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2014-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20140330233131

こういう論議の時に必ず出てくる「努力」論。

努力」って何?

努力」という曖昧偶像洗脳で盲信させられてしまった結果が今の社会を作ってしまっていると私は思っている。

それは人の妬みや僻みや憎しみしか生まない。

努力」をしていないと誰が判断評価できるのか?

基準は何?誰がその基準を決められる?

相対的な量で誰が誰より「努力」しているしていないなど言えるものなのか?

人は皆同じ生き物で平等もの

何を持って絶対的な「努力」と言っているのかわからないが、

それをしていない者は死ねという感覚が正に格差社会の狂った人間感覚のもの

人を憎しみ足をひっぱりなんでもひとのせいにして

徹底した個人主義で損得だけで物を考えるくせをつけさせてしまった自由主義の末路がこういう人間ばかり生んでいる。

それが今の日本社会

2014-02-22

3回転を飛ぶ偶像が為した奇跡浅田真央選手オリンピックラストダンスに宿った神。

浅田選手の渾身のFP、本当に感動しました!

世界中から賛美の声が集まっています

浅田選手といえば、子供のころから活躍し、その純粋さ無垢さ天真爛漫さで、日本国民を虜にしました。

ところが、いつからだろう、彼女の表情は曇りだしました。

今回のオリンピックも、曇った表情、思いつめた発言、見ていられないほど追い詰められていました。

SPが大失敗に終わった後、彼女は「なにもわからない」と答えています

もう3回転アクセルを飛ばないでいいという声も、ありました。

彼女スピンステップ、いろいろな武器を持っています

3回転アクセルは今や、飛ぶ必要のないジャンプ

浅田選手ほどの技術を持っていれば、ほかのジャンプステップを磨くことで、他にも金メダルへ到達する道はあったはず。

それが、ファンやマスコミ日本国中が「飛べる!」と望みをかけたがために、彼女は3回転アクセルに呪われました。

羽生選手は、FPで何度も失敗をしました。それでも、彼自身の話す、「絶対に飛んでやる」という気迫が、最後まで見て取れました。

ロミオとジュリエット悲劇ですが、その悲劇物語と相まって、何度うまくいかなくても諦めないという

結果的にはある種すばらしいプログラムにすることができていました。

それは彼の話した「自分の中にいるオリンピック魔物」との戦いでもあったでしょう。

羽生選手の一番のライバル自分自身の影でした。これは羽生選手に限らず、多くの選手が戦っていたものでした。

一方の浅田選手は、抽選順が決まったとき記者会見でもアメリカ記者に突っ込まれていたのですが

3回転アクセルが「飛びたいジャンプ」ではなく「飛ばなくてはならないジャンプ」になってしまっていました。

日本から、「3回転」「3回転」と言われ続け、飛べないときも飛びたくないときも飛ばされ続け

それが「存在価値」と言われ続け、思い込み、転倒し続けました。

常識的に考えれば、飛ばないという選択肢もあったでしょう。

だが、良くも悪くも浅田選手は、無垢です。

自分の中で、飛ばないという選択肢を導き出すことが、彼女からこそ、できなかったのです。

そして3回転を飛ぶ偶像になり、笑顔は消えていきました。

浅田選手の心を支配していたのは、3回転の呪いだけです。オリンピック魔物すら近寄れませんでした。

空っぽになった自分と戦う必要も、もうないのです。

ある種の思考停止状態のなか、それでも、強迫観念に似たものに突き動かされ、ただ、飛ばなくてはならないのです。

そして、飛んだのです。

FPが終わった直後、浅田選手は点を仰ぎ、涙しました。

あのような深い慟哭を、あの愛らしかった少女が、あんな慟哭をするとは、それほどまでに呪いが深かったのだと、思い知らされました。

うれし涙ではない、あれは慟哭です。

深い哀しみの底から赦された、開放感から来たものです。

できた!!!!!飛べた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

自分生活のすべてを、人生を、人質にとられ、あらゆるもの犠牲にし、最愛の母も亡くし、それでも、強いられ、休むことも辞めることも赦されず

真央ちゃんなら大丈夫!」「真央ちゃんならできる!」という無責任な期待を背負わされ、日本から呪われ、

初日で大失敗をし、呪いの底で押しつぶされている彼女は、恐ろしいことに、それでもなお、泣くこともできず

その彼女が滑りきったからこそ、慟哭したのです。

浅田選手はまちがいなく、偶像でした。

私たちの、悪意ある無責任な期待を、背負わなくていいのに背負い続け、滑ってくれてました。

自分意思とはまともに向き合うことを必要とせず、ひたすら耐え、為しました。

これは、ある種の奇跡であったことと思いました。あの慟哭は、あのシーンは神がかっていました。

でも、奇跡が起こったこと、それこそが、彼女が最も一途で、最も純粋な証拠で、だからこそ日本国から愛されのでした。

日本中が望んでいた、かつての、無垢な笑顔を見せる浅田選手

この呪いから、なんと、自らの手だけで、解き放たれたプリンセス

しかったです。強かったです。

そこは、メダルはないけれど、黄金に輝き続け、「おめでとう」という言葉けが響く世界です。

おめでとう、浅田選手

2013-12-09

秘密保護法制定により分裂していたキリスト教派が合同団結

クリスチャン新聞が伝えた報道によると、特定秘密保護法の制定は、分裂していたキリスト教の教派を、結果的に団結させ共同行動の実績を作らせた。

日本ホーリネス教団と基督兄弟団は、いずれもプロテスタントキリスト教分派教会の団体であったが、双方は教義実践方法をめぐって対立し、戦前キリスト教弾圧戦争協力強制の対応をめぐって分裂していた。

しかし、ホーリネス系の両教団は、戦後戦争責任をめぐって検証と総括・反省が行われ、和解がすすめられていたところ、特定秘密保護法の制定が結果的に、両者の和解・団結を加速させ、共同行動をとらせる契機として働いた。

国家公務員の中には少ないながらもホーリネス信者がいるし、その家族の中にもホーリネス教会員存在する。彼ら・彼女らは、秘密を守ることによって多くの人の生命財産を奪うことを知っている場合秘密を守る行為自体がキリスト教義上の罪となるから秘密暴露するなどして奪われようとしている生命を守り、自らの信仰最後まで全うしようとするだろう。そして、ホーリネス系教団の人たちは、告発である信者を擁護するため、国家から弾圧に対し、これまで以上に抵抗するだろう。

その意味で、特定秘密保護法不正常な制定によって、国家秘密保全するという当初の目的は、かえって実現困難になったといえよう。

政府はおそらく、公務員思想の調査をこれまで以上に徹底して行うだろうが、だとすれば、そのことがかえって保護法に対する世論の反感を招き、思想差別に対する抵抗も大きくなり、公務員法令順守意識を低下させるという悪循環を生むことになる。政府秘密保護法対応は、確実に手詰まりに向かっている。

 

 日本ホーリネス教団教団委員会基督兄弟理事会11月26日、「特定秘密保護法」制定を危惧する共同声明安倍首相に出した。両教団は戦前日本基督教団第6部・第9部に属し、1942年治安維持法違反に問われて牧師が一斉検挙され、宗教団体法により教会が解散させられるなど、日本プロテスタント史上最大の弾圧を受けた。その経験から、「本法案が戦前治安維持法に劣らない危険性をはらんでいる」と重大な危惧を表明。戦前治安維持法同様、①「国益に反する」と見なされた思想信条が抑圧される危険、②言論・表現の自由が抑圧される情報統制危険を指摘した。

 治安維持法は25年、共産主義革命運動等の取締り目的に制定されたが、41年の全部改正で「国体の否定」という内心の思想を取り締まるものに拡大。この流れの中で、キリストが再臨し王として治めると強調したホーリネス系が同法違反に問われた。特定秘密保護法案は、防衛外交特定有害活動の防止、テロリズムの防止の4分野が対象とされるが、秘密定義や範囲があいまい政府恣意的に「特定秘密」に指定でき、第三者が検証する仕組みが欠如している。「これでは、時の権力が『国益に反する』と判断すれば、思いのままに拡大解釈することが可能であり、憲法思想良心信教の自由という基本的人権の根幹を脅かす」と危惧を示した。

