はてなキーワード: 結果的とは
高嶋ひろみの百合漫画「○○と加瀬さん」シリーズは以前から読んでて好きな漫画ではあるんだけど
話が続くにつれ、というか以前からあったが上京してから露骨に増えだした描写として
男はへのへのもへじに描く
というものがどうにも引っかかるようになってきた。
基本的にこの漫画において男は不浄のものであり不純物であり山田と加瀬にとって障害のような存在として描かれている
出てくる男は2人にとっては皆下衆であり気持ち悪いものとして描かれている
その象徴であるかのように男の顔は全てへのへのもへじに描いている
道行くだけのモブでも男だったら徹底して全てへのへのもへじに描いている
この漫画は百合なので男の存在は邪魔なものという大前提は理解る。
そういったのを当て馬的に出して嫌悪させる事で結果的に山田と加瀬さんの関係が尊いものだという事を強調させる漫画的狙いも理解できる。
山田も加瀬も実はかなり嫉妬心が高いので、男のみならず他の女の子ともちょっと仲良くするだけで嫉妬の対象になってしまう。
女相手でも山田と加瀬の2人には一種の障害として描かれる場合もある、しかしそんな状況でも女は決してへのへのもへじには絶対に描かない。
非対称性として女は可愛く描き、男はへのへのもへじにして露悪的に描く世界である。
ふと思った
これってポリコレ的には正しい描き方なの?
少なくとも自分はこの漫画がそういう部分でポリコレ的に叩かれてる場面を一度も見たことが無い
ここ数年はポリコレの空気も高まってるし、自分も特に意識して情報収集したわけでは無いが同調圧力的に何がポリコレ的に正しいか正しくないかの空気感だけはわかるようになってきている。
それを踏まえると、「加瀬さん」シリーズのへのへのもへじ男描写は「ポリコレ的に正しい」とはどうしても思えない
別に自分はどちらかと言えば、ポリコレ尊重よりも表現の自由のほうが大切だと思ってる派だ
だから別に「加瀬さん」で男をへのへのもへじに描こうがどうしようがそこは作者の自由だし不快なら読まなければいいだけの話だ。
けどポリコレ棒を振り回す人達は「加瀬さん」のへのへのもへじに関しては叩いてる様子を見たこと無い
仮にこの漫画がBL漫画で、女を全員へのへのもへじにして不浄・不快な存在として描いていたらどうだっただろうか?
藤本タツキの読み切り「妹の姉」(姉のヌード絵を妹が描いて飾られちゃう話)がポリコレ的に問題だと叩いてた人は
「これが男の兄弟だったら問題無かった」とかとんでも無い事言っていた
結局は男だったら幾らでも毀損しても良い、という事なのだろうか?
自分が加瀬さんのへのへのもへじ男に対して引っかかるのは、わざわざへのへのもへじにしてまで出さなければならないものなのか?って
百合百合した世界を重視させたいなら、近年ありがちだけど男の存在そのものが最初から無いものとするとか
山田と加瀬の関係性を強調させたいなら、いっそ山田と加瀬以外の全ての存在はへのへのもへじしてしまうとか(言っちゃなんだか加瀬さんシリーズって結構セカイ系的な部分あると思うし)
しかしこの漫画は女の子はみんなキラキラ可愛く愛嬌のある存在で、男は皆へのへのもへじで下衆で不浄な存在であるとしている
そんな不浄な存在を、わざわざピュアな山田と加瀬に仕向けていちいち退けさせる展開を、以前からあるにはあったが、大学編から特に露骨に増えてきた印象がある。
けど、それがポリコレ的に問題視されている瞬間を俺は目にした事が無い
ミソジニー描写は駄目だけどミサンドリー描写なら全然構わない、というのがポリコレの人達の結論でいいんだろうか?
だとしたらポリコレって結局自己愛性のための道具でしか無いという事なんだろうか。
もう一度言うが俺は「加瀬さん」がミサンドリー漫画でも(俺個人の心のひっかかりは別として)そこは表現の自由なのだからそこ構わないと思ってる
だな。改革の一番怖いのって「アイツラが敵で、そいつらを叩けば俺たちは平和になるんだ!」っていうのを改革の遂行者がいいだしたときなんだよな。
実際中韓に吹き上がったのも小泉の頃からだし。ナチスドイツが知識人やユダヤを殺したこと。文化大革命やクメール・ルージュもそう。
ナチスドイツがメフォ手形による財政出動に限界を感じたこと(そもそも当時ドイツは第一次大戦で膨大な賠償金を課せられていたため、財政出動はしづらい)、中国やカンボジアが共産主義革命に失敗したことといい。
改革がどうも失敗に終わりそうなときに知識人攻撃が始まるのかね。新自由主義改革30年。結果的には日本は凋落するだけだったが。
右左に議論を収斂させて、その裏で、緊縮や新自由主義を推し進めようという状態。だから、右左両方とも主流派の経済政策は新自由主義になってる。
というか、新自由主義って、政府が何もしないのが望ましいだから、無為無策や、批判だけで何もしないというのも結果的に新自由主義になっちゃうから。
緊縮の名のもとに貧困者保護もできなくなるが、基礎萌芽研究投資も潰える。また新自由主義ということで企業を自由にさせるが、設備研究投資をしなくなる。
不景気ベースだから新しい商売も起きない。起業だイノベーションだーの掛け声だけがこだまし、創業数1を作るためせどりや転売みたいなのでも増やそうと躍起になる。
ただし、自民党や、野党内部でも割れてる。大事な議論だけに着目し、自民党内や、野党内で正しい政策が選ばれるようにしていくべき。
積んだと胸を張って言える程ではないが、デビューシングルは複数枚購入した。例えジャケットや特典が異なろうと収録曲が全く同じCDを何枚も買うなんて馬鹿げていると心底思っていたのに。さらには買い切り型の音楽配信サイトでも全曲DLした。このサブスク時代に。
ファンが結果を出せなければ推しグルは早々に活動を打ち切られてしまうかもしれない。少しでも売上に貢献したいという思いが抵抗感にあっさり打ち勝ってしまった。
結果的に、推しグルは新人としてはまずまずの成績を出したと思う。ひとまずは安心だ。しかし、B社とO社で売上枚数に万単位の開きがあるのが気に入らない。O社が手を加えた数字で順位もくそもないだろう。
anond:20201008002119 を書いた増田だけど、特にはてな民からも、疑問は示されなかったので取り敢えずホッとしておこう。何人かはきちっと考えてくれたと信じることにして。
おそらくは、ほとんどの人は普通にホロコーストはあり、ガス室でユダヤ人が大量に殺されたのは史実であり、それを信じないホロ否認者は馬鹿だと思っているだろう。ところが、そうとも言えない部分があるのだ。
よく考えてほしいのだが、細かい史実的な話は抜きにして、例えばアウシュビッツはたったの一年で、能力的には100万人をガス室で殺害し、遺体をすべて焼却処分して、骨は砕いて粉々にし川に捨てて証拠隠滅できたのだ。結果的には大体三年かかっているけど。
ということは、一日あたりざっくり計算して3,000人殺して、焼却処分できたということになる。
殺すのはまぁ、ガス室が広い部屋がいくつかあって、それらの部屋に閉じ込めて、チクロンB入れて青酸ガスで殺せるというくらいは想像つくだろう。このチクロンBにも突っ込みどころと言うか多少信じ難い話はあるのだけど、それは結構細かい話になるのでここでは言わない。
さて、3000人を毎日、焼却炉で処分できるのか? という話である。
ざっと、マッフル炉というのがあって、普通の火葬場の粗末なのを想像してもらったらいい。現代の一般的な日本の火葬炉は普通は一体概ね1時間位かけて骨にする。
このマッフル炉がビルケナウには46基あった。では一体当たり、どれくらいの時間で焼けばいいだろうか?
