はてなキーワード: 最高裁判所とは
それなー。
まぁ、エロやグロな作品の中には、実際に実行したならば犯罪になるものも多々ある。
そうした作品については、倫理観念が固まっていないうちに読むことで、真似をして取り返しのつかないことになったり、倫理観が歪んでしまったりする懸念はある。
なので、そういった作品には、一定の年齢制限を設けるのは妥当であろうと思う。
もっとも、であれば、小説や雑誌にも同様の制限がかけられなければ整合性はないと思うのだが。
で、そうでない、すなわち、ただ露出度が高いだけのものや、どうあっても真似できないようなものであれば、何ら制限する必要はないと思う。
レイプやら痴漢やらを制限するのはわかるが、ちんこやまんこを制限する理由は無いだろうと思うのだ。
というのがあるそうだ(最高裁判所昭和26年5月10日第一小法廷判決)。
が、そうしたから何だというのだ。
「性的興奮を催すこと」と「性犯罪を犯すこと」の間には深い断絶がある。
結局これは「えっちなのはいけないと思います」という以上のことは言っていない。
3つ目は、岡口裁判官はこの問題の返す刀で「裁判官のあるべき姿」を国民、あるいは最高裁判所自身に語らせようとしているところだ。
今回の「懲戒騒ぎ」のそもそもの発端として、真山勇一参議院議員の法務委員会でのやり取りが挙げられている。
さすがに陰謀論すぎではないかとの指摘もあるが、最高裁の人事局長(堀田眞哉)が真山議員にネチネチ嫌みを言われているので、ここが発端でもおかしくないなという気もする。
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2018/08/17/122807
https://www.youtube.com/watch?v=cDDz9aRlC-U
真山議員は悪意ではなく善意で「裁判官のあるべき姿」を語っているのだが、これが実に醜悪で面白い。
「政権批判をしている」「おちょくっている」「こんなことを裁判官が書いてもいいのか」とネチネチ人事局長を責め立て、
「岡口裁判官の書き込みは問題である」との言質を引き出そうとする。
(こんな偉そうに他人を責め立てておいて、この3カ月後には西日本豪雨の件で自身が炎上するのだから人生はわからない)
真山議員の醜悪さはさておき、この動画で気づくことは、「裁判官のあるべき姿」とはなんなのかということだ。
岡口裁判官の行為をとがめるならば、最高裁判所は「裁判官のあるべき姿」について具体的に想定し、触れなければならない。
さて、長々と書いてきたのだが、「岡口裁判官が明らかに最高裁判所や高裁の上司をおちょくっている」つまりは
鼻くそをほじくるような態度で分限裁判に臨んでいる真の目的は、以下のような点にあると思う。
②ツイッターで意見を表明することは品位(もしくは裁判官の中立性)を貶める行為なのか
④法を守るべき裁判所内において、(障がい者水増し問題などの)違法行為やパワハラが横行しているのはなぜなのか
⑤権威を保持しようとするあまり、司法はサラリーマン裁判官を量産し、裁判官の人間性を秘密のベールに閉ざそうとしているのではないか(自縄自縛になっていないか)
⑥「人が人を裁く」ということはどういうことなのか
「ブリーフ裁判官」と(一部で)有名な東京高裁の岡口基一裁判官が、懲戒とすべきかを判断する「分限裁判」にかけられそうになっている。
この件の何が面白いかって、岡口裁判官が明らかに最高裁判所や高裁の上司をおちょくっているところだ。
品よく言うのであれば「現行の裁判官の姿に、疑問を投げかけている」というところか。
経緯はこうだ
①岡口裁判官が、ある訴訟の記事について(批判的ともとれる)ツイートする
③抗議を受け、東京高裁長官の林道晴氏、東京高裁事務局長の吉崎佳弥氏の両名が岡口裁判官に「ツイッターをやめる気はないのか」と一時間近く問いただす
④岡口裁判官は「やめる気はない」と返答
⑤後日、懲戒に関する申し立てが東京高裁より最高裁判所に対し行われる
一見すると裁判所の自浄作用が働いただけのように見えるが、ネット上の情報を追っていくと、それだけではない側面が色々と見えてきた。
