はてなキーワード: 習い事とは
正確には、元カノの苗字は思い出せるけど、名前が思い出せないって夢だった。
名前は思い出せたけど、そういえば結婚して、苗字変わったんだよなと思っておきた。
嫁さんは、自分の誕生日に飲み会にいった。飲みに行っていいか確認してくれたし、プレゼントももらったし、他の日はいつがいいか、どこか行きたいお店はないか聞いてくれてた。
そもそも誕生日は子供の習い事の送迎があって、誕生日会どころではなかったのもあって、僕はいいよって言ってしまった、また、後出しジャンケンで拗ねるんだろうなとおもったら、結局、拗ねた。
ずっとこんなことばかりしてる。
元カノと別れたのもたぶんこうやって幸せになることから逃げたからなんだなぁーと、思った。
嫁さんは、仕事休職してもあちこち引越しても家事や育児さぼっても、いつでも結婚生活から逃げ出せるように離婚届をタンスに忍ばせてる旦那の文句も言わずにそばにいてくれる。
ぼくは、拗ねて人の気持ちを受け取る事を拒否してると思う。未だに好きな元カノと別れると決めたのもそれだなぁーと起きて思って、反省しようと増田に、書いた。
ほんとはできたら男女2人ずつ、子供4人欲しい
どうせ生まれたら可愛いに決まってるんだから、うちに生まれてくれるんなら何でもいいんだけど、同性のきょうだいがいた方が楽しいかなってのと、
だけども、4人子供いてもテーマパーク連れてってあげたり、習い事の1つもさせてやりたいし
高学歴は無理でも、就職に困らないような学歴とか技術はつけてあげたいし
あと病気や障害を持って生まれてきたら適切な医療を受けてケアしてあげたいし
…ってなことを諸々と考えると、まあお金がいるんだ
だから、お金持ちのご夫婦は羨ましいなと思うのに、お金持ちは意外に子供の数多くないんだよね、1人とかだよね
子沢山のお金持ちはそんなにいない、たまにいるけど
しかしさっき生後7時間ってハッシュタグ読んでたら、妊娠時のしんどさと出産の過酷さと産んでしばらくのゾンビぶりを思い出したわ
あれはしんどいんだわ
しかししんどさに代えられない可愛さがあるから、産みたい気持ちは尽きない
せっかく幸運にして産める体があり、産みたいと思う心があるのに
ちょっとした習い事で彼女とは出会った。顔はNMBの山本彩に似ていて、見た目はクールだが内面はうるさいほどしゃべってよく笑う陽気な子だった。特別仲が良いわけではなく、挨拶を交わすくらいの仲だけど、僕はよく彼女の姿を目で追っていた。習い事は年齢が上の人が多かったけれど、美人な彼女は男女問わず色んな人に好かれていて、いつも場を明るくしていた。
通い始めてから半年ほどで僕は飛行機の距離に転勤になってしまったのでそのまま辞めた。
転勤してから3ヶ月後くらいに、習い事の先生の作品が僕の住んでいる街の小さな展示会で展示されることになったと知った。特に思い入れがあったわけではないが、新しい街で友達もいなく、暇なので行くことにした。そこに彼女の姿があった。
正直びっくりした。転勤先は地元からかなり遠いし、以前展示されたこともある作品だったから、わざわざこのために来るとも考えられないから旅行なのだろうか。覚えてくれているか不安だったけれど、声をかけてみた。彼女は満開の笑顔を僕に向けて「うわ~増田さんおひさしぶりです!もちろん覚えていますよ!」と返してくれた。一人で来ているから暇だったら夜会わないか?と唐突に誘われた。「○○駅の2番出口に19時半で!」と言い残して彼女は去っていった。
時間ぴったりにその駅に降り立った。指定された駅は繁華街の最寄り駅で、念の為僕は直前に調べた地元の料理が食べられる飲み屋を予約しておいた。5分ほど待ったが彼女は現れない。LINEの交換すらしていなくて、連絡先は何も知らないので待つしかないな、と思っていると遠くから「増田さ~ん!」と大声で叫びながら走ってくる彼女の姿が見えた。
「連絡先わからないから出会えなかったらどうしようかと思った!」笑いながら彼女が言った。聞くと、この駅に2番出口があるかどうかも知らなかったらしい。「ドラマみたいな待ち合わせをしてみたくて。」そう笑う彼女がとてつもなく可愛くて、まさに恋に落ちる音がした。今までほぼ知らなかったお互いのことについて話し合い、美味しい料理と地酒でとても酔っ払った。
