はてなキーワード: メーカとは
ちょっと補足するが,パンティにQRコードを貼るなら,臀部(大殿筋の上辺り)に左右一つずつ貼るのがいいと思うぞ.
盗撮犯はだいたい後ろからやってくる.このようにQRコードを貼ることで,盗撮犯がカメラを向けたらQさんコンニチワ,だ.
何ならソニーとかキヤノンみたいなカメラメーカ,ファーウェイみたいなスマホメーカとタイアップして,このQRコード見つけたら自動的に通報するようなサービスを展開してもいいかもな.
参考にしてくれよな!
そうだ,いいこと思いついた.
別に個人特定できる必要はなく,一般人(≠AV女優)である日本人という情報を埋め込む.
動画検索でQRコードが検出されたらアップロードした人を特定しタイーホ.
QRコードが写ってる時点で一般人が盗撮されたってことが明らかなので,投稿者のIP開示とかが要求できる.
拾い物をアップロードした人だろうが関係ないさ.逮捕しな.もとを辿れば盗撮犯に行き着くだろ.
○ペイよりよっぽどいいQRコードの使い方だと思うね.
===========
https://anond.hatelabo.jp/20190709160725
ちょっと補足するが,パンティにQRコードを貼るなら,臀部(大殿筋の上辺り)に左右一つずつ貼るのがいいと思うぞ.
盗撮犯はだいたい後ろからやってくる.このようにQRコードを貼ることで,盗撮犯がカメラを向けたらQさんコンニチワ,だ.
何ならソニーとかキヤノンみたいなカメラメーカ,ファーウェイみたいなスマホメーカとタイアップして,このQRコード見つけたら自動的に通報するようなサービスを展開してもいいかもな.
ネットワークエンジニアをやっていて、機器に貼るためにホスト名等の情報や、
ケーブル等に取り付けるタグ(丸札)に貼るためのシールをテプラでたまに作成する。割と好き。
家でも似たような事をやりたくなって、最初はプリンタを持っていたから、シール用紙で印刷していたけれど、
面倒だったので、1万ちょいなら趣味みたいなものとして買ってもいいかなと思って、思い切って買った。
最初はセブンのコーヒーメーカのごとく、いろいろ作って貼ってみようかと思ったけれど、
意外と貼るものが無いことに気づき、今ではホコリをかむっている状態。
連結の数なんか意味あんのか、キーエンスとかのファブレス見習えよ
というのは置いといて、このご時世にカネカは致命的に海外で商売できてないね。日本60%、アジア20%
http://www.kaneka.co.jp/ir/finance/segment/
北米、ヨーロッパで半分以上稼いでる企業だと外人やら現地法人上がりの役員がいて、
こんな日本的な無茶なことは通らないご時世だとおもうのだが、おそらく典型的な日本企業なんだろうな。
信越東レ財閥系化学メーカならともかく、この売り手市場でカネカレベルでそんなに求人が楽とも思えないし
ただでさえ女子比率が高そうな化学系の採用を考えたら悪手にもほどがあるだろ。
ともかく数年後にはかなりヤバそう・・・。
加工技術の限界、消費電力の増大などにより、従来デバイスの技術的な限界が大きな課題となっている。
この課題を解決するために各国研究機関、大学、企業などにおいて、多方面でのアプローチによる解決策の模索が行われている。
そのような状況の中で、進化によって洗練された生物の生体機構の工学的な応用は、有力な解決策の一つとしてとして大きく期待されている。
今回、わが国を代表する電気電子機器系ハイテク企業における生体工学応用デバイスの実用化状況について、1年以内にインターネット上に公開された情報をもとに調査を実施した。
また、比較対象として外資系企業1社についても同様の調査を行った。
■調査結果
生体工学応用デバイスの実用化が確認できたのは、わが国を代表するコンピュータメーカである日本電気株式会社及び、富士通株式会社であった。
その2社のうち日本電気株式会社が質、量ともに富士通を大きくリードする結果となった。
その他の企業及び外資系企業においては現時点で実用化を確認することができなかった。
■具体的な調査結果。
https://jp.fujitsu.com/solutions/cloud/k5/document/pdf/k5-specification-iaas.pdf
https://jpn.nec.com/lpgasmdms/service.html
https://jpn.nec.com/embedded/solution/index.html
https://jpn.nec.com/express/systemguide/100/1904/tower/t120h.pdf
http://club.express.nec.co.jp/NaviSearch/reference.asp?code=NP8100-2757YP1Y
