はてなキーワード: 自尊心とは
思ったよりお前の頭が悪いから懇切丁寧に解説してやることにしたわ
お前が自尊心保つために煽りを正当化したい気持ちは分からんでもないが、やってることは大体クチャラーと同じ
飯食ってるときにキモいおっさんの咀嚼音聞かされる義理がないのと同様に、ゲームしてる時キモいおっさんの自己顕示欲に付き合ってやる義理ないだろ
ましてや大多数に不快だから辞めろって何度となく言われてる行為だぞ
人目に触れる場っていうのはネットやオンラインゲーム内も一切例外なく必ず社会性が必要とされる場なんだから他人に不快感を与えるようなバッドマナーだとかルールが守れないのは目的の有無に限らず絶対悪かつコロニー形成においては同一方向を向けないバグ個体だから爪弾きにされて当然なわけよ
だからお前みたいなのの煽りとお前みたいなのは不要だっつってんの
ゲーム内で人殺していいのはゲームとしてのローカルルールがそれを許可してるだけであって、たとえば勝ち確煽りまでがゲーム内で推奨して行うべき一連の動作ですっていうのを公式がどっかに明文化してるゲーム以外では、煽りがゲーム内だろうが外だろうが社会的に絶対悪なのはお前が人間として生きてる以上絶対に揺るがねーんだよ
で、言うに事欠いてやれる事が反省でも言い訳でもなく、レッテル貼りなんだから、案の定煽りなんかしてる奴の知能なんてそんなもんだわ
な?不快だろ?
美大、辞めたくて仕方ない。ただの愚痴だ。読むな。時間の無駄なので。
大学に行きたくてもいけない人もいるし、恵まれた身であることはわかっている。
辞めたいなら辞めたほうがいいのこともわかっている。辞められない。
奨学金、今までの努力を考えると、ここまできて辞めるのか、あと少しだろという気持ちになる。
コロナによる全部遠隔講義というせいもある。実技大学のくせに全部遠隔ってどうなの。
講評のたびにこんなん罰ゲームだ、間違ってこの大学に来てしまった天罰だ…としか思えない。これは純粋に自分の才能、努力不足ではある、
他の学生たちとは圧倒的なセンスの差があるからだ。でも努力じゃ補いきれないこともあるじゃん。
評価が高い作品のべた褒め講評を数時間も聞かされて評価が低かった自分のようなものの作品の講評は
一切ないのどうなん?どこが悪かったのかすらもわからない…底辺だから…
カスなので他人の講評を聞いてよし!自分も同期のように頑張るで!とはなれない。人を羨み、自尊心をズタズタにされ、モチベも下がるだけだった。
なんで来てしまったんだろうか。熱意も意欲もない奴がなんとなく好きだから、得意だからって理由で美大に行くのは辞めたほうがいいに決まってる。
あ〜〜〜〜〜辞めてぇ〜〜〜〜〜〜〜〜
美大に限ったことではないけど、熱意がない(自分から作品を作ろうという気持ちが芽生えない、面倒臭い)のに実技系の大学へ行ったら絶対に後悔してしてしまうので、そんな受験生はオススメしない。逆に創作意欲に溢れて、
何を言われてもめげない人間は伸びる。美大へ行こう。自分は予備校の時は死ぬ気で踏ん張っていたが、入学して、このコロナ渦や大学の現状でかなり意欲がなくなってしまった。辛い
・確かに。教授に気持ちぶつけてみようかな。助言ありがとうございます。
・あと憎いというとる奴、わかってんねんそんなん。時間の無駄だから読むなって書いてんじゃん…
お金がないけど、絶対に美大に行きたくて自衛隊入って数年お金貯めてから美大入ったやつもいるので一概に金銭問題だけで
憎たらしいと言われても。
・ブルーピリオド途中までしか読んでないけどあれ受験の話では?大学辞めたいって言ってんだ、妄想じゃないです
・そうなんや、続き読んでみようかな
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
給料か低い仕事がなんで給料が低いかと言うと、ナメられているからだ。
この文章に結論は無い。ただ、地元ではコートを着る人が居ないというだけの気付きだ。
