はてなキーワード: 大義名分とは
修論の話を見るたびに思い出す。
修士を25で中退した。一度留年させてもらって、それでも論文が手に付かず結局中退した。
今でもどうすればよかったのか、多いときで3日に一回は悪夢のように蘇ってくる。特にお風呂の中で考えることが多い。
テーマを自由に決めていいから、勝手にやっててね、ただしダメ出しできる範囲でダメ出しするよというタイプの研究室だった。
修論でも大きいことをやりたいと思っていた。
でもそれがダメだったのかもしれない。
テーマ選びをし、ダメ出しされ、テーマ選びをし、ダメ出しされ、なにか新しいテーマを考えるもなにがわからないのかわからなくなり、、、
結局教員にも相談できず先輩同期にも相談できず、一人で悩んでるうちに病的にに論文が手に付かなくなり最後の半年くらいはPCを見るのも怖くなっていた。
プライドがあったのか、そもそも何を相談すればよかったのかわからなかったのか、なにもわからないなにがわからないかがわからないと叫ぶのが惨めだったのか。
もっと教官を頼ればよかった、もっと先輩に頼ればよかった、惨めな思いをしながら泣きついてでも苦しんでいることを相談すればよかった。今ではそう思う。
死なない程度の大怪我をして入院しながら大義名分で休めるようになって研究したいと思っていた。
それくらい錯乱していた。今思うとうつ病だったのかもしれない。
もう研究者になりたいという野心は捨てたし、研究者への夢をじっくり3年かけて諦めただけに圧倒的な劣等感に苛まれながらなんとか生きている。
よく東大出身なのに謙虚だねと言われるけれど、謙虚どころか圧倒的な劣等感を感じざるを得ないというのが本当のところ。
ちゃらんぽらんでも修士を卒業する人がいるなか3年かけて中退したのだから。
でもまだどこかでアカデミックへの憧れとか捨てきれておらず、修士の3年間を悪夢のように思い出す。
このサイトを見て当時熟読してればまだ少しは救われたのかなと思う。
スマブラを一言で説明すると、「バカでも勝てるゲーム」だ。これは別に蔑称ではなく、桜井雅博が言っている「スマブラはゆかいなパーティゲーム」という言葉を対戦ゲームという視点から見るとこうなる。
格ゲーストリーマーのスマブラデビューが最近点々と目立つが、そのプレイを見て共通して思うのはスマブラというゲームを根本から勘違いしているということだ。彼らが今までプレイしていた格ゲーというものは競技性を観点に入れて慎重に調整され、不用意な行動は即負けにつながる。そのため彼らは、(スマブラの標準と比較すると)異常に慎重なプレイングをする。
スマブラというゲームの格ゲーと最も異なる点はそこで、このゲームは相手の行動を咎めるということが非常に困難にデザインされていて、慎重に立ち回るより猿のようにボタンを連打したほうが強いようにできている。
もちろんこれはアクションゲームとして考えるととてもよくできている。スプラトゥーンのヒットの理由は、会敵していなくても「塗り」という大義名分のもとボタンを押せるところにあるというのはよく言われていることだが、スマブラはそれの格ゲー版と言えるだろう。だからこそ格ゲーにありがちな対戦の窮屈感がなく、自由気ままにコントローラーを操作し、オールスターのキャラクターを動かす快感がある。
「ゆかいなパーティゲーム」という言葉の意図はここにあり、このゲームはあくまでガチャガチャコントローラーを動かして対戦「のようなもの」を楽しむために作られたゲームなのだ。
ところが異常者がこのゲームに競技性を見出してしまったために、(一部の人間には)不幸なことになった。スプラトゥーンと対比するとよくわかるが、開発元はこのスマブラというゲームの競技シーンを明確に定義しようとはしておらず、アイテムありやステージランダムなど、運の要素をなるべく介入させたあくまでパーティゲームの大会としてしか主導していない。
これが何故かというと、開発元はこのゲームの競技性に対して一切責任を取るつもりがないからである。
特にキャラクターの強さのバランス、インターネット対戦機能の不十分さについては、昨今の格ゲープレイヤーからすると信じられないレベルの低さだが、これはそもそもそういう風に遊んでほしくないという開発側の強いメッセージ性が現れている。インターネット対戦のラグについては有線接続同士の対戦でなお、散々コミュニティに批判されていたストVのPS4より大きい遅延があり、元々行動を咎めづらいようにできているこのゲームがさらに振り得となっており、差し返しという概念はほぼほぼ成立しない。また、キャラクターの強さについては強力なDLCキャラが追加された後調整が終了し(この調整が「終了」という概念があるのも面白い)、そのキャラクターを使えば誰でも楽々に勝てるという状況になっている。今作では「調整班」という名目で前作までの有力プレイヤーが開発に協力していたとのことだが、最近開かれた大会ではその調整班の人間がDLCキャラクターに手も足も出ず敗北していたところを見ると、おそらく単なる批判のスケープゴートのために雇われていた可能性が大きい。
さて、ここまで対戦ゲームとしてのスマブラの未完成さを説明したが、ポイントはこの未完成なゲームに「なぜか」人々は競技性を認めているという歪みである。
