はてなキーワード: 私立大学とは
指定校推薦使う人って小さい頃にDSのポケモンでチート使って心の底から楽しめてたタイプの人種?
https://twitter.com/anokoronomirai/status/1492714346535092225
イフオ@anokoronomirai
先日、このツイートを読む機会があった。せっかく学生課の職員という仕事をしているので、ちょっと解説してみようと思う。
結論はタイトルのとおりだ。大学にとって、指定校推薦は優れた制度である。一般入試で入ってくる学生よりも、指定校推薦で入ってくる方が優れている。
指定校推薦というのは、大学と高校と生徒にとって三方好しである。高校生が指定校推薦による利を得たい場合は、在学中にたくさん勉強して、学校行事に多く参加し、部活動や社会教育活動やボランティアに精を出さねばならない。
大学としては、新入生としてはできれば安牌が欲しいと考えているし、高校側も特に推薦したい生徒がいる場合がほとんどである。重ねて申しあげるが、一般的な高校生が指定校推薦を活用するためには、その学校にとっての模範的な生徒である必要がある。
私が勤めている大学は、世間的には上流とされている。私立大学の総合力を図るランキングがあったとすると、国内上位3校に必ず入る。
これまで十数年に渡り、百人以上の高校生・大学生の面談面接又は評価活動を行ってきた。その経験に照らして、一般入試と比べた場合の指定校推薦の優位性を説明する。
※公募推薦やスポーツ推薦や帰国子女入試はそれに準ずる扱いとしている。いずれも一般入試の学生よりも優れていると幣学では結論している。
これが最大のメリットだ。幣学から「〇人の推薦枠があるので出願をお願いします」という通知を受け取った各高等学校が、それぞれ選りすぐりの生徒を受験させる。受験者は概ね、以下の性質を一つ以上は有している。
・評定平均が概ね4.5以上
(推薦要綱に4.5以上とあっても、双方の合意で4.4以下の子が受けることは可能)
・特殊な才能に恵まれ、若くして成果を挙げている(スポーツ、文化芸術、学会、芸能界その他での活躍)
幣学は毎年、上記の性質の3つ以上を有した学生を手に入れることができている。ほぼ必ず、将来大器と思われる人材を得ることができている。募集要綱での評定平均が足りていない子はけっこういるが、それらは裁量でどうにかなる。
いい子に入学してもらい、学生生活では多くの人と交わることで自分を磨いてもらい、卒業後は社会で活躍できる人材に育つことが学校としての至上目的だ。
具体例をひとつ挙げる。
4年ほど前のことだ。府中の辺りにあった私の日常通いのマクドナルドで、ある女子高生が働いていた。私と彼女は、レジでたまに世間話をする関係だった。その子が新人だった時の話をする。
夕方だったろうか、外国人サラリーマン2人組(大柄な白人と中肉中背のアジア系だったと思う)がその子のレジに並んだ。私はそのひとつ後ろに並んでいた。
そのうち1人が、店員に対して英語で話し始めた。併せてジェスチャーを行い、干飯ハンバーガーを注文しようとしていた。
さて、彼が欲しかったものは、「チキンフィレオのセット×1+チキンフィレオの単品」だった。その子も身振り手振りで話を聞き終え、「千何百円になります~」と言ったところ、「No」と白人リーマンは言うのだった。「チキンフィレオのセット×2」としてしまったのだろう。
その高校生は、もう一度メニューを見ながら、手指や視線を動かして、彼の顔も見て――今度は正解を当てることができた。白人リーマンは、「glad」と言って隣のアジア風の男性に注文を譲った。
その子は、アジア風の男性からも英語で注文を聞き取っていたが、今度はミスなく注文に応えることができた。身振り手振りだけの、上手なコミュニケーションだった。サイドメニューのサラダ単品と、ナゲット×2とジンジャーエールだった気がする。
この間、彼女は一切英語を話していない。労働経験も少ないだろうに、外国人に即応したのだ。言葉を交わすことなく注文に応えてしまった。緊張した様子もなく、終始ニコニコだった。
才覚を感じた。私が学生の頃は、あの子のような接客は絶対にできない。せいぜい、しどろもどろになって社員を呼んでいたことだろう。彼女については後述する。
指定校推薦の話に戻る。
幣学では、彼女のようなレベルに達している人間がぜひ欲しいと思っている。幣学だけではない。ほかの大学だって喉から手が出るほど欲しいだろう。残念ながら、その子が通っている高校には幣学の指定校推薦枠がなかった。が、その他の推薦入試であれば可能性がある。私が入試事務局で彼女の願書を審査するメンバーだったら、一次選考は確実に通しただろう。
ここまでお読みいただいた増田民への情報提供を兼ねて、推薦入試の際に最も重視される評価基準を説明する。
『自助努力』
以上だ。
評定平均が4.0以上など、指定校推薦では成績優秀な学生を求めている印象があるが、この際だから正直に言ってしまう。合格順位の点数付けの過程で、評定平均はほぼ見られない。あれは受験者を少なくするために振るいにかけているだけであって、本当に見られるのは上記3要素だ。
例えば、推薦入試の募集要綱には、「全体の評定平均が4.0以上であること」などと書いてあるだろう。実務上の対応としては、それ未満の評定平均でも出願すること自体はできる。むしろ出願して欲しいほどの人財がいる場合は、当高校に対して個別に依頼と訪問を行い、その生徒を推薦してもらう。これは幣学でもそうだし、他の名門大学でも変わりはない。それくらい、上記3要素を有した高校生はこの世界に少ない。喉から手が出るほどほしい。
