って12色入りの色鉛筆と本を2冊ぐらい買ってみた。元の本に直接塗るのがもったいなくて、塗り絵をコピーして塗り始めてみた
けど、やはり2ページぐらいしかやらなかった。絵心はないけど、色を塗るぐらいはできるかと思ったのに。12色の色鉛筆だと色が足りないと思って、36色の色鉛筆を買い
足したけど塗ってない。
4 着付け
今一番のマイブームだけど、元手がかかるわりに続かなかったときのダメージが大きい代物。うちの母がある程度着られるのだけど、母は習い事にお金をかけるのはムダだと
いう考えの持ち主で、「惜しくない着物を買って自分で練習しなさい」と言われている。とりあえずリサイクル屋で紬の着物と名古屋帯、長じゅばんをそろえ、小物類は
ネットで手に入れた。DVD付きの着付けの本も買ったので、いつでも練習できるはずだけどやってない。多少お金がかかっても着付け教室に行って、強制的に練習させられる
数年前のことなのですが
ずっとモヤモヤモヤモヤしてることを文章にしてスッキリしたかっただけです
かなり情けない話しかしてないですが説教もアドバイスもされたくないで~す!!!
ダンスがやりてぇなぁ…とずっと思ってて
一人で習い事も始められない性格なので、そのまま高校を卒業した。
ダンスを始めるなら大学のサークル活動が最後のチャンスなのではないか…?
そう思って、今世紀最大レベルの勇気を出して大学内のダンスサークルに入部した。
部員は大学(女子大でした)内の学生のみ、ジャズダンスを中心にジャンル色々。
こじんまりしたサークルなので全員仲良し!!!みたいな雰囲気を作らされる。
これがまたハズレだった。
同期1年「先輩大好き!!きゃっきゃっ!!公演絶対観に行きますぅ~~!!!」
先輩(特に部長)「とりあえずみんなで居れば楽しいよねっ!!!」
私「オェ…」(明るく振る舞いましたけど)
入部を決めた1年は確か13人居た。
活動は月水土の週3。週2なら頑張れる気がするなぁ…と思いながらダンスサークルは1つしかないので…
1年次は必修の授業が多く、全休など無いどころか1限から5限まである日も多かった。
月水のサークルは20時までやっていたので、家に着くのは22時半くらいだった。
なかなかしんどくなってきた。
(私はオタクなのである!!!受験期に我慢して撮りためた録画が消化できないどころか
この年は自分的アニメ豊作期なのに全く観る時間がなかった絵を描く暇もない!!!)
ダンスはそこそこ楽しいが人間関係が無理すぎた私「ウワ~一緒に辞めたい!!!」
そして決定打。
部長「後期から定期公演に備えて週4にします」聞いてねぇよ!!!!!!!!!!!!!
部長「あとごめんなさい 大学祭のステージ申込み忘れちゃって出られなくなっちゃいました」
自分の時間が欲しいし人間関係はめんどくさいし何よりこの部長に従いたくない、
ということで辞めたいですって話を部長にした。本音など言えるはずもないので
「やる気がないです。やる気無い人が居ても迷惑だと思うので辞めます」的なことを言ったと思う。
もちろん引きとめられたんですがその返事がまた衝撃的で
要するに「やる気がないならやる気出して辞めないで」と言われ(???)
「自分の時間が欲しいです」と言えば「天秤にかけないで」と言われ(?????)
退部チャンス失敗。
本当に気持ちが冷めてしまったので、心底嫌々サークルに行った。
ある日別室に呼び出されて同期に囲まれた。なんだ説教か?お?やんのか?
辞めないで、って話と嫌な事があるなら言って、という話だった。
いや!!!そういうところだから!!!!?!!??!?キッショいよ~ママ~~~!!!
文系女子ってどうしてこんなにめんどくさいのか(偏見ですごめんなさい)
グループラインで「明日○○ちゃんの誕生日にこれあげたいんだけど
今日バイトで買いにいけないから誰か買いにいってくれない?」とか平気で来る、
本音を言えるわけがなく、お金とか体力とか覚えが悪くてついていけないとか適当に誤魔化したが
この場が無理すぎて恥ずかしながら泣いた。いじめられてる気分だよ!!!
どうやらこのタイミングで辞めるのはマジで迷惑かけそうなので、
12月の定期公演まで残ることに決めた。私もちょっとは我慢して頑張ろうと思った。えらい
しかし週4はマジのマジでキツい(ので、この日は休んでいいよって調整してもらったりした)
真冬の帰宅即就寝4時起き朝風呂1限登校みたいな日は虚無だった。
一日のうちぼーっとする時間が全くない日もあってそこそこヤバめの精神状態だったと思う。
またまたしんどかったのが、公演のチケットを1枚500円×10売らなきゃいけないノルマ。
あの退部した子に1枚買ってもらって、残りは当然自腹になった。色んな意味で悲しかった。
そして迎えた12月の定期公演
を終えると、みんなは呼んだ友達と集まって盛り上がっているわけだが
私は呼んだ友達が居なかったのですこぶるみじめな気持ちになった。
そして無事に、やっと、サークルを辞めることができた………!!!