今までの話を要約すると、スマブラはバカでもボタンを連打していれば勝てるようにできているのに、ほとんど全員がその事に気づいておらず、まるでゲームがうまいかのような扱いをうけることができるオアシスであるということだ。
実際強力なDLCキャラが追加されてから、今までまるで結果の出ていなかった人間が世界トップレベルのプレイヤーに勝利するということが頻繁に発生している。こんなことが他のゲームで起きればまず調整バランスの批判になるのが常だが、基本的にこのゲームの観戦層はキッズしかいないのでそういう話にはならない。
また、そんなに強いなら(ストVのルークのように)そのDLCキャラに使用が集中するのでは、とも考えられるが、そういう事もあまり起きていない。それはこのゲームのプロプレイヤーのほとんどが最も強いプレイヤーになるためではなく、あるキャラクターの全1という看板を得て配信業を成立させるためにやっているからである。そのため、一見大会のリザルトを見るとキャラがばらけてバランスが取れているように見えるが、なんのことはなくそこに載っている人間の殆どが真面目に勝ちに行っていないからである(そういう意味ではメタな視線で「ゆかいなパーティゲーム」が再現されているのかもしれない)
よって、このゲームは(幻想の)競技シーンで勝つことが最もイージーなゲームとしてコスパがよく、またプレイヤーの民度も低いので常識的な言動のラインを守ることさえできれば人気も得やすい最もプロゲーマーになることが優しいゲームとなっている。そのため、プロゲーマー志望は全員スマブラをやるべきだ。
ただ、このゲームのプロになることが幸福かどうかは別の話ではある。基本的に賞金は国外の大会でしか出ないし、その額も他のゲームに比べると信じられないほど小さい。スマブラというゲームのバランスが取れていなくても、結局この程度のゲームで勝っても対して稼げない、という世の中全体のバランス調整はちゃんとされているということなのかもしれない。
公金を政治に還流するスキームは日本における政治資金の調達方法としては主流と言っても過言ではない。
なぜかというと日本は選挙資金を正面から用意するのがめちゃくちゃ大変だから。
政治資金が使われているとわかると国民が脊髄反射で発狂してしまう文化が根づいてしまったから。
この歪みを本来はなくすべきだったんだよ。
金権政治とか言うけど、政治にカネがかかるのは当たり前で、ボランティアでやれとか無茶にもほどがある。
選挙のときスポットでビラ配りやる程度ならともかく、楽しくもない事務処理やら組織運営、組織外のネットワークの維持なんて雑務を常にやるんだぜ?
そりゃ金かかるわ。
こう言うと各方面のバカが集まってきて、特定政党だけの問題かのように言うけど、あらゆる政党で同じだからね。
それなのに嫌いな奴らが政治にカネ使ってるともう発狂しちゃう。
だから、何らかの公的な大義名分をもった中立っぽい半官半民の組織を作っといて公金を引っ張り、うまく人と金を中抜きして政治に回すみたいな
騒がれにくいけど、政治資金を使うよりよっぽど法的に危ないスキームをどこもやる羽目になる。
もう一回言うけど本当にどこもやってるからね。
でも今まで見逃されてたのは、追求するシステムがないからじゃない。
・政治組織やマスコミはどこもやってるのを知ってるので致命的にならないように握り合う
そして、今回の暇空騒動でわかるように、個人的な強い動機を持った優秀なインフルエンサーがいれば、割と簡単にこのバランスは破壊される。
もうそれがわかっちゃった以上、2人目3人目が出てくる可能性は高い。
この流れを止めることはできない。
「政治には金が必要だからグレーなことやっちゃいましたすいません」で許されるほどには日本の法システムは崩壊してないからだ。
だから遠からず、政治組織の側も、むしろ均衡を破って自分が死ぬ前に敵対組織をぶっ潰しに行くことを選ぶ可能性は高い。
その闘争で政治勢力が書き換わり、手柄を上げた奴らが次の政治資金ルールを制定できる側に回るだろう。
今までColabo騒動を報道してこなかったJ-Castニュースはあの議員会館の会見へ一般社団法人sienteがごもっともな意思表明を行ったことにより、建前としてJ-Castニュースは暇空茜・Colaboのどちらへ付くこともなくsienteへ付くという姿勢を取ったことでColabo騒動を報道するという大義名分を得た
暇空茜・Colaboのどちらが劣勢になってもJ-Castニュースはsienteを肯定しているのであって暇空茜・Colaboのどちらかを肯定しているわけではないと言い返せるので上手い判断だと思う
まあ戦争なんて侵略するかされるかなんだから、単純にそのうちの半分を止められるってのはデカいよな。
あと一般に戦争の口実として「隣国が攻めてきそうだから対抗しよ」とか「向こうが攻撃してきたから応戦しただけ」みたいなんけっこうあるけど、日本に限ってはそういうときに絶対的に大義名分を取れる。
「憲法で禁止されてるのになんで攻撃できると思ってるんですか?」って話だ。
9条なかったら湾岸戦争だのイラク戦争だのアフガン紛争だのに絶対参戦してたよな。
まさに実際に「戦争を止めた」っていう実績になってる。