まず1つ目は、③の「1時間近く問いただした」状況内で、パワハラがあったのではないかという点。
これに関しては、懲戒の申し立てを行った側が"自ら" "自覚なく" パワハラ、そして表現の自由の侵害を告白するという最高に面白いギャクが飛び出した。
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2018/08/28/082324
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2018/08/16/090044
2つ目は、申し立ての手続きに不備や無理があるのではないかという点だ。
岡口裁判官はこの点を相当に煽っており、「東京高裁長官という法曹界でもトップの人材、しかも司法研修所教官まで歴任した人物の
申立書にしてはあまりにもお粗末なのではないか」(意訳)という指摘をしている(していた)。
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2018/08/04/130736
最高裁判所に提出予定の「主張書面」です(その1)
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2018/08/20/085039
最高裁判所に提出予定の「主張書面」です(その2)
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2018/08/21/081552
最高裁判所に提出予定の「主張書面」です(その3)
https://okaguchik.hatenablog.com/entry/2018/08/22/083124
「ツイッターの投稿は(訴訟の)当事者の感情を傷つけた。よって裁判所法第四十九条の懲戒事由に該当するので懲罰する」これである。
「裁判官は、職務上の義務に違反し、若しくは職務を怠り、又は品位を辱める行状があつたときは、別に法律で定めるところにより裁判によつて懲戒される。」
まず問題なのが、ツイートのどの箇所が当事者を傷つけたのかが不明な点だ。
ここが具体的でないと、そもそも申し立てに対して意見を主張できず、反論が難しい。
次に問題なのは、懲戒事由(と思われる)「品位を辱める行状」に相当するのか、ということだ。
「当事者が傷ついたと言っているからアウト」では、裁判官の裁判所以外での意見表明が相当委縮してしまう。
「異端排除」の統治機構 ~ 岡口基一裁判官への懲戒申立てをめぐって ~
https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=3422
また、ブリーフ姿やフンドシ姿の写真投稿はOKなのに、「ある訴訟に関してツイートした」ことが「品位を辱める行状」でアウトというのもおかしな話だ。
(ちなみに、「パンツ一丁はセーフだが縄で縛るとアウト」らしい。詳しくは↓)
政府ドメインリスト https://cio.go.jp/domains にあるドメインを対象に、その下のページが何回はてなブックマークされたかのランキング。
このランキングの効用 - 政府サイトのどこを見れば面白いのかがわかるかも
皆さま、こんばんは。「日いづる国」よりの時間です。
この番組は国を思う政治家の方にお越しいただき、その想いを語っていただく番組です。
杉田さん、また先週に引き続き、今週もよろしくお願いいたします。
中山:
ご支援いただきまして、ありがとうございます。
やはり、非常に厳しい状況ですね。
ほかの国もまさに韓国の言っていることを信じてしまっているところがありますから、
国の中でこの問題を取り上げるのと同時に、海外にもやはりきちんと日本が史実に基づいた、
すぎもとこういち:
やらないとね。
クワラスラミ[クマラスワミ]さんなんか洗脳されちゃってて、ねえ。
中山:
違っていますという、架空の事柄がベースになっていますということが分かったあとでも、
世界はまだ何の訂正もされていないということですので、
まだまだやらないといけないことがたくさんあります。
杉田:
