はてなキーワード: 独り言とは
先ほどの解析編では相手、つまり粘着者がどのような者かを探索する考え方を書いた。
基本的に防御としての方法をこれまで書いてきたが攻撃する方法も書こうと思う。
無視することが大鉄則ということ。
が、これは人によって効果が違う。
独立心のある人には効かない、つまり独りで書いてるだけという立場の人には効かない。
それ以外はほぼ無視が効く。
それは、
が、これでは会話にならないので誰にも相手にされない。
バトル、つまり口論には発展しそうでしないわけだが、ネット、多くは掲示板やtwitterの人は
それほど論理的に、論ずるとは何ぞやまで考えて口論する人はすくないのと、
このようなやりとりを好むのはそこまで考えられない人が多いので通用する。
※このバトル、つまりこちらから攻撃を仕掛けていく方法をここまで書いたが、
これまで防御として書いてきたことと反する行為にあたる。
つまり、
「時間の使い方を知らない有意義な生活がおくれていない、自分の心が満たされていない状態」
これに反することになる。
意見を一切受けず独り言をつづける、つまり無視をしつつ一方的に発信する。
二律背反と言うべきか、会話として成立しない。
ここで改めて防御側がとる方法を考えると、
◆対処法としては、
「無視が大鉄則、無視の仕方も工夫(相手の視界に自分を入れない)を要する」
これになる。
守者、防御側としてはこれに受け答えるのは相手が意見を受けないので無意味。
よくある場合として攻者が無視したつもりだろうなどと話してきたり、
無視されたことで攻者がわの意見が正しいとする主張をしてくる(沈黙=無視=認諾)場合もあるが、
この場合はついつい無視の手が緩んでしまいそうだがやはり無視が最適。
逆に攻者が動揺していると考えるのが妥当。
つづく
最初に要約しておくと、私もかつては助けてと言えない人間でしたが今は言えるようになってハッピーです、という自慢かつマウンティングでしかない話です。
私もかつては助けてと言えない人間だった。どんな塩梅かというと例えばレポートの課題や試験範囲を聞き漏らした時に、誰に尋ねることもできず最悪な成績を取っていたというくらいには助けてと言えない人間だった。
当時を思い返すと、他の人の目を気にしすぎていて自分というものがなかったな、と思う。自分は困っているのに、困っている自分ということを周りに知られたくなくて何も言えないまま。困っている自分は変な自分で、周りに変だと思われたくないから素直に困っていることを表に出せなかった。もし自分というものがちゃんとあれば、周りに変だと思われることなんて気にしないで自分が困っていることを主張できたのにな、と思う。
そんな私にも転機が訪れる。
当時の私は病気だったり無職だったりと不幸のどん底で、そして何より自意識過剰に悩まされていた。自分の中にいるもう一人の自分が、常に私を責め立てるのだ。
「今お前はこう考えたが、それは違う視点から考えるとこのようになり、それは倫理的に正しくない考え方だ。だからお前は間違っている」とか、「今お前はこの人の発言を好ましく思ったが、それはこのように考えるととても傲慢な考え方であり、お前の性格の悪さを表している」とか、「今この人がお前を褒めたがそれはこう考えると皮肉交じりのお世辞であることは明らかで、素直に喜んだお前は読解力が足りない」といったように何事も悪い方へ悪い方へと解釈して、だからお前はダメなんだ、と締めくくる、よくわからない自意識が自分の中にいたのだ。
ものすごく嫌な性格で常に自分に悪意を向けている何者かが自分の心に住んでいるのは、正直死にたいとしか言えない状況である。
もしこの悪意ある何者かが他人だったら、その人物から逃げればいい。でも、それが自分だったら逃げようがない。その上、この何者かは自分の行いではなく考えそのものを否定してくるので、本当に逃げ場がなかった。何もしてない無職であっても考えないことはできないからだ。
毎日この、視点を変えすぎて誰もそんなことまで考えねーよ的なところまで深読みをし、その上自分を一番傷つける解釈を採用するという謎プロセスを踏む自意識に悩まされ死にたいと思い続け、ついにTwitterにその苦しみを漏らしてしまった。正直ただの独り言のつもりで、誰も理解しないしスルーされるだろうと思っていたのだけれど、でも違った。私の悩みをちゃんと理解した上で、「あなたは生きてていい」と言ってくれるフォロワーさんがいた。
その時点で私は号泣なんだけど、このフォロワーさんは加えて悩み相談ぐらいは乗りますよ、と声をかけてくれた。私はそこで、多分人生で初めて、ものすごく素直に「助けてください」と言うことができたのだ。
それからいろいろなことを考えた。その中で、私の人生には今まで何人も助けの手を差し伸べてくれている人はいたのに、私は等身大の自分を見せたり裏切られたりすることが怖くて色々と疑いすぎてしまい、結果その手を払いのけてばかりきたのだな、と気づいたりもした。
でも、あのフォロワーさんの言葉は不思議と何も疑わずに受け止めることができた。そして、人の言うことの裏を読みすぎたりせずに素直に受け取ることは大事なのだと言うことに気づくことができた。
加えて、人の言葉を受け取る素直さに気づくことができたら、今度は自分の感情を素直に言うことの大切さにも気がついた。それまでは自分を良く見せたいあまりに飾った感情を演技することしかしてこなかった。困っている時も困っていないふりをしながら、でも心の中では困っていることに気づいてくれと思っていた。でも、素直に言わないことをわかってくれと思う方が傲慢だとわかった。
