はてなキーワード: 自尊心とは
この年末年始にひとつも商売のことを考えない人は小売業に向いていないし、
この年末年始にひとつも建築のことを考えない人は建築業に向いていないし、
この年末年始にひとつも金融のことを考えない人は金融業に向いていないし、
この年末年始にひとつも客のことを考えない人はサービス業に向いていない。
とは言わないのに、なぜIT系エンジニアだけそう言われることが多く、しかも一定の妥当性を認めてしまうのか。
それはIT産業が、従事者の好奇心にフリーライドして成立している業態だからに他ならない。
そう考えると、他にこのような言説が成り立つような業態は全て、従事者の好奇心・嗜好性・サービス精神・使命感・自尊心・ほか色々なものにフリーライドして支払うべきコストを支払えていないと言えないだろうか?
たとえば、
この年末年始にひとつも医療のことを考えない人は医療従事者に向いていない
この年末年始にひとつも子供のことを考えない人は教育者に向いていない
この年末年始にひとつも学問のことを考えない人は学者に向いていない
この年末年始にひとつも絵を描かない人はイラストレーターに向いていない
この年末年始にひとつも筋トレをしない人はスポーツ選手に向いていない
この年末年始にひとつも練習をしない人はピアニストに向いていない
この年末年始にひとつも小説を読んでいない人は小説家に向いていない
成立していると思うなら、その業種についてフリーライドを認めていることになると思うが、どうか?
ここ数年はコミケと旅行で逃避していた年末年始の『本物の社会』とのコミュニケーション期間。
「今回はオンラインでやるからお前も来い」とのことで久方ぶりにジョインするも以前にも増して感性のズレがしんどい(空白期間の情報量差と人生ゲーム落伍者コースとメインストリーム組との”格”差)。
SNSでは居心地のいいTL、つまり価値観の近い言葉で埋め立てられている。
趣味仲間においては趣味周辺の話題に終始していれば平穏無事な場面が多い。
しかし、基底現実での関係は物理空間での因果なので同時代性以外の価値観に致命的なズレが生じており本当に無理だった。
1対1での会話であれば相手に向けたチューニングをお互い出来る範囲で行うのが常なので、コミュ障同士でもなければなんとか成立し得る。
だがこれが多人数となると場の支配的な人物乃至主要となる関係性が全面に出されてしまう。
すると帯域が非常に狭い自分はエラーを吐きまくる。普段どれだけ相手に気遣ってもらっているかという証左でもある。
メインストリーム組は『流石だなと』思える立派な人もいれば『相変わらずダメやってるな』という昔なじみも多いんだけど『それ今の倫理だとアウトでは?』を平然と発言するジョックスも居て、
しかし自分の見たい世界以外の大多数の社会では実際一般的とされる認識であることも分かってしまうので病む、となる。
自分は彼らの発言の背景にある苦労を知らず、借り物のポリコレ棒を徒に振りかざすことの醜悪さに怯えているだけだという自覚はある。
ターゲットになることは少ないにせよ下層に所属する自分は弱者の発言権を行使してまで主張するほどの覚悟はない。
何れにせよ『対等のステージに立てていない』自分が相手の自尊心を不用意に傷つけ周囲の和もかき乱すというのは悪手と捉えているので事なかれ組に迎合している。吐き気がする。
9割方肯定、少なくとも否定せずにいられる相手の1割を『目下の者』が諌めるのはとても難しい。その配慮ができるのであれば暴君以外とは『対等以上』の関係になれているだろう。
その1割から目を背けるためにフローターを気取っていたという事実を改めて突きつけられてしまったので、子供部屋おじさんとしての呪詛をアルコール消毒することにした。
化粧してスーツ着て面接して自己アピールして……な就活が苦痛すぎて、とりあえず内定欲しさに見るからにブラック企業で内定をもらって半年経たずに辞表を出すことになり、メンタルやられて1年くらいニートして親のすねをかじっていた。(仕事を探して応募することはしていたが、やる気のなさが露呈していたのか50社ほどにお祈りされて心が折れた)