一時間で、これもざっくり計算して1マッフル当たり3体焼かないといけない。
この時点で誰もがそれは不可能だと思うに違いない。
つまり、一体当たりたったの20分で焼き尽くさないといけないのである。
現代の火葬炉で1時間掛かるものが、1940年代にたったの20分で焼き尽くせるわけがない、と。
ところがどっこい。
なんと驚くなかれ、一日あたり4,756体を計画していた資料が残っているのである。前述とは若干条件が異なるものの、1体たったの15分で焼き尽くす計算なのである。それだけではまだ終わりではない、アウシュヴィッツ司令官は証言として、能力は一日あたり1万体あったと言っているのである。
但しこれには野外火葬をやるという条件が加わるのではあるけれど、それでも火葬炉分は1体10分程度になってしまう。一体どうやったらそんな神業的火葬能力が実現できるのだろうか?
私はここで種明かしはしない。種明かしをすると、おそらくはもっと信じ難くなるであろうから。
つまり、ホロ否認はこういう人の常識に問いかけるのである。多くの人が「そりゃそうだな、よく考えたらそんなことはあり得ないよな、やっぱりホロコーストは嘘だった」と陥ってしまっても無理はないのだ。
一度考えてみて下さい、一体どうやったらそんな膨大な数の遺体処理が可能なのでしょう?
追記:種明かしは、これへのトラックバックで回答します。anond:20201009184853
新しいゲーミングノートを買おうと思って評判を見ていた。
ゲームも高スペック要求するものをやらないからその方面での不具合で困ったことはなかった。
ただ、当初から同人ゲームとかでたまにスペック以外の問題で起動しないなどで苦労することがあった。
結果的にMSI独自のソフトや仕様が邪魔していたことが多かった。調べた際他の人もそれ系の不評を言ってるのを目にした。
試行錯誤しても無理で初期化などをした末、結局お亡くなりになった。
MSIのせいじゃないかもしれないがもうなんだか関わりたくない。
だから評判が良いのを見て悲しくなるのだった。
それまでの私は、小学校で友達作りに悩み、習い事では虐められ、虐めていた本人が私から虐められていたと言われ習い事の偉い先生に怒られ、嘘をつく人が助けられる世界が憎かった。小学校の3階の窓から下を見て「ここから飛び降りたら」と考えた記憶は今でも鮮明に残っている。
中学の頃、何度か逃げた。電車に乗って終点まで行って、また電車に乗って知らない街を歩き、家に帰ると嘘をつく。そんな日を一年に何度か繰り返していた。私なりの、自分が壊れないための行動だったのかもしれない。
高校から女子校に入り、友達ができた。もう全然連絡を取っていないが、その当時の私は幸せだった。友達がいるってこんなにも楽しいのか、こんなにも幸せなんだと救われた気になった。
大学に入り、また友達が出来なかった。それでも、高校の友達とはまだ連絡を取り合っていたから寂しさとかもなかった。
でもその時から、漠然と自分は25歳ぐらいまでに死のうと思っていた。理由は今ではわからない。でもその時は、本気で思っていた。
どこで死のう、やっぱりふらっと何処かに行くのがいいのだろう、じゃあどこに行こう、やっぱり海かな。
冬の海に1人、下見に行ったこともあった。でもよく考えたら海にそのまま入って死ぬの難しくね?となり、やめた。
山がいいだろうかと何度か調べた。やっぱ富士山かなと思いながら、新幹線の車窓から見つめたこともあった。
絶対電車系はやめようとは思っていた。誰かに迷惑をかけてまで死にたくない。死ぬなら1人でひっそり。それが理想。
毎日毎日、あと一年だあと数ヶ月だと数えていた。どこに行くかプランは決めてなかったが、具体的な日付は決めていた。
その時、偶然実家の犬が虹を渡った。
最初に見つけたのが私で、悲しくて悲しくて泣いた。なんで私より先に死ぬんだと、少し恨んだ。
火葬した2週間後、ペットロスによって家族が消沈し、偶然知り合いにブリーダーがいたこともあり、新しい家族を迎える話になった。私が死のうと考えていた、1週間前のことだ。ブリーダーの元に行き、子犬を選ばせてもらった。私の掌の上で眠りながらしっかり呼吸をしている、今の愛犬の姿を見て、いつの間にか泣いていた。ブリーダーのおばさんがティシュで涙を拭ってくれた。
それでも、長年この日に死のうと思っていた決断が揺らいでいいものかと悩み出した、死ぬ3日前。
その日は大きな仕事の成果を発表する日。時間をかけて準備してきて、それが終わったら死のうとすら思っていた、大きなきっかけの日。この日、私は一度死んだ。
結果的には良くなかった。目標を達成出来たかと聞かれたら、首を捻るほど。しかし私の上司はその結果を踏まえた上で
「ちゃんとしてた、よかったよ」
と言ってくれた。他の人にも
「貴女の方がまともやった、何してるのって怒られちゃった」
と、私より結果が良かった人にも言われた。お世辞だったかもしれないが、それが嬉しかった。
そこで初めて、自分で何かを成し遂げたような気がした。
今まで友達作りに失敗し、何もかもから逃げて、いつ友達に嫌われるかビクビクしながら、自分の代わりなんていくらでもいると思い込み、私一人いなくなっても大丈夫だと思っていた。
でも、私が成し遂げたことを褒めてくれる人がいる、その人の期待にこれからも答えたいと思った。期待は時にプレッシャーだが、それでも乗り越えられるように強くなりたいと思った。
知らず知らずの内に私を生かしてくれた人たちのように、私も誰かを生かす人になろう。自分の為に生きながら、誰かの為に生きよう。そう思えるようになった。
新しく家族に迎えた愛犬を、最後まで絶対一緒に居ようと決めた。その瞬間まで愛してあげようと、誓った。
本当に苦しい人は、私なんかの悩みや考え方を温いと言うだろう。それもわかる、今の私もそう思うから。
でも、あの時諦めなかった命がここにある。それを噛み締めて踏み締めて、今を生きている。
街中でゲイカップルっぽい人たちだったり身体障害者だったりをみると、つい緊張してしまう
差別的な振る舞いをとったり、好奇の目を向けたりしないようにするために
差別的振る舞いをしない方はなんとかなる 会話の中でうっかり地雷を踏むというパターンが危ないが、そもそも会話なんてしないからOK
好奇の目を向けない方が気をつかう 見慣れないものはつい見たくなってしまうのが人情というもの
ゲイカップルぽいが本当か?確定できる情報はないか?レインボーグッズってマジで持ってるのか?/腕がないっぽいが、どこからないんだ?服はどうなってる?何か不便そうじゃないか? そういうのがどうしても気になる
