はてなキーワード: 結果的とは
そもそも一番肝心な「景気を良くするか」が全く見えない。というか、重要した人間にしても大失敗した小泉自民や民主党の焼き直しの新自由主義がプンプンする。
無論、立憲民主党も主流は批判ばかりで結果的に緊縮新自由主義だろう。
新自由主義ってのは政府が何もしないのが望ましいってのだが、やることないと結果的に新自由主義になるから。
我ながら頑張ったと思う。
さんざん遠回りしたけど、英語力だけは身に付けたので
それで何とか今食べていける。
あ、地方の実家で一人暮らしなので、つつましやかに生活してます。
在宅ワークになって実感。
コンビニで1日700円とか普通に使ってたから、お金もたまらないよね。
自宅で自炊なら1日1000円もかかりません。
スマホ、保険などの固定費はもちろんすぐに見直して、年間数万円割引。
少額だけど積み立て投資も開始。
食材は週一回ディスカウントストアでまとめ買い。
自粛で溜まったストレスは、地元のリゾートホテルで一泊して解消。
Gotoトラベルはもちろん、県が発行するクーポンも併用で半額位で泊まれた。
できたのもよかった。
節約ってケチケチすることだけだと思ったけど、要はメリハリだと気づいた。
ランチを実際にしただけでもずいぶんお金は浮いたし、なんとなくカフェに行くのをやめて
週に1度だけほんとに行きたい店に行くことにしたら、金額も結果的にお得だったし
と書かれているけどほんとそれに尽きる。
後は、正しい情報をきちんと得ること。
貯金ができるということは、心に余裕ができることだと思う。
一般的にはまだ少ない貯金額だけど、万が一職を失っても、半年位なら
これが大きい。
まずは100万円を目指そうとよく言われるけど、ほんとだと思った。
わかりにくいかもしれないけど、ダイエットも語学学習も貯金も、
基本的なところは同じです。
無理なくコツコツとがポイント。
成功して、自信がつくのも同じ。
貯金に関しては、次は500万円を目指して、今のペースでコツコツ
だからさあ、今の制度の方が結果的に負担は少なく出産方法も自由に選べて妊婦側にもメリット多いのに
これもどうしようもない気が…
「妊娠かどうか分からんので判定しに来ました」って段階だから病気ではないし
結果的に妊娠じゃなかったし他の病気でもない、って場合も多いだろうし(化学流産含め)
近代版[2]の浦島太郎には、善行を行えば報われるという、「仏教的な因果応報思想」が意図的に盛り込まれるとの解説がある[15]。近代版には、亀が「おれいに竜宮へおつれしましょう」と語っているので、報恩の意志ははっきりしている[注 7][16]。
しかし、近代版では浦島の結末は、短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ[17]、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある[18]。お伽噺として不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ[要出典]。また古い浦島子伝説では報恩の要素は見いだせないとされる[19]。
中世(『御伽草子』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている[20]ので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる[21]。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある[1]。
精神分析学の岸田秀は、浦島が亀[注 8]に乗って入る、時の流れのない楽園である竜宮城を、抑圧も欲望の不満もない子宮のメタファーとし、軽率に竜宮城を出た浦島が玉手箱を開けることで時間の中に組み込まれる物語は、性的欲望に仮託した子宮復帰願望の物語であり、何の不安もなかった幼い日々を失った嘆きの物語と解釈した[22]。
「シンプルだからこそ強い」の下には「中途半端なので弱い」が無数の屍として眠っている。
中途半端な10の存在が均衡を保っていた環境にシンプルな1が参戦することで、10の「おふざけの選択肢」と1の「最適解」が誕生する。それまでは10の「普通の選択肢」があったのに、たった1つの選択肢以外は「舐めプ」として扱われるようになるんだ。
これが凄い端的に現れたのが、KOYで有名な「レベルを上げて物理で殴ればいい」だ。シンプルな選択肢が強いということは、多様性の破壊を生む。テストに出るから覚えて帰れ。
ダクソのロンソ、FGOのマーリン、アイギスのナナリー、初期からいるけどその分野における許されていいギリギリの値を設定してしまったので上位互換を出せないような奴らは、結果的に多くのマイナーチェンジに対しても上位互換となって近隣領域を侵食し、最終的には環境の多様性を奪うという巨大な問題を抱えてるからな?