そうして二つの意味での素直さを手に入れたら、私を苛み続けてきた過剰な自意識は消えることになった。人の目が気になって自分というものがないという悩みも解消された。全てが良い方向に回り始めたのだ。
ちなみに例のフォロワーさんとは、そのあと実際にお会いしたりしてお付き合いすることになった。その関係の中で、この二つの素直さを実践していった。
実践の中で守った決まりごとは二つ。彼の言葉を疑わないということと、察してちゃんにならないということだ。
こうやって素直になっていたのが良かったのと、彼自身が素晴らしい方だったというのもあり、過去のおつきあいと比べてものすごく心地いい関係を築くことができた。
そして結婚をし、今に至る。
今年もお盆がきて、夏真っ盛りのこの時期
昨日、一昨日とSSAでシンデレラガールズのLIVEがあって多くのシンデレラPが参加されたかと思います。
その日、私はSSAにもLvにも参加することなく、最近はシンデレラガールズをどこか遠くのことのように感じています。
その理由を説明する前に私のことと担当について少しお話したいと思います。
私は涼宮星花さんというバイオリンが得意で何事にも挑戦していくお嬢様アイドルを担当しています。
みなさんも彼女のアイドルに対しての前向きな姿勢や可愛らしい表情を見るとプロデュースしていきたくなること間違いなしだと思います。
涼宮さんは西園寺琴歌さんと水本ゆかりさんの3人でノーブルセレブリティを、栗原ネネさんと大和亜季さんでヘルシーサバイブのユニットに属しています。
ついこの前、モバマスで涼宮さんが上位のイベントもあり、私も張り切って走りました。
さて、そんな涼宮さんはまだボイスはなく、総選挙でも50位圏外と、担当としてはどうにか50位圏内へ目に見える形で結果がほしいもどかしい思いをしているところです。
そんなところが、私のP業の現状になります。
デレステが始まってから、デレマスを盛り上げていく主体がモバマスからデレステに移ってきました。
デレステの3Dは振付は非常によくできていて私も担当のおねしんを見て涙を流してしまったほどです。
さらに、モバマスではなかなか進まなかったアイドル同士の掛け合いやユニット曲を含めた新曲発表など勢いは凄まじいです。
ですが、私はこのデレステについていくのが難しいなと感じています。
デレステは音ゲーという性質上どうしても声付きがメインになりますし、イベント、ガシャ含めて声付き、声なしの差は大きいです。
デレステというゲームでは涼宮さんをプロデュースできないという問題があります。
次にライブについてです。
ライブの曲目や演者の関係がデレステに大きな影響を及ぼすようになってきました。
担当をプロデュースできずあまり触ることのないデレステがライブのメインになってくると知らない曲やユニットがでてきてついていけない気がしています。
そんなこんなでデレマスについていけなくなりつつある弱小Pでした。
と、ここまではなんでデレマスとの壁を感じているかを冷静に言葉を選んで書いてきましたが、ここからは率直な気持ちを書いていこうと思います。
ここまで、読んでくれた稀有な方はどうぞ最後までお付き合いください。
765、876、ミリオン、シンデレラと多数の声優(女性)さんがアイドルマスターに関わっています。
正直、歌って踊れて容姿も良くてキャラクターのことを大事にしてくれる人材が残りどれほどいるでしょうか。
理想ではシンデレラガールズ全キャラクターにボイスがついてほしいです。
それを夢見るべきなのも分かります。
でも、それは現実的な話ではないですし、声付きの中でも個人曲がなかったりと格差が生まれています。
声付き同士でもその格差に悩まれているPは少なくないと思います。
ノーブルセレブリティだと涼宮さんより西園寺さんのが声つく順番が先だろというのも分かったうえで声が欲しいです。
その西園寺さんでも50位圏内ではないという高い壁があります。
地道に周りに魅力を伝える活動をしろという意見も分かりますが、そんな正論で殴られる気持ち分かりますか。
総選挙で500人いたら50位入れると聞いたことありますが、モバマスのアクティブ5万人程度の1%も集めないといけません。
183人のアイドルがいて、超人気キャラもいるなかでも1%。不可能でしょ。
それでも、個人にフォーカスされなくても、個人曲がなくても構いません。
自分の転職の顛末を時系列で書きたい。内容は、自分の中で溜め込んでいたもの。録音や証言確保などの対応はとっていたものの、当時は恐ろしさと鬱で動けず、その後は諦観と鬱で、少数と共有する以外は、表に出して活かす機会を作れなかった。ただ溜め込みつつも、恐怖や後悔、憎悪の感情がずっと自分の中で渦巻いていて、耐え難くなっている。だからここに吐出させて欲しい。
知り合いに紹介され、20代に都内のIT企業に転職した。新卒から務めた緩い企業からの転職で不安も大きかったが、当時仕事やスキルアップが楽しめており、期待も大きかった。
転職後、すぐ遠方の客先にフルタイム常駐することになった。なおこの出張フルタイム常駐は、数年後退職するまで続くことになる。この常駐先には複数人同僚が派遣されていた。その中で自分はリーダーAの下に付き、二人一緒に業務を進めることになった。このリーダーAが後に精神を病む原因となる。
リーダーAは同じく転職入社したばかりで、直属の上司からの期待を強く受けているようだった。初印象は悪くなかったものの、働いて会話を重ねるうちに、以下のような傾向が顕になっていき、怖さを感じるようになった。
なお初印象は良いが、密に・継続的に関わると評価を落とすというパターンは、自分以外でも結構あったようだ。仕事での顧客評価も、概ねこの竜頭蛇尾のパターンを繰り返していたと思う。
