はてなキーワード: 同人活動とは
絵を描くことから始まって、ペーパーを作った。
お金に余裕が出来た頃には、地元のイベントに参加をして段々大きいイベントにも参加した。
今は年も落ち着いて、オンリーイベントだけ参加している。
参加回数減ったけど、絵を描く事や新刊を楽しみにしている声が嬉しくて、
描きたい物を書き続けている。これだけでも凄く幸せなことだ。
けど、未だに課題なのは「サークル参加におけるコミュニケーション」だ。
この10年間、サークル参加は隣人同士挨拶をするのは定番(マナー)だ。
「おはようございます、こちらこそ宜しくお願いします」こんな感じに。
今はどうだろう。挨拶をしない人もいる。
若い人の参加が増え、待ちに待ったイベントに参加できてワクワクしているのも分かる。
机についたら目を合わせずいそいそと準備をする。こちらから声を掛けても会釈程度。
これではコミュニケーションが取れない。
また逆な事もある。
とてもコミュニケーションがあり、明るく元気な声を発する隣人もいる。
こっちも元気にはなるが、明るい子の周りに沢山の友人知人が集まり、ジャンルの話に黄色い声がとぶ。
正直うるさい。
おかげで、自分のスペースで買い物してくれる人の声が聞こえないこともある。
こんな時、あなたはどうする?
気にしない?黙ってる?注意する?
標題の件の「同人におけるコミュニケーションって?」はこういう事だ。
でも、これは前半に過ぎない。
縁があって、いろんな人にお出かけの声を掛けてくれる。
好きな物を好きなだけ話し、こうあって欲しいとうCPについて語り合い、繋がりのある話をした。
それはさぞかし楽しい一時を過ごした。
だが、その話は半分もなれば話を尽きる。
この後、何を話したらいいのか分からない。
わからない。
私はそれしか思いつかないのだ。
以前、頑張って出したネタは「最近買ったアニメグッズは?」だった。
それは間違いだった。
正直、その情報がどんな物が具現化できず分からないのと、私は金銭的に困難な生活をしていたため、
グッズを数十個買うというは出来なかった。
だから「え?買ってないんですか?」って言われると解答に困った。
この気持ちは子供の頃、流行だったオモチャを自分だけ買ってくれず、仲間はずれになったときと同じだ。
話について行けず、孤立した。
要するに、本名も知らずその場でばったりで仲良くなった人に
どこまで話を掘り下げていいのかわからないのだ。
そして、そのような話を振ったとして不快な思いをして別れるのは避けたかった。
それが気になって、どうも話を掘り下げる事に躊躇してしまう。
最近、SNSやイベントで知り合った人と食事や料理、ライブなど行く姿を見掛ける。
羨ましいことだか、そこまで仲良くなるのは凄い事だし、これからも仲良くしてほしい。
人にもよるのかもしれない。何でも話す人、抵抗のある人、色んな人がいる。
その中で、気の合う人や一緒に制作物を作る人を見つけ出すのは奇跡に近いとも思うほどだ。
でもその人の「好きなこと」「嫌いなこと」は読めない。
何をしますか?
少し前からオタクアカウントのほうに、同人やめました系の記事がいくつかRTされてくる。
当方オタク歴はそれなりに長く、どちらかといえば一人で考察と妄想を繰り返しのめり込む内向き型。キャラに対してキャーキャー言ったり、流行のネットスラングを羅列するような交流は苦手なので、RTされてきた記事を読んで、うんうんそこは昔のほうがよかったよね、と思うこともある。
近頃はまったジャンルにて、私はようやく同人活動やイベントの醍醐味みたいなものが分かってきて、今とても楽しい。
過去色々なジャンルにはまったものの、今まではネット上で見たり書いたり、昔からのオタク友達に話を聞いてもらうくらいで満足していた。
twitterで交流しよう、オンリーに行ってみよう、自分でも本作ってみようか、というところまで手を出すほどになった作品はこれが初めてだ。
なんでなのか?ちょっと振り返り5点。
ハマるのと同時期くらいに生活環境が変わり、時間に余裕ができた。これが一番大きいかも。元々面倒くさがりなので、寸暇を惜しんでまではきっとここまでやってない。忙殺されて余暇がほとんどなかった時期にハマっていた別ジャンルは、それはそれで生きる支えになったものだが、交流や創作にかけられる時間は少なく、落書きで欲求を消化するのみだった。
学生時代はサイトにこもってたので、オフ活動にもっと早く興味持ってたら違ってたかも。
ハマったのは息が長くファンの多い作品で、ファンの年齢も傾向も幅広い。キャラ萌えしてる人からひたすら原作の考察する人まで色々。流行のピークは過ぎて久しく、今や大手さんの解釈が公式扱いされているような風潮は薄いし、個々の解釈も否定されにくい気がする。が、これは体感なので単に私が鈍感なだけかも。
もちろん作品自体の素晴らしさが第一にある。それに加えてこの界隈の自由な雰囲気がいいなと思う。
そういう雰囲気に浸かってると、同士さんたちの詳しい活動や語りを追いたいという欲求がわいてくる。
そこで主にtwitterを利用するわけだけど、様々なファンがいるのと自身が万人ウケするタイプではないので、交流する際には特別注意をはらう。元々アカウントを取ったのは同士さんアカの鑑賞兼独り言用だぞ、それが第一だぞと常に言い聞かせる。それを曲げて交流しまくれば承認欲求が加速して本来やりたい創作や考察ができなくなる。だからいくらいいねやRTがほしいと思っても決めた期間以外鍵は開けないし、フォローフォロワーの関係には気持ち悪いぐらい用心する。最近のやめました系記事にもSNS疲れがよく言及されてるし、対人関係が原因で作品を好きでいられなくなるみたいな本末転倒な事態は絶対に避けたいので、慎重すぎるくらい慎重に。
結構経ったがまだそれなりに守れている…と思うし、この前提があるからこそ色々割り切ることができているんだと思う。
具体的な自分ルールもまとめてたんだけど、すごい長くなってしまったのでカット。
で、いろんな自分ルールを遵守しつつ厳選したTLは、自分と波長の合う人たちと情報アカ程度で構成され、とても穏やか。交流相手を絞ることで私のような面倒くさがりでも続けることができ、時々リプをし合ったり、タグ系の遊びを一緒にやったりしてくれる存在ができた。そしてその信頼できる方々のご好意により、イベントやオフ会に足を運ぶきっかけをいただいた。
年齢層が幅広いためか、息が長いからか、他と比べ空気がゆったりしているように感じた。(といってもこれまで全ジャンル合わせて片手で数えるほどしか参加したことがないんだけど)
一番安心したのが、エロの公開度が低いこと。前にハマっていたジャンルもそれなりの規模・年数で、以前オールジャンルの際にそのエリアに立ち寄ってみたのだが、カッコイイ男性キャラがたいへん色っぽい感じになってる大きいポスターがたくさん並んでいていたたまれず、なんかもう本を買うどころではなかった。エロは全く、BLもほとんど嗜まない者なので、あの空間は耐えられなかった…
今回もそんなだったらどうしよう、とドキドキしながら参加してみたところ、主流はBLでR指定ものも多数あるが、過激な掲示はさほど目に付かなかったので安心した。男女CPやコメディ傾向の作品もそれなりにあり、買い物も楽しめた。サークルの皆さんは、うろうろと挙動不審な私にもよかったら見ていってください、とやさしく声をかけてくれた。またネットで見知っていた方や、既刊を拝読させていただいた方に感想を伝えたり、少しお話をしたりもできた。作家さんとのお話ってこんな普通にできるんだ、これが話に聞くイベントの醍醐味か…!!と感動してしまった。(今まで買い物の会話以外交わしたことがなかった)見れば他にも立ち話をしている人たちは結構いる。このジャンルではいわゆる古き良き(?)即売会の姿が面影を残しているのかもしれない。いやしらんけど。
そしてイベントでこんなに居心地がよかったのは初めてで自分でも驚いている。今まで一般だと落ち着ける場所がなくて何となく居づらかったのだが、今回はそういうこともなく。また行きたいと思った。
自身の二次創作は、基本的に自己満足だ。いいねやブクマなどはもちろんうれしいが、それを得るためだけの創作はしないのだと心に決めている。なので本をつくりたい!となったのも最初は「皆さんの本素敵だな。私もここまでのめり込んだ作品は初めてだから、記念に自分なりの解釈をこういう形にしてみたいな」というのがきっかけだった。
どこへ出す予定もなく書き始めたのだが、少しその話をした際に思いがけず、ほしい、見てみたいというお声をいただいた。
ものすごいエネルギーを与えられた気分だった。この自己満足の塊を、まさか楽しみにしてくれている人がいるなんて!
