はてなキーワード: 独り言とは
移行支援 障害者の一般就労を目指す、ただし利用期間に二年の期限あり
B→A→移行支援の順番で通所しているやつのキチガイ率が高くなる。
ただ途中でB型と移行支援の多機能型というよく訳の分からない形態の事業所になった。
私は元々移行支援のときに入所したが多機能型への移行のタイミングでB型所属にしてもらった。
生活リズムの改善が目標だったため、また2年の期限が気になったためだ。
私の事業所では軽作業や精神療法的アプローチのプログラムなどを行っている。
当初はモリモリと回復していき、これ就職もいけるなーなんて思っていた。
移行支援の利用者だけの時はコミュニケーションを取れる、空気を読めるなど障害を言われないと分からないくらいの人が多かったせいもあり、自分自身の課題解決や就労に向けての努力をすることが出来た。
発達障害の利用者が急激に増え、恐らく健常者がイメージしてるであろう「福祉作業所」に変わってしまった。
独り言、空気を読めない、軽作業でさえ出来ない、話しかけても反応がない、こだわりが強すぎなどなど。
つかみ合いの喧嘩になりそうになったり、急激に怒りを爆発させたり。
カオス。
支援者に改善を訴えても「障害には程度があるので理解を」と言われるのみ。
私の通所している就労支援事業所B型では精神障害者の理解は十二分に学べる。
何の役にも立たないが。私は他人の障害なんてハッキリ言ってどうでもいい。
寛解状態になりかけていた私は利用者が大声を上げて喧嘩を始めた時にパニック発作を起こしてしまった。
今は違う作業所への変更も視野に入れているが、うつの時は重大な決断はしないほうがいいといわれている。
本当に困り果てている。
パシーーン!(death6coinの頬を叩く音)
「ダメです!death6coinお姉さま、そのピアノの調べは!
death6coinお姉さま、
ピアノの調べに乱れが、いや乱れと言うより沸き上がる心の喜びというか……
軽やかな春の風を思わせるその暖かなセルクマの調べ。
それだけはいけませぬ!
人の悲しい気持ちにより添い、
気持が沈むところまで沈まなくてはいけない調べを奏でなければならないことは重々ご承知のはず」
***
国は活力にあふれ、人々は喜び賑わう。
もちろん、ヴォルケーセ家の者たちも自分たち「悲しみの楽団」が必要とされない日が多い方が、良いことくらい当たり前に分かっていた。
それがヴォルケーセ家の者たちの運命(さだめ)だった。
それに対して、
そういった一つの体系があると、
反対の要素の体系も同時に存在している。
国が喜びに満ちたときの宮廷楽団「喜びの楽団」それがラ・ヴォルケーセ家の宮廷楽団。
ラ・ヴォルケーセ家とヴォルケーセ家の両家は、
不仲とは全くの無縁のとても良好な関係だった。
が、決して、
そのそれぞれが奏でる音楽と、
そしてその「血筋」は混ざることがなかった。
あの「出来事」の起こる前までは……。
***
その日を境にして彼女はヴォルケーセ家から居なくなってしまった。
幸せはそう長く続かず、
一瞬にして二人の間は引き裂かれた。
やがて、それが国を動かすことになった。
悲しみも喜びも分け隔てることなく奏でるようになったのだ。
国民のみなの願いが一つになった。
***
「おばあちゃん、もう眠たいよ」
「おやおや、そうかい?じゃこのお話の続きはまた明日しようかね」
「うん、おやすみなさい」
もう、この話のことも誰もが忘れてしまったよ。
でも、こうやって受け継いで語り継がなくては……。
この悲しい話を。
遙か遠い国の昔話のようだけどね。
そう独り言のようにつぶやくと、彼女はその子の部屋を後にした。
知る人はもうほとんどいない。
言論と表現の自由があるんだから、記者会見をしたことを非難するのはダメだろう。
この記者会見が先方に私刑に見えて、それで損害を受けたというのなら、名誉毀損とかで法廷で争えばいいだけだろう。
私刑がよくないのも当然。
もちろん、その権利を行使した結果に伴う責任は取らないといけない。
だけど、それは当事者同士の話なわけで、第三者の外野がどうこういう問題ではないのでは。
推定無罪の原則があるから、第三者としては、先方の男性がレイプしたかどうかはわからない。
特段の証拠がなければ、していなかったということになるだろう。
もっと証拠となる情報が集まらないことには、わからないとしか言えない。
個人的には、真実を知りたいので、もっと情報が出てくることを期待するところだ。
私刑はよくないが、意見を言うことが私刑であるというならば何も言えなくなる。
もし、それが私刑であり、損害を受けたというなら、それを立証して法廷で争うことになるだろう。
記者会見が大げさすぎるという話だろうか?
