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はてなキーワード: 根付とは

2018-01-10

心底嫌いな隣のクソジジイ

学歴格差とか言われてるけど今に始まった事じゃないし、それを分かっているか大卒を取得して大企業に勤めてるのに下請け高卒クソジジイプライド学歴コンプレックスで嫌味言ってきてとてつもないストレス

何が嫌かってその人は残業するのが正義時間残業が当たり前。仕事頼んだらまず愚痴から始まるし、プライベート雑談コミュニケーション手段。業後の飲み会仕事必要なことらしい。

そういう思考の人だから発言内容や方針尊敬できないし極力関わりたくない。あとは高卒コンプレックス根付いているからなのか、私に向かって下請けもっと尊敬すべきと上司の居ない所で説教してくるところも心底鬱陶しい。話聞いてる限りこっちはお前が仕事多いって文句うから仕事振らなかったのに話を勝手上司と進めると文句を言い、雑談をしなかったことについて嫌味を言われる。それで下請だかの聞く耳持たないんですねとか言われたから本気でキレそうだった。大体が自意識過剰曲解しかない。そもそも下請けから尊敬してないって思ってるみたいだけどお前だから尊敬してないんだよ。他の人には感謝してるよ。お前以外なら誰でもいいよ。

上司が指示した仕事の嫌味を私にだけ言ってくるのも、私の性格批評上司気取りでしてくるのも勝手だけど個人的感情混じりすぎだし上司ならまだしも他社の人間に言われる筋合いないから聞く気もない。

仕事責任は私取ることに変わりないんだから余計にでしゃばらないでほしい。人のことプライド高いとか言う前に自分の見当違いはプライドの高さに気づいてほしい。

プライド高いなら高いなりに発言と身だしなみに気を使ってほしい。とりあえず会社ヴィジュアル系が着けてるようなネックレスしてくるのやめてくれ。生理的に無理。

2018-01-06

本能寺の変あの世に渡った、

織田信長は、

家臣の猿(豊臣秀吉)の、その後の活躍を暖かく天から見守っていた。

しかし、明への侵略意図した朝鮮出兵だけは許すことが出来なかったと言われている。

から織田信長の想いは、ODAとして現代社会根付いているのだとさ (めでたし、めでたし)

2018-01-04

今の時代情報強者になるのはとても難しいと思った話(ダイエット

いや、もう検索エンジンをどう使おうが正しい情報リーチすんの難しすぎない?って話。

※すげぇ長文だけど続きを読む記法が使えないことに書いた後気づいたからそのまま投下


昨日、俺は結構水泳を頑張った。1時間半ちょいぐらいひたすら泳いで満足感に浸り、カロリー計算をしたりした。

そのついでに、今継続している水泳果たして体型の維持にどこまで役立っているのかが気になって調べてしまったのだ。

水泳 消費 脂肪」とか雑なワード検索開始。

いやぁ、ひどい。

とりあえず、試しに検索してみてほしい。

雑なワードに対して返ってくる雑な煽りの数々、「水泳効果絶大!!」「水泳は痩せない!?」などなど、

見出しだけで背中を押しそうとするものもあればちゃんと中を読ませようとするものもあるけど、

とにかく似たり寄ったりな記事がごっそりヒットする。


似たような記事が沢山ヒットすることは悪くないどころかGoogle先生が有能な証だし、

各人SEOを頑張っているということなんだろうし、一見良いことのように思える。


ただ、ここで記事のいくつかを読むと少しずつ分かってくる。

こいつら、「見出しが似てるだけで、中身は結構ベクトルの違うことを主張をしている」のだ。

=====

ある記事を似たような見出しの別の記事否定する


雑にまとめると水泳に関しては以下の内容がよくヒットする。

運動負荷が高い!」「消費カロリーが高い!一時間あたり最大1000~1300kcal!」「怪我しにくい!」

「冷たい水に浸かることで脂肪燃焼効果が高い!」

消費カロリー1000kcal。大して調べもしていなかったころにも見かけた数字だ。

でも、今の俺はもうそ数字鵜呑みにしようがない。

しろ複数計算サイトが俺が一時間に消費したカロリーはおよそ 300kcal ほどだと出力している。

1000kcalなんてどんな泳ぎ方したら稼げるんだよwwwwwとしか思えなかった。

…上の似たり寄ったりにしか見えない雑な見出し記事のいくつかには、実はこういう内容が書いてある。

水泳その他有酸素運動で稼げるカロリー消費なんて知れている」「水泳で1000kcal消費するのは超泳ぎ慣れたプロでもムズい

運動中の死亡事故が一番多いのは水泳」「糖質消費しようが脂質消費しようが関係ない、カロリー収支だけ気にしろ

他の記事と言ってること真逆じゃねぇか!!!なんでお前他の煽り記事と同じ顔して検索結果に並んでるんだよ!!!

