はてなキーワード: 音響とは
同人音声について取り上げたブログが先日ホッテントリに上がっていたのもあって、同人音声沼にもう何年も浸かってる自分が界隈の変化と今を簡単にまとめてみる。
まず、音を聞いて抜く(しこる)ってのがよく分からない人もいると思う。AVやエロ漫画と違って視覚的な刺激がないので、物足りなさを感じるかもしれない。可愛い声の女の子がエロい台詞を喋ってくれればそれはエロいのだが、同人音声はエロい台詞というよりシチュエーションで抜く文化になってる。目を閉じてイヤホンやヘッドホンをはめて、女の子が隣にぴったり座って耳元で囁きながら手コキしてくれるような妄想で聞いて抜く。エロい台詞があったらもちろん抜けるんだけど、ぶっちゃけ耳元で吐息があればいいし、随所で「おっきくなってきたね」とか「我慢汁でてるよ」とか「そのままいっていいよ」とか簡単な台詞があればそれだけでもいい。エロい台詞の朗読じゃなくて、どっちかというとバーチャルの女の子がすぐ隣にいるシチュエーションで抜くわけ。VRのAVもかなり一般的になってきたけど、同人音声のバーチャルは本当にすごい。だって想像だから。とても可愛い二次元美少女が世界最高峰のモデリングで出てくる。だって妄想だから。それを可能にしてくれるのが音の存在感っていう作り。映画をちょっと音響のいいシアターで見ると音がすぐ隣にあったり後ろから来たりしてビクッとすると思うんだけど、それをすごくミニマムにエロに特化させたのが同人音声ということ。シチュエーションとバーチャル二次元美少女を成立させるための演出に特化してる。
それで、2010年代後半に爆発的に発展したのが、バイノーラルマイク。それまでは正面位置の音を左右にパンするのが一般的だったけど、バイノーラルで細かく位置や高さや距離が演出できるようになった。音だけで女の子が近づいてきたり、離れたり、手前に移動して乳首を舐めてくれたかと思ったら、左耳に回って囁いてくれて、今度は右に移動して耳を舐めてくれたりする。さっき上に書いたシアターの音響に近づいた。今ではバイノーラルの音声作品が主流になって、そうじゃないのは市場の一割くらいになった。それくらい、バイノーラルで爆発的に発展した界隈。
そういう背景もあって、同人音声はMと相性がよかった。目を閉じて、バーチャルな二次元美少女をイメージしながら抜くから、自分から腰を振るのはちょっと動きとして違うよねっていうのがずっと強かった。エロ漫画を思い出してほしいんだけど、エロって普通、責める方が喋るの。言葉はイニシアチブを取ってる方が発する。陵辱ものは竿役がべらべら喋るし、痴女ものはヒロインが喋る。だから、お姉さんが優しく手ほどきしてア・ゲ・ル(はぁと)、みたいなのが同人音声には多かった。受け身のMが二次元美少女に手ほどきされるのが同人音声のメディアと相性よかった。だから同人音声といえばM向けって印象を持ってる人も多いんじゃないかな。これは音を聞いて抜くっていうスタイルを重視した結果で、1人でしこしこオナニーするには受け身の内容がぴったりだった。でもバイノーラルの発展と共に、スタイルじゃなくって、音そのもので勝負する流れが生まれてくる。マイクの技術が上がってきたのもあって、女の子の喘ぎ声をクリアな音声で収録して、それにぐちゃぐちゃぱんぱんって腰振りの効果音を合わせると、男が動く内容でも音として抜けるようになってきた。技術がスタイルや相性を上回ってきた。
また、同人音声は当たり前だけど竿役が喋らないから、「〜ってこと?」っていうちいかわ構文みたいなオウム返しを使って竿役の台詞を代弁させるのが一般的だった。これも変わってきていて、巷の噂では声優にオールアドリブをさせて収録させていたりと、より自然に、シナリオではなく臨場感や音の質やリアリティで抜かせる方向に進化してきた、ってこと。
ASMRっていうのも今では一般的になって、YouTubeでもよく見るようになった。これはぞくぞくする音の快楽を求めるものなんだけど、もちろん、同人音声とも相性がよかった。R15あたりのちょいエロASMRが出始めて、今ではASMRと同人音声をひとつの作品にパッケージするものも多くなってきた。これも上の流れと同じで、アニメチックでM向けとされてきた同人音声が、音の質というガラパゴスな進化を遂げてきた背景がある。だから今は環境音に凝るサークルも多くって、実際に街中で街の雑踏の音を録ってきたりもよくある話。腰振りパンパンの効果音も、金と機材のあるサークルはマイクの前でオナホとローション使って声優の声にあわせてパンパンして録り下ろす。よりリアルで臨場感のある音が仕上がって、妄想の中で二次元美少女が喘ぐ。実際に腰みたいな大型オナホを買う人もいるだろうけど、ほとんどそうじゃないと思う。本当は腰を振ってないけど、音で腰を振るイメージができる。AVやエロ漫画みたいに、映像や絵の刺激と同じように、音そのものの刺激という根源的なところに戻ってきた。それができる技術が積み上がってきたのね。だから、ほとんど受け身コンセプトだった市場はがらりと変わった。
