はてなキーワード: 萌える男とは
某ワンルームの放送中止については東日本大震災の直後に『のぼうの城』の放送を中止にしたり、サザンが『TSUNAMI』を自粛したりするようなもんでまあそうなるだろうなという感想だったが、
放送中止に対する意見があまりにも自分と違うものが多かったので個人的な意見。
他の犯罪小説や映画は叩かれないのに、なぜワンルームは叩かれるのか。
放送中止賛成派の主流の意見が「犯罪者の誘拐される側もそれを望んでいたというファンタジーを肯定している」という誘拐犯側の願望が投影されてるからよくない、というものが多かったが
ワンルームのヒロイン幸が「男にとって魅力的な女子中学生か」というと全くもって違うように思う。
自殺をほのめかしたり、中二病ポエムを垂れ流す、誘拐された被害者という立場を利用して強気にでているような描写もしばしばあり。
それに対してすごいのがお兄さんの反応で、
自殺願望やらポエムをきいたお兄さんは「彼女は自分で人生を終わらせる決意のある立派な人間」「14歳とは思えない大人の考え」と称賛。
これってまさに女版俺TUEEEEEEEEEE女子中学生の願望の投影だろ、っていう。
お兄さんは誘拐に対し後ろめたさをもち、幸のために料理を作り、幸の提案に従い新しい名前をつけたり、幸の髪を洗い甲斐甲斐しく尽くす。
そして幸が風呂場で裸になり髪を洗わせようが、手は決してださない。
幸に萌えた!っていう人がいたらどの部分が?と逆に感想を聞きたい。
あのキャラに萌える男って俺TUEEEEEEEEEEEEEEのラノベ主人公に萌える女並みに希少だと思うんだが。
これをみたリアル中二病発病中の中学生女子が「親も学校もみんなクソ!幸色ワンルームのお兄さんのようなイケメンが世の中のどこかにはいるかもしれない。」と夢見てしまう子もいるかもしれない。
ワンルームに対して拒否反応を起こす人(女性が主?)が多いのは、中学生女子の自分の内面を理解し尊敬してくれるイケメンがほしいという願望を理解できて、
そして世の中はこんなに都合はよくないということも知っているから、影響される中学生女子がでることを恐れてるからじゃないかなあと想像してたんだが、
ブコメや他の記事やらみたらまるで違う意見ばかりで驚いたのでかいてみた。
これを「犯罪者の誘拐される側もそれを望んでいたというファンタジーを肯定している」っていうのオタクカルチャーから遠い人の感想?
朝霞の事件とは別に「これに影響される女子中学生がいるかもしれない」とか「これで女子の願望を学んだ犯罪者がお兄さんを演じるかもしれない」っていう意見ならまあわかるよ。
朝霞の事件とは経緯も内容も全く違うが、座間の事件の犯人もツイッターのアイコンをイケメン風のイラスト、首吊り士とかいう中二臭いアカウント名にしたり、若い女性のひきつける中二感を利用してたしなあ。
これを読んで本田透『萌える男』の一節を思い出したので、紹介しておく。
かわいらしいキャラクターに胸をときめかせて癒されるという萌え文化の源流のひとつは、アイドル文化にある。70年代から80年代にかけては、空前のアイドルブームが存在した。しかし写真週刊誌の隆盛によって、生身のアイドルにキャラクターを演じきらせることは困難になる。三次元アイドルが次々と彼氏とのデート現場などのプライベート写真を撮影されてキャラクター性を喪失させられるという構造が完成してしまったのだ。
かつて、アイドルファンの間では「アイドルはトイレにいかない」「アイドルは処女である」という信仰めいた定説があったが、情報過多な現代では、生身の女性であるアイドルにそのような偶像性を求めるのは困難となった。そのため、三次元アイドルに代わって二次元のキャラクターが萌え対象として選択されることが多くなったのだろう。二次元であれば、写真週刊誌にプライベートを暴露される危険はない。
これで二次元に行く男がまた増えるのだろうか。
男性の声に女性が萌えることは多いけど、女性の声に萌える男性って実際そこまで居ないと思うんだよなぁ。
そりゃ声が汚いよりはきれいなほうがいいけど、見た目のほうが圧倒的に重要な気がする。