それなら、聴衆に訴えかけるのは大げさではないのか?
家族友人に話すのは大げさではないのか?
何を持って大げさかどうかも個人によるだろう。
これもまた、大げさすぎて、それが私刑に見えて被害を受けたと言うなら、これも当事者同士が争うしかないだろう。
やはり第三者がどうこういう話ではないと思われる。
口呼吸をやめよう
歯を磨こう
鼻毛を切ろう
耳毛を処理しよう
爪は長くなる前に切ろう
眉毛をすこし整えよう
猫背を直そう
髪を短くしよう
独り言をやめよう
穴のあいた服は捨てて新しいのを買おう
汚れた靴はきれいにしよう
舌打ちをやめよう
自分だけ異常にテンションあがってつまらないジョークを楽しげに何度も繰り返すのはやめよう
もうすこし落ち着こう
公共の場で大声で話すのをやめよう
くちゃくちゃ音を立てて食べるのをやめよう
箸の持ち方を覚えよう
お酒はほどほどにしよう
歩きタバコはやめよう
スナック菓子を食べ過ぎないようにしよう
親に暴力を振るうのはやめよう
親の金を盗むのはやめよう
ずるずる鼻をすするのはやめよう
首をぼきぼき鳴らすのはやめよう
社交辞令を真に受けないようにしよう
いつも本音で毒舌トークをするのではなくあたりさわりのない社交辞令も言えるようにしよう
電車のドアが開いてもダッシュで席を取りに行かない心の余裕を持とう
満員電車に乗るときはリュックサックは背負ったままではなく手に持つか網棚に載せるかしよう
歩きながら唾を吐かないようにしよう
道端や小便器にガムを吐かないようにしよう
部屋にゴミを溜めすぎないようにしよう
部屋の掃除をしよう
睡眠はちゃんと取ろう
インターネットスラングを日常会話で使わないように気をつけよう
太っているなら痩せよう
痩せすぎているなら積極的に食べて体を鍛えよう
頭を振って髪をわしゃわしゃしながら「あー、くそっ」と突然自分自身にキレないようにしよう
図書館で借りた本に書き込みしたり折り目をつけたりするのはやめよう
図書館で借りた本は返そう
他人から借りたものは「返して」と催促されなくてもちゃんと返そう
他人から借りたものを汚したり壊したりしないように気をつけよう
本屋で売ってる本から付録だけ抜き取って何食わぬ顔で持ち去るのはやめよう
カードショップでブースターパックを10袋程度取って選んでるフリをしながらひとつかふたつをこっそりバッグの中に入れ残りを元の場所に戻すという見え見えの万引きはやめよう
家の壁を壊さないようにしよう
自傷行為はやめよう
飲酒運転はやめよう
などなど
人の脳は脳細胞同士が連結、通信しあうナイーブな電気パルスから離れ、高次思考を言語で行うことに成功した。それが人間と他の動物の間にある知性の差であり、ナイーブな電気パルスのイミテーションにすぎないディープラーニング人工知能が未来永劫知性に達しない理由でもある。
人は言語により思考し意思決定し、本を読んで学習し脳をプログラミングすることも出来る。言語は電気パルスを離れ安定したテキストデータとして脳に貯蔵しておくことも出来、それを外部に文書として記述することで知識を共有し後世に伝えることも出来る。
脳は各部が機能を持ったパーツとして存在していて、特定の箇所を傷つけると特定の機能が消失することが知られているが、各部位で行われた電気パルスによる思考の結果は高次脳領域で言語データとしてエンコードされ、意識に送られる。意識は言語データを受け取り、口に出すかどうかを決定する。口に出さない場合は心に思うだけにする。そして必要な場合言語データをループバック回路に送り返す。ループバックされた言語データは新たに入力された感覚器官からの電気パルス信号とともに再び脳に入力されて処理され、また意識に言語データとしての処理結果を返す。