女の子が喘ぐ声と音の質を重視する流れは、ASMRと合体して、耳舐めという文化を作った。女の子が耳を舐めてくれるエッチなプレイ。ただ浅いところでぺろぺろするんじゃなくて、本当に舌をねじ込まれているようなぐぽくぽしたやつが今の流行り。そのまま吐息混じりに淫語を囁いてくれる。それもバイノーラルマイクで。そして今の流行りはオホ声。これはエロ漫画のアヘ顔の音声版みたいなやつで、女の子が濁点がついた お゛っ て喘ぎ声をはしたなくあげるというもの。一歩間違えるとゴリラのウホウホ声になっちゃうんだけど、上手い声優さんはとても上手い。しかもこれはいわゆる種付けピストンみたいなごりごり男が責める内容と相性がいい。オホ声の流行は、古くから続く同人音声=M向けが決定的に覆されたわかりやすい例だと思う。
でも、ここまで盛り上がっている市場は衰退しつつある。粗製濫造のターンに入ってきた。それまでは個人のサークルが細々と作るまさに同人の文化だったが、そこから成り上がった大手サークルや、資本力のある企業が、どんどん数を出すようになってきた。
同人音声って、実は簡単に作れる。まずエロのアイデアを出す。そこからライターに仕事を依頼する。これで3万くらい。声優に読んでもらう。多めに見積もって10万。絵師に依頼する。これも10万だとする。編集だってネットで探せばやってくれる人は山ほどいる。これに5万としよう。あとはデザインとかロゴとかをフリーのデザイナーに依頼して2万として、合計30万。これだけあれば立派な見てくれの作品は作れてしまう。これを1000円で売ったとして、プラットフォーム(例としてDLsite)の取り分が4割なので、600円が利益。500本の売上が損益分岐点だ。500人に買ってもらえばいい。そしてこれは、有名な声優と有名な絵師を使えば、ほとんど簡単に達成できる。そして流行りがとても顕著でユーザーもすぐそれについていく市場なので、今であればとにかくオホ声主体の作品を作ればいい。損益分岐点を越えれば、あとは補充不要の自販機として延々と売れていく。有名サークルはほとんどFIREしていくだろう。年に数千万は固い。だから、参入障壁がとても低い。同人で家が建つのは漫画だとイメージしやすいと思うけど、絵はそう簡単に身につかない。練習が必要。でも同人音声は簡単。全部人に依頼しても作れてしまう。最初の元手さえあれば回るだろう。コロナもあって副業で音声サークルやる人が増えて、実は近年、同人音声の作品リリース数は過去最高を更新し続けている。完全に市場は飽和。そして利益が落ちたエロゲ会社もどんどん資本を投入してきていて、個人(同人)では作れないクオリティの音声をすごいスピードでリリースするようになった。今、音声市場は完全に供給過多になった。でも、それでも売れている。もうほぼギリギリで、そろそろ表面張力の限界のような気がする。
あとはプラットフォームの問題。現状はDLsiteが独占状態で、FANZAも最近は音声に力を入れてきたけど足元にも及ばない。DLsiteは事実上の独占にあぐらをかいて、一部サークルを反感を買うレベルで優遇したりと阿漕なことも沢山やっていた。最近はちょっとそういうのも大人しくなったけど、あまりにも一社独占なので、DLsiteの判断ひとつでどうにでもなる感じ。市場の競争が成り立っていない。これもすごく危ない。
そして同人声優。元エロゲ声優が半分くらい、もう半分は同人音声の時代に成り上がってきた若手。といっても有名どころの十数人が主力で、ほとんどその人たちで回っている。上に書いたように作品リリース数が跳ね上がってるけどネームバリューのある声優はまだまだ少ないので、余裕で半年や一年先の収録スケジュールまで埋まってたりもする。バイノーラルマイクを扱えるスキルがあってASMRにも理解があって耳舐めできてオホ声も出せる、あまりにガラパゴス進化しすぎた存在なので、替えが効かない。これもちょっと市場としては健全じゃない状態。
同人音声は、聞き手の想像力に頼る形で発展してきた。ドラゴン娘もサキュバスもエルフもスライム少女ともエッチできる。だって想像の、バーチャルの存在だから。どんなエロ漫画よりどんなコスプレより解像度が高くぬるぬる動く。妄想だから。そしてそれに説得力を持たせられる音の技術が上がってきた。純愛もNTRもスカトロも欠損も拘束も催眠も、だいたいの性癖はそろってる。無い性癖を探す方が難しいと思う。視覚に頼らないから、人の想像力っていう根源的なところが占める割合が大きい。AVやエロ漫画より可能性が広い。人の想像の数だけ広くなる。それが、目をつむって楽しむエロである。
確かにけものフレンズは低予算だけど大成功作だ!ヒット後が良くなかったけどな!
ポプテピピックみたいにキングレコード一社で製作費を持って安く作るのならわかる!
あの芸風は個人的には好きじゃないけど二期も来るし成功だったんだろう!
ゲッターロボアークみたいに(ほとんど)バンナムグループで製作費を持って低予算で作画ガタガタだけど愛でカバーするアニメもわかる!
ていうか最終回の続きを劇場版で作って欲しい!なんとかならないかな!?
邪神ちゃんドロップキックみたいにプロデューサーが奔走して飛び道具を使いまくってお金を集めるのもわかる!