ヘンな英字Tシャツ着てるだけの人でも気になるんだから、なかなか好奇心を抑えがたい
と思いつつもいつも抑えてるんだが、その好奇心を抑えてる様子とかって案外本人にはバレてそうだなあと思う
あなたのことが好きで、付き合ってほしいと伝えた日から2ヶ月が経ちましたね。
次に合う時に返事をすると言ってくれた約束を頼りに、その日をずっと待っていました。
コロナ禍で会うことさえ控えていた中で、お祖父様の体調を気遣う言葉をよく口にしていたあなたの支えになりたいと思っていました。一緒に生きていきたい、そのための努力をしてもいいと思っていました。
考えるより行動してしまう派のわたしにとって、じっと待つのは性分に合っていませんでした。だからできれば早く返事がほしいと伝え続けていました。でも、お祖父様の体調が悪くなれば実家に戻らなければいけないと言うあなたに、会ってほしいと強くは言えませんでした。
でも、会う予定は一向に伝えてくれなくても、美容室には行ってましたよね。趣味のお買い物にも行ってましたね。
そもそも付き合う意思があるなら返事なんていつでもできますよね。
付き合う気なんてないのだと気づいても良かったのですが、その時のわたしは気づけませんでした。あなたを信じたかったです。
若い頃は遊んだけれど、今は誠実に、真剣に今後を考えたいと言ってくれた言葉を信じて待っていました。
でも誠実な人は2ヶ月も返事を待たせたりしませんよね。こちらが恋愛感情を持っていることを知っていて、明確な返事はしないで、でも毎日LINEはして。わたしはLINEの中でよくあなたに好きだと伝えていましたが、あなたは一度でもわたしに好きとは言ってくれませんでしたね。好きな人に決して好きと言ってもらえないまま曖昧な関係だけが続いていくの、すごく苦しかったです。
結果的に、これまでわたしが好きになった中で、あなたは一番不誠実な人でした。
耐えられなくなったわたしは、返事はいつしてくれるの、と正面から問いました。曖昧な態度をとるなと、いよいよ怒りました。
未来があるにせよないにせよ、ここで喧嘩をしておいたほうがいいと思いました。
わたしは何度も、あなたの気持ちや状況を言ってくれたら嬉しいと伝えてきましたよね。
返事をしないでLINEだけを続けていたのはどういう気持ちだったのかと訊ねたら、あなたはどうしていいかわからなかったと答えましたね。
気持ちや状況を伝えてほしいと言いましたね。わからないならわからないと言ってほしかった、待ってほしいなら待ってほしいと言ってほしかったです。
家族の体調が悪いということがどれくらい大変なことなのか、実体験のないわたしには想像することしかできませんでした。だから忙しいならそう教えてほしいと言ったけど、ひとつも伝えてくれませんでしたね。お祖父様の体調のこと、母親とのこと、仕事のこと、いつも事後連絡でしたね。
家族の健康問題を出されたら、あなたを好きなだけの存在のわたしが、強く言えるわけがありませんでした。
どうして自分の気持ちが言えないのですか。状況さえ連絡できないのですか。
30歳を超えたいい大人が、どうして相手から好意を示されたのに返事さえできないのですか。
あまりにも情けなさすぎやしませんか。あまりにも不誠実ではありませんか。
好きな人が自分を好きではないのだろうと薄々気づいていても諦められなかったわたしの2ヶ月間を考えたことがありますか。
交際できない理由は価値観の違いということでしたね。人づきあいの中では相手を気遣うなら言わなくて良いこともある、オブラートに包むべきこともあるというのがあなたの言い分でしたね。
では、わたしは言うべきでないことを言いましたか。告白の返事を2ヶ月待って、それでも言ってくれない人に、はやく返事をしろと迫るのは気遣いが足りないことですか。
あなたは、人生において大事なことから逃げ続けて、一生を過ごすつもりですか。
つまるところ一貫性がないのです。あなたは最初、介護問題が出たときに結婚できずわたしを待たせるのが悪いからと言って告白を断りましたが、本当に待たせるのが悪いと思っていたら2ヶ月間も待たせませんよね。価値観の違いなんて、直前に正面きって返事を求めたときのことでしょう。いつだって上っ面のことを言っているとしか感じられないのです。
本当に好きだったけれど、本当に情けない人でしたね。さようなら。
要は「男性に都合良い」「男性に従順で逆らわない」「余計な自己主張をしない」「男性の為に自己犠牲出来る」って事だし
よっぽど後ろ盾がしっかりしてるなら別だけど、悪人ってのは後ろ盾がない人間を狙って捕まえるもんだし
DVモラハラ男と「相手の交際要求を断れなかったから」付き合って結婚して「夫に何も不平不満を言えないから」我慢してる女性が典型例
それより「やや男より自分優先」「やや自己中」「やや身勝手」な「やや性格悪い」女性の方が
結果的にそれを許容する男性と結婚してるか、嫌な男性を拒絶して独身で自由に生きてる、幸せな人の率高いと思う
PAのオリアニ
車でレースをするアニメだがレースシーンは意外と少なめで終盤では車に乗らずに銃撃戦をしていた
ずっとレースしているわけにはいかないので多少は仕方ないと思うがもう少しレースしてほしかった
登場人物のキャラはしっかり立っていたし主人公の天晴と小雨の関係性も好きだった
作画はPAなので最後まで目立った崩れはなし、車体は3DCGを活用
全話視聴する程度には楽しめた
ドラマ化済み原作、OPがジャニーズ、主人公の声優が俳優兼ダンサーとノイタミナのコンセプト通り普段アニメを見ない層も取り込んでいそうな作品
最初の4話までは1話1事件の短編、5話以降は長編とロード・エルメロイⅡ世の事件簿と似たような構成
spoon.2Diの表紙を飾ったり2.5次元舞台化したりと女性向けに展開しており、BLというほどではないがそういう雰囲気だった
個人的には前半の1話完結が好きで、後半は結局神戸家の問題に過ぎずがっかり感があった
劇伴が良かった
今期一番面白かった
原作未読
なろう出身で電撃文庫で書籍化という魔法科高校の劣等生と同じルート
タイトルが似ているのは多分偶然
見ていて本当に楽しかった
おそらくかなりカットした場面があったのだと思うが異常なほどテンポが良く、結果的に応援歌やアノス様構文と共に「魔王学院らしさ」を構成する一要素になっていたと感じた
総監督と監督のインタビュー(https://ddnavi.com/interview/675424/a/)に「視聴者のみなさんが『アノス様』と呼んでくれるようになれば、僕らとしては勝ちだなと思っています。」とあったがアノス様は殺されたぐらいでは死なないし全員まとめて幸せにしてくれるのでアノス様としか呼びようがない