 また、言論・表現の自由国策に沿った範囲に押し込められていた戦前の体制では、治安維持法不敬罪等が取材・報道出版等の言論活動や国民生活を萎縮させていた。

その結果、国民権力暴走に歯止めをかけるすべを失い、無謀な戦争遂行へ駆り立てられていった。処罰の対象や範囲が公開されず重罰が科せられる特定秘密保護法案も、

言動を自粛させてしまう恐れが強いと予想。「言論・表現の自由を無力化・無意味化させるこのような法制は、この国をもう一度、息の詰まるような情報統制国家に逆戻りさせることになりかねません」として、戦時中キリスト教会自己規制し、

偶像礼拝である神社参拝や「平和福音」を歪めて戦争遂行に加担した罪を悔い改めた立場から、二度と同じ罪を繰り返さない決意を表し、戦前情報統制に類似する危険性を持つ特定秘密保護法案に断固反対し、廃案とするよう強く求めた。

 基督兄弟団と日本ホーリネス教団の前身は、1933年に分裂。戦後50年を機に両教団が戦争責任を表明したことをきっかけに、共同で歴史検証に取り組むなど和解の実を結んできたが、共同声明を出すのは初めて。

(クリスチャン新聞 2013年12月8日)

http://jpnews.org/pc/modules/xfsection/article.php?articleid=2567

2013-10-12

田村ゆかりは何故「姫」でありつづけるのか

王として国を統べる器かどうかについて、民衆が何を以って量るか。

それには一にも二にも無く「国民にどれだけの愛情を注げるか」ということではないだろうか。

田村ゆかりには何故、こんなにも熱狂的なファンが存在するのかについて、突き詰めて考えてみたが、

彼女が「姫」たる器を十二分に備えているからではないかという結論に至る。

彼女ラジオを聴き、コンサートを観て、その他イベントに参加して何故こんなにも心地よいか

それは我々が彼女に「愛されている」という感覚が実感できるからに相違ない。

彼女はファンを、王国民を、決して置いて行ったりはしない。ないがしろにはしない。

しかし、彼女のそういった振る舞いの中に、白々しさはないと感じる。それは何故か。

無論、そうやってファンに接する(接しようとする)アイドル声優は他にもたくさんいるだろう。

「私は応援してくれている人達に、精一杯の愛情を注いでいます

そんな風にいう言葉に、きっと嘘はないのだろう。

それは、確かな一つの王国であり、偶像信者幸せ関係がそこにはある。

けれども、楽園は泡沫。あまりにも儚く、崩れ去ることが多い。

それには様々な事情があるけれども、それはそういうものだし。それでいい。


だが、田村ゆかり抗う

田村ゆかりさんじゅうななさいは抗う

その時を少しでも長く、少しでも多く、人々の期待に応えようと、

十数年ずっと走り続けてきた。

それは、知らない人間からみたら滑稽に見えるであろう。

でも、田村ゆかり王国民がいる限り、期待に応え続けるだろうし、

王国民は姫に忠誠を誓い続ける。

愛されたい。

許されたい。

姫は愛してくれている。許してくれている。もうずっと。

声優アイドルスキャンダル炎上している傍らで、

ロイヤルウェディングですよ、などと言われているのは、

姫がずっとずっと王国民に愛情を注ぎ続けてきた実績があるからだ。

こんなに愛してくれた姫に対して、

王国民はどうして彼女自身が幸せを選びとるの障壁となることができるだろう。

仮に、田村ゆかりが「結婚します」という告白をしたとしても、

今まで我々の目の前にいた彼女を白々しくは思わない。

田村ゆかりは姫としてそれだけのものを積み重ねてきた。

そんな姫に「世界一かわいいよ」ということに何もおかしいことはない

http://anond.hatelabo.jp/20131011090217

2013-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20130916120057

どのみちセックスしないんだから、生身である必要性なんて無いだろ。

永遠に老いることもないんだし、初音ミクのほうがアイドルとしては優れいているだろ。

CG技術と、音声合成技術が発展すればアイドル凌駕する物として期待されている。

 

彼女にするなら3次元偶像にするならバーチャルでいいだろ。偶像なんだから

彼女偶像区別ぐらいつくわ。現実と非現実区別ぐらいつくわ。

2013-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20130520234925

横だが、性癖偏差値というのがあってだな...

(見るに堪えないので削除)

63 搾乳 近親相姦(母子) 薬物 幼女妊娠(腹ボテ) 乳幼児 ケモショタ 下手な絵(独特の画風?) 虫姦 植物姦 拷問(出血、流血レベル)

62 人外(娘ではない) 触手 欠損(身体) セルフフェラ 幼稚園児 洗脳(異種姦によるもの) 異種姦(謎生物) 単眼 デフォルメ 

==========正直無理==========

61 尿道責め スカトロ小(飲む) 鼻フック 障害(身体) 母乳 人外娘(原型ほぼなし) オナホ妖精人形 自分(鏡、写真鑑賞) 食ザー 

60 妊婦 髪コキ よだれ ふたなり ケモノ(人型) 臨場ごっこ(ググれ) 異物挿入(野菜など) 異種姦(怪物) 偶像(銅像など)

59 未亡人 腋コキ 生理用品 »16(デスタムーア的な?) BL 幽霊

58 おもらし(人前) 小学生(低学年) 催眠 生理中 孕ませ 寝取られ 洗脳 巨大娘(ビル程度等) 拷問(出血を伴わない)

57 視姦 露出 女装 見てるだけ デブ専 軟体 性転換 男の娘 メカ系 獣姦 ショタ スカトロ小(見る) 近親相姦(父娘)

56 痴漢 盗撮 中学生 剃毛 青姦 逆レイプ 乱交 トイレ姦 強姦 アヘ顔 体格差 ナレーション 空中姦(スカイダイビング)

==========リアルどん引きされるレベル(この辺りから境がなくなる)==========

55 百合 ふんどし 拘束 イラマチオ ロリ巨乳 熟女 近親相姦(兄弟姉妹) ロボ娘 筋肉娘(戦士娘) 小学生(高学年) 人外娘(ほぼ人型)

54 SM オナホール ヤンデレ 罵倒 エルフ ロリババア 人妻 異物挿入(ローター等) 赤ちゃんプレイ 女装(自分が)

53 腋 体臭 靴 アナル ふくらはぎ 言葉責め ケモノ(耳尻尾程度) 鼻 セクハラ発言

52 スマタ 足コキ 尻コキ 綺麗な歯 汚れた下着 天使女神

51 のぞき ストリップ 顔射 ぶっかけ 魔法少女 主従関係

50 高校生 手コキ 処女 中出し

49 パイズリ 巫女 ネコミミ

48 見えそうで見えない 方言

47 靴下 声 めがね

46 ガーターベルト ニーソ パンスト 

45 ブラジャー パンツ ふともも 尻 脚 おっぱい

番外 無生物(文房具等) 自然災害 宇宙 観葉植物等(普通の) 埋葬 音響 高所 広・閉所 鏡に映った何か 聖なる物 死(死そのもの) 爆発、炎上(非対人) "

ケモショタで63、ケモノ(人型)で60だから、まぁ結構高いんじゃないの?