夏目Pがポケットマネーまで出して三期もやってるのは邪神ちゃんに家族を人質に取られてるとしか思えないし
邪神ちゃんをファミリーアニメにしたいなんて言ってたけどあんなしょっちゅう血や肉片が出るアニメが家族で見られるアニメになるわけ無いだろ!
でも明らかに低予算で作られて話題にならず案の定爆死するようなアニメは誰が何のために企画を立てているんだ!?
惑星のさみだれとかどう見ても低予算で1話から作画がメチャクチャな上音響までおかしくて、フォローしてる水上悟志があまりにもかわいそうだよ!
まあ惑星のさみだれはある意味話題になってるけど、低予算で工夫も無くアニメ化したって不幸なアニメ化でしかないじゃん!
上で挙げた例なんてレアケースじゃん!!
ブライアン・イーノはみなさんご存知の通り、ロックバンド「ロキシー・ミュージック」の元メンバーでソロ転向後は、アンビエント・ミュージック(環境音楽)を開拓した第一人者として知られているし、デヴィッド・ボウイのベルリン三部作の制作にも参加しているミュージシャンであり、視覚芸術のインスタレーションも作成しているアーティストだね。マックで女子高生が言っていたから、みんな知ってる。常識。
で、イーノ(マイフレンド)の展示だが、非常に印象的でして。京都信用金庫旧厚生センターという何やら歴史の趣を感じられる建物内に、複数階に渡って設置された音と映像、インスタレーションをじっくり楽しめる。どの展示も室内に椅子やソファが設置されており、寛ぎながら鑑賞することができる。視覚的な変化を楽しむ、という作品が多く、イーノがアンビエントを時間と空間の変化として捉え、変化の一形態としての音や映像といった落とし込みを行ったのかなとか。
音をメインとした展示では、ここのところ純粋に一枚のアルバムを聴くというリスニング行為から、すっかり遠ざかっていたんだな、ということを思わされる。真っ暗な室内に立ちすくんだ後、薄らと見えてきた椅子に座り、周りから聞こえてくるあらゆる音に圧倒されてゆく感覚。この人は、アンビエントミュージックだけの人ではなく、長いキャリアの作曲家であり音楽家なんだな、ということを実感する長尺の演奏曲。
そうして私の心の一部は、喜怒哀楽の隙間、言葉では形容しづらい感情・感覚を呼び起こす原初の音響の中、靴を脱いで展示スペースに上がると言う所作からわずかに思い起こされる、京都という地場の影響を受け、遠く海の向こう、空の向こうにあるかもしれない過去や未来と溶けあっていく……とかなんとか。
思ったよりも楽しめました。まる。
原作は未成年のころ好きだった。と思う。計3回読んだかな。年を経た今は我慢しろと言われる序盤のむず痒さや作者の未来の自分へのキラーパスなどと自称する作品の作り方が肌に合わなくてお別れしてた。(戦国妖狐中盤ぐらいで脱落した)
それでも三日月やら穴掘りやらバビロンやら無駄死にやら(マグロやら)好きだったな~と思い出す程度には楽しんでいたと思う。
んで、アニメだけど。期待値が最低の状態で見た結果……。思ってたほど悪くなかった。OPは全然力入ってないしEDもよくあるまったく力が入ってない止め絵をスクロールする形式だったわけだが、そこは今後キャラがどしどし増える作品だからせめてOPは後期バージョンで映像差し替えがあると信じて低評価点にはしなかった。EDも完結作品アニメ化するなら力(愛情)入れろよと言いたいが他でも多々ある形式なのでまあ。あ、曲はどちらも特によくはなかったです。
作画に関して。これも特に静止画・動画でひどく崩れているという印象はなかった。ただやっぱり戦闘の動画部分のスライドや紙芝居と揶揄される形式はね……。FLASHや個人製作動画を彷彿とさせちゃうよね……。
しかし、だ。これも擁護してみるとさみだれの泥人形戦ってそんなに面白くしようがないというか。名前無しの序盤とかなぁ。今回の一体目をグリグリ動かしても面白さにそんなに寄与しないでしょ?逃げてパンチで助けられてって。だから省力できるポイントなんだ。……第一話でしちゃうのはさておき。第一話の動画に関しては「お前ら(原作読者)が楽しみにしているのはここじゃないだろ?」というメッセージと受け取ったよ。
次。声。評判通り夕日の声がちっさい!編集ミスかってぐらいであわてて音量を上げた。ただこれも演技自体は「ただの一般人の大学生」というキャラであれば自然、"リアル寄り"な喋りだと感じた。走りながら喋る所は結構高評価を付けたいと思います。むしろさみだれの声の方がきっつかった……。コメントはウマ娘のキャラ?の声優らしくて沸き立ってたけど。他三人が落ち着いた(姉も聞きやすい)声だけにキンキンとまでは行かないがアニメアニメだなぁっちゅうかマイクちかない?て言いたくなるような声やねん。
声優個々によるトーンの統一?とか音響さんが指揮しないとムリだろうけど、このまま他のキャラも並のアニメ基準ならそれは夕日がすごく浮いちゃうだろうなと思う。夕日は声のローテンションで浮いてもアリなキャラではあるので傷は浅いか。
アニメオリジナル部分が微妙?お姉ちゃんとのやりとりとか。会話中にねじ込んだ祖父のトラウマとか。
泥人形遭遇時は逃げろ→上だ上を目指せ(アニオリ)→止まるな走り続けろ