公式Twitterにアノス様からのキノコグラタンが冷めぬ内に戻ってくるというメッセージがアップされていたので今後の展開に期待
楽しみにしていたノーガンズライフとはまちは1話を見てもそれまでの話があまり思い出せなかったので切った
うずらインフォが一覧製造をやめるのは残念だが1人の人間がやっている以上終わりはあるし仕方ない
さまざまなおもちゃやプライズの展開がすでに組まれており本当に子供に人気が出るのか不安
来期は2期も面白かったダンまち、女性向け最終兵器と名高いヒプマイ、呪術廻戦で話題のMAPPAのオリアニ体操ザムライが楽しみ
このゲームApex Legendをプレイしていない人には、大した話題ではないのだが
一人のゲームデザイナーとして、なんとなくモヤモヤしたので文章にして自分の気持ちを整理しようと思う。
キッカケはアメリカの強豪チーム「TSM」のApex Legends部門所属のAlbralelie選手が、「Apex Legends」の競技シーンからの引退を発表したことだ。
youtubeなどで、翻訳をしたいわゆる切り抜き動画など、Apexをプレイしている人たちには馴染み深い、強いプレイヤーである。
彼の引退理由については本人からきっちりとした文章で発表もなされている。
ざっくりというと、今後Apexの将来性には不安を感じているため活躍するシーンを別のFPSゲーム(Valorant)に移すという話だった。
彼の引退については、感情的に言えば、慣れ親しんだプレイヤーのこのゲームでの活躍が見れなくなる「寂しさ」は感じるものの、批判する気持ちはなく、これから別のゲームで頑張ってほしいと切に願っている
しかし、引っかかったのは、彼が「APEXが私にとって沈みゆく船である」と言及したことである。
なぜ多大な時間を費やし、大きな大会で優勝するようなプロの有名選手が「沈みゆく舟」と判断するまでにこのゲームはなったのだろうか?
それについては私自身もFPSゲームの愛好家として実際プレイしている体験を踏まえて整理しようと思う。
(あくまでも自身の頭の整理のために書き、私の意見など正しい保証などない、様々な意見があっていいと思う)
APEXはFPSゲームとしてのCODやBFにはない、大きな特徴として「体力が多く一人を倒すのにたくさんの時間が必要」である。
私個人がよく楽しんでいたCODのチームデスマッチのようなルールでは、3発から4発で死ぬことが多く1マガジンで何人も倒すことができた。
BO4のバトルロワイヤルルール、BLACK OUTでも6発~9発くらいの感覚であったと思う。
何年かプレイをしているうちにうまく捌いて何人もバッタバッタ倒していくこともできるようになり、
そのスピード感に適応できている自分を感じられるのも楽しいところではあった。
しかし、APEXでは最大体力が200に対し、各銃でのダメージが10~20くらいが一般的である。
つまり、10発~20発が必要なことがほとんどで、さらにマガジンには20発~30発しか入っておらず、キルに必要な弾がギリギリなのである。
※クレーバーといった特殊な武器の例外や、LMGといったジャンルのものには例外もある。
また、体力の回復も遅く、回復中は無防備になるため、1対2、もしくは、多人数相手になるとあっという間に不利になってしまう。
その特徴に気が付いていなかったプレイ当初は「当たっているのに倒せない」感覚があり、一度離脱したこともあった。
この特徴で慣れ親しんだCODとは、また別の能力が必要とされていて
CODでは、「より早くエイムする」という能力が最重要な能力となったが、
APEXでは「相手に弾を当て続ける追いエイム」や「相手から打ち返されない位置取り」といったような別の能力を要求されていた
ある意味、APEXは先述した体力が多く、武器のマガジンも小さく、さらには、体力回復も時間かかる
よって回復などを含めながら打ち合う時間は長く、近距離戦になれば打ち合いながら敵の背後とり合うドックファイトのような戦いが起こる
CODやBFなどに比べて、バッタバッタと敵を薙ぎ倒せる感覚は少ないゲームかもしれない
しかし、この「体力が多い」という特徴は、結果的に「一人が多人数に対して無双しにくい」ゲームではある
一人の敵を多人数で攻撃することで、早く倒すことができ、また、相手からの被弾を少なくできるというメリット生まれる。
「協力することで有利になるように作られたゲーム」で、そこがこのゲームの面白さとして気が付き始めてからは復帰し楽しめるようになった。
(これを類まれなるエイム力や立ち回りによる戦術で覆す戦術のAlbralelie選手などもいるが…)
それぞれのキャラクター選択や武器の選択、地形の把握、敵の位置の予想、味方と連携する立ち回り、
状況をしっかり把握して予測しながら話し合いながら判断し、敵との瞬間的な判断の応酬を繰り広げ、優勝したときは非常に気持ちがよい。
私は「体力が多く一人を倒すのにたくさんの時間が必要」という特徴から、
「協力することで有利になるように作られたゲーム」へ体系的に構成しているAPEXというゲームは
一人のプレイングの上手さを求められるゲームではなく、協力の上手さを求めることでよく作られたゲームだと思っている。
さて、私が感じているこのゲームの面白さを長々と語ったが、そのうえでAlbralelie選手も言及している「最近のAPEX」の調整について整理しようと思う。
私がAPEXの調整に疑問を持ち始めたのは、シーズン6で起こったアーマーの調整からだ。
先述を語った理由でもあるが、このゲームは「体力が多い」ことで協力性につながっている。
しかし「全体の体力基本値を減らす」という調整をシーズン6で行ったのだ。
実際に減った体力は、全体から見れば12%くらいであったので、協力性がゼロになることはなかったが
遠距離武器が強くなったり、様々な影響があり、現在は元の状態に戻っている。
調整理由については、各記事などで「赤アーマー(最上位アイテム)が強すぎたという結果からの調整だった」とレベルデザイナーが発言している。
現在は修正されているが、この調整からAPEXの運用は難航しているのではないかという疑問を持ち始めた。
上位のアイテムの調整をするのに、下位のを含めた調整を行うのは理にかなっておらず。
ゲームのコア(と私は考えている)部分が変われば、現在楽しんでいるプレイヤーの体験が変わることを想像するのは容易い