2013-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20130131230732

これを読んで本田透萌える男』の一節を思い出したので、紹介しておく。

かわいらしいキャラクターに胸をときめかせて癒されるという萌え文化の源流のひとつは、アイドル文化にある。70年代から80年代にかけては、空前のアイドルブームが存在した。しか写真週刊誌の隆盛によって、生身のアイドルキャラクターを演じきらせることは困難になる。三次元アイドルが次々と彼氏とのデート現場などのプライベート写真撮影されてキャラクター性を喪失させられるという構造が完成してしまったのだ。

かつて、アイドルファンの間では「アイドルトイレいかない」「アイドル処女である」という信仰めいた定説があったが、情報過多な現代では、生身の女性であるアイドルにそのような偶像性を求めるのは困難となった。そのため、三次元アイドルに代わって二次元キャラクター萌え対象として選択されることが多くなったのだろう。二次元であれば、写真週刊誌プライベート暴露される危険はない。

引用本田透萌える男』(ちくま新書2005年)p.33

これで二次元に行く男がまた増えるのだろうか。

AKB48峯岸みなみにみる、アイドルに対する完璧ダメコンについて

友達AKBオタのここ最近アップダウンっぷりにちょっと呆れてたんだが、

丸刈り会見みて、あまりにも完璧ダメージコントロールに戦慄したんで、

このトンでもなく黒いショービズ界のアイドルに対する非人間的扱いも含めて、軽く。

まず、週刊文春AKB48峯岸みなみと、GENERATIONS白濱亜嵐とのお泊まりがすっぱ抜かれる、

ってのがあるけど、これどう考えても事務所が抑えきれなくなったって話で、

徐々に対策してるのが見て取れる。

秋元康が「恋愛禁止とは言ってない」 →12/1

http://news.livedoor.com/article/detail/7198155/

高橋みなみが「恋愛禁止はおかしい」→1/30

http://www.youtube.com/watch?v=-jbgnAG8jE0#t=178s

週刊文春発売 →1/31

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2306

んで、丸刈り謝罪会見 →1/31

http://www.youtube.com/watch?v=UlzrIgacADU

これなー、たぶんギリギリまで事務所かばおうとしてたんじゃないかな。

彼女が可哀想って言うことじゃなくて、「アイドル」としての利用価値として。

具体的に言うとCMとか、企業タイアップとか、超具体的には「峯岸みなみ」の価値がたぶん金額で出てる。

ただ、俺の友人であるAKBオタの様子を見てても、1/30の「恋愛は応援されない」云々は、

ハッキリ言って発狂を促す効果しかなかったみたいなんだよね。

ものすごくソフトな言い方すると、「じゃあ辞めれば」という。

で、あまりといえばあんまりにもフツーのオタの反応見てさ、事務所も腹くくったんでしょ。

たぶん最悪の場合刑事で引っ張られる要員準備して。

(傷害や強要にはたぶんならないけどね。本人が自分でヤッタって言い張るだろうから

AKB峯岸みなみ」には、フツーに億の価値があるわけだろ。

ってことは、引退は本人が望もうがおそらくあり得ないし、

かといって、飛ばせるほどポジションが軽くもない、

なので、もしかしたらソフトにいけるかなーという淡い期待も込めて小出しにしつつ

CM他で、企業イメージを崩さないように

「遊んでるんじゃなくて、結構真剣恋愛もしたい普通女の子なんだよ?」という色をつけつつ

丸刈り会見で落とすと。

秋元康恋愛禁止言ってねえ云々は元々色々あるんだろうけど、この流れは見事すぎるだろ。

だってさ、どう考えてもこのご時世で、女の子丸刈りしてYouTubeでてりゃイジメしか見えんだろ。

この丸刈り会見を無視して、週刊文春にだけ触れるメディアは絶対に居ないだろ。

てことはだ、「恋愛禁止はおかしいとおもう」→「週刊文春が原因」→「丸刈り会見」の流れで、

『いや〜、峯岸みなみって子は、アイドルとしての自覚が足りないんじゃないですかね?』とかい

コメンテーターが出てきたら俺は無条件でそいつのファンになるよ。

でもな、有吉レベルでもこりゃ無理だろ。

どう考えても峯岸みなみは叩けない。構造的にムリ。

これで峯岸叩くヤツは人間じゃないよ。

何をどうしたって秋元康含めて運営側フルボッコの流れ。

んで、この後の流れは「カウンセラーへの通院も含めてバックアップしている」とか運営発表が出て、

どんなにゲスワイドショーでも坊主頭女の子の練習風景おっかけて叩く流れにはならんだろうし、

髪が生えてくるころ(半年〜1年くらい?)に、禊ぎを終えたっつって戻ってくるだろ。

パーフェクトなダメコン。

……でもな、これって峯岸みなみって言う20歳女性にして良いことなのか?

金銭的価値があるのは判る。

アイドルトイレに行かないとか、恋愛しないとか、そういう偶像を商売にしてるのもわかる。

でもな、やっぱ基本的人権すら守られていない感じがするこの対応だけは、許しちゃいけないんじゃないか

いくら本人が叩かれても、莫大な損失を抱えることになっても、越えちゃ行けない一線だったんじゃないのか。

もう刈り上げちまった髪は戻ってこないけどさ、

AKBのファンだけは、ここまでさせちまった責任を感じて、戻ってくるまで応援しろよ。

2012-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20120812090710

どこで「間違っていることを説明」できてるの?

あなたは他の作品の話を出したりして話逸らそうとするのは一生懸命だけど、

私の説明に異議があったならその時にその文を引用して具体的に

「ここに異議アリ!」とやってください。

からなんとなく「出来てない」と言われてもどこに不満があったのかがわかりません。

客観性がないとか奇形だっていう指摘のあたりは全然論破できてないし。完全に開き直りw

客観性がない」というのは初めて聞きましたがおっしゃる意味が良くわかりません。

奇形的だと言うのは私は賛成したと思います

それはそう思う。

オタクとか性欲剥き出し男向けの作品の類が叩かれるのって結局はそういう自分勝手でいい加減なところが気持ち悪がられてるからだし。

えーとつまり

『私モテ』が特別気に入らないのではなく

オタク向け作品全般が気に入らないだけですか?

>例えばイギリス人イタリア人のフランス人アメリカ人の皮をかぶった日本人なら出てきます

どこに?w

代表的なところで

1部、5部、3部(5部)、2部

荒木飛呂彦が考えた話だから登場人物の中身は全部荒木飛呂彦日本人だ」というのは暴論だし私はそんなこと言ってないw

登場キャラは「英国紳士」や「イタリアンマフィア」の皮をかぶっています

彼等のスタイル思考回路や好悪の感覚正義、怒り…は本物の英国紳士マフィアのものではなく

荒木飛呂彦や私達でも理解や共感が出来るものになっています


また、荒木イタリアに興味や憧れを持っていると言っても

荒木自身が一番長時間浴してきたのは日本社会であり日本文化ですので

あなたがいう「もっとリアルになるように描き直すべきだ」をあてはめるなら

JOJOは全部の舞台日本に、主人公を純日本人にすべきでした。

それが通用するのはむしろジョジョキャラじゃなくて『私モテ』の主人公だし、それはかなり異様なことだよ。

「異様」という新フレーズが出てきましたが、これまでの類語です。

「気持ち悪い」「ちゃんとしてない」「まともでない」「真っ当でない」「超勝手」 +「異様」。

これらはあなた感覚と違うということしか説明しない単語で、

『私モテ』があなた感覚に合わないことはもうわかっていることです。

「私の感覚に合わない」以上のことを言いたいなら論理的な言葉を使ってください。


荒木飛呂彦岸辺露伴吉良吉影について、

「これこれこういう状況に陥った時『彼らなら』どう考え行動するだろうか?」と想像し描くことが出来ているだけ。だからリアリティがあるの。わかる?

荒木飛呂彦思考回路や拘りをそれらのプロフィールや状況に当てはめているわけです。

あれは要するに…「荒木飛呂彦独身殺人鬼ならどういうポリシーを持ちどう行動するか」というエミュレーションです。


『私モテ』作者は智子について

自分思考回路や思い出(主に駄目なもの)を女子高生というプロフィールや状況に当てはめているわけです。

あれは要するに…「私モテ作者が女子高生ならやっぱりこういう駄目な生活になるだろう」というエミュレーションです。


(また、ちょっと話が脱線しますが、

 荒木作品のキャラクターって「こんな人居る居る!」感っていうのはあんまり無いんですよね。

 独特の濃い思考回路の持ち主ばかりで、どこか共通の風合いがあり、あれは荒木人格のいろんな角度の像です。

 荒木ファンが荒木飛呂彦本人を偶像化して憧れるのは彼こそがJOJOやDIOの中身だと知っているから。

 あなた荒木以外の作家を持ち出した方がこの場の議論にはまだ良かった気がします。)


『彼らなら』がかけ落ちてるのが『私モテ』。彼らじゃなくて『俺なら』で通そうとしてるのがあなたの大好きな作品なんだよ。そうでしょ?