って特に根拠なく急な階段をのぼる指示を追加したせいでそりゃ息切れするに決まってるのに止まるなと原作セリフを引き継ぐもんだからじゃあ階段のぼらせるなよって突っ込みたくなったよ。原作通りじゃなくてなんでわざわざ違和感を追加したのか。これがわからない。
違和感ある部分が後から原作見るとオリジナル要素で、信頼感が下がるよなあとなりました。
アニメって普通、一話が重要で視聴継続の可否を判断する「一話切り」の闘いがあるじゃん?そうでなくても1話の出来を見て、1話の質のちょっと上からまあまあ下が作品各話全体の質と推し量ることがあるじゃない。でも惑星のさみだれはそもそも、その戦いのリングにのぼってすらいないような感触を受けた。これが典型的失敗作の症状なのかどうかはアニメ経験値が低い増田にはわからないが、対案を出せよ対案をと煽ってくる脳内クソ上司に従っても、あのシナリオで視聴者をエキサイトさせる理想の第一話って思いつかない。今回読み直してみても原作1話は盛り上がりようがない内容だ。絵的にはビスケットハンマーの引きに頼るしかない。ぶっちゃけこの原作1話ならこのアニメでいいだろと思う自分がいて、この第1話をことさらこき下ろす気にはあまりなれないのである。
総評すると今はまだ「第1話で集客する気がないアニメ」に収まっている。完結済みで人気も高い作品だから視聴を継続してくれる固定ファンが多く居ると信じてのこの作りだと信じてみる。声優や脚本に不安が残るものの、作画に関してはきっと後半戦に力を配分していることだろう。「序盤を耐えろ」はさみだれ既読者なら是非はともかくわりかし知っているはずで、既読者向けと仮定したこのアニメはそこに賭けているのではと邪推するしだいである。
(しかし1話だけ見るとまったく愛を感じない作りでなぜアニメ化したのか謎や不安感を抱かせるには十分な作品であった。視聴を続ける気はないので野次馬として視聴者たちの今後の悲喜こもごもに期待している。)
>佼成会に関して
結構三世とかいるもんだね。団体参拝はうちらの所では団参て言ってたけど地域によって違うのかな?
鼓笛隊やってたのとか青梅練成道場行ったことある人とか、広島平和学習とか参加した人もいたりするのかな?
>普門館
鼓笛隊やってたから、ステージで演奏したことあるけど、某吹奏楽アニメのステージの上からの観客席の光景は、まんま「そうそう、こんな感じ」だったな。
箱が多きいのと、宗教組織の施設ということで大型バスが数十台止められる駐車場もあったので重宝されてたみたい。まあ音響はよくないらしいけど。
それ以外にも色々組織外でも使っていたみたい。
>佼成会もやばい
先週末あたりから Twitter とかで野党ガーと立正佼成会の名前を出してDD論?みたいなの増えてきてるけど、100人いたら95人がやばいと思うのと100人いたら10人やばいと思うのを十把一絡げにしたら、結局、じゃあどっちもOKだよね?って感じになっちゃうよ。
そこはある程度切り分けて議論しないと。
あなた達の建てた普門館と朝日新聞の強い後押しのせいで吹奏楽が芸術の枠組みから離れ予算獲得とレースの道具になったことについて強い憤りを感じています。
自殺者も出ました。
責任を取ってください。
高校野球関連で何かあったら阪神電気鉄道に責任求めるの?さすがに近代の法治主義では「そんなんしらんがな」と言わざるを得ない。
創価学会と比較したいみたいだけど、宗教学の方に言わせると教義の変遷がグジャグジャで、指導体制が変わったら簡単にカルト化するから気をつけろだって、笑う
指導体制が変わってもカルト化しないのなんて一部の伝統的宗教以外全部そうでしょ?まあ将来の可能性でどうこう言われても困るとしか。次期会長はこれこれでとか具体的ならまだしも。
なんかブコメみてると身内の褒め合いばかりで、創価学会版よりかなりつまんねーな
佼成会三世だと最初にいってるけど、ごめんまじで何言いたいか分からない。ミエミエの魂胆って何?
さすがに党派性まみれの人でも頑張って理解したいけど、エスパーじゃないから無理。
子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出した」程度なのに、教団の内部の事情についてなぜ語れるんだろう。
ある宗教団体は俺より薄い接触でもほとんど酷い体験か、あるいは酷い体験をした人が複数出てきてるんだから、そこになんらかの差異はあるでしょ?
てか、その理屈だと数十万とか百万単位の人の集まりに対して、いったい誰が何を語れるの?
一参加者から見たコミケの話をしてる人にいちいち同じようなつっこみいれるの?
>票の流れ
それは分からんなー。ただ、長年自民と組んでたしやっぱり保守よりの人が多い気はする。
>高額寄付
うーん。これいまいち分かんないんだよね。はてなでも社会福祉活動をしてる財団や地方自治体に篤志家が億単位の寄付したら、だいたいポジティブに反応するのに。
宗教団体もあるていど社会福祉活動にかかわってるし、一概に高額寄付はダメっていう理屈がよくわからない。
そこあたりは宗教云々というより消費者保護法あたりの感じで言った方がいいた思うけど、いきなりそれだと宗教界の反発で結局なにも変わらない、現状維持になっちゃわない?