意識的思考というのはつまり、脳から出力された言語データを何度も脳に送り返すことで言語データを熟成させるプロセスのことだ。思考自体は意識が行っているわけではなく、脳細胞が電気パルスによって行っている。意識の働きは脳から出力されてきた言語データを評価し、口に出すかどうか、あるいは思考を継続するために脳に送り返すかどうかを決定している。そこで流れた言語データは電気パルスにデコードされ記憶領域に複製されていて、後から思い返すことが出来るため、そこに意識の流れが出来、時間感覚や自分が意識を持ち生きているという認識が生じる。
脳内の思考活動は脳内で閉じていて、外部からは存在が実証できないため、意識があるとかないとか自由意志があるとかないとかいった問題が生じているが、意識はあるし自由意志もある。意識は考え続けるか、考えるのをやめるか決定し、自ら行動を変化させることが出来るので、自由意志が存在するといえる。もちろんそれは決定論と矛盾しない。
追記:つまり実際の思考を行うのは各部位で行われる電気パルスであるが、意識はその言語化された出力を脳に戻すことで何度も思考をループさせ、それによって思考を高度化させている。その機能は、「言葉を口に出すかどうかを決定する」回路から進化したもので、「思ったことを口に出さずもう一度考える」という能力を獲得したことが、人と動物を分けた、という話。意識は言葉を口に出すかどうかだけでなく、言語で思考した内容を実際に行動に移すかを全般的に制御出来るが、言語によらない思考から発生した行動は制御できない。それが、意識は言語を処理する機能だという証拠になるだろう。
追記2:「自分には意識があるという実感がある」というのが不思議な感じがするのだろうが、事実として意識はあるし、実際に脳内で行われた思考の結果である、出力されてきた言語データの内容を記憶していて思い出すことも出来るから、自分はずっと意識を持ち生きているという実感があるのは当然である。意識はそういう機能だからだ。それは幻覚でも何でもない。
追記3:動物に意識はあるかという問題について。動物に意識はない。ハイデガーいわく「動物は私と言わない」というが、「私」が「思考している」という文を組み立てられるだけの言語的複雑さを動物の脳は持ち合わせていないので、「思考している私が存在する」という認識、つまり意識の認識に動物は至れない。
追記4:計算機が「私」や「思考している」という概念を理解し、「思考している私が存在する」という認識に至る可能性は当然ある。ディープラーニング人工知能の延長線上では無理だと思うが。
追記5:この機構が計算機上のニューロンだけで成立するかという話。まず、電気パルスを言語データに変換するアルゴリズムは、人類のDNAにハードコードされている。人の知性はニューロンに由来するのではなく、DNAに由来する。人間より脳細胞が多い動物はいくらでもいるが、人間のように知性がある動物は他にはいない。人間という生物種全てに知性が存在する以上、その人間を定義するDNAに知性の根幹があるのは疑う余地が無いだろう。人間であれば基本的に言語を操る力を身につけることが出来る。それは人類のDNAに言語を操る基となるプログラムが記述されているからだ。