流石にやばいと思って派遣に登録して期限いっぱいまで働いた。そこでは社会復帰の意味合いもこめてとことん頑張ったつもりだったけど、とてつもなく暇な職場だった。忙しい時期はあるにはあるけど、8割がた暇で、丁寧なマニュアル作ったり、同じ所属の定年のおじいちゃんが暇そうに居眠りする横で私も居眠りをかますくらい暇だった。それでも仕事ぶりは良い評価をもらえた謎。そこで数年過ごして、ブラック企業時代にへし折られた自尊心やら自信を少しずつ取り戻せたと思う。
暇な派遣先を辞めたあとは、いつまでも派遣でいるわけにはいかないので、正社員の仕事を探した。転職エージェントとかも使ってみたが、全然成果が上がらず、数ヶ月が経過。焦って私はまた派遣で仕事を探した。運良くOKをもらえたところは以前の派遣先より条件が劣る職場だったが、職なしの不安から逃れたい気持ちが勝り、そこで働くことになった。
そこがまあ良い職場すぎてびっくりした。
就活時代の苦労はなんだったのかと思うくらいに、ここに来たらとんとん拍子に直接雇用にまで行ってしまった。私が特段優秀だからではない。まさに運、ご縁という感じだった。
定時で帰れるし、嫌な感じのする人も皆無で、人間関係も良好。給料も悪くない。職場環境は最高だ。なぜ自分がこんなに最高な環境で働けているのか分からない。この職場に来れたのは就活を頑張ったからじゃない。単にタイミングと運が良かっただけだ。
人生ってままならない。
わかるわ。異様にレッテル貼りされてるよな。
維新なり吉本なり在阪メディアなり、大阪のお偉方が明るくてハキハキしてて人情深い(→声がデカくてガサツで過干渉な)ステレオタイプをこぞって演じまくってるせいもあるんじゃないかと思う。
大阪来て結構たつけど別にふつうだよ。ただ大阪ってだけで人格形成にそんな差なんて出るわけない。2,3年住んでそれなりに人と話せばわかるよ。
当たり前のようにネアカもネクラもいて、ひねくれたアホがいれば素直で賢いやつもいて、お笑い大好きマンがいれば興味ないやつもいる。貧乏もいれば成金もいればガチのセレブもいるよ。
他の地方よりは都市規模がでかいから外界(関西外)に疎い感じはするけど、東京みたく衛星都市にマウント取ったり標準語強制したりしないし。方言うつりやすいから逆に関西弁混じりで喋ってるけど、特にエセ呼ばわりされたこともない。あくまで個人の観測範囲だけど。外界に疎いのは東京さんもそうですしね。
確かにネクラでもコントみたいな会話する傾向はあるけど、自分の周りはズレたこと言ってもカラカラ笑って会話を転がしてくれるのでコミュ障としては助かってる。たまに、ダウンタウンでいう邦正役を押し付けていびるめんどくさいのはいるけど。そいつは多分出身地関係なくそういう性格なだけ。
こっち来て在阪メディアに慣れるどころか、あの歯の浮くナニワしぐさに偏見する側への媚びが混ざってるとわかってむしろ無理になってしまった。今やってる朝ドラもそう。大大阪時代の栄華にすがってる時点で寒いと思ってしまう。北陸生まれの田舎もんが言うのもあれだけど、さすがに虚勢張ってんなって思う。まず大大阪っていう言葉をこっち来て初めて知ったしな。
でも実際、ああいうノリや太古の栄華を自尊心の一部にしてる人もそれなりにいるんだろうなと思う。むしろそっちのが多いかもしれん。じゃなきゃ都構想もあんな割れないだろうし。
多くの衣類は女性に「美しく」あるように求めています。「でも細見えした方が女性には売れそう…」分かります。「なぜその方が女性に売れるのか?」を考えてほしいんです。「スリムな女性」の方が「価値が高い」と絶え間なくメッセージを発する社会では、女性自身が「すばらしく」なんなら「普通」になるためには「美」が欠かせないものだと思うようになるからです。
「ダイエットして自信が持てた」「メイクして自信が持てた」誰でも聞いた事のある言葉だと思います。女性の自尊心は常にマイナスであるよう生まれた頃より社会から植えつけられ続け、それをプラスにするためには膨大な時間とお金を使い続けなければなりません。
一方男性はどうですか?男性はどんな顔でも体のシルエットに気を配らなくても、驚くほど(本当に驚く!)自分に自信を持って堂々と暮らしています。
すごすぎる
男性すげええ どんな顔でも身体のシルエットに気を配らなくても自分に自信を持って堂々と暮らせるんだ!