自分の時間を取り戻した今はアニメ観て絵描くなどして楽しいインタァネットをしています
余談ですけど、私は痩せ形で特に上半身がめちゃくちゃ貧相なせいで
もともと上手くないダンスが余計に下手に見えた。これはしゃーないんですが。
続けてたらもっと上手く踊れてたんだろうな…とずっと思っている
経験して辞めたせいで自分がダンス大好きってことを改めて自覚してしまったので
大好きなアイドルが歌って踊っているのを見ては「私もあの場所に立ちたいなぁ」と思い続けるのである
これは多分一生共にする呪いなのでもうどうしようもできない…
(ドルオタのオッサンも「自分もアイドルになりてぇ~!」って思ったりするんですかね)
かなり興味あったんですが、インタァネットに自分の顔面載るの無理すぎるのでやめておきました
ダンスやりたいって感情、ベストオブ自分に必要ない感情だと思います
自分は昔から人から可愛い可愛い言われてきたし、大学生の時も髪型のモデルとかやってたし、習い事のプロモーションビデオに選ばれたこともある。
今のチームは女性ばかりで比較的美人が多くて、私の隣にまたすごく綺麗な子がいる。斜めも向かいも可愛い人。で、まわりからも可愛い子の多いチームと言われている。
チームも仲良くて、よくお昼も一緒に食べたりプライベートな事もお喋りする。その中の1人で、やたらみんなの事を可愛いとか綺麗とか褒める人がいる。新しい子が入る時も「めっちゃ可愛い子入ってくるよー」って言ってた。
でも、私の事は褒めない。絶対褒めない。違う人が私の事女優に似てるって言っても、「そうですねー」で終わり。つまんなそう。
で、私の隣にいる綺麗な子は絶賛。モデルになれるよー!とか。いやモデルやってたの私ですが。
やっぱ同じ26歳、新婚、何となく分かる旦那の収入格差、住んでる場所の違い、みんなが彼氏や旦那の愚痴言う中私は全く言わなかったりとか、そういうのが良くないんだろうか。
ただ1冊の辞書に書いてあることを金科玉条の如くあつかって、思考停止することってそんなに偉いことなの?
なぜ誤解があるのか調べてみたら、かつては無利子の第一種が主流で、かつては免除職というものが存在したことに行き当たった。
下記によると、今は有利子の第二種が圧倒的に主流で免除職も廃止されている。
http://topisyu.hatenablog.com/entry/student_loans
30代後半以上では奨学金といえば「第一種で無利子のもので貸与のハードルが高い」、30代以下では「第二種で有利子のもので貸与のハードルが低い」と認識している可能性がある。
また、借入金額は以前よりもずっと上がっている割に給料は上がっていないので、家計に占める返済の割合はずっと大きくなっている。
https://www.j-cast.com/2017/02/08289885.html
総務省の小売物価統計調査によると、1967年の私立大授業料はおよそ7万4100円/年(6175円/月)、国立大授業料はおよそ1万2000円/年(1000円/月)だ。
また、2016年の物価は1967年のおよそ3.7倍。あくまで参考値だが、この授業料を16年の物価に換算すると、私立大授業料でおよそ27万3800円/年(2万2800円/月)、国立大授業料はおよそ4万4400円/年(3700円/月)となる。
しかし、小売物価統計調査によると、2017年1月時点の大学授業料(東京都区部)は、私立大文系で75万122円/年、理系は110万963円/年、国立大授業料は53万5800円/年、理系は53万5800円/年と、大きく上振れしている。
17年1月時点の入学費(東京都区部)は、私立大と国立大で22万円から28万円かかり、授業料と合わせて入学時に支払う初年度納付金は、100万円を超えるケースも珍しくない。大学の授業料が一般の物価よりも非常に速いペースで上昇し、50年前に比べれば、他に比べて極めて高い負担になっている。
一方、学部卒の大卒初任給は1967年の2万6200円が2016年には20万3000円と、10倍近くに上がっているのも事実だ。
塾でも習い事でも学費でも、借金せずにバイト代などだけで自分の教育費を自分で払うのって今時何歳からなんだろうね。
自分で払っていたら自分が何日働いたら学費が出るというのはイメージしやすいと思うのだが、そうでないと親や周囲の大人の価値観で物事を判断するのではないかと思う。ふつう、同じ名前のものは同じものだと思うと思うけれど、親たちの時代と大いに状況が変わったものをかつての認識で眺めていたら、判断を誤っても不思議ではないのではないかと思う。
あと、大学は一部の限られた優秀な人が行く場所だったからか、年配の人からは企業や地方公共団体が給付するタイプの奨学金を受給していたという話は結構聞くのだけれど。
それで、何が本質的なことだと思うの?
割りと真面目に書きます。
ただし、ここで達成する目的はあなたが愛おしく思う相手からチョコを貰う方法ではありません。
・定義
・手段
チョコをくれるであろう異性が多く存在する場所で何かしらの活動をする
・実例
ここまでの内容で、全てを理解できた人はこれから先の未来を思い通りにコントロールできる人です。
ここまでの内容で何も理解できなかった人は、これから先も得られないものを渇望し続ける地獄のような日々を生きる人です。
そうはならないために、最大のヒントを送ります。
はじめに定義した、「世界の全ては確率の結果によって出来ている」という内容に注目してください。
あなたが今まで得てきたもの、失ってきたものは、全て確率の結果によって生じています。
あなたが運良く手に入れたものもあれば、あなたが運悪く失ったものもあります。
そこで注目したいことは、この確率は、あなたが生物である以上、ある程度までなら能動的にコントロールができるということです。
確率と結果の因果関係は、確率の分母と分子、試行回数で決定されます。
しかし、その結果においては全てがその瞬間のくじ引きによって行われ、100%に近づけることはできても100%にならないのと同時に、0%に近づくことはできても0%にはならないという性質を持っています。
過去、あなたは全く起こり得ない確率の中で、成功や失敗を繰り返してきたのではないでしょうか。
しかし、長い人生の中で、積み重ねる試行回数が多ければ多いほど、確率どおりに結果は収束していきます。
これは確率が結果に近づこうとするようなオカルトめいたことをいいたいのではなく、積み重ねる試行回数の総数に比べれば一時の確率の偏りは微々たる誤差にしかならないからです。
そんな微々たる誤差を、人生が終わってしまったかのようなトラウマにしてしまう人の多きこと!
