はてなキーワード: 学閥とは
「現代アート関係者には批判とさえ認識されない。残念。」が連中の思い上がりを象徴している。
美大出身者の学閥やお友だちごっこ。権威と名声にしか興味のない自意識過剰な学芸員や美術評論家。公立美術館は新聞社の金で動いている商業展覧会しかやらず、たまに反権力的な内容の展示をやれば検閲される。そうした業界におもねる美術メディア(ビテチョーとか)はそうした業界人を褒めたたえるばかりで、業界内での批評精神、自浄作用も失った。税金で雇われたキュレーターが自分たちのことを「アートピーポー」と自称していたが、「アートピーポー」であることに酔っている変わった人々と自分には見えた。
学生の頃、一生懸命アートの歴史を勉強していたが、大人になり、現実のアート業界を知って、ただの茶番だと我に返った。特にここ数年のアートシーンの劣化具合はあまりにひどい。
元増田の「要するに《現代アート》というのはすでに既存の権力になっていて、彼らはそれを無批判に持ち上げることにこそ価値を見出しているわけだ。」に共感する。日本全体を見ても「権力を支持したい。体制側が正義。」という人間があまりに増えすぎている。それは美術業界でも同じだ。SNSでアートやってますと言いながらネトウヨっぽいリツイートをしている人って昔はあんまり見かけなかった。アーティストなら反体制だろというわけではないけど、自分の頭で何も考えていないから体制派を無批判に受け入れるし、自分の考えと異なる意見を知ろうともしない人がアーティストに簡単になれる時代なのだなと思う。
(=自分が大学で勉強するか、大学で勉強した人に手配してもらう必要がある)というのも「大学の先生が言っていることは正しいこと」という思い込みが後ろに隠れているわけだが、大学で学んだ経験がある自分からすると、大人になってから「あの大学教員の言っていることは偏ってた、おかしかった」ということは多分にあった。何も知識のない時は師やメンターの言うことをそのまま学ぶ時期であるが、学びが終わったら、「それは本当にそうなのか?」と考えられるようにならなければならない。
「偉い人がすごいって言ってるから、この作品はすごい」って言っているうちはまだまだ子どもである。そうした子どもばかりになっているのが今の日本のアート業界なんだと思う。海外のことは知らんけど。
http://blog.yuryu.jp/2012/05/blog-post.html
当時とは状況も違うしね。
といっても、〇芝や〇菱と違って学閥は感じられないのでほとんど影響はないんだと思う。
学部生は、主務昇進前の同期横並びになってる時期は、院卒の2年遅れ。
あとは様々。実力(いつ昇格研修に推薦されるか)次第
入社3年目くらいまでは夜10時くらいまで働くことも多かったけど、働き方改革の旗印のもと、8時以降の残業が禁止になり、定時日が週1設定され、
40時/月以上の残業についての手続きが煩雑になり上司もやりたがらなくなりました。
入退門システムと勤怠が連動してるので、サービス残業はありません。
GAFAとか行っちゃう強い人は↑で年収600万はあまり高くない・・と思うかもしれないけど、
結構な額の住宅補助と、ほぼ全額の通勤手当が出ます。自転車通勤でも出ます。(安いけど)
入社数年は寮か、寮扱いのレオパレスに月5000円で入居でき、
転勤すると自分で選んだマンションに住めて数年間家賃半額補助されます。
首都圏・大阪・名古屋だと補助倍率が変わり、もう少し安い。(東京勤務だったのでだいぶ助かった)
上司推薦の上研修に合格すると主務職という等級になり、お給料が一段踏みあがります。
平均給与ランキングみたいなので比較するとソニーとかと比べて安いのは、
工場の要員いっぱい抱えてるのと手当てを数字に反映してないせいもあると思う。 (借り上げ社宅だと所得税がかからないのでそこは有利)
