はてなキーワード: プライオリティとは
ずっと死にたい仕事辞めたいもう無理ばかり言っている。言っているし思っている。
鬱っぽいけれど、それとは違う。死にたいと思うほどの苛立ちや虚無感のひとつひとつにきちんと理由があり、それが積み重なって、とても抱えきれない大きな懸案になっているのがわかるからだ。
そのひとつひとつは本当にくだらないことだったりする。だからいちいち名前をつけずに「新しいフォルダー」「新しいフォルダー(1)」「新しいフォルダー(2)」てな感じで保存していたら、いつのまにか私のデスクトップは「新しいフォルダー(∞)」でびっしり埋め尽くされていた。心が痛い時に、痛みの患部がわからない。辛いけれど、何がいま辛いのか自分でも本当にわからない。
つらいつらいと言っていれば当然「なにがつらいの?」と話を聞いてくれる人がいる。その時は本当にそう思ったから「仕事が忙しくて」と答えたら「休んでみたら?」と返ってきた。なにか違う気がする。実際少し休んだところでなんの解決にもならなかった。仕事が忙しくて、というのは本音だけど、私が抱えているのは「仕事が忙しい」という悩みだけではないからだ。
「(慢性的に)仕事が忙しい」「(今日は)仕事が忙しい」「取り掛かっている作業が苦痛」「会社の空気が淀んでいる」「同僚が気に入らない」「上司に不満がある」「仕事を変えたい」「仕事を辞めたい」「働き続けたい」「キャリアアップしたい」「一般職に転職したい」
仕事の悩みと一口に言っても、常に25個くらいの悩みが矛盾しながら混在していて、頭のなかで渦巻いている。給湯室トークで上司の悪口を言い、少し気が晴れても、まだもやが残る24個の悩みが消えずにある。
そんな風に、人生のことを沢山悩んでいる。
ひっくるめて、死にたいに繋がるんだと思う。
死にたくないけど、死にたいと思う理由が5246853個はある。5246850個を超えた頃かはわからないけど、この3ヶ月くらいで明らかに「悩みが多すぎる」と気づいた。きっと私の容量はもう数パーセントしか残っていないのに、悩みを削除できていないのでこのままだとクラッシュする。
お酒に逃げてしまう癖がついた。自我のあるときは悩んでばかりいるので、お酒を使ってぶっ飛ぶことで目をそらしていた。歩けないくらい飲むことが増えた。その瞬間は楽しい。そうやって生き延びている、という感じがする。
お酒が新たな悩みを生むこともあるが(「お金が減る」「身体が悪くなる」「人の信頼を失う」など)、そうしないとクラッシュしてしまうので、お酒を飲んだ。こういうとき、悩みを天秤にかけているんだと思う。パソコンの例えを続けると、「仕事の悩み」が5MBの大きさだとして、「お金が減る」が4000KB程度の悩みなら、仕事の悩みを一旦忘れさせてくれるお酒を飲む。容量がグンと増えた気がするからだ。
実際はなんの解決にもなってないし、むしろ悪化しているのは気づいている。
解決しなければいけない。悩みを減らさなければいけない。すぐには無理でも、デスクトップ にある無数の「新しいフォルダー」に名前をつけて、カテゴライズして、プライオリティをつけていかなければいけない。今すぐ捨てられる悩みもきっとあるだろう。可視化。悩みの可視化をしなければならない。
さもなくば、私は死んでしまうと思う。
死にたくない。
いまだに十戒や二十則を「踏むべき手順」として持ち出してくるって、うみねこでミステリ知識止まってる人か?
それはともかくファンタジーとミステリの相性が悪いというのはあながち間違ってないし、
ループもの×ミステリはミステリ史的には「SFミステリ」に分類されるものだったと思う。
ミステリ読者には事件や探偵の前に「厳格なルールづくり」にプライオリティを置く人が多くて
そういう人たちが「ファンタジーミステリはなんでもありだからダメなんだ」と言う
こういう人たちの主張にも一理ある
ファンタジーとミステリをかけ合わせた作品には「ルール設定」をぼかしているものが多い
あんまりその世界独自のルールをカチカチに固めちゃうと読んでる読者の方が「お前の決めたルールやんけ」と白けてきちゃうし
じゃあ逆に現実世界の物理法則やロジックにそった解決へもっていくと「ファンタジーの世界観にした理由がわからない」と文句がつく。
どっちにしろ、負け戦なわけだ。
しかしその困難を乗り越えてファンタジーミステリを書いてる人は多いわけで
魔法が発達してヴィクトリア朝以前の宮廷文化が保持された並行世界のイギリスで密室殺人が起きる。
当然「犯人は魔法を使って殺したのでは?」みたいな疑惑が持ち上がるわけだけれど……。
このミステリで使われた「魔法世界でミステリをやるときのメソッド」は良くも悪くもその後のファンタジー・ミステリの規範になった。
西澤保彦『七回死んだ男』
主人公である少年の偏屈な金持ちの祖父が殺された……と思ったら次の日に何事もなかったかように殺害日の朝に逆戻り。
少年はなんとか祖父を助けようとするんだけどその度にバリエーション豊かに殺されていく。
どうやったら殺人を防ぐことができるのか? そもそもなぜループするのか。
魔法使い版『11人いる!』というか『そして誰もいなくなった』というか
魔法世界で起こる殺人を扱った作品としては『魔術師が多すぎる』を彷彿とさせるが
アニメ化もされたんだっけ?