ここまで真逆のことを書かれていると「水泳」だけの検索では真実判断しようがない。

有酸素運動」とか「脂肪燃焼 効果」とか別のワードも組み合わせて、違う視点から記事

水泳関連の記事と重なる部分があるか、また、ソース元が何なのか(論文実験その他で検証されているのか)を確かめて行く必要がある。

わかったこ

ダイエットのことに関してだけで言えば、以下の情報がわりと確度が高いように思えた。

有酸素運動だけで痩せようとするのは非効率

 ※時間効果が低い、慣れで運動強度が低下して消費カロリーも低下、

  必死こいて運動してカロリー消費するよりそもそも食わない方にした方が圧倒的に効率がいい

有酸素運動で気にするべきは消費カロリーのみ」

 ※脂肪を燃やそうが糖質を消費しようが最終的に一緒らしい。

  脂肪だけ燃やしても糖質脂肪に変わるので同じ。ソースラットへの実験結果

これらは割と複数ソースがあったのと、論文実験結果も添えて解説されているサイトがあったので

とりあえずは信用することにした。


カオスなのはここからだ。

先ほど「冷たい水に浸かることで脂肪燃焼効果が高い!」という言及があった。

根拠として添えられているのは「褐色脂肪細胞を刺激するから」というもの

検索してみるとわかるが、「褐色脂肪細胞を刺激すると脂肪が燃焼する」という話はどうやらデマらしい。

体に分布しているのは全脂肪うちわずか数パーセントしかも水に浸かるどころか

命の危険を感じるような低体温に襲われない限り活性化しないらしい。なんだそりゃ。

では「冷たい水に浸かることで脂肪燃焼効果が高い!」というのも嘘なのか、と言う話になってくるが、

これもよくよく調べてみると嘘とは言い切れないことが分かってくる。

ベージュ脂肪細胞ブライト細胞)」なるものがあり、これが中性脂肪から分化して

褐色脂肪細胞のように脂肪を燃焼するのだという。

19度程度の外気に6時間触れると活性化…6時間??