しかもアメリカなんかはそういうことやってるせいで全世界で嫌われてるわけで、その悪評に日本が巻き込まれるのを防いでもいる。
アフガンで亡くなった日本人医師も「自衛隊を派遣しないことで日本人は信用を得ていた」って言ってたし。
「うちは戦争をしない平和国家ですよ」っていうアピールをしとけば、もし侵略されても今のウクライナの比じゃないくらい支援をもらえると思うよ。
いわゆる吉田ドクトリンというやつだけど、昨今の軍拡増税に参ってる人はその効能がよくわかるんじゃないか。
それに日本の国際的な価値って、腐っても世界第三位の経済大国だというところにあるじゃん。
日本が侵略されたりしたら世界経済に大打撃だし、中国なんかに対してもそれが抑止力になってる面は大きいと思う。
逆に、ちょっと防衛費を増額したくらいで何の抑止力になるんだ?って思うんだよな。挑発の効果のほうが大きそう。
憲法9条って聞くと反射的に「お花畑」「理想だけ」「何の役にも立たない」って言う人が多いけど、少なくとも上記のような効果はあるよな。そこらへんどう思ってるんだろ。
性自認は完全に男性だし、自分が男性であることに対する違和感は全くない。
これまで男性として育ってきてしまったからかもしれないが、今更手術を受けて女性になろうと思うほど逼迫した思いも抱えていない。
恋愛対象は両方だと思う。
多くの場合好きになるのは女性だが、男性を好きになったこともある。
ちなみに全く女性にはモテない。女性にモテていたらこんな拗らせた思いを抱えることもなかったのかもしれない。
変な悩みを抱えずに男性として生きれていたと思う。
女性になって、女友達と一緒におしゃべりして、お化粧してお出かけして。加工だらけの写真をインスタにアップして。
素敵な男性に愛されて、子供を産んで。間違ってもはてな匿名ダイアリーなんて読まない。
その自身の願望の表れの一つとして、私は一人称が全然統一できない。
使い分けは意識的ではないのだが、ふとした瞬間に「私」と言ったり「僕」と言ったり「俺」と言ったりする。
「私」という一人称がふとした瞬間に出てくるのは、自身の女性化願望の現れの一つであると自覚しているし、
自身を男性として表現したいときには「俺」と言っているように思える(もちろんフォーマルな場面で「私」という一人称を使うからといった理由も存在する)。
この文章もそうやって書いていく。
そんな私だからフェミニストの女性をみると腹が立って仕方がない。
いや、違う。もっと本心で、正直に言ってしまえば、もうちょっと拗らせている。
50%の確率で、「私から見れば運よく」女性に生まれることが出来たのにも関わらず、
彼女たちは、女性であることが辛いと言い、いかにも男性や男性社会に加害されているかのように嘆くのである。そんなのずるくない???
ただ単に「女性に生まれた」ことだけを嫉妬しているわけではない。
そもそも、フェミニストの女性が「生きにくい」というのは「女性だから」ではないだろうと思っている。
単純に、「現代社会」が我々のような「メンヘラ体質」にとって生きにくいだけなのだと思う。
男性だろうが、女性だろうが、現代社会は息苦しく、辛い世の中なんだ。
そりゃ僕だって表立って、「女性ばっかりずるい、女性になりたかった!」と声を大にして言いたい。
でもそんなのダサいし、みっともないし、誰からも共感されない。Twitterなら炎上まっしぐらだと思う。フェミニストが秒で寄ってくると思う。
これだって炎上するんじゃないかとビビりながら書いてる。誰も読まないよね、こんなブログ。だから大丈夫。
俺はそんなのは嫌なんだ。不特定多数のみんなから共感されながら、「うんうんわかるよ、君も辛かったね、君は悪くないよ」って言われたい。
肯定してほしい。他者からのいいねが欲しい。そう思ってしまうのが現代社会の生きずらさでしょ?
一方で女性は違う。
生きずらい自分の目の前に「フェミニズム」という、いかにももっともらしい思想が落ちていて、共感してくれる人もいっぱいいる。
「生きずらい自分」が悪いのではく、「女性を大切にしない社会」が悪い、と責任転嫁して、自分を守ってくれすらする。いいねだっていっぱいつく。
そりゃ目の前にそんな都合のいい思想が落ちていたら飛びつきたくなるだろうと思う。
そこに「社会を変革する」なんていう大義名分がついていたら、他者を攻撃する自分のことだって肯定できるだろうし、
「自分は社会に対して貢献しているんだ」という達成感や誇らしさすら得ることが出来る。アドレナリンやらオキシトシンやら、脳内麻薬ドバドバだと思う。
そう、私も女性だったら多分フェミニストになっていて、男が悪い、社会が悪いと騒ぎ立てていたと思う。
きっとそれは無自覚的に快楽だろうし、弱い自分を肯定してくれさえもする。自分でも自分を肯定できる。
もちろんフェミニストの彼女らがそれを認めることはないだろうし、自分が女性だった場合にもそれを認めるなんて屈辱的なことは絶対にしないと思うが
(ただし、クロワッサン症候群のようにある日突然にフェミニズムの流行りが終焉を迎えて、彼女らには何も残らない……なんて日が来ることもあり得るなと最近は思っていたりもする。ざまあみろろツイフェミども)。
でも、俺は男だ。
自分を守ってくれる安易な思想が落ちていない。「ミソジニー」? いや違うな、俺は女性が嫌いなわけじゃない。