割合「剣と魔法」系ファンタジーミステリとしては最高傑作の部類に入るとおもう
特筆すべきは「その世界でのロジック」にちゃんと拘っているにもかかわらず
ちゃんと読んでて納得させられるというか、「お前の決めたルールやんけ」感が少ないこと
物理法則をファンタジー寄りに、ロジックを現実世界よりに構築したのが成功の原因ではないかな
いわゆるスチームパンクの世界観でミステリやるやつで分類的にはSFミステリでもある
「おまえの胸先三寸やんけ」にやや傾きがちなところもあって、それで批判されがちだけど
『人間の顔は食べづらい』は『ソイレント・グリーン』、『東京結合人間』は『ムカデ人間』と
みもふたもない……もとい親しみのあるホラー設定の世界でガチ本格を作る若手随一の実力派。
異世界本格のロジックは今後、この人の作品を基礎にしていくとおもう。
設定のセンセーショナルさに反していまいち弾けきれない部分があったが、最近刊『人間の顔は食べづらい』でネクストステージへ到達
「剣と魔法」でもホラーでもSFでもない、童話ファンタジー風の世界観を基礎にしたガチ本格が特徴。
みためはかわいらしいが、倫理のタガが外れたヤバいキャラや話が多い
マストリードは『スノーホワイト』。『白雪姫』に出てくる鏡がもし現実に存在したら……を天のはてまで突き詰めた傑作だ。
吸血鬼や狼男の存在する20世紀初頭のイギリスで繰り広げられる大活劇
ミステリとファンタジーとアクションのバランスがとれていて、わりあい読みやすい
残りの190数冊はどこかって?
ふふ、それは君たちの頭のなかに眠っているのさ。。。
うちの親父も祖母もマウンティングする人間だ。祖父母姉は表向きそういう態度を取ることはない。
比較されて育ったこと
かつ
色々な点で一番と褒めそやされて育てられたこと
だと思っている。
マウンティングって、確か、自分が優位であることを示そうとして、自分の存在を誇示することであるので、
比較されることと自分が優位であることを認識することから始まるような気がする。
彼らはマウンティングを恥ずかしいことだと思っておらず、
自分は恥ずかしいことだと思っているのにやめられなくて苦しんでいるという所か。
マウンティングは他の動物と人間とでマウンティングした結果もたらすものが違うかどうかはわからないけど、
少なくとも人間社会では、マウンティングは個の優位性よりも、協調性のなさや性格の悪さを表す指標として
使われていると思う。
ちなみにマウンティングという言葉が流行りだしたのってここ2,3年の話なのか?
2、ひとりで行動できる人間について
数日前にツイートで、
学生時代は協調性が重視されるのに、就活以降社会人はひとりで行動することがいきなり要請される
というものを見たのだが、そのとおりだと思った。
その理由は、多分、祖母に箱入りで育てられて母には放置されて育って、
自分のことを自分でできない人間として育ってしまったからだと思うんだけど、
どういうことをひとりでやればひとりで行動できる人間になるんだろう。
自分は部活も進路も好きなことをやることを許してもらえない状況下にあったし、料理とか掃除の教育も受けてないから、
本当に子どもの頃、ひとりで行動することも、その積極的な動機(インセンティブっていうの?)もなかったと思う。
やっぱり教育大事だし、好きなことなら一人でやる勇気も出たと思うんだけど、どうなんだろう?
3,根拠のない自信について
というわけで、自分には根拠のない自信が全くなくて、学生時代バイトも怖くて出来なかった。
根拠のない自信がないと、本当に何事にも挑戦できない、はじめの一歩も踏み出せない。
根拠のない自信➝行動➝成功体験➝根拠のある自信➝積み重ねてさらに成功
という好循環の一歩目が欠落してるから、完全に思考停止の行動不能になる。
皆さんはどうやって根拠のない自信をつけたのだろう。
4,社会学や政治学について興味のある人間と心理学や文学に興味のある人間
というわけでマウンティングするくせに、ひとりで行動できない、自信もない、クズ人間がここにいる。
父は公務員だし祖母も自慢できるから偉くなれ偉くなれという人なので、
多分社会において地位を占めることが重要(プライオリティ?)だと考える人だと思うのだが、
自分はこういう自分がなぜダメ人間なのかということを考えるのが趣味な内省的人間(しかもメンヘラ)なのだけど、
その違いってどこにあるんだろうな、と考える。
社会に興味がある人間って多分自分の外をマシにしようと考えてる人で
心理に興味がある人間って多分自分の中をマシにしようと考えている人間なのだと思う。
どうでもいいけど、自分がメンヘラクズ人間からどうすれば抜け出せるかわからなくて苦しい。
今自分が一番興味のあることってなんだろうと思うけど、
興味のあることを追求できるのは学生時代までなんだよね。少なくともひとりで学習行動できない人間にとっては。
あぁ、変われないダメ人間。
「子供の抱っこのおねだりをいかなる時も断らない」
理由は、なんとなく
あった方がいいかしらと思ったのと
子供の為になることを続けられないかと思ったのが
きっかけだった
抱っこを断らない母になる、ということにした
