はてなキーワード: 劇場とは
・アメリカや中国では3D版上映あるのに日本では2Dでしか公開しない作品があるのでくやしい
・IMAX3D か MX4D(3D)/4DX(3D)かしかないのでお財布に厳しい(通常スクリーンの3Dがない)
当初は4DX対応新作コンテンツが少なすぎて端境期にパシフィックリム再上映等やっていましたが、最近は逆に劇場数:作品数の比でいうと作品が多くなっており、
今週は「アラジン(6/7~ 長いですね)」「ミュウツウ2週目」「トイストーリー2週目」の三作品が4D上映となってます。(ミュウツーは4D2D)
一般に一つの劇場でだいたい90-120分の映画を1日6回上映します。シネコン1か所につき4Dの劇場は一つしかないので上記3作品でわけあうのですが
本当は劇場で観たかったけれど、色々忙しくっていつの間にか終わってた。
私は中流家庭に生まれ、「何不自由なく」というほどではないが、お金に関して困ったりしたことは一度もない生活をしてきた。
大きな問題もなく、反抗もなく、学校も通って大学も出たけれど、家族仲はとても希薄だと思う。
よくある、父親は子育てに無関心で無口、母親はヒステリックという感じだ。(こう書くと問題ありげだが)
私自身、家族に何か悩みを打ち明けたりしたことは多分一度もない。
家の外にあたたかさを求めたのだ。
こんなタイプの人間は結構友人付き合いなども上手くやっていると思う。
グリマス開始当初から今まで6年間ミリオンライブを追ってきたPです。ですが、ミリシタに完全移行してからはどうにもついていけず、フェードアウトしていっています。まあいわゆる老害というわけですが同じような方も少しはいるのではないでしょうか。
なぜ私がこうなってしまったかというと、ミリシタでのプロデュース感の希薄化、が大きく存在すると思っています。
ミリシタはホーム画面での劇場触れ合いやお仕事コミュ、メイン・イベントストーリーなどでアイドル同士の物語やプロデューサーとアイドルとの物語のそのどちらも多く描かれています。なのにプロデュース感の希薄化とは何だ、と思われるかもしれませんが、これらのストーリーは全て全アイドルの物語を同じくらいの量見ることになります。本来自分の担当している1.2アイドルだけではなく、ミリシタのゲーム内Pは全アイドルを担当しているかのごとくどのアイドルの問題にも常に向き合い、どのアイドルともよく話します。(イベントストーリーはグリマス時代もそうでしたが)
また、グリマス時代、まず画面を開くと自分の担当する3アイドルのマイユニットがおり、挨拶もしてもらうことができましたが、ミリシタではデイリーログインのお出迎えもホーム画面にいるアイドルもランダムです。
私は、52人とのふれあいや物語を遍く楽しみたいのではなく、担当している一部のアイドルとふれあいや物語を楽しみたいのです。イベントを走っている時に出てきた興味のないアイドルのチャンス!や4回以上いちいちスキップを押さなければいけない興味のないアイドルのメインストーリーは嫌なのです。
以上、しがない老害の呟きでした。
さほど問題と思わないんだけどな。
ってか、ギャラ安いのなんて20年以上前からずーっとテレビで言ってるわけじゃない。
「俺は売れる。月何百万も稼げるようになるんだ」って思って所属するんでしょ。
みんな自分の夢叶えたくて下積みして、ときにタダ働きみたいなことがあったり、
明らかにこれ労働基準法違反だよなぁって思いながら耐えてるんじゃないの?
そのせいで大量の芸人抱えすぎてわけわかんないことになってるけど、
去るものも追わないじゃん。あぁそう、じゃあ頑張ってね、くらいでしょ?
あと、衣食住に関して言えばちょっと食えるようになった先輩に住まわせてもらったり、
着なくなった服もらったり飯は先輩が全おごりみたいな文化があると思うから
上映が終わりそうになっていたので、慌てて品川で観てきた。
まるで海のように苦しかった。
ファンとかステマとかではないんだけど、謎の使命感で書き殴っている。
業界のことは分からないけど、作品に携わったクリエイターの方々がちゃんと報われてるのだろうかと心配になって、映画の途中ですっかり気が散ってしまった。
こんなに話題になってなくても、興行として成立するものなの!?
賛否両論なのも理解できるけど、それにしても話題にならなすぎではなかろうか?(はてブ観測しかしてないけど)
届くべき人には、届いているんだろうか、いらぬ心配。
パンフレットでも、海獣くんフィギュアでも、なんでも買ってやるぞという気持ちだったけど、パンフレットは残り1冊だった。
しばらくは部屋に飾ろう。
原作も買おう。
んーーー!!
んーーー!!
んーーー!!
(続き)
これ、『サマーウォーズ』--これは脚本自体は奥寺さんですけどね--の頃からの一貫して細田さんの弱点だと思うんだけど、いわゆるカギカッコつきの“リベラル”的な女性観・家族観の理解がひっじょーに浅薄で浅いんですよ。女性が家長、新しい!女性は子育てをしていて偉い!男はイクメン気取りだけど全然わかってない!主夫の育児なんてドタバタでダメダメ!→ね?俺わかってるっしょ?みたいな意識/無意識ですね。
まず、イマドキ4歳児に「男の子でしょ!」って言って説得するのは“絶対になし”とまでは言えないまでもちょっと古くさい感覚だと思うし、そんなあさーい理解だからサイコ父ちゃんが無慈悲な既読スルーをする一方で、クソガキ様の自転車の練習のとき--この父子モチーフもイマドキ手垢つきまくってませんかねえ--急に古くさい父親のイメージとなるんですよ。要するに無理してかっこつけて大衆に目配せしているおかげで世界観やキャラクターの知能レベルがガタガタなんです。
さらに痛いのがね、ミライちゃんが初めて現われたその動機、ネタバレになるから一応伏せますけどね。何か裏事情があるのかなーと思って見てたらそのまんまで、は?なんじゃそりゃ!っていう。何故そこだけ急に価値観が昭和中期以前になるのかな・・・?キミ、設定上は一応令和時代を育ったんでしょ・・・?ってかそれ、おもしろい、のですか・・・??