振り返ると、この時点で危険を感じて逃げるべきだった。そうすれば精神と体が壊れ苦しむこともなかった。ただ自分には、それに気づいて逃げる能力がなかった。
リーダーAと1、2ヶ月働いている中で、怖い傾向はより強まっていった。相手に応じた態度の切り分けも荒が目立つようになり、例えば上司に、気に入らない顧客プロパーについてナイフで刺してやるといった過激な報告を行うようになった。また長く一緒にいることで、報告や悪口に、呼吸するように嘘や誇張を織り込んでいることに気付かされた。例えば自分の提案失敗を、叩きやすいターゲットの問題に転嫁するといったことを行っていた。
そして一緒に働いている中で、自分が攻撃のターゲットにされるようになった。はじめは、仕事ができない、自分のフォローで無用に忙しくなっている、といった仕事の指摘から始まり、お前は無能である、性格が劣悪であるといった説得を頻繁に自分に行うようになっていった。後に案件仲間から、見えないように、自分の悪口を頻繁に上司に展開していたという話も教えられた。
ただ当時、自分は期待される成果を出せていなかったし、転職で業界を変えたばかりで、能力的にも問題があると自覚していたので、リーダーAの言葉や怒りに応え自分を改善しなければならないと考えていた。また、会社ではパワハラ自慢(こんなにひどいパワハラを耐えた、自分は無能をパワハラで潰してきたなど)が目立ったので、この程度は転職の試練であり一人で耐えて当たり前のものと考えてしまっていた。この考えは心を壊すまで変えられなかった。
その後、出張状態のまま、リーダーAと二人だけで、別現場のフルタイム常駐に移った。後に派遣や準委任のメンバーの方が増えたものの、基本リーダーAが管理し、自分が下につく、プロパー二人組で仕事を進める形となった。本社とのやりとりはリーダーAがすべて統括したため、自分視点での会社同僚はリーダーAしか見えない世界となった。
この本社からの監視がきかない体制になってしまったことで、リーダーAの攻撃は露骨にエスカレートするようになった。例えば次のようなことを何ヶ月も継続して行うようになった。
また指示される作業も単純作業が多くなっていった。例えば以下のようなものだ。
当時高い単価で常駐していたので、単価に見合わない上記のような単純作業を強要されるのがまた別の苦しみとなった。
一方で、周りに対する演出には力を入れていた。例えば、本社での会議の参加を禁じたり、本社とのやり取りを自分が見えないように済ませたりして、本社と自分のコミュニケーションを断絶させるように動いていた。また「殺す」と脅迫するなどまずい言動を取るときは、周りの目や耳のない状況下で行っていた。あとは従順な派遣社員を見つけて、主張に箔付けに使うなどしていた。例えば悪口を裏で本社に展開する際に、その社員をCCに入れて、この悪口は自分だけの勘違いではないと演出する気配りを行っていた(ただこの方には、裏でやりとりされている悪口・中傷や、リーダーAの内心などの情報を後にもらえるようになった)
こうした状態は半年近く続いたが、その中で自分の精神はおかしくなっていった。仕事中に泣く、顎が痙攣して歯がカチカチ鳴る、ネガティブな独り言を言うといった、外目から異常と思われるだろう様相を晒してしまっていた。ただリーダーAにとってはそれは笑い飛ばす程度の扱いだった。例えば自分が精神的に参っているから慰労会をやろうとリーダーAに飲みに連れて行かれることがあったが、リーダーAが一方的に侮辱の言葉を投げて笑い飛ばすだけの不快な場になるしかなった。
なおこの頃からさすがにこれは異常だ・危険だと言う思いを強くして、証拠を残すようにした。例えば勤務中にずっと録音機を動かし、殺すといった脅迫を録音するようにした。客先社員から同情してくれる方も出てきた。同情してくれた方から内情ももらえるようになった。
しかし激昂し犯罪者的な言動を取るリーダーAに抵抗するのは当時とても恐ろしく、証拠を残せても、証拠を活かす行動をとれなかった。また入社後即フルタイム常駐していたので、気軽に相談できる会社同僚もいなかった。そして、自分が無能であり、まずはリーダーAの言う通り改善しなければ後がないという考えを持ってしまっていた。恐ろしさから逃避しながら苦しみを軽減したいという思いで、リーダーAに従い続けた。
一応本社の人間に相談することもあったが、抱え込まずに相談して良い、というコメントを貰った以外は、本社側で具体的な対応はとられなかった。あとは、退職時に人事から詳細情報を聞かれる程度だった。
上記のような状態は一年以上続くことになったが、そのあいだ自分は大きく変わった。基本的に、次のようなネガティブな変化ばかりだ。
なお上記は、もう死ぬまで元に戻ることはないと感じている。器質的に脳が変化・死滅してしまっているようだ。苦しみを経験すると強くなるとよく聞くが、苦しみで心を壊すとむしろ大きく弱体化してもう戻らないというのを、30を超えて学んだ。
その後の展開だが、リーダーAは、顧客に大言壮語やダメ出しを多くする一方で、成果を出せず、評価が得られなくなっていたようだ。そしてその頃から特定の先輩社員に嵌められて仕事がうまくいっていないと吹聴するなど、被害者的な言動が多くなる。そして最後は案件から逃げていった。
ただ元凶のリーダーAが抜けてからも、苦しみがなくなることはなかった。
仕事では、リーダーAが案件から逃げた尻拭いをして、関連会社メンバの業務確保と案件維持に奔走させられた。リーダーAの代わりに本社の上司や関係者と関わり合うようになったが、リーダーAが散々悪口を刷り込んでいたせいか、馴染みの薄い上司とは、最初から関係がギクシャクしていた。