なお、自己推薦制度を採用する大学の場合は、評定平均が足りないと学校長からの推薦書がもらえないので注意しよう。すなわち出願ができない。学校を通した推薦入試の場合は、評定平均が少し足りないくらいであれば双方が話をする。やり取りの例はこんなところだ。
パターンⒶ
高「評定平均は3.8である。貴学の示す4.0には少し足りないが、在学中に難関試験である〇〇に合格している。性格は朗らかであり、リーダーシップもある。貴学の学風に相応しい生徒かと思われる。出願は可能か」
パターンⒷ
高「評定平均は3.0未満である。この子は1年生からインターハイに出場している。推薦入試の受付開始時点でインターハイに上位入賞しているなどの場合は、出願することは可能か」
大「協議して回答するので、出せる範囲で資料をいただきたい。出願できる可能性はある」
どんな大学にも救いようのない学生はいるものだ。箇条書きにしてみよう。
‐①
講義中に先生に当てられても、何も答えない。ずっとだんまりだ。人として生きる力に欠けているというか。私が幣学で学んでいた頃もいたし、ずっと前から一定数いるのだろう。わかっていようといまいと、とにかく答えない。黙っている。こういう人間は大学生になってはいけない。行動が大人のレベルに達していない。社会の進歩と同時に、こういった人罪が増えるのは致し方ない面がある。大昔であれば、こういった人間は厳しい修行の中で開眼するか、できなければ間引きされていたに違いない。
‐②
学生に一般貸出している施設の鍵を個人がずっと持っていて、サークルや部活動の団体が使用できなかったにもかかわらず、詫びの一言もなく鍵を返却して済まそうとした女子学生。口頭での注意及び一定期間の施設使用禁止を命じた。後日、ほかの利用者が鍵を開けて使用するタイミングでこっそり利用していたことが判明し、正式な処分を行うこととなった。
‐③
ある警備員が、大学が閉まる時間になっても遊んでいる学生を出て行かせようとしたところ、逆切れして「警備員ごときが偉そうに!」と文句を言った男子学生(譴責処分とした)。彼のような場合、親が地元有力者や代議士経験者といった名士であることが多い。肉親や親類縁者が多くの人から崇められているため、それが自分の力であると勘違いしているのだ。大学としても、譴責以上の処分を与えるのは難しい案件であるため、厳しい対処はできない。
・明確な不法行為をする者
‐①
学外私生活でトラブルを起こし、警察沙汰になる者。アルバイト先など関係者からのクレームの電話が年に10件以上はある。あの学生に家族を侮辱された、彼は替玉入試だから調査しろ、あいつはコンビニで万引きをしていたなど。明らかな証拠がある場合に限って調査をする。証拠がなければ何もしない。当人を呼び出すこともしない。杞憂なく学生生活を過ごしてほしい思いがある。
‐②
不埒な行為を目的とするサークル活動。ゴシップ雑誌やニュースサイトで、泥酔した学生十数人が路面で倒れて~といった報道が稀になされる。本当ならば、路面に倒れるよりも前に個室に連れて行きたかったのだろう。誠に遺憾だが、そういった行為を目的とするサークルはある。ネット検索でもヒットする。近年だとミスコン運営委員会の事件が記憶に新しい。
現代社会では到底許される余地のない連中だが、昭和の時代から存在している伝統的なサークルが多い。既得権というか、潰すに潰せない事情がある。
ここでいったん、関連するトピックに逸れる。
京都教育大学集団準強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明
https://wan.or.jp/article/show/2038
覚えている人もおられるだろう。
2009年2月、京都教育大学の体育会で追い出しコンパがあった。その居酒屋の空き個室で、当時19才の泥酔した女子学生に対し、6人+見張り3人が代わる代わる性行為を行ったという。数か月後、女子学生の親が大学の対応を信用できなくなり、刑事告訴に踏み切った。
この事件当時、文部科学省から事件関係の通知(指導)文が何件も送られていたのを思い出す。掻い摘んで述べると、「大学の活動の一環として行われる行事は大学側にも責任が生じるおそれがあるため、このような事案が決して起こらないよう、学内団体の監視及び指導、事前対策を徹底すべし」といった文面だった。
幣学でも、遠く離れた京都であったこの事件を対岸の火事と見ず、リスクマネジメントの観点から積極的な議論を行い、事前事後の対応策を決めた。
当時、若手職員だった私には疑問だった。なぜ偏差値的に優れている、勉強を頑張ることができる人間がこんな事件を起こすのか? と考えていた。今ではわかる。偏差値と人格は何の関係もないのだ。こんな当たり前のことを理解するまでに相当の年月をかけてしまった。恥ずかしい限りだ。
それから十数年。幣学でも、そういった事案が年に数件は上がる。どれもこれも、いい大人がこの程度のことがなぜわからないのかというほどレベルの低い案件だ。その度に、慎重に慎重に慎重に、最大限の注意をもって被害学生の心に寄り添い、謝意とフォローを示さねばならない。
こういった事案の多くは、一般入試で入ってきた人間が起こしている。ほぼ同率2位がスポーツ推薦だ。公募推薦や指定校推薦や帰国子女入試の学生は、こういったレベルの低い問題事案を起こす確率は少ない。明らかにそういう傾向がある。
‐③