ところが、このミライちゃんについては、はあ、それで・・・?未来のミライちゃんにとっての“今”ならまだしも新生児のときのソレってそんな気にするもんなの?というか、我々はリアリティラインをどこに設定すればよいのかな・・・?となっちゃっていて、行動原理が全くロジカルじゃない!ギャグとしても全くおもしろくないし。そもそもね、あれだけドタバタしてたらいい加減お父さん気付くでしょ?何か不思議な力が働いているのかな?ってか結局“現実”ではどう処理されたの?ってのが全く意味不明、というね。
良かった点も一応言っておきましょう!特にクソガキちゃんのクネクネクネクネした動きね!ここに関してはいわゆるアニメーションに疎い私でも「あっこれは気合い入れてるな、金かけてんなー、他の諸作品とは次元が違うなー」と思わせるものがありました!
でもね、それに関しても、「動きリアルっしょ?」「幼児の動きわかってるっしょ?」という自意識が先に見えてしまって素直に楽しめない自分がおりました。ここもなー、動きを見せようというのが先にあって全くロジカルじゃないんだよな。
擁護派の中には、「アニメーションリテラシーがちょっと高くないと」「『話がどうこう』って言い出すとやっぱり『つまんない』って感想が出てきやすい」っておっしゃってる方もいるみたいですけどねー。専門学校生が卒業制作で作る映画の話をしているならまだしも、あれだけ大メジャー作家のアニメーション映画でそれ言い出しちゃったらダメですよ。動きを追求するにしても「話がどうこう」の最低限のレベルはクリアしてくださいよ。そこは逃げないでくださいよ。比較するのはちょっと残酷すぎるかもしれませんが、宮崎監督作品や高畑監督作品の批評でアニメーションリテラシーの高低の話出てきますか?そりゃリテラシーが高い方の方がより作品世界を楽しめる。そういうことは往々にしてございます。両巨匠の作品もそういった性質のものですし、ポスト世代では、庵野監督作品、片渕須直監督作品だってそのように評価できると僕は思います。
しかしね、それにしても、あれだけの資本がついていて、ちゃんと作品に力があればリテラシーの高低にかかわらず、大衆みながそれぞれの立場で楽しめるものになるはずなんですよ、本来は。
極端なこと言えばリアルなアニメーションが欲しいだけならモーションキャプチャーでウニウニ動かせばいいだけの話で。僕は、それ以前の、物語としての最低限の誠意やマナーの話をしているんです。
その象徴として最たるものがあの“意識高い系”住宅。あれ、わざわざ建築家の方にオリジナル建築の設計を発注したとのことですが、あのねえ・・・これ、建築家の方は発注に答えたまでで全く悪くないと思いますが、新生児と4歳児をかかえたサイコ父ちゃんが仕事をしながらワンオペ育児をする家があの作りって・・・。あのう・・・控えめに言って狂ってるんでしょうか?これも「ためにする」デザインにしか思えないというか、あの家の作りでこの家族--暴れ回る幼児たちやこれから年を取るご夫婦--が一人も頭をかちわらずに天寿を全うできたらそれこそ奇跡なんじゃねえかという(笑)。やっぱりねーそこらへんの視点への気配りも含め、とことん不誠実なんですよ。
あとねー、クソガキちゃんについてもですね、「アナルプラグ(笑)」って書いてきたリスナーもいましたけれども(笑)、未来のミライちゃんに対して顔を赤らめて言うセリフとか、“王子様”に対する態度とか、サイコ母ちゃんのアルバム(唐突に出てくる、結婚式のスライドのようなリアリティのないアルバム。あれだけ小綺麗な写真見せといてなーにが“黒歴史ww”じゃい!)への反応とか、カギカッコつきの“東京駅”での振る舞いとか、ラストシーンのミライちゃんの説明ゼリフとか、もうとにかくその場その場で場当たりでてっきとーにキャラクターを動かしているから、まとめて一本の映画として見させられると賢さの設定がぶれぶれなんです。
特にアナルプラグのクダリなんて完全に大人側の欲望の目線やんけ、これのどこがリアルな4歳児なんすか!というですね。
ぶれぶれといえば、こちらも指摘しておかなければなりません。
物語の根幹かつクライマックスにもかかわる、世界観の設定ですね。
ミライちゃんがこれまた脈絡のない説明ゼリフでとあるタブーを説明するんですが、その数十分後にはたやすくタブーが破られる。そして特にペナルティーもない。じゃああの説明ゼリフはなんだったの?観客ポカーンみたいな。
そもそも未来のミライちゃんが全て知ってるように振る舞っているのは何故?とかね。言い出したら切りがありません!
BTTFシリーズのようにパキッと全ての伏線を回収しろとまでは言いませんよ!けどね、作品独自のタブーを出したらペナルティもあわせて説明してくれないと意味ないでしょ!ってかそれって創作における最低限の誠意、マナーなんじゃないんですか?
どういうことか。要するに、タブーが実際に破られる?大丈夫か?大丈夫か?あーとうとう破られてしまったー!そのあと一体どうなるー?、という状況があって初めて我々観客は一緒にハラハラできるわけですよ。たとえるならアレですよ。映画『グレムリン』ありますよね。1984年。ジョー・ダンテ監督の出世作。その中で、例の3つのルール、ありますね。
この作品でたとえるなら、映画内で3つのタブーを説明したにもかかわらず、結局ペナルティはよくわからない。映画の後半でギズモが太陽が燦々と照る真っ昼間にグラサンかけてジャブジャブ海水浴をしている。そんで最後の最後にそれまでの展開と無関係な第4の設定が唐突にギズモの口から語られる。なんじゃそりゃ、みたいな(笑)。もう一体何がしたいの?というレベルですよ。
世界観の設定自体もね、これ、実は初見のとき、クソガキちゃんのインナートリップやらセルフセラピーやらの話かとも思ったんですが、どうもそうじゃない。福山ひいじいちゃんや東京駅のクダリを踏まえると、クソガキちゃんが明らかに経験しえないこと・知りえないことを経験していて、なんでインナートリップのルールからも明らかにはみ出している。
あのねえ、4歳児を主人公にすること、オムニバス形式であること、現実と夢、空想があいまいなことって世界観がグチャグチャであることの免罪符には決してなりませんからね。童話や寓話、不条理ってそういうことじゃあないんですよ。ことほどさように、幼児を、というか人間のあり方そのものなめている所作としか思えません!