魚のいない水たまりに釣り竿を立てて釣れないことを嘆く人生を過ごしているくらいなら、魚が沢山いるかもしれない未知の世界を目指しましょう。
平たく言うと、あなたが思うような結果を得られないのは、あなたのせいではなくてあなたがいる場所のせいかもしれないということです。
今のあなたは、今のあなたを取り囲む環境の結果によって作られています。
気の置けない女の子のお友だちは何人もいる。男の子の友だちは1人いた。
過去形の理由は、最近男友だちになってもらったAくんからメールの返信がこなくなったからです。
もしAくんがこれを見たら「人のこと勝手に話して」と思うでしょうね。
Aくんはなんでも周りに相談せず一人で考えて答えを導き出すそうですが、私は色んな人に発信して意見を聞いたうえで答えを探していくタイプです。悪しからず。
Aくんの話をするにあたり、彼に私の考えは「やっぱりあなたは変わってるね、普通はそう解釈しない」って言われたのでちょっと自分のすきなものへの見方みたいなのを記します。
「私の人生」っていう国があって、そこに私の関連するものをどんどん入れていきます。
人だったり、ものだったり、仕事や学校だったり色々なものをどんどん入れていきます。
嫌いなもの、どうでも良いものもあるけどあんま見てもいい気持ちがしないから出てってもらう時もあるけど、国の記録にそういう事実がありましたよっていうので残ります。
その国で「私のすきなもの大会」が常日頃開催されていて、すきなものをひとつひとつ明確に順位づけするつもりはないけど
「AよりBがすき」「AとCは同じくらいすき」「DとEはよく知らないからすきか嫌いかわからないけど、どうでもよくはないから一応参加」
地区大会、県大会ときて全国大会まできたらすごい。全国大会の入賞者はメダルがもらえます。
「今回のメダル獲得は○○ちゃんとperfumeのニューシングルと隣町のカフェとうんぬんかんぬん………そして10年と100日連続入賞ですポルノグラフィティ―――!!!!!!」みたいな。
さて、Aさんの話に戻ります。彼に男友だちになってもらうまでの経緯はめちゃくちゃ長いんですがこんな感じ。本当に長いので飽きた人は ★★★ のマークまで読み飛ばしてください。
私が一昨年の夏に訪れたデッサンの教室の先生がAさん。つまり始めはAさんじゃなくてA先生だったわけですね。
絵を描きながらおしゃべりをしながら教えてもらうマンツーマンの個人教室、まあ多少はゆるいだろうなあと思っていました。
教室に通うに連れて私は疑問を抱くことになります。考えすぎなこともあるかもしれないけど、その時の私が思ったことだからいろいろ挙げますが、
・体験レッスンをしてから初めてのレッスンで終了時間が来たので帰ろうとすると「今日は近所でお祭りがある」と言われる。
予定があったので断ると「もしお祭りに行けたら、僕たちを見た人はカップルだと思ったかもしれないよね」と言われる
・本来昼のレッスンのはずなのに、本業を優先したいとのことで実際に来るように言われるのは夕方の時間
・レッスンが始まると、時々「帰らなくて大丈夫?」とは聞かれるが特に予定もないので「大丈夫です」って答えると22時すぎまで「今日はもう終わりにしましょう」とならない
・「私は年上に見られがちなんです」って話をしたら「僕35歳なんだけど年下に見られるから、もし僕とあなたが結婚したら同じ年くらいの夫婦に見られるかもしれないね」と言われる
・「奈良で包丁を買ったから家で料理を始めた」って話をしたら「たくさん料理を作ったら持ってきてね」と言われる
・「前回も長く絵を描いていてすみませんでした」って言ったら「そんなに長い時間描いていてA先生の家の子になっちゃいなさいって親に言われなかった?」って言われる
・時々頭を撫でてくる
これらに対して私はどう対応してたかと言うと、「アハハー、なんか恥ずかしいことしれっとしますね!」と濁していました。なんでかって言うと、それが生徒さんの対応かなって思ったから。
お金払ってレッスンしてもらっている身だからヘタな態度を取って破門だ!なんて言われたら悲しいですからね。
習い事の他に、芸術活動のインスピレーションを沸かせるためにみたいな感じで誘われて県外までお出かけしたのと、ボランティアのお手伝いに呼ばれたのとで、教室の外で2回会いました。
まあ大学でもゼミの飲みで先生来たりするよね!って感覚でした。
私はA先生のことをどう思っていたかと言うと「かっこいい〜!絵が上手い〜!いろんなこと知ってるから話してて楽しい〜!」って感じでした。
でも帰り道は毎回「え!?!?!?え!?!?!?どういうこと!?!?!?」とパニックでした。
今まで習い事の先生にも男の人にもそんなことされなかったから、どう言う意図でその言動行動になったのかがわからなかったのです。
先生と生徒だし「もともとそういうことしれっと言っちゃう人なのかな」とか思ってましたが私は当時24歳、先生は34歳。
さすがに子どもじゃないので「これは傍から見てどんな風に見える?」と思って友だちに相談すると
「今の状況じゃ好意を持ってるとも取れるけど僕はそんなつもりなかったってなる可能性も十分にある、深入りは禁物、様子見」
と、ごもっともなことを言ってもらえたので余計なことはせずに生徒さんをしていました。