突然訪れる「だっこ、だっこ」というコールに
いちいち時間がかかることに
イライラしたりもしたけれど
妙に前向きになったりした
道すがら歩きたくない抱っこが発生すると
あの角を曲がるまで、とか30秒数えるまでとか
条件つきの抱っこにすれば満足してくれる
便利体質で、そこまで手間がかからなかった
抱っこした側の私の気持ちにもなぜか満足感がわいて落ち着く
もうすぐ小学生になる息子
これがもう少し大きくなったらババアと呼ばれ
この先手をつなぐのも嫌がるんじゃないかという
予感もしている
息子に抱っこをおねだりすることも増えたが
そういうときは決まって「いいよ」といい顔で応えてくれる
抱っこされるのを断らない息子がいる
今は腕や肩がぶつかるとゴツゴツするし
やたらと重い息子の体だが
この名残惜しい気持ちが解消されるまで
息子には抱っこルールに付き合ってもらおうと思う
保育士が足りないのと介護士が足りないのは同じ問題だと思うよ。
どっちもやることのプライオリティが低い人がいる。
自分ではない誰かに任せたいけど、他の人もやりたくない。
保育園が足りないって言う人は、子供は欲しいけど育てることのプライオリティが低い人。
介護施設が足りないって言う人は、介護してくれる人がいないとか、介護したけどもう無理っていう人か、介護をやるプライオリティが低い人。
それでさ、育児と介護だと、育児って自分で産みたくて産むんだよね。だから育児はやりたいって思ってる人がいる。やりたいのにできないって思ってる。
そういう人が保育園が足りないというんじゃないかな。
介護は対象が存在している以上誰かがやらないといけない。もちろん自分がお世話になった老人を自分で面倒みたい、楽しい、という人もいるけど多くはないよね。
そういう人が介護なんてやりたいわけ無いというんじゃないかな。
あんなしょぼい事件の裁判のニュースを全国放送のニュースで流す理由なんて、
単に「顔が面白いから」だという事は、ほとんどの人間がわかっているのに、
居るとしたら、そういう人って情弱なの?
それとも単なるアホなの?知能が低いのかな?
知能が高くて情弱じゃない人で、あのニュースを全国放送で流す意味があると思う人って存在するのかな?
もし存在するなら、その理由を誰かちゃんと説明してくれないかな。
世界のテロの情報はもちろん、これよりプライオリティの高いニュースなど腐る程多いし、
これより重要なニュースがこれより少ない時間しか放送されてないって事は、知的水準の高い人は全員わかってるよね?
その理由は単にアホが喜ぶから、視聴率が良くなるから(と放送局の偉い人が判断してるから)だよね?
そうじゃないって人の意見が知りたい。
知能が自分で高いと思ってる人で、かつ、このニュースが(他のニュースより)重要だって人は是非その貴重な意見を教えて欲しい。
見てないから知らないけど、絶対「ミヤネ屋」とか「アッコにおまかせ」みたいなゴミ番組は嬉しそうにそれなりの時間をとって報道してると思う。
あれらを見てるのは主婦とか高齢者の中でも半分知的障害みたいな連中がほとんどだから仕方がないのかもしれないけど、
NHKとか夜のニュースでも残念ながら少しは時間を取って流されている。
これは日本人の民度が低いのか、マスゴミのレベルが低いのか、あるいは両方なのか、
俺の方が間違えているのか、どれだろう?
体調が悪くて朦朧とした状態であってもどうしても自分がやらざるを得ない状況に陥ろうが
体調悪くてできる人がいないなら「祈祷は今日はやってません」と表示すればいいだけじゃないの?
なんでその季節外れの祈祷が「どうしてもやらざるを得ないもの」なの?
回らない職場
「今日はやってません」と表示すれば回るよね?より優先度の高いもののために優先度の低いものを止めるのは普通のことだけど。
山積する業務も窮地に陥る同僚達も
これも同様。なんで業務が山積してるのにどう考えても絶対必要ではない急な祈祷なんてやってるの?アホなの?
困る取引先
取引先じゃないよね。
激怒する客
たまたま立ち寄っただけの客が事前に「今日はやりません」と表示してあることをやらないからと激怒すると何かまずいの?
評定表書き直す上司
どう考えても優先度低い話を無理矢理やった(その後無理したせいで倒れてより優先度が高いことができなくなる可能性があるのに)ことを評価してそれをやらなかったことで評価を下げるような上司がいるの?それ業界的にクソってことだね。
まず、お前が意気揚々と引用してみせた発言だが、主語は「お前の会社の仕事」だ。
それを…あーあー、延々と言葉尻とらえて反撃したつもりになって何行も何行も見当はずれな揚げ足取りした気になって…。
本当滑稽だわ。お前国語の成績悪かったろ?
一つ一つ反論してもいいがもう二度も繰り返した事を改めてかみ砕いて説明するのもアホらしい。
「クオリティの高い仕事をこなし、プライオリティの高い順に片付けていくのがスマートな仕事のやり方なので、非合理的きわまりない過度の残業とかサービス提供とか無駄な装飾とか過剰な配慮とか余分な慣例とか、そういったもの全廃すべきだと思うんですぅ!」ていうのがお前の意見なんだろ?