これを心が壊れ、精神薬・アルコール・カフェイン漬けで体を無理やり動かしていた状態でこなすのは、本当に苦しかった。
その後、苦しみながら遠地に常駐し、売り上げ確保に努めていた。しかし半年ほどたった所で、復帰したリーダーAが、自分の目に届く会社MLで活発に発言するようになった。自分はそれを目にする度に、過去の出来事がフラッシュバックして恐慌状態となってしまい、もうこの会社では過ごせられないと信じるようになった。そして、ずっと常駐で会社への帰属意識がなかったなど、他の理由も複数揃っていたので、会社を辞めた。
振り返っても、失ったものが多く、後悔の数多い数年間だった。
大きな後悔としては2点。1点目は、リーダーAのようなタイプの人間とは、唯一の対策として距離をとるべきだった。2点目は、状況が異常であると認識して、もっと強く本社や上司に状況改善を訴えるべきだった。この対応ができなかったのは自分の未熟さによる。だから、転職に必要な能力が足りないまま転職してしまったというのが、問題要因として大きくあると思う。
あとは、仲間を作るべきだった。退職間際で、別地域を担当する案件仲間と話し込む機会があったが、そこではリーダーAの異常性を感じ取っていて、仕事から排除するように動いていたという。またリーダーAから悪口の報告を受けていた人間の中には、虚言癖を見破っていて信じないようにした人がいたと聞いた。同情してもらえて、自分の見えないところでのやり取りを情報共有してくれた関係者もいた。そういった人達と早くから関係を持っておくべきだった。
そして転職や、フルタイム常駐は、巡り合う人次第のギャンブルだというのも知った。転職した会社にも、尊敬すべき人格者は結構いた。会社も技術力が高く、業績好調で、外から良い評価を得られている優良企業だった。唯一、リーダーAと巡り合ったのが問題だった。
ただもう後悔しても何も変わらない状況になっている。今は乱れた心身が残り、恐怖・後悔・憎悪が入り混じった感情が自分の中で渦巻き続けている。
初カキコ、ども。
俺みたいに新卒で入った会社辞めた腐れ野郎、他にいますかって、いねーか、はは。
あの流行りの風邪つらそう、とか、深夜に来た患者がヤク中っぽいだとか
ま、それが普通ですわな
It's a Burakku kigyou.狂ってる? それ褒め言葉ね。
なんつっている間に0時っすよ(笑) 宿直勤務の辛いとこね、これ。
病院に勤めて今年でx年になるのだが、一向に残業や夜の勤務(宿直と言われるアレ)が減ってくれる兆しもないしそろそろ退職しようと思う。
自分が就職活動をしていたのは少し景気が上向きになりつつあった20XX年頃なので、今とは少し勝手が違うかもしれないが、病院事務員として働こう! などという狂った思想を持つ若者を少しでも減らすべくここにその実態を書き残しておこうと思う。もちろん、これらすべてが真実ではない。が、すべてが嘘ということでもない。そこらへんはうまいこと察してほしい。
自分は田舎の病院に就職したので、基本給は安い方だった。地銀と同じくらいかな。
公表されていた額は基本給19万円強だったが、実態は基本給が約16万円でそこに種々の手当がついて19万円、といった感じ。
・医療事務系
うちの医療事務は少し特殊だったのでぼかして書くが、同業種ならなんとなく察してもらえるのではないだろうか。
未収患者の督促と、入院している患者の処理が主な業務だったのだが、月末月初はとんでもなく忙しかった。10日前後に土日祝日が被っていると強制的に休日出勤になるのもつらい。が、こちらの仕事はきちんとデジタル上で行われていたので、総務にいた時に比べるとストレスとは少なかったように思う。
面倒なのは、患者のクレーム対応もこちらに回ってくることだ。窓口にいるのは基本的にパートの人たちなので、クレームが入るとすぐにこちらに電話して来て自分たち正職員が対応するという謎ルールのせいである。すぐに終われば良いのだが、もちろんそんなことはめったにない。
就業時間だが、月の繁忙期はみんな11時ごろまで仕事していたとだけいっておく。が、朝はゆっくりできたので、そこまで辛くはなかった。残業代が全て出てくれていたら、辞める気は起こらなかったように思う。それ以外の時は定時で帰れた。と、いっても、月に2.3日だけだが。
・総務系
主業務は経理及び給与。1000人規模の事業所だった上に、給与の計算の方はそのほぼすべてがExcel(しかも紙データを手打ち)だったのでかなり辛かったことを覚えている。経理の方はデジタルデータばかりで楽だったが、クレジットカードの計算だけレシートを手打ちしていたのでそれはかなり面倒だった。あと、どちらの業務もフロッピーディスクでデータのやり取りをしていたのだが、他のところはどんな感じなのだろう。
就業時間は9時から18時だったが、自分の部署及びた部署の鍵開けも自分の担当だったため、7時半〜8時には出社するように求められていた。当然ながら、その間は無給である。
さて、勤務時間についてだが、基本的に定時で終わることはない。総務の仕事は18時から、というのが、上司に言われた最初の言葉だったのだが、まさにそんな感じだ。通常の勤務時間内は、他部署から回ってくる雑用のせいで自分の席にいることができないと思って良い。診察の時間が終わると少し静かになり、自分の仕事ができる。繁忙期でなければ9時には帰ることができるが、年末調整や決算期だと余裕で午前に突入する。残業代はその時の運によって決まる。上司の機嫌が悪いと出ない。タイムカードなんてなかった。
・宿直について
