浅田選手といえば、子供のころから活躍し、その純粋さ無垢さ天真爛漫さで、日本国民を虜にしました。
今回のオリンピックも、曇った表情、思いつめた発言、見ていられないほど追い詰められていました。
SPが大失敗に終わった後、彼女は「なにもわからない」と答えています。
もう3回転アクセルを飛ばないでいいという声も、ありました。
浅田選手ほどの技術を持っていれば、ほかのジャンプステップを磨くことで、他にも金メダルへ到達する道はあったはず。
それが、ファンやマスコミや日本国中が「飛べる!」と望みをかけたがために、彼女は3回転アクセルに呪われました。
羽生選手は、FPで何度も失敗をしました。それでも、彼自身の話す、「絶対に飛んでやる」という気迫が、最後まで見て取れました。
ロミオとジュリエットは悲劇ですが、その悲劇の物語と相まって、何度うまくいかなくても諦めないという
結果的にはある種すばらしいプログラムにすることができていました。
それは彼の話した「自分の中にいるオリンピックの魔物」との戦いでもあったでしょう。
羽生選手の一番のライバルは自分自身の影でした。これは羽生選手に限らず、多くの選手が戦っていたものでした。
一方の浅田選手は、抽選順が決まったときの記者会見でもアメリカの記者に突っ込まれていたのですが
3回転アクセルが「飛びたいジャンプ」ではなく「飛ばなくてはならないジャンプ」になってしまっていました。
日本中から、「3回転」「3回転」と言われ続け、飛べないときも飛びたくないときも飛ばされ続け
それが「存在価値」と言われ続け、思い込み、転倒し続けました。
自分の中で、飛ばないという選択肢を導き出すことが、彼女だからこそ、できなかったのです。
浅田選手の心を支配していたのは、3回転の呪いだけです。オリンピックの魔物すら近寄れませんでした。
ある種の思考停止状態のなか、それでも、強迫観念に似たものに突き動かされ、ただ、飛ばなくてはならないのです。
そして、飛んだのです。
あのような深い慟哭を、あの愛らしかった少女が、あんな慟哭をするとは、それほどまでに呪いが深かったのだと、思い知らされました。
うれし涙ではない、あれは慟哭です。
できた!!!!!飛べた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
自分の生活のすべてを、人生を、人質にとられ、あらゆるものを犠牲にし、最愛の母も亡くし、それでも、強いられ、休むことも辞めることも赦されず
「真央ちゃんなら大丈夫!」「真央ちゃんならできる!」という無責任な期待を背負わされ、日本中から呪われ、
初日で大失敗をし、呪いの底で押しつぶされている彼女は、恐ろしいことに、それでもなお、泣くこともできず
私たちの、悪意ある無責任な期待を、背負わなくていいのに背負い続け、滑ってくれてました。
自分の意思とはまともに向き合うことを必要とせず、ひたすら耐え、為しました。
これは、ある種の奇跡であったことと思いました。あの慟哭は、あのシーンは神がかっていました。
でも、奇跡が起こったこと、それこそが、彼女が最も一途で、最も純粋な証拠で、だからこそ日本国から愛されのでした。
この呪いから、なんと、自らの手だけで、解き放たれたプリンセス。
美しかったです。強かったです。