「クオリティ低い仕事できないから、プライオリティの低い業務なんか先にできないから、ボクは自分の信じる正しいやり方でしか仕事しないし労働契約に従って休む時は好き放題休みまぁす!」ていうのがお前の意見なんだろ?
それ、お前の会社の上司や同僚に向かって同じこと言ってみたら?(ニヤニヤ)
きっと歓迎して貰えるよ!(ニヤニヤ)
おけおめ!
今年はじめての増田だよ!
みんな今年の目標は立てた?
いつでも目標達成出来てしまう人には全く役にたたない内容だよ!
どうしても途中でくじてけしまう人にはもしかしたら役に立つかと思ってまとめてみたよ!
お役に立てれば何よりだよ!!
・週三回のウォーキング
・性格マネジメント(アンガーマネジメント、傾聴、ポジティブシンキング)
・習慣化
コツは簡単。たったのこれだけ。
だけど目標達成できない人のほとんどはこれができてないというのが事実。
目標達成を阻む最大の原因を考えてみよう。
自分の弱さ、周囲の誘惑、目的意識の喪失、、、こんなところだろうか。
ただ、これらに共通して言えることが一つある。
それは「現在の習慣」だ
今の自分というのは、今の自分を取り巻く「現在の習慣」で構成されている。
例えば朝起きてから夜眠るまで、真剣に選択していることっていくつくらいあるだろう。
もしそれが数えるほどしかないとしたら、残りの行動は全てが習慣だと言っていい。
自分というのは、数々の習慣によって成り立っている。
言い換えれば、多くの習慣に支配されている状況とも言える。
もし新しいことを始めたいのであれば、この「現在の習慣」という支配から抜けださなくてはいけないんだ。
とくに現代の人は、手のひらにスマートフォンを握りこんでいることでかなり多くのタスクを抱えている状況と言える。
分刻みで通知を上げてくるアプリ。
欲求は解決しないとストレスになり得るために、どうしても欲求を伴わない習慣よりもプライオリティが上がってしまう。
その中に新しい習慣を取り込むということはとてもハードルが高い。
だからこそ大切なことは、ステップを細分化するということなんだ。
想像してみて欲しい。
今自分の生活の中で、30分というまとまった時間を何かのために使うことができるだろうか。
もしそれができる人にはこの話はあまり意味がないかもしれない。
しかし、先ほど書いたとおり、様々な習慣に取り囲まれている人なら30分は愚か5分ですら難しいって人がほとんどじゃないだろうか。
だから提案したいのは3分トレーニングだ。なんだったら1分でも30秒でもいい。
達成したい目標を思い描いたら、そのために必要なトレーニングをこの時間単位に細分化することから始めるんだ。
当然トレーニングの時間を小さくすれば、達成までの期間は長くなる。
もし、達成までに期限が必要な目標だったならば、当然逆算してトレーニングの時間を増やさないといけない。
でも思い返して欲しい。
3年前に立てた目標は達成できただろうか。
もし、それが今達成できてたとしたら、それは喜ばしいことなんじゃないだろうか。
三日坊主とはよく言ったものだけど、個人的な経験則からいうと大切なのは7日間だ。
7日続けると、8日目にはそれをしないとなんとなく気持ち悪くなるように感じることを経験で学んだ。
つまり、人間が習慣化するにはどうやら1週間程度の継続が必要だということがわかった。
だからまず3分でも1分でも30秒でも、とにかく1週間続けることが大切だ。
そのトレーニング自体にどれだけの意味があるかなんて考えるだけ無駄だ。
逆を返すと、3日もすると習慣は忘れられていくものでもある。
例えばこのお正月が終わって会社や学校に行こうとしたとき、洗顔、歯磨き、食事、着替えの順番に少し戸惑ったはずだ。
それこそが習慣が失われ始めている証拠といえる。
つまりは、習慣は環境によってコントロールすることができるという証拠なのだ。
習慣化していくと、習慣を消化したこと自体に安堵感や達成感が生まれ始めてくる。
そうなればしめたものだ。
そうすれば一日に30分というまとまった時間を作れなくとも、3分×10回程度のことであれば簡単にできるようになる。
現代人のいう時間のなさというのは、「まとまった時間」がないだけなのだ。
隙間を狙って沢山挟み込めば良いのだ。
最後に、そうしたトレーニングを効果的に挟みこむ方法を一つ伝授する。
ところが、仕事が変わってからというもの今は年に1冊も読んでいない。
読書が好きだったはずなのにどうしてだろうと考えてみたが、その一番の原因は、通勤が無くなったことだとわかった。
そうした制限される中で自分なりにもっとも楽しめるものが読書だったのだ。
ところが通勤が無くなったことで不自由な時間は無くなってしまった。
その分家にいる時間が増えたのだが、家の中は自由すぎて読書という選択肢のプライオリティはとても低くなってしまったのだ。
とくに最近ではスマホが様々な不自由な環境を乗り越えてくるのでやっかいだ。(防水機能、地下鉄内アンテナ、電池持ち改善、オフライン機能など)
例えばトイレ内はスマホの持ち込みを禁止するなど、自らを不自由な環境に持っていくことで目標達成に必要なトレーニングをより身近にすることができる。
もしなかなかトレーニングのプライオリティが上がらない場合は、自らが不自由な環境にトレーニングを持ち込んでみてはどうだろうか。
だから目標達成にはその時間スケールにあわせたトレーニングが必要なんだ。
そして、人間は習慣で生きているということを忘れてはいけない。
あたらしい習慣を身につけるには、古い習慣を棚卸ししなくてはならないんだ。
だけど習慣は身に付けることができれば長く続けることができる。
大切なことは、続けてさえいればいつかは達成できるということだ。
目標に合わせて環境をデザインすること。それこそがこの内容通して言いたいことであり、なりたい自分になるための最短ルートなのだ。
だから今年も増田を書くよ。それが自分の財産になるって知っているからね!
