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はてなキーワード: 根付とは

2018-03-26

anond:20180323162850

そうはいっても世界で(たぶん)唯一有史以前から単一王朝を維持(象徴的にだけど)してて、その上日本人社会はある種法律社会システム以前に社会規範があるというか、独自社会文化根付いてて、これはこれでけっこう貴重なことなんだと思うんだよね。民主主義社会主義っていっても、せいぜいここ100-150年くらいのものだし、現実アメリカヨーロッパ中国ロシア社会を見ても壮大な社会実験みたいで、どれも目指したい理想の完成形には見えない。日本の町の平和感は世界のどこの国とも比較にならないダントツトップなわけで。それらは国の形と無関係ではないと思うんだよね。

2018-03-23

オカマタレント問題点

日本欧米的なLGBT根付かない理由って、オカマタレントのせいだと思うんだよね

いわゆる新宿二丁目的な価値観

あれが先に出てきちゃったか問題なんだと思うけど、あまり指摘されてるの見たことがない

やはり二丁目オネェ派閥の方が発言権強いわけ?

2018-03-22

高学歴になったけど幸せじゃなかった

大学生男。

受験勉強して高学歴になったら幸せになれると思ってた。

かにそこそこモテるし、自尊心も満たされるけどそれだけ。

中学受験たか地元に知り合いはいないし、成人式も出てない。

親友もいないし彼女出会い系経由。

地元根付いて仲間と楽しくやってるマイルドヤンキーの方が楽しそう。

就職したら幸せになるとはもう思ってない。

多分収入貰うようになってもこの喪失感は消えないんだろう。

2018-03-14

バレンタイン日本根付かない原因は古事記にある

イザナミ女神が先に「ほんとうにりつぱな青年ですね」といわれ、その後でイザナギの命が「ほんとうに美しいお孃さんですね」といわれました。それぞれ言い終つてから、その女神に「女が先に言つたのはよくない」とおつしやいましたが、しか結婚をして、これによつて御子水蛭子をお生みになりました。この子はアシの船に乘せて流してしまいました。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001518/files/51732_44768.html

日本神話では、女から先に告白されて生まれ子どもノーカン

2018-03-11

日系企業に「男は責任があって大変な仕事、女はその補助」って風潮が未だに強く根付いてることに気がつかないで女性の権利についてばかり質問したり女性活躍がどうの〜とかバンバン言ってるブスな女の子就活生頭悪すぎると思う‬

2018-03-10

日本人として黒人差別問題を考えてみた

ミンストレルショウと抗日ドラマ

どちらも人種差別にあたるものだけど、ミンストレルショウが今日にも続く黒人差別問題の要として根付いているのに対し、抗日ドラマに関して日本人はびっくりするほど寛容だ。

それをなぜかと考えたのだけれど、日常的に命を脅かされることがないからではと思い至った。

アメリカ黒人差別に怯える人々でよく見る意見は、いつ黒人である事を理由理不尽に殺されてもおかしくないとか、白人警官が射殺した場合は罪に問われないケースがあるとか、また逆に日本に来た黒人の中では、一外国人として奇異に見られることはあるけど命の危険はないのでそれだけでも天国だと言う意見が見受けられる。

要はアメリカ銃社会とそれによる命の扱いの軽さが黒人差別問題が今も問題たり得る中で大きく割りを食ってるんじゃないかと思う。

日本では警官は銃を持てるけどそれすら滅多に撃つものではないし、ましてや外国人からと撃ちでもしたらそれは即座に差別問題として槍玉に挙げられ社会的抹殺されるだろう。

年末ガキ使に声をあげたBaye Mcneil氏は過去にこんなエントリーを上げている。

An Open Letter to Japanese People from Black Men (日本人の皆んなさんへの黒人から手紙)

http://bayemcneil.blogspot.jp/2015/07/an-open-letter-to-japanese-people-from.html

黒人と関わるのにこれだけは気をつけて欲しいと言うのが36項目もある。

申し訳ないけど率直な意見は“神経質すぎて面倒くさい”だ。いっそ関わるなと言ってくれた方が楽。

逆に日本人アフリカなりに行けば肌の違いで奇異の目で見られるし警戒されたり近寄って来たりして、近付く中でも理由善意だったり好意だったり言葉など文化への興味だったり、ただ金の為だったりと様々な想像がつく、しかしそれはきっかけであって、異文化ってそこから関係性を作っていくものでしょう。

彼の言ってることはそのきっかけをほぼ全否定する。

そんなところで私は彼の36項目に同意できなかった。

しかし何故、彼がこんなにも他者を警戒するように至ったかと思えば、それはやはり幼少の頃から銃社会、いつ殺されてもおかしくない中で彼はPTSDになったんじゃないかと思うのだ。

最近でもアメリカでは立て続けに銃社会にまつわる悲惨エピソードが繰り広げられた。

学校での生徒の乱射が起き、それを踏まえてトランプ大統領教員が銃を持てばいいと言った。

その翌日にはまた別の銃乱射事件ニュースが入った。正直アメリカ銃社会で狂ってる。

逆に銃社会などなければ、生命にとって最悪のいつでも殺されると言う死の危険日常的になければ、黒人差別今日にも続くような大問題にならずに済んだのでは、徐々に打ち解けられる社会があったのではと思うのだ。

日本にも今日差別問題があり、在特会しばき隊と対をなして衝突する団体がある。

しかしそこに殺人と言う手段はない。

いくら在日差別韓国人差別中国人差別だと言うようなことがあっても、実際に殺人と言う事件があり日常的に命が脅かされていると言うことはない。

しろ逆に多くの韓国人中国人、また諸外国の人々が日本社会の中で普通に生活を営んでいる。

その中で国や思想、育ちの違いで衝突する人もいれば和解友達となるケースもある。

対して誰もが銃を持ち、簡単に命を奪うことができる社会今日アメリカ黒人差別問題を不幸にし続けていると思う。

なので私は結論として、アメリカ銃社会に反対する。

日本黒人差別問題で口を出すのなら、こちから黒人差別問題解決に向けて口を出させてもらいたい。

ブコメレス

id:Outfielder抗日ドラマに関して日本人はびっくりするほど寛容だ。 それをなぜかと考えたのだけれど」日本人民度が高いからじゃね

民族単位で優劣を見出すのはそれこそ差別なので気をつけてください。

id:chuunenh 抗日ドラマ人種差別ではないのでは。マンネリ化した007シリーズみたいなものだと思っていたが。

例えば日本政府が性表現暴力表現を厳しく規制して、ただし凶悪中国を打ち倒す話なら中国人凶悪な性暴力も残虐性も描かなければならないからある程度の表現を許すなどと言い、どこのテレビ局規制を軽くしたいがためにそのような話を描いたとしたら。

その流れがある程度続いて、中国人凶悪で残虐という印象がある程度の日本人根付いたとしたら、果たしてそれでも中国人差別でないと言えるなら、抗日ドラマ人種差別じゃないんでしょうね。

2018-03-09

姉のこと。

久しぶりに深夜にお酒を飲んだらなんだか浸ってしまたから少し吐き出させて下さい。

家族からで許さなければならないことがあるのってどうなんだろうって最近考えるようになった。

姉が今彼氏同棲していて、その事に関して姉のことを良く知る友人から一緒に暮らせるなんて彼氏さんはすごいねって言われたっていう話を姉からされた。

他人にそう言われるってことは姉にそれなりに問題があるってこと。

今の彼氏との生活がどうなのかは知らないけれど、姉がまだ学生実家で一緒に暮らしている時は何もしない人だった。

家事は当然何一つやらないし、当時小学生だった私に中学宿題やらせていたり、長期休暇中は誰も何も用意してくれないから私が姉の分のお昼ご飯も作ったりした。

今は彼氏の分のご飯も姉が作っていると聞いた。その他の家事については知らないけれど。

とにかく姉の気分によって振り回される生活だった。さっきまで笑ってたのに急に殴られたり蹴られたりすることもあった。だから気分良くいてもらうためにたくさん気を使って生きてきた。

殴られた時、本当は痛くて泣きたかったけど泣いたらそれが不快にさせるから笑いながら何急に?びっくりしたって言う。思った以上にきまってめちゃくちゃ痛いんだけどって、笑いながら言うの、おかしいでしょ?