そうなります。
中山:
杉田さんのところ、宝塚市というのが、先週のお話では上村さんの講演が堂々と開かれるとか。
杉田:
そうなんです。
ちょっと信じられないような実態になっているってお話を伺って、心配な状態ですけど……。
杉田:
私が今住んでおります宝塚市、まあ選挙区でもあるんですけれども、
皆さんは歌劇とかのとっても素敵なイメージがあるんじゃないかなと思うんですが、
実は、今宝塚で市長をしていらっしゃる方が、元社民党の国会議員の女性の市長[中川智子市長]さんなんですね。
で、いわゆる土井たか子さんの土井チルドレンと呼ばれた方々で、
最初の当選は、先週の話題にも出てました辻本清美さんと同期で当選をしていらっしゃるあの方なんです。
その方が今回二期目に入りまして、二期目が半分終わったところなんです。
中山:
拉致問題を北朝鮮が拉致などするはずないでしょうと有本さんを叱り飛ばして帰したっていう、
そのイメージがまず来る方なんですけども。
杉田:
そうなんですね。でも、その土井たか子をずっと選挙で通し続けてきた地盤っていうのは、
まさしくこの阪神間といわれる、まあ普通に考えればおしゃれな街のイメージのところが、実はそういう地盤なんですね。
で、その市長さんが1期目とそれから2期目の前半はわりと安全運転で、普通の市政をしていらっしゃったんですが、
いよいよここに来て、今年の予算とかを見させていただきますと、
ご自分がやりたいことのカラーを出してこられたなというようなイメージが非常にするんですね。
中山:
あ、だから上村さんを平然と講師に招いて…。なるほど、それができるということなんですね。
杉田:
まあ、これは市がやってるわけじゃなくて、先週紹介したのは市がやってるわけじゃなくて、
市民団体の方が上村さんを呼んできてしてるんですけれども、まあ普通に市立の公民館でやってますからね。
中山:
そうですね。そういう勢力が強い。
杉田:
そんな中で私が一つ問題視をしていますのが、いわゆるLGBT支援法っていうものなんですね。
皆さんに分かりやすく説明しますと、「L」っていうのはレズ、「G」っていうのがゲイ、
「B」というのがバイセクシャル、そして「T」がトランスセクシャル、性同一性障害の方なんですが、
そういった方々を支援していきましょうっていう法律案なんですね。
で、これ、実は今年の3月に渋谷区で可決をされているんですね。
渋谷区は、渋谷区のね、タイトルがちょっと、もうタイトルからしてですね、非常におかしいんですけど、
というタイトルなんです。
ここにはLGBTとか同性愛とかは一言も出てこないんですけども、
ただ、中身を見ると、今同性愛の方々が色々と生活しにくい問題があると。
例えば不動産屋さんがね、同性愛のカップルにはお部屋を貸さなかったりとかするので、
非常にその方々は差別を受けていると。
地方自治体がそこまで口出しをすることは当然できないわけですが、
条例という形で、この人たちは婚姻と同じような関係にあるということの証明書を出したりとかですね(笑)
そういうのを自治体ができるようにしましょうっていうような条例なわけなんです。
これに飛びついたのが、次は私の住んでいる宝塚市なので、やりたいということで。
こういう同性愛の方の気持ちを知りましょうって、本当に同性愛の方に来ていただいて、
講演を聞くとかっていうのを市長は好んでやっていらっしゃったそうなんですね。
すぎもと、中山:
(爆笑)
杉田:
いうことなので、いよいよこれを宝塚でもやろうということをなって、
私は当然こういう条例は必要ないと思いまして、3つの理由を挙げてブログに書かせていただいたところ、
大変賛否両論いただいて、いわゆる炎上という形になってるんですが、
私が一つ目にあるのはですね、タイトル見て皆さん気付いていただけましたでしょうか。
この「男女平等」という部分と「多様性を尊重する」というのを同列で論じているんですね。
違うことだよね。
違うことですね。
あの「男女共同参画」とかとはまたまったく違う問題なんですけど、同列にしていると。
ただ、私は男女の支援っていう、その例えば子育て支援を行ったりとか、