さて、その後ですが私は仕事が忙しくなって教室に行けなくなってしまいました。
時は流れ去年の12月、私は今年度で仕事を変える予定だったので、今後習い事をどうするかを話しに再び教室に足を運びました。
私の都合の良い時間に通ってくれれば良いと言ってもらえて私はまたデッサンをがんばるぞーと思っていました。そこでのお話でまた気になったことがひとつ
「僕にお金があればお嫁さんになって僕のこと支えてって言えるのにな」
私は「なんでそんなこと言うんですか?」って聞きました。
あまりにもいつまでもこんなことを言うので、ただの冗談なのか本気でそう思っているのかが分からないと今後どのように接していけば良いのか分からなかったからです。
それに対しての先生の返事を要約すると「あなたのことは魅力的だと思っている、でもお付き合いしてほしいとか結婚したいとは違う、なぜなら自分にはお金がないのでそんな大それたことを言う資格はないからだ、ただ絵を描きに来てくれてお話をして、時々一緒に出かけられたら良い」みたいなことでした。
先生が子どもみたいなことを聞いた私に対して先生としての言葉で返事をしてくれてかつ「ここはあくまで教室だから先生と生徒らしくしろ」という意味を込めてこのような言い方になったのだと思いました。私は
「私も先生のことは素敵な人だなと思っている、私も絵を描いてお話をしてお出かけできたら良い、いま先生と生徒の垣根はゆるゆるだけど先生の創作活動の邪魔になりたくないし付き合うとか結婚とかは求めてない、ただ自分が好意を持っている女が男の影をチラつかせるのは嫌だろうから誠意を見せて合コンに行くのはやめようと思います…ってのは違いますか?」みたいなことを言いました。先生はそれで良いと言ってくれました。
さっきの国に当てはめると「先生のすきなもの大会に私は参加してます?」って聞いたら「僕の国のすきなもの大会にあなたは参加しているけど入賞はさせられない」って言われたので「なるほど!事情も分かったし、私も先生のこと素敵な人だなーって思ってたから入賞試合のシード権あげます!」と返したわけです。先生はそんなこと思ってなかったかもしれないけど、私はそう言われていると感じました。
帰り道「内縁の妻じゃなくてなんだ〜?内縁の彼女?すき同士?っていうか、人のことがすきって、それ以外の名前をつけなくてもいいんだ!素敵!」って思って帰りました。
次の日「すきな人とすきなことが出来るって幸せだな~、シンプルに生きよう」と思って友だちをルームシェアに誘ってOKの返事をもらい私はウキウキでした。
色々な話をする中で先生が「お互いに疲れた時の支えになったり癒しになったりしたら嬉しいよね」みたいなことを言ったので「アハハ、私でよければ」と答えると
「え?なんで?彼女でしょ?」
と言われました。え?名前ついたぞ?恋人にする気ないって言ったのに?なんかそういう会話あったっけ?って頭の中は大混乱です。
「そ、そっかあー、彼女かあー」って返してそのまま話は流れていったと思います。
「確かにお互いの事情で懇ろにはなれなくても絵を描いてお話をしてお出かけできたら良いっていう男女の関係を世間一般な言葉で表現したら彼氏彼女にはなるのかな」とか思ってました。
その後も、お互いにお互いの両親と親しくなりたいよねとか、友だちとルームシェアをすると言ったら「僕のために自立を決意してくれてありがとう」みたいなこと言われたりしました。
私が何を話したか全部は覚えていませんが、その向こうがそのつもりならこっちもレッスンで言ってなかったこと話してみようか、と思ってすきな俳優ががんばって活動していて応援しているんだという話をしたら
「僕もがんばってるでしょ」と、話の方向が変わってしまって残念に思ったのが印象に残っています。
帰り道、いままでの男性経験を聞かれました、抱き合いたいとも言われました。(先生は「仲良くする」という言葉で表現していました。そんな言い回し同人誌で1回しか見たことない)
手を繋ぐように促されました。手のヒレを撫でられました。「なんでこんなことするの?」って思いました。その後は適当なタイミングで手を離して適当なタイミングで話をして別れました。
私から見た先生は、入賞試合のシード権を獲得しただけで未試合の気づいたら彼氏になってた人、先生から見た私は見事入賞メダルと彼女の称号済み。早いよ~~~~~
言ってることとやってること違くない…?一回り上の男性と接するにはこのへん気にしちゃいけない感じ…?
と思っているうちに年が明け、お互いに「絵を描いてお話をしてお出かけできたら良い」ということでしたのでレッスンの日を決めることになりました。
ざっくりとしたやりとりはこうです。
私「火曜日はどうですか」
私「早い時間がいいです」
私「金曜なら16時〜19時で空いていますが」
携帯を確認すると16時半過ぎにも「いま向かってますか?」という旨のメール。しばらくすると「曜日を勘違いしていました、すみません!」という旨のメール。
私は「ヤバイな」と思いました。
「この人は私が火曜日の16時半にくると勘違いしていて、いままでのメールも確認せずに送ってきたということは、自分は間違ってなくて私が予定通りに教室に来ない人だと思って連絡してきてる!