あとは生命・傷害・自動車保険料がすごく安かったり、カフェテリアポイントがついたり、社割で家電とか買えたりします。
このあたりの福利厚生や人事制度は聞けば教えてくれると思うので、興味があったら就活生は人事に聞いてみて下さい。
とりあえず、この記事の内容について気になるところにコメントしていきます。
元記事の筆者の言う通り、パナソニックは事業部によりかなり風土が異なり、一部の全社共通の事項以外は結構異なります。
これは本当だと思う。
社員はエクセル方眼紙の仕様書を書くのが仕事で、バリバリコーディングすることはないという部署もある。
ただし、この点は事業部の中ですら風土が違い、僕のいる部署では協力会社にコーディングさせることもあるけど、
みんなプログラミングはするしできる。事業部と部署によるかな。
例えば、メモリ 1GB ぐらいの遅いマシンでビルドしている、ディスプレイが17インチ、
きちんとしたソース管理がない、などです。PCスペックやディスプレイなどは入社の時期によってはそこそこいいものになるんですが、
「壊れるまで使う」のが基本のためなかなか新しくなっていませんでした。
これは明確に違う。少なくとも、入社した2013年時点ではCAD用PCはメモリ16GBでQuadro積んだものが与えられてたし、デュアルモニタも使えた。
ラップトップはまともなスペックのレッツノートが与えられ、どちらも4年更新のリースなので、レッツノートのメモリが4GBだった次期はちょっと不満でしたがそれなりに使えるものでした。
ソース管理についてはメカ屋なのであんまり詳しくないのでノーコメ。なんらかの管理システム使ってたと思うけど・・・
具体的には書けませんが、改善提案をしたときには「新入社員(または入社2年目)なのに」というリアクションがついてまわりました。
中には「話を大きくすると、新入社員が思いつくようなこと何故今までやっていなかったのか」と問題になるのでと却下されたこともありました。
これはある。「物を作る前にひとをつくる」社風のため、若手は修行中とみなされる。
2年前くらいまではそうでした。
しかしここ2年くらいはセクハラに関する判定は厳しくなり、アファーマティブアクションとしてむしろ女性を優先して昇進させるという方針がトップから出されています。
逆にそれはどうなんだ・・?という気はしなくはないですが、「アファーマティブアクションである」と言い切られると納得できるところもある。
なんだかんだトラディショナルジャパニーズカンパニーなので言いたいことはいっぱいあります。
ほとんどの部署では毎朝・毎昼・毎夕のどれかで部署全員をあつめた会をやると思います。
そこで「綱領・信条・七精神」と呼ばれるチャントをみんなで唱え、小話をする儀式が発生します。
小話は持ち回りなので、人前で話しをすることが苦手な人はきっついと思います。
話が長い人も多いし・・
あなたがパナソニックで仕事を始めた場合、この3つに出会わない日はまずないと思います。
ワークフローシステムはあるんだけど、なぜかみんなエクセルの帳票を作りたがる。当然のように検印欄つき。
2001年にテンプレートの初版を作ったエクセル方眼紙でプロジェクト管理をするなボケ
研究所でもわりと「まとも」なことをしてる人ばかりです。
居室をドローンが飛んでるとか、そんな愉快なことはないです。夢のある話より事業貢献。当たり前といえば当たり前か。
新しいことに対してはまずリスクを考え、製造に根回しをし、品証、法務、営業エトセトラエトセトラに合議をとりつけないと何もできないので、
必然的に新しいことはしにくくなります。年初の計画にないことは予算付かないし。
でも偉い人がオッケーっていったらぜんぶオッケー!予算もつくし忖度してくれるぞ!
カイゼン活動やQC活動もやらせたがる。別にいいけど、本当に役立ってるかなぁ・・?