気付いてないよね。本当は泣きたかたこと。

でも機嫌を損ねて罵声を浴びさせられるのが怖くて何されても非難するようなこととか、否定する言葉が出なくなっていった。

今まで色んな人に相談した。姉がこわいって。

親ですら殴られていることを知らなかったって。見てないだけだよ。よくあるみんなて夜ご飯食べ終わった家族団欒の時間でさえ急に頭叩かれてたよ。

みんなが「抵抗したの?」って聞いてくる。

出来ていたらこんなに傷付かないよ。

出来ていたら、死にたいなんて感情がここまで根付かないよ。

それすら出来なくなるように昔から罵倒されてきた。もう洗脳されてるのかなって思うぐらいに自分が駄目なんだって植え付けられた。

それとその言葉に、抵抗出来ない自分おかしいんだって追い詰められた。

姉の面倒を見る私を仲の良い姉妹だねって言う人全員騙されてるなって思う。

姉に騙されてるだけじゃなくて、そうやって姉の面倒を見ることが嫌いじゃないよってアピールする私からも。

自分理不尽な目に遭ってるとか不幸だとか思わないための防衛みたいなのがいつの間にか働いていて、仲が良いねって言われる度に良かった、騙されてくれた、私たちは仲の良い姉妹なんだって安心してた。

でも一度離れると駄目だよ。

もう一緒に生活出来ない。

あなたの我が儘を聞いてあげられない。

だってその要求他人にだったらしないでしょ?

家族から?妹だから?甘えてるの一言で済ます気?

違うよね。自分より弱い私を所有物だと思ってるよね。

家族でも、姉妹でも、嫌なことは嫌だし出来ないこともあるんだよ。

何で家族だったら許してくれると思ってるの?

何で家族だったらそんな我が儘な人と一緒に暮らしていても褒められないの?

何で1番大変な時に1番被害を受けて1番耐えていた私は誰からも何も言われないのに、社会人になって性格が丸くなって、落ち着いた人になった人間と一緒に暮らしている他人は褒められるの?

もう疲れた

でもこれからも抵抗出来ないままでいるならこの生活は続くんだろうね。

抵抗の仕方なんて忘れちゃったよ。

2018-03-02

anond:20180302235515

はしたない写真展だね

十年前二十年前なら許されただろうけど、今はそういうのは許さな雰囲気根付いてきたと思う

3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話をしよう

突然だが私はアイドルマスターSideMのS.E.Mというユニット担当Pだ。

自分語りのような事が苦手なタイプなので上手く話せるかわからないけれど、とにかく今消化しなければと思ったので、これまでの話と、2018年2月3日、記念すべき3rdライブ初日に起こった事、感じた事をそのままダラダラ書こうと思う。備忘録のようなものなので、見るも見ないも自己責任でお願いします。

タイトルにもある通り私は現JK小学校の頃高校に上がれば自然にできると思ってた彼氏は勿論いない。ただのオタク

通っているのは中高一貫自称進学校と言われているタイプ学校偏差値釣り合わない勉強スピード、量。それに加え人間関係重要になってくる部活。(詳しく書くと知っている人にはバレそうなのでやんわり言っておく。)

中学に入ったばかりの頃はそれまでと違った環境にわくわくしつつ必死にくらいついて勉強していた。受験後の先取りもあり成績は中の上。この時既にアイマスには出会っていた。真ファン律子Pをやんわり続けていた。突然だけど初星二日目の律子ヤバかったな。その調子で2年が過ぎた。

段々あれ?と思いはじめたのは中二の冬。勉強モチベが上がらない。(この時、SideMにも出会っていた。元某サッカーアニメオタクショタコン私、ホイホイWともふもふちゃんに釣られました。かわいい。)

英語文法なんて覚えなくても教科書の例文を丸暗記で最低限必要な点数が取れる。

数学は、担当教師が某有名大卒業生プライドエベレスト質問しても何故か違う話に飛躍する。(私達の偏差値が某有名大学に間に合ってないのもあると思うが)教え方は教室満場一致でド下手という評価しかも間違いを指摘すると逆ギレ…という人間性で、単純バカな私は数学のもののやる気が削がれていた。

その他理科社会etc…もただただ暗記。理科はもともと苦手意識があったのでこの頃から少し逃げていたかもしれない。

ぼやぼやと今やってる勉強って意味なくね?と思い始めてしまっていた。

キツイな、と確信したのは中3入りたて。(ここらへんで趣味嗜好が180度変わったヒゲおじさん大好きウーマン私、本格的にS.E.M&山下次郎Pに。)

学校教育方針で、数学英語中学の間に高1の内容をほぼ終わらせる事が目標だった。

そのおかげで内容は急加速、もともと集中力も無く勉強理解人一倍時間を要する私は秒で置いて行かれた。

成績はほぼほぼ地に落ち、補習、小テストの追試常習犯夏休み3分の1を奪われるらしい特別補習はなんとか免れたものの、遅刻もしばしばしていた。

一つできなくなると全部芋づる式にできなくなるタイプなので普通にヤバかった。

担任もそういったことにとことん追い討ちをかけるような人で何度も「このまま進級する気ですか?」「あなたがこのまま高校生になれるとは思えない」と面談等で散々言われた。ちくしょう、思い出してちょっとカムカしてる。

お世辞にも信じ切れる、と言える先生には出会えていなかった。

5月頃、既にリリースされていた「ST@RTING LINE-06」を購入した。SideMのはじめての担当の曲が入ったCDだった。

キドキしながらCDケースの蓋を開け、pcに取り込み、はじめて「Study Equal Magic!」を聴いた時。

私はただただひたすら驚きで固まっていた。

こんな世界もあるのか、と単純にびっくりしたのだ。小学校私立で、受験が確定していたため、小学一年生から塾に通い受験勉強をする毎日。結局行ったのは六年間の努力虚しく落ちた第一志望では無く全く今まで知っていた校風と毛色の違った滑り止め。

それでもなんとか喰らい付こうと頑張るも突然虚無感に襲われ全く手をつけられなくなった、「それ」=辛い、という私の中のイメージが、一瞬で粉砕された気がした。

けれど、私の中に根付いた勉強から離れた習慣、実際相手をする教師、そんなもの達はなかなか簡単に私の苦手意識を振り払ってくれなかった。

成績は若干持ち直したものの、それ以上もそれ以下も無く、ずるずる引きずったまま高校に上がってしまった。

高校に上がるとついて来たのは単位。進級。受験

そんな話を新しいクラスにもまだ慣れていないような時期にされ、あまりそういった事に実感が湧かなかった。

しかし割と直ぐに嫌という程実感する事となる。

一学期勉強どころでは無く新しい環境に慣れるのに半分ぐらい要したが無事終了。

そして、2017年6月4日

グリーティングツアー東京公演、私の初めての、現地でのSideMライブ参戦だった。最高だった。生のS=Mを聞いた時、初めてCDを聞いた時の鳥肌が返って来た。夢中になってペンラ振ったし、タケノコ生やしたし、しゅくだい!わすれない!!もした。山下次郎も中島ヨシキも最高だった。産まれて来てくれてありがとう。そのあと一週間は余韻が抜けきれなかった。現地って最高だな……

