2020-12-14

公立中学で三塁ベースまれの人に救われた話

最近話題を見て思い出すことがあったので吐き出す。

自分が通った公立中学比較平和だったとは思う。

田舎100人程度の学年だったが、喫煙率は2割程度、原付所有率は1割程度とヤンチャしている人間割合は少なかった。

シンナー常習や補導歴のある人間は片手で足りる程度だったように思う。

まぁ、団地住まいを筆頭に教育投資をロクに受けず育った児童が多い小学校出身者が半数以上を占めるとそうもなる。

という自分も同じく団地住まい出身者であったが、なんとか染まらず過ごせた。

中学に上がってから出会った別の小学校からの子ども達は格の違う人間が揃っていた。

医者の息子、市議の孫、両親とも教師一人っ子、と田舎の上流家庭の子息であり、総じて小学校の頃から塾に通い、学外の硬式野球にも通い、文武両道を地で行く集団であった。

今で言う三塁ベースまれ人間であっても、私立中学の選択肢がほぼ存在しないのは田舎の常である

「彼らのようになりたい」自分は奮起できた。

同じ塾には通えなかった(入塾テストに落ちた)が親に懇願し別の塾に通い、学力を伸ばすことができた。

彼らから”(そこそこ勉強が)できるやつ”と認められた時は自尊心が大いに満たされた。

しかし同じ土俵に立つ勇気学力最後まで持てなかったため、進学先は誰も見向きをしない県外の高専という選択肢を取り、疎遠になってしまったが。

一方、ヤンチャな人間暴力を示すことでしか自身の優位性を誇示できない。

これまでもそうだったし、相手が少人数であったり貧弱な体格をしていれば、そうなっていただろう。

しか相手集団であり、社会的地位ある親を持ち、加えて学力・体力ともに秀でていた。

これでは迫害イジメも起こらず、ただお互いに関わらないという選択肢が取られ、どちら側の人間も学外での活動精進し、学内ではトラブルのない平和な学年でった。


さて、彼らが同学年でなかったら自分はどうなっていただろうかと思うと、身の毛がよだつ気分になる。

学内では秀でた人間に擦り寄ることで、ヤンチャな人間からは徹底的に距離を取ったおかげで暴力さらされることもなかった。

つまるところ、運が良かっただけである

彼らとの出会いには本当に感謝している。

三塁ベースまれ人間に救われた人間もいた、という自分体験談である

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