女性は全員大変なんだな 自信ある女性なんてごく少数で、みんな自尊心を深く傷つけられながら健気に生きているのね
すごい 本当にすごいぞ
すごい世界観だ
ヤバすぎるでしょ ウォッチしようかな
そういうところに行ったら、人によっては自尊心が壊れるし価値観もおかしくなる
なんてのはもっときつい
とかもある
「学校で一番モテる男女のような人たちだけが居るような空間」とかもある
うっかり入ると相手もその場では当たり前のことを話す
ついていけなくて、でもついていけないとは言えなくて苦しくなる
よりキツイのはそういう「何か一芸を持っている人たちの集団」というのもある
触れると脳がやられる
放射能みたいなもん
彼らを見て悔しく思うのはおかしい
そもそも彼らが超選ばれた一部の人間であるのだから、別の生物だと思わなきゃいけない
ひょっとしたら自分は世間の平均よりずっと良いのかもしれない、それでも彼らには届かない
それを悔やんでもしょうがない
触れるべきではない
なんとかして例の女子高生を殴りたい人たちが
なんとかしてマウント取りたいんだけど
オタク絵キモイと思ってもこういう時どうしたらいいのかわからないんだな。
そのせいで、オタクたちが
自分たちが何かやったわけでもないのに
女子高生を盾にしながら
イキり散らすというなんとも醜い光景が繰り広げられている。
ネトフェミたちも、自分たちは文句だけ言ってるわりに偉そうだが
オタクたちはこういう時におとなしくできないもんかね。
あの時の仇討ちとばかりにイキリちらすんだろうに。
こいつら本当に学習しねえな。
それはそれとして。
いつもならそろそろ記事書いてる頃なんだけど。
やっぱり単なるオタク男たたきはできても
アクロバティックに女子高生を盾にしてイキるオタクキモイとかでもいいから早くなんか書けよ。
なんとかしてオタク男をたたくことで自尊心を満たしたいっていう気持ちがバレバレなんだけど
そういうやつらでも支持してしまうくらい
お前たちの男としての価値は何一つ上がらないけど
私(年下・女)
相手(年上・男)
同居3年目
・男の取引先の女性社員Aから「男さんに好きだと言われて困っている」という話が共通の知人Bを通して入ってくる
・男、A、Bで話し合いを持つ。私は電話でそれを聞く。
・男が非を認めないので「お前がその立場の人間に好きと言うこと自体パワハラだ」と叱る
・帰宅後、事情聴取。普段そう言うことを何も言わない男、「お前とはこの先も一緒にいたい」旨の発言。
・私「普段言わないことを今言われて響くと思うか?」
・私、すぐ出て行く金もない、コロナで実家にも帰れないので仕方なくここにいる旨伝える
・本当に心から反省しそう思うなら行動で証明しろ、お前の信頼はないと伝える
・男、泣く
・私は1分ほど泣いたが、それ以降は虚しくて涙も出なくなった
・Aは可愛い子である。私の自尊心とプライドがボロボロになった
・男の性格は良く知ってるので口汚く罵っても意味がないと分かる。なので感情任せに怒鳴れないのも辛い
・こんな恥ずかしいこと誰にも相談できない。これが一番辛いかもしれない。
私のクリスマスぶち壊しです。誰か慰めて。
〈追記〉
女子高校生に嫌がらせしている暇があるならBL作品読むか絵の練習しなよ
恥ずかしくないのか
バソギネ
@1837noodle
2時間
本人もよく分かってんじゃん「萌え絵を描く女子高生」だから選ばれたってことが
2時間
「こっちの思うツボっていうか、女子高生がこんな絵描いてたらウケるだろうなと思って頑張って絵も上手くなりました」だそうです(怖いもの見たさでキャス聞きに行ったけど30秒でリタイアした絵文字)
2時間
2時間
そもそも奨励作品もどう見ても萌え絵通り越してると思うんだが局部が露出してないから成人指定じゃないってことなのかな
2時間
話変わるけどBLは購入者が成人してる事を徹底したり色々あるのに萌え絵界隈は未成年がエロ絵描くのありなの?ちょい見ただけでも思いっきり乳首とか描いてたけど…
2時間
まあでも今回のは分かりやすかっただけで高校の美術の賞ってキモい作品が多く選ばれてるイメージ…
今回もあったけどスク水の女子とか女子の自画像とか、無駄にリアルだから余計グロいやつが好かれるんだな〜って現役時代教師の説明受けながら思った記憶ある
2時間
税金使って自分らの選んだ絵がバズった瞬間凍結された事に対して何かないのかな無さそうだけど…
2時間
Twitterのガバガバなガイドラインに引っかかるレベルの有害さのものを都が選んで萌え絵が好きじゃないやつの目にも触れさせたのが悪いんだろバーーーカ
2時間