悪い方に進展があったのは夏休み中盤だった。思わぬところでダメージを受けた。部活合宿だった。

はじめて思うような結果を出せず、目標を果たせなかった。追い討ちをかけるように、新学期になり練習に対する価値観の違いによる部活内の対立と、その中立的立場になってしまった事。

ぶっちゃけ死ぬかと思った勉強も、二学期になり急に難易度が上がり例の如く取り残される。受験の重圧、周りの去年とは段違いのやる気。

そんなものが一気に重なり、私は学校に行く日が少なくなった。

メンタル弱いなとか思われてても仕方ない。というか私も自分で思ってる。

学校に行けなくなったというのは朝起きて、「学校行きたくない…」と震え、結局その日一日結局動けなかった…というような感じでは無く、単純に、朝早く起きれないのだ。

精神科に行くと、精神病と診断され、自覚がないままメンヘラJK突入かよぼんやりとか思っていた。

親にもお前の気持ちが弱いから、とだけ言われ続け、午前の授業の欠課数だけ増えて行く。

科目を二つ落とせば留年、今のところあと欠席可能回数が一桁しか残っていない科目が二つ。

今年に入って朝のHRから出席した日は一日しかない。なんというか、疲れてしまったのかもしれない。

勉強に追われ、部活に追われ。大半は自分責任だとわかってても、もう考えるのも疲れていた。

さて、めちゃめちゃ長くなったが2/3。

3rdライブも、お金問題遠征はできず幕張を狙ったが落選。それ以降は実はSideM自体アニメは見ていたけれどゲームをあまり開かないぐらいには、私の中では薄れかけていた。そんな中、ギリギリで取れた3rdライブLVチケットを握りしめ、豊洲pit以来出していなかったS.E.Mのペンラと共に友人と映画館へ向かった。

そして開幕した3rdライブ。久々に見る担当の姿に感動しつつ夢中になってペンラを振った。全員揃ったのはマジで感謝しかねえ…

S.E.Mの最初の曲は、S=Mだった。やっぱり、最高に楽しかった。

恭二に唐突に求婚されたり所々爆弾を投げつけられながら、合間のトーク

次の幕に移ろうとしていた。しゅごんが話の流れを持っていく。

先生達の指導必要だな!(うろ覚え)」みたいなことを言ってたきがする。S.E.Mだ、と思って大急ぎでペンラを持ち替える。

めちゃくちゃドキドキしながら待っていた。

会場が暗転。ピンクの光がちらほら増えていく。

ドン、と太鼓の音が聞こえて、あ、と思わず声が出た。

会場からも歓声が上がる。

S.E.Mのアニメでの新曲、「From Teacher To Future!」だった。

先生が歌い出す。るいが続く。次郎ちゃんもそれに続く。そして全員でこう言った。

「君は出来る 何だって出来る

君はなれる 何にだってなれる」

瞬間私は泣き崩れていた。そこには確かに中学生の時始めて私の背中を押してくれた、あの先生達の姿があった。

それまでごちゃごちゃ考えていた事が一気に流されたような感じだった。

S.E.Mがずっと私たちに伝えようとしていた事が、本当に今更だけどその時はじめてわかった気がした。

「頑張ろう、一緒に行こう!」と言ってくれた先生達に、私はたぶん、一生感謝するだろうなと思う。大げさかもしれないけど、それぐらい、今の私はS.E.Mというユニットに救われた。

ペンライトもロクに振れないぐらいボロボロに泣いて、「がんばれ」って横でずっと支えててくれてた友達にはマジで感謝しかない。

受験休みが終わって、明後日からまた学校が始まる。ちゃんと朝から行けるか不安もあるけれど、少しでも前に進むためのエールをあの時S.E.Mから貰ったので、私はその分、頑張ろうと思う。

以上、3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話。

2018-02-28

Alt+Tabのほうが切り替え早いんだけどついついクセでマウスで画面下から切り替えてしまう。

たまに下から切り替えた方が早い場合もあってなおさら根付かない。

2018-02-25

anond:20180225011700

暴力はいけない!」とか「滅私奉公」、はたまた会社依存するような精神根付いていないので、あっさり逆襲される。

或いは転職して渡っていくのも当たり前なので、退職されて終わる。会社にしがみつく理由が何もないんだわ。

日本もどんどんそうなれば良い。

2018-02-17

anond:20180217144413

無関係ではない程度でしか表現できないものを引き合いに出すなよwww

見苦しいぞ

最初から女性蔑視根付いてるでいい

はてなで言う所の謝ったら死ぬ病気なんだなwww

かわいそうに

2018-02-14

はてブ民って現実意識なさすぎない?

全日本飲食店協会電話番号ドタキャン歴を照合するシステム無料提供 | マイナビニュース

https://news.mynavi.jp/article/20180214-584436/

なんでブラックリストまで作る労力で、カード決済+キャンセル限定にしないの? ★60

電子決済で前払いにすりゃいいだろ ★5

前払いシステム作ればいいのに ★3

沢山店がある中で、前払いorカード決済固定の店が生き残れると思ってんのか?

「前払いシステム作れば」とかすげーよな。言うだけならタダってね

 

 

予約を無断キャンセルした客の番号を共有するサイト、注目浴びる 背景には飲食店の“泣き寝入り事情 (1/2) - ねとらぼ

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/07/news125.html 

ホテルの予約のように、登録済みクレジットカードからの事前申込みでキャンセル料あり、という考え方が飲食店全体に根付いていく以外、解消の道は無いように思います

余計なシステム作るよりこれで良いのでは ★139

これでいいのでは?じゃあやってみろ

こんなのより担保ありで予約できるようになったほうが健全な気がする ★109

はぁ、健全だね?だから

担保入れる手間をかけてまで予約をしてくれる客がいるといいね

ある程度の人数の場合は先払いにする方式でいいような ★48

いいような?じゃあお前の店だけ先払い制にしてみろ

 

2018-02-12

anond:20180212014522

幼少期に根付いた価値観というか、思考の癖みたいなのって中々治りませんよね 知らんけど

2018-02-08

牽制する系注意の仕方

今朝はいい歳にもなって、母親と揉めた。

そのことを考えていたら、昔のことやら色々思い出してしまった。

今朝起きたことはこうだ。

毎朝のことではあるが、本日の私はやらなければいけないことや、昨日中に起きた細かい色々についての対処をどういった順番でどのような手段で処理していくかなど、頭の中で1日の予定を確認しながら身支度を整えていた。

洗面台を、あともう少しで使い終わろうとしている頃合いでのことだ。

母は私に向かって、「汚したままにしないでよ?ちゃんと片付けて行ってね」と言った。

この一言に、何故かどうしようもなく腹が立った。というか、色々なものが一気に思い出された。

私の心が狭いというのはあるかもしれない。

しかし、だ。

私の予定というか、『当然やるべきこと』のうちに、洗面台を片付けてから服を着替えるという流れは既にあった。当たり前のこととして。

『洗面台を汚したまま出かけてしまうこと』が母の嫌がる行為だとして、まだ何もされていないうちから「これやらないで、ああはしないで」と言ってくるのはどうなのだろうか?

これを言われた時、私は咄嗟というよりも半ば反射的に「まだ使い終わってもない(のに何言ってるの)」と言ってしまった。

それから、私が家を出るまで母は始終不機嫌だった。

私が悪いのか?