病院は診療時間がいでも人がひっきりなしに来るところなので、必然的にその対応をするために人員が割かれる。自分の病院では、18時の勤務が終わったタイミングでパートさんと交代し、その人たちが再び出勤する翌日朝9時までが自分たち事務員が代わりに窓口で働いていた。
小児及び産婦人科の救急患者は全てうちでの引き受けだったので、基本的にほとんど眠ることはできない。ひっきりなしに電話が鳴るので、宿直の番になった事務員は皆その時間に自分の仕事をやっていた。自分とて例外ではない(上司からもそのように指導される。もちろん残業代は略)。ちなみに、次の日は有給を使わないと通常勤務である。
夜18時から朝の9時まで、通常の業務を含む諸々の作業をこなしても支払われる手当はたったの三千円程度である。これは違法だと思うのだが、労基に相談したところ「すべての職員の時給を求めて、手当がその1/3以下であると立証できない限り違法ではない」と言われた。総務にいる頃に一度計算したことがあるが、もちろん下回っていた。が、そこから労基が開いている時間に仕事がなかったことがないので結局告発していない。
この形態の勤務が月に5〜6回程度あり、それが繁忙期と重なると地獄であることは想像に難くないと思うのだが、いかがか。
メリットについて
さて、こんな仕事がだが、もちろん悪いことばかりではない。そうでなければ、x年続けることはできなかった。
まず、病院は一般的に福利厚生がとても手厚い。看護師の方が働きやすいように、という配慮からか、育児休暇や産休が取りやすいよう環境が整備されている(有給は不可)。保育園も併設されているので、子供が生まれてもなんだかんだで復職して来る人が多い。
また、副業がフリーなのも大きい。うちにもいわゆるスーパードクターみたいな先生がいたのだが、思うに公演や印税の方が給与よりも多かったのではないかと思う(邪推)。仕事ができる人間はどんどん稼ぐことができるが、そうではない凡人、例えば自分のような人間は一生奴隷のごとき労働条件で働くことになる。
何より大きいのは、医療費がかからないことだろう。事務員の場合、入院しても病室で仕事ができるので、有給を使うことなく治療に専念できる。もちろん、入院中に調子が悪い時は有給を使うこともできたが。
自分は無能なので役職はつかなかった。もし、役職があり、責任のある仕事を任されていたのであれば、もっと続けよう、という気になったかもしれない。が、若い間はともかく、高齢になった時にこんな生活を続ける気は無いし、自信もない。今ですら徹夜明けの通常勤務はかなり身体にこたえる、というのが正直なところだ。現在は、次の決算期が終わったあたりで退職するべく準備を進めているところである。
誤字脱字が多々あり、読みづらいとは思うが、ここまで読んでくださった増田の方々には感謝しかない。ありがとう。
それから、病院を就職先・転職先に選んでいる方たちへ。悪いことは言わない。やめておきなさい。
いつも、ありがとうございます。
宿直明け勤務に戻ります。では。
生来、大声が苦手で、幼少のころ、親に「そんな勢いで言われても頭に入らない、もっと優しく言って」「文章に書いて伝えて」などとお願いし、理解されなかったエピソードに始まり、今でも怒鳴り声に直面すると、文字通り固まって黙り込むという、コミュニケーションにおける最悪手を取る結果になってしまう。
これは男性の罵声であっても、女性のキンキン声であっても全く同じ。それどころか、「あ?何言ってんの?」程度の凄んだ声でも必要以上に緊張する始末である。
なんというか、何か返さないといけないと思っても、そういう風に言われた直後からしばらくの間、考えがまとまらないのである。
日常会話では、某大御所お笑い芸人の定番芸よろしく「あんだって?」みたいな聞き取り事故が結構起きる。
というか、コミュニケーションは「相手ごとに個別最適化された、些細なことの積み重ね」なのは、読者諸兄もよくご存じだと思う。
どういうわけか相手の言動を観察できず、どうしても一方通行気味の会話となってしまう。
それでも友達らしい付き合いはどうにか可能だが、彼女を作るとか、仕事でステークホルダーと際どい内容を話せるレベルの関係を作ることは、非常に困難ないし不可能である。
実際、自分の恋愛経験はアラフォーの今でも毛が生えた程度だし、仕事でもコミュニケーション面は完全に落第点である。
歩くときも座っているときもついつい考え事をし、それで誰かとすれ違う時は「お互いが同じ方向に動く」コントみたいなことがたまに起きる。
これって騒音のせい?
雑音をシャットアウトする手段で、古くからある定番の一つは耳栓だ。
最近はこの耳栓も大変便利になり、ノイズキャンセリングで不要な音だけ排除し、必要な音はクリアーに聞こえるという「デジタル耳栓」なるものまである。
昔ながらの耳栓は個人的にあのフィット感が嫌いで、かなり若いときに数回試してやめてしまったが、このデジタル耳栓はイヤホンもどきだし、そんな気にならなさそう。
その結果は、自身のQOLに、想像以上の途轍もない効果をもたらすこととなった。
最初は電車で使い始めて「あれ、こんなもんか」という感想だった。まあ車内放送は聞こえるし、別にいいけど。
などと思っているうち、よりによっていつも降りる駅近くになって眠り込んでしまった。
それでも、いつもは不思議と車内放送を聞き逃さず、すかさず起きて降車できるのだが…今回はそうならなかった。
実に20年ぶりくらいに車内放送を聞き逃し、乗り越しをやらかした。
大慌てでいつもの駅に駆け戻り、デジタル耳栓を外す間ももどかしく改札をくぐった。
そこから速足気味で歩き始めて数秒後、いつものペデが、なんだか違うのである。
えらい静かなせいなのか、自発的に周りを注意しないと…という意識が自動的に働いてしまった感じだろうか、とにかく人の動きがよく目に飛び込んでくるのだ。