どうでもいいですが、私は『私モテ』が好きだなんて言った覚えは一度もありません…。

『俺なら』で通すなら『俺』をそのまま描けば良いのに、そこを(『俺でない誰か』を、でなく)『俺でない誰か』で描くのは不誠実だし超いい加減。

>「描けば良いのに」「不誠実」「超いい加減」。

意味のわからない言葉がまた出てきました。

論理的な言葉を使ってくれないと「私は気持ち悪いと思う」から踏み出した議論になりません。

しかもその『俺でない誰か』と『俺』との乖離はかなり著しいときたらかなり自分勝手じゃん。美醜を差し置いても男を女にするのって相当な飛躍だよ。

>「自分勝手

意味がわかりません。

相当な飛躍だよ

エンターテインメントフィクションに対して「甚だしい飛躍」は褒め言葉です。

主人公が女でなければ描けない、女でなければリアリティが出ない説得力を持たせられないものを描くために主人公を女にするならまだ意味があるけど、『私モテ』はそうじゃないじゃん。

不誠実でいい加減で自己チューって終わってるよ?

>「不誠実」「いい加減」「自己チュー」

意味がわかりません。

売れるなら何をやってもいいっていうわけじゃないんだから、叩かれたってしょうがないと思う。

>「叩かれたってしょうがないと思う」

意味がわかりません。

あ、アナスイの例とか出すのやめてね。アレは男女チェンジがどうこう以前に『俺』でない『彼ら』のひとりだから前提から違っちゃう

別に持ち出す気はありませんでした。

それを持ち出すぐらいならまずジョリーンや他の女囚別に女性的でもないことを持ち出します。

あなた論理を六部に当てはめれば

主人公が女でなければ描けない、女でなければリアリティが出ない説得力を持たせられないものを描くために主人公を女にするならまだ意味があるけど、

 『ストーンオーシャン』はそうじゃないじゃん。」

となります別に男性刑務所で良かったですよね。

またあの刑務所内エピソード元ネタ本の著者も男性元服役囚です。


感情の経路って何のこと?

この作品の欠陥はもうかなり指摘されてるよ。それがわからないってこと?

残念ながら。

あなたがすごく気持ち悪いと感じていることはよくよくわかりましたが

客観的な基準での「欠陥」は全然指摘されていないと思います


客観的な批判をしたいならまず

「気持ち悪い」「ちゃんとしてない」「まともでない」「真っ当でない」「叩かれたってしょうがないと思う」

「超勝手」「異様」「自分勝手」「不誠実」「いい加減」「自己チュー」「終わってるよ?」

というような非論理的・感情的主観的な言葉を使うのはやめるべきだと思います

大学レポート卒論で何かを批判するとき、このような言葉を使ったか思い出してみてください。)


誰かのトラバだけど

ttp://anond.hatelabo.jp/20120810111827

ttp://anond.hatelabo.jp/20120810114117

この前後のやりとりがすごく上手く説明してると思ったからこれで代弁w

まず、

かなり長くやりとりをしてきたのに

論理的な説明を自分ログから出せずに他人のものを引くあたりに

あなたの議論姿勢問題点を感じ取ってください。

次に

喪男中心の価値観に基づいて作られた作品は全てが喪男を喜ばせる方向に動いている。

しかしそれは非喪男存在をないがしろにするということでもあり、それは不当なこと。

から不快を催させる。

…本当にこれでいいんですか?

「不当」というのは論理的な言葉です。

「気持ち悪い」「いい加減」というふわふわした言葉連呼よりは手ごたえがありますが、

喪男中心の価値観に基づいて作られた作品は全てが喪男を喜ばせる方向に動いている。

しかしそれは非喪男存在をないがしろにするということ

1行目と2行目が繋がらないと思います

例えば「作品」のかわりに「社会」であれば1行目と2行目は完全に繋がりますし、

そのような社会は間違いなく不当です。

個人的に私だってそんな怖い社会に住みたくありません。


が、「作品」と言い出したら、そんなもん、購読者の絞り込みでしかないと思いますが…。

「全てが喪男を喜ばせる方向に動いてる作品」は喪男以外の人が期待読者層から排除されているかもしれませんが、

排除された人達にはそんな喪男向けコンテンツなんか以外の無数のコンテンツが用意されています

ないがしろにはされていません。


あなたがたのこの論理

レディースデーやってる映画館は男をないがしろにしてるので不当」とか

CanCamは全て女性を楽しませる方向で誌面が作られてるから不快みたいなレベルですよ。


挑発意図はないんだけどw

あ、またつけちゃった。でも本当に煽ってるわけじゃないんですよ。

ただ単に可笑しいだけ。

私はあなたの怒りや苛立ちを誘おうとしていないのに

あなたがそういう感情に囚われているのを見るのは心から残念です。

可能であれば楽しく、それが出来なくてもせめて静かな心でお話がしたいと思います

非難されるべき理由は私もこれまで書いてきたけど、そもそもでっち上げるまでもなく大元増田記事が大体指摘してくれてますよ。

これまでの所あなた達が書き得たのは

「気持ち悪い」という感情の話か

レディースデーは男をないがしろにしてる」レベルの”論理”です。

「許せない」というのは元増田の言だけど、こういう感覚的な感想は当人の自由だし軽視される謂れとかないよね。

感情は尊重するし自由だということを私は繰り返し書いてると思います

ただそれ以上のこと、「客観的にこの作品は批判されるべきである」といった主張をするなら

論理性が足らない(というよりほとんど無い…)と感じます

逆になんであなたはいちいち私に反論したがるの?

好きな作品が叩かれるのに耐えられないんじゃないかなとは思うんだけど、でも非難されるべき理由というか要素は全部認めてますよね。

「非難されるべき理由や要素」というのは残念ながら一つもわかりません。

あなたが気持ち悪いと感じる」ことは全面的に認めています

イジメられっ子みたいな気持ちなのかな?「いじめられるのはいじめられっ子に理由があったとしても責任は無い」ってよく言うし。

イジメとか暴力被害はそうだなって思いますけど、それと批判とをごっちゃにしてはいけないと思います

あなたは持ち出す話や例えがいちいち感情的に過ぎる気がします。

例えが議論から乖離していって自分自身が混乱するでしょうし、

議論の上で持つ必要の無い敵意やストレスを抱えることにもなります

2012-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20120702151444

ファンタジーにおける主人公の血統なんて超人的な力を使うことへのエクスキューズみたいなもんだし何で萎えるのかわからん

地球人(だったはず)のクリリン物語終盤まで頑張ってついてきてることとかミスターサタン張りぼてヒーローでありながら英雄偶像になったのに胸熱くなることはあるけど、悟空ベジータがしっぽ持ちだからって萎えるとか意味分からんやん。

と思ったけどハリー・ポッター萎えるな。

エンダーのゲームくらいまで行かないと血統ちやほや型は萎える。確かに。

アレだ、「血統(とそれに由来する能力)があって初めて辛勝できるか下手したら負ける」くらいの敵とブチ当たらないと感情移入とかないしあんまりスカッともしないんだ。

まり主人公がどうこうっていうより、「所謂『強大な』敵」が所謂まりじゃなくて本当に強大じゃないとダメ

DIOやダッキちゃんやフリーザ様やトグロくらいの圧倒的な力量差。これ。

2012-05-20

アイドル業界の功罪について】現実逃避を、今、始めよう

僕はアイドルを通じて、美少女出会うことができる。

それは、画面の中だけでなく、リアルにおいてもだ。公演、ライブはもちろん、握手会など近い距離でも、僕らは彼女らを感じられる。

日常をただ、平々凡々と暮らしていたのでは出会うことさえ、許されなかった弩級美少女に。



僕は、彼女に憧憬を好意を覚える。彼女らは資本主義世界プロダクトされた理想美少女で、彼女らはマスプロダクトされた彼女らについてのプロダクトを以て、僕に彼女らを伝えてくれる。