から起きてきた父は私たち2人の醸し出す雰囲気を見て至極面倒臭そうにしていたが、私だって面倒臭い

何故計画的に、なるべくスムーズに諸々をこなそうと動いている最中、あたかも私が家を汚したまま出ていくかのような言われ方をしなければならないのか。

もしも私が洗面台を汚したまま出かけたのなら、その時に言えばいい話であるもっとも、先から洗面台を『汚す』と書いてはいるが、歯ブラシ歯ブラシ立てに立てる立てない・うがい用コップを元の位置に戻すものさない程度のことであり、私を始め家族の誰もが元からある洗面用具以外のものを持ち込んで散らかし放題なんてことは一切しない。水しぶきだってみんな当たり前のように拭ってから洗面台を離れる。

私を含め、家族に洗面台を汚く使う人間はいないし、直近に誰かが汚したままにしたという話もなければ、母も取り立てて潔癖というわけでもない。

からそもそもの話、「汚くするな」と言われることこそがわりと首をひねりたくなる指摘ではあったのだが。(もっとも、そこで引っかかったおかけで、過去の諸々も思い出せた)

たまたま母の機嫌が元から悪かった可能性も考えたが、それはない。

私が洗面台に向かう直前まで、余計な口を出してくる時でさえ、母はいつも通りだった。なんならいつもより機嫌は良かったかもしれない。

でもまあ、私も「まだ使い終わってもないのに」と、言いたいことはその場で伝えてあるのでこの件は私の中では終わっていた。

なのに、この母の不機嫌だ。

意味がわからない。

何故あなたがヘソを曲げている。

どうにも解せないのと、朝から気分が悪いのとで、支度が終わった後、母に直接訊いてみた。

「なんで怒ってるの?」と。

したら、母はこんなことを言う。

「怒っているのはあなたでしょう」

そこからは軽い口論みたいになってしまった。くだらない。

だって、まだ何も間違ったことはしていない状態なのに、どうしてあん文句調で、汚すなだのそのまま出ていくななどと言われなくてはいけないのか」

「汚されたら嫌だと思って言っただけでしょ。あなたのために言ってるの」

「まるでこれから汚すと決めつけられているようで、気分が悪かった」

だって、よくコップが元の位置に戻されていないし」

勿論、冤罪である

母が言うコップの定位置とは洗面台の端のことで、軽いコップの位置なんて、ただ母が洗濯物を洗ったり取り出したりする時にだって簡単に落ちてしまう。過去の私が元の位置に戻さなかった、いつも戻さないといった事実は無いのだ。

この口論まがいなやり取りをしている間、母は父のための朝食を作っていた。目玉焼きを焼いていた。

「母さんが言っているのは、まだ失敗していないうちから、『焦がすなよ、油をコンロに飛ばすなよ、皿を割るなよ』と口うるさく言われることと変わらないのではないか

「そうかな。仮にそうだとしても、聞き流せばいいだけ」

暴論すぎる。

「言われた本人が、ああいう言い方はやめてほしいと言っているのに対し、聞き流せばいいと返すの?」

「汚してほしくないと思ったから言っただけで、悪いことは言ってないし」

「こういう言い方は嫌だよと言われたら、『わかった』だけで良くないか? 仮に承服しかねても、相手が嫌な気分になった事実だけは受け止めるなりしないと、今のあなた聞く耳持たずでまったく会話になってないよ」

はいはい、じゃああなたにはああいう言い方しないように気を付ければいいんでしょ」

こんな具合だった。

からこんなことがあり、今でも私は今朝の出来事を思い返したりしているが、思えば私の幼い頃から母はこういった教育の仕方だったように思う。

子供が、何をする前に、「するかもしれない悪事可能性」を全て述べて、してはいけないと諭す方法だ。

その結果何が生まれたかというと、著しく積極性を欠き、拭っても拭いきれないほどの劣等感を抱いた下の兄弟だ。この2つは、程度が下の子の比ではないにしろ私にも要素はあるかもしれない。

よくよく考えてみて思い出したことである

母は、事前に「ああはしないで、こうはしちゃだめだから」と伝えておくことで、万が一子供達が粗相をしでかしたときに「だから言ったじゃない、ちゃんと言っておいたのに」という怒り方をする。

子を持たない私でも、こういった叱り方はあまりよくないものだとわかる。

この叱り方は、子供を臆病にさせる。

なぜなら、事前にあたか私たち子供悪事を働くことを前提にしたかのような言われ方をすると、「私は、母にそんな懸念を抱かせるような子供なのだな」という意識が知らず識らずのうちに根付いていく。

今でこそ、今朝のようなやり取りをしても(私ももういい大人なので)思考は母のやり方への疑問にとどまるが、これが仮に上司から放たれた言葉だったならどうだろう。新入社員時代上司からこういったやり方をされたなら、たちまち自信喪失して言われたこしかできない役立たずになっていた自信がある。少なくとも私は。

母が私たち子供に与えた影響は、主には下の子に、良くない形で現れてしまった。

の子自分に自信がなく、誰かの指示を待ち、自分からは動けない子になってしまった。数年前までは、明確な指示が出るまでは動かずとも(怒られていないのだから)何も問題ないとさえ思っている様子だった。良いことも悪いこともまったくせず、動かないことこそが安全だと思っているというか。その思考回路は、「だって何も言われていないし、私なんかが勝手に動いたら迷惑をかけたり、何を偉そうにとか思われるかもしれないから」らしい。深刻だ。

一方、私の方はというと、下の子ほど臆病にはならなかったものの、仕事などの面では結構なせっかちにはなってしまった。「◯◯なんて失敗はしないでね(後が面倒だから)、△△だけはやらないで(後が面倒だから)」と言われたくないばっかりに、学生時代部活就職してからも、一刻も早く上の人や周りの求めていることを察して動き出さないとと常に急いでいた記憶ばかりだ。言われたくないなら言われるより前に成功させてしまえばいいの思考だったのだろう。少しでも失敗する可能性や、わからない部分がある場合は、事前牽制をされるよりも前に積極的に上の人に聞きに行った。少しでも母のやり方に重なるような言い方(こちらが失敗をするかもしれないと思われているのかもと感じてしまうような言い方)をされるのが苦手だったから、注意はなるべくされるよりも前にこちから確認しにいくようにしていた。

本当に、

「◯◯しないでね、△△は勘弁してよ」という牽制が、心底苦手だ。

注意事項を盛り込んだ事前説明などはまったく問題ない。あれは、「あなたが失敗すると決めつけているわけではないけれど、以前にこういう事例があったので注意を払って進めていこうね」という教えだ。

母のやり方には、「あなたが失敗すると決めつけているわけではないけれど」という前提が大きく欠けているのだ。

洗面台を綺麗にしてから出かけて欲しいのなら、そう言えばいい。

「(まだ使ってる最中から)汚さないで、片さないまま出かけないで」より、「洗面台を綺麗な状態で保ちたい」と言われる方がどんなに良いか

しかしたら、母は私が指摘した『前提』の部分は、自分では言った気になってるのかもしれない。

いや、言ってないからな。

今日初めて聞く言い方なら気に障ることもなかったのだろうが、昔の諸々を一気に思い出してしまった。

幼い子がこれをやられると、「そんなに悪い子だと思われてるのか」という自信喪失しか繋がらない。

こういう教育をしている人は、言い方一つ変えるだけなので、是非気をつけてほしい。下手をすると、私の下の兄弟のように、就活どころか学生バイトですら苦労する子になる可能性がある。

2018-02-03

恵方巻きイジメないで

香川高松まれ。30年近く前から実家恵方巻きは食べてた。

特段楽しい思い出というわけではないけど、家族のそこそこ幸せな思い出ではある。

からネットで「怪しい風習」とか「下品花街の遊び」とか「恵方巻き”なんか”食べない」とか見るとつらい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/kotahatachi/hoku-hoku-sei

タイトルの悪意がヒドイ…

地域によっては、企業ゴリ押しが嫌っていうのはわかる。だからゴリ押しやめろ!」は別にそういうもんだよねと理解できる。

でも、「下品」とか「怪しい」とか「なんか」とかはやめてよ。

普通に根付いてる風習だし、一部地域では伝統行事だし、それを「下品」だ「怪しい」言うのは、昔のヨーロッパからアフリカへの蔑視となんら変わらないの失礼な行為じゃないの?