細田さん、クレヨンしんちゃん、映画版だけでもいいからもう一度じっくり全部見てくださいよ。全てが100%の傑作というつもりはもちろんありません!ありませんけど、幼児が主人公であること、ギャグマンガであることを世界観の言い訳にしているのはほとんどありませんよ。その上で、幼児の幼児性、第一子と第二子の関係性、ペットとの関係性、親子が親子であること、夫婦が夫婦であること、家族が家族であること、などなど、比べるのもホントおこがましくてしんちゃん側に大変失礼な話ですが、大人も子供も笑えるギャグも交えつつ逃げずに遙かに高度のレベルで達成してますよ。
クレしんとの対比でいえばクライマックスのアレね。あー出た出た細田演出、はいはい。なんて意地悪な僕は呟いてしまったわけですけれども、これもちょっとしたネタバレになっちゃいますが、クレしんの某・大名作映画。監督・脚本は原恵一。ナンチャラ帝国(笑)オトナナンチャラ(笑)の、“あの例のシーン”。これ、見た方はおわかりかと思います。と同じようなシーンをクドクドクドクド・・・。犬まで登場させてクドクドクドクド・・・。そもそも犬ってああやって母犬と別れるのか・・・?違うんじゃねえの(笑)?ってかそれもセリフで説明すんのかーい!見てりゃそれくらい黙っててもわかるわ!それ以前の問題としてに父犬はどこに?ということも含めて、とにかくひっじょーにテンポが悪い!!
あと一つ、これだけは言わせてください。
僕、前から言ってますよね。我々の用語でいうところの、いわゆる一つの“ベロベロバー”問題でございます。
クソガキたちがおどけた何か面白“げ”なことをやれば面白くなると思ってますよね。テレビではそれでいいかもしれないけど映画はそれじゃあ笑えないんですよ。
なおかつ、それ以外のギャグもアナルプラグでしょ!?単に下ネタがダメってんじゃないですが、時と場所と見せ方を選んでください。ただただ不快です。R指定なくていいのか?これ、子供に見せてもいいの?という。
さらに、その滑ったギャグを、全然成長しないクソガキのワガママやサイコ両親の立ち振る舞いで上書きして不快感を増させていくという(笑)。もはや“げ”ですらないじゃないか(笑)!
うるせー!こちらがお前らを「好きくない」んじゃー!とホント上映中心の中で何度叫んだことか。
そんで全然成長しないサイコ両親が終盤あまーい自己満足のセリフを言い合いますよね。はあ・・・。それはまあいいんですが、まずご自分たちのサイコ性に手を当てて顧みていただいて、素晴らしいご両親のご美意識にはお反しあらせられるかもしれませんがご自宅に子供用の転落防止柵をつけるなり、恵まれた収入でハウスキーパー雇うなりしないと死人が出ますよ、なーんてひねくれた僕なんかは思っちゃいますけどね!ええ、ええ、どうもすいませんねえ!ひねくれ者なもので!
これもねえ、今回は残念ながらあざとい部分だけ、“やだみ”ばかり印象に残ってしまいました!
はいカメラパンしました。時間が経過しましたよ。これ省略だよ。映画的でしょ?というのもさー、それはそれでいいと思うし、正直さすがうまい演出だなあと感じたカットも中にはありました!冒頭の息でガラスを曇らすシーンとか、雪のシーンとかですね。でも、これは演出じゃなくて脚本の方の問題かもしれないけど、とにかく登場人物がクドクドと設定を喋る喋る。別に未来の人だからってイコール全知の人じゃないですからねえ?
これもそれなりの理由があれば設定を喋ること自体は全然いいんですよ。
さっきたとえにあげたBTTFシリーズのドクとか、顕著な例ですよね。要は、彼は物語の構造上、観客が知らないことを「知っている」から、タイムマシーンの設定を「知らない」マーティン(=我々)に対して多少くどく説明しても全く嫌みにならないじゃないですか。ちゃんと時間が変わって彼が設定上「知らない」世界のことは観客が知っていても一切説明してないでしょ。
このあたりもなー。知識レベルの設定が全然統一されてない。観客は最初から最後まで悪い意味で置いてけぼり。
たとえばこれ僕からの一つの稚拙な提案ですけどね。ひな人形を巡るくっだらねードタバタをどうしてもやりたいんなら、おじいさんのエピソードも、一見するとくだらない代々の言い伝えである迷信的なナニカを律儀に守りました→そうしたらおばあさんとめでたく結婚できました→ミライまでの血脈が繋がりました→だからミライもそれをなぞったのです、ってすればですね、まあ設定のレベルとしてはひとまず統一できるじゃないですか。そのあたりも含めてとにかく“雑”の一言に尽きるんですよ。
あと、これ、感想メールで指摘していたリスナーもいましたけど、父ちゃん側の血筋はガン無視?問題ですね。誰しもそうですが、父と母が「両方いて」初めて今の我々に繋がるんじゃねえの?おいしいところ、ドラマチックなところのつまみ食い的な、「ファミリーヒストリー」をそのままやりたいならわかりますよ?でもこの映画のテーマって、平凡な一家族の、非・ファミリーヒストリー的な部分にあるんじゃないんですか?
「ファミリーヒストリー」的にいってもですね、もうこれ作品の根幹の価値観の話なんですが、サイコな両親とは距離を置き、血縁を自分からは繋がず、一人で自己完結してアナルプラグで遊んで暮らす一生は果たして「不幸」なのか?「何かしらの罰を受けなければいけないこと」なのか?という問いにはこの映画、実は全然答えられていませんよね。そのように考える人は、排除され、存在しえない世界となってしまっている。ここ、最初にも述べた“この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!”という問いにも繋がるところですが、このあたりも、昨今生産性だなんだとニュースになったりしていますが、イマドキの価値観でいえば、全体としてはどんどん多様な個人の価値観を尊重する方向に向かっていっていますよね。少なくとも、僕個人はかくあるべきだと考えています。「家族派は家族派」、その立場はもちろんそれで否定しないけれども、一方で「アナル派はアナル派」だし(笑)、「乳首派はもちろん乳首派」(スタッフ爆笑)、本当はね、みんな違ってみんないいと思うんですよ。
このあたりも細田さんの“臆面のない傲慢さ”の意識/無意識、いわゆる“やだみ”がどうしても透けて見えてしまっているというか。というよりも、悪いこと言わないからもう細田さんはこれ以上家族のテーマは触らないか、触るとしても設定から脚本から何から全部外注して演出だけに専念する方が良いと思いますけどねえ。僕は。
というか、そもそも幸せって他人と比べてしまった時点で大概幸せにはなれないですからね。“あの”東京駅の“あの”新幹線の設定を踏まえるとどうもここはそういう世界ではないようですが。僕はこの世界は断固拒否したいです。絶対に嫌です。別にひとりぼっちでも本人が幸せならそのままで全然いいじゃねえか、というね。僕なんかはそう思ってしまいますけれども。
あー時間がない!声優のお話とかもしたかったんですけどね。福山雅治さんの意外なはまりっぷりとかね。
結論としては、申し訳ないですが、僕個人は「好きくない」類の映画と言わざるを得ませんが、山下達郎さんの主題歌を劇場の音響で聴きたい方、幼児がアナルプラグを刺して絶頂する場面を超絶作画で見たいという方に対しては・・・・・・オススメです!
