ボカロの賑わいの表層部を分厚く覆っているプギャ層を観察すればわかりそうなものだが
この界隈ではプロになれなかった人たちの憧れやコンプレックスが大きな原動力になっており、
作者連中はプロデューサーごっこに明け暮れ
劣化商業作品を生み出してはプギャと一緒に盛り上がろうとする風潮が前面に出ている。
そこのところの理解がうまくいかない。
昨今のマスコミはまず「すごいプロダクト、人材ありき」でものを語る。
あるいは無数のユーザ達が集まって力を合わせて大きなムーブメント(プロダクトアウト)を起こす。
そんな構図で界隈の動きを捉えさせようとする。
事実を伝えるのではなく、偶像崇拝という姿勢を強要して共感を押し付けている。
「へえ、世の中にはすごい世界があるな。勉強になるわ。これだからテレビは面白い」
プロにしか許されないものづくりをアマチュアに許すための儀式と場。
そう思わせる何かである。
逆に完成されたボカロ曲を番組で紹介するのは界隈に絶望を振りまく行為でしかない。
ああ、あいつらは俺たちとは違うんだ。プロなんだ。遥か先を行ってる。もう追いつけない。
俺たちの役目は終わった。
初音さんは高く、高く羽ばたいたんだ。
僕らの手の届かないところへ。
またいつかどこかで会えるといいな。
とか言うわけないだろ。
もともと商業にも使えるソフトなんだから。(むしろそっちメイン?)
ていうか、いつかは俺もそっちで飯食ってみたい。
二次創作、同人において誰でも手軽に「歌」を作れるようになったことは重大なイベント。
初音さんをはじめとするボカロ軍団は俺と共にあって、俺の歌を歌ってくれるパートナーだ。
商業の舞台でどれだけ活躍しようとも。どれだけハイセンス、ハイクオリティな楽曲が垂れ流されようとも。
決して偶像なんかでは終わらない。
理解する立場じゃないんだから理解してないのは当然の話。 つか、ボーカロイド(≒初音ミク)にすり寄ってる広告会社の内部資料には、「ボーカロイドブームをいつ頃終わらせるか(そし...