ていうか、むしろ女性が大好きだし、大好きだからこそ女性になりたいとすら感じているのだから。そういう意味では私は自分を原理主義的な「フェミニスト」であると思っている。
だから言い訳なんてできない。俺の生きずらさは、現代社会に適応できない俺が悪いのであり、誰も共感なんかしてくれない。
もしも、このブログを読んで、少しでも同じ悩みを抱えている人がいたら、共感してほしい。それだけで俺は心から救われます。
女性にとって、自分を救ってくれる「フェミニズム」があるのに、僕にとってそれはない。そんなのずるいじゃないか……。
毎日その不条理をかみしめて生きてる。毎日女性に嫉妬しながら生きている。
だから俺は毎晩、「朝起きたら美少女に生まれ変わってますように」と願いながら眠りにつく。
(別に可愛くなくてもいいけど可愛いに越したことはないよね、うん。でも女性はお化粧が出来て、ある程度顔がよくなくても擬態できる。それもチートだと思う。俺だって化粧してかっこいい男になれるなら毎日化粧するわ。でも今はまだ男性用化粧品って種類が少ないのよね~)
一昨日も昨日も明日も明後日も寝る前に祈る。もちろん今日も。でもそんな日は絶対に来ない。不条理すぎると思う。
今の俺の最後の希望は、俺がまだ若いこと。今はまだ20代前半で、これからある程度は稼いでいける見込みがある。
今に金持ちになって弱者男性を脱却して、女を見返してやるんだ、なんて、女になりたいのにもかかわらずそんな女への復讐を胸に抱きながら今日は眠りにつく。
最後に。
長文乱文失礼しました。
ここまで読んでくれた人、あなたのおかげで今日はいい夢が見れそうです。
本当にありがとう。
コメント読んだ。
ありがとう。誰も読まない、誰も目にとめないことがいちばん嫌だったから、批判的でもコメントくれてうれしい。
批判コメント結構、むしろもっとじっくり議論したいまである。私もこの拗らせた悩み解消したいからね。
だから日常ではそんな価値観を隠して生きているわけで、こんなネットの片隅に愚痴をこぼすことくらい許してほしい。
さて、コメントを読んで足りなかったなと思ったところを補足する。
まず私は「女性に権利を与えるべきだ」「女性を尊重するべきだ」という根源にある主張はまず理解できるし、同調しているんだ。
むしろ女性の方が生物として上位種であるとすら考えている。男性である自分に劣等感すら覚える。
なんで上位種である女性に生まれなかったんだと心の底から思う。
これは論理的というよりも感覚的にだ。なんで、と聞かれても思ってしまうのだから仕方ない。
そういう意味で自分を原理主義的な「フェミニスト」だと思っている。
「女性の方が優れているのだから、女性を尊重するべきだ」という肌間隔があるからだ。
そのうえで、表層的な一つ一つの事象、例えば「女性の管理職の割合が低い! 男女平等のために割合を上げろ!」とか
「月経で辛い女性が多いんだから、生理用品は無償配布しろ!」とか
そういうのにもほとんど同意する。まあわかる。全くわからない例もあるけど、ここには書かない。
でも彼女らの本懐はそこにはない気がしていて。
例えば上に挙げたようないくつかの事象とか、さらにそれ以外にも彼女らが抱えている様々な一つ一つの「女性特有の」悩みももちろん抱えているんだと思う。
どこまで行っても生物学上は男性の俺にはわからない悩みだっていっぱいあるんだと思う。大変だね、救ってあげたいと心から思う。
でもそれらを社会が解決したところで彼女らの要求は増えていく一方だと思うんだ。
それは本質的に彼女らが「メンヘラ体質」で「弱者気質」だからだと思う。女性だから悩んでいるんじゃなくて、弱者だから悩んでるんじゃないの?
そもそもフェミニズムなんかなくても、昔から強い女性は社会進出していた方はいたわけで、「女性だからできない、虐げられている」には少し疑問符がある。
女性だとか男性だとか関係なく、ただ単に、弱者の自分を守ってくれる、弱者の自分を救ってくれる、それが彼女らの本懐だと思うんだ。
だから、別に女性だからとか関係なくて、きっと彼女らが男性だったら、その時は「弱者男性に女をあてがえ」って言ってたと思うんだ。
男性だからとか、女性だからとかじゃない、弱者だから救われたい、それだけなんだよな。
だから彼女らを救ってくれる「フェミニズム」が目の前にある事実がうらやましい。俺だってそんな浮き輪があるなら飛びつきたい。
でもこれだけは認識して欲しい。
ワクチンを打たないっていうのは、副反応の苦しみと集団免疫の獲得というトレードオフを、他者に押し付けてフリーライドする行為だって。
そして、ワクチンを打つっていうのは、そのトレードオフを行った当事者であるということを理由に、フリーライドをした反ワクを痛烈に批判する大義名分を得たことではないということを。
見苦しいぞどっちも。
かかりたくないから打つ。
周りがかかって欲しくないから打つ。
集団免疫とかいう自己満足に浸りたいだけのアホがどうせ打つなら俺は打たない。
それについて他人をコントロールしようと必死に藁人形に釘を打って「どうだ!俺の釘打ちこそまさに正鵠を射るといったものだろう!」と自慢げに掲げるの、見飽きてるんでもう止めてもらえますか?