すっげえ時間と手間のかかる昇格研修(日立のケンロンみたいなやつ。5~10年目の中堅の昇格と、管理職候補のときにやる)とかね。
社内のシステムは全部クソです。20世紀のシステムが平気で動いてたりして驚く。
PLMシステムはほんとクソだし、
これにエクセル方眼紙を組み合わせた地獄の業務基盤が構成されてたりしてひっくりかえることがあります。
エクセル方眼紙をアップロードして印刷して・・・っていうのは構築時に誰かおかしいと言わなかったのか。
こいつのせいで設計資料どこだっけ(図面はあるけど設計書がない)などがおこりがち。
後述のe-チャレンジのセカンドチャンスがあるとはいえクソ度が高い。
入社時の話と配属の話が違うのは残念ながらあるっぽい。
というのは、どうも採用時点では部クラスまでは決まってるけど、
その中での課クラスの割り振りは後で決めるやりかたをとってるところがあるようだ。
例えば、xxxx事業部 開発部 までは決まっているけど、担当機種やシリーズは決まっていないとか。
これも事業部単位でやり方が違う。僕のときは研修時にヒヤリングがあった。
採用後、配属の決裁が下りてしまうと覆すのは結構たいへんなので、
やりたいことが明確な人は早めに人事部長と
明確にしておけば一応考慮はしてくれるはず。
僕のいるコネクテッドソリューションズ社(カンパニー)に限定されますが、
カンパニー社長が変わってからは上記の「ここがクソだぞ」を消していこうとしてくれてます。
問題を素直に言って改善しようとしたり実験的なことをやることを推奨しよう、というメッセージは発信されています。
ボロボロだったトイレや食堂も現代基準に合わせて改装されたし。
朝会の呪文詠唱はなくなっていないですが、鶴の一声で小話は、苦手な人は特にしなくてもよくなりましたね。
工場文化と研究開発のイノベーティブな文化を切り分けようとしてくれてるっぽい。
ただし、中間層まではまだ意識改革が行き届いてないっぽく、まだ保守的なことをいう人は多いです。
経営層の品位に関してははっきり言って経団連で迂闊なことを言って燃える他社よりはかなりましじゃないかなと思ってます。
事業部が変わるとほぼ他社な感じの会社なので、それまでの社内の実績を持ち込んだまま転職できるのはそれなりに普通に転職するより利点があります。
この制度の利用に関しては現職場にはすべて終わってからしか伝えられないので、どうしても無理になったらスッと転属するという、セカンドチャンスとなりえます。
長期所得補償保険に加入できますが、グループ社員は精神障害も対象になります(普通の保険は対象外)
鬱になってもなんとかなると思うと精神的に逆に鬱にならなくなるっぽい
少なくとも、僕の周りにいる人間は何かしら優秀なところがあり、人格的にもまともな人がほとんどです。
「ほとんど」としたのは、僕の知る限り数名頭のおかしいとしか思えない人もいるので・・・
ただ規模に比して無能・性格的に問題のある人は少ないと思います。
毎年25日付与されて、付与から2年超えても消化できない場合は毎年10日積み立てられます。
退職前にはちゃんと消化させてくれるし、普通に申請すれば休めるのでありがたい。
クソみたいだと思ってるところもありますが、案外、世間で言われるよりも変革に向かってる空気はあります。
車載部品や自動運転システム、電子部品組み立て装置やセキュリティシステム、工場ロボットやデジタルサイネージ、プロジェクターなど、
ぶっちゃけ家電以外の部門のほうが面白いと思ってます。地味なところでいろいろやってるよ。
家電も異常に軽い掃除機とか謎の球体扇風機、卓上燻製機など尖った製品は面白そうなんですけどね。
なんだかんだ家電もすげえまじめな作りしてるし。同期が調理家電の開発のベンチマークでコロッケ揚げてたら、見飽きすぎてプライベートでコロッケ食えなくなったとか言ってた
組織の慣性はあってクソなところもありますが、一つ一つつぶしていって、規模と革新性を両立させようと頑張っているところです。
改革が成った暁にはとても強い会社になりそうな気はするので、敬遠せずにぜひ話を聞きにきてみてください。
特に通過儀礼的な要素を含む新入社員研修、すごくリソースを取られる主務・主幹研修やエクセル方眼紙文化、根回し文化だのは、