だからこのシステムに必要なのはディープラーニングによる学習ではなく、DNAの解読だ。学習は動物であれば誰もがしているが、言語を自由に操れるのは人間だけだ。学習からは言語にも、知性にも到達することは出来ない。学習によって知性や言語を得ることが出来るように、脳細胞を構成しているDNAが、知性の発現のための必要条件となっている。
しかし、DNAを解読して得た 電気パルス⇔言語 変換のアルゴリズムが、計算機上のニューロンもどきで実行できるかはまた別の問題だ。適用できたとすれば、この機構は計算機上のニューロンでも実現可能なはずだ。
DNAの解読以外で、ニューロンに知性を発生させるメカニズムを実現するのは不可能だと考えている。大自然が何億年とかけて最後に到達した脳というハードウェアのプログラミングに、人類が独力で到達できるとは思えない。
追記6:なぜそれが意識であるといえるのか、について。それはもちろん、あなたが意識であると考えているものがなんであるのかによる。私は「人に動物にはない知性がある理由」と、「人が自分の思考している内容を言語で理解し、そこから『思考している私が存在している』と認識している理由」について語った。あなたの意識の定義がそれに含まれないのなら、もちろんそれは、あなたの考える意識が存在する理由にはならない。あなたの考えている意識がどのようなものであるのか聞いて、それについて考えてみたいと考えている。
追記7:私が「意識は脳の外部にあると規定している」という指摘があるが、それは当たらない。脳はただ情報を処理し、その処理した結果として「思考している私が存在する」という当たり前の事実を見て、私には意識が存在すると認識しているだけだ。脳の中の通常の情報処理過程、たとえばそこに石がある、とか、そこに月が浮かんでいる、とかと同じように、「思考している私が存在する」のを見て、「私には意識がある」と人は結論している、と私は規定している。
追記8:言語を伴わない音楽や絵画を通じても、情報処理過程は変容する。視覚、聴覚の情報処理は意識的情報処理によらず変化する。その変化によって、新たな音や色彩に対する感覚を得て、それを言語化し、意識することができるようになることもある。それは意識の変容ということが出来るだろう。
言語を伴わない芸術から深いショックを受け、寝込んでしまったという経験が私にもあるが、それは意識を経由せず直接脳の情報処理過程を揺さぶることで発生したのだと思う。それにより脳内の情報処理過程が大きく変わってしまったり、トラウマになってしまったりということもよくある。それを意識の変容ということも可能だろう。
追記9:チンパンジーや鳥類等のコミュニケーションについて。上にあるように、私はチンパンジーや鳥類が伝えようと思ったことをやめて心に思うだけにすることはなく、思考がループしないので知性に到達できないのだと考えている。もちろんそれだけでは足りず、自分の思考をより正確に言語で表現し、言語情報を受け取ってその思考をより正確に再現出来る個体が、狩りのコミュニケーション等で有利になることで、言語能力の高い個体が子孫を残していく。思考⇔言語の変換で損なわれる情報が少ないほど、ループの中での思考も正確さを増し、複雑な概念の理解に到達できる。それを言語表現する進化の過程で、複雑な発声を獲得し、それを聞き取る聴覚も発達していく。
複雑な発声や聴覚を獲得する前は、思考を言語で表現しようとして歌を歌っていたのではないかと妄想している。人類は歌でコミュニケーションし、脳内の独り言も歌で行って思考をループさせていたのではないか。歌を歌うと気持ちいいのはそのころに培われた本能に由来しているような気がする。頭の中で歌が流れて止まらなくなる現象もその辺に由来しているのではないか。