夏は七夕があるんだが、何にせよ旧暦のまま7月7日にしちゃったから梅雨で雨が多いんだよな
あと短冊や笹とかは金にならないし、どうにかならんのかね
ただ、バンドのスピッツはイベント系の歌を作らないんだけど(クリスマスとかバレンタインとか)、
草野:だって、俺、ちゃんと言い訳できないものとか大義名分がないものっていやなの。もともとクリスマスっていうのはホーリーな日なわけでさ、男と女がいちゃつく日じゃないのよ。でも日本じゃそうなってるでしょ?それはどう考えても変じゃない。七夕は物語自体がいちゃつきなさいっていってるわけだし。
何が言いたいかっていうと、七夕は日本のイベントで男女イベントなんだから、もっと盛り上げてもいいんじゃね?ってこと
誰か妙案ない?
1.「不正会計はなかった」と主張
どう考えても無理筋。
ツイッター等のコテハン垢で発言すると、今後不正会計疑惑が確定した場合、発言の責任を追及されるのは確実。
リーガルハラスメントだの女性差別だのという主張で論点を逸らす作戦。今行われているやつ。
しかし、仮にこの一連の追及が女性差別だったとしても、不正会計の疑惑とは別問題。
しかしうまくやれば、「不正会計はあったが、それを追求する行為は女性差別なのでキャンセル対象」という状況を作ることで、批判的言論を封殺できる。
相手が暇空という社会的地位を持たないキャンセル無効化ユニットでなければ、これが勝ち筋だった。
3.表自側に「良識」を求める
やりすぎはよくないよね、叩きすぎはよくないよね、相手と同じレベルになっちゃいけないよね、これはいじめだよね、叩きすぎると表自の評判が悪くなるよ、
などと呼びかけて表自側の良心に訴えかける。今ツイッターで行われているやつ。
表自は自分たちが良識派と思っているので、わりと効果的。暇空には効かない。
青識などの表自インフルエンサーの数人は自らこれを呼びかけている。
4.暇空への人格攻撃
「暇空はこんなにヤベぇやつだから、暇空を信じるのはキケンだぞ」と呼びかけて支援者を離れさせる。今ツイッターで行われているやつ。
5.『Colabo は今すぐ仁藤さんを解任して、本来の業務に専念すべきだ。
Colaboの活動自体は悪くない。あちこちに敵を作る仁藤さん個人の問題なんだ。
最も現実的な落とし所かもしれない。
6.「表自側は極悪非道な動機や目的のために動いている」と吹聴する。
「これは女性支援活動を潰すための運動だ」という論点のすり替え。今ツイッターで行われているやつ。
相手の動機や目的を悪行として扱うことで支援者の腰を引かせる作戦。残念ながら効いてない。
「colaboがなくなれば、保護対象となる女性たちが路頭に迷いますよ!?それでもいいんですか!?」という人質論法も行われている。
残念ながら効いてない。
現実的な落とし所の2。というか暇空が最も渋い顔する解決法がこれだと思う。
8.「不正会計してましたごめんなさい健全化していきます」と素直に謝る。
これらをやられると手仕舞いとして燃料が追加できなくなるので暇空はえらい困る。
大義名分も消えるので、支援者も過激な奴しか残らないだろう。マジで困る。
おそらくだけど、暇空が煽りに煽っているのは、これをさせないためではないかと思う。
9.あとなんかある?良いのあったら追加してく。
寝耳に水のつもりでも「でもxxxはおまえたちによってそれ以前に既に殴られてきた」という言い方で大義名分作られるとよっぽど暇じゃなければ知らんがな、てなるしまあこれが戦争の言い分やなあ
同人誌の値上げやめろネットでアップしろって怪文書毒マロが出回ってるけど、まあ言いたいことはわかるわ。
何より書き手も読み手も無料で出来るので二次創作同人の「版権で金儲けしない」って言う大義名分を失う可能性が低い。
紙同人誌のメリットって自分で思いつく限りでは「18禁本を売る時、対面で売るからちゃんと年齢確認が取れる」ってくらいしかなかったんだけど、子供に転売したバカが現れたせいでそのメリットすら消え失せた。
原価高騰がー赤字がーっ転売がーって言うなら無料で公開でいいじゃん。
やっぱりお前ら金儲けしたいんだろとは言わないけど、紙の本ばっかありがたがってる状況が気持ち悪すぎる。
いやあ、耳が痛くてもげそうだぜ!やめてくださいしんでしまいます。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。
そういうところに公金をイージーに流し込む行政の問題がまず一つ。
最初に言っておくけどこれ全部フィクションだからね。わかった?わかったなら次に進んでよし!