しかも16時半過ぎにメールをしてくるってことは、この大雪の中でも私が家から教室まで足を運ぶことになんの疑問も持っていない!私が思う生徒と先生が思う生徒が違う!そして私が思う彼女と先生が思う彼女が違う!」
私は、先生に対して「先生と私で解釈違いが起きています。彼女でしょ?って聞かれた時に濁しましたが、家に持ち帰ってちゃんと考えたらそんなやりとりしてなかったです。
触られるのは苦手です。私も思わせぶりな態度をとっていたかもしれません、きちんとお互いにわかる言葉で話ができていなかったかもしれません、それは本当にごめんなさい。」という旨のメールを送りました。
先生もその内容を理解してくれました。でも、返信の内容に「もうあなたの気にすることはしないのでまた教室でお待ちしています」みたいな文があったのが気になりました。
もう先生と生徒でいるのには無理があると思いました。
それで私は「先生と生徒はもう無理があると思います、お友だちというのはどうでしょうか」という提案をしました。
先生は「あなたのいう友だちの概念はわかりませんが、あなたがそれで良いならそれで良いです」とお返事が来ました。
本当に長くなりましたが、そんなわけで男友だちのAくんが誕生したのです。
私から見ればAくんのシード権は無効、すきなもの大会は参加中で彼のポジションが今後どうなるかは謎の状態です。
その後、Aくんとお茶をしました。いままでのやりとりのおさらいをしました。
お互いに色々言いましたが、向こうから見たら私はもう彼女でも生徒でもないからなんだか怒られそうだなーって思うと怖くなってしまって自分の体が震えていました。
「恋人になるつもりがないなら合コンに行かないなんて言うな」って意味のことを言われたのは覚えてます。
「恋人にしたいとか結婚したいとか思ってないって先に言われたし、でも遠い未来には恋人同士になる可能性もあるみたいな言い方だったから私なりの誠意の見せ方だったのに」って言ったら
「それでも合コンに行かないって言われたら私を末長くよろしくお願いしますって言われてると思うじゃん」って言われました。
末長くよろしくだとしても、今まで先生と生徒でやってきたのに、すき同士だからって理由でいきなり手を繋ぐよう促されたり両親と仲良くとか言われたり男性経験がどうこうとか、がっつきすぎだろうと思いました。
「そうでも、ゆっくりが良いんです。恋人同士にならなくても結婚しなくても、末長くよろしくでお互いにお互いを知っていく時間がいるでしょう」と言いました。
お店を出てから「僕はあなたの恋人候補に入ってるってこと?」って聞かれました。
「候補とか候補じゃないとかじゃなくて、今はお友だちなんだからお友だちです」と言って別れました。
その後にメールが来ましたが、自ら身を引く感じの文面で私は悲しくなりました。
お友だちで良いって言ったじゃんと思って
「男と女とかオスとメスとかじゃなくて一人の人間同士で仲良くなりたいです、いままで先生と生徒でやってきたのでAくんは生徒としての私しか知りません、その状態で懇ろになるのは非常に危険だと伝えたかっただけです」
Aくんは「その内容を分かるところと分からないところがあるけど、それはあなたの考えだから尊重する。でも思わせぶりな態度はやめてほしかった」と返信をくれました。
私は「あまり知らない男の人は警戒します。自衛の行為のつもりだったが思わせぶりな態度になってしまったのは申し訳なかった、これからはもうお友だちなのでそういうことはしない、指摘してくれてありがとうございました」
と返信をしました。
その返事は、当たり前だけど来ません!!!でも悲しい!
人と話してて気になる表現があったら自分のものさしで解釈しないで雅とか風流とか気にしないで話の雰囲気ぶち壊しても野暮とか馬鹿とか思われるかもしれないけど、言葉の意味をちゃんと聞かないとたいへんなことになるんだなーって思いました。
恋愛偏差値20しかない…なんでも話せる男友だちがいたらちょっとは違っただろうなあー。
★★★
話した内容全部覚えているわけじゃないしメールの内容全部記載しているわけじゃないけど、私視点から見た今回のあれこれを最初に話した国と大会でお話しすると、
Aくんはとっても素敵な人だったからすぐに「私のすきなもの大会」の参加メンバーに割と早い段階でいました。
ある日の話し合いを機に私が彼にシード権を与えたら、いきなり「あなたはもう僕の大会の中では入賞してるよ!僕もあなたの大会の中は入賞してるよね!メダルをくれるんだよね!!!」って言われている気持ちになりました。
でも向こうからメダル欲しいなんていう人なかなか現れないから嬉しくなって、
メダル欲しいですか!そしたら私のすきなもの大会でメダルもらったものがどんななのか見せちゃおうかな、と紹介したら
「ふーん!っていうかそれほめるなら僕も!」って反応をされました。
「私がちょっと見せただけの国の状態を見て、男性が家族しか見当たらないのを見て自分ならなら大会で入賞していると思ったのかもしれませんが、県内での部活数が少なくて不戦勝で次の大会に出られているようなものです。
男ってだけでは入賞の理由にはなりません、むしろ私の人生で男性とはあまり関わりが少ないうえに今までロクなデータがないので慎重に吟味していました」
みたいなことを言ったのを最後に向こうの大会から私は除名、私の大会から彼は棄権みたいな感じになっちゃいましたとさ。
国の記録には残るけどこれでおしまい。
ここまでの話を友だちにすると「もっといい人がいるよ」なんて言われるけどちょっとその言葉にモヤモヤします。
この場合のいい人っはいつか彼氏や旦那になる男性のことを指すのですが、まるで異性に好かれてないと私は幸せになれないみたいな言い方に聞こえます。
私は「今回のメダル獲得は○○ちゃんとperfumeのニューシングルと隣町のカフェとうんぬんかんぬん………そして10年と100日連続入賞ですポルノグラフィティ―――!!!!!!」で幸せなんです。