そのほか、シーズン5から既存のキャラクターの大幅な弱体化や、武器の強化と弱体化を繰り返すというなど、
実際にリリースしてから調整を繰り返していることが目立っている。
リリースして、実際のユーザーの状況やデータを見て調整すること自体は決して間違いではないが、
結果的に、強くしたものが弱くなったり、元に戻るという調整結果に陥るということは、
ゲームデザイナーとして厳しく言うのであれば「思慮が足りない」と言わざる得ない
Albralelie選手は愛用しているキャラクターの弱体化など、様々な部分で影響を受けている
勝つことを期待されその期待に応える結果を出すことで報酬をもらっている。
そのために多くの時間を費やしてゲームの研究をしているし、その時間は趣味でゲームをしている私とはけた違いな物で、
それこそレベルデザイナーと同じレベルでゲームを研究しているであろう。
そんな彼が、この「思慮が足りない」調整の数々に対して、どう思うであろう?
日本ではストリームなどの影響もあるが、海外ではApexの任期は大分下火になってきているという記事も上がってきている。
彼が言うApexは「沈みゆく舟」というのは、こういった調整、盛り下がってきているゲームシーンつまり、ゲーム運用の結果なのではなかと思う。
昔と比べ、ゲームはアップデートを続けて新しい要素を増やし、選択が増えることで新しい体験を供給することは、ゲームを長く収益化させること
いわゆるゲーム運用はプレイヤーからも求められていることであり、企業にとっても必要不可欠なことである。
しかし、ゲームに新しい要素を加えるということは、既存の要素を見直さなければならない。
つまり、新しい戦略が生まれれば、古い戦略に勝つことも生まれる。
その一方で、それまで、そこまで強いと思われていなかった違う古い戦略が新しい戦略に勝つようになった。
そうやって、複雑な絡み合いから選択を生み出し、その選択から新しい戦略を生み出して楽しませることをプレイヤーから求められているのである。
この時、ある戦略が一強になってしまう(メタ構成と呼ばれる)のは
ユーザーに選択を与えているが、ゲームのゴールである「勝利」という目標にたいして選択を与えていないことになるし、
私自身もゲームを運用していて「アップデート」と「調整」頭を悩ませる非常に難しく困難な事は感じているが、
これはゲーム運用をするうえで乗り越えなければならない壁であり、そのためのゲームデザイナーであると認識している。
Respawn EntertainmentはTFのころから好きだった企業であり、憧れでもある。
私なんかが見ることのできない、深い視点で物事をとらえているのかも知れない。
これからもその時間が続いてくれることを、ただただ期待するばかりだ。
また盛り上がったAPEXにアルが戻ってきてほしいと願うのは
「詰む」の語源は将棋などで対局相手の攻めに対してやれる事が無くなって負けが確定した時に使う言葉です。これを問題とした詰将棋は有名ですよね。
人生は詰む。
ひたすら親が居なけりゃお前は生まれていないとか
そんな事ばかり言って口答えすると暴力を振るう。
人生が詰むと言っても一手で詰むとは思わない。
そういう最悪手もあるだろうがなかなかそんな強力な一手も難しい。
やたら最悪な手を打たれ続けたらどうなるだろうか。
そうなりゃさすがに詰む。
数年前まで包丁を持ち出してキレる行動を取っていたが
こちらも相応の行動を取り出したので
それでも家の散財をし続けるのをやめようとしない。
さっさと縁も切りたいが、介護をしなきゃならない人が居るのでそうも行かない。
やらなければ良い一手を打てなかったのだろうか。
こいつは生きてて人生楽しそうだよなと思いつつ、
早く死んでくれないかな。
そう思ってる。
昨日気づいたこと。何か私って、相手に『責めないで』とか『あなたのほうが悪いんじゃない?』と言われやすい人だった。そういうのは私自身の容姿のせいだと思っていた。確かにそういう部分もあるとは思うけど、相手に何も言われずに優しくされることもたくさんあった。それで、ここ一年ノートに取りながらいろんな人と話し合いながら気づいたことがある。私は人に話すときに『いつも〜されている』や『ずっと〜だった』と話すように心がけていた。正直に事実を相手に全部打ち明けるほうが、相手にとっても自分にとってもわかりやすい話し方になり誠実だと思っていたから。私からしたら何気ない表現の一つだったけど、相手からすると『自分の根拠は間違っていなかった』という裏付けを私がしちゃってたんだな〜と。
私は相手に話す時に、いかに相手の悪口にならないか相手が傷つかないか誠実になれるかという基準で話していた。
だけど、相手には自分がないとか自分の意見を言えと言われることも多かった。あと、相手や自分の個人情報が特定されたら可哀想だと気遣いすぎて、問題の相手より自分の方が悪くなるような話し方や文章の書き方をしていたと気づいた。
少しでも長くなくて短く話して相手に迷惑をかけないようにしたい。そんな想いがあったためか、自分ではわかりやすいのに相手には何を言っているかわからない文章になりがちだった。
だから最近は思い切って、自分では悪口や嫌味だと思える事を相手にぶつけるようになった。私は自分ではすごく気を遣っていたつもりだった。ただ、私の言い方は結果的に嫌味に思われやすかった。前には『船橋に住みたいと思っている』といっただけで『千葉を馬鹿にしてんの?』とキレられたこともある。私は怒らないポイントだったし、どう返していいかわからずにポカーンとなってしまった。
私は今まで周りの人をとても賢いと思って話してきた。だから相手に釣り合うようにわかりやすいように賢く話せるようになろうとしてきた。
でも、なぜか『忖度ってなんですか?わかりやすい話し方をしてください』と言われたりする。
親にも何故か普通に話しているつもりが『私は生きる価値がないと言われている気分になる』と言われたり、出て行けと言われる事があった。
そこで、私は今まで話さなくて良いと思ったりほぼ言語化されていなかった感覚的な部分まで相手に話すようになった。たとえば犬のカレンダーを壁にたくさん貼ってるんだけど、私はその犬を見るたびその犬自身になっている感覚になること。今日はこの犬!みたいな感覚で暮らしている事。怒っていると言われたとき、私は無表情だったらしいけど私自身は超笑顔の感覚でいたこと、笑顔という表情自体嫌いでできれば相手には無表情でいてほしいことを相手にそのまま率直に伝えた。結果、相手はなぜか前よりも態度が良くなった。私にはよくわからない感覚だけど多分見下されるより見下せて嬉しいのかな?まあ、相手が喜んでいるなら嬉しい。そのくらい低レベルなので、少しずつ日本語の勉強をやり直していこうと思う。結婚も恋愛もできるかはわからないけど、確実に日々一歩前進している。少しずつ前を向いている。