追記10:囲碁AIについて。AIはコンピュータだから、囲碁のようなゲームが強いのは当たり前である。何も絶望することはないように思う。グーグルの子会社が仕掛けているのはHypeだから、真に受ける必要はないと考えている。彼らがそのHypeを本物だと主張するなら、囲碁AIのソースコードを公開するべきだ。
追記11:思考のループに言語はいらないのではないかという指摘について。脳内の何百億という脳細胞で発生している電気パルスは、そのままではループさせることは出来ない。言語に一旦エンコードし、それをもう一度デコードして、思考の再現を行うことでループしている。また、思考の内容を言語として記憶し、思い出して思考を再開することで、移ろいゆく電気パルスによる無意識の思考とは違って、同じテーマについて何度も長時間考えることが出来、思考を深めることができるようになる。
追記12:夢について。夢は動物も見ている。動物や人間の脳内では出来事が記憶されている部分があり、そこに電気パルスが流れると追体験する。人間の場合でも、それが嫌な記憶だとふとしたきっかけで蘇り、叫んだりしてしまうのだが、そういう意識でコントロールしがたい無意識的な思考だ。睡眠中にはそこに電気パルスが流れて出来事が蘇り、いろいろな出来事が繋がった追体験が起こる。そうして出来事と出来事を並べて、因果を繋ぎ、ある出来事の後に起きることを予測できるような形で整理している。それによってパブロフの犬のようなことが動物でも起きる。しかし、出来事を並べるだけで、言語的な論理性を持たなければ、たいした知性には到達できない。
追記13:意識とは、言葉を口に出さずにもう一度考える回路から発達したもので、思考の内容を言語として受取り、もう一度考えるため脳に戻すことで思考を深化させる機能だ。そのループの中で言語能力が高まり、「私」が「思考している」という概念を獲得し、「思考している私が存在する」という文が脳内で紡がれて意識に送られた時に、意識は己の存在に気づき、自意識を持つ。
追記14:匿名ネットのレスバトルで見られる、用語を適当に用い、反論のように見えるが無意味な文を書いて、無意味ゆえの反駁不可能性から自分への反論を避けつつ、用語の意味を知らず文が無意味と気づかない人には、相手の論に反論できているように見せかけようとする手法が私は大嫌いである。
こちらにちゃんと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170607213657
メッセージという映画を見てきた。あらすじは世界各地に宇宙船?が不時着。
中の宇宙人は何かを伝えようとしているものの意味が分からない。解読を頼まれた言語学者のルイスが奮闘するという内容。
とても興味深く引き込まれるのだが最悪なことが起きた。隣の席の爺さんがうるさい。
突然パンを食べ始める。袋のガサガサ音がうるさいしクチャクチャ食べる。謎の咳とよくわからない野太い独り言。
ずっとだったら言い出せるのだが5分に1回くらいなので注意するにもタイミングが合わない。
そもそもトラブルに合うのが嫌なので注意もしたくない。最悪だ。
いや、待てよ。袋のガサガサ音、クチャクチャ食べる音、謎の咳とよくわからない野太い独り言。これが5分に1回のペース。
これらから導き出される答えは、爺が何かしらのメッセージを発信しているのか!!メッセージを見て感化された爺さんが我々にメッセージを送っているのか!
よし、任せろ!解読してしんぜよう!
ってんなわきゃねーーーよ!!!