今年もよろしくっ!
「飲み会での遅刻」、米国では最大のマナー違反 http://toyokeizai.net/articles/-/98156
しまった。米国である。私は英国在住のおっさん。米国には詳しくない。短期間いたことはあるが語れるほど詳しくない。英国の職場にも米国人はいるが彼らも英国では英国の郷に従っているであろう。既にコメント欄等でツッコミが入っており記事の違和感は明らかゆえ、私は英国の話をしようと思う。
ところでこの記事、連載の3回目のようである。回が進むほど内容に違和感が増す。ネタが苦しくなって来ていると推察申し上げる。住んでいたという知見だけで文化差を語って生業にしようとすると、外国をディフォルメし日本をパターナリズムで語り、差を大袈裟に書きがちである。なんとかケンミンショーとかグルメ漫画美味しん◯で大々的に持ち上げられる郷土料理が、そんな不味いもの普通の県民は食べないよね、というのと似た構造である。ブコメで指摘されているが、タイトルは飲み会だが本文は食事会、会食である。言うまでもなく会食での遅刻は日本でもかなりのマナー違反である。何の中でか明らかにせず「最大」と使うのは品の無い書きかただが、タイトルは筆者の方ではなく編集部が付けているようにも思う。
英国人も確かに仕事の終わり時間はキッチリである。しかし仕事の管理はキッチリではない。時間が来たから帰る。仕事が途中でも帰る。それだけのことである。これは時間管理がしっかりしているなどと殊更言うような話ではない。エリートの話はしていない。中間層の話である。
上を目指しているエリートは時間もキッチリ、仕事もキッチリである。時間管理のプライオリティがかなり高い。会議は厳選、会議前のメールのやり取りで大体決まってしまえば下からでも会議の中止を言い出す。このあたりは是非日本も見習いたい。一緒に出張に行くと分かるのだが、実は必要があれば夜も早朝も仕事をしている(出張で暇だからではなく)。ただそのことは見せない。日本だと見栄の張り合いは「いやー今週殆ど寝てないわー」だが、彼ら彼女らの見栄の張り合いはいかに家族やプライベートも充実させて同時に成果も上げたかである。試験前の「全然勉強してないわー」合戦みたいなものである。違うか。いや本質は違わない。
約束の時間を守るかに関してはエリートも含め日本人より遥かにルーズである。前の会議が長引いた、道が混んだ、電車が遅れた。何か問題が?それは言い過ぎで待たせた非礼は詫びるが、自分が悪いのではなく運が悪かったので、日本人のように遅れの保険に15分前に着いておくなんてことはお客さん相手でもない。だから結構な頻度で遅刻する。5分の遅れに詫びの連絡を入れておくなんてことは思いつきもしないだろう。走っているのはひったくりくらい、というのは外国で日本人がよく言う冗談で、冗談以上としていいのかはどうかな。確かに走っている人は少ないけど、それは記事のように前もっているからではなく、単に遅れたら遅刻するだけというのが自分の感覚値に近い。ここは英国でも米国でも変わらないんじゃないかな。
ソーシャルな場でホストは15分前から応接するのは英国人もそうだが、日本だってそうじゃない?日本人ゲストは15分前をターゲットに来る人も多いから25分前から応接してよとホストにリクエストしたら日本人はそんなに早く来るのか、クレイジーだと言われたな。
ここまで書いてきて思ったのだが、少なくとも英国の場合、オフィシャルで人数が少人数以外の場合は30分前にスタンディングドリンクの談笑から始めるバッファー時間を作るから、着席スタートに遅刻ってそもそも稀だよねと思った次第である。裏を返せば時間厳守の文化ではないということだよね。
オタサーは知らないし、オタサーの姫なんてもっとしらないが、っていうかそれ都市伝説じゃね?