そっとしておいて…

2018-01-31

ポリティカル・コレクトネスをおべんちゃらにしないために

だいぶ乗り遅れてしまったのですが、まあいいかと思いつつ済ませていたら、悶々と思いを抱き続けることになったので、もし同意していただける人がいらっしゃったらと思って書くことにします。

はあちゅうさんの告白年末放送された「ガキの使いやあらへんで」の特番の影響もあって、日本においてもポリティカル・コレクトネスについてだいぶ議論されるようになってきました。議論が起こること自体は、自分としてはいことなんかじゃないかと思っています

そして、ポリティカル・コレクトネスによって提起されている思想信条についても基本的自分賛同しています人種民族によって差別をしないこと、性的差別をしないこと、セクハラパワハラやその両方をしないこと、LGBTQの人も同等の権利が認められるようにし、偏見を解消していくこと……私はこうしたことについては賛同しています

けれど、日本でのポリティカル・コレクトネスの語られ方――こういう言い方だと大雑把過ぎるかもしれませんが――例えば、以下のような記事を見て、すごく違和感を覚えたのです。

http://shiba710.hateblo.jp/entry/2018/01/09/073000

ぜひ読んでもらいたいのですが、簡単に言うと年末放送された、ダウンタウンさんの年末恒例の番組ガキの使いやあらへんで」の特番浜田雅功さんがエディー・マーフィーの顔真似をするために「ブラックフェイス」をしたのが「笑えない」と述べておられます音楽ジャーナリストの方のブログなので、まあそういうこともあるかなと思っていましたが、先日、朝日新聞の論壇時評の委員を務めていらっしゃるような方もこちらのブログを参考文献として挙げていたので(ちなみに私は朝日新聞批判論者ではありません。肯定派でもありません)、そこまでなのかと思いました。ポリティカル・コレクトネス日本でこうやって語られてしまうのは、私としては「どうなんだろう」と思ったのです。

先に挙げたブログについては大きく言って二つ、違和感の覚えることがありました。一つ目は「笑えない」と断じていることです。自分は笑えない、その意識を持たないとダメなんじゃないかとおっしゃっているように私は読みました。けれど、ポリティカル・コレクトネス海外提唱されることになった背景を考えてみれば、すぐに分かることだと思うのですが、いじめやいじりが「笑えない」のではなくて「笑えてしまう」ということ、その残酷さを考慮しないと、本当の意味ポリティカル・コレクトネス提唱するものは、そこに根付いていけないのではないかと思うのです。もちろんのことですが、「笑っていい」ということではありません。でも、日本では「笑えない」という啓蒙的なアプローチをすること自体が本当の意味での理解を生まないのではないのでしょうか。

それに関連して二つ目ですが、こうした記事が分断のマッチポンプになっているのではないかということです。ブラックフェイスは様々な視点で見て多くの人に誤解されうる表現です。私はそれが今回、指摘されることになったのはいいことだったと思っていますし、日本民法テレビとしては不適切だったと思います

では、あのシーンが、もしくはあの番組自体が、人種差別的なメッセージがあったかというと、そんなことはないというのも大抵の人は分かっているのではないでしょうか。重ねていいますが、だからブラックフェイスをやっていいということではありません。でも、あのシーンで「笑った」人はそれなりにたくさんの方がいると思うのです(松本さんは後日「浜田が悪い」と言っていましたが、らしいコメントだと思いました)。そして、そういった人々が人種差別意識を持っているかというと、そういうことではないと思うのです。

けれど、先に挙げたようなブログ掲載されて話題になることで、笑った人と「笑えない人」の分断を生むことになります。私も笑った人間の一人です。ブラックフェイスから、即座にアレルギー反応のように自分感情拒否したわけではありませんでした。罪を犯した側からこうしたテーマについて提起するのは分かる気もするのですが、自分は罪を犯さなかったとわざわざ言う人の言論には正直、違和感を覚えてしまます。そして、結果として、そういう意見人種差別意識がまったくない人に対しても線を引き、分断を増加させていくことになるのではないかと思うのです。

一昨年のアメリカ大統領選挙について海外から報道を見ていましたが、私はなぜドナルド・トランプ大統領が勝つことになったのか、腑に落ちていませんでした。けれど、今回の一件を見ていて、すごく分かる気がしました。「ガキの使いやあらへんで」の特番ブラックフェイスに笑った私は、いわゆるポリティカル・コレクトネス陣営から見れば、人種差別主義者ということになるのかもしれないと思ったのです。

そして、先ほどのブログ執筆者と別の方が対談されている原稿掲載されていて、更なる違和感を覚えました。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54106

引用します。

——

柴 テレビ話題では、2017年大晦日放送された『絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時』でのブラックフェイス問題が、年明け早々、世界中の主要メディアで報じられるという事態が起こってますね。

宇野 うーん、あれに関する国内擁護コメントとかを見てると、ちょっと絶望的な気持ちになってくる(苦笑)。

柴 というと?

宇野 簡単に言うと、あれを擁護するということは、「これから日本文化的鎖国をしていこうぜ」って話でしょ?

かに文化的鎖国をしたところには様々な既得権存在していて、そこで生活をしてきた人はその構造を変えたくないんだろうけれど、さすがにもう無理なんじゃないかな。

柴 ネットによって一瞬で世界に広まっちゃいますしね。

宇野 それもあるし、多くの日本人が誤解しているように思えるのは、ポリティカル・コレクトネス問題って、別に政治的社会的問題だけじゃなくて、逆らうことのできない商業的な要請でもあるんですよ。

好成績を続けている『スター・ウォーズ』の主要キャラクター女性黒人若者なのもそうだし、去年世界で最もヒットしたアメコミ映画が『スパイダーマン』でもヒーローが総結集した『ジャスティス・リーグ』でもなく、単独女性ヒーローの『ワンダーウーマン』だったのもそう。

ポリティカル・コレクトネス配慮しない作品が、だんだんお客さんから見向きされなくなってきてる。

――

引用ここまでです。

アメリカではもう白人だけのアイドルグループはありませんし、映画ドラマにおいて人種的多様性を反映させることは前提になっています。それを日本安易に当てはめようとすること自体が私としては拙速過ぎるのではないかと思うのですが(将来的にはそれを考えないといけない事態もあると思います。そして、『ワンダーウーマン』の議論についても割愛します)、一番違和感を覚えたのは「ちょっと絶望的な気持ちになってくる」という言葉でした。

例えば、日本におけるヘイトスピーチを見た時、確かに私も「絶望的な気持ち」になります。けれど、それを第三者に伝えるときに私は「絶望的な気持ち」という言葉を使いません。いろんな人がいますし、どんな可能性があるかも分かりません。もっと複雑で込み入ったニュアンス、嫌な言葉で言えば、玉虫色言葉を使うのではないでしょうか。隣人を含めたテーマです。ポリティカル・コレクトネスはそれを変えていく運動でもありますが、本当に自分問題になった時に「絶望的な気持ちになってくる」といったような“威勢のいい”言葉を使うことはないのではないでしょうか。けれど、「ガキの使いやあらへんで」や『スター・ウォーズ』といった、自分からは飛距離のある場所では、そうした言葉を使ってみせる。それっておべんちゃらのように聞こえてしまます

