コミュニティに属している場合、自尊心というのはコミュニティからいかに大切にされるかでかなり変動する
コミュニティにとっての己の価値を受け入れてしまう性質がある(コミュニティ同一化)
これは全員ではない
自分の価値を自分で判断できる人もいる、しかしそうではない人もいる
じゃあどのように自分の価値が高まってる”雰囲気”を得られるかと言えば
手っ取り早いのが互助だ
ギブアンドテイク、私があなたを尊重するから、あなたも私を尊重してくださいみたいな
これが強いのが互助会
コミュニティ1個に依存するのはリスクが有るから、リスク分散しよう、それが自立だみたいな話がある
しかし複数のコミュニティで価値を高められる人というのは特殊な存在である
・性格がいい、明るい
・容姿がいい
・支払いが良い
・有名、権力が有る
・話がうまい など
あるいは上手い人は自分の価値が高まりそうなコミュニティを敢えて選んでいる
それは専門分野であったり、互助的なコミュニティであったりなど
例えば抜群の容姿の人なんかがそうだが
彼らは当然ながら互助しないので、彼らに何かしてあげても収支はマイナスになるだけである
与えられ慣れてる人に見返りを期待して与えてはいけないことになる
一方で彼らにとってのリスクは1つのコミュニティにロックされることなので、大抵はリスク分散しようとする
そういう人は1/0ではなく、程度による
例えば与えた際に返ってくる率(還元率)によってそれは程度化できるかもしれない
還元率がめちゃくちゃに高い人は、ただ微笑むだけで良い
少し高い人は、もう少し媚びるかもしれない
還元率が低い人は、十分な価値(承認)をコミュニティから得るために必要以上に与えてしまって
彼らが選択できるのは普通にすることくらいしかないが、それは不十分な価値で耐えろと言うことに他ならない
救いはない
還元率が高い人は、与えられるために媚びるかもしれないが
与えてくれる人に対しては塩対応になることがある
これは1:1の人間関係にも言える
例えば何か貰っても貰いっぱなしみたいな人は、当然徐々に互助から外されていくから
どこへ行っても基本的に上手く行かない
一般的な人(還元率が100%前後)がリスク分散しようとするなら、大抵与える量が多すぎて潰れてしまう
「コミュニティをリスク分散して自立しよう」みたいな意見はちょくちょく見るが
コミュニティから価値の還元を得られやすい人が言っている気がしてならない
代替案を挙げるとしたら「複数のコミュニティを試してみて取捨選択していこう」じゃないかなと思う
最初の話に立ち返るが
そもそも「コミュニティ同一化」をしない性格になれば全て解決するのかもしれない
「コミュニティの中で価値を高めることで満足する」という性質は村社会において全体の利益になりそうだし遺伝子レベルでそうなってるのかもしれない
一つ方法があるとしたらコミュニティに近づかないという手があるが
果たしてそれは正解なんだろうかという疑問も残る
また考えてみる
歴史の流れは、コミュニティに参加しないと生きていけない→コミュニティを脱しても生きていける 完全に脱した人はコミュニティで存在が確認されないが、けっこういるんじゃないか...