フェミ許さんみたいなキモオタが湧き上がってるけど都に奨励さえされ無ければ今まで通りキモオタの姫として垢凍結などされなかっただろうに怒りを向ける矛先がちゃうやろ
都に怒れ
2時間
キモイ萌え絵を描いてズリネタにするか周りと馴れ合うのがゴールだからBL作家みたいに向上心が無いのかな
圧倒的に熱意が違う感じする
2時間
相互さんも仰ってたけどBL作家の足元にも及ばないレベルなのにその自信はなんなんだろうな
2時間
東方好きな同級生がどう考えても私より下手なのに教えてあげようか?とか言ってきて厚かましいなこいつ…って思ってたけど普段からド下手の集団に居て傷の舐め合いしてるから褒められる=絵が上手いって勘違いしてたんだろうなって思う
2時間
だいたいキモオタの褒め合いか批判が湧いた時に「この美しさが分からないなんて…」みたいなアホ擁護してるイメージしかないけど
2時間
ズリネタとしか思ってないから絵に感動とかあんましてないんだろうな普段から…てか上手い人がいないから基準バグってんのかな
3時間
いや笑えへんけど
3時間
秒でメディアポリシーに反する奨励賞wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwmwwwwwww
3時間
フェミに目をつけられちゃったという勲章付きでキモオタおじさんと仲良くする女子高校生キツすぎる
3時間
3時間
題材の前に絵が上手い!これみて感動しない奴は壊れてる!みたいな擁護湧いてるけど絵が上手い云々じゃなくない?どんなに上手くてもスプラッタを奨励するのはダメじゃん
3時間
BLは有害図書とか言いながらエロ萌え絵を奨励するのか…はあ…
3時間
バソギネ
@1837noodle
@norun_sior9
絶賛喧嘩中
原因は相手が「登録してるが触っていない」「興味もない」と言っていたTwitterを、おそらく先月喧嘩した際にコソコソログインし、いろんなツイートをいいね(おそらく異性への連絡も取っていたと予測している)していたのを発見したというガチでくだらないもの。
でも、恋人のその行動で元々低かった自己肯定感がガクンと下がってしまった。
実はこのようなくだりで喧嘩になるのは3回目で、
本当にしょうもないことだとは思っているのだが。
何度も同じことをして自分の自尊心を悪気なく傷つけてくる恋人も、それに対して寛容になれない自分にも疲れてしまった。
そもそも喧嘩が起きるのは、アルコール依存気味な恋人が普段より多く酒を飲んだ時で、自分はお酒に飲まれる恋人ももう見たくない。
でも、恋人がその気にならない限りは別れる気はない。
この感情が、愛情だったとしても、ただの依存だったとしても自分の中ではまだ恋人に向けている物は「愛」だと自認しているから。まだ一緒にいたいと思うから。
これからも努力を惜しまないから、自分だけを見ていてほしい。異性と連絡を取らないでほしい。
喧嘩した時の一時的な寂しさで他人を求めないでほしい。喧嘩した時こそ私と向き合ってほしい。
女々しい、メンヘラ女のようなことばかり考えてしまう。そもそも誰か特定の1人とずっと一緒にいたいと思う自分はおかしいのかもしれない。
ここに支離滅裂な文章を書き込んだのは、持っているどのSNSアカウントにも書き込むことができず、辛いからです。
思うままに書いていたら少し落ち着いた気がする。
自分か?と思うぐらい状況が似ていてわろた。
私の場合、相手は顔はブサイクだけどそれ以外はいわゆるスペック高で、今思うととにかく承認欲求の強い男だった。
根っからの長男気質で頼られることに生きがいを感じているような人。
顔が悪いので美女には相手されないから、ランクを落として無条件で好いてくれる自分と付き合ってたんだと思う。
めちゃくちゃ落ち込んで死にそうになっていたけど、自己啓発本を狂ったように読み漁り自尊心と自己肯定感を人並みに保つように頑張ったら、
夫にもたまにメンヘラが発動しそうになるが、そうさせない謎の力がある。
結婚してみて周りの夫婦とか見て思うのは、男は総じて結局は機嫌の良い女が好き。争い事が嫌い。
優しい男は相手に寄り添っているように見せて実は「こんな俺かっこいいわ...」と酔っているだけ。
田舎で100人程度の学年だったが、喫煙率は2割程度、原付所有率は1割程度とヤンチャしている人間の割合は少なかった。
シンナー常習や補導歴のある人間は片手で足りる程度だったように思う。
まぁ、団地住まいを筆頭に教育投資をロクに受けず育った児童が多い小学校出身者が半数以上を占めるとそうもなる。
という自分も同じく団地住まい出身者であったが、なんとか染まらず過ごせた。
中学に上がってから出会った別の小学校からの子ども達は格の違う人間が揃っていた。