そう、このベージュ細胞とやらに関する言及も混迷を極めている。

褐色脂肪細胞の一部がベージュ細胞だった」「白色脂肪細胞褐色化してベージュ細胞になる」

という2方向の言及があるのだ。前者と後者の違い、結構大きいぞ。

前者だったらそもそも褐色細胞分布が小さいか効果が薄いと言う話がそのままネックになる。救いでも何でもない。

後者だったら希望がありそうだが、ベージュ細胞がどれだけ体内に分布しているのかという話に触れているサイトは見つけられなかった。

ベージュ細胞話題が盛り上がる前の記事に「12週間運動したら褐色脂肪細胞が増えた」とする研究結果があったけど、

褐色脂肪細胞が増えることはないらしいので、この増えたとされる褐色脂肪細胞ベージュブライト細胞だったのだろう。

運動ベージュ細胞が増えるというソース褐色細胞が増えたとする間違った研究結果(もしくは翻訳問題があったのか)により手に入った。

どういうことだよ。

正直オカルトの域を出ないと思うが、「水泳脂肪燃焼効果が高い」という点は回りまわって嘘とは決めつけられない状況になった。

付け加えるなら、水泳をまともにやってなかった2年前より2kg体重が増えてるけど胴囲は1.5cm減っている。

体脂肪率も2%ほど減っているので、体というか経験は「水泳脂肪燃焼効果が高い」という点は肯定してくれているように思う。



水泳その他有酸素運動で稼げるカロリー消費なんて知れている」に関しては

有酸素運動大して意味ない」→「筋トレは消費カロリー大」→

→「筋トレ継続できる時間は知れてるから結局消費カロリーが大きいのは有酸素運動

→「筋トレ筋肉を増やして基礎代謝の増加に貢献」

→「筋肉基礎代謝に貢献してるのは二割、増やしても意味がない※」

→「筋肉増えても基礎代謝に大して貢献しないけど活動代謝に貢献している」

→「筋肉を増やす活動代謝を増やす(微量ながら基礎代謝も上がる) でカロリー消費の増加が見込めるので筋トレは意義がある」

→「筋トレ有酸素運動効率的、ただし食事制限には負ける」

※諸説ある。筋肉が8割と言っているところもある。ソース不明

このような結論にたどり着いた。

なお、筋肉筋トレを真面目にやると初心者なら一か月に1kg弱、慣れてきた(一年以上やっている)人なら0.5kgほど増えていくものらしい。

これに満たない人は、おそらく負荷が弱いかちゃんと飯食ってない(栄養補給できてない)可能性がある、と判断していいかもしれない。


結論として


とても疲れた。皆が求めてるはずの情報なのに、なぜこんなにもリーチが難しいのか。

これだけ情報があふれているのに、「ソースを載せる」「引用元/参考元を載せる」という文化が全く根付かないのは何故なのか。

こんな匿名日記ならまだしも、情報サイトに載せる記事には引用元があってしかるべきなのではないか

ネットが本に取って代われないのはこういうところだろう。

昔は「気になってる事」+「嘘(デマ効果がないetcネガティヴワード)」で検索すると

いい事ばかり書いた情弱向け記事ではない、多少はそれっぽく調べたかのような記事がヒットしたりしていた。 

ところが、今の時代はこういうワードだとSEOで先回りされまくっていてノイズまみれだったりする。

並んでる記事信憑性記事提供元や同じ情報がどれだけ支持されているか、で判断するのは正直難しいと思う。

まとめサイトを叩いたりTwitterデマッターを叩いたりしてる人をよく見るけど、

キュレーションサイトアンテナサイト需要があるということはそれだけ情報の入手難度が上がっているんだろうし、

デマにしたってこのネットの有様では正確なソースを持ってくるのにも相当な労力がいるだろう。

「正しい情報が手に入りにくい→いい加減な情報が流布されやすい→正しい情報(ry」という負のループに嵌っているように思う。

今更それをどうにかするのは難しいにしても「手に入れた情報が正しいとは限らない」という意識は常に持っているべきだし、

さらに言えば正しい情報を入手するには金か時間かのコストを相応に払う必要がある、という意識必要ではないだろうか。

簡単にそれっぽいキュレーションサイトだけ眺めて知った気になっているとババを引くことになるのはもちろん、

情報提供の正しさを提供者に全て依存するのはリスクが大きいと思う。

どんだけ叩いてデマを許さな空気を作ったところで、意図しないソース誤読や見落としばかりは防げまい。


…というわけで、水泳だけじゃなく筋トレも頑張ることにする。とりあえず一か月で0.5kgを目標に。

2017-12-29

anond:20171229174353

やっぱり毒だよねー

なぜ表でこれを言うと叩かれるのだろうか。

大麻より多くの人が命落としているのになー

依存だって酒好きが大人象徴として文化的根付いてるから違和感感じないけど、中毒みたいなものじゃん

2017-12-28

めざせ!世界一クリスマスツリーについて思ったこ

大手メディアは本イベント批判を「木がかわいそう」などとまとめていますが、実際は「震災の鎮魂と復興再生テーマにふさわしいイベントなのか」「実行までの不透明過程」「主催者の二転三転する説明への不信」などが焦点になっています

会期も終わり、クリスマスツリーとされた大木は、植樹と言われながら根付ことな伐採されました。

自分の心を整理するため、主催者被災者の鎮魂、復興再生を謳ったイベント主催としての誠意が全くみられなかった、という点について書きたいと思います。(他の面については他の方が証拠を揃えて書かれていますので、書きませんが、重大な問題だと思っています

 ◆◆◆

神戸の街と人々は、22年前に地震という自然の力に否応無しに痛めつけられました。大切な物を喪い、傷つき、絶望した記憶は、街が復興を遂げたとしても癒えるとは限りません。中には望まずして愛する街を去らねばならなかった人もいました。

そのような人々に対して、健やかに山で生きていた大木功名心とも思える動機で切り出して、にぎやかなイベントアトラクションとして据えることが、鎮魂の象徴にふさわしいなどと、どうして思えたのでしょう。本来であれば、主催説明をすべきことですが、彼らはいくら真摯意見を受けても、説明する責任を果たしませんでした。主催の西畠清順氏は、会期中5回以上のトークイベントを設定しながら、このテーマについて語った言葉は数えるほどしかありません。関係者説明から逃げ「嫌なら見なくていい」と放言したり、中傷されたと被害者ぶったり、わざわざ直接ではない言い方で「くだらない」「厄介な傷つきやすさのアピール」と侮辱をしたのです。

私には、否応無く採取輸送で痛めつけられ半死半生で潮風にさらされる木が、150年以上にわたって自らを育んだ地から強制的に引き剥がされた木が、被災した神戸の人々に重なってなりませんでした。震災経験した方の中にも、そのように感じ、つらい記憶が生々しく蘇って苦しんだ方がいらっしゃいました。それは、西畠氏が仕掛けた「この木への感情移入」に少なからず原因があったと思います

また、何より許し難かったことは、被災地の子供たちに願いを書いてもらったオーナメントが無残に風にちぎれ飛ばされていたことでした。主催にとって、「鎮魂と復興再生」というのが単なる都合の良い大義名分以上のものではないということを如実に示していました。

私は、悲愴な記憶を「もう○年前のことだから」「自分には権利があるから」と、踏みにじってもよいもの、利用してもよいもの、軽んじてもよいもの、として扱う鎮魂ビジネスを断固として拒絶します。

そしてその姿勢を是とした西畠清順、糸井重里、そら植物園フェリシモ神戸市等への不信感を決して忘れません。

いつか、東北熊本で同じようなことを企む輩が出るかもしれません。震災に限らず、聞こえのよい大義名分のもとに、メディアに守られたならず者が土足で人々の思いを踏みにじることがあるかもしれない。

その時には亡くなった者、傷ついた者の尊厳を守るために断固として戦わなければならないと思いました。

参考)

有川浩さんのブログ https://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12336781681.html