それも、周りを注意せず歩いている人なんて一瞬で分かってしまうレベルで識別できる。
これなら例のすれ違いコントなど起きようがない。
そうなる前に、なんとなく人の動きが読めるのだ。
上述のように周囲に注意しつつも、それでも考え事がやむことはなかったのに、独り言だけがパッタリやんでしまった。
独り言をしなくても、考えたことがスッと頭に入っていく感じだろうか。
数年来の友人と電車内で会話したとき、とにかく相手の話に苦も無く追従できたせいだろうか、彼が今まで話した中で、最も楽しそうに喋っていた…ような気がする。
こちらも、その話しっぷりから「コイツの飾らない人柄、すげーイイ奴だ!」などと妙に感動してしまったり。
これってもしかして「ちょっとしたこと」ができていたということだろうか。
だとすれば、確かにこの「ちょっとしたこと」は他人に教えられない。
自分もコミュニケーションが苦手なので教えてほしいクチだったが、これは文字通りフラットな経験から体得するしかないんだなーと痛感した。
数年前に話題になった、某引っ越し業者の幹部がユニオンのスタッフを怒鳴る動画、最近取りざたされた某女性議員の「このハゲー!!!」で始まる動画、この2つをデジタル耳栓をつけた状態で試聴してみた。
確かに「あーコイツやべえ、すっげーなオイ」とは思ったが、さほどビビらなかった。
これなら「あっすみません●●は××にしておきます、あの、ご指摘ありがとうございます」くらいのアクションを咄嗟に返す余裕はありそう。
少なくとも、怒鳴り声で感じる威圧感は最小限だった。
別に変なクスリをキメたつもりはないのに、デジタル耳栓をしている時間が、極上に安らかなひと時になっている。
とにかく不安感が全然ない。不安になる事を考えていても、である。
「満更でもないな」という気持ちが非常に支配的で、安心感が凄まじい。
ともかく、「人間の感情も思考も、全て感覚によって形作られる」ことを認めざるを得なかった。
そして、「この世界は俺にとってうるさ過ぎる」とも。
というわけで、なるべく早く、というか可能な限り最優先で、聴覚過敏の専門医を受診しようと思う。
確かにデジタル耳栓は快適なのだが、これを今後ずっと使い続けていいのか、そもそもの自分の感覚異常の正体は…など、色々気になる。
よく良い記事書けばアクセス伸びるとかいうけど、全然そんなことない。
伸ばそうとすると検索ワードたっぷりのブログを書かないといけなくなる。書きたいことではなくアクセスが伸びるものを書くという本末転倒な行動
匿名ダイアリーだと上手く波に乗れないやつはいるけど、簡単にバズることも可能。
わざわざサイト育てて、宣伝活動して、そこからスタートするという今のブログの流れを考えると、増田さえあればはてブロいらないんじゃないかと思ってくる
はてブもはてな以外のサイト多いし、面白いブログを探すのが難しすぎるし、書き手としてもあまりメリットを感じない。独り言ならここでいいわけだし、見て貰いたいからブログ始めるわけだしね
チキンクリスプとホットコーヒーを頼んで、ゆっくり新書でも読もうかと思っていた。
最初に座った席は、左隣に座っていた眼鏡黒髪パーマ豚女がノート広げてイヤフォン付けた状態でずっと低音の唸り声をあげていた。
たまにブツブツ独り言を呟いている。英語学習?してるようにも見えるんだけど、周りの人に気にする様子もなく、完全に自分の世界に入ってしまっている。
うぜぇぇぇぇぇぇぇ!!!!
唸り声をあげたいなら家でやれ!!!!!
低音の唸り声に耐えられず、1回目の席移動。
次に座った席は両隣で10代の子供がiPhoneを弄っていたのだが、右に座っている刈り上げの眼鏡サルが絶えず体を忙しなく動かすのだ。
いや、お前がADHDであろうと単なる落ち着きのないガキだろうと良いのだ。私の人生には何の関係もないのだから。
ただ、ゆっくりコーヒーを飲みながら読書しようかというときの隣人としては迷惑なことこのうえない。
10分くらいは何とか耐えたが、イライラのあまり胃がチキンクリスプを拒絶し始めたあたりで2回目の席移動を決めた。
こんな感じで、マクドナルドではベストポジションが定まるまで遊牧民族さながらの移動を繰り返してしまう。
少し前に Twitter か何かで「○○の×巻発売です。電子書籍でもいいけどできればお店で買ってください」みたいな書き込みを見かけた。
実際、紙のほうが作者的には嬉しいの?
最初の発売時はそのときの売れ次第で次の印刷数が決まるみたいの聞いたことはある。
印刷されて本屋に流通すれば、すでに印刷されてるから本屋で売れなくても編集社としての利益はでてるから。
そういうこともあってか、発売から1,2年経ったちょいマイナー漫画ってアニメイトとかでも売ってないことが多い。
もし売っていて自分が買っても、誰かから注文なければ次を発注したりはしないんだろう。
それだと自分が買っても買わなくても作者や編集社にはほぼ影響ないと思う。
電子書籍だと、人気ランキングが少しだけ上にいって作者が気付いて「おっ」っと思うかもしれないし、購入があってからお金が入るなら「まだ売れてるんだ」と思うこともありそう。(こういう業界詳しくないから売上関係なく月給とか1ページ辺りで金額決まってるのかもしれないけど)
そう考えると、新刊なら紙で、数年前のを買うなら電子書籍のほうがいいのかなって思ったんだけどどうなんだろう??
それともうひとつ気になったんだけど、アンケートか感想かのはがきを書くのが一番の応援になるみたいのを聞いたことがある。
10年、20年前ならともかくいまどきはがき??って疑問に思ったんだけど、漫画の業界でははがきにそんなに重要なの?