その人がなにかを好きといった場合、質の高さを求める場合、量の多さを求める場合、質と量のバランスを求める場合、大きく分けて3つのパターンがある
量あるいは頻度における嗜好が強いタイプは、質または質と量を追求するタイプとは話が噛み合わない
オタクの文脈では質の高さを求める方がより優位に立っているように感じるかもしれないが、個人の嗜好においてどちらがより優れているもなにもない
むしろ流行に踊らされて本当はシアトル系が大好きなのに背伸びをしてサードウェーブ系カフェに入り浸っていたようなコーヒー通気取りこそしゃらくさい
好きなものを好きな範囲で楽しむことに恥じらうことなどなにもない
仕事に集中してすこし疲れたときにオフィスの冷蔵庫から雪印コーヒー500ml取り出してストロー挿して飲みながら「コーヒーうま」と独り言つ
その中にこそ人が嗜好を楽しむ自然な姿があるのだ
優秀な(売上げが多い)営業マンに非常に多いのはニコポン営業と言われるタイプ。
「この2017年に⁉︎」という感じですが、そうなんです。
別にラジオに限らず営業職では、コミュ力が重要な要素ですが、ラジオの場合は最たるものだと思います。
というのもラジオ媒体は効果・効率を定量的に出すのが難しいメディアでして。
webはもちろん細かい費用対効果を測れますし、TVも毎日発表される視聴率でリーチなどはこまめに取れます。
対してラジオはと言うと、
首都圏ですら、
(radikoのストリーム数を諸々制約があり勝手に出せないのです)
私自身、「ラジオに広告効果がない」とは全く思いませんが、効果検証がしにくいメディアであることは確かです。
web広告がこれほど普及したなかクライアントとしても、効果を評価しづらいメディアはクライアント社内で承認を得るのも一苦労で、よっぽど刺さる企画じゃないと実施は難しいわけです。
それを何とか企画性やら新規性、話題性なんか組み込んだ提案に仕立てて売ってるのですが、相手も人である以上、最後に効くのはやっぱり人と人との関係性みたいで。
しょっちゅう会合やったり、ゴルフやったり、プライベートで趣味に付き合ったりで関係性作って、細かいフォローで最終的には「困ってるので助けてください」で決めてくるまでに仕上げるんですよね。
ちなみに会合なんかは高級店とかじゃなく、わりと普通のお店ですね。お金ないんで。
その代わり優秀営業は気遣いはすごいです。支払いやらタクシー手配やらはもちろん客が気づきもしない手際ですし、お土産なんかも、客1人1人の趣味、趣向、家族構成、出身地諸々を雑談から拾っといて全部頭に入れたチョイスしてきます。
とまあ、長々書いてますが、どれも基本的だったりよく言われることですね。
だけど、それを全て完璧にやれるかと言われると、少なくとも私にはできないです。
そしてニコポンが多いのもう1つの理由が社内環境にもあります。
基本的に放送局は編成サイドが営業サイドより力関係は強く、基本ディレクターがNOと言ったらNOです。
(それが「番組に合わない気がするから」という感覚論で、子どもの言い訳みたいでも)
編成が強いのは、公共の電波を預かるものとして「まず第1はリスナーの利益に」という点で正しいと思います。
しかし、民放として収益を上げるということを全く理解していない外部制作会社の雇われディレクターの感覚論でも全てがNOにされることもあるので営業としては堪ったもんじゃありません。
ディレクターはじめ社内各所と良い関係性を築き、私がデータや論拠を示しながらも拒否された企画を「ひとつよろしく頼むよ!」で通してくるんですよね。
要はできる営業マンは社内外問わずコミュニケーションが潤滑って当たり前のことなんですが、
これだけ「主観的な」環境にあるラジオだと際立っているというお話でした。
番組中、ADHDの子がなぜ授業に集中できないのか、その時、彼女は何を考えていたのかの解説をしていたのだが、小学生の頃の私を見ているような気分になり、ネットを徘徊してADHD自己診断チェックや、その特徴を読み漁った。
・片付けが苦手
・物をすぐ無くす
・集中が持続せず人の話をあまり聞いていない
・ケアレスミスが多い
・飽きっぽい
・独り言が多い
・話が飛躍する
などなど、けっこう当てはまる。
(時間が守れない、約束を破る、座っていると立ちたくなるなどは当てはまらないが。立ちたくはならないけど揺れがち)
ADHDっぽい傾向が顕著に出ていた小学生の頃、番組を見たことで思い返すとあれが本当に辛い時期だった。