(終)
前の週にランダムに決まった映画を私が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという、友人やゲストであっても忖度しない型映画評論コーナー。それでは、今夜評論する映画はこちら!
『未来のミライ』!
はい。山下達郎さんのこの主題歌、やっぱり沁みますねー。かの名作、アニメ版『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』などを手掛けた、言わずと知れたヒットメイカー細田守監督が原作、脚本、監督を務めたアニメーション映画。
これは後ほどの僕の評で触れますけどね、どうも細田監督は脚本を外注するタームに一旦戻した方がよいんじゃないかと僭越ながら思います。というのも、フィルモグラフィを踏まえると、細田さんが脚本に絡めば絡むほど逆にダメさが際立っているのが歴然となるという(笑)。
さて、『未来のミライ』、どんな話かと申しますと、甘えん坊の4歳の男の子くんちゃんは生まれたばかりの妹・ミライちゃんと仲良くできず、両親を困らせてばかり。そんなくんちゃんの前にある日、少女が現れる。声の出演は上白石萌歌さん。『君の名は。』のヒロイン、三葉を演じた上白石萌音さんの妹さんだそうで。これなんかは、僕、勉強不足で申し訳ない。存じ上げませんでした。それと、黒木華さん、麻生久美子さん。スーパースケベタイムこと星野源さんなんかもね、声を当てております。
ということで、この『未来のミライ』、見ましたよ~というリスナーの方から監視報告結果をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は・・・多め。まあ、そんなもんですかね。注目度は高いでしょうからね。ただ、賛否の比率が今回、賛のメールが3割、否定的なメールが4割、そして普通が3割といった感じで。あらそうですか。まあ賛否両論というか、まあ世間的にも今回は否がちょっと多めな感じですよね。
多かった否定的な意見としては、これなんか僕笑っちゃったんですけど、「未就学児にアナルプラグってどうなんですか(笑)」「クソガキにひたすらむかついた」「リアリティラインがずっと迷子。演出が全て茶番」とかですね。みなさん手厳しいですね。一方褒める意見としては「まさに子育て中の自分にとってはくんちゃんの言動が“子育てあるある”でつい笑ってしまった」、「あの東京駅の造形は素晴らしい」、「全く予定調和ではない、ほとんどカルト映画のような展開に細田守のすごみを感じた」--最後のこれ褒めてるのかな(笑)--といったところがございました。
ということで『未来のミライ』、私もTOHOシネマズ日劇とバルト9で計2回、見てまいりました。正直日劇の方はちょっと寂しい、イマイチの入りだったんですけどね、バルト9の方は、休日ということもあったのか、子供連れのお客さんが多い雰囲気でしたね。おちゃらけたシーンでは子供の笑い声があったりしてね。これ僕意外だったんですけどね。
それで、細田守さんの細かい説明、はもういいかな。もういいですよね?
ニッポンの夏と言えばもう細田作品、となりましたね。春はドラえもん・しんちゃん・コナンくん、そして夏は細田作品というね。改めて振り返るとですね、あの押しも押されぬ名作『時をかける少女』以来、なんとキッチリ3年ごとに細田監督の劇場用新作長編アニメが天下の日テレをバックにつけて全国のシネコンでがんがん流れされるという。この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!・・・といった風情でございますが、“ポスト宮崎駿”という形容が正しいかどうかはひとまず置いておいて、現在の日本アニメーションを代表する監督のお一人であることは間違いございません!一方ですね、これだけ大メジャーになっても、細田さんの作品は、毎回変なんですよ、はい。
日テレがバックにいます、山手線にも全面広告出してます、たくさんの有名どころの芸能人が声あててます、主題歌は山下達郎です、で、騙されちゃいけませんよみなさん(笑)!“変”なんです。これも後で触れますけど、残念ながら悪い意味で、ですけれども。
細田さんなりの意識としてはね、今回はこれを描こう、これがテーマだというものがあると思うんです。そして大出世作『時をかける少女』を除けば、特に細田さんのオリジナル作品には、ドーンと太い幹のテーマとして、「家族」たるもの、そのあり方、に明らかにオブセッションがありますよね。ジャンルも角度も全く違いますが、大枠のテーマ設定自体は是枝裕和監督と共通してる、ともいえます。両者とも相手の作品のことは苦手そうですが(笑)。
そして今回は最もそのテーマがわかりやすく出ているからこそ、これまで周辺の諸々で覆い隠せていたダメさが際立ってしまってるという。
これねえ、細田さんのホント悪い癖だと思うんですけどねえ。実生活を作品に反映させすぎてるんですよ。
もちろんですね、ここは誤解しないでいただきたいんですけど、私も含めてですが、まずリアルの生活があって、日々作品をクリエイトしているわけでございますからそのことを安直かつ一概に悪いというつもりは毛頭ございません!我々の業界でも、それはそれはまあ古今東西のあちこちで「リアル」か「非・リアル」か、ということが作品、ひいてはクリエイターとしての評価軸として語られてきた闘争の歴史があるわけでございます。まあここらへんの話はし出すと切りがないからやめときますが、また別の機会に特集でやれたらなと考えています。
ただね、これ、我々とも共通しているんですけど、決して間違えちゃいけないのは、「リアル」だから偉いんじゃないんですよ。そして「非・リアル」イコールダメじゃないんです。“リアルの生活があってのクリエイト”の裏っ返しとして、作品がウンコなら、いくら本人的にリアルなものであってもダメはダメなんです。まあ当然の話ですけどね。言い換えると、てめえ創作をなめてんじゃねえぞ(笑)!というね。どういうことかというとですね、僕が常日頃から大変尊敬しております、故・藤子・F・不二雄先生のですね、こちらも大傑作『エスパー魔美』にですね、こんなエピソードがあります。大変有名なエピソードなのでご存じの方やこの流れでピンと来た方も多いとは思いますが改めてここで引用させていただきます。
主人公魔美に対し、画家である魔美のパパの絵を酷評した評論家がこう言い放ちます。曰く「芸術は結果だけが問題なのだ。たとえ、飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんなに心血をそそいでかいても駄作は駄作。」と。さらに、魔美公の「父の絵が駄作だと・・・!?」という問いに対しても、件の評論家曰く「残念だが・・・・・・」と。
「くたばれ評論家」というタイトルの話ですけれども、前後も含めて気になる方は是非全編読んでみてください。文庫版第1巻収録でございます。これ、我々クリエイターにとっては誠におっそろしい、喉元に切っ先をつきつける真実の言葉ですよ。作品内の一エピソードとはいえ、これを自作で評論家に言わせるF先生のすごみってのが改めて感じられますけども。
これを今回のリアル/非リアルの問題に引き直しますとね、こうなります。はいドーン!!