を読んで。
4年間云々とあるから、恐らく4年制大学(高専だと女子の数が限られるからその可能性は除外)、そこで顧問ってなるとおかしいから、
元増田はたぶん元部長か現部長、乃至は部長権限の強い先輩かそれに近い立場の若干の年長者かと想定して読んだ。
女の子たちの下半身事情を把握している(便器になってる云々)顧問ってのもおかしいが、先輩なら異性でもその程度の情報把握の可能性はなくはない。
ただまあ、アニメ研究会とかゲーム文化同好会とかオタク文化なんちゃらって名前じゃなく「漫研」ってチョイスのセンスがなんか古臭いけど。
それと、相当規模のでかいキャンパス(大学)でないと130人の部員でウンヌンは難しそうだけど。
4年間在籍してトータルでそのくらいの人数になった、とか思ったが、それでもちょっと多すぎるから、
あと、男女比だけは書いていて欲しかった気がする。自分の知っている「漫研」はどこも女子率が圧倒的だったから。「漫研」ならな。
エロ要素が入ったジャンルでないと、大体オタ系の集まりって女子が占めるようになるのがデフォだと思ってたんだけど。
ゲーム系とかパソコン組む系だと、女子比率減るけどね。それと、鉄。
自分は基本設定厨で考察厨だから(今でもオタ作品を愛でる際のカップリング恋愛比重はプライオリティが低い)、作劇考察なんか物凄く好きなんだけど、
その手の「女子に見られないオタ女」ってのは、大抵どこのサークルでも少数派とはいえ、いたもんだけどね。それも、確実に。
むしろ一般社会よりも、そういう「女子に括られたくない系」の女子が集まる場所がオタ系の集いだと思ってたから。
って言うか、元増田もたぶん、男によくある、「ブスは不可視」眼鏡の持ち主なのかもしれないが。
男オタの場合、恋愛にさして興味の無い設定厨考察厨の女子オタがいる、みたいなことに気づいていないオタ男も大勢いるらしいので、
(乃至は女は皆恋愛にしか興味がない、みたいな思い込みを持つ男性はとても多いので)
それと、服装考察が雑だなぁ。
>話し方が特徴的、髪が黒髪、服がゴスロリ風味、会話内容がおかしいのは一軍二軍両方。
オタ≒ゴスロリってネットでよく見る標準的表現だけど、逆に自分の出歩くオタイベント先で、ゴスロリなんて、そういう作品そういうキャラがいるものじゃないと、
お目にかかったことないんだけど。
あ、この間、そういう子いたことはいたが。逆に希少過ぎて印象にのこってたわ。あれ。
黒髪率が高い、服装もっさり、垢抜けてない、って辺りは当たってる(昔と比べると21世紀の今はオタ女の外見に関しては相当マシになってるとは思う、逆に)けど、
ゴスロリはナイワー。
元増田の描写(整形云々)から垣間見るその女子たちの女子力から考えても、普段のサークルにゴスロリ(系)で来るとかって、
その子のお財布事情も含めてね(ゴスロリ日常って被服費的に見ればかなりの散財、オタなら他のオタグッズに費用当てるのがデフォ、そこは女子もあんまかわらん)。
私はバイセクシュアルではっきりと性欲があるので、おそらくアセクシャルであろう元増田とは異なるが、
恋した相手は性別問わず皆ある程度親しい人間で、長時間の接触と感情の高まりがそのトリガーというのが
幾らか共通点があるので書いてみる。
自分が思う「恋愛」とは「この人を独占したい」という感情の執着で、そこに性欲が加わる。
この人のプライオリティが欲しい=自分をあらゆるものより優先して欲しいという醜い感情と、
そこに理性などはない。
恋の極まった状態というのは、本当に狂気に陥っているのだ。
夫婦などのパートナーに対する優しい情愛は、それとは全く異なる感情だ。
時間の経過と同時に推移していく場合も多いし、恋愛の狂気を通過せず、最初から情愛から始める関係もある。
恋の狂気は、おそらくあなたには理解できない境地のように思う。
けれど、そんな狂気に、公平だとか差別だとか言ってみてもどうしようもないとあなたは悟った方がいい。
異性愛者や同性愛者というのは、その制御不能の執着のトリガーが一定の性別(とされている)対象にしか反応しない人間たちのことだ。
だがよく考えて見れば、性欲の対象などは、食べ物は何が好きか、どんな音楽を心地よく感じるか、
どんな作家が好きか、そもそもそういったものが嫌いかなどと同じ、好悪がどちらに向くかの指向の問題に過ぎない。
そしてあなたも、彼らに単に「抽象画は好みじゃない」「カレーが嫌い」程度のことを言われたのだと理解すべきのように思う。
それはさておき。
何が好きで何が嫌いかなどという瑣末なことで同性愛者や両性愛者を差別する方がおかしいのだ。
同性を愛する人間に対する差別は、カレーが嫌いならそれでいいものを、
「カレー喰うやつマジキモい」とか「カレーを喰う奴は死ね」とか言ってくる状態なので全く許されない。
同様に、ゲイやレズビアンの「どうせ最後は異性を選んで日和るんでしょ」とか「本当はゲイやレズビアンなんでしょ」と言ってくる、
バイ差別も何とかして欲しいと思うけど。
境界例とはなにか
http://homepage1.nifty.com/eggs/borderline.html
とくに「原因とそのメカニズム」の部分
ちょっと古い記事だから今はもっと解釈が進んでるかもしれないけど、自分が出会ったのがこのサイトだったので。
親が子どもを手なづけたいときに、叱るだけではなく「褒める」を効果的に使う時があるという話。
「○○くんは☓☓ができるからおりこうだね」というのは、暗に☓☓ができないとおりこうではないという殺し文句になっている。
褒めると見放すをうまくつかって子どもを親に依存させるということなんだけど、親も気づかないうちにそうしている場合が多いし、その親もそうされてた場合が多いっていうのがこの問題の難しいところ。
要するにそのサイクルから逃れるためには、ひとでなしと言われようがまずは親と距離を置くということ。
親は時に狡猾に自分の身の回りを巻き込んでまでひとでなし扱いしてくることもあるけど、それは怪談とかによくある妖怪からの耐え忍ぶ言葉みたくとにかく耳をふさいでしまえばいい。
かくいう自分もそうで、幸い30歳くらいの時にこの事に気づいたから親と距離をおいて自分の幸せを追い求めることのプライオリティを高くすることが出来た。
最初のうちは親から呪詛のように「お前には無理だ」とか「外で親に迷惑をかけるな」とかの言葉が投げかけられ続けたけど(時に本当に呪いのような言葉もあった)、一切無視し続けて結婚して子ども連れて帰ったらそれこそ憑き物が落ちたように嬉しそうに孫ばかり相手をするようになった。
孫を手にするというそれまで想像もできなかった幸せを得ることができたから、こどもの愛情を受け続けるということに依存することから解き放たれたのだと思う。
親に愛されないこどもは不幸か?親に愛され続けているこどもは幸せか?