さらに、4のイベントでお話させていただいた方にも「本は出されないんですか」とお言葉をいただいた。嬉しすぎた。本を作るというのは大変な作業で、もし本当に一人きりで進めていたら、延び延びになって結局頓挫、みたいなことになりかねないなと思った。ここまでに散々他人に主体をおかない的なことを書いておきながらなんだけど、それでもやっぱり、こういう身に余る挑戦をするときには、3で得た信じられる人の言葉の力を少しお借りしてもいいかな、と思った。
自己分析のつもりが途中から感想文みたいになってしまった。分けて書こうかとも思ったけど、その良い思い出とかもひっくるめて要因だし、まあいいや。
今のジャンルじゃなくても、これまでもこういう体験ができる機会はあったのかもしれない。
でもこの引きこもりで、心配性で、人見知りな私をここまで連れ出してくれたのは、いろんなタイミングの重なり、そして魅力的な作品と素敵なファンの皆様だろうと思う。
第一志望なのでようやく胸のつかえがとれたというか、とにかく金を使わずに済んでよかった。
自慢させてくれ。自慢させてほしい。
スーツ5点セット(ジャケット、シャツ、スカート、パンプス、かばんとおまけでストッキング) 20000円。開店セールで安かった。
履歴書 約1000円 書き損じで何パックか買ったがよくわかってない。
履歴書郵送費 約2000円 たぶんそれくらいだろう。
化粧品 3000円 就活用に買い足したのはコンシーラーくらい。
で諸経費足しても4万はかかってないんじゃないだろうか。
世の中の「東京とか大阪に就活で行くとお金かかるよねぇ~…」的な話をしてる就活生が気の毒なくらいお金がかかってねえ~~!!!!!
面接とか説明会の時は大学に原付を止めて企業まで運動がてら何キロも歩いてたのでなんか健康にもなった。
元来私はドケチというか、家が貧乏だったので金使わんでいいだろってとこにはとことん金を使っていない。
塾にも通ったことがないし、大学も地元の国立一本狙いで通った。
母は「学校で必要なことならいくらでも出してあげたい」と言ってくれたがそんな無理はさせたくなかった。
むしろ大学生にもなったのだからバイトで家計を支えたかったし、実家住まいなので月に3万は家にお金を入れられていた。
ああ嬉しい。
就活も終わったから祖父母の家に頻繁に顔も出せるし、卒論も書ける。
家のローンも返し終わったし、母も体が弱いながら無理やり続けていたパートを減らせるだろう。
自慢させてほしい。
「遊びほうけて単位落として成績悪くて就活でバイト辞めたし金も溜まってなくて、就職できない。ストレスで食べちゃう、つらぃ」じゃないわ。自業自得やがな。
とも言えないので何にも言えないが、私は今内心エレクトリカルパレードだ。
何も考えずになんとなくで奨学金借りて遊んで授業フケて単位落として何がしたいんだお前らは。
こうして言うと絶対
「サークル入ってなかったの?大学生満喫できてないやんwオールとかしたことないの?ww」的なことを言ってくる奴がいるのでおおっぴらに言えないのでここに書くが、
興味のあった分野の勉強ができて、友達もできて、自分の趣味もできて何がダメなんだよ。
満足しかないよ。
ざまあみろーーーーーーーッ!!!!!!私は就活終了まで我慢してた焼肉に行くぜ~~~~っ!!!!!!!
あとは学生の本分を全うして、資格の勉強でも始めるぜ~~~!!!!あばよバカ学生共~~!!!!!!!!!!!