「結局、創作においては作品が全てなのだ。たとえ、童貞くんや処女ちゃんが作るAVでも傑作は傑作。ヤリチン、ビッチがその経験を総動員して作るAVでも駄作は駄作。」
はい、そういうことでね(笑)、まず『未来のミライ』、何が一番ダメか、というと、これ、あちこちのインタビューで細田監督自身がね・・・これホントダサいよなー・・・言い訳がましく語っているところでもありますが、4歳の男の子が主人公なんですね。で、彼の視点で基本話が進んでいくんですけども、監督曰く、同じ4歳でも、女の子じゃなくて男の子がいいという。そんで、監督が女の子と男の子の二児をもった経験をそのまま持ってきているという。
これねえ、頼んでもいないのにてめえで勝手に4歳男児を主人公にしといてね、4歳男児だからね!彼の目線だから!そういう体で!大目に見てよね!って言い訳にしてもクソダサいにもほどがありますよ!細田さん、昔はそんな人じゃなかったでしょ!?
なんでてめえんちの、オチもかわいげもないクソガキのホームビデオを延々と見せてんだ!っていう(笑)。一億万歩譲ってですね、ホームビデオだとしてもいくらでも演出のしようがあるだろ、と。こっちは先週ガチャが当たったおかげでクソガキのホームビデオ鑑賞に1800円の2回、合計3600円自腹で払ってんだぞ(笑)!っていう(笑)。まあ、最後のは僕だけの事情ですけど(笑)。
別にね、幼児を主役にすんな、ホームビデオを劇場で流すな、ってそんな単純な話じゃないんです。北野武監督の『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』のいわゆる芸術3部作ね。僕なんかは敬愛を込めて“偉大なる失敗作群”と呼んでますけど、あれらだってフェリーニの『8 1/2』方式といえばよいんでしょうか、意地悪な言い方すると豪勢なホームビデオっちゃあホームビデオですよね。それでもK.U.F.Uややり方次第で、いくらでも幼児ならでは、ホームビデオならではの特性を生かすことはできるんですよ。
これ、他の幼児キャラと比べるとはっきりわかると思うんですけど、みなさんご存じ“嵐を呼ぶ園児”野原しんのすけ!これはまあちょっと特殊な例ですけど、もう少しリアルよりのちょっぴりわがまま幼児といえば『トトロ』のメイちゃんなんかもそうですね。あと、変化球としては、F先生のオバQだってその言動だけ捉えたら幼児的な異物といえます。
どういうことかと申しますと、もう名前も言いたくないな(笑)、今回のこのクソガキ様の挙動がビタイチ、ホンットビタイチおもしろくもない、かわいらしくもない、ムカツクだけ。“好きくない”?はやんねーしはやらせねーぞ。
要するにですね、このガキ、いや、おガキ様、ほぼ全編に渡って、人間のむき出しの感情や欲望を、アクセル踏みっぱなしで発散しまくる、という非常に独特かつ個性的なキャラクターであらせられ、たてまつられ候なわけなんですね。で、ここを「面白い!かわいい!」と思える大変奇特な方も世の中には一定数いらっしゃると思います、あるいは、残念ながら僕のように「このクソガキ!」っていう風にやっぱり、拒否反応を感じてしまう方もいらっしゃると。これはねえ・・・もうしょうがない!
いや、実はしょうがなくはないんですけど。僕なんかはね、僕は自分の子供もおらず、あと僕自身末っ子なんで弟感、妹感ってのがイマイチわからないですけど。でもね、その人の実生活上の“あるある”なんぞに頼らざるをえない時点で作品としてはその時点で“負け”なわけなんですよ。
どういうことが言いたいかというとですね、先ほどの例であげた『トトロ』のメイちゃんね。これ、宮崎監督さすがだなあと思うんですけど、ダダをこねるシーン、グズるシーン、いずれもひじょーにロジカルに「何故彼女がそういう行動に至ったか」というのが、お父さん、さつきちゃんとの関係性も含めてストンと腑に落ちる作りになっている。しかも説明的なセリフもほとんどなく。
さらに悪いのはですね、クソガキのダダこねに対してお父さん、お母さん--こちら星野源さん・麻生久美子さん自体は好演だったと思いますけど--が突如ですね。表現が過激で申し訳ありませんね。白痴になられる(笑)。要はキャラクターとしての一貫性がないんですよ。
どういうことか。産休明け出勤時のお母さんは目の前に居る4歳児の甘え要請をガン無視(笑)。いやいやいや・・・(笑)。第二子が生まれたときの第一子のフォローって別に特別な知識や経験がなくたって、“人として”ちゃんとやってやんないとヤバいのは直感でわかるでしょう?