伊藤詩織さん、ひいては司法問題LGBT婚姻についての問題――程度の問題ではないですが、「ガキの使いやあらへんで」よりも私たちが考えなきゃいけない問題はまだまだあります

ガキの使いやあらへんで」の特番でのブラックフェイスはやってはいけないことでした。けれど、もっと語りにくいけれど、考え、話し合って、変えなきゃいけない問題があるのだと私は思っています。そこには時間軸も入ってくると思います明日からすぐに変わることはありません。1年後にかわっている保証はありません。では、いつ変わるのでしょうか? そのために必要なのは威勢のいい言葉ではないと思います

2018-01-28

お金を使うこと楽をすること

いろいろ重なって去年の年収ちょっと大台に乗った。そんなにもらってたのかと思った。

給料が増えてた自覚がなかった。なぜなら使っていなかったから。生活にかかるお金給料が増えようと増えまいと変わっていなかったから、その認識がなかった。

一応家計簿はつけていたけど、支出ばかり見ていたなあ。必要お金を引いて今月はいくら残るって部分は見てなかった。通帳もちゃんと記帳しているけどただぼんやり数字が増えたな、使い道がないな、としか思ってなかった。

そう、使い道がない。

趣味読書。あと昼寝。長風呂も好きだが、肌が弱いか温泉あんまり。いくつかゲームもしている。課金はほぼしない。これまでの合算を平均しても月300円はいってないと思う。

ファッションとかインテリアとかアクセサリーとかは全然…じゃないけどほぼ全然と言っていいくらい興味がない。清潔感があってTPOに合っていて着ていて自分相手不快じゃないなら何でもいい。

とりあえず寒波に備えて防寒インナーを買い足しに行った。持ってるけど。まだ着られるけど。でもまあ最近寒いし増やしてもいいかなってようやく思えたから。そう思うのにも時間がかかった。

ユニクロシャツを選びながら服って高いなと思いながら何でこんな風に思うのかを考えて、幼少時代経験根深さのせいかもと思った。

ゆで卵の作り方とか玉止めの仕方とか初等教育で教わったことって力強く自分の身に根付くけど、同じように幼少時代経験自分の根幹に残って将来にわたって思考人間性に大きく影響する。当然のことかもだけど、その環境を離れてもずっと残って自分の基本になってると思うと恐ろしい。正直ちょっとおぞましい。

たぶん特段貧乏な家じゃなかったと思うけど、親はお金を使わない人だった。費用対効果とかメリハリとか将来に向けた貯蓄とかだったのかもしれないけど、子供はそんなこと知らん。

道具は壊れるまで使うもので、衣類は破れるまで着るもの(小4くらいまでは靴下は穴が開いても繕って履いてた)。機能性や効率存在しない。

生活我慢、楽は我が儘、外食はすべて贅沢、楽しいも贅沢、苦労と工夫が美徳

生活はすべて苦労の上に成り立っていて、その他は塵芥レベルしか存在せず、そしてそれを(それすら)楽しむのは罪悪である。ましてや自由などは塵芥レベル以下でも存在しない。

主観から偏ってるかもしれないけど、自分認識としてはそういう家庭だった。

兄弟がどう思っていたかは分からない。兄弟自分より良い扱いを受けていたからたぶんまた違う印象だと思う。

ともかく、自分にとっては靴下でも下着でも新品を買ってもらえるのは本当に特別なことで、普通普段着誕生日プレゼントになり得ていた。だから何でもないタイミングで新しい自分だけの服を買ってもらえたときは、嬉しくて嬉しくて、毎日でもそれを着たいと思ったくらい。

…こうやって書き出してみると、どこのフィクション世界孤児院刑務所かって感じだな。自分にとっての現実でした。

そんな中でも本だけは十分に買い与えられていたから、いまでも本だけはどれだけ高価でも買ってもいいものになっている。だから趣味読書もためらいなく続けられている。…いや、これは必然の結果かも。でも普通に読書好きだし楽しいからいいや。最近はデュマの椿姫がよかった。

もちろん教育として良い面もあった。物を大事に使うとか食事は残さないとか、そういうのはいいことだと思う。

でもたかだか1000円程度のインナー1枚買い足すのに、持ってるのに勿体ないかもって少しでも考えちゃうのはどうなの。

外出先ですごく疲れているのに、お茶の1杯を飲みにお店に入るのを迷ってやめるとかどうなの。

お金を使うことに後ろめたさがある。ケチとか節約かいレベルじゃない。最近ようやく、もしかしてこれはちょっと異常なのでは?と気づいた。

実際がどうだったか、今現在がどうかは別として、自分にとってお金は常にないものだ。

から給料が上がってもお金があるという認識は生まれないし、お金がないのだから使い道も生まれない。

本当はたぶん、使い道はいっぱいある。

くたくたになってるカーディガンとか、袖がべろべろに伸びてるパーカーとか、筋が入ってくたびれてきた革靴とか、バッテリーが持たなくなってきたスティック掃除機とか、生地の真ん中が大きく割けてる布団とか、ヒビが入って異様にギシギシ鳴るベッドとか。

新しいものを求める気持ち以前に、今使っているもので買い替えが必要ものがたくさんある。大きいものから小さいものまでリストアップすれば本当にたくさんになると思う。

でもそれさえためらってしまう。マメに充電すれば使えるしとか、中の綿が見えてても眠るのに問題ないしとか思って、本当にどうしようもないレベルになるまで先延ばしにしてしまう。効率悪い。分かってる。