結局その夜、完全に酔った僕たちは気付いたら僕の家にいた。翌朝彼女はケロッとしていて「楽しかった!」と言われた。僕は酔うとフィニッシュできないので、夜のことを指しているのではないだろうなと思いつつ、泊まりもしなかったホテルに荷物を取りに行くという彼女と仕事に行くため別れた。
これが3年前。
それから3年間の間、彼女は僕の住む街に4~5回遊びにきて、中間地点で旅行にも行った。俺が出張や年末年始、友人の結婚式などで地元に戻ると2人で会う約束をして、当然のようにホテルに泊まる。街を歩くときも彼女のほうから腕を組んできたりして、傍から見ればカップルにしか見えない。
でも僕たちの間では一度たりとも、この微妙な関係性についての話題が出たことがない。不自然なくらいに。こんなに美人で性格も良くて、きっと彼氏がいるのかもしれないと何回も思ったことがある。
地元で彼女の友達を交えて遊んだことも何回かあるし、食事や旅費も基本は割り勘だからお金目当てでもないはず。(彼女のほうが裕福な家柄だし、僕より稼いでいるんじゃないだろうか。)
そんな2つ年上の彼女は今年29歳になる。
正直、彼女と結婚しても良いとすら思っている。でもきっと付き合おう、などといい出したら彼女は僕の元をさらりと去ってしまうのが簡単に想像できる。
彼女にとって僕は何なんだろう。
何がしたくて僕と一緒にいるんだろう。
ここ最近ずっと悩んでいて、頭の中がぐちゃぐちゃになっているので一度文章にしてみようと思いました。
最近ハタチになった大学三年生。実家暮らし。猫が好き。とある専門性の高い女子大に通ってて、バイトは学内と学外でふたつかけもってる。人見知りで集団行動が苦手で、大学にはひとりも友達がいない。典型的な女オタクだけど、学部の特徴的にお仲間がいないのでなお友達ができず、ぼっち生活を二年間送ってきました。不登校になってから今日でちょうど一週間になります。
事の発端は、新学期初日前夜に母から「つらいなら大学辞めてもいいんだよ」って言われたことだけど、それがなくてももしかしたら破綻してたかもしれない。私は小さい頃から学校というシステムが苦手で、十数年間毎日のように学校行きたくないって言ってたので(じゃあなんで大学進学したのっていうのは後述)。この春休みはバイトに明け暮れ、学んでいる専門的な勉強を一切しなかったので、確かに新学期は死ぬほど憂鬱だった。でも辞めるっていう選択肢は当時の私の中になくて、きっとまたなんとなーく、適当に、単位を取ることだけを考えて、寂しい大学生活を送るんだなって思ってた。だけどその母の言葉をきっかけに、『学校に行きたくない』気持ちがボロボロとこぼれてきてしまった。
昔から面倒くさいことが嫌いで、嫌なことはすぐに投げ出しちゃう意志の弱い人間だった。勉強も運動も嫌い、やりたくない。「みんな頑張ってるんだからあなたも頑張りなさい」が嫌いだった。地頭と要領がよかったので高校はそこそこレベルの高いところに行けたけど、そこでも勉強しなかったので得意科目以外の成績はふつうに悪かった。でも、通っていた高校は似非進学校である反面私のようなのが許してもらえるような場所で、友達も先生も「しかたないなぁ」で流してくれた。だから学校は嫌いだったけど高校時代は楽しかったです。後にも先にもちゃんと友達のいた学校生活はあの三年間しかない。サンキュー高校時代の友人たち、愛してるよ。
ただまぁ似非とはいえ進学校でしたので、大学受験をしない子はほとんどいなかった。私も、高校卒業してすぐ就職っていうのは怖かったし、モラトリアムが欲しかったので大学進学を決めました。ただ勉強したくなかったので(今思うと怒られそう)、勉強しないでいい大学を考えた。のが今のところで、ずーっと続けていた習い事を学問として学べる場所でした。家が近いし、身近に卒業生もいたので、そこ一本で落ちたら大学行かない!って気持ちで受験。界隈では有名でそれなりにハードルが高かったはずなんだけど、なぜだか十月のAOですんなり受かってしまった。拍子抜け。