いいなさんのブログ(本企画時系列) http://iina-kobe.com/entry88/

なぜ神戸に半殺しの生木を吊してはいけないのか:震災死者を冒涜する#世界一クリスマスツリーの売名鎮魂ビジネス

https://www.insightnow.jp/article/9833

2017-12-26

クリスマスよく分からない

別にかめでたいとも思ってないし目的定義けがされておらず謎のイベントである

恵方巻きもやることは訳わかんないけど一応無病息災とか目的あるじゃんね。

目的もないのに雰囲気だけ輸入して商業的に根付いたのが不思議だ。

[] #45-3「3丁目の輝石」

≪ 前

気持ちを切り替え、俺は改めてツクヒの捜索に乗り出す。

ツクヒの行方は見当がつかない。

だが、居場所を見つけるアテはあった。

魔法少女だ。

この町には魔法少女がいて、とある一軒で見知った間柄になった。

事情を話せば、協力してくれるはず。

確か市内で、クリスマスの催しに参加するとか触れ込みがあったよな。


俺は魔法少女舞台裏を訪ねた。

しか子供一人で何のアポもなく入れるはずがない。

イベント関係者であるタケモトさんの鉄壁のガードによって、俺は強引な突破すら封じられていた。

「諦めろっての。無分別ファンとかが突撃してこないよう、関係者以外は通しちゃいけねえんだ。どのような事情だろうが、例外はない」

けど、ここまで来て諦めるわけにはいかない。

「頼むよ。サンタを、サンタを信じる子供を、それを大事にする人たちのために、どうしても必要ことなんだ」

俺は何度もタケモトさんに頼み込んだ。

正攻法ダメなら、論理安易な摩り替えだってした。

「タケモトさん、去年のハロウィンのことを覚えている?」

「お前がイタズラあってのハロウィンだとか主張して、周りの制止を振り切って暴れようとしたときだな」

「結局、あれは失敗に終わったけど、最後にタケモトさんは自分の家を犠牲にしてまで、俺たちのイタズラを認めてくれた」

もちろん、それを認めてくれたのはタケモトさんだけじゃない。

他の大人たちも表面上は俺たちを止めつつも、正論だけでは学べない大事なことを知っていた。

「そんなんじゃねえ。イタズラが原則悪いことって前提は変わらねえんだ」

「でも、それが許されたり、認められる時もある。そういうのを“容認”っていうんだろ。サンタなんて嘘が大衆根付いているのは、そういう考え方も大事なのを知っているからだ」

「ふん、大した理屈だな。だが、それと今お前を通すことは別の話だ」

そうして押し問答が幾度となく繰り返され、タケモトさんが絆され始めたとき

から鶴の一声が放たれた。

「通してあげて」

魔法少女の声だ。

タケモトさんは溜め息を吐くと、おもむろに扉を開けた。

「先に進む前に、さっきの話の続きだ」

そのまま進もうとする俺に、タケモトさんは呼び止める。

ハロウィンのイタズラが悪いものとは限らないように、サンタ存在も悪いものとは限らん。大人は、なにもサンタを使って子供たちを騙したくて、悪意があって真相を隠すわけじゃねえ」

「うん、分かってるよ」

「いずれ知る日が来て、傷つくかもしれない。だがそれを悪い思い出にするか、良い思い出に昇華できるかはテメェ次第だ。夢から醒めるのは、見ているものが夢だって気づいた時だとは限らんからな」

「タケモトさんは……できたの? 良い思い出に」

大人だって誰かの子供だ。その子供が大人になった今、その夢の“お手伝い”に参加しているってのが答えだ。オレの話は以上。とっとと行きな」

タケモトさんは、俺を追い払うように手を振った。

次 ≫

2017-12-25

anond:20171225105333

ええ…それは「死を意識するから宗教を持つ」の根拠にならないだろ。

宗教根付いているからそれに抵触する生命倫理について議論がある」だけじゃん。

2017-12-23

セクハラを世に問い続けるため、自ら社会悪となったはあちゅうに、僕は敬意を表する

辛い過去を打ち明けることで、この日本での#MeToo運動火付け役を買って出て、見事にその成果を上げて見せた手腕。

そして、それに付随して起きてしまった童貞いじりの炎上すらも逆手にとって、自らガソリンを被り続けることでその炎を絶やさず、誰にも分かりやすい悪となって世にセクハラ問題を問い続けた、その覚悟

どれも常人にできることじゃあない。

あんた、ズルいよ・・・

こんなの、カッコよすぎるだろ・・・

今回の騒動で、僕たちは、どれだけ些細なセクハラであっても、それが不特定多数に向けられれば、誰かを傷つけてしまうことを知った。

そして、その悲しみの連鎖を断ち切りたいという想いが、この日本という社会にも根付き始めていることを知った。

そのどうしようもない想いの矛先として、分かりやすい悪をはあちゅうは自らが担うことで、人々の願いを真正から受け止めることを選択した。

僕たちは、はあちゅうに対する最大の返礼として、敬意をもって彼女を討たねばならない。

それは、とても辛いことだけれど・・・

でも、そうしないと、セクハラをこの社会からなくして、性差ことなんて忘れて誰もが笑いあえる、そんな未来・・・、それを願ったはあちゅうの想いが無駄になってしまう。

はあちゅうレクイエム

僕たちは今、英雄伝説を目の当たりにしているんだ。

それは、多くの人には理解されないことかもしれないけれど・・・

でも、僕はそれに気付いた。

気付くことができた。

それを美しいと思った。

からはあちゅうの想いを、みんなにも伝えたい。

そして、彼女の願いを、彼女が信じた未来を、僕たちは叶えてあげるべきなんだと、強く主張したい。

人々の想いが集まれば、社会はより良くなっていくんだと、はあちゅうが見た夢。

僕も同じ夢を見てみたい。

からもう、おやすみはあちゅう

ありがとう

2017-12-19

関東ラーメン屋、麺硬すぎてウケる

自称ラーメン通がアホみたいに「硬麺」「バリ硬」とか言い過ぎるせいで、勘違いしたラーメン屋デフォルトの硬さを「硬麺」ぐらいにしてる。

硬麺が美味くてしょうがない生粋の硬メニストなら文句はないけど、半分以上は絶対雰囲気で言ってるでしょ!