そんで、自宅で仕事をしているとはいえ、4歳の幼児と新生児をかかえてワンオペ育児父ちゃんの、千と千尋の父ちゃん母ちゃんにも匹敵するレベルの無慈悲な既読スルー(笑)。『風立ちぬ』の堀越二郎だってもう少し周り見えてたぞ(笑)。マジでこいつらサイコパス夫婦なの?何か目に見えない妖怪的なものに取り憑かれているとかそういうこわい系の話なの、これ?というね(笑)。他の作品でこんなの見たことあります?っていう感じですよね。僕、見たことないです。
あとねえ、僕個人的に一番許せないのがね、劇中、クソガキがミライちゃんにとあるひどいことをします。この“ひどいこと”自体も、「ためにする」展開の脚本でしかないんで、ただただ単に不快なだけなんだけど、その現場を見ていないはずのサイコ母ちゃんが「何で仲良くできないの!仲良くするって言ったでしょ?!」と頭ごなしに怒るんですよね。僕、子供いなくたってわかりますよ、一番やっちゃいけないっしょこれ。これもねえ、怒る前に母ちゃんの些細なイライラエピソードを入れるとか、クソガキが所在ない感じを示唆するとか、怒ってしまった後の後悔の瞬間をちらっといれるとかだけでも相当違うと思うんですよ。もちろん説明セリフじゃなくてですよ?少なくとも映画における省略技法ってこういうことじゃあないと思うんだけどなあ(笑)。
(続く)
私は関西ジャニーズJr.が好きだ。
そんな関西Jr.のメンバーが、比較的行きやすい愛知で舞台をやることが決まった。初演を観に行けなかった私はこの機会を逃すわけにはいかない!と愛知公演を観に行くためチケットを取った。
舞台を本当に楽しみにしていた。しかし、私の観劇の記憶は、近くにいたマナーの悪い奴のせいで全てぶっ飛んでしまった。
なぜマナーが悪かったのか。
その公演には関西Jr.の人気メンバーと最近卒業した元関西Jr.が見に来ていたのだ。
大阪は仕事があって見にこられなかったのかな?遥々愛知まで来た2人に対して何も言うことはない。素晴らしいことだと思う。
でも2人が来たことで、私の近くにいた奴は最悪の観劇態度になってしまった。
まず幕間で2人が見学に来ていることを知ると、騒ぎ始めて何度も後ろを振り返り始めた。この時から、何か不穏な気配を感じ始めた私。「うわ、こいつ二部が始まってからも騒ぐかも」と嫌な予感がした。
予感的中。
二部が始まる直前、何度も後ろを振り返り、隣の連れと話し始め、挙げ句の果てには泣き出したようだった。(おえーーーーー)
舞台の明るいナンバーの時は隣としゃべるしゃべる。明るい曲調だからってお前が喋っていい時間ではねぇからな!!!お前の声が響くんじゃ!!!
おまけに暗闇の中、スマホを何度もつけたり消したり。ライトがチカチカ視界に入って気が散って仕方がなかった。観劇中にスマホを見ないって常識じゃないの!?!?
何やら文字を打っていたようで、Twitterに見学情報でも一早く流したかったのかなと予想。それか盗撮か?
他にも鞄をがさがさやる、水をぐびぐび飲む、鼻水ずるずるやる、前のめりになる、もう観劇マナーで悪いとされていることのオンパレード。
逆によくぞここまで悪い態度で観劇できるな??
私はストーリーに全く集中できなかった。隣の方は余計に辛かっただろうな。隣じゃなくても相当目障りだったし。
本当に劇場が暗転すると、光がついてるだけでも目立つし、目障り。それに小声で話しているつもりでも、皆が黙っている環境では響くし、雑音でしかない。
なぜ小一時間ただ黙って座っていることができないのか?
そもそもお前は何を観にきたの?舞台を観にきたんじゃないの?主演の2人の頑張りを見にきたんじゃないの?見学目当てなの?見学が来なかったら興味がないの?
ていうかそもそもお前は、見学に来た2人のことさして興味ないだろ!!!だけどたまたま近くの列にいるから騒いでただけだろ!!
注意をしようかとも考えた。でも隣というわけではなく距離があったし、自分が声を出すことで舞台の雰囲気を壊したくないという思いがあってできなかった。
それに、態度悪い奴は学生ぽかったけどどんな奴か分からない。変に目をつけられるのも嫌だし、そんな基地外と関わり合いになりたくなかったというのが正直本心かも。
座席も列の真ん中で、中抜けしてスタッフに言いにいくのも行きづらくて、二幕はどうやればそいつを追放できるかずっと考えていた気がする。結局できなかったけど。
そもそも劇場にいるスタッフは巡回とかしないんだな?!普通しないのか!?松竹座のお姉さんの素晴らしい取り締まりに慣れてるから、スマホの光が明らかに目立ってるのに注意しに来ないスタッフにも腹が立った。
見学目当ての奴の態度は、舞台を壊す。周りにいる他のお客さんの思い出も壊す。
害でしかない。
もう本当にお前のせいで、楽しみにしていた舞台の記憶が怒りしかないわ!!チケット代弁償しろ!!
以上が、(周りの)席運のなかった私の体験。怒りを吐き出せて少しスッキリした。
前置きが長くなってしまったが、そもそもジャニーズが見学に来る限り、一定層は民度の低い奴がこういう態度を取ってしまうことは充分に考えられる。
ジャニーズJr.の場合、先輩や仲間の舞台を見学に行くことは貴重な勉強の機会だ。正直見学と重ならなければ、こんな思いをしないで済んだのかもしれないと思ってしまう部分もあるけど、見に来るJr達は全く悪くない。
じゃあ今後どうすれば見学がいる時でも、マナーが守られる雰囲気を作ることができるのか。
偏見かもしれないが、地方ほど見学に沸き立つ気がする。都会の人は芸能人いてもそんな見向きもしない的な理論で、地方だと普段見られる機会が少ないから、見学にも騒ぐのかなと。
だけど、例えば関ジュの場合大阪公演に見学目当てで申し込んでることもありそうだし、大阪だから騒がないってことはないか。たまたま民度が低いのが集まってるだけなパターンもあるか。非現実。
見学でギャーギャー騒ぐ奴とか、マナー悪い奴って大抵1人ではないイメージ。連れがいるから気が大きくなって、少しぐらいという気持ちが加速してマナーを守らなくなるのかなと。全く理解はできないけど。
だけどこれは民度の低い一部の話だけで、マナーを守っている人には何の関係もない。非現実の極み。
よく帝国劇場とかの関係者しか入れない小部屋みたいなところなら、おたくに気づかれずに静かに観劇できるのかな。でもその部屋でも見つける奴いるもんね。どうしようもないか。そもそもJr.だって普通に観劇したいよね。ほんとお疲れ様ですわ。
⑤雑誌・webなどで観劇マナーについてJr.から呼びかける。
これはもうやってくれているJr.もいます。それでもわきまえない奴はどういう脳神経してるの??