幣学には、はるか以前から、警護が付くレベルの皇族の子女が何人も通っている。数年前、とある男子学生が、講義棟から出てきたばかりの女子学生にいきなり近づき、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と尋ねたという。女子学生の反応は想像に難くない。警戒心で強張っていたと推察する。
男子学生は、その子の肩を抱くようにして一緒に携帯で写真を取ろうとした。すぐに警護の人が物理的にシャットアウトしたのだが、その様子を男子学生の仲間が遠巻きに笑って眺めていたという。学生課に抗議にきたのは、その女子学生ではなく友人だった。女子学生は、どちらかというと穏便に済ませたいとの意見だった。こういった案件がある度に、偏差値と人格に関係がないことを思い知らされる。この顛末は【後述】する。
さて、どうして私がこのような考えに至ったのか? 統計を取ったからだ。
大学職員になって十年ほどが経った頃、問題を起こす学生の傾向について、上の人間から指示を受けてデータ化を進めていた時、ある傾向に気が付いた。
過去に問題行為のあった学生約200人を無作為抽出し、データベース化した。そして、その入試制度別の発生割合を調べたところ、
指定校推薦<その他入試制度(帰国子女含)<一般入試<スポーツ(一芸)推薦(※1)
という関係が成り立った。
この時、私は――社会で実績を挙げる人間には反対の傾向が当てはまるのではないかと考えた。実際、正しかった。学生の卒業後追跡調査の結果を独自分析し、卒業後の進路ごとに1点~5点(※2)を付けて入試制度別に平均点を並べたところ、
指定校推薦>その他入試制度(帰国子女含)>スポーツ(一芸)推薦>一般入試
と、おおよそ対称的な結果を得た。これにより、私の考えが確信に変わった。
知能テストで図ることができる要素よりも――それ以外での、高校在学中の部活動その他の社会的交流や、自らを高めるための活動にどれだけ勤しんだかに重点を置いて入試制度を運営する方がよりよい結果を得ることができるということだ。
※1…一芸とは、AO入試やスポーツ以外の特殊技能により入学した者を示す
※2…国際公共機関やそれに準ずるNPOや世界的企業を5点、一般企業や一般公務員は3点、フリーターや無業者や所在不明者は1点とした。4点と2点はその間を基準として点数を付けた。
ここからは【後述】の内容になる。女子学生に写真撮影を求めた学生は、一般入試だった。それまでに何度も事件を起こし、3回の学内処分を受けていた。
ゼミの担当教授にも参考意見を伺ったところ、やはり人格的素養を欠く言動を繰り返しているようだった。犯罪に達している行為もあった。
事務局側の責任者に彼の処分内容を協議したところ、「遺憾だが、処分内容は考える必要がある。考えたうえであれば~~そちら側に委任する」という答えがあった。これは、その人なりのサインだ。自らの手を汚すことをしたくないから、処罰される人間に明白な忌避行為がない限りは、こうした答え方をする。意図を汲み取る必要があった。
数日後、彼との面談で、私達は「自主退学」を求めた。はっきりと「あなたは本学にふさわしくない」旨を告げたうえで、自ら退学願いを出すのであれば、こちらから退学処分を行うことはないと宣言した。これは半分以上がブラフだ。実際、この程度で退学処分を行うことは難しい。ただ、学校としては、品位を落とす学生には退学してもらいたい。それだけだ。
そのうえで、あの時、彼の周りで笑っていた連中にも釘を刺している。個別に呼び出しをした。「学生だからといって、社会で許されないことをしたら、彼のようにキッチリ落とし前をつけさせるぞ」と。はっきり宣言した。
苦しいが、仕方がないのだ。危険の芽は摘み取っておく必要がある。こうした学生を放っておくことで、上の京都教育大学のような重大事案に繋がってしまう。問題事案が起こる可能性は、費用をかけたとしてもゼロに近づける。リスクマネジメントの基本だ。これは、どんな学校でも同じことだと思う。
私は本学を愛している。高校生の時もそうだったし、大学生の時もそうだったし、大学職員になった今でもそうだ。事案が生じることで、本学を世間の目に晒したくない。
お目汚しを失礼した。
基本はロム専だが、どうしても一度、増田に投稿してみたかった。
そんな時、冒頭のツイートが流れてきた次第だ。暇な時間を費やすだけの価値があったなら幸いだ。
イフオ@anokoronomirai様、この度は拙作を投稿する機会をお与えくださりありがとうございます。重ねて感謝申しあげます。
男女論争がしたいわけじゃないので性別は書かない
配偶者は普段は相手の学歴とか全く重視してないタイプだ。たとえば配偶者は京都大学だが自分は私文だし、ロザン宇治原の鉄板的な学歴ネタ(街で出会った素人に大学はどこか聞いて「まあまあやな」と言い、相方に「何てこと言うねん」と叩かれる)も嫌いである。
そんな配偶者だが異常な学歴厨ムーブして正直ドン引きした。新規で歯医者を探すことになったときのことである。歯学部は私立大学だと偏差値50切ることが多いのである。配偶者の主張では、偏差値50ない人間は医者として基本的な思考能力がかけており不適格なのだそうだ。これまで最悪な歯医者に当たってきて、それがみな私立の偏差値50未満の大学出身者であった。しかし大阪大学出身の歯医者に変えたら説明が論理的で作業にも無駄がなく最高だっが、妊娠産休でいなくなってしまった。代わりの先生は私立では駄目だと30件くらい虱潰しに国公立出身の歯医者を探していた
いや、ちょっとなあ。特待生制度使ってあえて優秀だけど私立行った人もいるだろうし、国公立の歯医者でも説明が上手で作業に無駄がないとは限らないしさ