楽しいことがいっぱいある世界である程度の年月過ごしてきた人の前にいきなり現れた人が、すきなもの大会に参加はできても入賞することって結構大変。入賞し続けることはもっと大変。
結婚をしてみたい気もするけど私はお家のための結婚はしなくていいし、一緒にいたいなーって思う人はいても結婚したいと思う女性も男性もいないというか結婚ってそもそもどんな制度?って感じで、子どもを産み育ててみたい気もするけど今そういうことしたいとは思う男性はいなくて、精子提供や養子縁組も今は考えてません。いつかご縁があったら結婚して子どもを産み育てることもあるかもしれないねってくらい。
結婚も出産も子育ても「すきな人とすきなことした結果に名前をつけたもの」って感じがする。
私は周りに結婚や出産を催促されても結婚や出産や子育てをするための「いい人」はいらない。
すきな人とすきなことをしたい。
△ちゃんとライブに行くのが幸せ、□ちゃんとお茶しに行くのが幸せ、時間が取れたときは絵を描くのが幸せ、パンにはチーズをのせて3分チンするのが幸せ、
Aくんとは絵を描いてお話してたまにお出かけするのが幸せで、もしかしたらその先にまた違う幸せが見えてくるのかも、なんて思っていたけど、向こうとは歩く速度が違うようです。残念。
2年前に知り合っておつきあいを始めた人と結婚することになったお友だちに、こんな話をタラタラとしたら「私の彼氏はすごいことを成し遂げた人なんだなあ、2年でメダル受賞までこぎつけるなんて。私は警戒心が強くて大変だったろうに」って嬉しそうに笑っていました。「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という広告を思いだしました。素敵だなあ。
読みにくい文章でごめんなさい、文章を書くのは苦手です。最後まで読んでくれてありがとうございました。
追記:抜けてた文を追加して周辺の文章を整えました。
今一度、言っておこうと思う。
「育児休業で会社の負担は0です。社会保険も免除されてます。」
なので、単純に育児休業を取る場合は、その部署や周りの方々との「調整」というのが
基本的になります。というか産休から自動的に育休になるし、その辺は妊娠からすでに
調整は始まっているわね。
しかし例えば、最終的に育休後に辞める場合は、少し前から周りの部署にそれとなく
恨みつらみはできるだけ少なくする方法を考えて実行した方が後々はいいと思う。
周りが恨み言とかぶっちゃけどうでもいいと思う。
それは単なる現場の上司やマネージャーのマネジメント能力がなかった。
というだけです。
別に育休に限らず「突然やめるやつ」なんてごまんといるんだよ。
後、派遣社員がどうとか言ってるけど、短期で雇われる前提で派遣社員やってるのでしょ?
派遣業という性質上、当然そういう穴埋め的な使い方もされるわ。それが嫌なら
派遣をやめて、正社員になればいいじゃない。(マリーアントワネット調で)
職業選択の自由はあるよ。事情があって派遣やってる人は別だけど。
後、増田に最後に言っておく。ほんとにまだ間に合う所にあなたはいるから。
仕事が嫌で辞めたいってことだけど、それは
「今の仕事が嫌で辞めたい」なのか、「働くことが嫌で辞めたい」
なのかはちゃんと考えてください。
前者なら、やりたい仕事や「これならちょっと得意かな」という仕事を探して
子供産んで3歳くらいまで仕事をしないでパートとかで、落ち着いたら復帰したいな。
とか無理だと思います。(絶対ではないけど復帰できる確率は相当低い)
子供産んで仕事辞めたら死ぬまでパートになる。よほどあなたが優秀でない限り。
自分でビジネスするとか、稼ぐ力あるとかそういうのはちょっと、一般論から外すとして、
例えばあなたの年収が400万としましょう。(支給:月30万・ボーナス40万)
旦那さんのお給料が年収500万と仮定すると、結婚してから900万×3年
結婚後1年間、700万円
ここまで、合計で4年間3400万の世帯年収です。この辺まではいいでしょう。順風ですよ。
さて、ここらが問題です。あなたがパートになって、旦那さんの扶養に入ります。
パートでマックスまで稼ぐことはできないでしょう。育児は続きます。
保育園は無理ですね。働いてないので。
なので幼稚園になる3歳までは無給です。この間年収は500万のみ。徐々に上がるとしても、
3年で510万くらいにはなるのかな?まぁ1500万。3年間は切り詰め切り詰めないといけないですね。
3年幼稚園に入ります。やっとパートに出られます。それでも15時までなので10時から13時の3時間。
時給は1000円にしましょうか?3千円週4日で12000円月給約5万程度年収60万です。3年間くらいは世帯年収580万です。
育休から復帰した場合、最初は時短で7割くらいです。年収は320万です。
世帯年収は840万くらいですね。
パートだと60万ですが、復帰すれば320万です。
5倍以上も違います。これが、ほぼ中学卒業くらいまで続くんです。15年くらい。
ものすごい世帯年収の差になります。その額約3000万(家買えるな。)
年収580万の世帯と、年収820万の世帯。どちらになるのか?
増田の選択で、その後の人生が大きく変わってくるんだということを自覚してください。
さらに老後も変わります。専業主婦(パート)のあなたは厚生年金に入ってないため、もらえる年金が減ります。
正社員で働き続けた場合と比べるともらえる年金額が大きく変わります。
さらに旦那さんが何等かの事情で働けなくなった場合、ものすごいリスクを背負います。
働きたくても復帰できない。ずっとパートで家族をあなたが支えていかなくてはいけません。
世の中何があるかわかりませんからね。。(保険は入りましょう)
働くのが嫌なんですぅ。。。ならしかたない。専業主婦でも働かないといけないけどね?