自慢 おわり
ネット上で形成されたある弱小同人サークルには、オリジナルのマスコットキャラがいた。マスコットキャラといっても内輪的なもので、対外的には全然意味をなしてない。(とはいえ、マスコットキャラがいるとTwitterアイコンだったりカタログのサークルカットだったり、とりあえずそれを描けばいいみたいな存在になるので便利である。余談)
自分はそのサークルの結成から一年程リーダーを務めていたが、今は退任してサークル活動にはノータッチである。後任のリーダーは自分より同人活動も社会経験も長く、気さくで親身で、一児の母でありながら管理職に勤めているというハイスペックな方だ。普通に尊敬できる。
その後任のリーダーが、どうも、そのマスコットキャラクターの名前を一文字間違えて覚えてしまっているようである。(長期間、その誤った方の名称で呼んでいるため、タイプミスではない)
まぁ覚え間違いなんて誰しもあることだ。自分も最近までyoutuberのヒカキンのことを「ヒキカン」と認識していた。そっちの方が語呂は良いと思う。
間違えて覚えてしまったなら、気づいた段階で直せばいいし、気づいた人が指摘すればいい。これはズボンのチャック全開問題と似ている。些細なことだ。
だがかれこれ半年以上、その誤りは直らない。もちろんリーダーが迂闊ということもあるが、それ以上にサークルメンバーの誰もがそのことを指摘しない、あるいは気に留めない、その関係性は不健全に思えて仕方がない。仮にもサークルを象徴するマスコットキャラクターである。名は体を表す、という程はないかもしれないが、名前あってのキャラクターであるのは間違いない。二年以上活動していて、まだ「チャック空いてますよ」も言えない表面的な関係でしかないことに、虚しさを覚えてしまう。
「気づいてるならお前が指摘すればいいじゃん」と言われれば、まぁその通りなのだが……、しかしそれがジレンマなのである!! 指摘は容易いし、心理的障壁はあまり感じない。ただ自分は身勝手な都合でリーダーを退き、その方に押し付けてしまった立場である。サークルから離れていったくせに、姑のようにアドバイスと称した鬱陶しい小言をいう存在になるということは、自己満足でしかないし、それは自分の羞恥心が許さないのである。(これはこれで自己満足なのだろうか)
まぁしかしチャックが全開であっても、それを全員が認識しなかったり、華麗にスルーしていければ、大した問題ではないのかもしれない。寧ろ気づいて騒ぎ立てるのが悪なのかもしれない。「チャック空いてますよ」と言いあえる関係性を最善とするのは、価値観の押し付けだろうか。
この件でトラブルは起きないだろうし、決定的な亀裂ではないと思う。だが、こういった歪みがドンドン連鎖的に広がっていくのではないかと危惧してしまう。
同人活動で承認欲求っていう記事を読んだのですけど直接レスを付けるのも怖いのでここに転がしておきます。
自分は商業作家なのですがそういう承認欲求があるひとはさっさと商業になった方がいいです。楽です。承認欲求のコントロールも身に付きますし(暴走すると逆に面倒だと思うようになる)。
絵柄が古いとか気にされてますけど、商業のほうが絵柄にはこだわりないと思います。良いキャラクターやお話が作れれば食べていけます。
そもそも、承認欲求を二次創作経由で満足させようとするのが、塩水で渇きをいやすようなものです。「いいね」をしてくれる人は、原作のキャラクターや人間関係という土台の上に立って「いいね」を押してくれているだけで、それは連帯に近しいもので承認としては薄められていますよね? 「いいね」に含まれる称賛のうちそのイラストや漫画を描いた人には何割が向けられていて、原作には何割が向けられているのか考えれば、二次創作で承認欲求をみたすというのは薄められたコーヒー飲料を飲むみたいな話だと思います。
もちろん「ああ私は連帯がしたかったのだ!」というのならそれはそれでありです。そういう方向のアミューズは、例えばニコニコ動画のコメント欄などでも見られるものですからありだと思います。ただ、その二者を(そして創作欲求を合わせて三者を)混同するのは不幸の始まりだと思います。以前に別記事であった「アフターに誘われないので同人やめます」みたいなものもそうです。連帯が目的なら、創作なんて全然効率がよくありません。
件の記事【http://anond.hatelabo.jp/20160622100234】の増田本人です。
ちょっとした日々の愚痴のつもりがわりと反応を頂いていてびっくりしています。あまりにも賛否両論というか、迷惑をかけてしまった、不快に感じられた方もいるようなので、少しだけ補足させて下さい。
タイトルの付け方や、アドバイスなどという言葉を使ったことにより、同人既婚者代表みたいな書き方に見えてしまうように感じる方もいるようです。配慮が足りず申し訳ないです。あくまでも私のしくじり体験愚痴日記であって、思うことがあったり共感を感じるような方には同じしくじりをすることがないといいなぁ、位の気持ちで書きました。
文章が長いのは、そもそも誰かに読んでもらうことを意図してなく勢いで書いたからです。でも思ったより多くの方に読んで頂き、結婚にマイナスイメージを植え付けてしまったのは自分でもよろしくなかったと反省してます。
増田が伝えたいことを3行で書いてくれた方もありがとうございます。嬢の崩壊日記と受け取った方もいれば、趣味の極振りで身を滅ぼした話と受け取った方も、結婚の失敗談と受け取った方もいるようです。私がこれまで何も考えず人に迷惑ばかりかけて生きてきたメンヘラなのは事実なので何も言えません。これからは反省して同じ過ちを犯さないように努力するしかないです。
ただ、私個人としては、人生の懺悔と共に、強すぎる承認欲求や評価への依存、これは自分が思ってる以上に根が深いから、自覚のある方は考えたほうがいいかもよ?ということが言いたかったのだと思います。自分でもよくわかりません。多少夫への恨み節も混じってますし。(笑)
経済的DVという意見に関しては、ちょっと違うと反論致します。これはむしろ主人の金銭感覚を信用して管理して頂いてる行為であり、私自身自分の金銭感覚がぶち壊れている自覚があるので全く問題ありません。問題があるのは私です。風俗は金銭感覚壊れますね。
あと、母親は子供を最優先すべき、という部分に対しての反論も重く受け止めました。私の母親があまりにも私を蔑ろにしたのがそもそもの承認欲求の拗らせ原因なので、自分はもし子供を持つなら子供を一番だと思いたいが故のただの個人的意見です。しっかり子供に愛情を注いだ上で、さらに大切なものを持っている方を悪く言う意図ではありません。申し訳ございませんでした (母親への想いに関しての記事もそのうち増田として供養したいと思います。)
沢山の意見やトラックバック、コメント、Twitterに至るまで目を通させて頂きました。何か感じて意見してくれた人、皆さん全員にありがとうございます。怖い思いをさせた方は本当にすみません。
ちなみに、増田の主人にもこの文章を読んでもらいました。お前自伝出してみればいいんじゃないの?って一言言われただけでした。あとお前俺のこと相当信用してるけど何かの拍子で全部お前の人生周りに言うかもしれんぞ?とも。もしそうなったら客と結婚した私が悪いよ、って返事したら、金銭感覚ぶち壊れてる風俗嬢と結婚した俺も悪いなって言った後ゲス極の両成敗口ずさんでました。ちょっと泣いた。
どうでもよさそうだけどせっかくの質問頂いたので気が向いた部分に追記
○何の仕事やってたのか気になる→2時間で10万円を頂くような高いお風呂屋さんです。金銭感覚という点ではやばいことになりましたが、自分の頂く対価を真剣に考えるという意味では良い勉強になったので、永遠の28歳の鬼講習も交えてそのうち書きたいテーマです。
○漫画にしたら?→今回の記事が話題になり身内の意見まで目にしちゃったんですが、どんなに仲の良い友人でも切り離して他人の人生になった瞬間批判の対象になるのだなー、と思ったので身バレこわいのでやりません。秘密にしとくことで守れるものもある。