過分はもちろんよろしくないけど、もう少し自分お金をかけてもいいはずだと思う。自分の快適さや楽さを買っていいと思う。全然悪いことじゃない。

自分で稼いだお金自分生活を整え豊かにするのに使って何が悪い

生活我慢じゃないし、楽は我が儘じゃない。苦労だけが美徳でもない。幼少期の呪縛からそろそろ解き放たれたい。

2018年は今よりもう少し自分お金を使えるようになりたい。

年末までに新しい掃除機と布団と、新たに電動歯ブラシを導入できますように。

2018-01-23

anond:20180123073040

外国で上手くいってるのに日本で上手くいかないってことは、外国のやり方をそのまま持ってきてもダメってことじゃないかなって思ってるんよ

責任所在曖昧から、突出して規制を推進すると四方八方から責任押し付けられる(と思ってる)のが、日本規制が上手くいかない原因だと思う

多分、大手消費者団体が「うなぎ販売規制賛同します」って言うだけでも、例えば小売の立場からすると結構違う

消費者団体の皆さんがああいってますし」っていう言い訳ができる

これがあると無いで全然違う

日本責任所在を明確に分担する文化根付いているなら、欧米型の漁獲制限も上手くいくと思う

でも少なくとも現状はそうじゃないし、そういう文化根付くのを待ってたらいつまでかかるか分からない

から現状で有効規制をかけるのであれば、責任所在曖昧なまま「なんとなく規制した方がいいんじゃないかなぁ」っていうムードを主流にするしかない

要は雰囲気規制に持ってくしかないと思うんよ

そう考えると一番影響力を持てるポジションにいるのは、消費者じゃないかなって思う

基本的お客様には責任押し付けられないからね

2018-01-21

日本根付いている本当の差別

精神障害者への差別

例えば一度でも心療内科に通院すると、その段階で保険にも加入できなくなるし、住宅ローンも組めなくなる。

そして人権屋の人たちにはほぼ興味持たれない。

まあ、精神的に病を持つ人は病気になるリスクが平均より顕著に高いという統計が出てるんだろう。

だけど、それがまかり通るなら黒人犯罪率が高いから家を貸さないとか面接で落とすとかも正当化されると思うのよ。

2018-01-19

けんちん・F氏の文章面白い その1

けんちん・Fさんという人物がいまして。

彼はmixiを中心に、様々な映画作品の論評を投稿しており、

その切り口は身内同士でズブズブになっている九州福岡演劇界をバッサリと斬るものが多く、たまに面白く拝見していたのですが、

どうにもここ最近、彼の文章の質が変わってきたというかちょっと見るに堪えないものになってきました。


彼がどのくらい影響力があるのかはちょっとからないのですが、このまま福岡演劇界ご意見番ヅラしてるのもちょっといかがなものだろうかと思いまして、

ここに、記述させていただこうと思います


<はじめに>

私は、市原幹也氏を知りませんが、様々な記事などを見る限り今後、演劇には関わって欲しくないと思います

但し、彼が演劇をやりたいと言う気持ち、思いを禁じる権利は私にはないと思います。(何故なら知らない人だから)  というスタンスです。

人を裁けるのは司法、又はその直接の被害を受けた人だけ。というスタンスです。そうじゃなきゃ私刑だよ。


目的

1.昨今のけんちん・F氏の文章論理的でない事を広く知っていただくこと

2.九州演劇界に対するレッテル張りが少しなくなること

3.彼の文章が今後理論的になり、もとのキレのよい論評をしていただく事

達成できるかどうかは別ですが、この3つを目的に書いていきたいと思います


引用文章

①あの市原幹也がセクハラ! ……って、誰?

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964252256

あなたが本当に「演劇人」なら、市原幹也を救おうとはしないはずである

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964295122

③今そこにいる、一万人の市原幹也

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964416782

セクハラパワハラは本当に止められるのか

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964577327

演劇センターFの解散市原幹也の雲隠れ

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964600688

不透明さを増す市原幹也と、藤原から野村政之らの卑劣印象操作

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964756079

記事数は多いですが、出来れば正確さのためにきちんと目を通していただければ、と思います


問題点

さて、早速問題点ですがけんちん・F氏の文章、大まかに分類すると3つの問題点があると思います

1.事実と推論を分けておらず、非常に読みにくく、推論を事実すり替えさら理論を展開する

2.主語を大きくすることで、拡大解釈レッテル張りを行う

3.自論に対して反論する人に対し「擁護するから反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない

それぞれ見て行こうと思います


問題点1:推論と事実すり替え

対象者の悪い印象ありきで文章が書かれており、

「AということはBなのではないか、BということはCなのではないか、Cは問題からAは非常に問題だ!」という推論に推論が重なった故の結論が、ソース不在の論理性に欠けるものが多い。


例ア

文章①より引用

一応と言うか、市原氏は、2013年をもって、アイアンシアターの芸術監督を解任されてはいる。のこされ劇場≡の活動もそこで中断し、実質、解散状態にあるようだ。

当時はその理由不透明だったが、こうした事件が発覚してみると、「そこでも何かやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない。劇団員に手を付けたか

ワークショップ参加者に手を付けたか、そんなところだろう。彼の不始末のせいで、枝光演劇フェスティバルが開催不能になり、枝光から演劇の火が消えてしまたことは残念だが、

事情事情なら仕方がない。 でももし本当に私の憶測が正しければ、枝光商店街はその時点で、彼の解任理由をきちんと発表すべきだっただろう。そうすれば、その後、

新たな犠牲者が出ることを防げたかもしれないのだから

<以上引用

要約するとこうなります

2013年アイアンシアターの芸術監督を解任、のこされ劇場≡もそこで実質解散状態事実

「そこでなにかやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない(推論)

劇団員ワークショップに手をつけたのだろう(推論)

彼の不始末のせいで枝光演劇フェスティバルが開催不能になったのは残念(事実のように記述だがソースなし)

憶測が正しければ、枝光商店街が解任理由をはっきりさせれば犠牲者は防げたかもしれない(推論)

2013年の解任と解散事実だが、そこの理由ははっきりしていない。にも関わらず、枝光演劇フェスティバルの中止を彼が原因かのように記述

そしてその後の被害発生の責任枝光商店街に一部求めている。

有名な言葉がここにあります。「なんかそういうデータあるんですか?」

枝光演劇フェスティバル市原氏の不始末で開催不能になった」

推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。


例イ

文章①より引用

自主的引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。

まりそれだけ日本演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。

<以上引用

市原って居座り続けそうだよね(推論)

周囲も許しそうだよね(推論)

それだけ日本演劇界はユルい社会で、演劇レベルが沈滞する原因かもしれない(推論)

はっきり言ってウケる脳内妄想垂れ流してもいいけど経緯又は根拠を示さないと説得力がねえよ。


例ウ

文章②より引用

逆に言えば、なぜ市原幹也は別の道を選ばず、また彼の仲間もそれを勧めないのか、ということなのだ。市原だけでなく、彼の周囲の人間も、演劇を愛してはいない。

演劇に対する愛があったのなら、とっくの昔に、彼を制止していたはずだ。

<以上引用

市原演劇をやめなかった(事実

それは周囲の人間が別の道を勧めなかったから(推論)

それは周囲の人間演劇を愛してないから(推論)

データと経緯がないのは先の例と一緒。さらに、さも自分部外者かのようにけんちん氏は記述しているが、それ以前の文章に「悪い噂は流れてはいたようだ」とか書いてんだから

同じ論法だとアンタも周囲の人間に一人に入っちゃうよ。ブーメランだよ。

あと、文章③において

引用

彼は、市原舞台に出演していた当時、既に、「ウワサ」は聞いていたようである。けれども、面倒ごとに関わるのは嫌だと、市原意見することを控えてしまった。

そのことが、次の被害者を生んでしまったと気づいて、今、深く責任を感じてしまっているのだ。いじめ現場を目撃していながら見て見ぬふりをして、その結果、被害者自殺をしてしまった、

そのことを悔いるような心境になっているのだろう。もともと心が弱い方であるから、このショックは相当にキツかったと思われる。

<以上引用

一個前の論理で行くとこの人完全に「別の道を勧めなかった周囲の人間」に入るわけで「演劇を愛してはいない人」になるわけですけど。

知人と分かった瞬間この手のひら返し。まごう事なきダブルスタンダードです。


例エ

文章③より引用

 野村氏は、市原電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを

公的な報告」として記すのなら、本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、

市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者女の子たちなんだって! 