車が無いと暮らせない、スーパーはおろかコンビニにも到達できない地域で生きて居た。
親の葬儀関連の用事で行った、路電が廃線になって 50 分ほどバスを待つしかない時に気付いた。コートを着ている人がいない。言うて市内で、いや県内で一番大きい駅なのに、誰ひとりとして、コートを着ている人がいなかった。
理由は分かる。車を運転するのに、コートのような長い衣服は不便なのだ。分かるが、ひとりも居ないのだ。この地で車を持たずに暮らす人が。
地元に暮らし続けて、この先も暮らし続けたいと思っている友人が、大好きな地元では無く便利な場所に家を買いたいと言った理由が分かった。運転免許を返納した後に暮らせる場所というのは限られているのだ。
イオンのおかげで暮らせる範囲は増えた。でも撤退されたら不毛の地になる。だから市内で栄えている、撤退されても別のスーパーマーケットが来てくれそうな場所に移るしかない。ネットスーパー? 田舎でそれをやっているのは善意と恐怖心に基づく。いずれ無くなるものだ。
あの景色の中で生きたかった。職種上、栄えた地に移るしかなかったのは、むしろ幸運だったのかもしれない。
ずっと居たかった場所を離れるのは辛い。でもそこで生きるには、自動車は不可欠で、年寄りから車を取り上げられたら、自尊心も生活も失うのだ。だってどこにも行けない。何もできない。
技術者の末端として、自動運転には期待している。でも技術者の末端として、通る人が少ない道の学習が難しいことも分かる。そしてそういう道が複雑なコミュニケーションによって成り立っていることも。
この文章に結論は無い。ただ、地元ではコートを着る人が居ないというだけの気付きだ。
何ができるだろう、自分はどうしたいんだろう、数々の技術の蓄積の末に自動車が生まれ、人々に自由を与え、そして人々から自由を奪った事実について、私は何をしたいのだろう。
キモいキモい言われて歪んだ男が感情を吐露してたら絶対「私は女だけどキモい扱いされてたぞ。性別関係ない」「お前のいう『女』にモテない女は入ってないんだね」みたいな意見が出てきて、なんかキモい男は差別的で最悪みたいな空気が醸し出される
アレなんか納得いかねえんだよな
「キモい」とまで言われる女の絶対数が男と比べて圧倒的に少ないのは事実じゃん
体感だと男の1割くらいは「超キモい」みたいな扱いで虐げられ、3割くらいはカジュアルにキモい枠に入れられて恋愛を諦めることになる
思い出せる範囲で明確にそんな感じの扱いだった女、小中高合わせて10人もいねえ
夜道を歩くときに警戒しないといけないのは女性ばっかりだ!つったときに「男でも夜道で襲われることはありますよ。だから嫌なんだ、視野が狭い性差別主義者は!」とか言われたらヤじゃん
そらそうかもしれんけど、今は全体の傾向の話をしとるんじゃ、殺すぞ と思うじゃん
そういう話なんだよな
女、自らの放つ「キモい」の威力を知らずにメチャメチャにぶっ放して大量の男の自尊心を破壊しとる
そういう話やねん
俺はいつもそう思っている
結局こんにちの混乱は、「政治的な意見を自信をもって発言する模範的な市民になりましょう」という、極めてうさんくさい学級委員長的規範めいたものから発せられていると言えるでしょう。
例えば政治学のせの字も知らない人々がこの風潮をうけたときまず何をするでしょうか。
GoogleやTwitter、YouTubeで話題のキーワードを検索し、ある程度の注目を集めているようである刺激的な「新常識」を目にするのです。なるほどそれらの「新常識」をめぐって、多くの人々が賛成と反対の意見を交わしているのを彼らは目の当たりにします。
なかにはテレビに出ている有名人や、なんとなく肩書きの堅い大学の先生もいるようです。
自分も早くたくさんの知識を吸収して話に追いつきたい、周りの人間よりも一歩賢い人間として自信をつけたいという、学校のお勉強以外ではじめて学びを得ることの楽しさや知的好奇心を発見した彼ら。次第にどこかのコミュニティめいたものに所属するようになり、仲間意識や自尊心も形成されていくことでしょう。