すぐ気が散るので先生の話が聞けない→ゆえに宿題や明日持っていくものなど聞いてない→当然、宿題はやってないし、忘れ物も山ほど→先生に怒られる→男子からバカにされる(女子は何故かかばってくれた)→すぐ泣く→余計にいじめられる
という毎日だった。
あの当時は本当に、人の話を聞くことも、勉強の仕方もどう行えばいいのかが全く分からなかった。
集中しなさいって言われても、集中の仕方なんて皆目分からないし、思考があちこちに行ってしまうことをコントロールすることもできないし、そしてそれを説明できないし。
ついでに、歯磨きをしなかったから虫歯だらけだし、お風呂も湯船に浸かるだけ。ランドセルや机からカピカピのパンが出てくる始末。
ここまで書き出すと親が呼び出されてもおかしくない気がするが、おそらく先生は私に関心が無かったのだろう。
私が授業を妨害するわけでも、誰がに暴力をふるうわけでもないので、放置されたのではないかと推測する。
では、家で問題にならなかったのかと言うと、私の兄がアスペルガーでそれこそ学校で問題を起こしまくっていたため、私の問題など取るに足らないものだったのだろう。
母はしょっちゅう学校から呼び出され、教師から「○○くんのために授業が進まない」などと言われていたそうだ。
当時は発達障害が今ほど問題になっておらず、母はノイローゼに、兄は引きこもりになった。
ちなみに父は外に女がいて家にほとんどいなかった。
そんな環境だったこともあり、本当に誰も私を見てくれていなかったって未だに思っている。
毎日先生に怒られ、男の子からいじめられるのは辛いし、本当は学校になんて行きたくなかった。
そこで思い切って母に「学校に行きたくない」と訴えたところ、「あんたまでそういうこと言うの勘弁してよ」と言われて、それからひたすら我慢して登校した。
プリントも教科書も入れっぱなしのランドセルはとても重く、虫歯は痛く、頭は臭かった。
先月派手に転倒して顔を縫ったあたり、ものすごくそそっかしいことに間違いはないんだな。
これまでだって知らなかったことだから別に分からないままでいいんだけど、ただ、あの辛かったころの私に手を差しのべてあげたいな。
一緒にお風呂に入って髪を洗ってあげながら、学校で何があったのか聞いてあげたい。
今、そういう救いが必要な子に何か出来ることってないのかな。
集中力と根気が続く限りだけど、考えたいなあ。
本当に辛かったもん。
僕は「痴漢行為を軽蔑する」とも書いてるし、僕が女性を怖いと感じるように、女性も男性を感じているだろうことは理解しているつもりです。
最初の増田にはそのような記述はないですよね。ツリー下の元増田を自称する記述にはあるけど増田は投稿者を特定できないし、
そもそも、最初の投稿にその記述が無いということは、あれを書いた時の増田の思考の大前提に「痴漢は軽蔑する」がたまたま抜け落ちていた、
もしくは、あくまでも自分が被害者であることを主張したいがゆえに、その源流の痴漢の存在はメタでしかなかったんじゃないかなーと思ったんだけど。
思考の優先順位は「女は俺を殺す可能性がある」の方が上だったのでは、と感じ、それを私はわぁ被害者意識丸出し―と感じたんだよね。
まぁ、被害者の立場に実際に立ったことがなければ仕方がないことだとは思うけれど、
後付けで痴漢は軽蔑すると言われても、最初の増田ではひたすら女は俺を殺すって怯えてたのに、何を今さらおためごかしだよねーと。
と書いてあるけれど? 女は俺を殺すことが可能だという主旨を修辞的にしているだけだと思うんだけれど。婉曲表現すれば被害者意識が薄まる訳ではないし、
自分を良く(女性の被害の辛さも分かっていますよ風味に)見せようとして、自分が言いたかったことを曲げちゃってるのかな。
だけど、実際に満員電車で男性の隣になってしまった女性の目から見れば、こういう男とそうでない男の差なんてわかんないんだろうな。
と、女性に向けて不満を表出する独り言の体をとったような言葉を使っているんだよね。
上と同様、修辞的に言葉を飾ってはいるけれど、もっと簡単に言えば「女は加害者だろ」と問いかけている。
それで、無視しているつもりはなかったんだけど…というのは、ちょっとムシが良いんじゃないかと思う。
その憤りを向ける相手は、女性だけじゃないはずなのにね。なんで女性に向けた愚痴の体になっちゃってるんだろう。書いた本人も気づいてなかったりする?