推理小説に関して、「後期クイーン的問題」とかいう問題がある。
ざっくり言ったら、推理小説が「完璧な論理的推理」をひたすら求めていくと、結局そんなものありえなくなるんじゃない? って話だ。
起点になるのはエラリー・クイーンって作家の、初期の何作かに限定したすごく狭い話だった。
でも話の発端を作った法月綸太郎と笠井潔って二人の作家が煽りまくったせいで、推理小説の前提が崩壊するのでは? 根本的な問題なのでは? って話にもなった。
でも推理小説は一応続いてる。結果的には、「後期クイーン的問題」は(法月・笠井をうまく無視しながら)推理小説の可能性を広げる原動力の一つになった。
きちんと知りたい場合は、諸岡卓真『現代本格ミステリの研究』が視野の広さも議論の説得力もピカイチだと思う。この問題について真面目に考えたかったら必読。
一方、きちんとしてない言及の一つに、「第一の問題」と「第二の問題」っていう問題の分類がある。
「第一の問題」はさっき言ったような、完璧な推理って無理なんじゃない? って話。「第二の問題」は、(完璧な推理なんかないんだから)そもそもただの人間の探偵に謎解きとかする資格あるのって話……らしい。
でもこれ、法月・笠井の二人は前者の話しかしてない。第一と第二なんて分類もしてない。誰が言い始めたか、出所がよくわからない。
自分が知る限り、「第一」「第二」の一番古い言及がWikipedia日本語版の「後期クイーン的問題」だ。
これを書いてる時点の最新のバージョンを貼っておく(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=77682984)。
2009年10月27日に「Corwin」というアカウントが「後期クイーン問題」の項目を作成した(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=28693991)。
この時点ですでに、後期クイーン的問題が「二つの問題の総称」であり、「第一の問題」と「第二の問題」があるというふうに書かれている。
(ちなみに諸岡卓真の本は2007年度の博士論文を2010年3月に本にしたものだからWikipediaには触れていない)
でもよく見ると、「第一の問題」は今でいう第二の問題(倫理的な話)、「第二の問題」が今でいう第一の問題(解決の不可能性)だ。
これが入れ替わったのは11月4日(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28825317)。
だから「第一」と「第二」の順番(もしくは「第一」と「第二」)に根拠はなくて、Corwinが適当に付けてただけとも考えられる。
もちろん、そうでない可能性もある。11月2日にはCorwinが項目名を、俗によく使われる「後期クイーン問題」から専門的な「後期クイーン的問題」に変えている(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28790012)。これと同様に、根拠になる文献を改めて読んで、「第一」と「第二」を入れ替えたとも考えられるわけだ。
そうは言っても、個人的な心証では「第一」「第二」っていうのは書いた人の勝手な考えだろうと思ってる。
ちなみに「Corwin」は日本語版Wikpedia黎明期の2003年から編集に参加して、推理小説とSFを中心に現在も活動しているベテラン。
めちゃくちゃなことを書いて怒られたような経歴はないみたい(「後期クイーン問題」も、「第一」「第二」以外はそんなに変なことは書いてない)だが、立ち上げた項目には内容が薄いのとか、出典が少ないのとかが多い。
一応、「第二の問題」がいつの間にか湧いてきたのは相応の理由があると思う。
後期のエラリー・クイーンが書いた『十日間の不思議』『九尾の狐』とかの作品で、名探偵は推理そのものというより自分の存在について悩む。それはもう悩む。
そして、この時期の作品は初期に比べて「完璧な論理的推理」という点ではゆるいというのが一般的な評価になっている。
だからこの作品群では、笠井潔たちが考えたような、「完璧な論理的推理」を求めると究極的には無理が出てくる、っていう問題よりも、
推理に失敗して、倫理的な立場に悩む名探偵のほうが読者の印象に残るはずだ。
発端になった法月の作品だってそうだ。「初期クイーン論」が出たのは1995年だけど、1990年の『頼子のために』と1992年の『ふたたび赤い悪夢』では、精神的に追いつめられる名探偵の姿を描いている。
だから、法月の文章の以前から、作家や読者からすれば「完璧な推理の不可能性」よりも「自分の立場に悩む名探偵」というのが後期クイーンのテーマ、っていうふうに理解されていて、「初期クイーン論」以降も、現在も、塗り替わりきらずに続いてる、っていうのが実情なんだと思う。
だからいつの間にか「後期クイーン問題」っていうタームにもふわっとそっちの意味がくっついていった結果、「第一」「第二」っていう区分が誕生したんじゃないだろうか。
PDF表示プラグインを使うことしかできないようなので、テキスト化してあげた。
https://cover-corp.com/2020/09/30/093001/
https://cover-corp.com/wp-content/uploads/2020/09/9月27日(日)に公表した公式声明における経緯説明と今後の弊社方針につきまして_v7.pdf
このたびは、先般の公式声明において混乱を招いてしまい、誠に申し訳ございません。
2020 年 9 月 27 日(日)に、弊社所属タレントにおける YouTube チャンネル統計 データの無許諾使用、ならびに弊社社内ガイドライン(サービス提供国の社会通念 および当該国の方針を配慮する旨)に反する行為・言動が確認されたことを受けて、 弊社より本件のお詫びとタレントへの対応措置について公表をさせていただきました。
しかしながら、本公表におきまして、中国向けとして投稿した内容と日本向けに 展開した内容について齟齬がございました。本件につきましては、不用意に混乱を招く 事態となりましたこと、深くお詫び申し上げます。
当初投稿した公式声明が公表されるまでの経緯につきまして、ご説明いたします。