今、自治体によっては結婚の支援を行っている自治体もありますが、
これは私はやっぱり今日本は大変少子化ですから、もっと子供を産んでいただかないといけないと
いうことがありますからね。そういうところに対して税金を使って支援をしているわけです。
ならば、こういう言葉を使うからダメなのかもしれないですが、はっきり申し上げます。
生産性がない同性愛の人たちに皆さんの税金を使って支援をする、
どこにそういう大義名分があるんですかっていうことがまず一点なんですね。
男女平等も私はありえないということを発言して、この時もだいぶ炎上したんですけれども、
すぎもと:
区別。
杉田:
そこの部分を混同してしまってはまずいけませんよということが一点目です。
そして、二点目は日本という国は、「基本的人権」というのが全員に尊重されていますから、
大人も子供も、それからお年寄りも、障害者の方も、病気を持った方も、
で、その上でですよ、女性の人権がとか、子どもの人権がとか、あと同性愛の人の人権がっていうと
それを特別に支援するっていうのは特権になってしまうんですね。
中山:
そうですね。
杉田:
すぎやま:
屋上にまた家を建てるみたいな話になるんですよね。
杉田:
それが二点目です。
それから三点目なんですが、私自身が行政で18年間働いておりましたので、
地方の自治体が今やらないといけない仕事って本当に山ほどあるんですね。
例えば生活保護とかがすごい増えているんですが、そこに職員の数が割けなくて、
だから不正受給とかを見破ることができないということもあります。
児童虐待の問題が増えているんですけれども、そういうところにも十分に職員の数を割くことができません。
いろんな問題が多様化していて、でも自治体の数は行革とかで減ってるわけですよ、職員の数は。
そんな中で、本当に皆さんあっぷあっぷしながら仕事をしているのに、
もっと皆さんの生活に密着した問題で、しっかりやっていかないといけない問題が山積みになってるのに、
優先順位から考えても、かなり優先順位は低いんじゃないですかという。
この三つのことを掲げて、私は「こういう支援法はいりません」って言うようなことを書かせていただいたんです。
でも、きちっと私は論理的に書いたつもりなんですが、差別主義者のレッテルを貼られてしまって、
普段、私がブログとか書いてもあまり取り上げてくれないんですが、
こういう内容を書くとですね、なんとかlivedoorニュースとか、なんとかニュースとかいうのが取り上げてくださって、
「LGBTの知識を学校教育で教えるべきかどうかということに対しての意見をください」という風に言われまして、
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
中山:
そりゃあそうですね。
杉田:
ですね。はい。って言ったらあのなんて言われたかというとですね、
同性愛の子供は普通に正常に恋愛ができる子どもに比べて自殺率が6倍高いんだと。
それでもあなたは必要ないと言うんですかみたいなことをね、言われまして。
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
私はそれでもあの優先順位は低い。同じですね。
学校の先生も、今モンスターペアレントだとか、学級崩壊だとか、
やらなきゃいけないこといっぱいあるのに、こういうことをやっている時間はきっとないでしょうし。
あと、じゃあ、どれだけ正しい知識を先生が子どもたちに教えられるんですか?と
あと、思春期の頃って本当にいろいろあるんですね。
私も女子校で育ちましたから、周りがもう女性ばっかりなんですね。
かっこいい先輩と交換日記してくださいとかしてるんですけど。
でも、こう年をとっていくと、普通に男性と恋愛できて、結婚もできて、母親になって…ってしていくわけです。
その多感な思春期の時期にですね、
「もっと皆さん、堂々と胸を張って、そんな縮こまらずに、同性愛の人もちゃんと胸を張ってましょう」
ちゃんと正常に戻っていける部分を踊っていけなくなってしまいますよねっていう。
そういうことを延々その方に説明したんですが、結局そのテレビでその企画はなくなったそうなので、
