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はてなキーワード: モルモットとは

2019-05-28

うさぎを実際飼うと可愛すぎてヤバいから

初めは文句言ってるKKOもすぐにデレっとすると思う。ただしモルモットもっと可愛い

2019-05-26

白い巨塔: モルモットに生まれ気持ち矜持

白い巨塔新版、「大学病院では患者モルモット扱いされる」って言葉、入れてきましたね…

モルモットになれるっていうのは、名誉なことだっていうのは分かってほしい。何の価値もない自分が、それまで治療法がわかっていなかった病気試験的な治療法のサンプルになることで、未来の誰かが助かるかも知れない。

先天性心奇形持って生まれて、日本で数十番目の実験的な根治手術のサンプルになって、根治した自分はそう思って生きてきましたよ?

自分が手術を受けた病院2001年に心房中隔欠損症の女の子の手術で、医療ミス裁判沙汰になり、自分を執刀した先生名誉教授剥奪されてしまった。白い巨塔のように、当時だいぶニュースになったよ。先天性心疾患の最先端研究をやってる大学病院で何が、とね。2001年には、僕の病気別に大学病院じゃなくても治せるようになってたし、あれで去っていった患者も多いと思う。

それでも、自分は、今でもその大学病院を去ることなく、自分を手術した大学病院新幹線で通って年一度の精密検査受けてます。なぜかって?

僕は、僕の病気を持って生まれて、根治手術を受けて生きながらえた、この国では初期のサンプルだから。僕の病気は手術しなきゃ幼児死ぬ、手術でも根治手術でなくて延命のための姑息手術だと30代で死ぬ。僕自身が、手術の何十年後かの影響を知るための貴重なサンプルであることを自覚して生きてきた。僕と同じ病気を持って生まれる人は二千人に一人。

医学に限らず、学問データがないと意味がない。大学病院というのは、何十年前でも研究有用患者カルテは保存してくれてるもので、実際、当時のカルテがとってあるのは見ている。

僕が、死ぬまで、毎年あの大学病院に通い精密検査を受け続けて、僕が生まれた時には試験段階だった根治手術の予後が、評価できるようにすること。そして、二千人に一人の確率で毎年生まれてくる、僕と同じ病気の子治療に少しでも役立つデータをため続けること。それが、モルモットに生まれた者の責務であり、責務を果たすことがモルモットに生まれた者の矜持なのです。

からモルモットになることを一律に否定しないでほしい。誰かがモルモットにならなきゃ、学問進歩しないよ。

2019-05-25

テレ東ドラマが熱い

わりとテレ東ドラマはいつでも熱いのかもしれないけど、今期は(?)特に自分の中で熱い

テレビ捨てたけど、きのう何食べた?が気になりテレ東アプリダウンロードした。

かに何食べはおもしろくて和む!漫画を知らないから似てるのかはわからないけど、キャスティングも最高!

特に今週の菅原大吉さんと正名僕蔵さん!よかった!

でも、何食べだけじゃないんだ!!!他にもあるんだよ!!!それを誰かに伝えたいけど友達いないかはてなに書くよ。

執事 西園寺の名推理2

最高。なにが最高ってこれもキャスティングが最高。

主演の上川隆也さんが素敵なのはもちろんのこと、今回から奥様役に抜擢された吉行和子さんの可愛さ…もうこれがたまらなく良い!

毎回「西園寺…」と呼びかける場面があるんだけど、もう、愛らしい!いじらしい!

先週のチマタの噺(これもテレ東)という鶴瓶が司会の番組ゲスト出演してお話しされていたんだけど、吉行さん自身も素敵な執事とのやりとりを楽しんでいらっしゃるらしく、それを知ってから見るとまた楽しい

執事上川さんの他に浅利陽介さんと森永悠希さん。浅利さんは今のところ第1話のみ出演。それを引き継ぐような感じで森永さんが2話から新米執事として西園寺と行動してるんだけど、浅利さんも森永さんもなんとも愛らしいキャラクター。最高。

また、メイド役には池谷のぶえさん。おおらかでお茶目な頼れるメイドさん。そしてなんだか池谷さんって妙に色っぽくて見入ってしまう…最高。

正直言って、犯人は大体始まってすぐの段階でわかってしまう…。

ベテランバイプレイヤーが出てくると、おっ…と思ったりしてしまうけど、各話ごとのバイプレイヤーも豪華なので最高。

やじ×きた 元祖 東海道中膝栗毛

最高。元気が出ない人に見て欲しい。もしかするとセクハラに悩まされている方は見ない方がいいかもしれない。ただ、バカで明るいエロと言うと変だけど、そういうのが苦手でなければぜひ見てほしい。よくもまあこのご時世に…!と思った。個人的には否定ではなく肯定的に。

まず、最初に見ようと思ったきっかけは松尾 諭さんがメインキャストだったこと。私の勝手イメージ松尾さんが脇役ではないのが珍しいと思ったから(珍しくなかったら申し訳ない)2話から見始めた。

そしたら竹中直人さんまで出てるわモルモットも出てるわ、各話のヒロインがこれまた絶妙美女ばかりだわで…最高。

もう一人のメインキャスト和田正人さん。今まで吉木りささんの旦那さんってことしかよく知らなかったけど、妙にちょんまげ着物が似合う粋な俳優さんでアクションもかっこいい!目がクリクリで可愛らしい。最高。

松尾さんの弥次さんは新しい弥次さん像(?)というか、ちゃん眼鏡もかけていて良い。毎度の如くコスプレしてるのもおかしくて良い。実家の金を使い果たすようなダメな男なのになぜか憎めないキャラクターで最高。

松尾さんと和田さんも、ちょいとオーバーすぎはしませんか!?という演技だけど、なんかとにかく憎めない愛らしいキャラクターの2人で最高。毎週2人のゲス顔を拝むのが楽しみになるので見てほしい。

ドラマの仕立て方が変わっていて、最初に案内人として噺家の瀧川 鯉斗さんの語りから始まるんだけど、これも最高。元暴走族噺家で甘いマスクという話題に事欠かないような瀧川さんの少し緊張した様子の語りが良い!たまに演技もするけどそれもまた初々しい!憎い色男!最高。