医者の息子、市議の孫、両親とも教師の一人っ子、と田舎の上流家庭の子息であり、総じて小学校の頃から塾に通い、学外の硬式野球にも通い、文武両道を地で行く集団であった。
今で言う三塁ベース生まれの人間であっても、私立中学の選択肢がほぼ存在しないのは田舎の常である。
「彼らのようになりたい」自分は奮起できた。
同じ塾には通えなかった(入塾テストに落ちた)が親に懇願し別の塾に通い、学力を伸ばすことができた。
彼らから”(そこそこ勉強が)できるやつ”と認められた時は自尊心が大いに満たされた。
しかし同じ土俵に立つ勇気も学力も最後まで持てなかったため、進学先は誰も見向きをしない県外の高専という選択肢を取り、疎遠になってしまったが。
一方、ヤンチャな人間は暴力を示すことでしか自身の優位性を誇示できない。
これまでもそうだったし、相手が少人数であったり貧弱な体格をしていれば、そうなっていただろう。
しかし相手は集団であり、社会的地位ある親を持ち、加えて学力・体力ともに秀でていた。
これでは迫害もイジメも起こらず、ただお互いに関わらないという選択肢が取られ、どちら側の人間も学外での活動に精進し、学内ではトラブルのない平和な学年でった。
さて、彼らが同学年でなかったら自分はどうなっていただろうかと思うと、身の毛がよだつ気分になる。
学内では秀でた人間に擦り寄ることで、ヤンチャな人間からは徹底的に距離を取ったおかげで暴力にさらされることもなかった。
つまるところ、運が良かっただけである。
rocoroco3310 私は最近、性教育の本読んでるんだけどさ、男の子の性教育で大事なのは「自分を汚いものと思わせないこと」なんだって書いてあったよ。男児はいつからか自分を汚いと思わされ自尊心を損ねてる。増田は不潔じゃない
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。
これは差別主義者が差別をさせろと叫んでいるというより、今批判されている差別よりも俺をなんとかしてくれという悲鳴が形を変えたもののように思える。
人口比的に日常生活でほっとんど会うことのない黒人のBLMを必死に叩いている日本人なんかもこの類
下層にいる人間は自尊心が既に限界ギリギリのところにいるので他人が救われているのを黙って見ている余裕はないし、ましてや軽く見られる事には耐えられない。
リベラル(左っぽい概念を全部まとめてリベラルというのは雑すぎてホントにどうかと思うが)が反差別を叫ぶと、ほとんど自動的に「じゃあ俺はどうなんだ、今困っている俺たちを無視するな」という憤りが発生する。金のあるリベラリスト達が反差別を掲げること自体が彼らの自尊心を毀損するのである。
だから「リベラルは俺たちをバカにしている/無視している/下に見ている。リベラルの掲げるお題目は偽善である」という主張が繰り返し行われる。
ちなみにアメリカでこれに該当するのがホワイトトラッシュ等と呼ばれる白人貧困層であり、米国左翼らの弱者保護からみごとに零れ落ちた彼らは民主党を心底憎悪していたし、そうした彼らの元に丁寧に訪問して慰撫したトランプは熱烈に支持された。彼らに目を向けただけでなくメイクアメリカグレートアゲインという言葉であなたは弱者であるというメッセージにもなってしまう福祉的な言葉を使わずに弱者救済と自尊心の維持を両立したトランプはその点では天才だったとつくづく実感する。
つまり言いたいのは、お前みたいなやつが先に粛清されて「いじめをなくすためにいじめられっ子がなくなる社会」が達成されるってことや
自分に価値がないから粛清されてもいいや、みたいないじめっ子しか得をしないような自己犠牲精神がお前のみじめな人生をつくったんだろうな
なんか最近自民党をとにかく非難していればいいみたいな言説をたくさん見るので長文を書き散らす。
こういう事を言うとネット右翼だの安倍信者だの言われるのが目に見えているので先に述べると私は自民党政権を支持していない。
その上で、こういった事があるよと言っている事を前提としておく。
表題の件で何が言いたいかと言うと、社会的正義を建前としてメディアを通じて国民を煽り、自らの利益につなげるという商売スタイルが存在するので相手や立場の善悪に関係なく全ての情報を懐疑的に評価しなければならないという事だ。
未だに真実として語られるこの事実であるが、実は嘘と言って差し支えないほどの曲解、拡大解釈である。
これによって「ゆとり教育=テキトーを教える教育」というイメージが固着し、メディアや広告を通じたゆとり教育批判によって当時の小学生達は自尊心ガリガリ削られるという状態になっていたのだ。