>佼成会もカルト
えー?新新宗教って言葉しってるなら、佼成会は新新宗教ではなく新宗教だって知ってるはずだけど何と勘違いしてるの?
しかしさっきもちょっと触れたけど、先週末から立憲ガー佼成会ガーとかあるけど藪蛇になるかもね。
90年代カルトが話題になってた頃、俺もカルト扱いされた体験あるし、カルト扱いはかなりいやがる人多いと思うよ。
マーティーに「You're chiken」いや仗助の髪型馬鹿にする感じかな?
単に宗教団体との関係ではなくカルトであるという指摘なら理論必然ではないけど、創価よりカルト度が高いことを強くしさするので怒りパワーさらに二倍かな?
アイカツは好きだ。
プラネット以外は全話見ている。
プラネットがなんで合わなかったのかといえば、プラネットは2.5次元のアイカツだったからだと今なら確信が持てる。
当時、アイカツプラネットを5話ほどで切った時自分は「演技の下手さに付き合うことにキツさを覚えたのだな」と自分を分析していた。
だが違った。
それが今回ハッキリした。
アイカツの舞踏館ライブはキャラクターと歌い手を積極的に繋げる作りだった。
ビジョンに映るアイカツのキャラクターに合わせて、その依代としての歌い手が次々に登場していく。
ここでもう自分は「アイカツの歌を歌う人達のライブ」としてではなく「アイカツキャラクター達によるライブを現実で再現しようとした儀式」として脳が認識してしまった。
歯車の噛み合わせ方を間違えた自分が悪いのかも知れないが、結果としてライブへの期待感は次々と違和感へと変わっていった。
「アイカツキャラを名乗るコスプレをした別人達によるライブ」は、自分が期待していた「アイカツのライブ」ではなかった。
それがコスプレだからこそ愛を感じるのだ努力を感じるのだと思う人はいるんだろうが、自分は「そんな努力をする必要があるのか?」と考えてしまった。
だって、アニメでやった方がより本物らしく、より完成度の高いものを作り出せるのだから。
キャラクターデザインが決められ、アニメーターが絵を用意し、そこに声が当てられる。
現実のライブも衣装デザイナーやメイキャッパーがいるが、ステージに立つ時1人の人間は1人の力しか出すことが出来ない。
それも1秒につき1秒分の力しか出せない。
だがアニメは違う。
3DCGを担当するグラフィッカーは数秒の映像のために何日もかけて準備をして何度もリテイクをし、最も上手くいった瞬間を繋ぎ合わせる。
声優だって同じように何度も撮り直すし、音響は完成した映像に合わせて何度も微調整をする。
リハーサルではなく本番を繰り返し、その中で最高のものが作り上げられる。
「一発勝負であること」を価値として提供するライブとの違いは「一発勝負でないこと」に強みを置いている部分だと言えるだろう。
「理想の瞬間」を目指すための努力ではなく、完成された「理想の瞬間」そのもので勝負してきている。
結局のところ、2.5次元というのは「3次元が頑張って2次元の理想に近づこうとする姿」なのだ。
それこそがアイドルの精神であると思う人が2.5次元に惹かれているのはわかる。
だが、自分は「より理想に近い姿が2次元でこそ実現できるなら、わざわざ3次元を触媒にする必要はない」と思ってしまうのだ。
この考えは穿ち過ぎなのかも知れないが……結局2.5次元をありがたる人はどこかで「3次元のほうが上」と思っているんじゃないだろうか?
2次元をより高次の次元である3次元へとアセンションさせていると感じているのではないか?
3次元に2次元を再現しようとしたことで産まれる違和感は、2次元のエネルギーがもともと3次元より低いことで発生しているから仕方ないとさえ思っているのでは?