好きだ、大好きだ。愛してる。

僕は彼女らに恋してしまうだろう。

まるで、この世の理、万有引力に導かれるかのように。不思議な話だ。

現実世界では、近づくことさえ、許されなかった彼女らに、恋することが許される。

彼女らがアイドルになってくれたおかげで。彼女らは僕らの想いを拒絶しない。



しかし、彼女らのファンは残酷真実に気づくだろう。画面の中で、ステージで、輝く彼女らを見て。

机を挟んで、自分握手してくれる彼女らを見て。

いや、むしろ、無数にいる彼女らのファンや握手会自分の後ろに立つ係員を見て気づくかもしれない。

ああ、彼女アイドルだ。僕とは違う。と。



こんなことなら、彼女らとこうして出会いたくはなかった。

もっと自然に、もっと普通に。例えば、クラスメイトのように、近くで出会えればよかったのに。

でも、僕は気づく。もともと、彼女らは特別で、本当は、出会えなかった。

平凡な日常彼女らは現れなかった。



から僕は、彼女らがアイドルでいてくれたことに感謝しなくてはならないのかもしれない。





秋元康の罪】

今や、過熱したアイドル業界を牽引するAKB48を始めとする48グループ



古くはおニャン子クラブ時代からアイドル業界を手のうちに収める彼には、その業界を発展させたという功績がある。

そして、罪もある。



AKB48の最新曲『真夏のsounds good!』でその罪について検証しよう。

真夏のホットチューン。

この夏を代表するであろうこの曲のPVは彼が指揮したらしく個性的な設定が付与されている。

その最高指揮を執るのが、彼、秋元康だ。



軽快な曲、爽快な歌詞とは裏腹にPV物語性にはダークなものが感じられるだろう。

AKB48卒業することが予定されている前田敦子を助けようとする渡辺麻友

「もういいよ行って。行きなってば先に。私たちは私達が変わるためにここに来た」

そんな前田セリフとともにPVは始まる。



次々に倒れていくメンバー

そんなダークな情景を見せたあとに、PV青空の下で彼女らが踊るものになる。

真っ白な水着。真っ青な海と空。清々しいほどに爽やかで、それが先ほどの情景と対比される。

これほどまでに綺麗な未来が、つまり新生AKB48が生まれ得るのだと期待させる。



けれども、ここで一つの穿った見方ができる。

それはPVの終盤、渡辺前田を連れていくシーンだ。行く先は、先程、白い水着を着て、砂浜で踊っていたメンバーの下。

彼女らは白いドレスを着て待っている。

生まれ変わるなら、彼女らは前田を迎えるべきではないし、前田はそこを目指すべきではない。



渡辺もそれを助けるべきではないし、助けているということは、前田が抜けた後の新生AKB48の可能性を否定しているとも言える。

前田AKB48を抜けた後の自分の可能性を否定しているのかもしれない。



まり秋元氏は彼女らに新生AKB48の可能性を彷彿とさせるPVを提示しながら、その可能性をPVの中で否定しているのだ。

アイドルグループ予定調和でなく、突き進んだ結果であるべき、ジャンケン大会のようにガチであるべきだという秋元氏の思想とは反するようにも思える。



しかし、よく考えて欲しい。

秋元氏が栄枯盛衰などという言葉を本気で信じているだろうか。

私にはそうは思えない。

彼は、凋落したことのない、紛うことなき、この時代の寵児であり続けたし、今ではその世界の重鎮だ。

彼に単なる根性論など通用しない。



努力だけではだめだと、成功するには運も必要だと、グーグルプラスで語った彼には美辞麗句に賭された、文字通り飾り物の世界ではなく、本当の世界が見えている。

から、単純にがんばれば、努力すれば認められるというメッセージを発さないのだろう。

それは、彼の信念に反するから



そう、彼の思想はこの世界精緻に写しだしたものであるように思えるし、それに僕は同意する。

だが、この思想が彼の罪を生んだ。

まり、それは、その一種リアリティ溢れる思想、イデオロギー性を伴った作品を彼女ら、世界で認められうる美少女らに歌わせ、演じさせてしまったというところ。



僕らは、アイドルに夢を見ている。

可愛くて、優しくて。理想の異性像。文字通り偶像

そんな偶像に、僕は理想から離れて欲しいとは思わない。

小難しいことを、批判めいたことを歌ってほしくはない。



社会批判。その歌詞、そのメッセージ性は痛いほどに、僕の胸に届く。

しかしそれを彼女らに歌わせることで、彼女らは政争の具のような体裁を見せてしまう。

なんの色付けもされていない、ピュア=純真な女の子を僕は見たいのにも関わらず。



別の例では、秋元氏は純真な、つまり彼女らが思っていることを彼女らが歌っているという構図の作品を生み出すことに成功している。

それが、SKE48(KⅡ)の『お待たせsetlist』だ。



選抜総選挙高柳明音は、秋元氏にこう叫んだ。「私達に公演をやらせてください」と。

彼女らは、それまでリバイバル公演(他のチームの公演楽曲で公演する)ばかりを行い、自分たちのオリジナル公演が行えなかった。



から彼女SKE48(KⅡ)とファンの思いを高柳秋元に代弁した。総選挙の会場で熱を込めて語った。

秋元氏はそれに呼応するように公演楽曲を書き、オリジナル公演を与えた。



『お待たせsetlist』には、SKE48(KⅡ)の思い、そして、ファンの思いが込められている。その歌詞秋元氏が書いたものだが、聞く者にとっては、彼女らの気持ちそのものが歌われているように感じられる。

僕は、彼女ら=色付けされていないプレーンな彼女らを望んでいるのではないか



彼女らの想いを彼女らの声で聞きたいのではないか

そこには、如何に崇高な思想やイデオロギーであっても介在するべきではないのではないか

からこそ、僕らは秋元氏が秋元氏の思想、イデオロギー彼女らに歌わせ、演じさせることに強烈な違和感を覚えるのである



さて、散々彼の罪を述べてきたが、彼の功績は大きい。夏に控える前田敦子卒業に関して、彼はこのように述べている。



「相変わらず表現は下手だが、その分、ストレートに伝わってくる。時々見せるはにかんだ表情は、あの頃の“あっちゃん”のままだ」と。

彼女につまり、この世界美少女と認められたアイドルバイアスをかけることなく、アイドルというひとつステージ卒業させる。

そのことには頭が下がる思いだ。



さて、そのようなイデオロギー性の濃いアイドルの対極にハロープロジェクト系列アイドルモーニング娘。スマイレージといったアイドル勢がいる。

一時程の勢いはないが、それでも業界内で存在感を放っている。そんな彼女らはイデオロギーから解放されたアイドルといえる。



彼女らの歌う曲の歌詞や、日常を何の疑問も持たずに歌いこなすものであり、楽曲からさえ強い思想は感じられない。『プリーズミニスカ ポストウーマン』(スマイレージ)『ピョコピョコウルトラ(モーニング娘。)といった曲名からは、いわゆるおバカ空気さえ感じられる。



純粋な気持ちを歌っているかどうかで言えば、アイドルを眺める視点では、こちらの方が、彼女らの気持ちが歌われていると想像できる。

まさか、つんくがうぶな乙女の気持ちを持って生活しているとは思うまい





つんくの罪】

そんなつんくにも罪はある。



それは、作品そのものではなく、それらを歌いこなす際の彼女らについてである。疑問に思ったことはないだろうか。

ハロプロ女の子の歌い方は「くせ」が強いなあと。



彼女らの楽曲は、つんくが曲詩ともに担当する。48グループ秋元氏が詩のみの担当であることとの差がここに出ているのかもしれない。

よくよくハロプロメンバーの歌い方のくせを聞いていると、そのくせが似たものであることに気づくはずだ。

そう、つんくの歌い方のくせに似ている。と。



つんく自体、アーティスト時代の歌い方のくせは強いものだった。

それ自体はなんら問題がないのだが、その歌い方のくせを彼女らに楽曲提供することで一種押し付けているのではないか

ピュア彼女らの、女の子らしい歌い方を黙殺してしまっているのではないか。そう感じられて仕方ないのだ。



ここでも、僕らは嘆くことになる。彼女らの気持ちを彼女らの歌いたいように歌っているものが欲しいのに。本当の彼女らが欲しいのに。



秋元先生つんく先生!ねえ、僕らの美少女を返してよ!

資本主義に浸け置きにして、彼女らの骨を抜くのはもうやめてよ!そんな不自然美少女見たくないよ!