「円周率は3」という事実はどのようにして形作られたかと言えば、90年代末に学習指導要領が改定され、小学校の算数について「円周率は目的に応じて3を用いる」「小数は小数点以下第1位までしか扱わない」という文言が登場した。
「目的に応じて3」というのは、円っぽい図形の時のみなし計算や、見積もりみたいな大雑把な計算をするときにとりあえず3としていいよ。ということであり、小数点第一位の件についても、円周率に関しては3.14で扱うという旨が明記されていた。
そこで、とある学習塾が「ゆとり教育では円周率は3!(だから塾に行こう!)」という感じの広告を撃ち、メディアも批判的精神の観点からゆとり教育の問題点の旗印として「円周率は3」を掲げて日夜教育批判を行った。
実際にはそうではなかったのにも関わらず、「円周率は3」という見出しのインパクトによってこれは広く受け入れられた。
それがテレビや親を通じて、当時の小学生達に「お前たちは失敗作になる」というメッセージで突き刺さった。
もちろんそういった意図があった人は一人も居ないだろう。しかし、「頭が悪くなるから塾に行こう!」「間違いだらけの教育!」といったメッセージが日夜飛び交っていれば、結果そういったメッセージとして当人たちに届いてもおかしくはない。
ここまで読んだ人なら想像がつくだろうが、私はもろにその世代である。
全員が全員ではないが、私達の世代には子供の時から「何をやっても無駄」「頑張っても無意味」という価値観の人が多い。
これはゆとり教育批判の流れ弾を子供自体に食らったからではないか?と思っている。
私もいい大人であるから自分の無能や怠惰というのは自力で解決すべきことであると思っているし、教育やメディアのせいにする気はサラサラ無い。その責任を取れとも全く思わない。
しかし、そのような環境に於かれていた当人たちは大人ではなく、第二次性徴も迎えていないような子供である。
精神が未発達でこれから人格を形成していくという子供に対して「失敗作になるぞ」といったメッセージを浴びせ続けるのは果たして円周率を3で教えるよりも良いことだろうか?
社会的正義に目が眩んで子供がどのように感じるかというケアはあの当時全く無かったし、その証拠に、未だに社会的には「当時円周率は3で教えられていた」というのが真実になっている。
いつからそうだったのかはわからないが、この時にはすでに日本のメディアは事実の観測者から正義の行為者へと変貌していた。
正義の行使ではなく、事実の観測を心がけていれば、ゆとり教育への批判も建設的に行なった上で学習塾の広告にも批判的視線を向けられたはずである。
メディアに観測者の存在しない今、情報の受け手である全員が観測者の心掛けを持たねばならない。
「○○政権の法案はこういう事実がある!」というような批判に関しても、「そもそもその事実は妥当なものか?」という俯瞰的観測精神を持たなければ、容易に誰かの意志に流され、守るべきものを壊しかねないということを忘れてはならない。
「そんな人は尊敬できない。お願いだから離婚して」……小島慶子さんの夫への振る舞いは私には"モラハラ"に見える - 斗比主閲子の姑日記
トピシュさんの記事だけ読むのと、ちゃんと小島さんの記事(特にWeb版ではなく婦人公論に掲載された版)を読むのとでは少し印象が変わってきます。
トピシュさんの記事だけだと小島さんの話は「夫の不貞行為に対してそれをタテに無自覚にモラハラをしている」という風に読める記事になっていてかなり怖いです。
でも実際はそこまでホラーというわけではなく、小島慶子さんは明確に自覚して夫をいじめているという印象を私は持ちました。
その際にWeb版では省略されているエグイ事件があり、その結果三重の意味で自尊心が傷つけられており、そのことをめちゃくちゃ怨んでいます。
どの記事とは言いませんが、ちょっと検索しただけでも3年前のとあるインタビューが見つかりますが、
この記事では、婦人公論の記事よりもはるかに強い口調ではっきりと夫のことを断罪しています。
なのでこの件は別に「無自覚なモラハラ」などではないと思いますね。
小島さんは「正当性がある復讐行為」と自覚して意識的に夫を否定していると感じました。
次に、トピシュさんの記事では小島慶子さんの何を批判しているかというところ。
これについて、はてなブックマークの反応がちょっと微妙というか、トピシュさんが批判してないというか、ここは他人が踏み入るべきではないと注意をいれてるところにずかずかと入り込んで小島慶子さんをたたいている人が見られました。こういうのはよくないんじゃないかな。
トピシュさんは小島慶子さんの怒り自体は正当なものだとはっきりと認めてます。そこを否定するやつはgo to hellとまで書いてます。