○リミットつけてお願いしてみては?→真剣に打開策考えてくれてありがとうございます。インターネットで公表する分には全く文句は言われないので、オフは諦める、というのが私の中の結論です。
○どうして俺と出会わなかったんだ→笑いました。来世で会いましょう。
○とりあえず嬢と結婚できるのはわかった→吹きました。頑張って。
以上です。またしても長々と失礼しました。
元増田が「同人女」であることをステータスだかアイデンティティーにしてるっぽいのが面白いとこだな
齢30、腐女子として生きてきての年数が年齢の半分に到達した私です。
腐女子といえど、様々な形態があると思う。読み専でもpixiv等の無料漫画で満足できる人、スマホや本屋さん、アニメイトや通販で本を買う人、買い漁る人。それだけじゃ満足できずコミケイベントに参加して、自分の足で同人誌の新刊を買い集める人。創作が好きで、年に何回かサークル活動をする人、オンリーイベント中心に年に何回も新刊を出す人。活動の功を奏して商業デビューを果たすものの二次創作が好きで漫画を書く合間に漫画を描くような生活をしてる人。もちろん今はコスプレ文化やゲームも個人で作ることが可能になってきたので、その世界の中で、ディープであれライトであれ、様々な「オタク」がそれぞれの形態で活動しているわけだ。
もちろん、ディープになればなるほど 知人もディープなオタクが大半を占めてくる。Twitterのリツイートで見たツイートだけど、周りがディープになっていくにつれ、世界はオタクに溢れてるような感覚になり、同人誌まで描いているようなディープなオタクは案外少ないという事実がかき消されてしまう。感覚が麻痺するのである。
私もかつて、いや、今もディープなオタクである。結婚前は年に10冊のペースで新刊を量産し、毎週末のように大阪や東京に遠征に行き、仕事から帰れば朝まで原稿を書き、Twitterに入り浸り、そこでも1日100ツイートは好きなキャラの萌え語りに明け暮れていた。それでも語り足りなくて、活動ジャンル専用のブログを作り平均5000文字程度の萌え語りやキャラ考察、ジャンル考察を繰り広げていた。それができる位の好きなキャラがいたのも大きいけれど、活動が人生の支えであり、毎日沢山の方から反応やいいねを頂き、それによって承認欲求を満たしていたのは事実だ。オフ会と称してよく近隣のオタ友と飲みにいったりもしたが、リアルでの友達はゼロ。というか原稿する時間を捻出したいがあまりに短時間で高収入のお仕事(という文章で察してほしい)をしていたため、同僚といってもお互いに関わり合うこともなく、個室待機さえ選べば空き時間にネームだってできた。集団待機でも特に話しかけなければ話しかけられることも少なかったのでTwitterやpixivを眺めることができ、妄想だってし放題だった。まともな社会人生活を放棄し、学生からストレートにその道に入り8年。私はいつからか、本名で呼ばれる機会は病院の待合室のみという悲しい状態に陥っていた。それでも、好きなキャラのことを考えている日々は幸せだったし、好きなだけ原稿ができ、締め切りがやばそうなら入れてた仕事を電話一本で休める環境に満足していた。私は結婚は一生しない。一生この生活をしていくのだと本気で考えていた。
でも、何事も転機が訪れる。まず普通に活動ジャンルが衰退してきた。同人誌の売り上げがなくても活動できるくらい本業で稼いではいたけど、年齢を重ねるにつれそれも厳しくなってきた。齢27、とうに旬は過ぎ、体力も落ち、体型も自分でしか気付かない範囲であれ崩れてきた。顔も急に変わるわけではないけれども徐々に衰えを感じてきて、焦り始めた。
それ以上に焦っていたのは、ここまでの活動をしてきたにも関わらず、私の同人者としての知名度はほとんどなく、若くて上手な人には絶対に敵わないという事実だった。自分の絵柄はどんどん古くなり、特にデッサンが整っているわけでもないからそれで注目をされることはまずない。その分考察を深め、原作を尊重した上で自分の最大限を込めたストーリー作りに力を入れていたのだが、これは本当にやったことのある人にしかわからないと思うけど、とても疲れる。原作が鬱傾向の話だったりすると自分の気持ちまで引きずられて、脱稿後3日くらいは死んだような気分になるし、常にストーリーの妄想を繰り広げるのは容易でない。そこまでやっても、ディープなファンがついてくれど大手作家のエロ本には勝てない。積んで積んで積み重ねても、私がそれをやめたら一瞬にして崩れ落ちるということに、疲れを感じていた。
長く同人をやっていると、諍いや嫉妬に巻き込まれることもあった。そういう人間関係にも嫌気が差していた。オタクって、言っちゃ悪いし私も人のことを言えた口ではないけど、評価の仕方が極端だし、性格に難ありの人間が多いのは確かだと思う。好きな作家が高尚様で嫌われないようなツイートをするのも必死、ジャンルの派閥問題であっちからもこっちからも悪口を聞き、そのどっちにも良い顔をしているうちに、何やってるんだろうな自分と思うことも多かった。自由な萌え語りの場はいつしか、パワーゲームの場になりつつあって、それでも自分は自分と曲がらずに立っていたかったけどそこまで精神的にも強くなくて、一時期は完全に病んでしまっていた。それでも本は作っていたのだから、今の自分からしてみればすごいなとは思うけど(笑)
そんな時、ひょんなきっかけで彼氏が出来た。私の仕事のお客さんだ。見た目が好きな声優に似ていて元々好感を持っていたのだけど、相手も気に入ってくれたこともあり、驚くほどあっさりと交際はスタートした。
彼は隠し事はしないで欲しいというので、私はバカ正直に自分の描いた同人誌(R18)を持って行った。彼は多分その段階で私にベタ惚れだったのもあると思うけど、私の描いたものを誉めてくれた。その段階で思った。「この人と結婚しよう」と。
私がやったことはまず、Twitterアカウントの消去、そしてイベントでの引退宣言だった。もう二度とこの地は踏まないつもりで参加した最後のイベントは、とても楽しかった。沢山の差し入れを貰い、沢山の感謝の言葉を頂き、大型のオフ会まで参加させて頂き、朝まで遊び呆けた。連絡先を交換している同人の知人には結婚するので辞めるが、オタクをやめるわけではないからどうかこれからも仲良くしてほしいと告げ、長年続けてきた商売も辞め、真っ当な昼の仕事に付いた。彼とも一緒に暮らしはじめ、アニメを一緒に見るようになった。そして半年後くらいにプロポーズ、結婚と相成った。その時は、もうこれ以上の幸せはないと本気で思っていたし、この人と普通に子供をつくり、将来は庭付き一戸建てに住み(これはもう既に叶ってはいるが……)幸せな家庭を作るものだと、本気で思っていた。
ここまでなら、へーよかったね、同人も若き日の思い出だし、旦那にも理解してもらえて、20代で結婚できて幸せだね、今はさぞかし平穏な日々を送ってるんじゃないの?と思う人もいると思う。私もまさかそうじゃなくなるなんて思いもしなかったし。確かに、旦那に絵を描く趣味を隠してないことはプラスに働いていて、今でもイラストを描いたりエロマンガを描いていても咎められたりはしない。それならよかったじゃん?って思う人もいるかと思うけど、違うのである。
自分は、自分が思う以上に「真性(演技性)同人者」だったのである。
今から貼るURLは、同人者と結婚についての考察を記したものなのだが、1996年に書かれたものだということにビックリした。同人文化が
オープンになり、多少世間の目的なものはこの時点よりは向上したとはいえ、まんまこの通りで笑ってしまった。
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/yellav/link4.htm
(敢えてこのページのみを貼るけれど、時間がある方は他のページも読んでほしい。色々と興味深い研究結果が纏められてます)