「今さらサークル入れず」コロナ禍で大学2年生の辛さ際立つ「来年就活、支援を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/05f946be0bb131c189822a0da6fa0da61f1ca8f3
3/1(火) 16:19配信
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全国大学生協連が3月1日にオンラインで開いた記者発表会に登壇した大学生
全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)は3月1日、昨年秋に大学生の生活や考えを探った「第57回学生生活実態調査」の結果を発表した。コロナ禍2年目に入り、前年より大学生活を充実していると感じる学生数は回復しているが、大学入学時に十分な支援を受けられなかった現2年生の「しんどさ」が目立っている。(西健太郎)
調査は、2021年10月から11月にかけてインターネットで実施し、前年までと比較可能な全国の国公私立大学30校の学部学生1万813人の結果を集計した。
「充実度」1年生は急回復、2年生は最も低く
充実度は、学生生活が「充実している」「まあ充実している」と回答した学生の割合の合計。1年生の充実度は前年より回復したがコロナ前の水準には及ばない。2年生は4学年で最も低い(全国大学生協連が21年秋に実施した「学生生活実態調査」による)
大学生活を「充実している」「まあ充実している」と回答したのは78.6%。20年(74.2%)を上回ったが、コロナ禍前の19年(88.8%)の水準には達していない。1年生は80.6%が充実していると回答し、20年(56.5%)から急回復した。一方で、2年生で充実していると答えたのは70.8%にとどまり、20年(77.1%)より低下。4学年中で最も低かった。「充実していない」と感じる2年生のうち「友達ができない、対人関係がうまくいなかない」ことを気にかかっていると回答したのは49.6%。20年の27.5%から大幅に増加した。コロナ禍に入るタイミングで入学した2年生の中には、友達作りの機会がなく、大学生活が充実していないと感じている人がいることがうかがえる。
サークル加入率も2年生は低下
関連してサークル加入率をみると、1年生は72.6%が加入し、20年(48.7%)から大幅に増えたのに対して、2年生の加入率は62.1%と、2年連続で下がった(19年は74.1%、20年は69.9%)。全国大学生協連学生委員長の角田咲桜さん(茨城大学卒業)は「サークルや部活動でできる人とのつながりが希薄化している。1年時にはサークル活動ができず、2年時には入るタイミングを見失っている学生もいる」と話す。
「友達がいない」「もう諦めている」
調査の自由記述欄でも、2年生から「今さらサークルに入りづらい。周りでサークルに所属している人が少ない」「サークルが出来ず、友達がほとんどいない、もう諦めている」「受験期もあわせると約3年、本当に何もなく、悔しい。就活などで忙しくなるので、もう学生生活は諦めている」など、つらさを訴える声が寄せられた。
Twitter見てたら「親ガチャ失敗して悔しいー!」とか割と本気な雰囲気でツイートしてる人がいたんだけど、
その人はストレートで私立大学に入学してストレートで卒業してそのまま小学校の教員になってるんだよね
しかもいいとこの私立小学校で学級担任持ちでさ、給料も同年代と比べればそこそこ上なんじゃないかな
そんな立場にいられるのって親ガチャ成功の賜物なんじゃないかと思うんだけど本人は親ガチャ失敗したって言っていて
本人じゃないとわからない苦労とかつらさとかあったんだろうとは思うけど、
その人は少なくとも現時点では社会的に上位に位置していて、どうやら恋人にも恵まれたリア充っぽいしで人生ガチャには成功しているし
障害者の父親が行政の支援を受けて生活しているのを身近に見てきたので、中学生の頃から行政の仕事に憧れていた。
奨学金を借りて高校に通い、高卒枠で公務員試験を受けるも不合格。働きながら通信制大学を卒業し、予備校に通い、25歳で地方公務員に。
実際に弱者を支援する側に立った時、「努力しない人」「無計画に生きる人」にむしょうに腹が立つようになった。
同じ部署で同い年の会計年度職員(非正規公務員)の子と一緒に昼食を食べてる時に「正規公務員は恵まれ過ぎてる」と言われてイラっとした。
お前は私立高校から東京の私立大学まで行かせてもらって遊んでる間、私は15歳から10年間、今の職に就くために努力してきたんだけど?と腹が立ってしまう。
こんな風になりたくなかったけどどうしたら良いんだろうね。。。
国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。
国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。
ただし、すぐには渡せないし、今年度来てない先生とかは勘弁してね。
もちろん中身を覗いたりしないよ。
あと授業期間中に送ってくれると嬉しい。
内容証明郵便の件やオープンレターについてはちゃんと読んでないので何の意見もないんだが、大学に非常勤講師のレターケースはない、
手紙を渡すまともな方法はないとかいう言説を見かけて頭に来たので書いている。
私は田舎の私立大学の事務職員で、郵便の受付・整理もやっている。
ていうか非常勤講師宛の手紙とか実際来るが? 普通に渡しているが?