感想でもはがきよりは、Twitterとかブログに書いたほうが本人以外の人も見て買うキッカケになるかもしれないし。
ブログのアフィリエイトだって買ってくれるキッカケになるんだし、はがきよりも喜ばれそうだけど、どうなんだろう。
と、書いてみて思ったけど、マンガ家の人やその関係者が増田なんかみてると考えづらいし、自称詳しい人のブコメくらいしか期待できないな。
いわゆる、女言葉(「~だわ」、「~なのよ」等)を今の女性は使わない。
普段、独り言をベラベラ言っているタイプなので、「~だわ」「~かしら」「~なのよね」とかは普通に使ってる。
むしろ「~ですわ」とかも使ってる。
でも、これはあくまで一人の時に限り、人前では使わないようにしている。ヤバい奴感がヤバいからだ。
そうは言っても、いつもの癖で「そうなのよね~」とか言ってしまいそうになる。
女言葉を使いたい、という欲が、なぜか知らないけどすごくある。
実際、ツイッターとかであえて女言葉で、というか思った通りに「~のよ」とか「なのね」とか「だわ」とか書いてみるけど、文字として起こそうとするとなんだか違和感がすごい。
うつ病になって死にたい死にたいと思っているうちに自殺未遂もした。
過去を思い出しての独り言も多い。風呂やトイレ以外にも車の運転中とかよく過去に飛んでしまう。
それでも以前に比べたら最近は色々なんとかマシになってきた。
ノートに書きだすというのは認知行動療法の技法にもあるけどちゃんとやり方が工夫されてる。
ただ書き出すだけだと傷口広げたり過去から戻れなくなるだけなので、自分の感情や行動を客観視することを目的としている。
ちなみにマインドフルネス(瞑想)も認知行動療法の一種で自分を客観的に視るトレーニング。
これらはダイエットみたいに長期的に自分を良い方向に訓練するのであって、今日明日や一週間で効果を期待するとがっかりする。
即効性なら
「死にたい」と思ったなら「死にたいと思っている」と言い換えてみる。
「死にたい」はただの感情だが「思っている」と付け加えるだけで客観的な解説の言葉になる。
これだけで結構ラクだよ。
過去を思い出すのをいきなり止めるのは難しすぎる。
フラッシュバックで泣いた時もそのうち感情が静まっていくだろうから、ころあいを見計らって
「なになにを思い出してフラッシュバックしていた。今回は12分間だった」
みたいに客観的な言葉に置き換えておく。もしくは口に出しておく。
本にもなってるけど、以下の動画は僕は参考になりました。日本語字幕もついてるし短いから観てみてはどうでしょう。
https://www.ted.com/talks/guy_winch_the_case_for_emotional_hygiene?language=ja
オッサンに文句言われてモヤモヤした気持ちになった。3日経っても全然治まらないから書く。
リリイベ(ミニライブ)に行った。俺は持病でトイレが異常に近い。ライブ中にトイレに抜け出すなんて出来ないから直前にトイレに行くことにした。それほど混んでなかったので荷物を置いて開演10分前にトイレに行った。これが間違いだったらしい。
戻ってきたら人がだいぶ増えていたので、そのすき間をごめんなさいって思いながら自分の荷物のとこに戻った。そしたら後ろのオッサンが文句を垂れてきた。
いや、買い物には行ってない。しかも俺に話しかけるんじゃなくて独り言を大きめの声で言うやつだ。明らかに俺に向かって言ってるにも関わらず周囲にまで聞こえる声で不満を喚くやつ。めんどくさいやつ。普通に肩でもちょっと叩いて話しかけてくれればよかったのに。
今思えば無視しとけばよかったんだけど、明らかに誤解されてるのが嫌だし推しのライブでもやもやした気持ちになりたくないから、振り返ってオッサンに弁明した。
「あ、ちょっと急にお腹痛くなったんでトイレ行ってました。ごめんなさい。」
「はあ~。しかもそこ元々あの人がいたんだよ。だから俺は1列後ろにいたのに。横入りするなよ。整理券入場になってんだろ。」
いやいや、俺も整理券ちゃんと渡して入ったし、このライブは席とか特に決められてなくて各々が見たいとこから見るやつじゃん。
しかも俺が確保した場所には何も置かれてなかった。ただ空いていた。それも1人分のスペースだけ不自然に空いてたわけじゃなくて、2,3人分ぐらい空いてた。
文章だけでは伝わりづらいから読む人は判断できなくて怪しいと思うかもしれないが、俺は自分がそこに入るのに強引に入ったという認識はない。ただ空いてる場所の中で一番前の方にただ場所を確保したと断言できる。
つまり、最初の場所を取る時点で失礼なことはしてないと自分で思ってる。
でも、もうすぐライブも始まるし面倒な揉め事になるのは避けたかったから穏便に済ませようと思って適当に謝った。
「あ、そうだったんですか。ごめんなさい。元々人がいたとは思ってなかったです。」
「いたんだよ。それがあんた、彼が友達のとこに行った隙に横入りしたんだろ。俺は後ろに下がったのに。」
荷物も何も置いてないスペースに対して、誰かがここにいたかもとか考えを張り巡らせるの無理でしょ。ましてやアイドルのライブ。各々が自分の見たい場所から見ようとする。前の方がいいとか一概に言えない。
全席自由席の映画と一緒で、荷物も何も置かれてない座席(スペース)があったら、後ろに人がいても「この人は後ろから見たい派なんだなあ」ぐらいに考えてその席に座るでしょ。そもそも最初の時点で言えよ。
しかもその元々いた人、友達のとこ行ってそれから戻ってこないし、見た感じあっちに場所変えてんだよ。俺が場所奪ってたらその人だって言ってくるでしょ。
「あ、そうなんですね。ごめんなさい。じゃあここどいた方がいいですか。どうぞ。」
って言って俺は後ろに下がってオッサンに前を譲ったよ。そしたらそのオッサン、「そこじゃ見えない」とか「そこは彼の場所」とかなんか言って自分は動かないんだよ。
はあ?って感じじゃん。意味わかんない。無駄に空いたスペースがあるんだけどどうすんのこのオッサン?謎にスペース空いてるのアイドルや後ろの人からしたら絶対意味不明だしなんなのこの変な空白???もう意味わかんない。
結局俺の前には1人分の変なスペースが空いてる状態でライブが始まったよ。しかも1列後ろに俺が移ったからこの文句垂れてきたオッサンが隣に。いや、かなり嫌だよ。なんで俺に怒ってきた人の存在を感じながら好きなアイドルのライブを見なきゃいけないんだ。あー。
「楽しく見ましょうよ。こういう雰囲気嫌じゃないですか。楽しく見ましょ。」
そっちの伝え方が悪いからこうなってるんじゃん!!!!!!!!もう楽しく見るとか無理だよ!!!!!!