そんな思いにかられて、すべてに思想やくせのないアイドルを探す。いることはいるのだ。



例えば、SUPERGiRLS 

例えば、YGA 



天下のavex、そして吉本興業プロデュース。資金力も申し分ない。ルックスも申し分ない。でも、なかなか売れないのだ。



吉本興業に至っては、NMB48という48グループの力を借りて、アイドル事業に参画する始末。



ああ、やっぱり、「くせ」のない偶像には面白みが、深みが足りないのかなあ。なんて思う次第。

2012-04-04

 女性の身体の重要機能の一つは、男性を発奮させ、生殖を行わせ、人類の種の保存機能を果たすということである。したがって、基本的には、すべての女性にはそのような機能が備わっているものであるしかるに、現代においては、男性を発奮させる役割を主に担っているのは、アイドルやAV、アニメ声優である。もちろん、男性は一般的に、そのような偶像によって発奮することについて異論はないであろうと考えられるものの、それらアイドル等による発奮には種の保存機能がないのであるから、果たすべき機能を完全にそなえた女性であるとはとうてい言いがたい。

 さらに、男性は、本来であれば、発奮することによって、一般女性コミュニケーションをとることを求められ、そこでコミュニケーション能力の発達がみられるであろうところ、男性らがアイドル等を対象とするときは、そのような能力が発達することは考えられないのであるから、そうした基本的能力の発達を推進するについて、弊害がないとはいえない

2012-03-17

マスコミボカロを理解しない

ボカロの賑わいの表層部を分厚く覆っているプギャ層を観察すればわかりそうなものだが

この界隈ではプロになれなかった人たちの憧れやコンプレックスが大きな原動力になっており、

作者連中はプロデューサーごっこに明け暮れ

劣化商業作品を生み出してはプギャと一緒に盛り上がろうとする風潮が前面に出ている。

そこのところの理解がうまくいかない。

昨今のマスコミはまず「すごいプロダクト、人材ありき」でものを語る。

あいつはすごい。誰も追随できない。最先端技術

あるいは無数のユーザ達が集まって力を合わせて大きなムーブメントプロダクトアウト)を起こす。

そんな構図で界隈の動きを捉えさせようとする。

結局はある事象に対して偶像を作って崇めようという発想。

事実を伝えるのではなく、偶像崇拝という姿勢強要して共感押し付けている。

「へえ、世の中にはすごい世界があるな。勉強になるわ。これだからテレビ面白い

CGM的な界隈の盛り上がりのキモとなるのは「希望である

プロしか許されないものづくりアマチュアに許すための儀式と場。

これなら自分にもできる。のし上がれるかもしれない。

そう思わせる何かである

逆に完成されたボカロ曲を番組で紹介するのは界隈に絶望を振りまく行為しかない。

ああ、あいつらは俺たちとは違うんだ。プロなんだ。遥か先を行ってる。もう追いつけない。

俺たちの役目は終わった。

初音さんは高く、高く羽ばたいたんだ。

僕らの手の届かないところへ。

僕らは僕らで、自分の身の丈にあったステージを探そう。

さようなら初音さん。

またいつかどこかで会えるといいな。

とか言うわけないだろ。

商業の連中が初音ミクを利用するのは好きにすればいい。

もともと商業にも使えるソフトなんだから。(むしろそっちメイン?)

ていうか、いつかは俺もそっちで飯食ってみたい。

二次創作同人において誰でも手軽に「歌」を作れるようになったことは重大なイベント

初音さんをはじめとするボカロ軍団は俺と共にあって、俺の歌を歌ってくれるパートナーだ。

商業舞台でどれだけ活躍しようとも。どれだけハイセンス、ハイクオリティな楽曲が垂れ流されようとも。

決して偶像なんかでは終わらない。

2012-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20120206212031

正確には、処女から妄想する偶像のファンだ。

昔は、偶像を売ってる意識が売り手側にもあったが、最近は本当の私とか言い出しやがる。

誰も本当の私なんてクズ女なんかに金払ってねぇっての。

金払えと言うなら、しっかり偶像でいろや。

2011-12-28

anond:20111227133714

まずさーその増田からナイーブなもんまき散らしてもいいやみたいな精神性なんとかしようよ。

そのくせ問題点は切り分けられてないし、大人と子供の悪いとこ取りみたいになってるよ?

あなたの父親や周りや社会が最低だからって、それはあなた自身の問題点を解決するもんじゃないんだってば。

その上で元の日記の中で提起されてる問題について見ていくと

1.四六時中電車が混みすぎてるという問題

2.痴漢報告に対する周囲の反応の問題

3.そもそも痴漢が発生するという問題

4.増田がナイーブな方であるという問題

と、5つくらいには切り分けられると思うんだけど、

それぞれすごく深刻ではありつつも、これらを解決したら「男女別に分ける」ってことにならないと思うのだよね。

だって電車が混雑しなければ密着することもないし、周りに報告してちゃんと一緒に怒ってくれる人が多いなら、

その社会では痴漢に対する考え方も今と違うでしょう。痴漢したことで大恥をかく社会なら痴漢そのものの発生件数も減るだろうしね。

で、なんでこういうきつい書き方をするかというと、結局のところあなたは、

痴漢を避けたいんじゃなくて単に男を避けたいんじゃないかというのがひしひしと伝わってくるからなのだな。

しかもその「男」って、人間の汚さを「自分とは違う属性」に投影した上での偶像かもしれないって感じもするのだ。

---

実際のところ痴漢ぐらい我慢しろよとは言わなくても、

「んなもん自分で言えよ」ということを平気でいう女というのはいるし、

それは女同士で面と向かって言うことは憚られるから、逆に女であるが故になかなか知ることができない、というのもある。

2ちゃんねるある意味今の社会の本音でもあるからね。男女比までは分からないけれど。

あの人たちが自分立場だけ考えてめちゃくちゃに書くのは、増田がここで社会全体に考えが及ばず書き散らかしてるのと同じことだったりもする。

また、男だって人間である以上ナイーブな人間っていうのはいて、

今はただのおっさんのようだけど、かつてはそういう人たちもあなたのようにナイーブで、それを乗り越えてきたのかもしれないよ。

そもそも増田が思うほど女ってきれいな人間でもないです。

性欲にまみれた人も居れば犯罪者だってますからね。

そしてそれは若い増田が思うほど完全に別世界人間ってわけでもないのだな。

誰しもが状況次第でそういう人間になってしまう可能性があるのだよ。

(まあそれを分かっても男は嫌だというならそれはしょうがない)

---

ということを、まだ若い増田は聞きたくないかもしれないけれど、世界は残念ながらこんなもんでもある。

ただ、そういう世界も働きかけで結構変わったりもする。

若さ言い訳にしてるうちはなにも変わらないけれど、若さ武器にできればこれほど力強いものはない。

(無論若くなくたって有効な方法を考えて働きかけてやることはとても力強い)

痴漢被害を馬鹿にする奴には顔面パンチを喰らわせてやれば良い。恥ずかしさを感じたらそれを感じる必要はないか自分の強さを信じる。

そんな調子社会を変えて在宅勤務の先駆者になってやれ。そのほうがずっといいと思うよ。

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111220001346

から処女厨の言う「処女」は偶像なんだって

現実には存在しないし、したとしても自分たちが相手にされるわけないってことくらい分かってるんだよ奴らも。

2011-11-28

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

ところで、エロ年代の想像力って知ってる?ゼロ年代の想像力っていう2000年代サブカルチャー批評本のパロディ

2000年代エロアニメ批評してる本とかサイトらしいので詳しくは検索で。

最初そのパロディを知った時はすごいいい着眼点だと思ったけど、コンセプトの「未来エロ想像云々」で、自分が思ったこととは違う事に最近気づいた。

自分着眼点エロ年代の想像力というかエロ年代妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。

ゼロ年代なんて複雑すぎて無いに等しいようなどうでもいいものなんだけどゼロ年代エロアニメにまで焦点を絞ると確かに

マニアックからこそ明確な変化があると思った。しかもそれは意外に最近の傾向と関わりがある。

それはエロ年代では半ばに一つのエロアニメレーベルグリーンバニーが資金難で消えたことに象徴される。

今思うとこの会社があった頃までは火の車なのが見て取れるクオリティーが多々ある作品を出さざるをえない業界にも関わらず、コピーコピーコピーだとしても

物語エロと同じくらい随分と凝ったものが多かったように思う。だからこそ妙にシュール雰囲気に惹きつけられるものがあるとさえ思わせた。

それにそのシュールさを極めた人はエロの枠を火の車からか、意欲からか飛び越えざるをえないのかもしれない。結構メジャーな所で活躍してますからね。名前変えたり変えなかったりして様々な方面で。エロ年代は縁の下の力持ちなのかもしれませんがここでは割愛。