国の予想では近い将来人口ゼロ集落が続出すると予告されている町。
町だが、面積が無駄に広く人口密度はそこらの村よりも低い。自治体を維持するために昭和の大合併、平成の大合併で合併しまくった結果だ。
合併したのに従来の役場はそのまま支所という形で残し、行政改革をせずにくっつたけたけ。無駄に体力を消耗。当然集落の整理なんてできるはずも無くて、だらだらと消滅に向かっている。
この町がなんとなくでもやれていたのは、地方交付税に加えて、特殊な助成金が比較的簡単に取れるからだった。
電源立地補助金ほどは打ち出の小槌ではないが、そこそこ破綻してない申請書を書ければ、国から自動的に金が来ると言う程度の助成金がとれた。
ところが、近年になって渋くなってきた模様。そこでそれ以外の補助金に手を出すようになったのだが、流行のキーワードはこれ
「地域の力を生かす取り組み」
国もこの手の自治体に頭を悩ませており、いろいろな助成金を作って自立を促したり、整理を促したりしている。
その中で、良くも悪くも鈍い感じの自治体に改革を促すために、自治体単体ではなく、民間企業や、地域住民による地域作り団体などと共同で取り組む計画を求めるようになってきた。
こうして「おくにが考えたさいきょうの政策」を実現するために補助金を使っている。THE 補助金行政である。
とは言っても、そんな一緒にやってくれる企業などはそうそう転がっていない。
地元でがんばっている社長さんとかいるんだけど、既に頼られまくってどうしょうもないぐらいになってるのが普通。
地域おこしをするための地域受け皿がない。服を買いに行く服が無いみたいな話である。
行政の出資比率が高くなると駄目な場合があるので、行政の出資比率は見かけ上低くしているが、そのかわりに商工会議所とか、農協、地銀、信金とか、青年会議所関係とかに声をかけて出資させて、一般社団法人を作る。(オイコラそこ、めんどくさそうなメンツとか言わない!俺もそう思う)
そして、そこと共同でやるという枠組みを作ることによって、えらい人の威光を保ったたままに補助金をゲットしようと言う仕組みである。
さて、ここで求人をするとどうなるかというと、デフォルトで最低賃金での募集になる。
そもそも職なんかほとんど選択肢が無いような地域だ。社会貢献ができますよ、と言うところと、自治体が出資している安定した組織に、学歴職歴関係なく就職できるという二つばかりが注目されて人が来るのである。
だから、意識の高い系職員と、ほとんどコネで送り込まれてきたような意識の低い系職員が混ざり合ったカオスからスタートする事になる。
さて、こうしてできた一般社団法人。当時の政治家が鳴り物入りで作ったお国の制度の補助金が出る3年間はある意味やりたい放題である。
給料は安いが、儲けや結果は求められないままに、申請書をぺらっと書けば金は使える。拠点も昔補助金もらってうっかり作っちゃった交流センターを事実上の払い下げ。
行政の看板を使えるからみんなとりあえず話を聞いてくれるし、人も集まるし、金を配ってるような状態だから表面上は感謝もされる。
国の政策集にものったりするから県知事や国会議員が視察にきたりして、注目を浴びて自分がえらい人になった気になる。
何故3年かというと、中央省庁の官僚がそれぐらいで担当替えするから。そして新しい担当になった人物は、前任者がやったそれがどんなに成功していても、引き継いだところで自分の実績にならないので、打ち切るのが普通なのである。
当初の補助金が切れるとどうなるのか。
社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要なものは、まず実務的な知識・スキル。マンパワー。(金のことを含む)行政との連携。
でも実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。
国の補助金が切れた後、1年は現在の体制が維持できるだけの金を町が用意してくれた。ただお先真っ暗なのはあきらかなので、実務的にいろいろやってくれていた頼りになる人ほど、培ったコネを使って退職していく。
そして、残るのは、
もう解散してしまえ、と思うのだが、この状況に至っても広げに広げた大風呂敷を畳む奴はおらず、地域のキーパーソンに声かけまくって作ったためにしがらみが多すぎて、いつの間にかこの一般社団法人を維持していくことが目的にすり替わる。
そうして今はどうしているかというと、元々作られた地域振興のための団体、と言う看板は下ろせないままに、行政仕事の便利屋みたいなポジションになっている。
上の奴は本来は自治体職員が自らやるべき仕事だが、我々がやると、なあんと!全員最低賃金報酬非正規雇用で人をこき使えるよやったね!
社団法人を維持するためと言う大義名分で役所から出してもらっていたが、心ある町議会議員様から、それは利権だろと正論ハラスメントを受けて価格ヤスクを徹底された結果ご覧の有様です。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな
ははは……。
この中で最も実入りがいいのがプロモーションビデオ作成なんだから笑える。
そして、町の仕事で安泰なんでしょとか、儲かってるんでしょとか言われる。うるせーばか
非営利の「社会的課題の解決を志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。
はい。
自分たちだけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンスは制限じゃなくて指針なんだよ。
そして情報公開こそがその団体の、活動の命綱だ。
リアル社会でのリアルな人助けってのは難しい「大人の仕事」なんだぜ。
おっしゃるとおりです。
まぁ、今、地域おこし協力隊で面白い兄貴が来たのと、あと何人かを抱き込んで、反旗を翻そうと準備は進めている。今に見てろよ!