IT基盤も現代の基準で構築してほしいし、提案活動や小集団活動はお手盛のパワポ発表会じゃなく、
データやノウハウも個人単位で溜め込まずにオープンに蓄積できるようなIT基盤にしてほしい。
社外の技術者や学生、そして僕とお客様にとって魅力的な企業であるために頑張って下さい。僕も頑張ります。
新卒でパナソニックに6年勤めましたがまだ退職しません。最先端の設計をしながらお給与も一定水準をクリアできる会社はなかなか多くはないと思うので、
スレ主です。
みなさん。ありがとう。読ませて頂きました。
なるほど、学閥やらいろいろあるのですね。
https://anond.hatelabo.jp/20180920011754
とか読んでました。
私は
学歴が高い→選択肢が増える(たぶん大卒のみなさんには想像出来ないくらい、高卒の選択肢は少ない)→その選択肢の中には大気圏を脱出出来る為の環境が整っている職場が比較的多い。
んじゃないかと考えてました。
実際は高卒でも、大卒でしか働けないような環境に放り込めばそれなりに仕事は出来ると思うのだけどどうなんだろう。
あ、一言添えておきますがこれは高学歴に対する嫉妬とかではないです。
本当に単純な疑問なんです。
終身雇用制、手厚い福利厚生、残業は多めだが全額出る、そんな昭和の夢の残滓のような会社に勤めていたんだけど昨年退職した。
待遇は非常に良かったんだけど(0.6Googleくらい)、安定が自分の中で恐怖に変わっていき、やがて耐えられなくなってしまったので退職に至った。今は年収が半分になってベンチャーみたいなところにいる。預金残高を見て不安になることはあっても前職で感じたような、先細りの籠に閉じ込められたような気持ちには未だなったことがない。
前職のような会社は日本にあまり無いから参考になる人は少ないかもしれない。これはあくまでも平成という時代に10年間昭和のサラリーマンをやってきた自分のそれまでの人生のまとめであり弔辞だ。
もしかしたら、公務員とかレガシーな産業で利益を独占的に得られる会社に潜り込んだ人にとって何かの参考になれば幸いである。
地方都市生まれ、小中高と公立育ち、大学は他県の国立大学へ、理系でマスターを修了後に学校推薦で就職。
地方の医学部に進学した人がバズってたけど、私は井の中の蛙というか幸せな環境で育ったなあと思う。学区が良かっただけかもしれないけど、所謂ヤンキー的なタイプは少なくて、開業医の子息とかとも普通に遊んでた。うちは公務員だったけど(子供だったから気が付かなかったという事情もあり)、引け目や負い目を感じたことはなかったと思う。財力の違いを感じたのは高3で進学先に私立の医学部を選んでたときくらい、他は塾とかも選択肢が限られていたのでみんな一緒だった。
理系を選んだのは高校で7割くらいが理系を選ぶ環境だから何となくという要素が大きい、医者になりたいとかエンジニアになりたいとか思わなくもなかったけど、何より理系は潰しが効くし、数学が苦手じゃなかったらやっとけくらいの気持ちだった。
高3のときの偏差値は公立の医学部には足りず、迷わず他県の地方国立大に進学。大学でやりたいこと云々より自分の偏差値で行ける最大限の学歴に行ったという感じ。お陰様で入学後に学力不足を感じて本当に苦労した、かろうじて留年を逃れたくらいの成績。マスターは殆どの人が行くからというだけで選択、例によって院試は内部生にも関わらず死ぬかと思った。
そんな体たらくだったので、就職のときは仕事と研究との関連性だとか一切興味がなく、学校推薦で行ける会社の年収を四季報で確認して上から順番に面接。お辞儀できれば受かるという情報通りヌルい面接をあっさり通り前職に内定した。
○どんな会社だったのか
・環境
東京から車で2,3時間くらいでコンビニまで徒歩30分くらいかかる僻地、面接に行ったときヤバイかなと思ったけど、地方の大学生からすれば東京まで2,3時間で行けるというのはそれなりにメリットがあった。あとアマゾンが送料無料をやり始めた頃で、アマゾンが届けば生きていけるかなあとも思ってた。
・待遇