当たり前だけど、小麦粉はちゃんと火を通した方がもっちりするし、腹も壊さないからね!

「硬麺」っていうとかっこよく聞こえるけど、実際のところただの「生茹で」だからね!勘違いすんなよ!


福岡基準で、なんで硬麺にするかってところから説明すると、

1. 福岡ラーメン屋労働者に素早くラーメン提供するために、茹で時間の少なくて済む細麺のラーメンになった。

2. 細麺だと麺が早く伸びてしまうので、つゆがちょうどよく冷めた頃に麺もちょうどいい具合になる、硬麺文化根付いた。

3. 伸びる伸びない以上に、硬麺そのものが美味いというマニアの間で、「バリ硬」ブーム生まれる。

っていう流れなわけ。

本来は伸びにくい太麺を、生茹での硬麺で食べるなんて、よほど酔狂強靭胃腸を持つ硬メニストだけに許された行いなわけよ。

そこで一般ラーメン好きに提案したいのが、

「食べる時間で麺の硬さを選ぼうぜ!」

ってこと。

酔狂な硬メニストを除いで、基本的にはゆっくり食べる人だけが硬麺を食べようよ。

で、ラーメン屋さんは、各々自分の舌に自信を持って、ちゃんと湯がいた、一番美味しい状態デフォルトの茹で具合にしてください。マジで

増田は食べるのが早いから、初見ラーメン屋で食べるときは、細麺の店なら普通、太麺の店なら柔らかめと頼んで、柔らかすぎたら次回から一つ上の硬さに変えてみるよ!

2017-12-18

電通の件、度々CM炎上してたのは炎上狙いとかではなく広告業界男尊女卑思考根付き過ぎててナチュラルあんな風になってしまったんだろうね。

ゆずの「3番線」の歌詞

中途半端に生きて行くって 言った奴が

コネをこねくりまわして これでも電柱マン

から見下ろす景色は さぞかし綺麗だろう

人を人と思うだけで 人は変わるのに

電通マンだと思ってたけど電柱マンだったのか。

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

anond:20171211023957

その通りじゃないの

 

日本人宗教は無い、あるのは神道だ、天皇だ、八百万の神だ、

これは全部嘘っぱちです

 

日本根付いている最も有力な宗教は「儒教」です

宗教というのは常識を言い換えたものです

普段僕らが生活していて疑問に思わない判断基準常識です

そして宗教常識を形作るためにあります

ですが、宗教宗教自覚すると人間は反発することができます

科学が発展したのはアンチ宗教としての原動力が強いです

常識を疑う、宗教を疑うことが科学発展の歴史でした

しか自覚できない宗教がもしあったら、どうでしょう

 

日本人儒教自覚できていません

にもかかわらず、儒教を基本道徳として根付かせています

これが不思議なことで、どういった経緯で宗教常識レベルに浸透して

なおかつ無自覚でありながら布教され続けているのか

それが一番の謎です

ともかく、日本人論理的合理的判断ができないのも、

無意識儒教を刷り込んで教え込まれているせいです

上の人間が白といったら黒でも白と呼ばなければいけない

儒教日本支配している限り日本に発展はあり得ません

それこそ戦争完膚なきまでに叩き潰されるまでは永遠に日本儒教支配され続けます

GHQキリスト教を広めなかった理由や、英語公用語にしなかった理由

それが今の現状と繋がっているのではないかと考えます

anond:20171209221049

からよく何が正しいのか分からないって羊には

こいつらがどこから金を貰ってるのか考えろ

って言ってるんだけど根付かないんだよな

 

飯を食わないと死ぬ世界である限り

飯を食わしてくれるやつの従う世界なんだから

みんなそれをもう少し思い出してほしい

2017-12-06

anond:20171206105328

>「男性にとってプロポーズされた、つまり受け身になった瞬間、頭の中で恋愛を除外した人生設計思考するプロセスが起動して結婚後の資産キャリア計画無意識脳内によぎってしまう」

それは男側が一家大黒柱になる、つまり経済的に女から頼られることがほぼ決まっているからでしょう。

その意味では、経済力の低い女が、高い男に自分からプロポーズするのは考えられないし、不遜だとさえ思う。

女が男以上に経済力を身につけないと、女からプロポーズする文化根付かない。

2017-12-05

2chまとめが世に蔓延ってるのまずくない?