地域紛争の是非については語ってないしな
根本的に戦時法だと戦闘終了後に双方、怪我している人間を治療するとか決まりもあるよ
死ぬのは結果であって地域紛争も戦争も別に殺し合いをしているわけじゃないただ、結果的に人が死ぬだけだからやるべきではないが
地域紛争の是非については語ってないしな
根本的に戦時法だと戦闘終了後に双方、怪我している人間を治療するとか決まりもあるよ
死ぬのは結果であって地域紛争も戦争も別に殺し合いをしているわけじゃないただ、結果的に人が死ぬだけだからやるべきではないが
ただ自分より上の立場の人間を排除したりできるか、改善できるかどうかは難しいので、その人間と一緒には働かないと距離を置くのが結果的にローコストになりやすくなったりする。
民度という謎の指標には±10があって、0もしくはプラス方向なら普通のオタク。マイナス方向なら厄介オタクと分類される。
この時オタク民度の計算式は (普通のオタクの民度の和)-(厄介オタクの民度の絶対値の積)=民度 何だと思う。
指標としては普通にオタク活動(原作やアニメやっててTwitterで感想つぶやきますーレベル)で2とか3。ライブ会場でゴミ拾いしてますレベルまでいってようやく5とか。
厄介と呼ばれるような人(騒ぐ、ヲタ芸する、場違いなペンライトする)でも-1とか-2とかじゃないだろうか。-5までいくと明らかにやばいやつとしてブロック推奨とかいわれるレベルだろう。
全体の9割が普通のオタク、1割が厄介オタクなので、9人が普通、1人が厄介ということになる。
仮に9人の平均民度が2を超えていれば厄介が10のマックス厄介であっても民度がプラス方面に転じるため民度が良いとされる。
これが20人のグループになったとする。18人が普通(平均2)であったなら、2名の厄介が-6ぐらいの民度でトントンとなる。
オタク活動や推しとかはしているもののそれを率先してアピールして「○○民」とかいわない連中だ。
そいつらは行動してないので基本的に民度「0」(無害)なわけだ。
コンテンツが大きくなるにつれて、実際はこのサイレントオタクが増えているんじゃないかと思う。
例えばFG○をやってたとき、たしかに自分の周りにもどんどんやってる人が増えてきたなと思う一方、何万ID!とかいわれてもイマイチピンと来ない数字だなという感覚に襲われる。その差が多分サイレントオタクなのだ。
そうすると民度0をもったサイレントオタクと普通のオタクの比率がサイレントオタク寄りになっていき、結果的に民度がプラス方面のオタクと、民度がマイナス方面のオタクの比率も変わってくる。
そして、民度2とかな普通のオタクも民度の悪さが高まってきたらサイレントに転じる。
って考えると、大げさに書いたつもりだけど
(普通のオタクの民度の和)-(厄介オタクの民度の絶対値の積)=民度
じゃなくて
(普通のオタクの民度の和)-(厄介オタクの民度の絶対値の和)=民度
でも良いんじゃないだろうか。
そりゃ学者は必要であれば政権に耳の痛いことを言うもの。無論その耳の痛いことが誤りであることもあり、その場合は政権は「いや、正しいんだ」と突き進むことも必要だからな。
結果的に政権運営が失敗であれば、知識人は批判してくる。知識人の批判が気に食わないと政権は虐殺に走る。
更に「あいつらが敵であり、アイツラを潰せば幸せになる!」というアジテーションが国民の目くらましに有効だから。
ナチスドイツといい、文化大革命といい、クメール・ルージュといい。
もともと小泉からの「あいつらが敵であり、あいつら(中国韓国北朝鮮)を潰せば幸せになる」という流れに加えて、新自由主義改革が本格的に何も生み出さないどころか長期不景気と産業低迷で失敗に終わりつつある末期だからな。
で、その「コイツラを潰したら幸せになる」という敵に学術界が認定されつつあるんだろう。
また新自由主義は売上がすぐに見えない金を出すのを非常に嫌う。だがそれはすぐに産業化が見えない多くの学術そのものが「すぐに売上が見えない金」だからという面もある。