はてなキーワード: 独り言とは
まあ、よくある普遍的なレッツゴー陰陽師のニコマスなんだけどね。
泣けた。
ざっくり言うと、アイドルマスターsideMで陰陽師的な仕事をしてる葛之葉雨彦ってキャラが、昔ニコニコで流行ったレッツゴー!陰陽師の曲に合わせて踊るっていう、まあ、よくあるやつ。なんだけど、原曲では巫女さんが出てくるパートで、アイドルマスターシンデレラガールズの巫女さん道明寺歌鈴を始めとした和服モデルが踊るシーンと、アイドルマスターミリオンライブでエクソシスト役をやった篠宮可憐が踊るシーンが差し込まれる。
少し昔話をしようか。
アイドルマスターは、12年前に作られたポリゴンのキャラが歌って踊るかなり異端なアーケードゲームで、3Dモデルが踊るのなんて今でこそ当たり前だけど、当時はかなり奇異な目で見られてた。それでもコアなファン層を掴んでそれなりのヒットとなってコンシューマ機で続編がリリースされた。
それが市民権を得たのは、色んな曲に合せてアイドルマスターのキャプチャ動画を編集した、いわゆるニコマスと言われる動画だった。
時を経て、ゲームの主戦場がソーシャルゲームに移行しつつあった2012年に、ソシャゲ版アイマスとしてシンデレラガールズがリリースされる。3Dモデルも何にもない単なるポチポチおつかいゲームだったが、魅力的なキャラクタに時流が味方してヒット作となる。で、それに追随する形で、正当後継ミリオンライブと女性向けsideMがリリースされた。
さらに時は過ぎて、元祖アイマスから10年経った2015年、切込み隊長シンデレラガールズが原点回帰して、3Dモデルが歌って踊るリズムゲーム、スターライトステージがリリースされる。メディアミックス戦略のお手本となるような、アニメ放映やライブとシンクロした完璧なタイミングでリリースされたこのゲームは、スマッシュヒットとなる。そしてこれに追随する形で、今年立て続けにミリオンライブとsideMの3Dダンス音ゲーがリリースされた。
昔話終わり。
たった5分の間で、次世代を担うニューヒーロー達が先輩ヒーローの奇跡の軌跡を追随して大活躍する、ド定番のハリウッド映画を見てるような感覚に襲われたんだわ。
わっかんねーだろーなー。
初代アイマスから12年、今年、元祖アイマスメンバーの新作ゲームが発表されたんだけど、Stella Stageって言うんよ。
別にたまたまだとは思うんだけどさ。真ん中の4文字を抜き出すと、ちょっとセンチメンタルな気分になるんだよね。。。
自分含めて、昔のオタク仲間は、皆結婚して子持ちになってて、こういう話を肴に酒を飲む機会もなくなった。
付き合ってくれてありがとう。
いや、
自担と絶対結婚するの!他の女はファンでも認めない!!とかいう意味の同担拒否じゃないです。
さすがにこちら20代半ばの女なのでね、ジャニオタやってるけど夢と現実の違いは分かっております。最近婚活も始めましたし。
そんな私事はさておき。
さて、いきなりですが
たとえ話をします。
「あそこの親御さん、すごく息子さんを大事にしてるの」
って聞いたら、
ああいい親なんだろうなーって思うじゃないですか。もしくは息子さんがすげえいい子なんだろーなーみたいな。
でも、
「あそこの息子さん、すごく息子さんを大事にしてるの。モンスターペアレントなの」
って言われたら?
モンスターペアレントって、自分の子を可愛がるあまり、自分の子が特別だと思い込んだり、劇の主役にしろとか順位をつけるなとか、周りをかえりみず他の子供や先生に迷惑をかけたりする、私はそんな感じだと思ってるんですけど。
私の同担、それなんだと思う。
当人的には、
ほんと自担が大好きだし、自担がいる世界は幸せにしてあげたいし、大変な目に遭ったらヨシヨシしてあげたい。
そんな感じかもしれないんだけど、
あの友達は私の子に意地悪な態度をとるから離れろ!あの子を大切にしてくれる人だけお友達に選びなさい!むしろ私が選ぶ!
あの子が嫌い?考え方を正せ!あの子はすごく苦労をしてきたいい子なんだ!わかればきっと好きになるから、お前は間違っている!