もともとちゃんと参戦してたわけでもない受験戦争から早々に一抜けしてしまった十七歳私は、そりゃもう遊んだ。バイトして遊んでぽけーっとして。それでもまぁ習い事には行っていたけれど、オタク趣味が楽しすぎたのもあって、四月にはすっかり大学へのモチベーションを失ってしまってた。そんな状態で入学して、周りには「ここにどうしても入りたかったんです!」って目をキラキラさせた綺麗な女の子たちがいて、授業は思ってた以上にキツくて、新しいことが何ひとつできなくて、友達がまったくできなくて、いろいろあって気づいたら引きこもっていました。これが第一次不登校事件です。
その時はまぁなんとか復学(?)したんだけども、今また同じように部屋に引きこもっています。第二次不登校事件真っ最中です。
二年間、なんとかやってきました。友達いなくてもいいやって割り切って、集団を求められることの多い学部なのでそれはそれはしんどかったけれど(好きな人とグループ組んで!が一番キツい)、ぼっちなりに誤魔化しながらやってきました。だけど急に限界がきてしまったみたい。寂しいもんは寂しいわ。
それと、今まで大好きだったはずの専攻を続けられる気がしなくなった。三年になって研究室に入って、同じ専攻のひとたちと作品を作らなきゃいけないんだけど、自分にできる気がしないんですね。体力とか技術とか、コツコツ積み重ねないとできないことなんだけど、最近の私はてんで努力をしていなかったので。自業自得なのはわかっています。でもなんだか心が離れてしまって、周りでキラキラ頑張っている子たちを見るのがしんどくて、激しい温度差を感じて、学校に行けなくなりました。座学がめんどいとか朝起きるのつらいとか卒業単位が超ギリギリとか他にも理由はあるけれど、大きいのはこのふたつだと思われます。
行こうと思っても行けなくて、玄関までは行けるのにその先が踏み出せなくて、今はリビングにすら出られない。寝すぎて背中が痛いし泣きすぎて目が痛い。二重なのが自分の顔で唯一好きなとこなのに、瞼が腫れちゃって最高にブサイクなおめめになっちゃってる。ここ最近毎日アイメイクを涙で溶かしている。クレンジングいらず。
大学をやめようかな、と思いました。幸い親がとても理解のある人で、今まで投資してきたものを全てパーにしようとする私の行いを責めたりしないんです。兄弟もすごく真摯に私のことを考えてくれて、アドバイスをくれて。だけど私はいっこうに答えを出せなくて、家族に迷惑をかけている。それがまたつらくて自己嫌悪して泣いてるんですけど一旦置いておきます。
大学を辞めようかなって考えたとこです。昨日そう決めて、でも遺恨を残したまま辞めたくなくて、辞めたあとのことは何も決まってないけど明るい中退をしようって母と話しました。だけど帰宅した父に話をして、「だったら社会人としての責務を果たしなさい」って言われた瞬間、急に現実が襲ってきた。見えない未来が怖くなって、涙が止まらなくて、ぐちゃぐちゃになってそのまま部屋に閉じこもってしまった。
それと、泣きながら気づいたことがあって。大学を辞めよう、辞めたら楽になるって思っていたはずなのに、未練があったんです。それは十数年続けてきた、習い事から専門にした、大学で学んでいることでした。練習しなくなって久しいし、散々「もう嫌になってしまった」って言ってたのに、いざ辞めることを考えるとつらくてつらくてしかたなくて。諦めたくないって思ってしまって。うちの学校は三年と四年で作品を発表する場があるんだけど、そこに憧れた記憶が蘇ってしまって。冷めちゃったって思ってたのに、やりたくないって思ったはずなのに、結局私は捨てられないことに気づいてしまった。私という人間を形作るアイデンティティであったから。
自分や周りが思ってる以上に私はネガティブで、めちゃめちゃ自己評価が低い、らしい、です。しょっちゅう死にたくなるし自分を必要とする人間はこの世にいないって思うし周りに迷惑しかかけない自分なんていなくなってしまえばいいのにって思う。正直イベントと舞台とライブのチケット取れてなかったら身投げしてた。オタクでよかった。だけど唯一、ずっと続けてきたそれは自信になっていた。んだと思います。ただネガティブな反面プライドが高いという面倒くさい性格の私は、思うようにそれをできない自分が許せなかった。できないならやめてしまえって考えた。でもそんな簡単にやめられないことにも気づいてしまった。うわっめんどくせぇ!