舞台が始まってからも後ろ振り返る奴のことはしつこくdisってほしい。
きちんと注意を呼びかけるJr.は私の中で好感度爆上がりするなぁ。
⑥劇場スタッフが巡回し、マナーの悪い客がいたら注意してもらう。
これが1番現実的か。中々客同士では言いにくいことでも、スタッフの言うことだったら聞いてくれるかもしれない。なんならスマホ触ってる奴なんて退場させてほしい。
(松竹座のスタッフさん達いつも素晴らしい声かけをありがとうございます。やっかいなおたくもいる中でご迷惑をかけてばかりだとは思いますが、これからもお世話になりたいです。)
結論を先に言うと
私は疑似恋愛したいわけじゃないし
結論、この界隈は私の行き着きたいところではないことに気付いてしまった
私は元々演劇を見るのが大好きだった
人に誘われたりしたらなんでもホイホイ見に行っているタイプだった
頻度は月に1、2回だろうか
その中で2.5を見る機会があって、最初は「なんか金はかかってるのに演者のレベルが低い」と正直に言うと思った
(もっとかけられる予算が少ないけど演じている人の熱意が強い作品もあるじゃないですか?)
でもしばらくした後に映像でその公演を見かけて、その時に彼らは見違えるように成長していた
私は(あ、これが面白いんだ)って気付いて2.5に通い始めた
演劇を始めたばかりの新人だった子たちが通う度に成長していく様子に楽しさを覚えた
この感覚は2.5以外の演劇ではあまり感じられない機会だった(おそらく2.5以外で演劇やってる人達ってその大半が「演劇がやりたい」って強い気持ちでやってるから技術的な不足を感じることが少なかった。2.5の俳優のほとんどは元々は演劇がやりたいという動機でこの世界に入ってないんじゃないだろうか?技術的な不足があることが新鮮で面白かった)
めきめきと成長をみせる彼にいつも感動させられ、その姿勢に人間的に尊敬できると思った
そんな彼の個人イベントがひらかれることになった。同じ人が好きなまわりがみんな行くというので行きたいかもしれないと思って行ってみたんだけど
(サラっと行ってみたと書いたがチケットはかなりの争奪戦で、転売から買ったわけではないがなんやかんやでそこそこの金額を払った)
その前から彼の出演する他の劇場には身綺麗にした女の子たちがたくさんいて
それ自体には良い印象を抱いていた
でもその会場にいた女の子たちは「身綺麗」ではなく「華美」で、なんかその着飾り方が下品で安っぽくてアホみたいだった
ロリータ1歩手前のどこで買ったのかわからない3800円くらいで売ってそうな安っぽいワンピース(後述するが服が安っぽいのが悪いんじゃないからそこは誤解しないでほしい)
それを知った時、私はこのアホみたいな女子とチケット戦争してたのかと思うとばからしくなってしまった
このアホみたいな着飾り方した女の子は俳優と繋がりをもって彼女になりたいと思ってるのかもしれないけど
当たり前だけどすでに彼女はいるだろうし、この中から彼女を探すとは思えない
(とくにその俳優さんは真面目でファンの女の子に手を出さなそうタイプだった。実際にもそういう「繋がりをもってくれない」「硬い」「同性の友達でも普段から付き合う人を選んでいる」と“繋がりたい”ファン界隈から噂があった。私はそういう生真面目なところに好感を抱いていたし、魅力を感じていた。絶対にファンに誠実でいて欲しいと思っているわけではないが、たとえ見せかけだけだとしてもそういう姿勢でいてくれることに人として尊敬できると思った。たとえばアルバイト店員に置き換えたら裏で客の悪口を言っていたとしても、表で真面目に接客していたら、私は店員として優秀だと判断する。裏で悪口を言っているのを知っても、店員としての職務を十分に果たしてくれているなら私はそれでかまわない。それと同じだ)
そのためにするのが3800円の下品なワンピースで数万するチケット(何割か、結構な割合で転売に出されていたのに席は満席だったから何割かは10万近くの金を出していたのだろう)を買うこと??
そして輪をかけたように彼女たちは語り始めた「私たちみたいにオシャレしてきてない人たちなんなの?ダサい。そんなんじゃ認知されない」(お前の方が勘違いでダサいわ!)
好きな原作アニメタイトルが好きで2.5からその俳優のイベントに来た人が言った「オシャレしてないオタクがちらほらいる〜」(お前もたまたま2.5に行き着いただけの元2次元オタクじゃねーか!)
もうみんなバカじゃねーかと思った
いや、バカなんじゃないんだよな
なんか“幼稚”
オタクを脱してオシャレに目覚めたとたん(それも勘違いオシャレ)普通のカジュアルな格好の人をdis
いや彼女たちのファッションをそんなにdisりたいわけじゃない
(正直なところ数万のチケット買ったりグッズを買い漁るならそんな安い服じゃなくて1着5万前後の上品で華やかなワンピースくらい買えよ!と思うけどファッションをメインに叩きたいわけじゃないからこの件は終わる)
でも俳優くんがアホな男だったらこの若くて3800円ワンピの女の子に簡単に落ちてしまうのかなと思うと
なんかも〜男も女もレベルが低いというか
私はきっとこの子たちとかなり年が離れているせいかそのレベルの遊びに興味示せないというか
ってことに気付いてしまった
(非ガチ恋勢をdisするのも意味わかんない。ガチ恋したいならそういうダサいと感じる人はライバルになり得ず都合のいい存在なのではないか?結局恋に恋しているのだ。推し俳優のために努力する自分が好きなのだ)
あんまりそういうことしなさそうな真面目そうな俳優さんにも、こういうリアコまがいの勘違い女がたくさん沸くことにげんなりしてしまった
この子たちは彼の何が好きで来ているんだろう?
どこに目をつけて見てたら真面目に仕事する彼に、覚えてもらいたいとか繋がりたいとかそういう感情が出てくるんだろう
どこに魅力を感じているのか?