結論からいうと、同人をやめたはずの私は、また同人を始めているし、同人誌を作っている。旦那にはそれを煙たがられているし、私自身も今の活動では満足できていない。
どうしてこうなったかというと原因は2つある。まずは、同人関係の交友関係を断ち切れてなかったことだ。
最初に、ディープな活動をすればするほどディープな友人が集まると書いたが、その中の一人が、今沼ってるジャンルこれだからやろう?とゲームを薦めてきた。そのゲームは基本プレイ無料のもので、スマホさえあればできるものだったので、暇つぶし程度ならいいかと始めたら、存外ハマってしまったのだ。友人は、私に○●(ゲーム内のキャラクターのカップリング)を描いてほしいとお願いしてくれ、私も描くだけならいいかと1年以上封印していたペンタブレットで絵を描いて、名前を変えればバレないだろうとTwitterアカウントを別名で取り直し、そのイラストをTwitter経由で友人に送った。これが過ちその2である。
ここで私は久しぶりに経験してしまったのだ、「いいね」をもらえる快感を。自分の二次創作が沢山の人に読まれる楽しみを。
これまでだって、確かに旦那や周りの人間がいいね!と言ってくれたことは多々あれど、生命活動維持のための食事を誉められても、生命活動維持のための金の確保のための仕事内容を誉められても、嬉しくはあれ脳汁が溢れ出すような快感はなかった。でも、描いた絵を載せること、萌え語りや話を載せて得られるのは、顔も身なりも知らない人たちからの賞賛、なんの役にも立たないはずのものが誉められる快感に私はまたのめり込み、活動再開から半年足らずで地元イベントに顔を出し、本を頒布し、Twitterでの知人とオフ会を開いた。正直、結婚後には味わえなかった最高の幸せであった。私自身は、やはりこの世界が一番楽しく、充実した自分でいられると思った。
ただ、もちろん弊害は多々ある。同人活動をやめていたころ楽しかった職場の同僚とのおしゃべりは雑音になり、邪魔になり、飲み会は苦痛になった。旦那との会話や家事もそうだ。こんなに頑張っても一人にしか認めてもらえない家事や夫婦生活をする位なら、一枚でも多く絵を描きたい、友達との萌え語りに没頭したいという思いが募り、夫婦間の会話は減り、喧嘩が増えるようになった。仕事も休みがちになり、職場での評価もぐっと下がった。それでも週末のイベントがあるから楽しみで、生きるのは苦痛でなかった。
だがとうとう旦那の堪忍袋の緒が切れたようで、まず私の働いた給料は全額私が使うことが出来なくなり、何に使ったのかを逐一報告しなければいけなくなった。同人関係の出費があると、こんな無駄なことに金を使って、との小言つき。そしてとうとう月一万の小遣い制→給料の3%の小遣い制になり、通帳やカードは差し押さえられ、前のような同人誌の発行ペースは不可能になった。こうなると私は働くことに意味を感じられなくなり、今は仕事を辞めてパートのみで生活している。月1000円のお小遣いではゲームに課金すらできず、私は毎日家で荒れ狂っているが、それを旦那は幸せだという。きちんと貯金が出来、私の昼夜逆転や突然の欠勤もなくなり、ゲームに月数万も課金することがなくなり、家事も毎日してくれる。これで精神が安定してくれたらいつでも子作りができるのになぁと言う。私はとても幸せだと思えず、生活のために仕方なくやっているパートに疲れ、ゲームはログインボーナスを受け取るだけ、あんなに楽しかった絵ですらもう3ヵ月も描いていない。そもそも、また絵柄が古いことや流行りの絵でないことで劣等感を感じているし、イベントに行けないことで前みたいに作家さんと交流することもできないので仲良くもなれない。せいぜいSkypeか手紙のやりとりくらいだ。ストレスがピークに達し、毎晩自殺するか離婚するか考えているが、積んだキャリアなど何もなく、もう体型は崩れ、前のように時間に自由が利いて高収入の仕事に就くのは絶対にできない。今は奴隷のような生活を死んだ目で続けるしか、私の生命活動維持方法はないのだ。
私はクズだと叩かれてもいいので、この文章を書いた理由を話させて頂きたい。とんだ長い前置きですみません。ここからが本題です。
ここまでクズの極みの考え、人生の腐女子はそうそういないと信じたいのだけど、部分的には共感してくれた人もいると信じたい。その中で、結婚を考えていたり、今後の人生に漠然とした不安を抱えて生きている腐女子もいると思う。基本的に腐女子はディープになればなるほど孤独な生き物だと思う。生計にできるレベルまでくればちやほやされるし好きなことで飯喰ってけるわけですが、そんな腐女子は多分一握り。殆どの人が、人より中途半端に絵は描けるけどプロになるほどではなく、それなのにいっぱしのプロのつもりで漫画家ごっこ、本屋さんごっこを続けてきた方だと思う。ジャンルの話や萌え語りはできても、日常の話となると境遇が違いすぎて相談する相手も共感してくれる相手もいない人が大半で、適齢期でもあれば家族にまだ結婚しないの?なんて聞かれて蹴飛ばしてやりたくなると思う。
そんな人にただ一つ言える真実は、結婚して今の活動レベルを維持できると思うな。という事です。特に、同人活動に依存している傾向のある人ほど、よく考えてほしい。
維持したかったら、世帯収入が潤沢にあり、家政婦を雇うレベルでなおかつ妻の趣味に口を出さない人と結婚すること。子供は望んではだめです。お母さんが子供より大切なものがあるなんて、いくら自分勝手な私でもダメなのはわかります。
そして、そんな自分をダメだなんて思わないで下さい。人生一回きり、楽しむも悲しむも自分の選択次第です。同人活動以外に喜びを感じられないのだったら、後先考えず突っ込むのもまた人生です。その代わり女としての人生は失います。私はどちらも手に入れようとして、どちらもダメになりました。もはや私は旦那の思う幸せを叶える道具に過ぎません。二兎を追うものは一兎も得ないどころか、すべて奪われるのです。(まぁ、それは私のやり方やのめり込み方に問題があったからなので、旦那の言うとおり自業自得なのですが…)
そして、途中で貼ったURLを隅々まで読んで下さい。
沢山の人からの評価で生かされてきた人ほど、それを失う結婚生活に耐えられるのか、よく考えて下さい。また、続ける気なら、それができるのか、不測の事態にも耐えられるのか、精査して下さい。
誰も声を挙げないし、まだ若い人の文化だから明るみに出ていないけれど、評価への依存はアルコールやタバコに匹敵するものだと思います。断ち切るには、勇気と強い意志が必要です。
最後になりますが、私がそれでも離婚しない理由はただひとつです。
愛と趣味の共存を、私はまだまだ貪欲に探そうと思います。罪滅ぼしに。また、ちゃんとした人間になるために。自分の人生の半分を無駄にしないために。
高校の頃に某作品の二次創作と出会い、すっかり腐り落ちてから早15年。
私の場合は腐ってからの年月は、ほぼ同人活動の年月とイコールになる。
15年間オン・オフともに同人活動を続けていると、いろんな人と知り合う機会があった。
いい人もいれば(こちらが大半だけども)記憶から消し去りたいくらい嫌な人もいた。
で、学んだ。
同人活動やってて、過去ジャンルのことを悪く言う人は十中八九、当人が難あり物件だということを。
15年間の間に知り合って別れた人に、この手のタイプが4人いた。
悪く言う内容はテンプレートでもあるのかってくらい同じで、
「いじめにあった」
「嫌がらせを受けた」
「スペースで罵倒された」
という、「えっ、そんな酷いことする人ばかりがいるジャンルなんてあるの?」と驚くような内容。
大して親しくないのに、むしろ知り合ったばかりなのに、いきなり「実は私ね~」と自分から語り始めたり
でも、その4人は皆、それそれ金銭トラブルだの真っ黒なパクリだのと
要するに後ろ暗いところがあるから、予防線の意味で過去ジャンルのことを悪く言うんだろうなと思う。
しかしネット社会の今、証拠ありの悪行はネット上に残るので、予防線張っても無駄だと思うんだけども。
・同人活動歴そこそこ長そうなのに、過去ジャンルの友達が全くいない人