じゃなかった。
暖かく見守っていただけるとうれしいです。
暇空茜さんを社団法人Colaboが訴えた件についての分析です。なるべく中立的な立場での分析になるよう心がけています。個別の事柄について良いとか悪いとかいう価値判断を下すものではないことにご注意ください。そうではなく、良し悪しはともかく私には現状こう見える、この先こうなっていくだろうという予想です。
これでは何のことやら分かりませんね。もう少しくわしく見ていきます。
キズナアイNHK(2018)、宇崎ちゃん献血ポスター(2019)、温泉むすめ(2021)、たわわ広告(2022)など、コンテンツの内容が公共の場にふさわしくないなどの批判をきっかけに炎上する現象のことを、この文章ではコンテンツ炎上と呼ぶことにします。これは一般的な用語ではなく、本文章内での独自定義です。これらの例については萌え絵批判のような用語があるようですが、この文章では萌え絵に限定しないためにあえて別の語を当てます。
というのも、暇空さんは萌え絵にそのものに格別の思い入れがあるわけではないと推測されるためです。彼の漫画評などからすると彼が特に好むのは「天才的な能力の持ち主が天才ならではの苦悩と対峙しながら、その能力を発揮していく」といったモチーフです。おそらく彼がコンテンツ炎上を抑止しようと考えているのは、才能あるコンテンツクリエイターの足を引っ張り、結果良質なコンテンツが減ることへの反発だと思います。つまり対象が萌え絵であるかどうかは二の次で、コンテンツが良質かどうか/クリエイターが有能であるかどうかが暇空さんにとっての判断基準であるということです。
コンテンツ炎上は他のネット炎上同様に、些細なきっかけから始まります。拡散してく過程で、何千何万という人々から作者本人への批判やスポンサーなど関係者への抗議などが起きます。一般に批判は玉石混交で真っ当な批判からインネンレベルのものまで様々ですし、多数が各自言いたいことを言い放つので論点も定まらず的確な反論を行うのは困難な上、反論すること自体が燃料となって多くの場合逆効果です。1ヶ月程度燃料が投下されなくなると自然に沈静化します。基本的に対処法はなく、最低限の発表だけして沈黙を貫き沈静化を待つのが多くの場合最適解です。
暇空さんは以前「畑を荒らすカラスを撃退するにはカラスの死体を吊るすとよい」というような趣旨のTweetをしています。コンテンツ炎上を仕掛けた者へみせしめの炎上を仕掛けて、意趣返しを行うことによりコンテンツ炎上を抑止しようと考えているものと思います。Colaboの会計やらに目をつけたのは、単に温泉むすめ炎上発端になった仁藤さんを炎上させるのに都合のよい隙があったというだけで、女性蔑視がどうのという動機ではないと思います。そうではなくてコンテンツ炎上のきっかけとなった人物の心を折るのが暇空さんの短期的な目標です。大義名分はよく燃えるのであれば何でもいい。そこにイデオロギー性はさほどありません。
最終的には「うかつにコンテンツ炎上させるとまずい。暇空さんに粘着されて痛い腹を探られる」といった風評/空気/認知を作り出すのがゴールです。暇空さん自身が抑止力となるつもりなのでしょう。そのために今は暇空さんに注目を集め、敵対者の心を徹底的にへし折るさまを見せつけようとしているフェーズです。
できれば従来どおりのどんぶり勘定運営で女性支援事業等を続けていくこと
それが無理ならなるべくダメージコントロールすること
暇空さんの目的/戦術が上に述べたことで正しいならば、残念ながらたとえ訴訟に勝ってもColabo側の目的は達成できません。
生活保護とタコ部屋発言を争点にしてColabo側が仮に勝訴したとしても得られるのは賠償金、該当記事削除、謝罪だけです。暇空さんは裁判の経過を公表し続けて話題を提供し続けますし、訴訟争点以外の会計に関する話題や都の監査関連でも燃料を投下しつづけるでしょう。また暇空さんがColabo側の発言を名誉毀損として訴えることもありえます。
自然発生的な炎上の場合は話題がなくなって沈静化するのを待つことができますが、本件はそれもできません。暇空さんは意図的に炎上を起こしているからです。上記の私の仮説が正しければ暇空さんは天才的な嗅覚を使って燃えそうなネタを探し、定期的に供給し続けて炎上させ続けます。前述のように炎上への対処法は基本的になくて沈静化を待つしかないのですが、それもできないならばダメージコントロールするすべがありません。
そもそも暇空さんは訴訟をずっと誘い受けしていました。訴訟が起きればその内容を実況することにより炎上を継続できます。訴訟したこと自体Colabo側の戦略的ミスです。仮に裁判の結果Colabo側に不利な事柄が裁判所によって1つでも事実認定されてしまったら「共産党と強いつながりのある」という二つ名の代わりに「司法によって○○の事実認定された」のような二つ名が使われるようになるでしょう。
ではColabo側はどうすればよいのか。私が思いつくのは2つあります。しかし1つは他力本願で、もう1つはおそらく仁藤さんはそういうことをしないでしょう。
1つ目は暇空さんの敵失を待つこと。暇空さんがそれ以上炎上ネタを提供できなくなれば沈静化待ちで逃げ切ることができるかもしれません。
もう1つは全面降伏して温泉むすめ炎上を謝罪すること。実は暇空さんとして出されたら最も嫌な手はこれだと思います。彼は彼が自分に課しているルールを逸脱することはないと思われるので、これをされたらそこで手を引かざるをえないからです。まあ、多分これは選択したくないからという理由で選択されないと思いますが。
仁藤さんは流石にもうそろそろ勘弁してくれって言いたいと思うんだよね。
Colaboにまでケチ付いちゃってるけど、何だかんだでColaboを維持しなきゃいけないわけで焦って対応したらボロがさらに出ちゃって火に油注ぐみたいな感じになっちゃってるもん。
ぶっちゃけさ、今ごろ仁藤さんは温泉むすめの件について失敗を認めてるよ。やりすぎたと反省してるんじゃない?