現在インドネシアにいるのですが、はてなブログを見ることができません。
というわけで対処がわからないのですが、皆様から何かサジェスチョンがいただければ幸いです。
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追記:
コメント有難うございます。確かにChromeの設定でJavaScriptを切ると支障なく見ることができました。常に切っておくと不都合なサイトも多そうなので、設定 (Settings - Privacy - Content Settings - JavaScript - Manage exceptions)で [*.]hatenablog.com等だけオフにするようにして使いたいと思います。
成人向けコンテンツについては、よりプライオリティの高い課題でありましたので、既に何とか対処法を見つけております。
更に
DNS関係ではとのご指摘がありました。DNSをAutoから 8.8.8.8, 8.8.4.4に変えてみましたが、やはりJavaScript onでははてなブログが表示されなくなります。
またWindows8.1をクリーンインストール+Windows Updateした状態のPCでも試してみましたが、やはり障害が起きますので、ウィルスや他アプリケーションの影響ではないと思われます。
お久しぶりです。かつて増田でブログを書いていたとある地方公務員です。
http://anond.hatelabo.jp/20120922164617
とある地方公務員が日々思ったことを10のコラムに分けて書いてみた
http://anond.hatelabo.jp/20121012225331
http://anond.hatelabo.jp/20121013233222
http://anond.hatelabo.jp/20121015233513
http://anond.hatelabo.jp/20121022220611
選挙も終わり、案の定自由民主党が最大多数を獲得して、これで安倍政権の長期政権が見えましたね。
これが果たして、これからの日本にとって良いことなのかどうかは今後注視しなくてはいけません。
この数年で公務員という立場から、安倍政権、アベノミクス、国土強靭化、地方創生、など書きたいことがたくさんあるのですが、今回は最近話題となった選挙について書いてみたいと思います。
今回は選挙を通じて、自民党、民主党、共産党について書きました。
なお、思いつきでズラズラ書いていますので、その点は悪しからず・・・
都市部では維新の党や次世代の党、などニュー政党が選挙活動を展開していましたが、基本的に地方の国政選挙は自民党の独壇場で、対抗できるのはほとんどいない状況です。
対抗するはずの民主党も地方にそもそも組織を持っていない(弱い)ので、頼みの支持基盤である労働組合、自治労、日教組、部落解放同盟といったところが動くわけですが、
いやはや、自民党を支持する組織はあまりに広く農協、商工会議所系、青年会議所などなど、当然自民党には青年部、青年局も組織しており、役員は
たいがい地元の中小企業や町内会の役員も兼ねているので、やはり強い基盤をもっているわけですよ。
そこに県議会、市議会、町議会、村議会と末端までわたる議員をフル動員して選挙を展開するわけですから、圧倒的に組織力に差があるのですね。
そんな地方において強固な組織をもつ自民党が、さらに創価学会を事実上の支持母体として存在する公明党と組んでいるので勝てるわけがないのです。
まさに「小選挙区は自民党候補、比例は公明党」という最強のタッグなのです。
意外と思うかもしれませんが、候補者がいない、選挙カーに乗っていないなんて普通です。
候補者がベテランであるほど、自分の選挙区はお国家老の重鎮県議に選対を任せて、自分は若手の応援に行くと、奥さんが回るのですが、そこは先述の自民党の組織力で候補者の穴を埋めるわけですね。
誰も選挙カーなんて見ないわけです。大事なことはその候補者のカンバン、知名度なのですから、別に本人が乗っていようがいまいが関係ないんですね。
皆さんご存知と思うかもしれませんが、役所の組合は大きく2種類あります。一つが共産党系の組合、全労連系の「自治労連」と民主党系(旧社会党)の組合、「自治労」に分かれます。
ちなみに、公務員のほとんどはなんとなくみんな組合に加入して、なんとなく毎月組合費を払っているわけです。
んで、そのお金は組織対策費という形でその組合が支持する政党に流れるわけです。いわゆる組合活動の延長線上の政治闘争というやつです。
だいたい、組合は先程の自治労連系と自治労系で内部対立をしていると思いますが、やはり、圧倒的に自治労系が強いのが相場なのではないでしょうか?
なので、組合の書記長、委員長ポストは自治労系が占める状態になるので、組合は民主党系候補を応援するわけです。
え、公務員は選挙活動できないのでは?と思ったと思うかもしれませんが、これには抜け道があります。
具体的には、離れた町に組合活動として、泊まり込みでビラ配り、ポスティング、ポスター貼りをするわけです。
これは他の自治体でも行われているのではないでしょうか?