竹中直人さんは竹中直人さんそのまんまで出ていたので驚いたけど、十返舎一九先生について調べてると、これでいいんだ!という気もしてくる。もう竹中さん最高。モルモット大福とのツーショットも良い。そして大福への思いを語ったインタビュー記事があるので番組ホームページを見てほしい。安易可愛いだのそんなこと竹中さんは言っていない…最高。

そんな竹中さん演じる一九先生から原稿をまだかまだかと心待ちにしている版元の村田屋役、多賀 勝一さんも最高。可愛らしい。可愛らしいんだよ。もう。最高。

基本的美人にウハウハ!ブスと年増にゃ ケッ!な弥次さんと喜多さん。だからブスな私には「ぐぬぬ…コンニャロウ…」と思うシーンもそりゃあるけど、全部ひっくるめて笑いに変えられるから楽しい。最高。

だらだら書いたけど…

とにかく愛らしいキャラクターで飽和状態の今期のテレ東ドラマ!!!

なに食べだけじゃなくてこの2つもぜひ見ておくれよ〜

やじ×きたがテレ東アプリの中のランキングに入ってないと切ない…

はっきり言って個人的にこの2つのドラマはなに食べと比べたら少し安っぽいところがある…。なにがどう安っぽいのかわかんないけど、なんか話の流れが読めてしまストーリーとか、そんなとこかな?

でもそれって悪いことばかりじゃなくて、妙な安心感がある。私は精神おかしくなってからテレビを見るのが怖くなって捨ててしまったのだけど、その妙な安心感がこの2つ(なに食べも合わせれば3つ)のドラマにはあるから延々とリピートで見てしまう。

心がざわついてテレビを見るのはしんどい。でも音楽を聴いているだけだと寂しい。人の話し声が恋しい…そんなときにあってほしいドラマが今のテレ東にはある。

もうやじ×きたは中盤だけどさ…

2019-05-24

犬の話

なあわんこよ、お前が数ヶ月前にぽっくり大往生してしまって、なんだか心がスースーするよ

もっと長生きして欲しいなんて口が裂けても言えないくらい、頑張って頑張って長生きしてくれたし、最後の一瞬まで私の腕の中にいてくれたよな

から多分、こんなこと思っちゃだめなのかもな

お前のおかげで犬がどんなに素晴らしいか身をもって知ることができたよ

ももう犬は飼えないな

お前が一番私のことを理解してくれてたから、多分犬を飼ったらお前と比べてしまうから、そんなの悲しいもんな

ほんとはすごくすごく寂しくて、なにかで埋めたくてたまらないんだ

モルモットかわいいなって昔から思ってた

でもなんかさ、だめなんだろうな

お前の形で空いちゃった穴が塞がるのも、実はちょっと怖いんだ

いわゆるペットロスみたいに食欲なくなったり体調崩したりしてないからそこは安心して欲しいな

でもほんとに、ありがとう

2019-01-17

anond:20190117200356

福島県民みたいな普通の人で実験したほうがいいサンプルになる

医学放射能専門家でなくても死刑囚みたいな特殊モルモットでは実験する意味はないと誰でもわかる

2019-01-04

いじめっこって 追いかけてくるよね

たぶん 自分より弱いのが

私ぐらいしかいないんだろうなっていうのと

 

そばにいて欲しい人は 去っていく

よわくてメリットが無いからな

 

けっきょくプギャー プギャーって泣くぐらいしか

メリットのない生き物だったんだろうな

 

作っては奪われて

作っては奪われて

なんか 結局 奪われた記憶しかねぇ

 

あとは はいあげる! うえにあげたー(もらえない)とかな

 

でもさ、こうやって負け犬の遠吠えをかくから

みんなが、いじめにくるんだろうな

死にたくはないけど 死にたいほど辛い

ってかくから なんか、モルモットというか

薬の実験台とかになっちゃうんだろうな

2018-12-28

犬猫よりハムスター食うのはキモい

犬や猫ならまあ食う部分ありそうだし分かる

ウサギ家畜だし

ハムスターモルモット辺りは気持ち悪い

2018-09-23

[]もふもふモフモフ今週分

猫成分が多くてよかった

ただ動画内容と堤真一ナレが合ってないのがいつにも増して多くてイライラした

寝坊した遅刻だー→実際は威嚇してびびって逃げてる

みたいな

母親堤真一のナレも面白い理由ひとつだっつってるけど、俺はああいうあざとい動物勝手セリフつけるの嫌いだからほんとうざい

堤真一のギャラあるなら他に回せよって思ってしま

旅館で朝猫が起こしに来るのが人気ってのがあった

でもその猫は自分から人間に触るのはいいけど、人間から触られるのはめちゃくちゃ嫌がってた

それはいいとして、そのことにまったく触れず僕人間だいすきーみたいなナレつける番組側にイラついた

雑貨とか服とか扱う店にいる看板猫

猫が人懐っこいのはいいけど、売り物の靴やら服やらに体こすりつけてめちゃくちゃマーキングしてて、

猫見に行くのはいいけどここで商品は買いたくないなと思った

特殊獣医

犬猫以外を主にみる獣医

獣医亀田長男だか次男かに似てた

助手看護師?が美人でやっぱビジュアルで選ぶんだな歯科も院長おっさん美人の女ばっかだもんなとか思った

内容は歯周病フクロモモンガ

歯がのびすぎたモルモット

爪がおれたウサギ

ウサギがずっとプルプルしててかわいかったw

モルモットオッサンみたい

フクロモモンガ獣医肩に乗ったりしててかわいかった

おかもとれい?だかの猫おもちゃ作るやつは飛ばし

正直どうでもいい

2018-06-27

某県の山奥の施設隔離されているけれどココは楽園だよ

発達障害ADHDアスペルガーで1級の障害者手帳持っている増田だけど、3年くらい前に自らの意思施設隔離された

俺の居るところはいわゆる住居型老人ホーム精神障害者なのだけれど、テレビはあるしネットはあるし、頼めば漫画も買ってきて貰えるし快適♪快適♪

まぁただ俺はキッチンに近寄っちゃダメとか、刃物工具類を手にしたらダメとか、化学薬品類は近寄らせることもダメとかそういう制限はあるんだけど、そこまで大きな問題はない