1. 本行為・言動が発生した際、「ホロライブプロダクション」所属タレントに対する誹 謗中傷や生命・身体を脅かすような書き込み等が多量に発生する事態となった。本 件の対応としては、当該発言の動画の配信停止ならびに削除を実施した。
2. 当該発言の動画の配信停止ならびに削除を実施したものの状況は改善されなかった ため、社内で定められた基準により、公式声明と当該タレントの処分の発表を決定 した。
3. 公式声明の作成にあたっては、中国現地の協力会社とも慎重に検討した結果、タレ ントや社員らの安全と活動を守るため、中国向けの声明に関しては、問題となった 発言に対し強く言及する声明を出さなければ解決が難しいという指摘を受けた。
4. 以上の状況を受け、最優先すべきタレントと関係者の安全を担保するためには弊社 からのいち早い声明が必要だと判断し、緊急措置として過日の公式声明に至った。
上記経緯により、結果的に一部の国や地域に対し、配慮に欠けた表現の趣旨を内包する 公式声明を公表する形となってしまいました。本件につきましては、国内外にご迷惑を おかけする問題であったと痛感しており、深く反省しております。
現在「ホロライブプロダクション」は世界中の国や地域でご視聴いただいており、 弊社といたしましては、サービスを提供するそれぞれの国や地域の法律や慣例慣習、 社会通念など、その時点で決定されている当該国の政府の方針に基づきサービス 提供することを原則としています。
ついては、サービスを提供する国や地域によってポリシーやガイドライン、 コミュニケーションが異なるため、それぞれに合わせた伝え方や内容に配慮した 声明内容となりました。公表内容に相違がある公式声明を発表してしまい、 混乱を招いてしまったこと、改めて深くお詫び申し上げます。
本内容において混乱を引き起こしてしまったことを真摯に受け止め、経営責任を 明確化するため、2020 年 9 月 29 日(火)に実施した緊急経営会議におきまして、 代表取締役社長への厳重注意処分を行うと共に再発防止としてコンプライアンス 委員会の設置等を決議いたしました。さらに、弊社代表取締役社長におきましては、 本事象を重く受け止めており、役員報酬の一部を自主返納いたします。
今後も弊社が発表する声明に関しましては、各国の法律やその時点で決められている 方針に基づいたものを前提として対応いたします。また、いずれの立場に置いても 公平を保った範囲で、表現や発言の自由を準拠する方針を明確な社内規定として 制定し、ガイドラインをより強固なものとしてまいります。
引き続き、皆様へより良いサービスを提供させていただくために、常に真摯な態度で お客様と向き合うことを約束し精進してまいりますので、ご支援のほど何卒よろしく お願いいたします。
本件のお問合せについて、 タレントへの連絡はご遠慮いただくようお願い申し上げます。
VIRTUAL ENTERTAINMENT COMPANY
カバー株式会社は、VR・AR・5G等のテクノロジーを活用して、日本発で最先端の二次元エンターテインメント体験を提供することで、世界中のファンを熱狂させることをビジョンとする、VTuberのプロダクション運営や、VR・ARライブ配信システム、ARアプリなどの開発を行っている企業です。
社名 | カバー株式会社 |
資本金 | 4億5,280万8,545円 |
設立 | 2016年6月13日 |
代表 | 代表取締役社長CEO 谷郷 元昭 |
株主 | 経営陣、AT-Ⅱ投資事業有限責任組合、みずほ成長支援第2号投資事業有限責任組合、OLM 1号投資事業有限責任組合、Tokyo XR Startups株式会社、HTC Vive Investment Corp.、TLM1号投資事業有限責任組合、i-nest 1号投資事業有限責任組合、HAKUHODO DY FUTURE DESIGN FUND投資事業有限責任組合、千葉道場2号投資事業有限責任組合、SMBCベンチャーキャピタル5号投資事業有限責任組合、DIMENSION投資事業有限責任組合、他個人投資家 |
最近、ポケモンのアニメを見返す機会があった。というか自粛期間中あまりにも暇だったので何か長いアニメないかなあと探していたらポケモンにたどり着いてしまい、そこからだらだら続けていた感じなのだが。
それで結構しっかり見てしまって、子供の時に追っかけていた頃とは、特によく言われる『シリーズごとの設定のリセット』について、少し違うイメージを持ったのでなんとなく書き出してみる。
まず、無印~AG~DPは基本的に一続きの話であった、ということ。
ポリゴンの例のアレや当初構成を務めた首藤氏の離脱、あるいは単なる世情の変化など、放送時期それぞれの事情に合わせて多少設定のブレはあるが(細かい部分ではAGバトルフロンティア編で里帰りしたカントーの街が無印に比べて妙に小奇麗になっていて面白かった)話としてはかなり直接的に繋がっている。
無印→AG、AG→DPの移行も記憶にあったイメージより全然シームレスだった。今でも衝撃的なお別れ回としてよく挙がるR団のアーボックとマタドガスの離脱回は、無印終盤ではなくなんとAG6話で、ピカチュウ以外のサトシの手持ちもシリーズ跨ぎでついてきたり(AG→DPのエイパム)、一旦控えになった過去シリーズの手持ちがシリーズ移行後レギュラー復帰したり(無印→AGのゴマゾウ/ドンファンなど)、研究所ボックスがあるからこそ、特に各シリーズ終盤での大きな戦いにおける手持ち入れ替えは逆にかなり流動的にやっているという印象。
AGフロンティア編なんてほぼ全編通して研究所預け組含めての総力戦で、なんだ無印組全然現役じゃんと思いながら見ていた。
公式戦に関しても、「優勝していない」という事実に隠れがちだが一応各シリーズごとに成果自体はちゃんと挙げている。
AG:ベスト8、(紆余曲折あったものの)バトルフロンティア完全制覇
かつ前シリーズの公式戦の結果が次シリーズでサトシ自身の成果・経歴として語られる場面も多々ある。
それどころかAGで達成してしまった『フロンティア完全制覇』が、DPで軽視・無視されるどころかある意味物語自体に非常に濃い影を落とす大ネタとして使われていた……のは、知っていたとはいえ改めて目の当たりにすると結構テンション上がってしまった。そこでこれ持ってくるか!みたいな。
で、BW以降。
XYとSMは逆にイメージしていた以上に完全にそれぞれ独立した話になっていた(XYは導入こそBWデコロラ編の延長だが本当に一話最初の導入だけで、以降はXY単体で話が完結している。SMのカントー帰省編もあくまで正しくファンサービスという感じで、そこまで本編自体への影響は感じなかった)。