いったい彼らのどこを責められるでしょうか。
彼らは真面目な努力家で仲間思いの、社会や国を良くしたいという立派な目標をもった模範的な市民そのものです。
少しばかり学問の体系についての知識が足りないだけで、日々ひたすら誠実に新たな知識を探し自身の成長を求めているのです。たまに批判者に対して汚い言葉を使ったりもしてしまいますが、日本の文豪たちがユーモラスに罵り合っていたエピソードがあなたたちに人気であることを彼らは何度も目にしています。
で、こんにちの混乱を収めるために何が必要となるでしょうか。上のプロセスを踏まえていくつか挙げてみましょう。
・学問の体系が少しだけ身につくような挑戦の機会を義務教育中に与える
・インターネットには嘘と悪意がはびこっていることを知らしめる
・労働や趣味に打ち込むことで日常生活から充実感を得られるような社会構造にする
なんだかありきたりで見たことのある意見ばかりですね。最初の一つは除くとしても、どれも教育的で正しい、凡庸でつまらない意見に言い換え可能です。
ただ、これらの実現には相当の期間と多大な努力が必要となることは間違いありません。
この手間を避けて強引に混乱をなかったことにしようとするから、インテリたちは真面目な彼らを小馬鹿にする書き込みをするのです。いや、小馬鹿にする書き込みしかできないと言ってよいでしょう。
彼らもまた、一分野での成功を願い努力する才能をたまたま得られただけの人々なのです。政治や社会についてまともに勉強する余力がないので、なんとなく賢そうな社会学者の小言に同調しつつ、業界内の空気読みにふけっている賃金労働者に過ぎません。
ではこんにちの混乱を収める方法はもはや存在しえないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。われわれは2つの可能性を無視してきました。
ひとつは、よくわからない観念は一掃し平静を取り戻した心で、日常と少しの非日常を真面目に生きる伝統感を獲得することです。これは、各自が自分の人生を一回きりのものとしてなるべく味わい尽くすように努め、それに多少のまぼろしを混ぜ合わせて一体感を作り出す、保守的な社会を目指すものとなるでしょう。
もうひとつは、すべての意見を外部のシステムに依存し、ひたすら物質的な世界に満足できる身体を社会的に創りあげ、民主主義を脱皮することです。これは、政治機構や巨大IT企業にイデオロギーを一任し、それに従うだけで正しさが付与される、内と外の善悪の熱気を帯びた合理的な共同体を目指すものとなるでしょう。
なんかゴミみたいな人多い
普通に生きて普通に暮らしてる人ほど差別意識が強くて自尊心も強くて、ゴミっぽいこと平気でする
そんで次の日には忘れてる
それが普通なのかな
そんなふうになりたいけどなりたくない
増田たちは優しい
どうしてなんだろうね
小5の時、夢の出前授業なるものがあった。
授業の終わりに、自分の夢を書かされた。
私は、優しい大人になる、と書いて出したが、先生に止められた。
どうやら、将来なりたい職業を書くらしい。
そんなこと言われても、わからない。さっきのは紛れもない本心で、あれ以上のものはなかった。
結局私は、そのまま出した。
先生は諦めたのか、何も言わなかった。
ーーー
初めて、人に騙された。
無意識の悪意を向けられた。
そんな人間がいるなんて思ってなかった。あまりに強烈で、精神が歪んだ。
でも、ただ愛想笑いを浮かべて、虚勢を張った。
3年経ったら、マイペースでいつもニコニコかニヤニヤかしてる何言われても大丈夫な最強の存在に、周りの人の間では認識されていたらしい。
ーーー
初めて殺意を持ったあいつは、一丁前に悩んで、一丁前に悲劇のヒロインをやった。
私にしでかしたことなんて綺麗さっぱり忘れて、周りの人達に、同情されている。
ふざけんな。
ずるい。
なんで私はこんなに耐えてるの?