それが判明するのはイベントの後だった(イベント自体は楽しかった。推しくんは今日も頑張っていた)
イベントの中で彼が言っていた。2.5俳優ではない別の本来の夢を叶えたいと。
そのことに触れて彼女は言った
「はやくあきらめてほしい」
するとその席にいた私以外の全員が同意し始めたのだ
(え)と私は思った
続けざまに他の子が声を上げた
私の違和感は強くなった
私は彼の人間的な部分に感銘を受けて好きになった
彼が望むなら、今は2.5俳優で経験を積んで、ゆくゆくは本来の夢が叶えてほしかった
その同調の流れに私は黙り込んだ
2.5の深い部分は、3次元の男を知らない女たちの幼い恋愛ごっこなのか
若手俳優たちに求めるものは、彼の幸せではなく、自分たちのコスプレオモチャでいてくれることなのか
もちろんみんながみんなこうではないと思うけど
なんて残酷なんだろう
遥かにアイドルを「人間的に尊敬して推している」人たちが多かった
ましてやアイドルの先にある本当の夢を「あきらめてほしい」なんて言う人はいなかった
あーあ。
どうしようかな
・ヤマカンとは
ヤマカンというは山本寛監督の別称。京アニ傘下出身で、ハルヒEDで注目されてらき☆すた降板で話題になり
その後かんなぎやBRSの頃は評価悪くなかったが、フラクタルで内輪揉めを起こし、
WakeUp,Girlsなるアニメ作品と同名ユニットを立ち上げ、ユニットはそれなりの人気で
今年活動終了したが、アニメは劇場3作TV2期あったものの、こちらも揉めて途中監督降板してる。
以前から煽り耐性がなく、炎上するたびにまとめサイトやアンチに対して通報した結果
揚げ足は取られなくなったが、比較的中立だった映画評論家・アニメ関連ライターに留まらず
盟友だった音楽チームのMonaca、(彼の言う意識の低い)一般ファンまで常態的に罵るようになり、
誰も触れられない雰囲気になり、ようやくクラウドファンディングで制作に漕ぎづけたのが今作。
・『薄暮』について
公開2日目にして20人くらいで少し寂しい感じではあるが、クラファンに参加してそうなおっさんや
福島県いわき市舞台だから見にきたのか、年配のカップルも居た。
先月試写会かなんかで、未完だの廃業だの話題になってるのに
内容的に悪くないとかいう評価が出ていて、少し気になっていた。
凄く簡単に言うと、福島県いわき市を舞台にして絵画と音楽を中心にした、こじんまりとしたガールミーツボーイの佳作だった。
作画は別に期待していてなかったからか、最後の演奏シーンは止めが多いなとは思うものの
平松禎史や追崎史敏も参加していたし、未完云々は炎上マーケティングだろう。
WUGより近岡キャラデザの素朴さが表現できていたように思う。
テーマが弦楽器と地方都市で、必然的に音響と背景がクローズアップされるので、作画は気にならない
物語の高校の吹奏楽部は強豪校であり、主人公たちの音楽部(ストリングス中心)が
人が集まらないという設定は京アニの『響け、ユーフォニアム!』に対する当てつけに思える。
(企画立ち上げ当初はバンドの『けいおん』を意識していたのかも)
また主役男女2人の接点でもあり、タイトルである薄暮は、『君の名は』の片割れ時を想い出させる。
舞台装置として同じだろうが、ファンタジックな新海作品よりも現実的な立ち位置。
他にも主人公のセリフで生理という単語を入れたり、自宅のベッドで上着を脱ぐシーンなど
明らかに狙った少女演出がある。ここはジェンダーやアイドル論的な視点で議論できそうだけど、他の人に任せる。
テーマ的には震災はあくまで遠景的なもので、基本は主人公の初恋などの淡い成長など非常にシンプルなので、
新海誠や山田尚子のようなフェティッシュだったり繊細な作品に比べると、物足りなさを感じる。
声オタ的には、主演の男女2人は役柄の演出もあって、特に違和感はない。
ヤマカン作品では常連の花澤香菜と下野紘に、同級生友人2人は雨宮天ちゃんと佐倉あやねるのシンカリオンコンビ
を配置して、声オタ的にも十分に満足できた。
特にあやねる『プロメア』のようなステレオタイプなヒロインよりも、今回のウザねるが圧倒的に魅力的。
WUG関連だと島本須美も出てるし『らき☆すた』の頃からの福原香織、大坪由佳
こにわ、大橋隆昌とか懐かしみを感じる面子も。
依頼のメールが来て、「最近嫌なことが続いて疲れている、私の自宅で良ければ来て話を聞いてほしい」って依頼が30代ぐらいの女性から来た。
さっそく彼女の自宅に向かうと、そこは割と新しいアパートで、玄関のチャイムを押すと依頼者の女性が出迎えてくれた。
室内は2DK、入って真っ直ぐ行ったとこにある狭い部屋には低いテーブルとかテレビとかが置いてあって、ものすごくゴチャゴチャしてた。
そこにはなぜか男性が寛いでて、どうやら彼は依頼者の結婚相手らしい。
その後もう一部屋の寝室に案内された。
そこには布団が二組敷きっぱなしになっていて、そこで私は依頼者の話を聞いた。
どうやら彼女は劇団に所属していたらしいが、よくお世話になっていた劇場が閉鎖して、劇団はやむなく解散してしまったらしい。
その後も色々ネガティブな出来事が続いて、精神的に滅入っていた。
しばらく聞き手に専念していたら依頼者は結婚相手の話をしてくれた。
「彼は一見キツそうに見えるけどとても優しい」「私も彼もずぼらだからすぐに部屋が汚くなってしまう」とか、惚気話を聞かされた。
惚気話をしているときの依頼者の表情はとても幸せそうで柔らかくて、辛いことがあっても二人で乗り越えてきたんだな、良い関係性だな、と思った。
ティーポットを片手に寝室に入ってきて、「お茶を出そうとしたけどカップの場所が分からない」と彼女を連れてキッチンに向かっていった。
寝室に一人残された私は、漏れ聞こえる二人の仲睦まじい会話を聞いていた。
するとなぜか涙が出てきた。
(依頼者の前で泣いちゃだめだ)と思っても全然止まらなくて、二人が戻ってくる頃にはボロボロに号泣していた。
それでも二人は動揺せずに、落ち着いて私のことを見守ってくれた。
顔を上げて「ごめんなさい」と言おうとした瞬間に、目が覚めた。
通報して規制してもらおうが、垢を消してもらおうが、捨て垢分身の術やプロキシだのフリーWi-Fiスポットだので来る
スルーしても「お前ら何も言わないから居てもいいんだね^^」と言わんばかりにずっと居座る
ここで例えりゃパリコレクソ野郎とタイトル会話アスペだな、パリコレチンカスキチガイクソ野郎はこの前犯行声明投稿してたけど、もうアレ人間じゃねえや、低能から凶暴性奪った代わりに粘着能力を強化した感じ
結局、反応しようがしまいが出るとこ出ようが、人の動きを制御なんて出来ないし、善意の一般ユーザは荒らしという悪意で動く者に絶対に勝てないんだわ
だからこっちから出てくしかない、こうして残るのはキチガイのオナニー劇場だ
やる側がやったもん勝ちなのってホントにもうね