これは無茶苦茶良かった、待遇というか給与だけだけど。就職を決めたときの四季報だと平均年収は0.5Googleくらいで(平均年齢43歳のね)、辞めたときの年収は0.6Googleくらいあった。ただし、基本給:残業代:賞与が4:4:4で、賞与は完全に業績連動のため期待は禁物。リーマンショックの頃に3,4年働いても基本給が5000円しか上がらなかったのは忘れられない(さすがにその後是正された、けど過去の貰えていない分の保証はなし)。
残業代が4というところからお察しの通りで、残業時間は年間で700〜900時間くらい。寮や社宅は完備のため、平日は会社の敷地から一度も出ることなく過ごしていた。
・業務
表向きは最新技術の研究開発となっているけど、実際は雑用と書類仕事に疲弊していた。入社してから一度も新しい技術みたいなのを研究したことはないと思う。ひたすらに社内調整、下請を買い叩く、行き当たりばったりで問題を解決するの繰り返し。更に営業案件とか製造案件の雑用がバシバシ入ってくる。先のことを考える余裕なんて一切なくてアワアワしているだけで10年過ぎてしまった。
私に限らず全社的にそんな仕事ぶりだったけど、市場は寡占状態なので会社は常に儲かっていた。そもそも枯れた技術なので顧客は新商品とか新機能は望んでいないのだから。たまに声の大きい営業が上げてくるマイナな案件に対応するために右往左往して終わり。そのマイナな案件にかける時間を全体に対する原価削減に当てたほうが良いのではとは皆が感じていた。
一応良いところを挙げておくと、暗い実験室に引き篭もって量産の目処のない机上の空論をやるよりは、現場の問題を拾い上げて設計に反映するのは楽しかった、それは生産技術の仕事ではないのかと思いつつも。
同僚も学校推薦で来る似たようタイプなので、穏やかで話が早くやりやすかった。東大東工大が主な学閥なので地方国立大は肩身が狭いとか無いの?とかはたまに聞かれたけど、管理職になりたいだとか野心がない限りは別段に何も不自由は無かった、学歴よりも上司だとか部署のガチャ要素が大きかったし、皆が平等に不公平という感じだった。
・組織
上の意向を忖度して言われる前にやることが尊ばれる文化という感じ。基本的にマネジメントというものは全く無く仕事もこれやっといてというだけで納期も仕様も何もない。上司の指示どおりに働いていたら、その上から烈火のように直接指導されることもザラ(そうゆう時の上司は沈黙)。酷いなと思いつつも、上司とその上も同じような関係だし、その上もそのまた上も…
これがいわゆる昭和の日系企業かぁと思っていた(違ったらごめん)。賽の河原に石を積むというか、降り積もる雪をひたすら取り除くような気持ちで働いていた。
人事評価みたいなのも形式的で、上司は査定するけど、結局は偉い人の好みに合わせて査定をつけないと書き換えられてしまったうえで上司の評価も下がるので(人を見る目が無いという理由で)、偉い人の好みをどうやって察して査定をつけるかという作業になっていた。偉い人に取り入ろうにも年に一度も話すことがないし。逆に気に入られている人もそんなに親しげではないので、何が基準かは永遠にわからなかった。
こんな状況でどうしてやる気を失わなかったのかというと、査定が悪かろうと昇進が遅れようと、何だかんだで高給をもらっている自覚と責任を感じていたからだと思う。少なくとも自分の給与以上は働かないと、お世話になっている子会社や取引先に会わせる顔が無いという気持ちで踏ん張っていた。
○どうして辞めようと思ったのか
20代の頃は仕事や組織に不満がいくらあっても、それを上回る待遇を得ていたので辞めようとは思わなかった。仕事なんてものは所詮は時間と感情の切り売りで、仕事にやりがいとかいうのは、金が払えない会社の言い訳だと思っていた。
ところが30代になり預金残高が1Googleを超えたあたりで、ふと将来のことを考え始めた。余りにも遅すぎた自我の芽生えだったのかもしれない。
いつの間にか同僚はみな結婚して家のローンや保育園の話をしている。家族がいる奴は良い、自分の代わりにお金を使ってくれて、それで幸せになれるのだから。ここで暮らしていれば子供の1人くらいは私立の医学部に入れられるかもしれない。で、私はどうなる?20代の頃と預金残高以外で何が変わった?