すまない。一度落ち着く。
俺はおそらく、それと真逆なんだ。
理想を具現化するための媒体としては3次元よりも2次元の方が上だと思っているんだ。
だがその情報量の少なさがそれぞれの持つ理想にとっての最大公約数を取るのに都合がいいのだ。
つまりは「マスクをしていない方が美男美女に見える」だとか「見慣れてない外人の顔は美男美女に見える」と同じく、脳で情報を補うからこそそこに理想を見れるのだと。
結局俺たちが見たいのはそれぞれの目線から見える「理想のイデア」であり、そこにより近しいと感じられるものをこの世界に生み出すのには2次元の方が都合が良いと思うわけだ。
なぜそれをわざわざ3次元でやろうとするのか、きっとそれは単にその人にとっては「3次元のコンテンツを通して見たほうが2次元よりも理想のイデアに近いものが見やすい」からという結論で良いんだろう。
これはもう価値観の中でもより個々人の勝手でしかない趣味趣向の問題だ。
どっちが正しいとか間違っているとかではなく、どっちが合っているかでしかない。
そして自分にとっては2次元の世界で再現されるキャラクターの姿によって得られるものが、2.5次元で演じられたものより圧倒的に多いのだ。
得られるものについては「トキメキ」とでも言っておくしかない……表現力がなくてすまない。
今回、そのことに確信を持てた。
テニプリや弱虫ペダルのミュージカルと向き合った時は「きっと俺はそこまで原作が好きじゃなかったんだな」って終わっていた。
だが今回はそうじゃない。
俺はアイカツがすごい好きだけど、アイカツの2.5次元は2.5次元だったので受け入れられなかったのだと自信を持って言えるのだ。
昨日水曜日のダウンタウンでやっていた「マツケンサンバを踊りながら泣くことなど出来ない説」。
マツケンサンバIIが流行ってCDがリリースされた2004年当時、俺は就職活動中の大学生で、将来に不安を抱きながら日々を過ごしていた。そんなとき、ラジオで、テレビで、カラオケで、マツケンサンバIIを聴くたび、その時間だけでも不安な気持ちが和らいだんだ。
社会人になって20年近く経つけど、マツケンサンバIIを聴くと大学生活とか部活とかの思い出がよみがえって泣けてきちゃうよ。
あと地味に伴奏もかっこいいんだよな! よく聴いてみてほしい。腰元ダンサーとか照明とか紙吹雪とか舞台演出も含めて、みんなでがんばって幸せ空間を作ろうとしていて、実際、曲の間は幸せな時間に包まれていて、個人的な思い入れもあるけど、この要素でも泣けちゃうなぁ。
Web会議での疲労感は“音質の悪さ”が原因。NTTデータ経営研究所とShureが検証
株式会社NTTデータ経営研究所およびシュア・ジャパン株式会社(Shure)は13日、両社が共同で実施した、Web会議における音質の違いが身体へもたらす影響を検証する実証実験の結果を公開した。
新型コロナウイルス感染症の拡大にともない、日常的なWeb会議の実施など働き方が大きく変化している。その中で、対面会議より疲れる、オンラインだと内容が理解しにくいといった声も多く見受けられている。両社ではこれらの要因の解明に向け、「オンライン会議の音質が生体ストレス反応に与える違い」を検証する実証実験を行なった。
その結果、主な影響として、音質が悪い会議では、内容が理解されないだけでなく、参加者にストレスを与えることが確認できたという。加えて、ストレスの原因として特に認知機能に対する負荷が高まる傾向があり、負荷が継続することで認知機能が低下し、理解力など会議に必要な能力が鈍くなると考えられること、さらに、内容が理解できないことによるストレスが会議後半にかけて蓄積されることも分かったとしている。
これに対し、実験を指揮したNTTデータ経営研究所の磯村昇太氏は、Web会議の音質がもたらす、無視できないレベルのストレスの存在が証明されたとしたうえで、生産性がよりよい労働環境の用意に向けては、Web会議の音質にも注目すべきだろうと述べた。
また、Shureの大友裕己氏は、今回の実験によってWeb会議後の疲労感の正体を突き止められたとし、今後も増加が予測されるハイブリッド会議に向けて、空間規模や会議の目的にあわせた音響システムの選定/利用は、参加者のストレス低減だけでなく生産性向上にも貢献できると述べている。
これは間違いなくありそう
バンドとしてまぁまぁな手応えのあるライブができて、何となくそのノリで今の音でも撮っておくかとスタジオに入り、ほとんど一発撮りで、アルペジオが美しく重なるインスト曲が仕上がった。その日はそれで満足して帰路に着いた。
翌日、ドラマーが撮り直してきたとデモを聞かせてくれた。ドラム部分がよりローファイ気味に、部屋の反響も含めて中低音に溜まるような音で、全体の音響にバランスをもたらしていた。それを聞いて、メンバーは浮足だった。これはいいんじゃないか?これと同じモードでもう何曲か撮っておこう、アルバムだな、と。
これから作る曲と音のビジョンを、リーダーのベーシストがフリップボードに書く。「捨てない(自分たちのこれまでの良さを否定しない。瑞々しいメロディラインを残す)」「受け入れる(時代の変化を柔軟に受け入れる、過去の音楽からの影響も認識して受け入れる)」と書いてあり、抽象的過ぎる、と他メンバーからつっこまれる。
フリップボードにはビジュアルイメージがペタペタ貼ってあり、その中でデビッド・ボーイのアルバムジャケットについては、みんな口々にこれはいいね、この方向性でいこう、音というよりはマインドでね、と意見が一致する。