今は5chまとめか。

あん便所の落書きと呼ばれていた(不幸なことに今では全く言われていない)サイト恣意的にまとめたものをありがたがってる人見ると悲しくなるし、本気でブコメとかしてる人見るとなんでこんなものを真に受けるんだって思ってしま

いい加減これらなくすべきでしょう。と思ったけど電車内でスマホちら見すると大抵2chまとめか、はちまJIN見てるわけ。なくなるわけねーわな。やんなっちゃうよ…。

Welqやらネイバー炎上した時2chまとめも叩かれて、問題点が世に広まるかなと思ったけど、はてブなんかは2chまとめは別だとか言って叩いてなかったし根付いちゃったわけですかね。はあ…。

2017-11-29

1991年高円寺商店街クリスマスツリー

神戸クリスマスツリーの件で思い出したことをダラダラと書き殴っていく。

当時自分専門学校生高円寺とある商店街飲食店アルバイトをしていた。

クリスマスシーズン店長は1~1.5mくらいのなにかの針葉樹の鉢植えを買ってきて、ツリーの飾り付けをした。営業中の店内は暖房乾燥タバコの煙も充満。

植木には過酷環境だった。水やりをするくらいしか世話もできなかったが、一ヶ月あまりクリスマスシーズンをその木は枯れずに乗り切った。

クリスマスが終わると店長は飾り物をはがし、裸になった鉢植えの樹を指差し粗大ゴミ※に出せと命じた。

は?生きてる木ですよ?なんで捨てるんですか?しか粗大ゴミってなんなんですか?捨てるならなぜはじめから造花を買わないの?

怒りで目がグルグル回った。一通り抗議したが無駄だった。十人ほどの従業員なかに賛同するものはなく、ただドン引きされた。

誰か別のアルバイト街角粗大ゴミ置き場に木を持っていった。

収集日まで数日の猶予があることを確認し、翌朝レンタカーを借り、荷台にツリーだった木を横たえ、環七目黒通り環八第三京浜から横浜新道を通って、藤沢実家までひとりで運んだ。

親に頼み込んで北側の庭に植えてもらった。幸い根付いた。強い木だった。今も生きている。立派な枝ぶりになった。垂れ下がるような茂り方なのでモミではなくトウヒのような気がする。庭木なので植木屋さんに剪定してもらっているから樹高は二階の屋根より低くなっている。あと100年生きるのだろうか。自分の死後こいつはどうなるだろう。

クリスマスが終わればゴミとして殺される木はあの頃も今も、毎年何万本も存在するのだろう。

神戸のあの樹だけが特別なわけではない。

バブルの頃から時代は流れ、サステナブルとか自然との共生とか生物多様性とか言われるようになったけど

今回の神戸のツリーニュースを見た瞬間、あの高円寺ときと同じ怒りがふつふつと沸き上がってきた。なにも変わってないじゃん。

いやもっと悪いよ。鎮魂とか復興象徴とか輝けいのちとか、心にもないお題目ならべてるところがね。樹の命なんて毛ほども考えてないくせに。

いっそ正直に、集金集客のため大木を引っこ抜いてツリーにするけど用が済んだらバラバラにして売るからね、樹には被災者の鎮魂のための生け贄になってもらったってことでいいよねって言ってた方がここまではムカつかなかったよ。

でもしか割り箸だって材木だって同じことだろう?いや同じだろうか?間伐材は仕方ないよな?

食べる野菜はどうなんだ?牛や鶏は?かわいそう?矛盾してないか

ずっとずっと、考えてきたが答えは出ない。

他の生き物の命を奪わないと生きていけないのに

時として他の生き物に愛着を持ってしまうのはなぜなのだろう?神が与えた罰なのか?

人は生きていくために樹木の命をもらってきた。雨露しのぐ快適な住居のため。暖をとる燃料のため。箸や器、さまざまな家具や道具。

集客のためという経済活動お祭りで神に供える宗教的行為も広義では生きていくために入るのかもしれない。

イベントで巨木を抜いた。乱暴なやり方だしたぶん枯死するよ。でも経済活動のため。うん、それはわかるよ。時には仕方ないよね。

でもどうしても腹が立つんだ。理屈じゃないんだ。抑えられない怒りがこみ上げてくるんだ。DNAに刷り込まれアニミズム精霊信仰なんだ、きっと。

少数派か多数派かはわからない。今はネット自分に近い意見を探せる時代から多数派錯覚することもできる。

古いものには霊魂が宿る。老木は神になる。長生きした猫は猫又になる。(なってほしい)うちも築100年を越え、梁に愛国婦人会って金属ステッカーが貼ってあるけどなんなのこれ。よくわからないけどこわくて剥がせない。

栗の柱は黒くてつやつや。100年前にうちを建てるために先祖が殺してごめんなさい。これから大事に住むから許してください。

クリスマスツリープロジェクト反対署名サイトも見た。7千人以上集まってるじゃないか。すげえ。

結構いるんだ。自分けがおかしい人なのかとずっと思ってたよ。

経済学者が、コピーライターが、役人が何を言っても変えられないよ。

土着信仰だ。原始人だ。老害だ。田舎者だ。うん、その通りだね。嗤いたければどうぞ嗤って。

くだんの高円寺の店はバブル崩壊の後、すぐ潰れた。

店長は売り上げをちょろまかしていたことがオーナーにバレて闇社会の人に追われていると聞いた。

そのオーナー自身千葉でのゴルフ場開発にからん揉め事商店街ビルを手放すことになった。

バブル直後はどこもかしこもそんな話だらけだった。

 

糸井重里バブルのころからあんなだったし、自分も上で書いた通りあの頃と同じだ。

時代が変わって糸井のやり方は受け入れられなくなってきたのだろうか?