実際、民主党はサポーターという形で組織を広げようとしても、いざ選挙となると動かない。
公務員だろうがなんだろうが、組合活動の延長線上でやっているだけ、なのですから。
このように実働部隊としての組合は民主党になくてはならない存在です。なので脱組合を掲げるのは良いのですが
最近、民主党候補の事務所でスタッフとして働いたら、組合幹部が偉そうだったという内容だったと思いますが。
それはその通りです。というか、組合の専従って何であんなに偉そうなんですかね?笑
共産党については、じっくり書きたい(笑)のですが、選挙に限ると、本当に票がぶれないですね。
共産党支持者の9割は固めてきます、これは公明党も同じですが、やはり共産党ですね。
しかし、共産党支持者がどんどん高齢化していくという切実な問題を抱えています。
なので、民青を使ってなんとか大学生をオルグしたいわけですが、新規会員はあまりいないようです。
だいたい、親も共産党で、子も民青というようにだいたい共産党も世襲?のように続くものですから。
票がブレないというのは、裏を返せば、無党派層に浸透していないのです。
票を守るがゆえに、柔軟なことが言えない。気づく人も多いですが、共産党の候補者はみんな同じ事を言ってますし。
演説スタイル、話し方も同じ、なんというか、自民党のもつ勢い、熱い感じというより、語りかけるような感じ。
なので、本当に党が中心にあり、あくまで地方組織は細胞なのだなぁとつくづく感じます。
そして、小選挙区は別としても、比例区は共産党に入れた人も多いのではないでしょうか?
共産党はなんだかんだで、現在の日本政治における唯一の反自民党の受け皿になっているところに日本政治が行き詰まりを感じます。
個人的には共産党は地方に必要だと思うし、日本においても必要だと思いますけどね。
アベノミクスなんてあんまり関係ない。争点になりません。一応自民党候補者はアベノミクスを宣伝しますが、あんまりわかっていない。
昔のように新幹線が来る、道路が通る、ということが今はあまりできませんし、結局そういう政策うんぬんよりも目に見えるハードのインフラ誘致
それが最もわかりやすいんですよね。
アベノミクスでも関係あるとしたら、第三の矢といわれる成長戦略でしょうね。
とはいっても、地方に関係ある農業分野でいえば、結局狙いは農協解体して、JAバンクの金が欲しいんだろ??と郵政民営化で苦しんだ地方民としては
思うわけですよね。これから、いろんなコンサルが地方、中山間地域に入ってきて「スキーム」「シナジー」という言葉をお年寄りにレクをすると思うと・・・
で、だからといって、今更「人からコンクリート」的な政策をしても、いかんせん人手不足なんですね。
なので、不落、不調続き。
はてさて、今後果たして再分配が地方の隅々まで行き渡るのか。。。
ということは選挙では議論されず、まあ、他よりマシと言う理由でやはり自民党がダブルスコアで勝っちゃうんですね。
自民党支配という言い方が正しいかわかりませんが、果たしてアベノミクスが地方の発展に寄与しているのか?
むしろ、円安による物価高、追い打ちをかける消費税増税、など地方にとっては苦しくなるばかりです。
あと、下野して自民党が右に寄った感もあり、かつての自民党保守本流といわれた宏池会的な憲法観から清和会系の改憲路線がもはや自民党を支配しているのも
かつての自民党は、経済政策は社民政策、政治政策は憲法の枠における解釈によって積み上げてきました。それが、スピード感、強力なリーダシップの名の元にバラバラにされました。
今の自民党はネオコン、ネオリベ的な感じもあり、ぶっちゃけ安倍さんもアベノミクスを強調している割には、経済よりも頭の中は戦後レジームの脱却、亡きお祖父様の悲願を成就
が最も関心があるんじゃないかなぁと思い、地方創生もそんなにプライオリティ高くないんじゃないかと疑ってしまいます。
とはいえ、しばらく自民党政権下、最も言えば安倍長期政権の下で我々公務員は働くのですから、十分に研究しなくてはいけないですね。
と、ほらね。結局散漫なレポートとなりました。だらだらの長文にお付き合い頂きましてありがとうございました。
ご質問などがありましたら、ブクマのコメントにてお願いします。答えられる範囲でお答えしますゆえ。
ブログを始めました
学生時代、全体集会で国語科の教師から『みなさんへのお願い』があった。
図書室の本がパクられて困っている。大切な本です。みなさん盗らないでください。
そんな内容のことを淡々と、まるで事務連絡でもするかのように仰った。
実に柔和な声色であり、生徒を叱っているようには聞こえない。
学生だった私は『そんな不届き者がいるのか』と思っただけだったが、今考えればとんでもないことだ。
教員は徹底的に犯人を捜索し、サツに突き出すべきであった。教育者としてそうすべきだった。
少なくとも頭髪検査やスカート丈を測るよりはるかにプライオリティが高い事案だ。
むしろ丸坊主を強制したりする意味不明な校則こそが自由の侵害、すなわち犯罪であり、教員の愚行たるもの言語に絶する。
図書室の本をパクった生徒はそのまま社会に出て、きっとまた別のものをパクっているだろう。
そしてその穴埋めを遵法者がしている。この社会が回らなくなる日は近い。