なので、「不倫されたからって夫に対してそこまでやる小島慶子はダメだろ」みたいなコメント書いてる人いますが、それはトピシュさんの記事の趣旨を読み違えてる気がします。
トピシュさんが批判してる範囲はかなり限定されています。さすが頭いいなというか、確実に問題があるところ以外は踏み込まない。
トピシュさんは
明らかにモラハラ的・暴力的な行為なのに、Web記事という公でも読めるところでしかもこれを「モラハラではない」という態で語ることは不誠実だ
ということを指摘しているだけですね。
男女問題というフィルタをかませようが、自分の被害体験をどれだけ語ろうがモラハラ。
そこをごまかして、モラハラやっておきながら自分はまともであるかのように見せかける(この行為の正当性を主張する)のはNG
ってことです。
というそれだけですね。
ネットフェミのみなさんがよくやっている「あいつの差別は悪い差別、私の差別は良い差別」的物言いを否定してるだけです。
繰り返しますが、トピシュさん自身が否定している範囲はかなり限定的です。
被害者であることは間違いないしそれに対して怒ることは全く問題ないとしたうえで
「被害者であるからといって何をやっても正当化される・許されるわけではない」という当たり前のことを語ってるだけですね。
コミュニティに属している場合、自尊心というのはコミュニティからいかに大切にされるかでかなり変動する
コミュニティにとっての己の価値を受け入れてしまう性質がある(コミュニティ同一化)
これは全員ではない
自分の価値を自分で判断できる人もいる、しかしそうではない人もいる
じゃあどのように自分の価値が高まってる”雰囲気”を得られるかと言えば
手っ取り早いのが互助だ
ギブアンドテイク、私があなたを尊重するから、あなたも私を尊重してくださいみたいな
これが強いのが互助会
コミュニティ1個に依存するのはリスクが有るから、リスク分散しよう、それが自立だみたいな話がある
しかし複数のコミュニティで価値を高められる人というのは特殊な存在である
・性格がいい、明るい
・容姿がいい
・支払いが良い
・有名、権力が有る
・話がうまい など
あるいは上手い人は自分の価値が高まりそうなコミュニティを敢えて選んでいる
それは専門分野であったり、互助的なコミュニティであったりなど
例えば抜群の容姿の人なんかがそうだが
彼らは当然ながら互助しないので、彼らに何かしてあげても収支はマイナスになるだけである
与えられ慣れてる人に見返りを期待して与えてはいけないことになる
一方で彼らにとってのリスクは1つのコミュニティにロックされることなので、大抵はリスク分散しようとする
そういう人は1/0ではなく、程度による
例えば与えた際に返ってくる率(還元率)によってそれは程度化できるかもしれない
還元率がめちゃくちゃに高い人は、ただ微笑むだけで良い
少し高い人は、もう少し媚びるかもしれない
還元率が低い人は、十分な価値(承認)をコミュニティから得るために必要以上に与えてしまって
彼らが選択できるのは普通にすることくらいしかないが、それは不十分な価値で耐えろと言うことに他ならない
救いはない
還元率が高い人は、与えられるために媚びるかもしれないが
与えてくれる人に対しては塩対応になることがある
これは1:1の人間関係にも言える
例えば何か貰っても貰いっぱなしみたいな人は、当然徐々に互助から外されていくから
どこへ行っても基本的に上手く行かない
一般的な人(還元率が100%前後)がリスク分散しようとするなら、大抵与える量が多すぎて潰れてしまう
「コミュニティをリスク分散して自立しよう」みたいな意見はちょくちょく見るが
コミュニティから価値の還元を得られやすい人が言っている気がしてならない
代替案を挙げるとしたら「複数のコミュニティを試してみて取捨選択していこう」じゃないかなと思う
最初の話に立ち返るが
そもそも「コミュニティ同一化」をしない性格になれば全て解決するのかもしれない
「コミュニティの中で価値を高めることで満足する」という性質は村社会において全体の利益になりそうだし遺伝子レベルでそうなってるのかもしれない
一つ方法があるとしたらコミュニティに近づかないという手があるが
果たしてそれは正解なんだろうかという疑問も残る
また考えてみる
再投稿
この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
「◯工大学発ベンチャーです!自由に開発できる風土です!」みたいな宣伝文句に騙されて入ってしまった過去の自分をぶん殴りたい。
何がヤバかったかって?