1つちょっとなのは自室に監視カメラがあって、オナニーするにも布団に潜らなきゃいけないみたいな恥ずかしさはあるんだけれども、人間そういうの馴れだよね

日々の生活は飯食え言われたときに飯食って、運動しろ言われたとき運動して、風呂は入れ言われたとき風呂入るみたいな生活だよ

週に3回カウンセリングを受けなきゃならないんだけど、これは単なる雑談みたいなものから暇つぶしには丁度いい

勘違いするかも知れないけど、これでも一応は無職じゃない

俺の仕事は同じような精神障害者、いやハッキリ言うわ、精神異常者と話して「何故そういう行動を取ったのか?」というのを医者とか警察官に伝えることね

累は友を呼ぶじゃないけど、そういった精神異常者と性質が近くて、正気ときは会話できる程度のコミュニケーション能力がある俺に最適な仕事ってわけだ

その他にも稀に精神科医を目指す若い学生みたいなのと話すのも仕事のうちだよ、まぁモルモット役だね

俺みたいな精神異常者が起こす問題を抑える一番の特効薬ってやっぱり社会から隔絶することなんだよ

結局「問題のある行為」というのは社会規定するものからそもそもその社会がなければ被害者被害物なんて存在しなくなるわけさ

俺にとっても隔離されることはメリットが多くて、やっぱり社会所属すると嬉しかったり悲しかったりして感情が揺さぶられてしまって、感情のまま取った行動が社会タブーだったりすんだよね知らんけど

俺が良しとして取った行動で捕まったり殺されたりするのは癪だから自ら隔離されているってわけさ

人間関係に困っている人は隔離されるのオススメだよ?

2018-06-26

anond:20180626113213

結局それを主導するのは健常者だと思うから意味がないと思うけどね

俺はまあ隔離してくれるならモルモットでも何でもやるよって考えになっちゃったから、野生の発達障害とはまた違うかもしれんけど

2018-06-23

嘘吐き卑怯者…そういう悪い子供こそ、本当に悪い大人の格好の餌食になる

という仮面ライダー鎧武の名台詞がある。まあ確かにそれはそうだと思うんだが逆に大人の言うことに一切疑問を持たず盲従するような素直すぎる子も結局そういう大人の餌食になってしまう気もする。実際あの作品だって紘汰達だって途中までユグドラシルモルモットとしていい様に利用されてたわけだし。

と、現実に行われている洗脳紛いの新人研修とか社会人教育の話とか、某カルト教団元幹部証言とか聞いてると思う。

2018-06-20

拝啓 アプリ制作者様

時候不順の折、いつもお世話になっております

色んなアプリがたくさんあってスマホは本当に楽しいです。

ただ、一点お願いしたいことがあります

もう少し、動作確認をきちんとしてからリリースしていただけないでしょうか?

ひどいアプリですと、毎日バグFIXアップデートがあったりして

また?更新?と目を覆いたくなります

まだインターネットが主流でなかった時代フリーソフトなどは

それはそれは丁寧に動作確認をして

バグのないように細心の注意を払っていたものです。

雑誌に載ったりなどすると修正は出来ませんし。

とりあえずリリース、みたいなお手軽になりすぎてはいませんか?

私達はモルモットではありません。

よろしくお願い致します。

敬具

2018-06-19

anond:20180619142053

昨日伊集院光ラジオで聞いたんだけど、モルモットラグビーボール大の鼠)は仲間のアナルを嗅いで連帯行動するらしいぞ。モルモットならあるいは。

2018-04-25

2018春アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20180425085648 からの続き )

ルパン三世 Part5

 現代ルパン。ダークウェブ舞台仮想通貨を盗んだりする話。このあらすじでもう既に面白い

 何より嬉しいのが、過去作のことを並行宇宙ではなくちゃん過去出来事として認めていること(スライドショーみたいな感じでパラパラと触れている)。なので、ルパンたちのセリフ一つ一つにすごく厚みがあってめっちゃ痺れる。過去作のオマージュもたくさんあって嬉しい。

 作画気合もすごくて、まさか2018年ルパンシリーズ手書きカーチェイスを観られるとは思わなかった。この時乗ってる車もカリ城のやつだし。ちなみにカリ城が公開されたのは1979年らしい。約40年前…

 大野雄二による音楽は「ルパンシリーズの変わらない所」の象徴のようで、多少キャラデザや声が変わってもルパンルパンなんやなぁ、って。

 過去作と変わった点として、銭形のとっつぁんが上司と部下に別れた点。熱血で先走っちゃう性格は部下に、有能なところは上司に。

ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン

 イカジャムSAOスピンオフ作品で、作中のゲームを遊ぶ日常アニメ。本編とは独立したストーリーらしい。イカジャムっていう呼び方って、スクワッド→スクイードイカってこと?

 現代に蘇るハートマン軍曹チュートリアルのシーンがとても好き。ハートマン軍曹だったら「Yesの前にSirを付けろゴミ虫ども!」って言ってた。実弾音響にも強いこだわりを感じる。主人公がすごく楽しそうにゲームをやっていて、それだけでもう新鮮。それにしてもP-90ってやっぱりカワイイよね。ちょうど「GUNSLINGER GIRL」観ていたので。

 会話ややっていることがサツバツとしているのだけれど、ゲーム内の会話って実際そういう感じだよね。とても優しい雰囲気のサツバツとした世界

ピアノの森

 音楽家の生涯を描く作品原作は完結しているけれど、全部で26巻もあるのでどこまでやるのか気になる。冒頭のシーンがそのあたりを明確にしているのだろうか(原作未読勢)。

 とにかくピアノの曲と綺麗な運指が印象的な作品監督ピクサーとかでCGアニメーション作ってた人なので、演奏シーンにすごくこだわっているみたい。「ピアノ演奏しているキャラクターの手元」ですぐに思い浮かぶのが「四月は君の嘘」だけど、あっちはあっちですごい。あっちを動の演出とすると、こっちは静の演出、みたいな印象の違いを感じた。