だったら学校行けばいいじゃん、頑張ればいいじゃんって思いますよね、私も思う。だけどできないんです。今日も行こうと思ったけど、できなかった。バイトには行けたのに。頑張りたい、頑張ろうって思っても部屋から出られなかった。母が優しい言葉をかけてくれたのに何も言えなかった。申し訳なさすぎる。いい加減にしろって思ってるだろうなあ、私もいい加減にしたいです。
ほんっとうに生きづらいなって思います。今まったく未来が見えない。明日が見えない。しにたい。でもしねない。辞めたら楽になるって考えたけどそんなことなさそうだった。社会になんて出たくない。中退っていう経歴を持つのがこわい。でも学校にも行けない。なんでだろ。どうしたらいいんだろうね。
私はただ普通に生きたかった。普通に大学に行って、普通に友達がいて、普通に就職をして、普通に、ふつうに、ふつうってなんだろうね?世の中は普通に生きてる人たちで溢れているように見えるけど、どうやったらああなれるんだろう。めちゃめちゃ尊敬する。すごいなぁ。
だけど私が引きこもってる間に授業は先に進むし履修登録期間は今週中だし学費の納入期限は迫るし舞台のチケットは当たるし推しイベの真っ最中だから石砕かなきゃいけない。明日はどうすればいいんだろう。生きづらいのは誰のせいなんだろう。たぶん私のせいだなぁ。自己嫌悪はすすむばかりである。
ハロウィンやクリスマスはもう、元々日本のお祭りです!と言わんばかりに広まりまくったし、近年はイースターでも盛り上がるらしい。数年後にはショッピングモールの催事コーナーにハロウィン、クリスマスあたりと並んでエイプリルフール特設コーナーが出来るかもしれないな…いやさすがに無いな、それは。
まあさして自分の生活には影響ない。せいぜいソシャゲがこぞってネタに走ってるのを見るだけだ。
話は変わるけど、今日人生初の履歴書を買ってきた。いや、買ってきただけでまだ書いてはないんだけど、職につくことのすべてが初だから全部全部ハードルが高いように感じてしまう。
今までの人生で面接を受けなかった分をここ1ヶ月で受けてる気分。言うて2回しか受けてないし、受けた理由もまったく別だ。
自己アピールが死ぬほどできないので困る。とても困る。だいたい聞かれるだろう、自分の長所の話。自分の長所らしい長所が見つからない。絵も文も書けない、運動もできない、大してコミュニケーションもうまくない、何も頑張ってきたこともない。苦し紛れに義務教育中散々言われてきた継続力の話をするけど、多分それが一番出来てない。出来てたらこんな人生になってない。ルールは一応守って生きてるつもりだけど、完全だったかと言われたらNOだから、人様に自慢できるほど誠実な人間でもない。
金は欲しいから働きたいけど、そこに至るまでが苦痛すぎる。働くこと自体は(したことないので予想だけど)まだ大丈夫。社会生活とか、しっかりする、自立する、みたいなところが苦手すぎる。バイトしたいですって向こうに電話掛ける時だって、ものすごく、だめだった。
自覚してるけど、わたし多分ちゃんとするのハードルを高く思い込みすぎなんだと思う。自覚してるけど治らないんだ。
うまく言語化できないけど、わたしはちゃんとしてないから、みたいな思考?いつまでも自分がお子ちゃまなままだと思ってる。うーん、やっぱり感覚的な話になってくるからこれ以上は割愛する。
社会のハードルを高く捉えすぎなんだよ、わたし。未だに店員さんが苦手。極端なたとえ、飲食店で店員さんが転んで料理がわたしにかかっても、ちゃんとして働いてる店員さんに申し訳ないとか謝られたりすると、逆に申し訳なくなる。わたしなんてお子ちゃまだからそんな畏まらないでほしい〜そんな丁重に扱われるべき人間じゃないよ〜、みたいな……?やっぱり言語化が難しいけど、そう。