そいつはクソみたいなアルゴリズムSを 何でもできるAI と宣伝していた。
いまどき「何でもできます!」なんて宣伝する馬鹿いるわけない、って思うじゃん?
マジなんだこれが。
「脳と同じ働きをします」
「ディープラーニングよりも軽くて高性能です」
でもって騙されるやつがいるんだこれが。
信じられないだろうけど本当にいたんだ。
騙されるやつはだいたい会社の役員とか高齢でコード書けない人間。
そういう人を意図的に狙っているようだった。
うまいこと口車に乗せられたら、お客さんが抱えている課題を聞き出して、「うちのAIならできます!」と言う。
「じゃあやってみて」と言われるので、「チューニングの必要があるのでお金をください!」といってPoCの費用をもらう。
「すごい意義のある仕事だから頑張って!でもこのアルゴリズムは絶対使ってね!」
そのアルゴリズムってのは卍が昔作ったと言い張っているもので、人工知能なんてとても呼べない低性能なものだった。
(卍はコードが書けないので多分学生か同僚に作らせたんだろう)
卍はそのアルゴリズムが大好きで、かなり執着していた。
割り当てられたエンジニアはそのアルゴリズムSの最強性を示す仕事をすることになった。
で、だいたいできない。
クソアルゴリズムがクソすぎて、どう使ってもクソみたいな結果しかでない。
クソ以外のプログラムで必死に工夫して結果を出すのが常態化していた。
「自分で使い方を書いてくれ。そしたら俺たちも使えるようになるから」
と、卍の言う「何でもできるAI」を教えてもらおうとするエンジニアは多かったが、「忙しい」とか「使い方を考えるのはエンジニアの仕事」とか言って卍は逃げ回った。
一度だけ卍がコードを書いたことがあるのだが、for文すら書けないド素人であることが判明した。
「できると言ったじゃないか!」と怒った客に対して卍は「もう少しやればできる」と時間を稼ぐか逆ギレした。
アルゴリズムSをうまく使えなかったり、アルゴリズムSの性能に文句を言ったりする人間は何らかの形で粛清された。
会社の全体メールで罵倒したり、会議で吊るし上げたり、技術指導と称して詰問しまくって精神的に追い詰めたり、自尊心を破壊するような言動がいつもの手段だった。
嫌になった社員はどんどん辞めていった。
一度、とあるプロジェクトでディープラーニングを使って成果が出たことがあった。
経験者はご存知なように、ディープラーニングは優秀だけど使い所によっては成果が出ないなんてザラにある。
けどそのプロジェクトではうまくディープラーニングが機能した。
エンジニアは正直にそれを卍に報告した。
卍は面白くなさそうに聞いていたが、一応成功したわけだし、渋々成果を客に報告した。
驚いたことに、卍はその成功事例を、自分のアルゴリズムの成果のように宣伝し始めた。
3年以上在籍した社員は1人もいなかった。つまり3年以内離職率は100%だ。
卍は辞めていった社員の悪口を言いまくっていた。あいつはガキだ、社会人として未熟だ、小物だ。。。
あまりに多くの社員が辞めていくので、採用計画は頓挫し、全然人が増えなかった。
不信感をもったエンジニアがガンガン辞めていって、いつの間にか新人が入ってきて、その新人が不信感をもって辞めたくなる頃にはまた次の新人が補充された。
卍の穏やかな第一印象に騙されて入ってくる新人が後を絶たなかった。
あまりに多くの社員が辞めるので、投資家も心配して卍に意見したが、逆に投資家が攻撃対象になってしまった。
投資で得た資金を食いつぶしながら、そのAIベンチャーはしぶとく生き残っている。
実態がヤバすぎるので、会社として成長することはあり得ないだろう。
ベンチャーと協業を考えている人や、入社を考えている人に言いたいのは、そのベンチャーが本当に技術力を持っているのか慎重に確認してほしいということだ。
口先の説明や画像や動画だけで、さも自分たちは技術を持っているかのように見せてくる。
そんなときは、「目の前でデモンストレーションしてくれ」「アルゴリズムを説明してくれ」と詳細を問い詰めてほしい。
実際には存在しないモノや技術が存在すると錯覚させ、お金を払ってもそれを提供しないことは一般的に「詐欺」と呼ばれる。
構成要件である「騙そうとする意思」が立証できない場合は刑法的に追及することはできないが、AIに関する宣伝の多くは詐欺に近い。