いや、ちゃんと就活なりなんなりをロクにやらなかったせいなのもあるけども。
元々理系脳では全くなかった。小学校のテストで算数はよく再テストになってたし。
高校受験の際市内でも割合レベルの高い学校も合格できると塾の先生から言われた。
でも当時家庭の事情もあって確実に公立校に合格したかったからレベルを下げて中の下くらいの高校を受験し、無事入学した。
思えばこの頃から努力や挑戦から逃げる癖や他人の目を気にする癖が付いてしまっていたのかもしれない。
そしたら学年2位の成績を取ることができた。もちろん苦手だった理系科目もだ。
当時僕は自動車とか飛行機に興味を持っていた。まあエー○コンバットとかグラ○ツーリスモの影響もあるし、中学の時離れていたミ○四駆を再開したってのもあった。
ちょうどテストの成績も良く天狗になっていた僕は自動車の開発に携わる人間になると三者面談で豪語した。
ただ決めたからには色々リサーチしておくべきだったのだが当時の僕は大学行けばまあなんとかなんやろみたいな感じでのらりくらり過ごしていた。
高校2年、数学系の成績が悪くなる。とは言っても充分上位にはいたので特に問題視はされず、教師からは是非この成績活かして推薦で大学に進んではと意見をもらっていた。
ここでその道に進むとはどういうことなのか、というのをきちんと理解していなかったのがダメなところだった。
高校2年の冬辺りから音楽ゲームの影響で音楽(電子音楽)ハマりだす。
コレが後々いろんな出会いを生み出すことになるし結果的に今の状態を生み出すきっかけになる。
推薦入試で県内の中堅私大に合格した。もちろんオープンキャンパスにも足を運んだ上で決めた。ただ今思えばここで「県内で近いし大学生になれるならココでいーや」みたいな気持ちがあったのも事実かもしれない。
推薦が決まった後はまあそれなりに真面目に授業を受けつつ、友人が音楽製作始めていて僕も興味あるしやってみるかとiPhoneでいじくり始めた。
そしたらまあ思いの外楽しかった。ただ今思えばココでちゃんと音楽の勉強とか自分でしておけばよかったと後悔している。
前期はまあそれなりに突破した。後期基礎科目なのにも関わらずいまいちついて行けず二つ単位を落とし、物理の授業はほぼお情けで合格と言ったところだった。
この時点で専門科目よりも教養とか英語とかの授業の方が楽しいと感じていた。今思えばこの気持ちに正直になっていればと思う。
世間は大学生らしいことができないだのなんだので騒いでいたが、僕は電車に乗らんでいいし色々ラクできるしええやんみたいな気持ちになっていた。
というかこの時点でもう自動車開発とかの気持ちはなくなっていた。この頃に音楽製作によりハマりだして色々買い揃える。ただ基礎からの努力を怠っていて色々不便を感じることもある。(この基礎からの努力を怠る悪癖は後々牙を剥く)
オンライン授業のせいにするわけではないが、大して理解せずともまあ単位は取得できた。できてしまった。
しかし、メールとか掲示板とか見ないバカだった僕は就職ガイダンスにロクに参加しなかった。というか気づいてなかった。意識クソ低い系の学生だった僕はインターンとか意識高い系のすることやろとか思っていた。今考えるとアホ極まりない。
というか今考えると意識的にシャットアウトしてたかもしれない。
同時にもう大学の授業に面白みを感じてなかったが、真面目系クズな僕は超低空飛行ながらも単位を取り続ける。
ここいらで自分の考えていたモノ作りはある種芸術的な方向であったと気づくべきだったかもしれない。
というか大学生になるべき人間ではなかったことにさっさと気づくべきだった。
もうこの頃には自動車の開発とかには全く興味がなくなっていた。研究室の配属希望を出すが、自己PRの解釈を間違えてクソみたいなことを書いたら第六希望くらいの大して興味もない研究室に配属される。
秋辺りからポツポツと1dayインターンとか行き始める。ちなみに自己分析だのspi対策だのES雛形作成だの全くしていない。
機械科だから機械の仕事をすべきみたいな考えでその辺りの会社を見ていた。
特に企業研究とかしていなかった。バカだ。この時点で音楽のが楽しくなってそっち方面で何かできたらと考え始める。
そうこうしてる内にまあちょっと音楽関係でいいことがあったりとか実験がクソ忙しく(実際にはレポートとか課題とか先延ばしにしまくってたクズ)なって就活から遠ざかる。
というかオンラインのガイダンスも後でまとめて受ければいいやで先延ばしにしてそのまま忘れるんだが。
合同説明会とかにも行き出す。今更かよ。合同説明会に行き、通路を通っただけでウチどうですかどうですかと声をかけられて、顔を覚えられたりして恐怖を感じ、トイレに逃げたりした。
3月、エントリーが本格化してくる時期。ようやくエントリーシートなどに取り掛かり始める。が、ここで最悪のつまづきをする。エントリーシートが全く書けない。そもそも将来のビジョンって自分にあるのか。学生時代何を頑張ってきたのか。自分は何をしたいのか。何者なのか。急激にどうにもならなくなってくる。今思えばうつ病に両足突っ込んでいた。ロクに寝れなくなった。食欲もなくなり、ゼリーをかろうじて胃に流し込む日々。
コレもすべて大学生活、もっと言えば高校生から自身の適性やキャリアプランを考えなかったツケなのだが。
こんな就活のしの字も分からない自分に誰かを頼る資格もないと考えひたすら内側で自問自答する日々。
就活の助けになるだろうと登録したエージェントからはメールや電話爆撃で電話に出るのも怖くなる。