・聞いてもないのに過去ジャンルの悪口をべらべら喋りはじめる人
とあるマイナーカプで活動していたとき、エチャを開いたら入ってきてくれたA(もちろん仮名)
スカイプしたり、家もわりと近かったので家(実家w)に招いたり、いっしょに遊びに行ったり、と楽しい日々を過ごしていた。
ほんとうに、すごく楽しかったよ。これまでオタクしてた時間の中で、人間関係は一番楽しかった。
オタク活動自体はいつも楽しいんだけど、オタクの人間関係は年々楽しくなくなる一方だなぁ。
Aは当時おそらく美大に通っていて、時折忙しくなる時期があるのは知っていた。
1ヶ月浮上しなくて、その後も。いつのまにかtwitterのアカウントは消えていた。
当時は携帯のEメールからツイッターに変遷していった時期でもあった。
メールアドレスとかは知らなかったか、もしくは最初は使ってたのかもしれないけどだんだんと使わなくなってしまったよね。
携帯番号は知ってたけど、連絡していいのかわからなくて、するかどうか何度も迷ったけど…。
最初の1年くらいは、何か私が悪いことをしてしまったから離れてしまったのかと、すごく自問自答してました。
そして機種変をかさねたいまはたぶん、個人情報のデータは残ってないと思う。
すごくショックだったし、5年経った今でも時折思い返してはAのHNとかで検索かけてしまいます。
というか、もう、5年くらい経つのか…。
当時高校生〜高校卒業したばかりだったくらいの私より年上なのに気さくに接してくれて、
作品に対して芸術肌なところがあって、一見すごく芸術的なのに下ネタがえぐくてw、センスが独特で、すごく尊敬してました。
スカイプするときいつも猫が邪魔してくるのと、しょっちゅうスカイプ中にお酒を飲んでて、私が成人したら一緒に行こうね〜って言ってくれたたことを覚えてる。
私はもうとっくに成人してしまいました。会えるのなら一緒に飲みに行きたいなー。
私はそのあとジャンルの人間関係で嫌なことがあってそのジャンル繋がりの人は気の合う数人としか交流は残っていないし。
当時のジャンルの熱が冷めててもいいからまた他愛もないことを話したいよ。
Aがどう思ってるかは知らないけど、そんなに悪い気持ちではなかったと信じたい。
私の方はジャンル友達じゃなくて普通に仲のいいオタク友達として付き合っていきたかったです。
もしまだweb上で誰かと話すようなオタクをしてるならまた昔みたいに話したいなぁって思ってます。
もしも、もしもこれを見て自分がAではないかと心当たりのある人がいたら、私のtwitterのアカウント名はたぶん変わってないので。
連絡ください。
眠れない夜はどうしても思い出してしまうね。
---
ちょっと追記
まどろみながら書いたこともあって書いた日の朝起きたら投稿したこと自体をわりと忘れてたんですけど、
たくさんのひとに読んでいただけてなかには共感してもらえてようで、同じ切なさを感じる人が他にもいるんだなということが知れて嬉しいです。
ネットの繋がりの希薄さって、それゆえにとっても気楽で、その気楽さが好きで、それに救われてもいるんですが、
本当に大切にしたいと思った関係の守り方が難しいですね。
コメントに後押しされて、昔のガラケーの充電器を探し出し、昔のアドレス帳を掘り当てました。
この番号がAにまだつながるといいな。お酒の力を借りよう。
@tomonobu0802 というTwitterアカウントがある。
女性声優は全て生活保護を受ける存在になるから、自分の手であらかじめ潰さなければならない、と言う頭のおかしなロジックを
かなり本気で振りかざし、呼吸するように女性声優アカウントを罵倒する人間だ。無論、彼は誰からも相手にはされていない。せいぜい2chのヲチスレが10年近く機能している程度だ。
ついでに、安いネトウヨで、アジア方面を呼吸するように罵倒しないとおのれの非才さを直視して死んでしまうタイプの人間だ。
どうも15年くらい前はごく普通に同人活動をやっていたようだが、人間関係をまともに構築できないタイプのようで
今やさわるモノ全てにウンコを投げつけるマシーンになりはてている。
また、「俺は過去に3度会社をクビになっている」と、己の信念が社会と折り合いをつけるのを拒んでいるかの如く胸を張っているが、
単に仕事が出来ないのに正社員待遇を迫り、いちゃもんをつけまくった挙げ句に訴訟を行い、示談をもぎ取ったと言うが完全に「手切れ金」を渡されて捨てられただけのことになっている。
この手の頭のおかしい人を遠巻きに見ていると、「批判・反論されることでより自分の狂ったロジックが正しいと確信を持つ」という性向が確認できる。
これはまぁ、陰謀論者も「放射脳」と揶揄される先鋭的反原発主義者も、最近話題の「広義の「しばき隊」」あたりもなんだが
自分の正しさって奴に懐疑を持つ能力そのものを失っている、あるいは自分の正しさを否定するとアイデンティティそのものが消失する人間だ。
彼の抱えている「信念」ってのは、そういう自らの狂気・妄想の類を「正しい」と思い込まないと自分自身も堪えられない「妄執」でしかない。
だから、他人を罵倒しておのれを省みたら必要性を一切感じ取ることさえ出来なくなっている。省みるというのは、おのれの心臓をえぐり出すことに等しいからだ。
こういう人間が、「反レイシズム」だの「環境保護」だの一件社会的に反論しにくいテーマを持ち出して、そこに居る「悪党」に見えるモノを罵倒すると
奇妙なカリスマを持ち始め誰も止めることが出来なくなる。
現在の @kdxn が完全にそれなのだが、かつてのmixiでの彼の傍若無人な態度を知っている人間は、
しばき隊やCRACをバックアップしはじめた頃から「あいつに関わるとろくな事が無い」「奴は人語を繰り出す獣でしかない」と初期から警鐘を鳴らしていた。
その結果が、今のありさまである。
社会運動を、こういう頭の可笑しい、反省する能力の無い人間に仕切らせてはならない。女性声優を罵倒し続ける程度の頭の可笑しい人間程度に納めておかないと
その同人作品即売会であるゲームマーケットが今年は5/5に開催されます。
あまり知らない人もいるかもしれませんが、アナログゲームのプレイヤーははるか昔から日本各地に潜みつつ徐々に増殖しつつあります。
また、その同人活動というのはかなりの勢いで拡大しているんです。
2000年に400人しかいなかった入場者が、2015年には9000人にもなっています。また、出店者も増加する一方です。
アナログゲームはその性質上かさばったり手作業が必要になったりと同人誌や同人PCゲーム以上に大変な作業になります。
それでも出店者も単調増加になっているというのは、なんというかすごい熱意を感じます。
増田各位はアナログゲームといえば囲碁将棋、トランプ、UNO、人生ゲーム、枯山水、7つの習慣ボードゲームくらいしか知らない人もいると思います。
しかし、それらだけではアナログゲームの独特さのほんの一部しか見えていません。
最近のPCゲームとかですごいアイデアだな!っていうのも増えてきましたが、それらをはるかに想像を絶するレベルで何でもありのゲーム、それがアナログの世界です。
その中でも同人作品ともなれば、商売とか規制とかトレンドとか一切無視して「こういうことをしたら面白い!」「こういうことで競いたい!」ということだけを表現する世界がそこにあります。
そこにほんのわずかでも触れてみませんか。
10年ほど腐女子だった。今は興味があるジャンルが数年ほどなくて、以前のように同人活動もしてないし特に萌えるものはない。
腐女子な友人と話す話題も関係ないものばかり。たまに今何が流行ってるかとか、その子自身がハマってるものの話を聞く程度。自分から探してはいない。
まあ腐女子とは言えないにしても、他の一般人から見て腐女子ではないとは言えないこの感じ。
別に何かあったわけでもないけど単純に飽きたんだと思う。今は女性アイドルのおっかけしてる。
腐女子であった頃によく聞いたり見た話なんだけど、ゲイってなんで腐女子攻撃してくるの?