死にたい」と思った女の子たちが、今も「沈黙」するしかない被害者たちが、いったいどれだけいるのか、それを認識していたら、

たとえ本当にそのような会話をしたのだとしても、申し訳なくて公表なんかできないって。 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである

<以上引用

この文章には山ほどの問題点があるのだけれど、とりあえず推論のすり替えについて言えば

野村氏は、市原電話で「死ぬな」と言ったとか書いた(嘘だけどここでは事実しましょう)

まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。(推論・感想

野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者女の子たちなんだって!(事実のように記述

野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。(結論

ものすごいとんだ論法。あと、後述するけど「死ぬな」って言ってないしね。「死ぬな」の意味合いも違うしね。


例オ

文章⑥より引用

 いつでもどこででも、これだけ派手にやらかし続けていれば、福岡演劇人が、あるいは市原関係があった人々が、「知らなかった」人間ばかりのはずはない。

なのに彼らの殆どが、自分セクハラ行為とは無関係だと強調するか、全くの沈黙を守り続けるかのどちらかしかしないのがどうにも解せないのだ。

前回の日記にも書いたように、市原セクハラを知りつつ看過したことを恥じて自らを責めたのは、私の知人一人だけである

他の「知ってたやつら」は、今どこで、何をしてるんだよ。 中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはずなのだ

市原はその人物名前を明かしてはいないし、本人が名乗り出て謝罪する気配もない。市原同様の行為に及んでいながら、今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、

福岡演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである

<以上引用

市原関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論)

何故なら看過して自ら責めたのは一人だけだから根拠

中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論)

ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、福岡演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。 (結論

一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。バックデータのない論理はただの言いがかりだぞ。

とりあえず、問題点1.に関してはここまでと致します。



問題点2:主語を大きくすることで、拡大解釈レッテル張りを行う>

彼の文章はよく「個人問題」が「福岡九州演劇問題」に主語が大きくなっているように感じます感想

福岡九州演劇界は腐ってる!」という意識根底根付いているのでしょうか(推論)


例カ

文章①より引用

自主的引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。

まりそれだけ日本演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。

<以上引用

さっきも出てきた文章ですね。引退しない、が周囲が許しそう、の周囲の話になり、日本演劇会の話にどんどん主語が拡大していく。しかも推測なのに。

一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。日本演劇界迷惑でしょうよ。それなら一連の騒動が大物の米映画女優の話からはじまってんだから、「米映画界はクソだ」くらい言ってもいいんだよ?


例キ

文章③より引用

それどころか、事件発覚から十日余りが過ぎて、事態は早くも風化しつつあるような印象である。 いやホント、Twitterをずっと追いかけてみても、九州演劇人の間でも、ろくに話題なっちゃいないのである

2ちゃんねるちょっと取り上げられて、あと何人かがブログで「市原擁護」としか取れないような文章を書いている程度。何だよ、それ。 ジャーナリスト江川紹子さんが、セクハラ告発が相次ぐ世界の情勢を俯瞰しながら、

市原についても触れた文章を綴っているのは非常に貴重だが、それくらいだ。

<以上引用

個人個人発言しない事がいつの間にか九州演劇人全体の問題に。え、だって市原のこと知らない人も結構いるよ?

身近に被害者もいない九州演劇人はどういう声明出せばいいんだろう?もしも、具体的に声明を発表して欲しいのにしてない人がいるならその人に言いな。

自分が知ってる演劇人発言しないからって、責任演劇界演劇人全員に持ってこないでくれる?


例ク

文章③より引用

九州演劇人たちが、沈黙するか、あるいは市原擁護に回った理由はそこにあるのだろう。 やはり「同じ穴の狢」を追及することができないでいるのだ。

指導と称して、セクハラパワハラが当たり前の世界に堕してしまっているのだ。もしかしたら、九州演劇界だけでなく、全国的に。

<以上引用

目の肥えた読者さんなら「あ、推論が置き換わってる」と感じ取れたかと思います

さらにいつの間にか全国の話になってますね。おお怖い怖い。

さら引用

 どの世界にも、同様の問題はあるだろう。けれども演劇界特に腐っている。仮に日本演劇人が全部で二万人いるとしよう。

そのうちの半分が加害者で、半分が被害者になる。そう考えてもらった方がいいくらい、どいつもこいつも腐っているのだ。

<以上引用

「なんかそういうデータあるんですか?」

君の知ってる演劇人に腐ってるやつが多いのかもしれないけどその井の中のレベル日本演劇界の話に拡大しないでくれるかな。ちゃんと統計取った?

主語の拡大はもう少し散見されるのですが、周囲はどこまで責任を持つべきか、というのには正解が出しにくいため

個人的に「明らかにデカすぎない?」と思うもののみ掲載しました。そのほかは是非皆さんで探してみてください。


その2に続きます

2018-01-14

anond:20180112190304

ウンコ村に旅行に行ってみたら、いままでみんながウンコウンコだと言ってたもの

ほとんどみんな好意的に「カレーだ」と味わってる。

9割以上が良い評価をしてる

勘違いしてた

あれはウンコじゃなくて、カレーだったんだ。

ぼくも頑張ってカレーを食べなきゃ、周りに認めてもらえないぞ。

……こういう自分脳みそでは何も考えられないバカがいる限り

日本民主主義根付かない。

自己肯定感を高める薬ってないのかな。

不安な気分を和らげる薬は飲んでるけど、効いてるんだかどうだかわからん

人に何かを褒められても、それが純粋には信じられない。

自分が認められるわけなんてない」という思考根本根付いてしまっている。

自分はせいぜいレトルトカレーでさ、気楽に手に入るからまるで良いように見えてるだけでさ、

あなた方は高級ホテルカレーを食べてないだけですよ?みたいな。

いからこんなの相手にしてないで早くいいもん食えよ、って。

根気よく褒めてくれた人はいたけどさ、結局は自分が潰れるか相手が潰れるかばかり。

どんどん遠ざけてしまって、周りからいなくなっていく。

でもなにか人恋しさのようなものも感じている。

自分でもなにをどうしたいのかもうわからん

もう自力じゃまともになれん。誰か助けてくれ。

2018-01-13

「ドヌーヴは強い女性日本フェミは女を家父長制に守られる弱者にしたいだけ!」に対して思うこと

そもそもフランス(というか欧米)と日本は女の置かれてる立場男尊女卑の形も違うんだよ

欧米根付いた男尊女卑は「女はお姫様扱いして守ってやる。その代わり俺らの言うことを聞けよ」

からそれに反発した、「女に自由を!男の保護はいらない!強い女性になろう!」がフェミニズムとなる

日本男尊女卑は「とにかく男のために尽くせ」

から女が強くなろうと頑張るほど、男がそれに甘えて悪化する形になる

食事の取り分けなんか典型的

日本では「取り分けは女性がするものフランスでは「女性プリンセスからそんなことしなくていい。男性に任せろ」

女性に優しくしろ」と日本人男性フランス説教を受けた記事話題になったこともあった

日本女性に「家父長制に守られ」ていた歴史などないに等しい

日本にレディがいないからレディファースト根付かない」のコピペがあるけど、改変版?のイギリス女子学生の反応は実は正しくて、「マイフェアレディ」がまさにその「女はとにかくレディ扱いしてやるのがいい(そしたらレディらしくなる)」だったろ。

日本デート代割り勘に対しての海外の反応サイトを見てみろ、「やっぱり男が払うべき」って反応が多い。

http://www.all-nationz.com/archives/1032058731.html

割り勘も増えてるらしいけど、それでも初デートは男が払ったりしてる。

エマワトソンが「女がデート代をおごってもいい」って言って物議をかもしたのも最近のこと

日本人は「とにかく欧米では男女平等が進んでるから割り勘当たり前だろ」と思うけど、欧米結構臨機応変で、先述の「女を大事にするべき」という精神の元フェミニズムも発展してきたし、男性フェミニストの数も日本よりずっと多い。今日本で物議をかもしてる男性保育士だって欧米には(韓国にも)いないらしい。徴兵制だって男性だけってところがほとんど。「北欧フェミは女も戦争に行けるようにしたぞ!」というが、裏を返せば北欧でもそれまで男だけ戦争に行くのも当たり前だった。

駒崎某の言ってた「日本アニメは守られるお姫様が多い」は実は間違いで、むしろ逆。むしろ欧米の方がその手のは多くて、日本は「強い二次元美少女最高!弱い女は甘えてる!」となっているほどだ。

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