多分だから、辞めたくなったとき本当追い込まれそう。今までもバイトじゃないけど、習い事とか精神科とか他にも色々、通うということを辞めることに対してもハードルを高く感じてる。通うのをやめたいけれど言い出すのは何か、失礼なような、辞めることを許されるとは思えない、のような…そんな重圧を勝手に感じてしまう。
またこんな時間まで起きてしまった…。早く寝ないといけないのに、全然寝付けない。4時を回らないと眠らなくてはいけないってスイッチが入らない。
この話にどうしても乗っかりたい。
元増田が書いた話は元々増田の主張とずれてる気がするけどお金の話なのでここに付けちゃう。
うちは専業世帯で都内の賃貸マンション暮らし。都心駅徒歩3分に住んでる。必要なものが全て徒歩圏内にある。そのかわり家賃が高い。
食品を買うスーパーはマンションの下階にあるから買い物がすごいラク。エレベーターで降りるだけ。そして高い。生鮮食品、惣菜、日用品、全てが地元と比べるとやはり高いそうだ。
とはいえ家計に打撃を与えるほどの金額ではないのでそこで全部買う。チラシ見て安いスーパーに行く必要はない。お米、水が重たいときは有料で届けてもらったりネットスーパーで玄関まで運んでもらうことができる。
スーパーの他にレストランもあるので遊びに出かけて疲れた日は外食になる。
こどもの習い事も全て徒歩圏内。塾やプール、学校もすぐ近く。小2からは自分で行って帰ってくるようになった。小さい頃は妻が送り迎えしてたけど不要になった。
幼稚園を決めるときも弁当を作るのは大変だから給食ありの私立幼稚園にしたいとのこと。受験は必要はないが高かった。
家事は食洗機とルンバと乾燥機能付きの洗濯機?を買いそろえるとそこそこの金額するよね。
生活費のやりくりとか学費の計画とか保険とか資産運用とかローンなんか妻は全てノータッチ。
「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」という気はないけど
飲み会なんて月に一度あるかないかで休みの日は子供の習い事の送り迎えだのなんだの子供のことに全部使って、お勉強も教えたりもするしもちろん一緒に遊んだりもしているし、タバコも吸わないし、家ではほとんど酒も飲まないし、風俗行ったことないし、これ以上あれやれこれやれ言われるのは辛いんだよ。
えらいなぁ。
あなたはすごい頑張っているよ。
ネットで叩かれている夫は子供の送り迎えなんてしないし、お勉強教えたりもしないし、タバコ吸うし、酒も毎日飲むひとだよ。
あなたのことではないよ。
あなたは良いお父さんだね。
きっとあなたとの楽しい思い出は子供の中に蓄積されていると思う。
増田と増田のお子さんには逆にその教室がレベルが低い可能性があるかもしれない。レベルの合った教室を探すのも一手かもしれないよ
習い事なのだからそれほど肩ひじ張らなくても、その世界を覗ける、つまみ食いするだけで十分、と思っているのかもしれないし、増田の言うとおりで全然分かってないのかもしれないが、正解がどういうものだったにせよ変わらないのは、親がよその子の進捗にキーキー、キリキリと思っていることは間違いなく自分の子には伝わるということ。そしてそれは良い影響は少なくて悪い影響が多いのではないかと思う。悪影響が、萎縮なのか高慢なのかはお子さんの性格に依ると思うけど…
ってあるのか?