うちはレターケースがあるのでそこから取ってもらっているし、レターケースがないとして事務文書を渡す手段を作ってない学校とかあるの?
学事暦の連絡とか授業の成績評価依頼とか、事務文書なんかたくさんあって、それらを渡す手段作ってないとかやってられないだろう。
今はコロナ禍ってこともあってメールや郵送での連絡も増えてるけど、メール連絡がメインになったのはここ10年くらいで(早くても15年くら
いだろう)、それより古い大学はそれまでの渡し方があったはず。
本人が大学に来ないと受け取ってもらえないのは確かで、下手すると1か月2か月かかってしまうので、「すぐに何かをやめてくれ」というよう
な連絡をするには向かない。とはいえ、3か月くらい来ないのが確実なら転送するか、他の文書とまとめて本人宛に郵送するけどね。
ていうか、非常勤講師っていうと若い不安定な身分の研究者を思い浮かべるのかもしれないけど、大物や名誉教授も一時的に講義を
担当するという身分としてはまとめて非常勤講師の扱いなんだから、非常勤講師という立場に敬意を払わないとかありえないからね。
そりゃ気に入らない教員もいるけれど、全員を等しく教員として尊重して扱っているよ。
なので、そういう人たちの手紙を勝手に開けるとか、そんなこと絶対しない。書留が来たら(もちろん未開封のまま)事務所の金庫に
しまって本人に連絡して手渡しする。
内容証明郵便は来たことないけど、本人住所に転送をかけるかもしれないし、近々来る予定なら預かるかな。
この程度、田舎の小規模大学でもやってるんだから、都会の大規模校がやってないわけないぞと。
そちらの大学はやってないの? 本当に?
今なら心の整理がついたので、獣医学部に行って後悔した話を書きつづる。
学力的に言えば、国公立のかなりいいところを狙えるくらいの偏差値ではあったものの、思った通りの合格は勝ち取ることは出来ず、とはいえ資格さえもらえればどこでもいいかと滑り止めの私立大学に進学した。
もちろん、一握りのすごいお金持ちというわけではないが、安定して世帯年収1千万は超えていて、とくに浪費しない家だったので、私立大学の獣医学部の学費と、一人暮らしの生活費を与えられる幸運に恵まれた。
私は、昔からソロバンをはじいて行動する可愛くない子供だったので、浪人して1年分の年収が失われる損失、10代の1年が受験勉強に浪費されるという損失などを秤にかけて、資格を得られるなら食いっぱぐれることはないだろうということも計算にいれて(入れたつもりだった)、私立大学に進学した。
いや、違うかもしれない。
お金を出してくれるという安心があって、獣医になれれば私立でもまあいいや。と思ってたから、たいして勉強しなかった。
塾にも行ったことがない。
今あの頃に戻れるなら、もう少し勉強して、一浪してでも東大京大かに入っておけと自分に言いたい。
が、医学部なんかとは違って、一般家庭でも出せないこともない額ではある。
私立理系の大学の学費が120万くらいのところ、200万。高いといえば高いし、卒業まで6年だ。
といっても、理系は修士まで進学する人が多いので、獣医以外の理系なら4年で済むというわけでもないかもだが。
さて、入学して早々(正確には入学式の数日前から)、私はまた人生設計の続きを始めた。
とりあえず入学は果たした。たぶん、ストレートに卒業できるだろう。さて、卒業後どうする。
求人票をみてビックリしたのが、週休二日の社会保険完備が半分くらいだったこと。
社会保険完備だと初任給が数万安く、逆に初任給が高いところは代わりに社会保険が完備されてないか、あるいはボーナスがない。
今考えれば、個人事業主のところに就職するというのは、そんなもんなんだと思うけれども、当時は動揺した。
給与も、全体的に、当時の大卒初任給より1割くらいは高いような気がしたが、正直がっかりした。
そして、卒業を控えたと思われる6年生らの会話を盗み聞き、動物病院の勤務医を選んだということは、いつかは独立を考えなければいけないもの(少なくとも当時は)ということを知った。
考えてみれば当たり前だ。動物病院のほとんどは個人事業主で、終身雇用はあり得ない。
この、中小企業サラリーマンより少しいい程度の給与水準で、開業資金が数千万、無理ではないがかなり苦労するのは18歳でも解った。
自分のような奨学金の返済もないボンボンなら十分可能ではあるけれど、やりたいかと言われたらやりたくはない。
皆が喜びにあふれてるなか、将来への不安で悶々として新入生オリエンテーションに参加。
実際、知らないわけではなかった。