お前も結婚すれば良いのではないかと言う声が聞こえるけど、これは中々上手く行かなかった。こんな僻地にある会社だから、相手は地元の人ばかり。上記のように地方を転々としてきた自分とはどうしても感覚が合わない、例えば同僚の結婚式で、高校の部活の先輩後輩の関係が30過ぎても未だに残っているのが嫌だった。
敵を増やしそうだけど、地方にはヤンキーと良家の子女しか残っていないんだと思う。ヤンキーは説明不要でいわゆる地元のマイルドヤンキーさん、看護学校もあるので一人でやっていけるこの手のタイプは多い。良家の子女は女子大を出て実家に戻って地元の金融機関に就職という感じ。同僚の奥さんはどちらも結婚したら寿退社して社宅に住んでいた。
私だったら、相手が1Google稼いでいても専業主夫になりたくないなあと思う。その程度の収入に自分の後の人生の選択肢の全てを預けたくない。私は夫婦は人生の連帯保証人だと思っているので、こうゆう自分の感覚と合っている人と結婚したかったんだけど、残念ながらそんな人とは出逢えなかった。それほど立ち入った話はしないけど同僚と上のような話をしていたら「そもそも君は結婚相手に何を求めているの」と言われたのが印象深かった。私は友だちとか親友的な要素、少なくとも同じ地平で物事を見渡せる人が欲しかったし、これまでもそうゆうタイプと仲良くなってきたけど、同僚的にはそうじゃないらしい。明確な言語化はできないけど配偶者に求める要素は、自分や家庭を甘やかし指導する父母か、育て導く愚かな子女で、少なくても対等の関係という要素を求めてはいないようだった。
そんな食わず嫌いをしているうちに同僚の息子は小学1年生、これからも私がああだこうだ言っている間に大学生になって家を出るのだと思う。その頃の私はきっと40代半ば、もう結婚もできないし転職もできない、ただ自分は失敗した、取り替えしがつかないという気持ちを抱えながら、報われることのない仕事をしている。やがて50代になって預金残高が5Googleを超えて、高級老人ホームに入ること夢見て死ぬんだろう。
安定している故に見えてしまう自分の将来、この少し広い会社の敷地の中で人生を終えるであろう現実、その恐怖に囚われてしまってからはもう辞めること以外は考えられなくなってしまった。そこからは早い、たまたま自分のやっていた職種と募集がマッチングしたから逃れることができたけど、本当だったらこの歳で逃れることは難しかったと思う。前述のように賽の河原のような雑務がメインなのでとても潰しが効かないし、何よりも給与が激減する不安に耐えられない。
高校生に対してライフプラン(仕事と出産などを含んだもの)を教育するみたいな話をニュースで見たけど、これは年齢関係なく必要だなと心から思う。別に結婚とか子供とか興味は無く、食べてくために働くというのは本心として良いと思う。けれど同期同僚が結婚して子供ができて、仕事に意味や成果は無く、ただ歳だけが増えていく状況であなたはどこまで正気を保てますか?というのは自分自身によく確認したほうが良い。登山なりゴルフなり何かしら見つけられた人はそれで良いし正気を保ち続けることができると思う、私にはそれができなかった。
昭和という時代は、定職さえあれば誰もが家庭を持ち豊かで幸せになれるという幻想を皆で信じていたから実現できた神話だったんだと思う。家族がいれば多少の理不尽にも耐えられたし仕事に魅力が無く潰しが効かなくても何とかなった。けど平成が終わるこの時代に神話はもう死んでいた。
私は辞めることができたからまだ良い、けど私のような気持ちで辞めることすらできない人が、あの会社に大量に留まっているとするなら。前職に留まらず、世の中の会社や社会のどこかに、私のような人間が大量に潜んでいるとするのなら。
欧米でよくある銃乱射事件とかは、こうゆう時代の歪みから発生するんじゃないかなと思う。俺はきちんとレールに沿って人生を進んできたのになぜ幸せになれない?俺がおかしいのかそれとも社会が狂っているのか?