ここまで言っちゃう人が、稀にいる。
一応言うけどすげぇ稀ですよ。
でも、自分のことじゃねーやって思ってる人もいるかもしんないけど、自覚ないだけパターンもありますからね。
もちろん自戒も込めて。
まぁ、そう思うこと自体は全然いいんですよ、その人の考えなんで。
ただ、私がその家のお父さんだったとします。もちろん息子が好きです。お金を息子のために稼いで、使って、息子を眺めてるだけで幸せです。もちろん幸せになってほしい。けど他人と比べる必要ないしどう言われようが私が好きならそれでいい。
え?俺もモンスターペアレントって言われんの??マジで???
同担ってだけでそのすげー稀な奴のお仲間扱いされるのマジ困るんですよね。
なにせ、前述のようにモンスターペアレントは周りや先生に突っかかっていく。
うちの子どうしてダメなの?ねぇ?こんなに可愛いのに?って叫び出す。
めっっっちゃ目立つ。
たとえお父さんが何もしてなくても、きっとそういう家庭なんだな、近づくのやーめよ、って思っちゃう。
当然、家庭はおろか親戚や一族にも悪いイメージがつくわけです。やばい一家だな、関わりたくねぇなって。
それってほんとに自担のためなの?
たとえ自担のことを間違って認識してる人がいても、悪く言う人がいても、私は正す必要はないと思ってる。
自分が愛してればそれでいいし、それこそ私が愛した素晴らしい自担だから、世間や周りの印象が悪かろうがそうでなかろうが、きっといい方向に行くって思ってるから。
だから、できれば部屋の中で静かに一人でヨシヨシしましょ。文句は言ってもいいけど賛同してもらえる仲間とだけ鍵のかかった部屋でホームパーティでもして。
隣の家に行ってうちの子は最高だけどお前の子は人間的にここが不足しているからダメだとか言わないで。
隣の家に行かずとも堂々と家の前にそんな内容の貼り紙をしないで。
オタク社会に身をおいてる時点でもう独り言じゃなくなってますからね。よくニュースでも〇〇のファンが〜って言われるじゃないですか。世間や周りからは属性:オタクという目で見られてることを忘れないで。
百歩譲って、自分の血を分けた子供なら超絶可愛いのもわかるんだけどさ。
すごく素敵であなたのツボにハマるパフォーマンスをしてるだけだから!!!
あなたに対して老後の面倒も見ないし今後何も親孝行とかしてくれないからーーー!!!!!
そう考えるとペアレントじゃないしただのモンスターだよね。距離感。
私はそんなモンスターの仲間になりたくないのです。
気楽に応援したいだけなのに、
え?お前〇〇担なの?
って言われたくないし、私も〇〇担だよって胸張って名乗るのめっちゃ抵抗ある。
そんな感じで、最近疲れちゃいました。
自担さえ見れればいいのによ〜〜なんでこんなファン同士の争い見てるんだろ〜〜って。
見なきゃいいだけってのは承知ですけど。
やっぱコンサートで隣に入るのはモンスターじゃなくて人間であってほしいじゃないですか?怖いし。
この文も単なる自己満です。
読んでる人も私と別の人間だし、これを読んで当該の人々の考えが変わるなんて思っちゃいません。読んでももらえないかもしれないし。
ただ、きっと同じように思ってる人がたくさんいるかな、……と思って。
ここまで書いてきて、
一つだけ揺るぎなく言えるのは、
一般論としての恋愛結婚っていうのは、「好きになったから→結婚する」という形式です。
しかし一方で、結婚相談所に行くというのは”結婚するために恋愛しに行く”場所ではないかと思うわけです。
そりゃ昔はお見合いという形で好きでもない人と結婚して、この後に関しては幸せになったり幸せにならなかったりしたんでしょう。
これも幸せになれないんじゃ自分の人生棒に振ってるようなもん。
で、この目的ありきの出会いっていうのがどうしても信用できない。
初対面の人の大半は初対面の時点で印象を90%程度決めつけるらしいですね。
つまり、先にスペックを要請される結婚相談所は既にスペックという色眼鏡が発生していることになります。
このスペックという色眼鏡が発生した時点で、玉の輿できるだろうかといった邪念が全く存在しえないとは思えません。
そりゃ当然社会的なステータスは大事ですが、そういうことでなく、