私も男性専用車両だって作ったらいんじゃね?と思うけど、そんな一方的に露出女に冤罪吹っかけられたらーみたいなことばっかり言ってる人の言葉
そのくせ自分が被害者ぶってない態度に見られないための言葉の飾りには熱心なばっかりの言葉では、人を動かすのは難しいと思う。
増田が最初の増田(ややこしいな)に書いた男性性の不如意さと、女性が冤罪加害者の権利を行使する可能性って、普通に生活していればどちらもイレギュラーケースだし
理性で不如意な側が、コントロールされるように外形的な対策を取られる優先対象になるのは社会ではごく普通の処理だよ。
あと実際の被害者数も大きな差があるんじゃないかな。圧倒的に痴漢被害者の方が冤罪被害者より多いと思うので、対策を優先的に取られているのだと思う。
ただ男性の不安も理解できるからね、増田さんが主張される通り、女性はいつでもナイフを握って男を社会的に抹殺できる権利があるんだから男性専用車両も必要。
まぁでも、男性専用車両作ったところで混在車両がある限りはこの問題って解決しないよね。男女で車両分けないと。
さっき銀行に行ってきたけど、女性行員さんのが数が多いし、自分の職場を思い返しても男女比6:4ぐらい。
内容はバラバラで「おはようございます」「しまった」「ちがくない?」「おっ」「みんなしね」「なんなんだよこれ」とか特に意味もない。
仕事中には出ないけど通勤とか家にいるときでなんだか心がもやもや〜っとするともやもやと一緒に口から言葉がでる、みたいな?
今まであまり気にしてなかったんだけど最近家族から「ん?」とか「なんか言った?」と問いかけられる
「聞こえてるのか!」とヒヤッとするので最近はもやもやができたら体とか近くの柔らかいものをぽすっと叩いて事なきを得ている。
でもここ数日そのぽすっも家族もしくは親しい人たちの目につくらしく、いぶかしがられてしまう。
なんとかならんもんですかね
私自身、ゲームの話とかしてるのは好きなんですが…そのゲームの話を少しするだけで、
メッセージが50~100くらい飛んでくる有様で下手に反応しようものなら、リアルの会話がまともにできなくなります。
元々はオンゲで集まった人たちが日常でも会話できればいいね、と作ったグループだったんですが、
最初のうちは各個人のリアル話で盛り上がっていたのに、ちょっとしたゲーム話(本当に一言二言で終わる程度の内容)で
気がつけば、延々と話題と関係ないスパロボの話や作品の中にセリフ?を投稿してきたり、
挙句には無意味に連打されるスタンプという…感じで、下手にゲームの話をしようものならば
ちょっと放置しているだけで貯まっている投稿が300オーバーになっていたり
(ほとんど一人が投稿していて、他の友人がたまに反応する程度)と止まらないのです。
一時期、他の人が反応しづらいからと指摘したのですが「わかった」と理解したので
もう大丈夫かなと思ったら…数時間後には、また始まってしまい…今も続いているのです。
別にグループを作ってリアル話だけする人を集めようかという話も出たのですが、
それもまた追い出すのと同じことだよと半数が拒否(私も拒否した)したので
また注意することにしたのですが、どうにも彼は人の話を理解しないのです。
一部の友人は嫌気がピークになったようで、私に個人LINEで日常会話をしてくるようになりました。
私も個人LINEなら邪魔をされずに済むので良いかなとは思うのですが、
これではグループで会話しようという目的から外れてしまうために、本人を交えた上で何とかリアル話だけの場を設けたい。
下手にゲーム話などをしなければ、静かにはなるのですが質が悪いことにソシャゲにハマっているらしく
ガチャをするたびに、その結果を画像添付込みでLINEに投稿してくるので誰も反応しなくとも
独り言のように投稿が100を超えていたりと、それもまた頭が痛い状態です。
やっぱりこういうのは本人との縁を切るくらいの気持ちで注意しつつ