 クラシック好きな人や、ピアノ音楽を堪能するための再生環境がある人向けかも。

銀河英雄伝説 Die Neue These 邂逅

 戦記モノ。男性声優大集合。ニコニコ動画解説を見たけれど、とんでもなく壮大な物語が始まった印象。

 戦争政治テーマだけれど、特に戦闘シーン。EVE Onlineみたい。ここまで大規模な戦争を見たのは生まれて初めて。しかもその動きは組織的空間的かつ戦略的で、すごく面白い

若おかみは小学生

 マッドハウスによるアニメ朝ドラ1話10分なのも見やすい。原作子供向け文学作品らしいのだけれど、そのため子供向けの作品になっている。横手美智子による脚本はとてもテンポが良く、ギャグシーンに勢いがあって笑える。

 主人公の声を、子役タレントでおなじみ小林星蘭ちゃん担当しているのが非常に良い。マジで朝ドラ観てる気分になってくるのが不思議

 また、うまく時代を捉えたED演出がとても秀逸で好き。

実験家族

 中国漫画原作中国アニメスタジオ制作アニメタイトル意味は「モルモットにされた兄弟達」みたいな感じ。いい最終回だった

 マッドサイエンティストの子供はよく研究のためにペットと錬成されて犬人間にされたりする事があるけれど、本作はそこから始まる日常アニメ高橋鉄男のようなメンターのいない「亜人ちゃんは語りたい」みたいな。

 作品を通して、日本中国におけるアニメ文化の違いや共通点垣間見えるとこがとても良い。例えば尺。日本アニメは30分、10分、5分あたりがメジャーCM含む)だけれど、本作は15分(CM抜き)。当然30分アニメには30分アニメなりの脚本の書き方があり、10アニメには10アニメ脚本の書き方があるので、15分アニメという長さの本作はそのどれとも違う独特な感じがある。演出も他の作品ではあまり見ないような手法が使われてたりして、全然飽きない。いい最終回だった

 一方で、キャラクター個性は「あれ、こんなかんじのキャラどこかで見たことある」と思わせるような部分も多く、日本独自と思ってたテンプレは存外普遍的に使われている手法だったんだなぁ、としみじみ。個人的推しは長女アシス。天然系不思議ちゃんというか、自然(ロギア)系天然ちゃんかわいい。ちなみに本作でも犬役(長男)は浪川大輔である

レイトン ミステリー探偵社

 酒と殺しと男と女要素が少ない推理アニメ。カトリーがすごくかわいい子供向けコンテンツの割に人間ドラマちゃんと描いてる作品なので、2話とか泣いちゃった。とても後味の良い作品

踏切時間

 踏切電車が過ぎるのを待つ人たちを描くショートショート。5分アニメ特有の、テンポの良い会話劇。BGM踏切のカーンカーンカーンがシンクロしている演出がすごく好き。リアルではカーンカーンカーンのBPM踏切によって違うらしいので、話によって違う曲が流れるのかな(しっとりした曲とか、アップテンポな曲とか)。そこら辺が楽しみ。

こみっくがーるず

 漫画家を題材にした、やさしいせかい日常アニメ福島県白河市での話かと思ったら、主人公出身福島県なのね。主人公豆腐メンタルを見ていると先のアニメスロウスタート」を思い出すけれど、あっちと比べてテンポよくオチをつけていく脚本が印象的。怒涛の展開につきBGMが軽くカオス。でも豆腐メンタルを笑い飛ばしてくれる内容に、すごく元気になれる。また公式脚本待田堂子横手美智子花田十輝 とあり、とても強い。

 背景美術ヤマノススメセカンドシーズンでお馴染みムクオスタジオ)含め、漫画家としてのの日常を描く部分についての書き込みが非常に細かい。有り物としての漫画家を描くのがひとつテーマなのかな。

ガンダムビルドダイバーズ

 フルダイブMMOアクションゲームアバンOPで登場した機体名がザク以外分からないという偉業を達成してしまった。

 フルダイブという仕様について。自分で作ったガンプラの機体を、リアルサイズ感で見ることが出来、搭乗する主人公を見てるととてもテンションが上がる。お台場ユニコーンガンダム見てこようかな。音楽も非常に良くて、初ダイブする主人公たちの高揚感がすごく伝わってくる。絶対楽しいよこれ。

 あと謎の女の子CV.照井春佳)が言うセリフ「諦めないで」が、めっちゃヤバイ。魂が震えた。

 今期はフルダイブMMOテーマにした他作品イカジャムがあるけれど、両者におけるゲーム位置けが少し違う。イカジャムにおけるGGOは、日常(抑圧)に対する非日常(開放)なのだけれど、本作は現実ゲーム境界曖昧というか、地続きになっていて、主人公にとってはどっちも現実の一部として描かれている感じ。ゲームシステム上、主人公現実ではガンプラをいじり、ゲーム内ではそのガンプラに乗っているので、ずっとガンプラで遊んでいることになる。ガンプラってすごいね。久しぶりにまた買おうかな。

Cutie Honey Universe

 AbemaTVのみ。それにしても公式サイトが見づらい。「DEVILMAN crybaby」が地上波放送できない永井豪エログロとすると、こっちは地上波放送できる永井豪エログロ

インタビュー読んだ限りでは原作準拠シナリオらしいけれど、何もかもが斬新。他作品であれば「当時はセーフかも知れないけれど、今ならアウトな表現なのでここは変えよう」なとこを全力で攻めていて、キューティーハニー初心者としての感想は「なんかヤバイアニメ始まった」であるキューティーハニーの連載が始まった当時も相当のインパクトを与えたんだろうなぁ、と思いを馳せる。

 作画熱量アクションシーンを中心に非常に高く、アクションアニメとしてもすごく面白い。ハニーの能力について一切の説明がないので「え!そんな事もできるんだ!」と驚くさまはまさに、当時リアルタイムで漫画を読んでいた少年少女の姿そのものである

 公式宣伝では「あなたはどのハニー?」みたいな感じでハニーの担当声優達を前面に出しているけれど、個人的に一番嬉しいキャスティングは”ラスボス CV.田中敦子”。絶対に強いじゃん!