話が逸れてしまった。10年間よく会社に尽くしたし、会社も十分それに報いてくれたと思う、総じて良い会社だった。ただ、私は会社と同じ昭和の夢を見ることができなくなってしまった、それが退職理由。平成の終わりにこうやって昭和の夢の残滓のような会社を去ることができたのは何か奇縁を感じる。
いい大学出てる人って余裕がある。
彼等は若いのに責任の大きい仕事に一生懸命取り組んで結果を残している。同じような育ち、学歴の集団の中でそれなりに楽しそうに働いている。夜遅くメールが帰ってくることもしばしば。若手だからそんなに給料は多くないのによく働くなぁと感心してる。
彼らの会社は所謂一部上場企業で本社が東京か大阪にあって(大きなビル)、全国各地に支社があって、とにかく格好いい。百年くらい歴史がある会社だから名前を言っても恥ずかしくないし本当に憧れる。
私の会社は高卒の人も多くてそれほど大きな会社じゃない。大卒や院卒の人もいるけど、特に学閥があるわけでもないから高卒現場上がりの人が役職に就いてたりする(そういう人は皆人望があって慕われてる)。ああいう立派な人がたくさん働いてる立派な会社で働きたかったな。
いい大学を出た人は頭で物事を判断してくれるからとても仕事がしやすい。脊椎反射で営業マンを怒鳴りつけたり、部下に手を出したりする人は見たことがない。納期が遅れることを伝えても怒らずに、どうすればリカバーできるか一緒に考えてくれる。三流大出てる人はそうじゃなくて、なんだかんだ言い訳したりすぐ感情的になることが多い。
まあ、こんなこと書いてる私は五流大なんですけどね、はは。
2年半ほど経ちますが、空前のNTT退職ブームなので便乗しちゃいます。
まず既知の通りNTTグループは社員数約28万人と非常に大きな組織であり、その中で研究所はエリート中のエリートが就く位置にある。つまり上記の方達は警察でいえばキャリア組にあたる方達にあたる。以降キャリア組と呼ばせていただく。
一方で、私は地方のノンキャリア警察官のようなポジションにある子会社(大株主は研究所)出身なので、その分際でこのようなエントリーを書くのはおこがましいかもしれないが、
キャリア組層のエントリーなのに共感できる部分がとても多い上に、すでに [ 10年勤めたNTTを退職しました(無能編) https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 ]のようなノンキャリアそうな人(←失礼はご愛嬌)のエントリーもあったりしたのでちゃっかり便乗させてもらう。
データとデー子もこんな感じなのだろうか。ぜひ知りたいものだ。
結論を先に言うと、採用者側が詭弁でなく合格基準とその合理性を公開せざるを得なくなっている。少なくとも、医局、学閥の倫理で閉じていられる時代ではなくなったのだと思う。
特に今まさに医学部を目指そうと考える少年少女に対して大人は何が言えるだろうか?
医学部を受験する程度に頭があるなら、自分自身が医師になって待ち受けている現実について一度は考えるんじゃなかろうかと思うかもしれない。
しかし、いくら能力のある中高生と言えどもそんな現実をどこまで読めるだろうか。
逆に、ライフプランを考えて医の道を断念する早熟な人もそれなりの数がいるのかもしれない。
ざっくり、医学部志願者数の推移や受験競争のレベルといった統計を見た感じではイマイチわからなかった。(似たようなとこで官僚は確実に入る層が変わってる)
そこで今、受験競争を勝ち抜くことに専念している高校生がいたとしたらどんな言葉をかけてあげられるのだろうか?
情報が少ない。
それも、志が高ければ高いほど、生きづらい世界じゃないだろうか?
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋と慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
他にリクエストがあれば書くよ!
三田会とは慶應義塾大学の学閥の会のことである。知っているとは思うが。
大企業に院卒で入り、常に自分の学歴を誇示するような人間だった。
こういう人は、本来は頭自体は悪くないのだから、現場的な実作業をしっかり長く経験させれば、仕事ができる人になれたかもしれない。
だが、官僚的な大企業に入ってしまったので、コロコロと人事異動することになる。
そこそこ頭は良いためか、軽口だけは達者になった。あと、パワーポイントでのプレゼン資料の作成もうまくなった。
40代そこそこで、大企業の本社で、労働組合を抜けた、管理職クラスに昇級する。
しかし、入社以来20年間やってきたことは、その時々の上司たち(彼らも人事異動でコロコロと居なくなる)に気に入られるようなプレゼンをすること。
実作業は、現場社員や子会社や下請けに丸投げするだけ、ということをくり返してきた。
大企業が社会的に危機に陥り、時代の流れも、ただ単に管理職だという理由だけで、仕事が回らなくなってきた。
いまでは部下なし管理職をやっている。