でも仕事が嫌で辞めたいなら「やりたい仕事」にジョブチェンジして今のうち正社員として
雇ってもらい、きっちり育休制度を使って、時短だろうが何だろうが、正社員として
働いている方が、絶対にいいと思うよ。
この国は、一度外れてしまった人には本当に厳しいんですよ。
戻ろったって戻れないんですよ。
増田がとてつもなく優秀でもない限り。
別に雇われなくても稼ぐ方法はいくらでもあるし、それをすればいいとは思うけど、
書きっぷりを見る限りそんな風には失礼ですが、見えなかったので。
絶賛炎上中の「あたしおかあさんだから」の歌詞を読んで具合が悪くなったので書き捨てる。
わたしの母親は、あの歌詞の通りのおかあさんになろうとして、挫折した。
母親たるもの、子どものためにぜんぶを犠牲にして生きなければいけない、と強く思い込むひとだった。
パートをしながら、いつもおいしいご飯を作り、いつも部屋を綺麗に掃除し、5人家族の洗濯をするために1日に何度も洗濯機を回し、習い事や部活の送迎もし、授業参観や懇談会もほぼ皆勤賞。
自分のための外出なんて、年に一度あるかどうかの同窓会くらいだった。
そしていつもいらいらしていた。
少しでも役に立ちたくて、手伝いを申し出たり、母親がパートから帰るより前に帰宅することがあったら洗濯物を取り込んで畳んでみたりした。
「邪魔」「畳み方が違う」と怒られた。
何度も謝った。
いらいらしている母親は、小さなことで何度も怒った。ドアを閉める音が大きかった。お茶をこぼした。それでビンタとお説教。しかもそのあともずっと不機嫌。
怒られると謝った。謝るともっと怒った。
手伝っても、手伝わなくても、話しかけても、傍にいないようにしても、怒られた。
だけど毎日、おかあさんでいてくれた。
おいしいご飯と綺麗な部屋。習い事もさせてくれたし、大学まで行かせてくれた。
あなたはおかあさんだけど、
無理なことは無理って言ってほしかった。
あなたはおかあさんだけど、
あなたはおかあさんだけど、
おかあさん、
まさかとは思うけどアファマーティブアクションって囲碁ガールとか囲碁ドルとかいうのの事を言ってるんだろうか。
あれで女の子達が棋士になろうと思うのか甚だ疑問なのだけど、でも何も無いよりはマシなのか。
こちらでは高齢者をのぞく成人女性が碁を楽しめる環境が壊滅的に無いので(高齢女性もどこで碁を学びどこで腕を磨いてるのか謎だし)、子供囲碁教室や部活動で鳴らした女の子達が大人になっても囲碁を続けるビジョンを描きづらいのではないかと想像する。実際に碁を打つ女の子と関わった事が無いのであくまで想像だけど。
アイドルという本筋を外れた活動でも取り敢えず食にありつけそうな感があれば、碁を続けるモチベーションは上がるのかなあ?
こっちは元々が働かない男は許容されても働かない女は絶対許すまじなお土地柄なので、女子に実利の無いような習い事をさせるインセンティブは無いわけで。特に今の子持ちは金持ってないから。
でも囲碁ガールみたいなふんわりした夢物語よりも、藤沢里菜と謝依旻のプロ棋士賞金ランキングでの順位を周知させる方が効果ありそうじゃないか。
母数の問題説は謎。
二十年以上前に出版された囲碁の入門書には、著者のスクールの受講生の6割が女性って書かれてた。まあバブルの頃の話なので、主婦間でのカルチャースクール流行りの影響なんだろうと思う。
今はどうなんだろう?Twitterでの囲碁民との繋がりを見る限りでは、女かなり多い様に見えるけど。最低でも男と同数いそうな感じ。
私の地元はどうやら囲碁が盛んな地域らしく、地元の囲碁最強小学生は女子なんだけれど、しかし地域にある囲碁スクールや道場は男9割以上で、女碁打ちって一体どこに潜んでるんだろう?
以前、他県の囲碁インストラクターの人から、女性の初心者がいきなり男ばかりの碁会所に行くのは危ないからやめた方がいいよ、普通どこの県にも女流囲碁会があるから探して行ってみるといいよ、ってアドバイスされたのでこちらの女流囲碁会について調べたら全く無くて、でも女流囲碁大会(出場者の名前から後期高齢者と高校生以下ばかりのもよう)は毎年開催されているという、不思議な状況だった。
ところでうちの娘は将棋をやるのだけど、ママ友達の反応は「何で女子に将棋なんか」オンリーだった。将棋以前に女子に習い事は不要とか更には女子に教育は不要とか考えてる母親が思いの外多い。女子に教育費をかけてもコスパが悪いから、子供が男女両方いるなら迷わず男子の方にかけるとか普通に言われるので、衝撃を受けた。
しかしこれは幼稚園児保護者ならではという気もする。幼稚園ママは学歴の恩恵受けてる人がマジで少ない。保育園ママだと学歴が仕事にひいては生活に直結してる人も多いだろうから言うことが逆になるのではないかと想像。
最近どうも敬愛してやまないフミコフミオ様のブログに違和感がある。
ブックマークのコメントも否定的な意見が多いようにも見えるし。
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/01/15/190000
まずコレ。
言いたいことは「子供いないのに、子供出来ればわかるとか言われて傷ついた!言ったやつひどい!」
なんだがそれを言われる前の友人に対する発言が、あまりにも酷過ぎた。
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/01/25/120000
んでコレ。
いつもの嫁に献身的なのに酷い扱いをされるボク、ヨヨヨ…パターンなのだが、
続けてるうちにエスカレートし過ぎて、いやなんで婚姻関係継続してんの?と突っ込まれ始める。
なんでこんなんなったかということを考える前に、まずフミコフミオ氏の記事は基本的に以下の2つの骨子が重要である。
・仕事や他人に対して真面目で実直で、正義感が強くズルイことを出来ないばかりにいつも貧乏くじのフミコフミオくん
・理屈が通じない、フミコフミオに理不尽を押し付けるそれ以外の人間
基本的に誠実なフミコフミオくんが、ズルくて汚い他人に対して不誠実で自己中心的な登場人物たち(元上司、妻、必要悪後輩など)に酷い目に遭わされる様を面白おかしく書いているものである。