個人的にXYは映像のカロリーの高さや物語のシリアスさ、連続性でテレビシリーズというよりかは物凄く長い劇場版ぽかった。SMはコンセプトを際立たせた分ちゃんと独立した日常ものテレビアニメという感じ。この二つは路線自体が正反対なので完全にお好みで、という印象。どちらがどうという訳ではなくて見る側がアニポケに求める要素にしっくり来るか来ないかというだけだと。
ただどちらも前提として無印~AG~DPで語られた物語を包括している気配は残っていた。が、話自体が独立しているので、あくまでも気配にとどまっているというか、包括した要素を切り出して描写している……ので、結果的にどちらも単体作品として見ごたえがあった。
ちゃんとスッキリ完結しているなあというか、この二つはとにかく1シリーズごとに一つの物語作品として纏まっているので、過去ネタを気にしないでも普通に楽しめるという意味ではそれぞれとても見やすかった(要素を切り出す方向性が、今までの物語で培われたヒーロー性を強調したXYと物語が培われる中でも変わらない歳相応の少年らしさを強調したSMで、こういった部分でもほぼ真逆なのがちょっと面白かった)。
BWはやはり立ち位置が若干特殊というか、開始当初はR団のイメージ変更やサトシがDPまでに積み上げてきた背景の「語られなさ」から見て、サトシ自身のリセットというよりかはアニメ自体の『新シリーズ』化を狙ったように思えた。
……が、結局後半になって過去手持ちや過去レギュラーが再登場してきたのでよくわからなくなってしまった。
勿論震災の影響で大きく話の構成が崩れたのはリアルタイムで経験しているので、色々と勿体なかったな……という感じ。当初の路線通りで行けば、BWもXYやSMのようにDPまでとは切り離された一つの独立作品として語られたのではないかという予感はある。
それはそれとして、R団がイメージ変更した影響か、日常回のマンネリが大きく解消されていたのは凄く良かった(というよりDPまでの日常回がある意味マンネリ極めすぎてしまっていて、そこは思い出補正の強さを悪い意味で実感してしまった)。あとオーキド邸の集合写真最高でした……。
以上踏まえて新無印について。
結局過去シリーズをだらだら見てしまったので新無印も何だかんだで見てしまっている。原作ゲームのストーリーからついに完全に切り離されたこともあり、正直方向性が見えずふわふわしているという印象が強い。
敢えて過去シリーズとの連続性を排除し、一つのシリーズとして完結するように描かれてきた最近の作品の方向性と違って、新無印では当初から過去シリーズのゲストが度々再登場している。一方で過去シリーズで積み立てたサトシ自身の経歴が語られることはあまりなく、手持ちの再登場もほとんどない。
ただしBW開始当初のようにサトシの背景自体が「語られない」という訳ではなく、過去キャラの登場から直接的に描写される部分も含めて、過去シリーズの存在は意識されているように見える。
ただ、こういうふわっとした方向性の方が、原作ゲームの新作が出るなどの世情の変化に対応しやすくて良いのかもしれない。
少なくとも新無印は今のところ妙に気負わなくて良い分とても見やすい。原作ゲーム共々色々とアニメもまた変化していくのだろうが、それもそれでまた楽しみということで。
……あとやっぱりDP編は余裕があったら無印AGも(せめて公式戦関連は)見てから見た方が良いなと改めて実感した。DP自体クソ長いしそこまでも超大長編だけど、それまでの10年分の総決算としての色がとにかく濃かった。DPだけでも十分面白いとは思うんだけどね。
じゃあダメじゃん
いやダメとは言い切れないが、擁護というか(アファーマティブアクション的に)賛意を示すコメだって結構あるじゃん
ちなみに僕の職種は圧倒的に男社会だけど、それを問題視したりアファーマティブアクション的なアプローチしようとしたりってことは一切見かけませんね
結局アファーマティブアクションを推し進める側だって選択的で恣意的なんですよ
嫁側の人間です。
夫と付き合ってた頃からこんな感じで、結婚し子供もいるけど変わらなかった。
この間約10年。本人に変わろうとする意思がないと無理だと思う。
最近ようやく改善の兆しが見えてきた気がするので効果があったと思う事を書く。
診断はつかなかったけど、認知行動療法を勧められた。
その時はピンとこなくて真面目に取り組まなかったせいか大きな改善はなかったけど
数年たった今になって自分の認知の歪みに気づき、最近は心がけてやっている。
キレるのに正確な周期はなかったのでPMSではないのかもしれないけど、結果的に効果を感じた。
ピルを自己流で飲んでたら(絶対ダメ。ホルモン舐めてた)最大級にメンタルが荒れて大変な事になった経験から、
ホルモンの影響は大きいと思うようになった。
その後試した漢方(桂枝茯苓丸)が合っていたのかケンカがずいぶん減った。
他の要因もあると思うし、プラセボかもだけど効果を感じたので継続中。
キレるきっかけは基本的には悲しみや苦しみで、夫の言動で傷つけられた!責められた!先に攻撃されたのは私!→キレる。みたいな感じ。
自分の受け取り方が悪いからこうなってしまう事もわかっていて、キレた自分を責めるので自分も辛い。
夫がもっと辛いことも頭ではわかってるけど、悲しみと苦しみで自分を止められない。
本当にひどい話で、長い年月をかけて徐々に夫の精神が破壊されていき、それに伴い私の意識も変化していったという感じかもしれない。
頭ではわかったつもりでも、どこか軽くみていた。真剣じゃなかった。
自分はこういう人間で、変わるなんてあり得ないし不可能だと思っていた。
夫は私が悪いのではないと言ってくれて(白黒思考をやめさせようとしてくれていたと思う)
変わろうとする意思がある限りは一緒にいるし、怒って一時の感情でやった事なら許せると。
ケンカしてると当然夫もヒートアップしてくるので、そんな時は自分が私にするように、自分の事も受け止めて欲しい、優しくして欲しいと
何度も何度もケンカの度こんなやりとりを繰り返して繰り返して、
田房永子「キレる私をやめたい」これ私も読みました。
いい本なんだけど、これ系の本は総じて毒親持ちだったり、虐待を受けてたりする。
私にはそれがないので(気づいてないだけとかじゃなく、多分ほんとにどっちもないと思う)
なんで自分はこんななんだろうとは思う。
でも不幸だったわけじゃないのに子供の頃の自分を思うと、寂しくて可哀想な気持ちになる。
長々書いてしまったけど、私もこれから夫とどうなるかわからないし、