2011-11-28

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

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ところで、エロ年代の想像力って知ってる?ゼロ年代の想像力っていう2000年代サブカルチャー批評本のパロディ

2000年代エロアニメ批評してる本とかサイトらしいので詳しくは検索で。

最初そのパロディを知った時はすごいいい着眼点だと思ったけど、コンセプトの「未来エロ想像云々」で、自分が思ったこととは違う事に最近気づいた。

自分着眼点エロ年代の想像力というかエロ年代妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。

ゼロ年代なんて複雑すぎて無いに等しいようなどうでもいいものなんだけどゼロ年代エロアニメにまで焦点を絞ると確かに

マニアックからこそ明確な変化があると思った。しかもそれは意外に最近の傾向と関わりがある。

それはエロ年代では半ばに一つのエロアニメレーベルグリーンバニーが資金難で消えたことに象徴される。

今思うとこの会社があった頃までは火の車なのが見て取れるクオリティーが多々ある作品を出さざるをえない業界にも関わらず、コピーコピーコピーだとしても

物語エロと同じくらい随分と凝ったものが多かったように思う。だからこそ妙にシュール雰囲気に惹きつけられるものがあるとさえ思わせた。

それにそのシュールさを極めた人はエロの枠を火の車からか、意欲からか飛び越えざるをえないのかもしれない。結構メジャーな所で活躍してますからね。名前変えたり変えなかったりして様々な方面で。エロ年代は縁の下の力持ちなのかもしれませんがここでは割愛。

最近エロアニメはそういった雰囲気無視して、エロに突っ走るので本来はこっちが需要従順で正しい。それに最近美少女文化社会での浸透率の高さがあると思う。

まり、一々物語から順を追ってエロしなくても「二次元美少女」は無条件に主人公(特定の青少年)に惚れるよ!⇨(エロいとこ観れるかも!?)ということがあらゆるサブカルチャーっつーかもうメディアを通して誰にでもわかるパッケージ化した社会になったということ。

まり自分着眼点エロ年代の想像力というかエロ年代妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。

最終的にこの文脈で行くとけいおん!だってすごい。なにがすごいって「「二次元美少女」は無条件に主人公に惚れる」んだから主人公(特定の青少年)を消して「誰にも惚れない美少女」というある意味偶像の境地をパッケージ化してんだから

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

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