獣医といっても皆が動物の治療で生計をたててるわけではなく、公務員として公衆衛生や家畜衛生分野で生きる獣医が多いらしい。
そうはいっても、誰がなるんだ?と思っていた。
この記事を読む人にもご存じない人もいるかもしれないので、軽く説明すると、公務員として獣医が働く先は大きく二つ。
自治体によって部署の名称は違うのだけど、農業関係の部と、ヒトの衛生に関わる部のどちらかに配属される。
農業関係の部だと、家畜保健所に配属されて、自治体のなかの家畜保健所を数年ごと点々とする。
公衆衛生分野、つまりヒトの衛生に関わる部で獣医が活躍する場所というと、食肉検査所と保健所の二種類。
食肉検査所というのは、屠畜場で流れてくる肉にオーケーを出す仕事。
保健所というのは、スーパーのバックヤードの指導とか、食中毒が出たらその調査とかなんだけど、なぜそこに獣医なのかというと、もともとは、野良犬の捕獲の仕事が多かった時代に、狂犬病予防員野良犬捕獲の陣頭指揮という肩書で獣医の枠が用意されていたことに由来してて。
今だったらコロナでそれどころじゃないんだけども。
さてさて、仕事内容はとにかくとして、オリエンテーションを終えてからさっそくリサーチ。
給料はやっぱり高くない。6年出てるのに、修士よりも低い。このへんも自治体によるけども。
またまた落ち込む。
就職氷河期で仕事があるだけで勝ち組みたいなムードの時代ではあったけども、なまじ高校時代の偏差値に己惚れていたため、
「仕事があるだけラッキーじゃねーよ!年収1千万は目指してーわ!」
と泣きたくなる。
単純に、親の年収は超えたかったってのもありますけども。親よりは学校の勉強が出来た自負があったので。
さてさて、獣医学部を卒業しても、思った以上に楽な人生は送れなそうということに気づいて、いよいよ一年次の学生生活が始まった。
続く(まだ本題には入れてない)
駅弁大学文学部卒で地方公務員になった者だけど、公務員受けてみればと思った。
元増田は学問を究めるよりも問題を正確に解く方が向いてる人なんだと思う。
「今までの人生何だったのか。私が大切に持ち続けていた成績という武器は、もうどこにも通用しない」
通用するよ。公務員試験はたくさん勉強する。高校時代の勉強内容はもろ教養科目にあたる。
私立大学文学部を文系3科目使って入学した人よりも既に有利だよ。
法律や経済科目も勉強しなきゃいけないけど、元増田の偏差値的に大丈夫だと思う。予備校だってあるし、宮廷にあるかは分からないけど大学生協が提供する公務員講座もあったりする。(安い)
自分もコミュニケーション苦手すぎて、集団討論がボロボロで民間だったら絶対落ちてたんだろうなと思うんだけど、筆記試験がそれなりに良かったために合格してしまった。
(入庁してみてコミュニケーションから逃れられないことは分かったのでそれは申し添えしておきます。でも、人柄の良い上司に下につけるとめっちゃ楽しいよ〜!)
両親には3人の子供がいて厄介な不良友達を連れてきたり警察のご厄介になることなく、子供全員凡人ではあるが2人(俺と弟)が私立大学、1人が国立大学を留年することなく卒業してそれぞれ自立して好きに生きている。
持ち家に住んでいて(おそらく)無借金で頭も身体もまだ健康な両親は気が向いたら働くスタイルで子供がいなくなって広くなった家で猫と犬に囲まれて楽しそうに年金で暮らしている。
6年ぶりに実家に帰って上述したようなことをしみじみと思い出して家庭環境のまともさを実感した。
ここまで安定した生活を送れているわけだけども兄弟間でお互い干渉しないので仲が良くも悪くもないんだが多くもない遺産相続でなんか揉めたら嫌だなあと思う。
自分はただのサラリーマンではあるが、子供が医者になりたいというので医学科説明会なるものに行ってきた
医者になるための補助や支援はたくさんあるし、やる気があるならほぼ0円で医者になる事もできる
ただ、私立大学を受けた時に修学金制度を利用すると9年以上の地域での勤務が義務付けられ、逃げたら修学金を一括返済しなければならない(おおよそ3000万円)
「その地域で働けば良いだけじゃん(仕事は自由に選べる)」って気軽に考えるのはちょっと違う
コンビニの店長は開店資金だの開店時の商品だので1000万円くらいの借金を抱えてスタートすると聞く。そのため昼夜構わず人がいなければ仕事しなければならないし、売り上げが低いと借金の返済ができずに自殺というのもよく聞く。
修学金を受けて医者になった学生たちも同じように長時間勤務させられるんじゃないのだろうか?