私が出てテレビでそれを喋ることはなくなってしまったんですけれども、
まあそういう問題は非常にホットで日本中、これ渋谷で可決されて
次宝塚で可決されると、先週お話しした慰安婦の意見書じゃないですけれども、
全国にバーッと広まっていってしまうんですね。
で、私そこのブログにもあえて書きませんでしたが、これは何かというと家族崩壊につながるんですよ。
中山:
そりゃあそうですね。
すぎもと:
それともう一つ決定的なことは、同性愛から子供は生まれません。
これは大きいよね。
杉田:
私ね、この問題もそうですし男女平等、これも私はもう男女平等が絶対に実現しえないですから
だって男性に「子供を産みなさい」って言ったって産めないわけですから、
どうしても一緒に平等にきっちりなることはありえませんよっていうようなことをずっと言ってきたんですが、
これもすごい反発受けたんですけど、一つすごくこの問題、こういった問題に取り組んでいる中ですごく気づいたことがあるんですね。
でも、すごく私に対して「あなたは間違っている。差別主義者だ」って言ってくる人達っていうのは、日本というのはひどい国だと。
女性がずっと虐げられて、昔貧しかったら、女の子が売りに出されて、女郎になって、ずっと男に虐げられて、もうとんでもない男尊女卑の国なんだって。
だから、しっかりこういうことをやっていかないといけないんだというところが出発点なんです。
でも、私はあのいつも申し上げてきたとおり、日本ほど女性が大事にされてきた国はないですよと。
役割分担をきちっと男性と女性の間できちっとされてきて、女性も大事にされてきた。
そういう国なんです。
すぎやま:
韓国にはないですよ。
「かかあ天下」という言葉があるし、一番おおもとは天照大神じゃないですか。
中山:
杉田:
そうなんですね。
ずっと歴史を見ていくと江戸時代からもう女性が財布のひもを握ってる国っていうのは日本だけなんですね。
「レディーファースト」とかってよく言われますけど、あれ女性のほうが先に行ったら、
男性は自分が身を守ることができるっていうね、そういうところの習慣から来てるって言う説もございますし、
でも、日本は逆に女性の方が3歩下がっていうのは、何かあったときは男性が前に出てくださいね、
っていうような。
中山:
ただ、よく言われるのは、フランスの女性たちは非常にコケティッシュだ。
それはご主人がすべて握っているので、なにしろ自分の物を買いたい時、
買ってもらうためはやっぱり美しくて、コケティッシュじゃないといけない。
杉田:
確かにそれはそのとおりかもしれませんね。
中山:
日本の場合はあんまりそういう男の人に媚びを売るっていうようなことは絶対しなくても済んでいる世界です。
すぎやま:
天照大神があって紫式部があって、ずっと見ると日本の女性の方はすごいわ。
杉田:
それと同じで、今回のこのいわゆる同性愛支援のことについても、
私に対してばーっと反論して来られる方々っていうのは、
やっぱりまだまだ日本は遅れている、
同性愛の人達に対しての知識も認識も浅いですし、そういう人たちの差別がまかり通っているって。
アメリカなんかカリフォルニア州とか州法なんかで結婚を認めてるようなところもある。
それに比べれば、日本はまだまだ遅れているから、もっとちゃんと同性愛の人たちに対して、
ちゃんとやってあげないといけないんだよっていう人たちなんですが、私は逆なんですね。
日本の歴史の中をこう見ていくと、同世代というのは昔からあるんですよ。
ただ表立って権利をくれと言ってる方はいらっしゃらないです(笑)
で、日本はただそういうのがあるってことを分かっていながら、
その人たちがあの生きづらい状況ではない形になってるんですよね。
だから、逆に言えば。
中山:
上手な社会ですね。
杉田:
でも、キリスト教の国とかは、逆にキリスト教は同性愛を禁止していますから、
本当にこう差別されて、虐殺されたりとか、虐待されたりとかする歴史があるから
法制度をちゃんとやっていなきゃいるそういうところがあるので、
やっぱり出発点が日本はいい国だと思えるか、いやいや日本はひどい国だと思えるかのところで、