もう少し推移を見守ろう。

※当時はごみ分別は今よりずっとゆるかったし粗大ゴミも申し込み制ではなかった。確か。(あるいは資源ゴミだったか記憶が定かではない)

11/30追記 署名8500人越え。樹木の一部を使ったバングル販売する予定だったフェリシモは、販売中止を発表。主催者後出しでいろいろ発表。当初は「植樹」と言っておきながら「移植は無理だった」ウソつきか。知ってた。あと、樹木の命について考えるきっかけを与えてやった、みたいなことを言ってやがるのも腹立つ。こちとら1970年代から今日まで考えてるわ。答えは出ないがな。

12/1追記 「嫌なら見に来るな」あ?公園晒しといて何いってんの?・・・急に署名が増えて1万人越えに…まとめサイトおそるべし

12/2追記  1万5千人

2017-11-11

anond:20171111180022

男尊女卑がなぜ起こるのかは、生物学的な配偶システムが大きく関わってきます

動物社会には男尊女卑オットセイなど)、男女平等トキなど)、女尊男卑アンコウなど)のいずれのタイプ存在します。

なぜそうしたいろいろなタイプが生じるのかというと、♂と♀との間に繁殖適齢期までに生き残る数(これを生物学では「第三次性比」という)にあまり差が出ないタイプや大きな違いが生じるタイプ動物があり、少ない側の性に希少価値が生まれからです。

ではそもそも性別によって適齢期までに生き残る数に差が生まれるのかというと、少し専門的な話になります潜在的繁殖スピード性差が生じるからです。潜在的繁殖スピードが他方の性より遅いと、出産育児によって次の繁殖までにかかる時間が長くなり、配偶者獲得の場面であぶれにくくなります。逆に、他方の性は配偶者獲得の場面であぶれやすくなるので、配偶者獲得競争が生じやすくなります。そこで、大きく筋力の強い体を作って同性が繁殖するのを邪魔したり追い払ったりして配偶者を独占しやすくなるのです。しかしながら、大きく強い体を作るのにはそれなりのコストがかかるので、生存率が犠牲になります

例えば、トラは♂が♀より体重が1.5倍近くあり、テリトリーの広さで♂が♀の3倍ほどありますが、♂と♀とのテリトリーの広さの違いはそのまま生存率の違いによるものです。独立して自分テリトリーを獲得するときに同性同士で争って死んでしまうことが♂は♀と比べてはるかに多く、♂は♀と比べると壮年期までの生存率が1/3程度になります。つまり、♂の方が体が大きくて力も強く、支配できる土地が♀の3倍ほどもあり、♂のテリトリーには数頭の♀のテリトリーが重なる形になります。このため、生き残った♂一頭当たりの経済的資本繁殖機会は生き残った♀の3倍ほどもあるということになります

まり、生き残って次世代を生み出す年齢帯で♂♀一頭当たりの食糧獲得機会と繁殖機会に格差が生じる動物は、男尊女卑女尊男卑タイプといえます

ライオンなども同様で、繁殖適齢期まで生き残る確率は♀の方が高く、少数の♂が多数の♀を従えるという構造の群れを成します。

オットセイアシカなどはこの傾向が非常に強く、数頭の♂が数十頭から百頭もの♀を従えるハーレムを作り、配偶者獲得競争に敗れた(不戦敗も含む)十数頭のあぶれ♂がハーレムを奪うか、ボスが狩りに出かけたり睡眠に入った隙を狙って♀と交尾する機会をうかがうためにハーレムの周りを取り巻くという形態が生まれます

人間はトラやライオンほどではないにしても、♂の方が潜在的繁殖スピードは速く、構造的にやや男尊女卑になりやすタイプ動物だとは言えます

また、文化人類学見地からは、ジョージマードックによる無文字社会研究から結婚適齢期における男女比(生物学では第三次性比という)が1:1から大きくずれてしまうことが一夫多妻制や一妻多夫制といった複婚制ができる土壌となることを明らかになりました。

ヒトの一夫多妻社会は、無文字社会では狩猟戦争などで死亡率において男性の方が高いこと、女性は性成熟した15歳付近結婚する人が多く、男性社会的自立を確実なものにした25歳くらいで結婚する人が多く、婚姻年齢に差があるため、15~25歳の年齢帯で男性の死亡率が高いことが多い無文字社会では結婚適齢期の男女人口比で女性の方がはるかに多くなることが原因で形成されるとされています

ヒトの場合も、第三次性比が偏ることが配偶機会の性差をもたらす点で、他の動物基本的相違はありません。また、経済資本争奪戦も異性間より同性間で強くなる傾向があり、これに勝った少数の男性が多数の女性経済的にも支配し、敗れた多数の男性排除されることから経済面でも男女格差男性格差が顕著になる点も他の生物と同様です。

そして、富や繁殖機会の偏在は狩猟社会より農耕社会の方が顕著になりやすいです。こうして富や繁殖機会をより多く占めた男性権力をふるうようになり、男尊女卑社会形成されるのです。

また、文明化の恩恵によって男性の死亡率が下がり、結婚適齢期の男女人口比が1:1に近くなって性別による経済的利得と繁殖機会の不平等をもたらす生物学的基盤が失われても、一夫多妻婚姻制度男尊女卑文化社会制度として強く根付いてしまうと、なかなか解消されずに継続されてしまうことが多くなります