「やめたきゃ辞めれば?3000万払えるならw」みたいな事を言われて
子供をそうさせないためには頑張って国公立の大学(学費は大幅に下がって300万)に行ってもらうのがいいんだけど、狭き門だよな
【汚いので閲覧注意】
金曜日のことだ。前日のバイトを終えて倒れるように寝込み、それなりに快適な朝を迎えた金曜日。
その日は注文をかけていたヨウジヤマモトの服を受け取りに行く用事のために全身ヨウジで固め、最近おろしたスニーカーでるんるんと学校に向かっていた。午前に講義がひとつあり、その後に店に向かう予定だった。
学校へあと5分くらいのところ。学校の近隣に公園があり、その脇道を抜けているときだった。不意にお腹に違和感。体調の不備はそれまで全く感じていなかったはずなのに。一瞬違和感を覚え、ちらりと横を見やるとトイレらしき建物があった。いや、まだ大丈夫だろう。何しろ学校まで数分だ。トイレに行くにせよ私立大学の綺麗なトイレでゆっくりと用を足したい。私の思考はまだそんな楽観を許す程度の余裕があった。
やや歩みを早めた瞬間、不意に放屁が漏れた。嫌な感覚が尻から滲む。これ、出てない??????
はやる心臓。足の向きはやや迷いを残しながらも公園内部に逸れていた。一瞬の判断。この公園にはトイレが2つあるのか、幸運にも目の前にもトイレらしき建物がある。問題は、その建物がどう見ても改装中であったということのみである。ぐるぐると唸る腹を尻目に公園を見渡すと、「改装中。仮設トイレへ→」の文字列が目に飛び込む。仮設トイレへと駆け込む。刹那。肛門括約筋がまともに機能していないとしか考えられない速度でぎゅるぎゅるぎゅる、と液状のものが尻から伝う感覚。もう漏れてんじゃんこれ。漏れてるよ絶対。がんばれパンツ(下着)。脳内でパンツの吸便力を信じながらドアを開け、リュックを床に投げるように下ろす。仮設トイレの床に誰のか知れぬ糞尿が散っていることなどこの際厭うことはない。いまは何よりも私の臀部が一番汚い。ズボンを下ろす。しかしここで孔明の罠が発動する。その日私が履いていたズボンはヨウジのややデザインの入った服なのだ。脱ぐのに「ドローストリングを外す」「ボタンを外す1」「ボタンを外す2」という3工程がある。くそが。パンツにやや重みを感じ始めている。雑にズボンを下ろしながら同時にパンツも引き下げる。便座を確認している暇はなかった。尻を突き出すと破裂音と共に大量の便が噴き出した。完全にお腹壊してる。起き抜けに飲んだプロテインを冷水で割っていたのがよくなかったのかなあ。そんなことを考えながら足を震わせていた。シャツとロングコートにかからないようにずり上げていた気がする。しかし尻は私に構うことはない様子だった。
排便が一旦落ち着き、後ろを見やると的は完全に外れ、便座の縁にべっとりとこびりついてしまっていた。パンツにももちろん付着。床にまでこぼれてはいないようだった。頭はやけに冷静だった。履いていたスニーカーはブーツテイストのもので、脱ぐのに苦労しながらも全て脱ぎ、ズボンとコートを脱いだ。仮設トイレなんかにコートをかけられそうな突起はない。よく見ると壁に釘の頭が迫り出している箇所がいくつかあったので、そこに無理やりコートのタグ部分を引っかけ、ズボンはボタンホールを引っ掛けてなんとか両手を使えるようにした。トイレットペーパーを尻に挟む。尻からこれ以上便が垂れないようにしたかった。私の肛門括約筋は信用ならなくなっていた。そのまま半回転し、便を掃除する。汚した場所から便を取り除き、手洗いの水を使って水拭きする。なんなら尻も水に濡らしたペーパーで拭き、尻表面に付着した便を取り除く。もう講義なんてしったことか。受け損なうとあとが辛い講義だったが、こっちはうんこ漏らしているんだぞ。
掃除を終え、パンツはトイレ内のトイレットペーパーの芯を入れる用にかけられていた袋に突っ込んできた。公園内のゴミ箱に入れようか迷ったが、汚物を持って公園をうろうろするのが恥ずかしいのと申し訳ないので、そこに入れることにした。これも申し訳ないきはしたが、コットンなので燃えるはず。一緒に捨ててくれと願う。
ノーパンでズボンを履く。流石に学校には向かわず帰路に着く。あまり感じないものの、ズボンやシャツ、コートに便が付着している可能性は高く、そのまま講堂に入るわけにはいかなかった。
なんで自分がこんな目に。毎日学校をこなし、バイトで日付変更直前まで労働し、なんとか論文を書かなきゃと日々教員に詰められながら生きているのに。何かしたか? 先日まで休んでいたダイエットもその日から再開しようとしていたのに。最近心身や生活の調子を崩しており、色々気合を入れ直して頑張り直そうとしていた矢先だった。