最近エロアニメはそういった雰囲気無視して、エロに突っ走るので本来はこっちが需要従順で正しい。それに最近美少女文化社会での浸透率の高さがあると思う。

まり、一々物語から順を追ってエロしなくても「二次元美少女」は無条件に主人公(特定の青少年)に惚れるよ!⇨(エロいとこ観れるかも!?)ということがあらゆるサブカルチャーっつーかもうメディアを通して誰にでもわかるパッケージ化した社会になったということ。

まり自分着眼点エロ年代の想像力というかエロ年代妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。

最終的にこの文脈で行くとけいおん!だってすごい。なにがすごいって「「二次元美少女」は無条件に主人公に惚れる」んだから主人公(特定の青少年)を消して「誰にも惚れない美少女」というある意味偶像の境地をパッケージ化してんだから

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

2011-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20111020144024

個人的には、昭和スポコン的偶像星野ポスト野村落合、っていうイメージ

まり野球には興味なくて、実際の落合星野もよくわからない。

2011-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20110815020235

結論から先に言う。彼らがCDを売るのは、コミケ自分のスペースを確保する名目である。本当の頒布物は、「偶像化された自分自身」である。要は「アイドル」になりたくて来ているのだ。

なら、お帰り願うの一択じゃね?

コミケはそういう場じゃないし。

あくまでも同人誌即売会であって、受け入れる「すべて」に、上に挙げられたようなのは無いだろ。

どうしてもやりたきゃ、コスプレブースにでも行けよって感じ。

歌い手クラスタコミケに現れたエイリアンな件を適当

歌い手クラスタコミケットを潰すのか

http://togetter.com/li/173853 を読んで。


結論から先に言う。彼らがCDを売るのは、コミケ自分のスペースを確保する名目である。本当の頒布物は、「偶像化された自分自身」である。要は「アイドル」になりたくて来ているのだ。

よって、サークルの周りに溜まったり写真撮影したり、握手会をしたりといった、アイドル化に必要な行為画一的に禁止しては、サークル参加者本人の最大の目的が果たされない。コミケは彼らの承認欲求を満たし、「すべてを受け入れるコミケ」でありつづけるか、古い秩序を強制し、従わない者を排除するかの岐路に立たされている。


コミケ伝統である「大手もピコ手も買専もみんな同じ。例のアレが好きな同志」という意識が、歌い手クラスタには存在し得ない。もちろんサークル一般参加者の意識格差がある状況はよくある話だ。が、このジャンル於いてはそもそも構造的に「同志」になり得ないのだ。

サークル参加者が好きなのは自分自身であり、一般参加者が好きなのはサークル参加者本人である。すなわち、サークル参加者は一般参加者の欲求を一身に背負った「神」であり、一般参加者はひたすらおこぼれをもらうだけの、只のしがない取り巻きに過ぎない。

こんな構造では同じ意識を共有しろというほうが無茶であるサークル参加者は「施しをする者」として振る舞うのが自然であり、当然のごとく一般参加者は「お客さん」化していく。

こういう構造を理解せず、あるいは無視し、単純にみんなの問題として黙殺しようとするのは、今あるコミケを守るための最善手であるのかもしれない。が、あまり保守的ではなかろうか。見なかったことにしたい範囲が大きすぎはしないだろうか。現在進行形の問題として、あるいは将来再びあり得る危機へのたたき台として、議論すべきだと考える。

2011-07-20

前田敦子情熱大陸を見た

なんか2chまとめブログとかですげー叩かれてたからどんなもんなのかなと思ってYoutubeで見てみたら意外と好感を持ってしまった。ものすごい冷静というか、全くトップアイドルと言う立場に舞い上がってないというか、そういう意味では客観性があってまともだ。けど、AKBはブームが去ったらみんなに忘れ去られるんだ、心にずっと残るような価値というのはないんだ、というある意味ではAKBファンよりAKBアンチに近い見方をしていて、しかもそれをそのまま言ってしまうというクソ正直さというのは、なんだろう、アイドル偶像と対極にある姿勢だと思う。ファンの方が怒るんじゃないだろうか。大島優子も、前田ストイックだ、みたいなこといっていて、アイドルストイックっていうのも対極だよな…と思う。いや、アイドルをやるにはある種ストイックでなければならないんだろうけど、そういうんじゃなくて非社交的な感じのストイックさだ。アンチアイドルという感じだ。

でも、だからこそ、前田敦子センターである意味というのが見出せた。

今の素人テレビ慣れしていると言う。街頭インタビューでも、よどみなく、それっぽいことを喋れるという。プロアマの垣根が小さくなってきた。

そういう時代にあって、素人よりもテレビ慣れしていない…わけでもないんだろうけど、不器用な振る舞いを見せる前田というアイドルには価値がある。等身大で。身近な。会いにいけるアイドル。まさにそれだ。AKBのコンセプトを最も体現しているのが前田というわけだ(もちろんAKBという器なくしては芸能界で生きていけないだろうけど、その時はカンボジアかいって国際貢献をするのが本人にとって一番幸せセカンドライフかもしれないよ、なんて超おせっかいな提案)。

2011-07-09

初音ミクLAライブ外国人感想その3

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミクLAコンサート「Mikunopolis」関連の感想和訳その3。今回は初音ミクを文字通りの神話ブードゥー教とか日本神話とか)と結びつけていた文章を紹介する。とはいっても生真面目なものではなくどちらかというとノリと勢いで書かれており、読むのも訳すのもそんなに苦労はない。肩の力を抜いて軽~く読むのにちょうどいい感じ。

 引用元のurlは以下の通り。

http://animediet.net/conventions/vocaletariat-at-mikunopolis-unite

+++++勝手翻訳開始+++++

ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!

 ボカレタリアボカロ階級革命だ。ボカレタリアート(ボカロ階級者)とはボーカロイドを使う人民階級であるアニメタリアート(アニメ階級者)のようなものであり、そして多くのボカレタリアンたちとアニメタリアンたちは間違いなく重なっている。ボーカロイディアン(ボカロ人)、ボーカロイディスト(ボカロ主義者)、ボーカロイディズム(ボカロ主義)。そう、ミクノポリスは確かに革命的体験であった。ミクノクラシー(ミク政治制)、ミクノクラティ(ミク官僚)、ミクノロジー(ミク学)、ミクノレプシー(ミク症)、ミクノマンシー(ミク術)!

http://mikunopolis.com/

 さて、俺がミクノポリスで期待していたのは、実は完璧ホログラムだった。つまり三次元立体画像を考えていたんだ。けど彼女スクリーンから決して出てこようとはしなかった。ステージから降り、聴衆の中に飛び込んで踊りまくることはできなかった。だから俺の期待とは違っていた。だから技術的にいえばそいつはまだマクロスプラスシャロンには及ばなかった。シャロンステージを降り、お前らと交流することができる。スキンシップできない点だけだよ、同じなのは……。

 初音ミクのようなボーカロイドは、新たなる神だ。伝統的にアイドルってのは三次元人間、つまり役者/歌手偶像アイドル)の役を演じていた。偶像彼女に憑依した時、彼女アイドルになる。それが演技という概念だ。日本語で演技はhaiyuu(俳優)と言い、その本来の意味は「神に憑依される」というもの俳優語源については違う説明もある]。そんでもって多分、日本最初アイドルはウズメちゃんだな。彼女最初エンターテイナー兼、踊り子兼、お笑い芸人兼、役者兼、演奏家兼、歌手だった。そう、彼女こそ最初のGeigi[芸妓]、Geisha[芸者]だったんだよ。なんだってー。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ame-no-Uzume-no-Mikoto