キラッとプリ☆チャン

 女児向けYoutuber育成アニメシンデレラストーリー踏襲した作品としてはアイカツ!シリーズに近いかも知れないけれど、テーマとして「誰でもプリ☆チャンデビューできる!」という、Youtuber性質を受け継いでいる点でアイカツベクトルが異なる。

 1話では、誰でもデビューできるんなら私もデビューすっか!みたいな軽いノリで始めるも途中で引き返そうとする姿が描かれているのだけれど、大抵の人はこれと似た原体験を持っているんじゃないだろうか。私の場合は”ニコニコ動画面白そう!→ゲーム実況動画おもしろい!→無料投稿できるんだ!いっちょやってみっか!→無理だコレェ…”という原体験を持っているので、逡巡する主人公の姿はすごく刺さった。だから本作のシンデレラストーリーはすごくキラキラして見えた。

 BGMが凄く良い。女児向けアニメなのになんでJazzyな音楽なんだろう。ライブシーンのアニメーションもすごく良いし、かわいい日常パートテンポ良くて見やすい。

 本作の監督は今期「宇宙戦艦 ティラミス」の監督兼任していて、命を燃やすのが最近ブームなのかも。

立花館to Lieあんぐる

 5分アニメラブコメ百合)。リトさんかな?

あっくんとカノジョ

 バカップルの可愛さを描く5分アニメ。話が進むほど他の子達も強烈で好き。

かくりよの宿飯

 異世界モノ(なろう系じゃないよ)の飯テロアニメ借金のカタに身売りされちゃった主人公が有名宿の大旦那の嫁にされちゃって…ではなく、自らの力で異界に居場所を作って自立するお話ニル・アドミラリの天秤と並び、まだ見ぬイケメンたちがメインの作品なのかな。それにしても銀次かわいいけもフレの「すっごーい!」みがあって好き。

 異世界にある調味料和食)を使って作る飯テロが非常にツボ。オムライス和風)とかリアルで食べたい。

されど罪人は竜と踊る

 バウンティハンターを描くアクションアニメ。冒頭で戦闘システム紹介があるように、戦闘シーンが非常に映える作品。使う武器が”大剣+リボルバー+魔法+魔法の鎧”な時点で厨ニ心が燃える。独特な魔法仕様も含めて、アクションRPGみたいなワクワク感がある。ゴッドイーターとか、モンハンかにいかも。狩るのドラゴンだし。

 何より世界観が非常に独特。現代モチーフになっているのだろうけれど、いつの時代かよくわからない特殊世界

 コンクリート製の廃墟未来かな?)→今風の車が街を走る(現代かな?)→ゴシック様式大聖堂建物で開かれる議会19世紀宗教国家かな?)→貧乏主人公の家にカラーテレビ平成かな?)→欧風な街並み(イタリアかな?)→そろばん東南アジアかな?)→カメラを持つ新聞社女性社員20~21世紀かな?)→事件現場保全する警察と、赤青のパトランプ現代警察欧州)かな?)→半ばスラムっぽくなってる欧風な街(東ヨーロッパかな?)→中東風の音楽イランかな?)→市庁舎前の掲示板が街の人達にとって速報として機能している(20世紀初頭かな?)→立派な市庁舎ビルと照明(現代かな?)→作中に出てこないIT機器20世紀かな?)→EDに出てくるガントリークレーン達(現代かな?)みたいな。主人公がおしゃれなスクエアメガネ(つるなし)かけてるので多分現代かな。

PERSONA5 the Animation

 ペルソナシリーズペルソナ5(ゲーム)はクリア100時間以上かかる作品らしく、手っ取り早く本シリーズに触れる手段としてのアニメ、という位置づけらしい。ペルソナシリーズは一度も触れたことがないので本作がP4以前とどう繋がっているか知らないのだけれど、時系列をわかりにくくした脚本純粋に「先が気になる」と思わせる内容になっている。先が気になる。

Caligula -カリギュラ-

 ぞんぞんびより。原作はペル5と同様RPGゲーム1話の展開が時系列を敢えてわかりにくくする演出になっているのはペル5とよく似ていて、ストーリーの魅力をいかに伝えるか、という作り手の思いが伺える。ゲーム面白そう。

 不気味な予感はオカルティック・ナインにも通じる感じがあって、そういうところがRPG原作アニメの特徴だったりするんかな。

ゲゲゲの鬼太郎

 かわいい方の化物語りょうしゃにおける妖怪怪異)の描かれ方はよく似ていて、「どこにでもいるし、どこにもいない」「神様みたいなもの」「畏怖の対象」みたいな。そういうところは脈々と受け継がれるゲゲゲの鬼太郎の特徴なのだろう。化物語が「主要なキャラクターの心の闇というか、闇の心」をテーマにした作品なのに対して、本作は「現代の闇」みたいな違いがある。わりと社会派アニメ

2018-02-26

医学部辞めたい

受験して入ったくせに医学部を辞めたくて仕方ない。元の大学に戻りたい。退学からの復学の制度をずっと調べている。

小さい頃から何となく医師に憧れ、志していたがなかなか叶わず(化学が苦手で足を引っ張っていた)、理科1科目受験できる中堅情報工系に入学。親の「やっぱり諦めないで頑張ってみよう」という支えに甘え医学部に再入学した。

しか私はロボットが好きだし、パソコンを使った作業が好きだったのもあって、私の興味は完全に情報系にうつってしまっていた。対して生物系の事柄にはさして興味を持つ事もできず、生命を扱う事は恐ろしくモルモットを使った実験は触る事さえ出来ず時間計測に徹している。

どうして医学部に再入学しようなんて思ってしまったんだろう。

今すぐに辞めたいが私が好きな情報系に戻ったところで将来展望が描けているわけではない。そもそも出戻りなんて社会に出る際に心象が悪そうだとしか思えない。このまま興味を持てないまま、何でこんなところに来てしまったのだろうと思いながら必死試験勉強をしてよくわからないカタカナ相手に戦い注射のような出来る気のしない臨床への訓練を積まなければいけないのか。医師適性はとても低いと思うが、今辞めたいと言っても「それは逃げだ」と言われるだけではないか事実これは単なる逃げではないのか。