男の場合、同じぶさいくなら普通~キモ声の男よりはいい声のほうが付加価値があるが
女の場合、顔がぶさいくな時点で、声がよかろうと別に大して差はない気がするんだが。
顔がぶさいくでなおかつ声も汚いよりはマシ、ってレベル
<追記>
論点がぜんぜん違うことに気づいたw馬鹿でごめんw
でもやっぱり、顔普通で声の良い男性がモテるのと、顔普通で女性がモテるのとでは、おそらく後者は声の影響はさほどない気がするんだよなぁ・・・
本田透の『萌える男』が一部で話題になっている模様。近いうちに読んでみる。
いつの間にか俺は「恋愛至上主義」についてよく考えるようになった。いや、俺がこれをよく考えるようになったのは専門学校に入ってからだった。
俺の高校時代は2年のときに理系を選んでしまった為、女の子とほとんど交流できず(女の子はほとんど文系に行ってしまった)。偏差値はかなり低い高校だった。でも俺はオタクではなかったので、スクールカーストでは中間の位置にいた。サッカー部に入っていたこともあって、周りの友達もどちらかというと体育会系とかちょっと不良っぽい人が多かった。
それが入試に落ちて専門学校に入ってからというもの、その環境が一変。
もともとコンピュータが好きだったので、それを深く学ぼうと思いコンピュータ系学部に入ったのだが、周りにオタクしかおらず強烈なカルチャーショックを受ける。自分の服装はどちらかというとB系とかストリート系なので、オタクしかいないクラスでは浮きまくり。オシャレをしているオタクの人もいるものの、さすがにB系、ストリート系ファッションをしている人はいなかった。
だから俺はアニメも見ないから趣味も合わないし、話してもアニメの話題をされると何を言ってるかわからないので、「あーおれ何てとこに入っちゃったんだろ・・・」と絶望した。でも、だんだんと日にちが経つごとに何人かのオタクの人たちとも話すようになった。特によく話したのは二人。一人は自分よりも4,5歳年上の人。もう一人は同い年の人。後者はオタクの中では珍しく、下ネタが大好きな奴だった。だから下ネタが元で急速に仲良くなった(ゲイって意味じゃないよ)。前者はFラン高校から来た俺に熱心に勉強を教えてくれた恩師のような存在だ。俺はアニメの話題は出来ないものの、授業や勉強の話題、下ネタだったらどうにか話すことができた。
そして彼らと仲良くなるにつれて、あることが見えてきた。
それは彼らが「゛恋愛”という競争からドロップアウトした人」ということだった。
何かしら異性関係などで相当嫌な経験をしているという事でもあった。ここではあえて書かないが、確かに昔の話を聞いてみるとけっこう嫌な思いも体験しているようだった。かくいう自分も、中学高校時代は女子ともご縁が無く、何度かあったそういう事柄も、恋愛至上主義者たちが言うような「美しいもの」ではないことを身を持って知った。素晴らしい部分もあったが、ドロドロとした部分も見てきた。だから彼らのエピソードは全く無縁な話ではなかったのだ。その当時はまだ自分も恋愛至上主義に結構毒されていたので、「彼女がいないのはおかしい」と自分にプレッシャーをかけてしまったりしていた。だが、彼らを見てその考えは徐々に変わっていった。そこから自分も恋愛至上主義の蔓延ぶりに疑問を持つようになった。
テレビなどでは「恋愛は素晴らしい、もっと恋をしよう」と扇動するが、俺は「恋愛は素晴らしい、でも汚い部分も同じくらい多い、だからほどほどに」と付け加えたい。その方が精神も安定すると思うんだ。
最近はその同い年のオタクな友達も「あー彼女できないなぁ・・・」と落ち込んだりしている。
あれだけ趣味に情熱を注いでた奴までもが、深刻そうな顔してそんな事を言うのである。これには俺も心底ショックを受けた。だから、最近の「恋愛至上主義」がマジョリティになっている状況を憂う。「無理やりにでも恋愛しろ」という考えには心底疑問を持つし、無理やり付き合ったりしてる奴は大抵、頭の中がお花畑なバカが多い。それで別れそうになると痴話ゲンカで騒いだり。
もう本当にこういう状況をなんとかしてほしい。「恋愛しなきゃおかしい!」みたいな風潮は消えてなくなってほしい。