今だってそいつと普通に遊べる。何なら辛かった当時だって遊べた。
何で私は精神が壊れないんだ。いや、とうに毒は回りきってるかもしれない。
致死性ではないだけに悪質だ。
人が怖い。
誰にも心の内を開けることはできなかった。
彼女には、「自分のことを何も話してくれないから」という理由で振られた。
一生懸命伝えようとしたのに。伝わらなかった。
ずっと前から、私の心のほとんどは、悲しみで埋められていて、残った窮屈なリソースさえも、自分に使うので精一杯だ。
でも、それでも足りない。
一人じゃ到底生きられない。
涙は体の内側で循環する。
でも、人が怖い。
なまじ表面を取り繕うのが上手いだけ、誰も心配してくれない。
必死に自分の内側のグジュグジュなゴミを吐露しても、無限に溢れてくる。
残されたのは、ただただ自尊心の低い私だけ。
何者でもない。何者にもなれない。
何か特別なことができる、特別な人にならないと、ダメなんでしょ?
違うって言う人もいるけど信じれない。
私は日々を、退屈そうに過ごす。
周りの人は適当に手を抜いてやっていると思ってる。
実際は何とか立っているだけで精一杯なのに。
それでも私は虚勢を張り続ける。
申し訳ない。
こんな自分なんて受け入れられない。受け入れたくない。
それでも、胸の奥から膿のように出てくるこれは、世間一般に言うと、本当の自分というものなんだろう。
ーーー
ただ、ただ、寂しい。
息子のテスト0点って
のび太相手には怒ってるけど、普通にのび太がいないところじゃ悩むだろうし頭が痛くなるに違いない
でも、あの成績からして、のび太は学習障害があるんだろうに、病院に連れて行かないのはやっぱり教育の失敗かな
親に、「息子さんは学習障害の可能性があります。受診をお勧めします」と言わない学校も学校だよな
のび太の担任は、いつものび太を立たせたり怒鳴ったりしてるがあれは悪手だよな
できないことは叱ってもできるようにはならない
理解できない授業のために45分間じっと座ってるのも辛かろう
小5で授業についていけてないのは可哀想すぎる
親も、集団授業についていけてないなら、家庭教師でもつければ良いのにな
のびのび育てば良いからといって、小5にして授業についていけてないのを放置するのは酷すぎる
女ウケがいい甘い顔で売ってるのに男らしさを前面に出してるところとか、
なんとなく「俺なら広瀬すずと付き合える」と思ってそうなところとか
誠意はあるし相応の努力もするけどとにかく自尊心は高そうなところとか
伊藤が手招きしてる
ただ俳優としても同年代のさだまさしに比べても竹槍だなぁとしか思えないし
バラエティによく出てる割にはこれといって代表作みたいなのもない(本人談)し
本人が前に出過ぎなんだよなぁ
ぶりっこキャラで売ってた子(名前忘れた)なんて同様に男気アピールしたせいでキャラブレしすぎて
「あざとかわいいTV」にもレギュラーになれなかった(ゲスト回は面白かった)けど、
女装が違和感なくて可愛い顔のイメージが強かった瀬戸康史なんて控えめですぐ結婚して演技に本人のイメージが影響せずに済んだし、松坂桃李はおとなしめのセクシーイケメンだったのに公式SNSで遊戯王の話しかしないクリアマインドのおもしろデュエリストでオタクに媚びたかと思いきや表側守備表示で戸田恵梨香を特殊召喚したからもう良いイメージしかなくなったから、
なんかうまいこと俳優として演技するだけじゃなくて本人が前に出過ぎないようにするのって難しいよね
凡人の俺には無理だわ