社会的なステータスを気に入ったことで好きになったと錯覚するのではないかというのが私の不安であり、信用できない理由です。
もう一つ気になることとして、気に入る条件(スペック)だったからと、本来どうでもいい性格の相手でも媚びを売り始めるんじゃないかという不安もあります。
なんだか変な文章になってしまいましたが、つまり、試しも行動もせずにこんなことをグダグダ言ってる時点で結婚なんて夢のまた夢だな、と思う童貞の独り言でした。
薄々気づいていたけど、特定の条件下での話ができない人がかなり多い
世界的に多い
「◯◯という条件下で、殺人することをどう思うか?」という問に
他の例もみてみよう
「もし雨が降ったら休もう」→「雨も降ってないのに何休もうとしてるんだ」
「もし俺が◯◯だったら、好きになると思う?」→「あなたは嫌い」
「この動物は人を大量に殺したので殺処分しました」→「動物が可哀想」
「彼はアメリカ生まれだが、赤ん坊の頃から日本に住んでいる」→「日本語上手ですね」
「ここに白いリンゴがあったとする」→「白いリンゴなんて存在しない」(これはスルーじゃなくて前提の破壊だね)
特に正義感ぶった人、あるいは正義感を持った瞬間に多い気がする
思想信条に触るからだろうか? 自分の都合の悪い条件を排除しているのか、はたまた条件をスルーする能の機構が存在するのか
ただ、ロジックを扱う職業(IT・コンサル・化学・学者など)、ストーリー・キャラクターを生み出す職業では大分少ないと思う
自分が気づかなかったのは、周りにそういう人がたまたま少なかったからだ
避けてたのかもしれないけど
これは色々なシーンで弊害が出る。
・小難しいストーリーや、キャラの心情を理解してもらえない(創作への不理解、万人向けほど薄味になる)
・癇癪を起こす、不必要に怒る
どうしても「例えば」「仮に」「この場合」などの話ができないと
制御しようとするのが間違いなのかもしれない、できないものはできないのだから
「仮定の話を抜きにして話す術」や「相手の順応性を見極める力」が重要になる
ただ、これのおかげで世の中の政治家や、個人の主義主張が玉虫色になりがちというのが残念だ
どう仮定を用いてもタブーには触れられないので、本質を語るのはどうしても密室になってしまう
重要な意思決定がオープンにできなかったり、特定の少人数で行われるのはそういう理由があるのではないだろうか?
___
追記
条件下の話において、「どんな場合でも」という返答は、条件を無視していないと思う。
「どんな場合でもではないこと」が用意できればよかったんだが。
相手に文脈を理解してもらえるとか、自分の想定している話の前提を理解してもらえる、などと期待すると思わぬしっぺ返しを食らう
面白いのは、議論が得意とされる国ですら似た現象が起きていることだ
複雑な構造を伝えるのはそもそも難しいし、頑張って伝えようとすると長文になり読んでもらえなくなる
私はいつも同じ前提ではない反論を受けるたびに「またやってしまった」と相手と自分に対して憤りを感じる
自説が否定されたことではなく、議論が破綻したことがやりきれなくなる(逆に上手く反論してもらえると喜ぶ)
ブコメでも感じたこと
「逆に自分もやってしまっているかもしれない」という観点は今まで弱かったと思う
相手と同じ前提に立った意見を言えているか、これから意識してみたい
(あまり意識すると、質問攻めになってしまうからこれも難しいんだけど)
ところで、私はブログなんかでもいつも伝わりづらいことや、仮定の話をしてしまう(しかも分かりづらい)
これは理解されるのを半ば諦めてしまっている独り言に近いんだけど
たまに「わかる」「スッキリした」と褒めてもらったりバズることがある
そんな時ちょっと嬉しい
_
追記2
何かえらい伸びたな
説明が下手ですまない。正直これは自分でも書いてて下手だなと思っていたw
もうちょいちゃんと書けばよかった・・・でもそうすると伸びないのか
でもマジメにコメントしてくれる人多くてありがたい。もっとボロクソに言われると思った。
「秋葉原でアンケートしたら、男性の90%がアニメ好きでした」 → 「男はアニメすきだからね」