このままじゃもうニートまっしぐらだ。周りに自身の、周りからいい子だと言われ続けた自分がこうなってしまうなんて。このままじゃ大学の名前にも傷が付く。
そんな気持ちで一杯になった自分は急に自殺しようと自室の窓から飛び降りた。まあ直前で怖くなってしがみついたおかげで打撲と派手な擦り傷で済んだのだが。まあしばらくは上手く歩けなくなった。
この頃はロクに思考も出来てなかった。よく嘔吐もした。体重も落ちた。
昔からその場の楽ばかり選び、他人からいい子で見られる為に生きてきたことに気づく。真面目系クズだ。
そんな中、企業の方との面談が入る。そこでなぜこの大学に、この学科に入ったのですかと聞かれる。
そこでクソみたいな思考の僕は焦点の合わない目でこう答えた。
クソみたいな考えだ。
そんな最中母親からこう提案される。音楽に興味があったなら卒業後に専門学校への進学も視野に入れてはどうかと。
昔(特に高校生)の僕はストレート大卒ではないといけないという考えに囚われていた。周り道した人と出会わなかったのもあるが。
作曲を仕事にするのは難しいが、音響のこととかなら視野に入るのではないかというアドバイスも貰った。ちょっとその気になりつつ、それがある種就活からの逃げではないかと罪の意識に囚われ、いまいち吹っ切れない。
この頃は理由もなく突然泣き出したりとかもよくあった。
そんな状態で4年生卒業研究が始まる。もうこの時点で単位は卒業研究以外すべて取り切っていた。
まるで興味のない分野、そもそも興味が薄れていた専攻、そしてこのような精神状態。決まったテーマも希望のテーマから外れた。
研究室で昨年の論文に向き合う。が、何も知識がない、というか応用することが全くできなかった(数学は公式を暗記して解くモノと思っていた)僕はもう何も理解することができなくなっていた。周りはどんどん前に進んでいるのに自分はどうして何もできないんだという気持ちになり、ますます自身を追い詰める。
研究室に行っても全く集中出来ず、じっとしていられなくなって席をよく立ったり、昔からの癖であった消しゴムとペンの戦いごっこが辞められなかったり、高校数学の知識が抜け落ちてたりしていた。というかどのように卒論を進めて行けばいいのか、という計画もできない。とはいえ研究室には行かなければという気持ちで毎朝嘔吐したりしていたがなんとか向かっていた。
5月、半ば辺りから徐々に食欲とかは回復していった。とはいえ、集中力散漫なままだし頭の中にずっとラップがかけられている感覚は抜けないし、風呂に入る気力もなかったり、帰宅すれば即寝落ちみたいな日々が続くのだが。研究報告のパワポもロクに仕上げられず、自身を殴ったりした。
そんな中共同研究者が失踪した。後で卒業研究2年目の先輩に聞いたのだが去年も1人失踪したらしいしなんなら所属学生全員卒論落とす可能性もあったとかなんだとか。
自身のテーマに関係する部分の勉強会に参加した。しかし、教授の言ってることがまるで分からない。どうにもならない。卒論は書けるのか。
シーズン2はガッカリだったけどシーズン3はどちゃくそに面白かったよ!
どれも10〜20分くらいのショートアニメだけど、自分は何を見たんだ...?!ていうショッキングなものから、軽く笑えるものまで振れ幅が広くて最高
1. "Jibaro"
この沼の魔女が隊の他の兵士や、守護のために同行していた尼さんたちを殺していくシーンが凄まじい
ロマとかタイ舞踊みたいな魅惑的な身のこなしが圧倒的に美しいんだけどそれと同時に身の毛がよだつほど恐ろしい 絡め取られていく兵士たちがフィギュアスケートを踊るように絡め取られて踊り狂って沼に沈んで死んでいく、馬は沼に沈み、甲冑の重みで溺れ・・・
いろんなアート、コンテンポラリーダンスとかを取り入れてるんだろうけど、見ているともう画面に釘付けで、ああ、やめて・・・もうやめて・・・でも目が離せない!と呆然としてしまう、そこに一人取り残される聾の兵士、
この後の展開も素晴らしく恐ろしいから是非見て欲しい
2. "The Very Pulse of the Machine"
衛星イオの表面で調査をしていた二人の宇宙飛行士が事故に遭い、生き残った一人がもう一人を引き摺りながら脱出を目指すが、そのために使った薬物の過剰摂取で幻覚を見るようになり、死んだパートナーの声が聞こえるようになるがそれはパートナーではなく、、、という話
イオの組成について幻覚が語りかけてきて、それはなに?それはなに?という問いかけから答えを導くシーンがゾクゾクします
3. "Night of the Mini Dead"
ミニチュアのゾンビアポカリプス。最後の puff!!! が最高、文字通り、遠くから見ると喜劇、なのか
ほかに、殺人マシングマと特殊部隊が戦う話とか、オブラディン号の帰還まんまの海の怪物との邂逅の話とか、とにかく全部捨て話なしの良さなのでみんな見て
そのスウェット何日洗ってないの?ちゃんと正装してこいよ。靴下もちゃんと履いてこい。
物食べながら見るのもおかしい。たとえばポップコーンこぼしたときうっかり目を外したら肝心なシーン逃すかもしれないだろ?
そもそも瞬きだって失礼だよね。咳も重用なセリフを聞き逃すかもしれない。
というかそのモニタホコリだらけじゃん。ちゃんと拭けよ。そもそもそのしょぼいモニタとスピーカーで「作り手の意図通り」の表現できるわけないだろ。映像や音響にどれだけこだわってると思ってんの?高価なアンプでしか表現できない音とか、隅っこにちっちゃく写ってる小道具の文字とかが重要かもしれないじゃん!