恨みながらとぼとぼと歩く。ワイヤレスイヤホンからはKing Gnuの新曲「一途」がリピートされ続けていた。漏らしている間も、惨めに掃除している間も。でも私は帰り道でその曲を変えられなかった。変えてしまったら、その曲を聴くたびに思い出してしまうだろうから。
帰ったらすぐに洗濯をせねば、そう思いながら足を急がせ家に向かう。ひとは余りの負荷がかかるとどうってことなくなるんだと思う。これが派手に転んでズボンは破れるわ擦りむけるわ程度だったら泣いてしまっていただろう。でもうんこ漏らすともう何にも考えないんだね。脳が機能停止した感じ。「最悪」の二文字が脳内に居座ったままただ家に。そうして家に帰ったら、奇跡的にシャツとコートには付着しておらず、ズボンも多少で住んだのですぐつけ置き洗い*2の後に洗濯機を回して外干しを遂行。そんで今に至るってわけ。もちろん生活は崩しっぱなし。全部最悪のまま。服は臭ってなさそう。不幸中の幸いかな。
・その早慶未満の私立大学に行った同級生の大半が東大生でもめったに内定貰えない一流企業(三井物産とか朝日新聞とか日本郵船とかデュポンとか)に平気で内定していく。
と
「みんなは親御さんがほとんど年収1000万円以上はあるから、自分もそれだけ稼げると思ってるだろうけど、
この教室の1割……だから3~4人しかそれだけ稼げるようにならないからね。親くらい稼げるのが当たり前だと勘違いしてるなら将来ショック受けるから」
は矛盾しないの?
・親が社長やってるって生徒が全然いない。個人事業主の括りだと、医者や歯科医や税理士や1級建築士ばかり。多分、慶応普通部とか暁星とか賢くて社会的ステータス抜群の学校にはうじゃうじゃいたのだろう
・肥満体型の母親がマジで居ない。入学間もなく1回だけあった授業参観のとき気づいた。多分、食費に金かける余裕ある家しかないからだろう。
・専業主婦家庭かつ2人以上兄弟、って家の子が異様に多かった。一人っ子や共働きが全然いなかった。すでに共働き当たり前の時代だったのに、大半の奴が母ちゃん専業主婦だった。あと三人兄弟率がやたら高かった。そして自分だけじゃなくて兄弟も中学から私立ってパターンが大半。
・親が地元県庁や政令市とかの地方公務員やってる家の奴が皆無に近かった。国家公務員や国税もいなかった。大学教授も全然おらず。このへんは逆に公立トップ校とか私立御三家とかに多いのかもしれない。
・大半がサラリーマン1馬力家庭だけど、電通とか三菱地所とか全日空のパイロットとか、お前の父ちゃんよくそんな凄い会社入れたなみたいな家の奴ばっか。
・平均年収1000万円くらいと推定。中学のとき公民の先生が授業中に
「みんなは親御さんがほとんど年収1000万円以上はあるから、自分もそれだけ稼げると思ってるだろうけど、
この教室の1割……だから3~4人しかそれだけ稼げるようにならないからね。親くらい稼げるのが当たり前だと勘違いしてるなら将来ショック受けるから」
とか言ってたのと、変わらぬ顔ぶれの同級生たちと何年も付き合っていくうちに本当にみんなの家は年収1000万軽く超えてるんだろうなと思った。
・別荘持ちがどのクラスにも3人くらいいる。ただし、仲間がその恩恵にあずかれるのは大学入学以降というパターンがほとんど。
・その資本力をもってしても現役であれ浪人であれ早慶以上の大学にいける生徒は学年の3割程度。親が金持ちならよっぽどの低知能でない限りはほぼほぼ早慶以上確とか絶対ウソ。
・その早慶未満の私立大学に行った同級生の大半が東大生でもめったに内定貰えない一流企業(三井物産とか朝日新聞とか日本郵船とかデュポンとか)に平気で内定していく。
こういうレベルの企業って家柄を推定して採用するようなことやってるんじゃないかと内心で疑ってる。
中学3年くらいの頃、社会の授業で機会平等・実質的平等のくだりで先生が雑談がてら
「今世の中で、例えば中卒の人とかが就職試験の応募資格すらない会社が物凄く多いんだよね。
それから、病気とかが原因で生活保護を受給してる人が大変な経済的不自由を強いられたりもしてる。
みんなはこのことについてどう思う?」
ってみんなに問いかけた時に、
跳ねっ返りでもなく、性格悪くもなく、普通に友達多い爽やかな陽キャの同級生たちが口々に
とか
「そんなになるまで不健康になるのは本人がだらしないからしょうがないと思う」
とか
マジで澄んだ目で意見飛ばして先生が「いや、ちょっと待って…この人たちは何もみんながみんな自分のせいでそうなったわけじゃなくて」とか慌てふためいてたのが忘れられない。