 最古の文学はどんな文明でも常に神話だった。つまり最初文学に出てくる登場人物は神々であり、そして役者は神々を演じた。だから演技は神の技、つまりオリシャ[ブードゥーの神々で、神ごとに踊りやリズムがある]と見なされたんだ、当然。それこそかつて俺らがmarebito[客人]を迎えたやり方だ。だけどボーカロイド降臨以来、俺らはもはや四つ辻でエシュ=エレグバ[ブードゥーの神]を演じる人間を必要としなくなっちまったコンピューター女優を生み出し、本物の女優に取って代わったS1m0ne[映画]のように。そしてコンピューターに生み出されたアイドル歌手のミクが、本物のアイドルに取って代わった訳だ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Orisha

http://en.wikipedia.org/wiki/Marebito

http://en.wikipedia.org/wiki/Eshu

http://www.youtube.com/watch?v=Yd60nI4sa9A

http://www.imdb.com/title/tt0258153/

 ボーカロイドは演じる際に三次元人間を必要としない。そう、miko[巫女](女性シャーマン)は不要なんだ。日本で最も古い音楽劇はkagura[神楽](神の音楽)という。まとめて「Sarume」[猿女]と呼ばれていたウズメの末裔たちが神楽を演じた。そしてまさに、ミクノポリスこそが最新の神楽なんだ。つまりミクはウズメの直系子孫ってわけ。そしてミクはもちろんneo-marebito[新たなる客人]ってことになる。

 アイドルってのは架空キャラだ。なにしろそれはリアルじゃないんだから。なのに本物の人間アイドルを演じるってことは、つまりアナログアイドルとは偽物の人間、言い換えれば架空人間ってことを意味する。かつてアナログ時代において、俺らは神の声を聞く巫女を必要とした。でももう巫女はいらない。なにしろ俺らは直接、神の声を聞けるんだから。それこそがデジタルアイドル! ボーカロイドアイドルは偽物じゃない。架空じゃない。正真正銘、まさにそのままなのだ! 存在す、故に存在すってか。

 そして今や俺らみたいな連中は好きなように音楽を作ることができる。俺らの歌を歌わせるために優秀な歌手を雇う必要はないし、音楽制作のためのスタジオもいらねえ。完全に大衆指向だ。誰でもボーカロイドを使って作曲ができる。

 もしスティービー・ワンダー音楽フレーズを創り出すためにボーカロイドを使ったらどうなるんだろうな。彼は様々な楽器からその潜在能力を引き出す方法を知っている人物の一人だ。モーグのようなとても原始的陳腐シンセサイザーですら、スティービー・ワンダーが使えば空前の偉大な楽器のように音を響かせるだろうさ。

http://www.youtube.com/watch?v=9CWqY94kwH4

 これはプロレタリア革命というよりむしろボカレタリア革命なんだろうか? そう、確かに鏡音リンプロレタリア革命を唱道している。だがな、労働に従事する人民は実は今なお奴隷状態にあるんだ。なぜなら、労働をするのは奴隷だけだから労働はお前らを自由にせず、むしろ奴隷にする。アルバイト・マハトフライ労働は俺らを労働から解放しない。プロレタリア革命は俺ら全員を貴族ではなく、むしろ被搾取階級に仕立て上げる。

 一方、ボカレタリア革命は俺らをまさに特権階級にする。かつてアイドルを雇うなんて贅沢ができたのは、成功したプロ作曲家だけだった。だが今や誰もがアイドル自分の歌を歌わせられる。アクセスは力なり。インターネットは誰もが情報アクセスすることを可能にし、そしてボーカロイドは誰もがアイドルアクセスできるようにしたんだ。

 ミクノポリスフリッツ・ラング映画メトロポリスの正統なる後継者だ。あるいは手塚治虫の方のメトロポリスかもしれない。アイドルとはつまり作曲家と聴衆の間をつなぐ仲介者/メッセンジャー。でも今じゃ仲介者に本物の人間は必要ない。かくしてフリッツ・ラング予言成就せり。それこそがミクノポリスであーる!

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-05-19

ゼロ年代に「オタク正史」を書けた批評家本田透

このエヴァ騒動によって一時、オタクは「萌え」と「サブカル」に大分した。「萌え」系オタクは、エヴァでいえば綾波レイ惣流・アスカ・ラングレーなどの萌えキャラハァハァしていた純粋オタク系統であり、「サブカル」系は、オタクよりも恋愛資本主義の側に擦り寄ってオサレ系を目指した連中だ。

だが、あれから数年、どうなっただろうか?

 そう、サブカル市場として成立せず、萌え市場けが拡大したのだ。サブカルは短期間で事実上滅び、講談社ノベル雑誌ファウスト』のような「半萌え・半サブカル形態によってかろうじて命脈を保っているばかりとなった。

これは当然の帰結といえる。

オタク文化そのものが「二次元>>>>>>>>>>三次元」という前提によって威力を持てる妄想文化である以上、サブカルが「三次元>>>>>>>>>>二次元」とやらかしたら、オタクの大勢がサブカルから離脱するのは時間の問題だった。

本田透電波男』2005,(引用文庫版(p.566)))


この「サブカル」ってのを「一部の批評系」にしたらしっくり来る。

萌えオタ罵倒してフニャフニャ主義だとか言ってた本人が、いざ容姿を出すと初音ミク痛車よりも映像映えしないリア充ならぬリアル三十(さんじゅう)だったり、映像だと(字幕の向こうの群衆におびえて)大人しくなりキャラ崩壊してたりとゼロ年代批評はいろいろありました

電波男』は要するに「萌えには階級格差を無化する力があるんだ!」という本です現在は『はがない』『IS』『けいおん!』など、良かれ悪しかれそうした表現が主流になりつつある。いかにも小泉構造改革以後の空気感みたいなのと関連付けやすい『カイジ』や『ウシジマ君』は有名になったけれど、なぜ彼らはアイドル(=偶像)になれなかったのだろう。

代わりにネットオタク偶像となったのは『初音ミク』や『アイドルマスター』や『ラブプラス』それに『けいおん!』だった。

そして社会に出て自らの文化アイデンティティを主張できたのは、『スクールカースト』ではな痛車聖地ローソンだった。そこにある想いは「余暇時間まで勝ち組・負け組意識させられ自己啓発されるのはキツい」というあたりまえのものだろう。

それすら許せん、となにかと理由をつけて萌えオタ罵倒してた件の人物は映像に出たらしょぼしょぼで(以下略

映像まとめサイトが「差異化ゲーム厨」への抑止力になるならば、少なくとも差異化ゲーム厨が野放しな環境よりは良いと思う。まあともかく萌えからフニャフニャ主義への流れなんてなくて、フニャフニャ主義こそむしろサブジャンルに過ぎないっつうか、萌えだけで刺激が足りない時に触れる程度。

ようするにゼロ年代は「差異化ゲームの思想」ではなく「無関連化する思想」が勝利した2005年の段階でこのことを説明し得た『電波男』は、フニャフニャ主義本よりもよっぽどゼロ年代の「正史」を正しく語っている。

2011-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20110426235029

私は空気信者です

現在日本人の殆どがこの空気教に入信していると言われています。

「みんな入ってるよ」と言われ、私も入信することにしました

空気様はすばらしいです

空気様は集団行動の際には必ず皆の前に姿を現します。

空気様を信じることによって、人々は素晴らしい共存関係を築くことができます

空気様を信じることによって、職場学校、家庭でも充実した生活を送ることができます

空気様へのお祈りは毎日欠かさず行います。

具体的には入信時に支給される「TV」と呼ばれる偶像に向かってお祈りします。

この「TV」によって空気様の心をより具体的に知ることができます

ですから、この毎日のお祈りのによって空気様をより身近に感じとることが出来るのです

空気様は常に、貴方たちと共に在ります

時折、空気様を信じることのできない哀れな方々が存在します。

この哀れな子羊たちには、空気様を感じ取れるようになるまで信者たちが多数で取り囲むなどして、教えを説きます

これを宗教用語で「空気様をよみきかせる」すなわち現代語で「空気を読む」といいます。

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