そういう批判をされている方と私の考え方の間にはまず出発点からして噛み合わない部分があるでしょうね。
中山:
杉田:
私、「T」は性同一性障害なので、このLGBTの中に入れていっしょくたにしてしまうの、
私これは非常に違和感がありまして。
中山:
そうですね。
杉田:
性同一性障害という、これは一つの病気でありますから、医療行為としてどこまでどうするのか、
これは医療分野の問題になってくるかと思います。これもひとつ議論がありまして、
今例えば保険が効くのはどこまでで、例えば今私も歯の矯正を頑張ってしているところですけども、
虫歯直すのは保険っていうけれども、歯を矯正するのは保険効きませんよ、
とかそれと同じでですね、医療の分野の中でどこまでこれは医療行為として、
例えば保険で認める、保険で認めないとかっていうまた別の議論だと私は思ってるんですね。
ただ、これを一緒にしてしまっていることでね、すごく先生、いい指摘なんですけど、
今、このLGBTの方は人口の5%とか7%とかって言われてるんです。
だから、私が先ほどの「行政の優先順位が低い」って言った時に反論をいただいたのは、
もう人口の5%なり7%なりがこういう人たちなので、優先順位は低くないでしょうっていう反応が来たんですね。
でも、実はこれ、電通か総研かどっかが出しているそういうデータらしいんですけれども、
「T」の方がやっぱり多いんです。ご病気の方が。
本当にLGBの方の数って1%くらいらしいんですね。
ただ「T」の方まで入れてしまうととすごい大きな数になってしまうといったことなんですね。
中山:
これは切り離して、障害があるということであれば、それはきちんと丁寧に対応しないといけないですからね。
その一緒にしてしまうと…。
杉田:
そう思いますね。
すぎやま:
わけわからなくなって。
今言った性同一性障害っていうのも、精神的な神経科が扱う問題なのか、
ホルモン異常なのか、生理的なもののか、二種類あると思うんですよね。
そういうことがね、全部ぐしゃぐしゃに混ぜちゃうというのは間違いだし、
その狙いは何なんだろうと。
その奥に変な狙いがあるかもしれない。
杉田:
その狙い通りで、これ私もまたたいへんな問題だなと思っているのは
WINMX の時代に逮捕されたのはファイルを共有してた人だけ
MIDI は Nifty で当たり前に公開されていたし、普通のホームページにも置かれていた
何を言ってるのかわからない
YouTube は音楽の引用について、元のライセンサに収益が落ちるよう努力しているし、
権利侵害の申告があれば差し止めもしている。むしろかつてのホームページに散らばっていた状態よりクリーンだと思う
つられて日本政府も倫理観を失って北朝鮮の番組の著作権は保護しないと最高裁判所が言っちゃうし漫画とアニメ音楽はジエンドだよ
音楽は Napster、違法アップロードの時代を経て、SpotifyやGPMなど聴き手が我慢することなく、違法手段より便利に音楽を聞くことができる時代がきた
便利ならば金は払う
あまり知られていないことだが…
フロントホック・ブラジャーといって、胸の位置(つまり前)で開閉操作ができるブラジャーが発売されている。
じつはフロントホック・ブラジャーを装着することは、意識不明時にはAED操作のためにブラジャーの解除を認める、という意思表示になっている。
これはフロントホック・ブラジャーを購入したことがある人はみんな知っていることだし、ウィキペディアにも書いてある。最高裁判所の判例もあって、その時はワコールが勝訴している。
だから男性各位は倒れてる意識不明の女性を見つけたら、まずはホックの位置を確かめて欲しい。
女性がフロントホック・ブラジャーを装着していたら、AED操作で助けてよいのだ。
そもそもAEDの自動音声ガイダンスで、「患者が女性の場合は、ホックの位置を確認してください」って放送してくれればいいだけなのにな。おかしいよな。
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。
皆さんお忘れではないですか?
