2017-08-17

「助けてほしいと正確に叫ぶことができる人が助かる」

本当にそうだと思う。

最近できた友人が、したいことをひた隠しにして自分苦痛を感じる方向へ走ったり、何事も起きないようにと人を近づかないように過ごしている傾向があることが分かってきた。

プライドがあって人に頼めないとか、謝罪できないとか。

本人が本当にそれ(私が友人の望み通りに友人と距離を置いたり)を望んでないことは、私に対して「なんであの時ああしてくれなかったの?」と後から言ってくることでわかる。

かといって、私が手を差し伸べても何が目論見だと言わんばかりの態度。

なのに結局は、「私と友人でありたい」し、「友達が欲しい」し、「幸せになりたい」し「助けられたい」のだ。

それを正直に伝えたりすればいいのに、まどろっこしい伝え方や感謝謝罪もないとこちらも全然やる気をなくしてしまう。

プライドやそういった邪魔なく、自分がそうしてほしいから、そう生きたいからという理由でいいから、何かしらのアクションを起こしたり助けを求めることは大事だ。

誰かに助けを求めたり、相手幸せにしたりするためのわずかな努力を怠ったら、たちまち人は不幸になるのだと思う。私も、不幸だ。

(追記)

私はこの友人に、短期間ながら酷く傷つけられ、向き合う余裕が持てていない。

それはともかくとして、この話で伝えたいのは誰もが幸福になることを目指してよい、ということであって決して可哀想人間ランキングをつけろって話ではない。

幸福になる為の努力を惜しんでおいて不幸さを喚き散らすなという厳しさでもあるけれど。ただ、それは赤ん坊のように泣きわめいてただ助けを待つことを大人がやるというのが許せない私のわがままかもしれない。

友人へ、ごめんね。

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