例えば去年生まれた俺の子供が大人になるころにはスマホ的なみんな持ってるお手軽なデバイスでリアルタイム翻訳とかできるようになってるんじゃないかなあ
それな。
多くの子供って勉強とは学校なり塾なりで教わるものだと思い込んでいる。そういう子供の保護者もそうだし。
講義は自分をステップアップする為のイベントで、メインは家庭学習であり日々の研鑽こそ大事なのだって、どうしたら気付いてもらえるんだろう?
最近、今年小1になるうちの子供があるお稽古ごとの道場に通い始めた。
私がそのお稽古ごとをちょっとやってたので(今も師匠についていないだけで毎日練習を続けている)、基礎中の基礎だけはこの二 、三ヶ月で子供に教えたんだけど、ほんと必要最低限の事しか教えてない感じ。
道場の代表は、今入門クラスは10ヶ月前に入門した子達(小学生が6人くらいいる)しかいないので、今入門したら一人だけ稽古についていけず、嫌になってしまうのではないか?と、入門を渋ったんだけど、試しに対戦させてみたらうちの子はクラスの子全員をあっさり倒してしまったので、入門出来る事になった。
それで、入門から子供について稽古の様子を見学しているのだけれど、入門クラスの子供達の様子がかなり悲惨だ。一番出来る子でも、私がうちの子にたった二三ヶ月で教えた基礎も覚束ない。なのに講義の進度はもっと先まで進んでいて、大会出場経験は何度もあるという。
そのため、子供達の中には負け癖がついているというか、出来ない状態を当たり前だと思い込んでる子がいる。講義の時も試合の時も目が死んでしまっている。私はそれを勿体ないと思う。
入門レベルで躓くというのは才能なんか関係なくて、単にやるかやらないかに尽きると思う。何で自分はこうも出来ないのか?と自問自答している子がいたけど、その答えはいたってシンプルなのであり、
「それはあなたが入門教室でしか勉強せず、教室の外では完全にお稽古の事を忘れ去って暮らしているからだ」
という事。
私も子供の頃にいくつか習い事をやっていてしかもどれも見事な落ちこぼれ具合だったからわかるんだけど、子供にはこの簡単過ぎる真実が中々わからない。親や先生がどんなに口が酸っぱくなるくらい言ってもわからないんだよね。
大人から見るとそんな子供達の様子は本当に勿体無く口惜しく感じる。ちょっとやる気出して毎日練習に取り組めば実力は飛躍的に伸びるのにね。
そんな世界はないよ。
昔の女はそれやってもずっと軽視されてきた。
祖母世代の女性って、「夫の悪口を言う事は女同士誰もが共感出来る娯楽である」と素で思ってる人が多い。
それだけ彼女らの世代は、妻は夫に酷い目に遭わされているのが当たり前で
皆一様に夫に対する鬱憤を溜めているから、妻同士でそれを発散するのが定番の娯楽だった、って事の現れなんだろう。
子供連れていると街中で知らないおばあさんに話しかけられる事が多いんだけど、
そんな知らない人にまで、例えば「これから趣味の習い事に行くのよ」なんて話をされてから
「じいさんと家に一緒にいたらうんざりするからね」とか言われたりして。
そう言えば相手が共感して喜んでくれる、とデフォで考えているその認識が歪んでいて何だか哀しい。
若い妻同士だと、少なくとも私の周りではそういうコミュニケーションを取ろうとする人は皆無。
たまに夫の愚痴言う人はいるけど、「悪いけど愚痴聞いてくれる?」と言う前置きをしてから言ってたりして
「とりあえず初対面でも妻同士なら夫の悪口言ってりゃ皆楽しめるはず」なんて雑な認識で
皆が楽しむためのネタとして夫の悪口を喋る人には出くわした事はない。
これも時代や世代の変化だと思うし、「妻は夫に酷い目に遭わされているもの、だから夫の悪口は妻の共通の娯楽」と認識している世代よりは