「X総理の経済政策は素晴らしいが、軍事政策は良くない」 → 「そうだ、早く辞任するべきだ」
「N動画の有料会員数は5年で50万人から250万人に増え、今年は5万人減った」 → 「N動画は最悪だ、皆酷いと思っている」
うーん
そんな時代を見てきた人間なせいか、匿名で行うネットへの書き込みは「内」への発信という意識が強い。
何が内で何が外なのか、表現は難しいが、要は自宅内の独り言に近いという感覚だ。
皆そんなもんだろうと漠然と考えていたが、意外とそうじゃない人は多いんだなと思わされる事も結構ある。
例えば追い詰められた人が増田に愚痴を投稿してそれに「気持ちは解るがそういうのは口に出しちゃいけない」なんてコメントをしてるのを見たり、
「で?そんな事を書いてどうするの?何か変わるの?」なんてコメントを見たり。
なんていうか、増田でくらいいいじゃんって事にまで現実みたいに厳しい事をいう人が居る。
勿論悪意がある人も居ると思う。でもなんか、そうじゃないものを感じるというか、明確に誰かに向けて発信されてる事を前提として読んでる人が居るというか。
なんか感覚の違いを感じるんだよな。
そりゃいくら独り言のつもりって言ったって見られる可能性はあるんだから、殺人予告じみた事書いたりするのは当然NGだし、
煽りとか炎上のリスクと隣り合わせでそういう人が居るのも昔からなんだけど、
この文は人を不快にさせると思いますので、読まない方が賢明だと思います。ただの愚痴とワガママを無様に晒してるだけの文です。
それでも読んでくださるという方がいれば、みなさんに最初にお伝えしたいのは、これは私が勝手に卑屈になってるだけの文章だということ。大和亜季は何も悪くないし、立神あおいちゃんも悪くない。ましてや村中知さんにも関係がない、ただの1人の人間の卑屈でワガママな文章です。もしこの文を読んで不快な気持ちになったとしても彼女たちには何の罪もないから、どうか悪い方に見る目を変えることだけはやめてください。
大和亜季、本当に素敵な子です。ミリタリーアイドル、軍人口調、筋トレ好き、ステージの裏側まで見てお手伝いする強くて優しいところ。あとナイスバディ。他にもいっぱい素敵なところがあって大好きです。
ありがたいことに村中さんの声をお借りすることで出番が増え曲も歌わせていただき、そしてライブに出演しその歌やダンス、村中さんの人柄や、挨拶でみんなでやる敬礼などが話題になり、たくさん注目されるようになりました。ソロ曲期待できるな、楽しみ、と担当ではない方が呟いてるのを見たときは思わずリプライをかましたいほど嬉しかったです。本当にありがたいことだし、彼女たちを好きでいてよかったと心から思います。
本題に入ります。
村中知さんは今現在、プリキュアのメインキャラ、俗に言う青キュアの立神あおいちゃん、キュアジェラート(とてもかっこよくてかわいい)も演じていらっしゃいます。だからか、私が観測した範囲では、の話ですがニコニコ動画のコメントでよくこう言われます。
もちろんこの文だけでなく、例えばライブの振り返り動画でも「プリキュアの人だからやっぱり歌上手いよな(これは中の人に向けての発言ですが)」や大和亜季が動画内に登場すると「おっプリキュアかな?」というコメントもよく見かけます。
最初の頃はちょっとあれ?と思いつつも、村中さんと大和亜季が評価されるのが嬉しかったです。
そして、しばらくするとそのあれ?の正体がわかりました。ひとつひとつのコメントではなく全体をざっと見てみると、先ほどの振り返り動画の大和亜季に対するコメントは半分くらいがプリキュアのことでした。ワートリもちょっと見るかな?そしてなんだか、もしかして大和亜季は大和亜季として見られていないんじゃないか、とこの時思い始めました。
そして少し前、幸子ちゃんのストーリーコミュが追加され、大和亜季もストーリーに参加させていただきました。(担当の方こんな文に巻き込んですみません)
そこで幸子ちゃんを鍛え上げる軍曹としてトレーニングを始めた大和亜季。ボクはムキムキになりたいわけじゃ…と言った幸子ちゃんに大和亜季が言った言葉、みなさん覚えていらっしゃいますでしょうか。少し意訳させていただきます。