毎日現実逃避をしている。元の大学に戻ったという想像で、在学中に頑張って勉強すればなんの資格を取れるだろうというものだ。

前の大学の授業はとても楽しかった。統計は好きだ。数学楽しいJavaCSSなどの授業もとても楽しかった。脳神経の名前利尿剤の機序を覚える事を楽しいと思えない。辞めたい。奨学金返済を考えるとそろそろラストチャンスだ。チャンスってなんだ。単につまらない勉強から逃げたいだけじゃないのか。

医学部に入ってから食欲がガタッと落ちた。なんとなく痛いような、お腹いっぱいのような気がして食べようという気力が起きない。もともと大食いの部類だったのに。

私が甘いだけなのだろう。人生なめてかかっていると言われたらそれまでだと思う。医学部に行かせてもらえているだけ有難い。恵まれているし親にはどれだけ感謝してもしきれない。だけど元の大学に戻りたい。でも戻ったところで何になるのだろう。だからといって私が医者になれるだろうか。電気メスのにおいで倒れ、注射を打つなど考えるだけで鳥肌が立ちそうになるこの私に。医学部辞めたい。再受験なんてしなければよかった。タイムマシンがあるなら合格通知を破り捨てたのに。元の大学に戻りたい。

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

モルモット Permalink | 記事への反応(1) | 03:05

2017-12-15

さけるチーズ食べてる時に聞こえる音

モルモットの鳴き声に似てるわ

2017-12-09

私が受けていたのは「教育」ではなく「篩落とし」だった。

と、35年の半生を振り返って思う。

35歳。氷河期世代の一番下位の世代だろうか。

私がまだ中学生だった頃、数歳上の人達就活情況があまりにも悲惨で、教師をはじめとする大人達が焦り始めていた。でも彼らは焦るだけでどうしたらいいのか分かっていなかった。

とにかく私達子供シビア社会を生き抜ける強い人材に育てようと大人達が暗中模索し始めた。そんな学生時代だったと思う。私達はほとんどモルモットだった。

思うんだけど、それまで大人達はまともに子供教育する意識がなく、子供達の数の多さに甘えてるか圧倒されて何もして来なかったのではないだろうか?

え?私よりも歳上の、氷河期世代の一番歳上の世代以前から苛烈詰め込み教育とか教育ママとかそういう問題はあっただろう?って。

かにそうやって子供猿回し的に追い込んで追い詰める風潮はあったけどそれは本当に教育と呼べるものだったのだろうか。

大人達は子供達に色々強いてはいたけれど、子供達の人口があまりにも多かったので、脱落者も多かったがしばいてもしばいても必ず少数(これがかなり多いんがが)は立ち上がり着いて来るから自分達のやり方が適正かどうか振り返って来なかったのでは。

その歪みが、急激に人口の減る私の世代を襲った。

私が子供の頃、大人達はそれ以前の調子子供達をしばき上げ、着いて来れた者だけを優遇するような事を普通にやっていた。

教室で行われていたのは「教育」というよりは「篩落とし」だ。成績の悪い子供には落ちこぼれレッテルを貼って非難するだけ非難して、あとはほっぽっておいた。

上の世代の子供達はそれでもよかった(いやよくない)。何故ならすごく数が多かったから、優秀な生徒も数はいるし、落ちこぼれ落ちこぼれで数の暴力大人達に反抗しまくっていたから。

私の世代は数が少ないので、簡単大人達に制圧されてしまっていた。

上の世代が滅茶苦茶荒れまくっていたところから急に大人しい子供達になった(単に人数が少ないだけである)から大人達はちょっと調子に乗っていた部分があるんじゃないかと私は思う。

何を言っても従順に言うことを聞くからって、大人達は私達にいろいろやり過ぎた。それなのに私達は主体性が無いだの自分が無いだの目が死んでいるだのと謗られながら大きくなった。

全部自己責任って言われて来たけれど今思えばそれは違う。大人が過干渉だったせいだ。

子供の数が少ないのを言い訳に、児童会を形骸化したり地域の子供達主導でやって来た活動大人が手を出すようになったり、そんな事もあったな。

私達の目標となるすぐ上の先輩達は、私達を前に戸惑い、大人達と後輩の間で板挟み状態だった。彼ら自身過酷しごきを耐えて来ていたのに、後輩は部活に1人とか二人とか、そんな極少数しかいない訳で、そんな貴重な後輩を逃したら顧問から怒られるし部が自分の次の代で潰れたら先輩達に顔が立たないので、とても困っていた。

それでどうしたらいいのかわからないので、それまで後輩に押し付けていた雑用を全部自分等で引き受けておいてあとはほっといた。後輩がちんたら遊んでても居るだけマシだと無視をする。言いたい事は山程あるけれど、数の暴力の弱いもの虐めになるのを恐れて何も言わない。でも優しかったし親切だった。

私達が見てきたのは先輩方のそんな背中だ。

そういう風に育った子供達が、下の面倒を見るべき年頃になった。これが問題を起こさない筈はないと私は思っている。

ところで話は変わるんだけど進撃の巨人を読んだ。ウトガルド城~トロスト区奪還戦の辺り。主人公世代目標になるべきすぐ上の世代兵士がどんどん死んでいく。特にナナバとゲルガーが死ぬ辺りが刺さった。新兵なんか軍隊においては基本使い捨て要員なのだろうがそれを守って死んでいくナナバ達に自分の先輩方の姿を重ねてしまう。さすがアラサーの書いた漫画だなあと思った。

2017-11-28

2017-09-02

メイドインアビスアニメ一期が原作のどこまでやるのか気になる5 +愚痴

原作未読の人は注意。あと今回は愚痴が入っているので、注意。



アニメ第9話を見た。

まさかここでオリジナルというか引き延ばしをするとは。

原作消化で言えば、9話は3巻の10%分しか進んでいない。

このペースだと、一期は3巻だけで終わってしまいかねない。

いや、さすがにそれはないと思うけど・・・

だって3巻終了時点では、一人昏睡中だし・・・

それよりも前に無理やり目覚めさせるオリジナルってのも考えられるけど、

それだと目覚めるためのエピソードが大きく矛盾することになる。

4巻の最初の方だけやって、「俺たちの戦いはこれからだ」ENDなのかな。

第3巻:10,11,12

第4巻途中:13

うそう、

原作未読組の「PVEDにいるウサ耳っ子はいつ出てくるんじゃー!」という怒りの声が聞こえてきそう・・・

このペースだと9話かな。

っていう予想は思いっきり外れました。度し難い。

そしてここからは第9話の愚痴

引き延ばしのオリジナル回だからって、ちょっと今回の話はいろいろと粗がなあ・・・

以下大きく気になったところ。

1.レグがいきなり火葬砲打っちゃう

「どうしてもって時以外は打っちゃだめだよ」と言われているのを、

ちょっと敵が素早いからって「今しかない」って打つのはどうなのよ。

メンタル弱すぎない?