結局アイドルのライブもそんなに楽しめず、さらにそのアイドルのことを考えるたびにこの一件が頭に浮かんでもやもやするようになってしまった。もうかなり最悪。
ファンが良識ある人って評判のアイドルで、ファン含めて俺は好きな文化だなあって思っていたのにこの仕打ち。もう何も言う事ねえよ。彼女も他のファンも悪くない、オッサンがアレだっただけだって思いたいけどオッサン、いわゆるおまいつ系(そのアイドルの現場に行くといつもいる人)っぽくてもうそのアイドルの現場に行く気がかなり弱っちゃったよ。もういやだ。アイドルを応援したいのに現場に行きたくないという気持ちがつらいよ。
愚痴を垂れ流したくて書いたけど、目的は他にもある。多分俺の認識は歪んでいる。自分を正当化している。何が悪かったか、どうすればよかったか、今後どうすべきか、教えて欲しい。頼む。このままつらいだけは嫌なんだ。
読んでくれた人の中に件のオッサンや、周りでこのちょっとした騒動を見てた人がいたらお願いがある。オッサンと俺を繋げて欲しい。ちゃんと話したいし、ちゃんと謝りたいし向こうの認識ミスをちゃんと謝って欲しいと思っている。
アイドル本人がこの件を知って悲しい気持ちになって欲しくないので、具体的なアイドル名や地名は入れず、日付も出鱈目に書いた。(会話内容や騒動の一連の流れについては嘘を言ってない。俺は自分の解釈したように書いた。)
このままもやもやを抱えてアイドルを応援するのはつらいし、こんな一件でアイドルを応援するのをやめたくない。気持ちよくアイドルを応援するためにどうすればいいか教えて欲しい。頼む。
アカシア根皮茶(ACRB)を試す機会があったので、様子を書いてみる。
例えば飲酒したとき、吐く寸前くらいの酩酊時は、気分が大きくなり、説教を垂れたり思考が飛び飛びになったりする経験がある人も多いと思うが、この草の場合は酩酊と同時に視覚と聴覚の幻覚も一緒に楽しめる。
(効果は人によって異なり、効かない人はアルコールの悪酔い程度にしかならない。自分は多いにキマった)
試してみたい場合や調べてみたくなった場合はこのURLから辿っていけば一通りを知ることが出来る。 http://storys.jp/story/24344
13:20 アルコールの酩酊に近い状態になる。寝転がっているのが楽で、座っているのが面倒に感じる。目を閉じていた時にも視界に液晶モニタを間近で見たようなツブツブが見えてくる。
13:30 目を開けていても、気を抜いていると何も無い白壁や、陶器の皿にプリズムのような幾何学模様のパターンが見えてくる(ルイス・ウェインのフラクタルな猫のような見え方)白い皿の輪郭部分から色収差のように赤と緑の線が見える。
13:32 気分が悪くなり、嘔吐。体温が低く感じる。
13:40 目を開けて意識をしっかり持っている時はアルコールの酩酊と同じ感じ。目を開けてぼーっとしていると視界が何重にも見え、幻覚の幾何学模様のパターンが更に激しくなる。この視界が何重にも見えるのをぼーっと楽しんでいるだけで多幸感がある。目を閉じていても、フラクタルパターンやモノクロの部屋など、各種幻覚が強制的に見られる。
14:00 感覚の鋭敏感のピーク。瞬きしたときの視界の変化が知覚できるようになる。蛇口から水がポタポタ落ちる環境音などにタイミングを合わせて視界が歪む。毛布や服の感触に安心感を覚える。同居人に現在の様子を説明するときに、自分の心情や見えている物が伝わらないのがもどかしく感じる。
14:10 音楽や映像を摂取すると精神が持って行かれそうな状態になる。音楽や映像を全部止めて、ぼーっと天井を見ている。その時に天井のシーリングライトの丸い形状が愛おしく感じる。角張ったものに対する忌避感がある。
14:30 思考が断片化しているのを自覚する。喋ったり文字を打っている途中にもう別の事を考えてしまい、発話がおいつかなくなる。おそらく、ボイスレコーダーをセットしておいて独り言を言い放題にしておくと、後で聞き返して悶絶しそう。
15:00 視覚と聴覚の幻覚や幻聴が無くなる。以降は酩酊した状態に近い精神状態。連続した思考が出来なくて、自分の意思と無関係に考える対象がポンポンと飛ぶのが、まるで自分の頭が良くなった、悟りを開いた、と誤解してしまう。
16:00 酩酊も一通り収まり、外に出る。太陽の光がまぶしい。
まとめ
ここまでキマると思っていなかったので、音楽や映像の用意をしていなかったのが悔やまれる。人と話していたいのか、映像を流して視覚がめちゃくちゃに過敏になっているのを楽しみたいのか、ぼーっとしていたいのか、の様に方針を決めておくほうが良い。