腐女子が描くゲイ?BL?は現実味がないだとか言ってくるけど、そんなの巷に溢れてる少女漫画だとか、少年漫画のヘテロ恋愛話だって現実味ないのばっかだよ。
そうは言っても異性愛の人は別にそれを攻撃するわけじゃないじゃん。まあ絶対数の違いかもしれないけど。
そもそもお金払って現実を買う趣味じゃないよその手のものって。自分はできないだろうししたくない、でも自分がどこまでも関係しない次元が1つ違う話としては面白いから読む。ただそれだけ。
こちらも本当にゲイの人の恋愛に萌えて介在していきたいわけでもないし、人として関わることはしても、恋愛関係まで関わりたくない。
オコゲの友人と一緒にノンケも女も入れる時間帯があるゲイバーに連れて行かれたこともある。そして自分が腐女子なことは言わないようにしようと肝に銘じて会話していた。それは正解だった。
会話は楽しかったけれど、別に普通のバーと変わらなかった。変なナンパに遭遇することもないだけの普通のバー。
ただこちらが異性愛者だというのを知ると、上から目線で的はずれな恋愛アドバイスされるのが納得いかなかったな。なんで自分が上の立場だと思ってるんだろう。
あなた方が話す経験に基づくアドバイスは、ゲイからみたゲイへの恋愛アドバイスにはなっても、異性愛者の男へ効果的ではないかもしれないじゃん。それはどっちもわからないじゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20160208010627
あのねぇ、同じオタクでもアイドルや架空女性にマジ恋するタイプのヲタクってね
基本的に相手のこと考えたり、理解したりするって方法を知らないの
その結果を元に反応を返すっていう人類としての基本機能が死んでるの。
少しは相手のことを考えて行動しろって(まったく正しい)アドバイスしても
頭の中で自分の(見当違いの)考えを思いめぐらせるだけで精一杯。
相手に全部まる投げするのも、本当に頭がパンクして思考停止してるから。
基本的に相手を適度に観察→理解・共感→適切な反応→親密度UPということがムリゲー
だからストーカーになったり、色恋を本気にしたりしちゃうわけ。
お互いにほとんど相手の表情や口調に配慮せず、一方的に自分の話をしてるだけで、
会話が成立していなかったり、相手に反応するとしても
せいぜい知識比べか、ヲタ界隈の決まり文句への定型反応くらいしかできない。
笑顔というか表情・態度にしてもね、相手によって対応を変えるどころか、
表情豊かに生活してないから表情筋が死んでて、感じのいい笑顔も作れないんだよ
そもそも、自分の感情とそれを適切に態度で表現することができないの。
やったとしても、アニメキャラみたいな大げさで演技ががかった稚拙なもの
いつも相手に顔を背け、観察するにしてもボーッと凝視することしかできない
想像できないなら、認知症で感情が死んでる高齢者をイメージするといい。
何を考えているかわからない人って、そばにいるだけで恐怖の対象でしょ
(認知症は認知機能が衰えてるから、怖いというか可哀想なんだけれども)
結論。
ヲタっては(ごく一部の例外をのぞいて)基本的に人の道を外れた生き方してきた人なんだから
人付き合いについて正しいアドバイスをしたところで全く理解できないし
本当は理解する必要性も感じてない。なぜなら自分の感受性に完全な自信があるから。
居心地の良い自分の枠を超えなきゃいけないと考えもしない。
一瞬、予想外の感覚をおぼえたとしても、それはノイズとして直ちに捨てられてしまう。
運良くゲットできたとしても、手に入れたら
感受性が鈍麻してるからセックスしても大した快感も感動も得られないわな。
よく三十路くらいまで童貞だったやつが風俗言って童貞捨てた話で
大したことなかった、気持ちよくなかったとか感想を漏らしているのは
ああいう非モテ男子は基本的な人間としての感度が死んでるから。
生きながらにして死んでるゾンビだよ、世界に色が見えない哲学的ゾンビだ。
リンク記事のオタクおじさんは人としてまともだったみたいだけど、
そういう手合はヤバイ女にひっかかって有り金巻き上げられて
増田にもそういうミソジニーをこじらせたヲタさんがたくさんいる。
人のことを考えられないやつが他人から思われることなんてありえない。
言葉が悪いけど、キモヲタが婚活とか笑えない反社会的行為だから。
合掌
先日から「明日死んだら、後悔する」と思えたことが幸せで、ちょっとどこかでその気持ちを吐き出したかったので増田で。
学校で色々とあって、遺書も書いて、さあ死ぬぞと思ったけれど勇気がなかったので、みみっちく生きながらえました。
けっこう本気で死にたかったんですけどね……
そんな時、ひょんな事から出会った漫画に、本当に命を救われたと思っています。
まあオタクによくある、続きが気になる!という気持ちで、明日を迎えるのが嫌じゃなくなりました。
そしてこの10数年、割と笑えるくらい、オタク的な理由で生きてた気がします。
死にたいと思ってから2年ほど後、この後すっげぇ好きで居続ける小説と出会いました。
10年たってからミュージカルになったんだぜ……?すごいよね。
そして高校生になって同人活動を初めて、たくさんの友達ができました。
今でも仲良くしてくれる子もいるんだぜ。幸せなことだよね。
高校卒業の直前に、今でも同人活動続けているアニメに出会いました。
嫁かわいいよ嫁。
大学に入ってからは、まま死にたいと思うことはありましたが、東京にも行くようになって、本当に例えでもなく、視野が広がりました。
まぁ、こんなオタクでも生きてていいよね的な方向なんですけど……
東京って近いんやな(震え声) 東京での出会いもいいものばっかりだよ!