【参考】
7裁判官に国民の審判 「冤罪」「原発」を聞く - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/171016/plt1710160008-n1.html
今回野党が装填にしようとしている、安保法制は、少なくとも憲法9条の枠組みの中では、たしかにNGですよ。
政治が憲法に縛られなくても良い前例を作ってしまったことは、許されないことだと思っています。
ただ、三権分立の中で、そこの歯止めをかける役割を担っているのは、「野党」ではなく、「司法=最高裁」でしょう。
それなのに、違憲立法審査権を行使せず、こんな状況を生み出しているのは怠慢ですよ。
かと言って「お灸をすえた」結果、誕生した民主党政権は強烈なトラウマになった。
今政権交代なんかしたら大変なことになるが、かと言って、このまま放置しておくのも嫌だ!
私は立憲民主党の枝野氏の演説に、賛同しています。(でも政権は取ってほしくありません)
政治が守るべきルールを守るのは当たり前のことであって、そこがしっかりないと「俺達は雰囲気で政治をやっている」状態になりますよ。
そんなんで、現在の日本の停滞をなんとかするような施策が前進するはずもない。
政治家は憲法に則って、「自国民が昨日よりも幸せに過ごせるにはどうしたらよいか」を真剣に考え、実現していくのが仕事でしょう。
おそらくこの点において民意は一致するんじゃないでしょうか、支持政党は関係ないですよね。
もし、今回の選挙で「はじめて」最高裁の裁判官が罷免になったら、
違憲立法審査権を真面目に行使しないと、最高裁判所は立ち行かない。
司法のチェックが厳しくなるので、立法府は、憲法の枠組みの中でその時その時の問題への対処を考える。
もしくは、憲法を改正してから法律を作るという手続きをきちんとやる。
国民は、憲法によってどのように政治家を縛るのかをきちんと考える。
これがあるべき状態なんじゃないでしょうか。
投票は棄権しても良いけど、「最高裁裁判官の国民審査」はきちんとやりましょう。
私からは以上です。
最高裁判所の違憲立法審査権は、日本の場合機能しているとは言い難いが、法律に対するものであり、内閣が直接違憲行為をした場合に最高裁判所が介入する規定がない。
いや、んなことはない。憲法98条1項を参照。
法律に違反しても、バレなければ警察に捕まらないという反論もあるだろうが、(そういうネタもある)、基本的に見つかれば処罰されるということが法律に対する違反をさせない仕組みになっている。(そうじゃなくて倫理だという考えの人もいるかもしれないが)。
憲法に違反した場合にどのような罰則があるのか、または、罰則はまったくないのかということを考えてみた。
憲法は権力を縛るものであるから、憲法に違反するのは行政府か立法府、場合によっては司法府である。この三者が相互に監視して憲法に違反したところを処罰するということだろうか。しかし、議院内閣制なので多数派内閣なら議会から処罰されないだろう。そして、最高裁判所の違憲立法審査権は、日本の場合機能しているとは言い難いが、法律に対するものであり、内閣が直接違憲行為をした場合に最高裁判所が介入する規定がない。
では、内閣の違憲行為に対してまったく対応が出来ないのかというと、そうでもない。議院内閣制なので内閣の違憲行為に対する処罰は、国民が選挙の際に下すことが可能である。つまり国民が違憲行為をした与党を選挙で負けさせることが違憲行為に対する処罰となり得るわけだ。
警察は法律違反を取り締まる権力を持っている、それは、法律違反を知っていながら勝手に見逃すようなことは許されないということである。金(に限らず、物とか接待とか、退職後の就職先とか)を受け取って法律違反を見逃すような警察は腐っている。警察が腐っていれば世の中は乱れる。これが世の道理である。
神は「道理あれ」いい、そしてそのようになった。