ぶっちゃけ昔サンデーでやってた「ダメおやじ」とそう変わらない。
常にフミコフミオは何も間違ったことをしてない、言ってないにも関わらず、報われない。みんな酷い、フミコちゃんかわいそう!が黄金パターンである。
これをフミコフミオ氏自身が「EDである」ということ「就職氷河期世代である」ということの2点をもって、「弱者としてのフミコフミオ」というポジションを強調することで、何を言っても許されるキャラを仕立てたのだ。
この物語においてフミコフミオ以外はスゲー馬鹿揃いである。ロジカルのへったくれもない。「ワタシ以外の人間ってみんな馬鹿」として描いているのだが、そんな馬鹿に誠実なばかりに酷い目に遭わされるけど挫けないフミコフミオくんが輝く。
では、上記のエントリもそこは変わっていないはずなのになぜ否定的なコメントが増えてしまったのか。
私が思うに以下のような理由があると思う。
海外ドラマや漫画でキャラ変えたら上手くいかなかったパターンである。
初期フミコフミオを支えたのが「元上司」であることは、言うまでもないだろう。
理不尽を絵にかいたようでいて、どことなく憎めない元上司はいいキャラだった。何をやっても笑えた。
だが、話が続くにつれていくらなんでもエピソードがエスカレートし過ぎた。もう限界である、退場させるしかない。
というわけで元上司は退場し(なんかこの世からも退場させちゃったみたい)、その後「必要悪後輩」や「だんだん酷くなってくる嫁」を軸に話が進む。
この辺のキャラもなかなか面白くはあったが、さすがに元上司は超えられない。そこでフミコフミオ氏は転職を断行するがこれが微妙だった。
転職先をブラックから大きくホワイトへと転換したが(その間にも別の仕事あったけど)、如何せんホワイトなので登場人物が馬鹿じゃない。今までのように馬鹿にできない。
最近流行りの「意識高い系」エッセンスを盛り込んでみるものの、ネットでよく見かける感じでキャラが立ってこない。新会社のキャラは厳しい。
そこで負荷がかかってくるのが「妻」である。「妻」は不思議ちゃん系キャラと設定され、なれそめ、結婚までを描いた感動シリーズののち、妻となってから理不尽キャラに転換された。
だが、どうにも理不尽上司などに比べてセックスレス夫婦の不仲ネタは話として重すぎた。理不尽がエスカレートしてくると笑うのが困難になってきたのである。
②フミコさんも年食った
フミコ氏も40を超え立派な中年になった。年を取るということは否が応でも何がしか強いステータスを持ってくるということである。
今まで周囲の人間を徹底的に小馬鹿にしてきたフミコメソッドがどうにも通じにくくなってくる、いつまでも世間は自分を弱者ではいさせてくれないのだ。
そこで出たのが上述の「子供ができればわかる」と言われて凹んだ話や、子無し世帯には負担しかない税金の話である。
税金の話は「いやいや、超少子高齢化社会になってるんだから各家庭の感傷でそうも言ってられないぞ。この国の社会保障は」的なコメントもあったものの同情的だった。
しかし、その後の子持ち友人の話はいけなかった。基本的に虐待でもない限り、他所の家庭の教育方針にケチつけるのはタブーである。
しかも話の流れだと友人は学歴コンプレックスがあり、子供に習い事など強いているものの、子供に休みがないと言われれば作る程度の柔軟性もあり、そこまで頑なとも言えない。
この友人が親としてどうか判断されるのはこの後、子供が自我を確立してく過程で自分の志向、やりたいことなどを見出した時にも自分の考えを押し付けるかどうかで試されるだろう。
現段階では「東大京大に行かせる」とは言っている点だけ見るとアレだが、子供の能力開発に熱心な親の域を出ていない。
それに対して、フミコ氏の発言は酷く攻撃的に過ぎる。「お前は馬鹿だから子供も無理だろ、自覚しろよ」「お前は子供を学歴コンプ解消の道具に使ってるだけで醜い」
よく殴り合いにならなかったものである。「俺は友達だからあえて言うけど」というマウンティングの常套句まで使って全力で相手を馬鹿にしているのに。
んで、最終的に例の一言を言われて傷ついたー辛いよーというアピールなのだがどうにも分が悪いように思える。
『自分が言われて傷ついたというのなら、自分の学歴を自覚してる人に馬鹿馬鹿言ったらその人が傷ついたとは思わんの?』
『親の頭で子供の学歴決まるの?優生論者だったのフミオさん!?』
『俺はお前のこと思ってるからあえてキツイこと言うけど~ってやつは実際には自分が暴言はいてすっきりしたいだけでロクなもんじゃない』
などいろいろツッコミところが湧いてくる。このエントリは確実に失敗だった。自分を弱者にしきれなかったし、友人を理不尽マンに仕立てきれなかった。
弱い立場から言いたい放題のはずが、これでは渡る世間は鬼ばかりの赤木春恵である。友人クソミソ言ってるところは意地悪小姑のイヤミにしか見えなかった。
長くてダラけたけどまとめると以下の2点です。
・魅力的なキャラが退場したけど新キャラ微妙。続投キャラはエスカレートしすぎ。
・50過ぎても続けてた部活ノリが通じなくなったとんねるずが如く、弱い立場のフミコ氏を虐める馬鹿の構図が通用しにくくなってきた。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
片親だった、貧しかった、そのおかげで満足な教育を受けられなかった。
そういうシチュは同情できる
でも、社会にいるのは
のに
とか言うのばっか
そりゃ、誰だって辛い記憶あるけど、ぶっちゃけ数少ない悲惨な記憶を豪華に脚色して悲劇のヒーロー/ヒロインぶってるだけでしょ
性格が形成されるのは幼児期かもしれないけど、成人しても性格変えたり、抑えたり出来ないって、自分は馬鹿ですって言ってるだけじゃん
何でも悪いのは親のせい、こんな性格になったのは親のせい。いつまで自己肯定続けるの?
で、こういうのに「そんな事無いでしょ」とか言うと、烈火のごとく怒り、「あなたにウチの何が分かるの?」って反論してくる
親に原因があろうとも、その性格を選んだのは自分だし、矯正しないのも自分