「鍛えるのは自分のためじゃない。大切な人を助けるためです」
「カワイイプリンセスも結構、でもかわいくて強いプリンセスがナシじゃないでしょう?」
という感じのことを彼女は言いました。私はこの時とても感動しました。大和亜季があんなにトレーニング好きなのにはこんな理由もあったのか、と。まあもちろん彼女自身がトレーニング大好きだし肉体派公務員の兄に仕込まれたとも言ってたのでこれだけではないとは思うんですけどね。
大和亜季の根っこの部分が見えた、フォワードチアーでも見せてくれた肉体的、精神的な強さをもう一度見せてくれた、本当に好きなシーンです。
そして、このコミュがニコニコ動画にアップされ、このシーンの時に流れたコメントに頭の中で除夜の鐘が鳴ったようなガーンとした衝撃を感じました。
「流石プリキュア」
私はこのコメントがどうしようもなく悲しかったです。今まではもやもやするだけでしたが、これははっきりと嫌だ、と思ってしまいました。だって、今までは大和亜季の『声』がプリキュアだと言われていただけでした。でもこれは大和亜季の『言葉』が、大和亜季じゃない誰かのものとして解釈されたと、そう感じました。誰かというかジェラートですね。
分かっています、ニコ動のコメントなんてそんなもんだと。深い意味はないんだと。それだけの事をいちいち気にするならインターネット向いてないよってことも。私よりもっと色んな動画で傷ついてるアイドルのプロデューサーもいることも。
そんなことをここ最近ずっと頭の中で考えています。以前友人にこのことを話す時勢い余ってマジ泣きする程度にはショックでした。
ただここでワガママっぷりを発揮しますが、実は私は中の人ネタは結構好きなんです。この子とこの子は声優さんが同じ方だ、もしも会ったら気が合いそうだな、とか。ギャグ漫画の「お前◯◯じゃん」「それ別の世界線!」みたいなやつとか。あと衣装チェンジとかもかわいくて好きですね。
だから上の出来事は『私の気に食わなかったから晒した』それだけの話です。言ったでしょう、ただの愚痴とワガママだと。私が勝手にこれはダメだと線引きして、わざわざコメントにいちいち目くじら立てるような人間の独り言です。聞いてくれてありがとうございました。
もしこの文を読んで何か思うところがあれば…とかそんなものも全くありません。だから見なかった事にして、よろしければこれからも彼女たちを応援してください。
マイペースと書いたけど、率直に言って独り善がりの言い換えにすぎないというのが現実だったり。
とにかく、何かにつけて「俺が、俺が、俺が」ばかりというか、それしかないくらい独善的な生き方をしている感じ。
なんというか、何をするにしても「なんで俺がそこまで合わせなきゃいけねーんだよめんどくせーなー」という気持ちが必ず湧き上がるのだ。
勿論、「この相手にこうしてあげたら喜ぶだろうし、喜ばせたい」という欲求がゼロというわけではないが、自身が生きる上でその欲求の優先順位がかなり低いのだ。
なので、そういう他己的というべき欲求が高い、リア充とかウェイ系とかパリピみたいな人たちとは完全に正反対というか、文化的断絶があると言っていい。
そして、そんな自分が未だに独身どころか、彼女すらいないというのは、たぶん世の中の流れとしては正しいと思うのだ。
そりゃ、一人が寂しいと思うことが皆無なわけではない。
でも、自分のような人間がもし間違って結婚したら、そんな寂しさなど比べものにならないくらい、結婚生活が凄まじいストレスになることが想像できてしまうのだ。
たぶん、自分と結婚相手の双方にとって、不幸な結果が待っていると思う。
そもそも、今まで極端にマイペースにしか生きてこれなかった人間が、結婚したくらいでその生き方を変えられるわけがない。
そして昔は、そんな自分みたいな男も結婚しないでは済まなかったわけで、その結果、不幸な家庭は少なからずあったのでは?と想像してしまう。
唯一、風向きが変わる可能性があるとすれば、「コイツのためなら死んでも構わない」と思うほど夢中になる相手が現れて、しかも相手も自分にその気になってくれたという場合だが、そんな出会いは狙ってできるものではない。