うちの親父も祖母もマウンティングする人間だ。祖父母姉は表向きそういう態度を取ることはない。
比較されて育ったこと
かつ
色々な点で一番と褒めそやされて育てられたこと
だと思っている。
マウンティングって、確か、自分が優位であることを示そうとして、自分の存在を誇示することであるので、
比較されることと自分が優位であることを認識することから始まるような気がする。
彼らはマウンティングを恥ずかしいことだと思っておらず、
自分は恥ずかしいことだと思っているのにやめられなくて苦しんでいるという所か。
マウンティングは他の動物と人間とでマウンティングした結果もたらすものが違うかどうかはわからないけど、
少なくとも人間社会では、マウンティングは個の優位性よりも、協調性のなさや性格の悪さを表す指標として
使われていると思う。
ちなみにマウンティングという言葉が流行りだしたのってここ2,3年の話なのか?
2、ひとりで行動できる人間について
数日前にツイートで、
学生時代は協調性が重視されるのに、就活以降社会人はひとりで行動することがいきなり要請される
というものを見たのだが、そのとおりだと思った。
その理由は、多分、祖母に箱入りで育てられて母には放置されて育って、
自分のことを自分でできない人間として育ってしまったからだと思うんだけど、
どういうことをひとりでやればひとりで行動できる人間になるんだろう。
自分は部活も進路も好きなことをやることを許してもらえない状況下にあったし、料理とか掃除の教育も受けてないから、
本当に子どもの頃、ひとりで行動することも、その積極的な動機(インセンティブっていうの?)もなかったと思う。
やっぱり教育大事だし、好きなことなら一人でやる勇気も出たと思うんだけど、どうなんだろう?
3,根拠のない自信について
というわけで、自分には根拠のない自信が全くなくて、学生時代バイトも怖くて出来なかった。
根拠のない自信がないと、本当に何事にも挑戦できない、はじめの一歩も踏み出せない。
根拠のない自信➝行動➝成功体験➝根拠のある自信➝積み重ねてさらに成功
という好循環の一歩目が欠落してるから、完全に思考停止の行動不能になる。
皆さんはどうやって根拠のない自信をつけたのだろう。
4,社会学や政治学について興味のある人間と心理学や文学に興味のある人間
というわけでマウンティングするくせに、ひとりで行動できない、自信もない、クズ人間がここにいる。
父は公務員だし祖母も自慢できるから偉くなれ偉くなれという人なので、
多分社会において地位を占めることが重要(プライオリティ?)だと考える人だと思うのだが、
自分はこういう自分がなぜダメ人間なのかということを考えるのが趣味な内省的人間(しかもメンヘラ)なのだけど、
その違いってどこにあるんだろうな、と考える。
社会に興味がある人間って多分自分の外をマシにしようと考えてる人で
心理に興味がある人間って多分自分の中をマシにしようと考えている人間なのだと思う。
どうでもいいけど、自分がメンヘラクズ人間からどうすれば抜け出せるかわからなくて苦しい。
今自分が一番興味のあることってなんだろうと思うけど、
興味のあることを追求できるのは学生時代までなんだよね。少なくともひとりで学習行動できない人間にとっては。
あぁ、変われないダメ人間。