ノリなのか、勢いなのか、生来持ってた癖なのか、誰かに乗せられたのか知らんけど、偶然目に入った温泉むすめに攻撃した形になっちゃってさ、その当初は良かったけど、まさか狂人がミラーリングしてくるなんて思わないじゃん。
2000年以降オタク趣味が一般化した世代が増えてることに気付いてなかったんだろうけど、いや何なら2000年以降のオタク趣味が一般化した世代が既に子供でなく知識と経験を積み始めた大人であることへ気付いてなかったんだろうなって感じるよ。
フェミニストを自称しているわけでないけどさ「女性の権利は大事です」って言われたら「そりゃそうだ」って2000年以降のオタク趣味が一般化した世代の大人たちは返してくるよ。子供じゃないんだから。
仁藤さんは大人へ対して手法はどうであれ圧力を掛けたんだから大人はその知識と経験を持って圧力へ対抗してくる可能性は十分にあるんだよ。相手はアニメや漫画を楽しんでキャッキャ言ってるだけの娯楽に飢えた子供じゃないんだよ。大人なんだよ。
仁藤さんを支持していても支持していなくても大人の皆さんへ純粋な気持ちで1つ質問しようか?たぶん殆どの大人は純粋な気持ちで「そりゃそうだ」って返すと思うよ。
「表現の自由って大事だよね?」
女性の権利も表現の自由も大事なんだよ、そして分別つく大人ならば誰しもが「そりゃそうだ」って純粋に返してくるんだよ。
フェミニストの皆さんだけが分別のつく大人じゃないんだよ。
仁藤さんは大人だよ間違いない。
事業として女性支援やってるし、揶揄したいわけではないけれど民事訴訟って方法を選ぶことが出来る立派な大人だよ。
大人ならばわかるだろう、相手も大人なんだ、クリエイター支援をしたりクリエイター自身だったりするし、そして状況に合わせて民事訴訟って方法を選ぶこともできる立派な大人なんだよ。
正直、仁藤さんと暇空の喧嘩を見ていてさ言いたいのは「2人とも互いに謝れよ」なんだわ。
大人だろ?やっちまったことは消せないけど互いに誤って矛先おさめろよ。
お前らの喧嘩、女性支援にもクリエイター支援にも何も役立たないんだわ。
このエントリ、何も整理せず頭に浮かんだこと書きなぐったエントリだけどさ「2人とも互いに謝れよ」って意見に「そりゃそうだ」って言ってくれる人が多く居ることを願ってるわ。
あぁ・・・そうなのか。ブコメで皆さんの意見を読んだ。
仁藤さん、そして暇空。お前らこの争い最後まで本当に辞められないぞ。
支持者もアンチも野次馬もあなた達の闘争を望んでて、失っても良いと割り切っている暇空に対して失うものが多い仁藤さんは勝っても負けても何か非常に大事なものを失うことになる。
ワンチャンそうだそうだ辞めようぜってなることを期待していたわけだが、闘争を続けることを望まれるなら、どう考えても今後Colaboの活動には支障が出る。今後支援してもらえるはずだった女性が最低1人は減る。
闘争を続けろと言っている支援者もそれを望んでると言って良い。ある意味で大義名分を得たな。自分で辞められない戦いの大義名分だ。
女性支援しようって人が何でこんな風になってしまったんだろうなぁ。
それに賛同する人たちが何でこんな風になってしまったんだろう。
誠実な態度としては、萌え絵はだいたいエッチだし、女性専用車両は性差別だし、アファーマティブアクションも差別だけど、それを認めた時に「誠実で偉い」って褒めてくれる奴なんか一部に限られるんだよね。
まあ一言褒めてくれる人は若干いるかもだけど、別に味方にはならない。
社会の大多数は、「エロと認めたのか。だったら萌え絵はゾーニングすべきだな」とか「差別と認めたか。あらゆる差別は許されないから女性専用車両はもアファーマティブアクションもなくせ」とか、大義名分で殴ってくるし、大義名分が向こうにあるから味方してくれる人は少ないし、全然いいことないんだよね。
俺は発達障害気味だからか、この辺の機微がわかんなくて「いや明らかに萌え絵はエロいし、女性専用車両は性差別だけど、どっちも現代の世の中では大っぴらに存在すべきだろ」って誠実に言ってきたけど、ようやく、健常な社会はそんな風に判断しないってわかってきたわ。
「誠実に悪さや欲望を認めて偉い! でも悪なので攻撃の手は緩めないぞ、神妙に沙汰を待て!」ってなるだけで、全然いいことないわ。
人類の英知の結晶であるはずの国連とか各国の政府や省庁だって、「人権は譲ることができない権利であり、あらゆる差別は許されない」みたいな非現実的な大義名分をいまだに真顔で振りかざしてる。
人権同士の衝突と必要悪としての差別がこれだけ発生してるのに、致命的なダメージを与える「人権尊重、差別反対」って武器をみんな握ってるせいで、誠実な議論とすり合わせなんてできない。