2.消化液に溶かされず、大勢のネリタンタン(モルモットような小動物)にかじられても大したことないリコ

胃袋の中に落ちても甘い匂いしか、消化しかかりのネリタンタンの姿を見てやっと危険に気づくリコ。

いや、消化液であちこち溶かされて痛いでしょうに。

なんとか脱出しても大勢のネリタンタンにかじられる、しかし大したケガをしてないリコ。

あんな全身が埋まるほどのネリタンタンにかじられたらただでは済まないでしょうに。

3.呪い幻覚の内容がチープ

アビス呪いってもっと分かりにくい、エグイやつでしょ。

あんな「ここにいるはずのない人たちがやさしい言葉をかけてくれる」幻覚なんて分かりやすくて、ぬる過ぎる。

子供だましは嫌いだよ。

他にも細かいところいろいろ・・・

まあ、全13話すべてを最高品質でってわけにもいかないだろうから、今回は中休みってことで次回以降にまた期待。

そして4巻の「レグ・・・”それ”どうしたの?」のシーンをぜひ放送してほしい。

願わくばアニメオリジナルカットを付けて。

ロボットなのに”それ”が付いているんだから、このシーンを出さずして、何を出すというのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20170828005856

2017-08-03

2017-07-29

Re: 治験なんて絶対するもんじゃない。

元増田告白からクリニカリサーチ東京病院CR病院)の問題点ざっと挙げてみた。

CR病院対応は、決められた法令の不遵守が疑われるレベルだと思う。

逸脱事項の捏造

被験者参加者)の故意による治験の手順からの逸脱をでっちあげようとした。

これにより、CR病院に落ち度はなく、偶発的な事象して記録すると同時に異常値として解析データ不採用に仕向けようとした疑いがある。

金銭による被験者誘引

治験において金銭授受はあるが、それは謝礼ではなく被験者負担軽減目的として支払われる。しかし、その金額や支払いで治験参加を誘引してはならない。また検査の結果にかかわらず、治験を完遂した場合には全額を支払われるもので、減額を含めた支払い条件は同意説明文書記載されている。

同意説明文書の未記載事項の口頭同意強要

治験参加者自由意思に基づく書面での同意必須であるが、その同意強要されてはならない。しかし、負担軽減費の支払い条件の変更を口頭同意強要したことが伺える。

同意説明文書への治験依頼者名の未記載

これは法令不遵守ではないが、増田を欺いたことが分かる。

参加者同意説明文書という、治験に関する情報網羅した書類が必ず渡される。治験薬や治験を依頼している製薬会社情報、行う検査の内容、メリットデメリット参加者権利などが細かく書かれた書類だ。

2015年時点では、この文書製薬会社名を入れることはほぼ全国的共通である特に治験専門病院であるCR東京採用していないわけはない。おそらく、増田製薬会社名を尋ねた時点で同意説明文書を手元に持っていないことを気づき自分に有利と判断したと思われる。

ところで、ブコメから治験薬とプラセボを取り違えて投薬したのでは?とあるが、おそらくこれはない。

なぜなら、もし投薬違いがあるとすれば、プラセボ投与集団から薬物が検出されるからだ。

しかし、プラセボ集団からは検出されなかったから、病院側が慌てて増田に詰め寄った。(そもそもプラセボ使っていない可能性大)

10日間の入院×2回ということから、1回の入院中に複数回飲んだ試験と思われるが、増田血液から一切薬物等が検出されなかったのだろう。

この場合考えられるのは、

  1. 口に入れたけど飲んでない
  2. 飲んだ後、毎回吐いていた

の2パターン

前者は通常飲んだことを確認するために、口の中を舌の裏やほほの内側まで懐中電灯を当てて調べるし、その記録に残すので可能性消去された。

しかし、意図的嘔吐して薬物が吸収されないようにする非協力的な参加者まれにいるのも事実で、複数回飲んだにもかかわらず薬物が検出されなかったために、服用後短時間で吐いたと増田疑惑の目が向けられたと言える。

元々、治験薬とプラセボ(使っていたとすれば)が入れ替わっていた可能性もあるが、その線もほぼない。

これも同様の理由で、一組だけ入れ替わっていたとすれば治験薬なのにプラセボグループに使われた薬の存在問題になる。通常の製造工程から考えて、1剤だけ治験薬のラベルが貼り間違えられたことも考えにくい。(※Phase1なので非盲検・単盲検が前提)

元増田が負った怒り・不安失望に対して、一業界関係者として申し訳なく思う。

増田のように健康なのに治験に参加してくれる人がいるおかげで、すべての薬は世に出てきた。

この先、増田が飲んだ薬が世に出るかどうかは分からないが、それを必要としている患者がいるのは事実で、増田の協力を無碍にしたことをお詫び申し上げたい。

治験モルモットと言われてしまうのは仕方がないと思う。治験とは、治療のための試験からだ。

からこそ、参加してくれる人の安全確保と参加の意思尊重大原則に治験を行うことで、医療機関製薬会社他、業界関係会社団体参加者を守ってきたし、それがブレることはない。

それだけに、CR病院アイロム社の対応は極めて残念で、願わくば関係者は適切な処分を受けて欲しい。

https://anond.hatelabo.jp/20170729065340

治験なんて絶対するもんじゃない。(追記あり) クリニカリサーチ東京病院株式会社アイロムについて

2015年に、新宿クリニカリサーチ東京病院治験新薬実験バイト)を受けた。

今回の件で思った。治験なんて絶対にするもんじゃない。

ネット上でよく治験が楽なバイトとして治験が紹介されているけど、あんなのアフィリエイト広告費がたっぷり出てるからブロガー無責任に勧めているだけだ。

自分が受けた試験の内容は、飲み薬で確か病院に10泊を二回して約25万円ぐらいをもらえるような試験だったけど、受けたあとが最悪だった。

試験が終わって一週間ぐらい経ってから自分携帯東京クリニカリサーチ病院から連絡があった。

どうやら、自分試験結果におかしなところがあったようだった。(自分医学的なことは詳しくわからないけれど、薬の成分が血液から検出されなかったようだった。)

