と、35年の半生を振り返って思う。
私がまだ中学生だった頃、数歳上の人達の就活情況があまりにも悲惨で、教師をはじめとする大人達が焦り始めていた。でも彼らは焦るだけでどうしたらいいのか分かっていなかった。
とにかく私達子供をシビアな社会を生き抜ける強い人材に育てようと大人達が暗中模索し始めた。そんな学生時代だったと思う。私達はほとんどモルモットだった。
思うんだけど、それまで大人達はまともに子供を教育する意識がなく、子供達の数の多さに甘えてるか圧倒されて何もして来なかったのではないだろうか?
え?私よりも歳上の、氷河期世代の一番歳上の世代以前から苛烈な詰め込み教育とか教育ママとかそういう問題はあっただろう?って。
確かにそうやって子供を猿回し的に追い込んで追い詰める風潮はあったけどそれは本当に教育と呼べるものだったのだろうか。
大人達は子供達に色々強いてはいたけれど、子供達の人口があまりにも多かったので、脱落者も多かったがしばいてもしばいても必ず少数(これがかなり多いんがが)は立ち上がり着いて来るから、自分達のやり方が適正かどうか振り返って来なかったのでは。
私が子供の頃、大人達はそれ以前の調子で子供達をしばき上げ、着いて来れた者だけを優遇するような事を普通にやっていた。
教室で行われていたのは「教育」というよりは「篩落とし」だ。成績の悪い子供には落ちこぼれのレッテルを貼って非難するだけ非難して、あとはほっぽっておいた。
上の世代の子供達はそれでもよかった(いやよくない)。何故ならすごく数が多かったから、優秀な生徒も数はいるし、落ちこぼれは落ちこぼれで数の暴力で大人達に反抗しまくっていたから。
私の世代は数が少ないので、簡単に大人達に制圧されてしまっていた。
上の世代が滅茶苦茶荒れまくっていたところから急に大人しい子供達になった(単に人数が少ないだけである)から、大人達はちょっと調子に乗っていた部分があるんじゃないかと私は思う。
何を言っても従順に言うことを聞くからって、大人達は私達にいろいろやり過ぎた。それなのに私達は主体性が無いだの自分が無いだの目が死んでいるだのと謗られながら大きくなった。
全部自己責任って言われて来たけれど今思えばそれは違う。大人が過干渉だったせいだ。
子供の数が少ないのを言い訳に、児童会を形骸化したり地域の子供達主導でやって来た活動に大人が手を出すようになったり、そんな事もあったな。
私達の目標となるすぐ上の先輩達は、私達を前に戸惑い、大人達と後輩の間で板挟み状態だった。彼ら自身は過酷なしごきを耐えて来ていたのに、後輩は部活に1人とか二人とか、そんな極少数しかいない訳で、そんな貴重な後輩を逃したら顧問から怒られるし部が自分の次の代で潰れたら先輩達に顔が立たないので、とても困っていた。
それでどうしたらいいのかわからないので、それまで後輩に押し付けていた雑用を全部自分等で引き受けておいてあとはほっといた。後輩がちんたら遊んでても居るだけマシだと無視をする。言いたい事は山程あるけれど、数の暴力の弱いもの虐めになるのを恐れて何も言わない。でも優しかったし親切だった。
私達が見てきたのは先輩方のそんな背中だ。
そういう風に育った子供達が、下の面倒を見るべき年頃になった。これが問題を起こさない筈はないと私は思っている。
ところで話は変わるんだけど進撃の巨人を読んだ。ウトガルド城~トロスト区奪還戦の辺り。主人公世代の目標になるべきすぐ上の世代の兵士がどんどん死んでいく。特にナナバとゲルガーが死ぬ辺りが刺さった。新兵なんか軍隊においては基本使い捨て要員なのだろうがそれを守って死んでいくナナバ達に自分の先輩方の姿を重ねてしまう。さすがアラサーの書いた漫画だなあと思った。