2017-11-07

今回、選挙を経て、痛感したのは、日本民主主義根付いてないんだなーって。

民主主義って、つまり多数決、最大多数の最大幸福、それを信用しない、できないひとがたくさんいるのだなと。

考えてみれば、日本独裁制であっても、そこまでひどい政治経験してないんだよな、歴史的に。第二次大戦くらい。

しかも、その民主主義を考えるきっかけになるはずの学校教育は、日本史は、天皇中心の歴史を教えるから

投票というのは、日本未来について考えること、そのイデオロギー自分の中で確立させ、それを意思表示する行為だと思う。

ま、独裁制と代議制なら、代議制の方がマシってだけ。正直、大差ない。トランプさんとか見てると。

選挙は、今の時代に合ってない、興味を持たせろとか、そういう意見もあるけど、僕から言わせれば反知性主義だよなーと。がり勉ダサいっていう奴の論理だよね。

最低限の、危機回避可能性のためなんだよね、選挙って。その為に勉強しとこうぜって。

ナチスとかポルポト政権カミカゼを出さない為には、民主主義しかないと。

(まあ、ナチス民主主義で選ばれたけど)

ちゃんと、見る目を養った社会しか、喰いとめられないというのが限界

別に投票を信じない、というのもイデオロギーの一つだよ。

っていうか、小選挙区制だと、人気よりも団結がモノを言うわけで、そういう意味では投票したって死票無意味という論理だって成り立つし、どこも同じだろうという考えのもある。

代議士たちの理念演説会、討論会を見れる機会がないと、どれも同じだよね。いちいちHP回って、みて、比較して。

でも、ひどい代議士だと、HPにすら何も書いてないし、小学校から今に至るまでの微笑ましいエピソード集なんかが載ってて、反吐が出る。アイドルかよ。

正直、日本はこれからどんどん衰退するし、なんとかしがみついていかなければならないんだなと思うと、戦々恐々とする。

自分たちが選んだんだ、なんていうけど、それはちがうと思う。

そういう仕組みが出来上がる時に、批判できなかった。大きくなって崩すには、時間と労力がかかる。もう手遅れだ。

先人たちの負の遺産だと、割り切るしかいかなって思う。

もちろん、先人たちのおかげで、今の、生活が成り立ってるのは承知している。

だけど、彼らがちょっとでも、お金稼ぎの合間に、趣味の合間に、手を止めて、このままで大丈夫か?と議論してくれていたらと思ってしまう。

一億人以上が暮らす経済大国の舵取りなんて、誰にもできなかったのかもしれない。それでも、ちょっと思ってしまう。

この問題だらけで、ちょっとずつ沈んでいくのを眺めながら、僕たちはどこまでいけるんだろうな。

2017-10-30

anond:20171027234333

自分お金が回りやすくなる仕組みよりも

経営者が持つ生殺与奪拳のせいで雇用者自由な発想や行動が制限されてると考える。

会社を辞められない理由生活できなくなる=死ぬ からという動機はあってはならないはず。

それは会社就業者マッチ以前だからBIによってその枷を外してあげることが最優先。

生活が安定・保障することで物欲経済的活動一般的大衆から無くなるどころか、むしろ加速すると信じる。

例え失敗しても食いっぱぐれることはないので自分のやりたいことに挑戦しやす社会がくる。

かといって誰もがやりたい仕事には当然競合だらけになる。

才能のない人間自己評価を納得する機会が与えられ、以後真面目に仕事することで成果を目指そうとする。

これこそボトムアップ必要経済構造ではないか

 

憲法により守らなければいけないのは

国民価値観が旧資本主義から変革する前に止まってしまうことが恐ろしいから。

実際にBIを基軸にした新資本主義生活根付いて民衆が良い点も悪い点も経験しきったあとなら

BIを守る憲法必要ないしなくしてしまっても構わない。

ただ自分が死亡した後も、少なくとも50年は国民経験させて判断させるべきだと思うので、

死後守るためのものとして憲法に組み込んで信仰で守らせる必要がある。

国民が良いかいか客観的判断できることを正とするなら

時間と共に自然社会問題解決されている。そしたら政治家必要ないはず。

まり実際は国民は正しいことが判断できないし、この先できるとも思えない。

https://anond.hatelabo.jp/20171029085625

そもそも議論がなぜ必要なのかを教えないのが根本的に問題だと思うけど

解決すべき問題があってそこに多くの同意を求める方法検討するのが目的

そこに達せない場合はどこまでを目標にするか撤退するのはどこまでかと

決めていかないと「話しているうちになんとかなるのでは」というラップバトル

みたいなことになりそう

日本サービスの質がたかいので予定をたてればそのとおりになるという基本が

根付いているから予定をたてるということに弱さがありそう

会社でも転職経験のない子をリーダーにすると些細なミスを徹底的に許さな

ダメなら全撤退というむちゃな采配しかとらない子がいたりするのを見て

逆に議論すべき問題がそんなにないのではと感じたりしま

2017-10-27

anond:20171027221644

そうすると日本にもようやく大規模農業根付くな。

anond:20171027192531

誤読にもほどがあるな。ただ、前向きにやろうという奴はミス可能性も見といて考えてやらせていく。

前向きにやろうという奴をまず優遇しないことには前向きな雰囲気会社根付かん。

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