オフ会の主催をやって楽しかったと言われたり、同人誌の感想をいただけて、本当に幸せでした。
最近では、同じジャンルの友達と旅行に行ったり、好きなロリータブランドの新作を楽しみにしたり。
本当に信じられないのは、中学後半あたりで地雷だったキャラなのに、ミュージカル観に行ったらまさかのドはまりしたことです。
生きててよかった!と思えるのは、何とか生きてたから。
死にたい、と思いながら生きてて、運良くいろいろな事に出会って、なんとか運良く幸せだからと思うから。
なので、死にたいという意見に「生きてたらいいことあるよ」とは絶対に言いたくないです。
生きてていいことあるのは分かるけど、その時までになかったから死にたいわけで。
いいことがあったと思えるのは、生き続けた未来の私。
もし昔死んでいても、運が悪かったからと思う。
だから、昔の自分を否定しないです。本当に辛かったよね、と共感はする。
だんだんとまとまりがなくなってきました!整理してから書けばよかったな。
最近は、中学入る前くらいの元の自分、目立ちたがりで、承認欲求にまみれた奴に戻ってきたよ!やったね!!
割と生きる目標もできてきたので、これからも頑張って生きようと思います。
ほとんど、10年前の私へ。
と言っても私の場合はだいたいマイナーなジャンルにハマり、交流もほとんどせずにちまちまと文章を書いていただけだった。
評価、まあぶっちゃけていうとpixivにupしていたのでブクマとか点数とかはほんの少し。
まあジャンル規模から言っても妥当という感じだが、当初全然これを気にしてなかった。
しばらくマイナージャンルでコンスタントに自己満足的な作品を上げてたんだけど、ある日ちょっとメジャーなジャンルにハマって作品を上げたら、なんと感想が来た。
内容は普通に作品を褒めてくれて「好きです」と言ってくれてる感じのもの。
感想を貰ったとたん何故か急激に恥ずかしくなり、三日三晩ほど悶え苦しんだ挙句作品を全消ししてしまった。
今もオタクだけど完全にROM専でTwitter等のSNSもやっていない。
誰も見てないと思ってたから書けていた。
いやブクマや点数を付けてくれていた人たちが見ているのはわかっていたし、せっかく書いたんだから皆に見て欲しいという気持ちは確かにあったのに…。
なんだったのだろう。自分に自信がなさすぎたのだろうか。
同人誌の発行部数、閲覧数、ブックマーク、ファボで十分満足できるのに。
ブックマーク1万〜1000無いと次の絵はどうしよう、こうしようって燃え上がったり、
地雷踏んだら地雷を消し去るくらい自分の作品漬けにしてやろうとか思うけど、
そこまでコミュニケーション取りたいとは思わないな。
作品が好きとかそのカップリングが好きなんじゃ無くて自分が認められたいとか、
他の人と仲良くしたいだけ何じゃ無いの?
小手さんとかジャンル移動激しい人にそういう人多いよね。
誰がどんな反応しようと私の好きな物を押し付けて私の好きな物一色にしてやりたいじゃん。
そう思えないなら同人活動続けるの難しいと思うんだよね。
「趣味なのになんで金取るの? 見て貰いたいなら無料でネット公開すれば?」
「は、ナニ言ってんの印刷代だって金かかるんだよ有料頒布だって赤字だよ」
「いいものにはちゃんと金払えよなんでも無料で手に入るって思ってんじゃねえよ」
みたいな議論を見かけるのですが。
「Webで無料公開の作品なんて、ちやほやされて喜んでるけど無料じゃなきゃ読んで貰えないカス作品しかないだろ」
て感じで、流れ弾的にdisられることがある。
ネットが普及して無料で読める作品がたくさんあるから、読み手がそれに慣れてしまって、自分の作品まで無料にしろと文句を言われて困るという話も聞く。それは確かに嫌なものだろう、でもそれって、Webで活動してる人間が悪いんだろうか?
そもそも二次創作同人って、原作が好きで、その原作をベースに自分のドリームを乗っけた作品を書いて、それを同好の士と分かち合いたいから印刷して本って形にして頒布してたんですよね。んで、形にするのにお金がかかるから、その一部を読む人にも負担して貰おうってことで有料になってるんですよね? 少なくともタテマエ的には。
インターネット普及以前には、書いたものを沢山の人に読んで貰うにはそのやり方以外に無かったのだろうけど、いまはそうじゃない。むしろ「同好の士と分かち合いたい」という原点に立ち返るなら、読者数を限定されないWeb公開のほうが、ピュアなやりかたと言えるかもしれない。(Webの場合、見たくない人の目にまで見えてしまうという問題はありますが)
もちろん、即売会に参加して生身でやりとりするとか、表紙デザインや装丁にこだわるとか、作った物にお金を出していただく喜びを噛みしめるとか、有料頒布の印刷物を作ってないと体験できない楽しみが沢山あるのは知っていますが、それは派生的なものであって、二次創作の本筋ではないよね。
それを含めて同人誌作りの楽しさだと語ってくださるのは構わない。楽しそうでなによりだと思う。
でも、それこそが同人活動の楽しみだ、という主張には頷けません。
同人誌を作る人もいれば、Web公開を選ぶ人もいる。それは個人の選択であって、どちらが上とか下とか、他人が格付けすることじゃない。
「印刷物としての同人誌が好きだからWeb公開じゃ満足できない」って人がいるのはわかるし、好きにすればいいと思う。でも「同人誌をつくることこそが二次創作の本流、Webでだけの活動は格下」と見下す人が多いのは、どうにも腑に落ちないぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20160107215647
わかるなあ
私はこの人ほど規模の規模ではないけど、最初は自分が萌えるからそれを発散すべく書いていた
一度だけ200部近くだしたことがあるけど、これも見知らぬ人が対面で面白かったです~と一言くれたことがあったこと以外はなかったな
イベントで対面頒布しているから当然ではあるが、読んでくれた人がいるんだなって思ったけれど、それっきり
その後、本家の展開によって妄想の余地がなくなってしまったし、ジャンル移動した
当初はそういう理由で書き始めても、だんだんと自分はこれを書いていて良いのだろうかと気になり始める
反応がなくてもこれは趣味であって義務ではないと言い聞かせるようになると、自分の創作物の価値が気になって仕方がない
なにも発散するだけなら支部に上げなくても良かったんだけど、誰かと共有したいと思ったのが間違いなんだろうな
そこからだんだんと目的がずれていって、最終的には自分のためじゃなくて誰かのためになっている
二年間活動した終着地点がそこで、自分の創作はなんの価値も無い文字の羅列だという認識にしかならなくてしまって、書けなくなった
私はまだ同人活動を続けているけれど、やはりそれも、今は「萌えを発散したいから」という認識が強いためだ