電話口にでたスタッフはすごく威圧的な口調で、不正をしただろ、不正したことを認めないと25万円の謝礼を支払わないぞ、と脅しのようなことを言ってきた。

もちろん、自分不正なんてしていないし、試験中は穏やかだったそのスタッフが急にそんな威圧的な態度を取ってきたことに驚いた。そのスタッフの本性を見たような感じだった。

不正はしていないと言っても、そのスタッフ不正をしていたことを認めろ、そうしないと謝礼を支払わないの一点張り

要は、たとえ嘘でも私が不正をしていたことにして、今回の試験結果がおかしかったことを誤魔化したいのかなと思った。

自分不正はしていない、謝礼を支払わないなら裁判をする、そして自分試験結果がおかしいのであれば、医療的な保証をするべきではないのか、というとそのまま電話は切れた。

数日後、その上司だというスタッフから先日のスタッフの態度に対する謝罪とともに今回の試験の結果がおかしいことに心当たりはないかという連絡があった。

もちろん、自分に心当たりはない。

そのことを伝えると、その上司はこれまでの試験の経緯と、私たち質問に答えてくれないか、といってきた。

上司質問は、私が薬を吐き出したりしたことはなかったか、薬を飲んで気分が悪くなったりしなかったか

などという、試験結果がおかしくなった理由をさぐるような内容だったが、わたしはそんな覚えはないので、吐き出したりはしていない、通常通り試験を受けたと返事をした。

返事をすると、その後その上司から連絡は全くなくなった。メールを送っても返事がこない

私は、25万円は期日通りもらえるのか、私の健康大丈夫なのかという連絡をしたが返信はなし。試験結果がおかしいのだから、きちんと私に検査をさせるべきではないのかとも伝えたければ返信はない。

それから数日後、その上司からまた当日の体調がどうだったかなどという質問があった。

こちらの質問には返事をしないのにそちらばかり質問をするのはおかしいのではないか、というと上司は平謝りをしてきた。

しかし、上司から質問に答えると、またその上司とは連絡が取れなくなった。

返信をしてくれ、と言っても返信は全くない。

その後、一週間ほどしてから上司から連絡があり、また試験当日の体調がどうだったかなどという質問があった。

自分は前回と同じく、こちらの質問にはきちんと答えないのにそちらの質問ばかりするのはおかしいのではないかというと、また平謝りをして、どうかこちらの質問に答えてくれという。

仕方ないので質問に答えると、またその上司とは連絡が取れなくなった。

その後、また数週間後ぐらいに上司から連絡があり、今回の試験結果がおかしかった理由がわかるまでは25万円は支払わない、という連絡があった。

それはおかしいだろう、支払わないのであれば裁判をする、というとあっさり25万円は振り込まれた。

その上司対応があまりにもおかしいので、クリニカリサーチ東京病院治験を紹介している(株)アイロムという会社に連絡をした。

するとアイロムスタッフはまた平謝りで、今回の件について確認をして、その上司とともに私の家に謝罪に来るということになった。

しかし、謝罪の日程を決めるまでに何ヶ月も時間がかかり(メールを送ると、その返事に一週間以上かかる)、結局謝罪のためにうちに来ることはないという連絡があった。

しかも、なぜか文章威圧的だった。

治験に参加をすると、治験倫理審査委員という機関を紹介されて、そちらが施設参加者との間のトラブル仲裁するということだったけれど、相談をしても何もしてくれない。

今回の治験主催である製薬会社も社名を伏せられていて、製薬会社を教えてくれと問い合わせても教えてくれない。

試験の結果がおかしいのであれば、自分健康をきちんと確認してちゃんフォローをするのが筋だろうけれど、そういうこともなかった。

労基署消費者相談センター厚生労働省相談をしたけれど、治験は通常の労働とは違うということもあってきちんとした対応はしてくれない。どこも、クリニカリサーチ東京病院と話し合ってくれというばかり。

クリニカリサーチ東京病院からしたら、参加者はただの金儲けのための実験台で、その後何かおかしいところがあっても誠意を持ってフォローをするという気持ちは全くないんだなと感じた。

治験なんて絶対にするもんじゃない。あんなの、ただのモルモットだ。

クリニカリサーチ東京病院特殊だったのかもしれないけど、あんなめには2度とあいたくない。


追記

色々と反響があり、こちらも考えさせられました

寄せられたコメントの中で、私の説明不足だった部分があったように感じたので記載しておきます


→どうやら、自分試験結果におかしなところがあったようだった。(自分医学的なことは詳しくわからないけれど、薬の成分が血液から検出されなかったようだった。)

という記載について、薬の成分が全く検出されなかったわけではなく、想定される量が検出されなかったようです。そのため、私が飲んだ薬がプラセボだという可能性はありません。

想定される薬の量がどうなのかという詳しいことは、電話で伝えられただけできちんとした説明データなどを当方のもとに送られてきていないのでわかりません。



→今回の治験主催である製薬会社も社名を伏せられていて、製薬会社を教えてくれと問い合わせても教えてくれない。

こちらの記載に関して、治験参加時に配られた書類には書かれているはずだから、私がその書類を無くしただけだろうという記載がいくつかありましたが、私はその配られた書類をきちんと手元に保管しています

そちらの書類を私なりに何度も何度も読み込みましたが、製薬会社がどこなのかという記載はありませんでした。

問い合わせをしても、製薬会社は教えられないと言われました。そのため、私はこの状況を製薬会社に伝えるすべがありません。クリニカリサーチ東京病院以外の、第三者立場でこの状況の相談を受けてくれる組織がない状況です。

以上、追記させてください。

みなさんのコメントはとても参考になっていますありがとうございます

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