https://www.manuals.nec.co.jp/contents/system/files/2019-02/qx-s5200g_opr_1_11_ns.pdf
内臓電源
https://support.express.nec.co.jp/usersguide/UCnas/NS300Rg_a/7010702-00101.pdf
確認できなかった
ユーザーによる希望的な投稿のみ、企業からの提供情報には確認できなかった
確認できなかった
確認できなかった
■最後に
今回の調査では電気電子機器系の企業を対象としたが、生体工学技術の応用はモーターやエンジンなど機械系部品や、カメラなど光学機器への応用も進んでおり、今後他業種での事例も多くなっていくことが予想される。
以上
心苦しく感じている周りのPとの関係。
そんな物を感じながらバカみたいな心をすり減らして増田にアイドル増田ーを書く。
実に空虚じゃありゃせんか。
デレマスP、ミリマスP、エムマスPは、それらを投げ捨ててシャニマスをするべきである。
シャニマスには765ASのような全アイドル全肯定の空気しかない。
それだけで通じるはずだが
1つ。
格差がない。
他のスマホゲーアイマスは格差がある。やれ二周目のSSR出る前に●●を出すべきだとか、声がないだとか、●●優遇すぎだとか、運営が無能だとか。
スマホゲーアイマスはキャラが多い。キャラが多いだけフックがあるから引っかかる人も当然多い。
その引っかかったフックを丁寧に引き上げてくれる運営でないことを不満に思ってる奴は多い。
だが実際はフックではない。撒き餌なのだ。食ったからと釣り上げてくれるわけではない。運営(釣り人)の垂らした糸を見極める奴だけしか釣り上げてくない。
「全部釣り上げろ無能運営」というが、運営もお前らに餌を与えるために釣りをしているのではなく、釣り上げた魚で生活するために糸をぶら下げているのだ。
よく考えたらデレマスにおける765ASはまさに撒き餌だ。765ASで既存のPを集めたのだ。
いや、嘘だ。事務員のはづきさんと天井社長には釣り糸はついていない。そういう意味で765ASには勝てていない。天井社長は声が社長なので釣り上げてほしいがそこまで運営に求めるのも酷なので割愛させてほしい。
比較的、櫻木真乃という「信号機の赤」ポジションは優遇されてはいる。季節イベントの配布は彼女が多いのだ。しかし、プロデュースできるキャラのレアリティとしては横並びだから安心してほしい。(最近追加された3人を除いて)
むしろ、櫻木真乃のサポートが優秀なので、櫻木真乃を育成する時に櫻木真乃サポートが使えないというデメリットと化しているので逆に不遇ではないのか?
そう考えたら、結局格差はないのだ。(最近追加された3人を除いて)
2つ。
数え方がユニット単位であり、ユニット内部でいらない子がいない。
シャニマスは自由に編成できるが、コミュニティが大体ユニット単位だ。
illumination STARS(イルミネ)は、信号機トリオの組み合わせである。おっとりとした真乃(黄)、ストイックな灯織(青)、ムードメーカのめぐる(赤)という、本家アイマスよろしく赤が他をサポートして他は赤から刺激を受けて成長する構成になっている。信号機の三人の扱いは他のアイマスと同じであるので安心してほしい。
L'Antica(アンティーカ)は非常にクセが強いスルメのような組み合わせである。見た感じバラバラなユニットと感じる人は多いが、プレイしてみると「あ、この5人じゃないとダメなんだな」となる。本人たちも言っているが、彼女らは「大小様々な歯車」である。一つが抜けると一気に動きがとまってしまうが、奇跡的な噛合がおこって大きな装置を動かしている。アンティーカの一人を知れば、いつのまにか五人知ってしまえるのでお得である。
放課後クライマックスガールズは、一言で言うと「奇跡」である。全員の歩調が合っておらず、方向も違う。算数の問題でいうと「Q.太郎君は時速5kmで40分前に学校に向かいました。お弁当を忘れた事に気がついた隣の山田さんがバイクで駅の方向に時速60kmで向かう場合、山田さんはいつ太郎君に追いつけますか? A.太郎の助ける声が響いた時」といったような感じだ。向いてる方向は違うが、一人が助けを求めたら全員がそれに呼応して集まってくるのだ。
ALSTROEMERIA(アルストロメリア)は、一言で言うと「楽園」である。これ以外言うことがない。なぜなら彼女らのコミュをみると確実に「尊い」以外の感情がなくなるからだ。それでも語らねばならないから語ると、「甜花(双子)」という圧倒的かわいい存在に依存する「甘奈(双子)」という「二人の世界」が先ずあり、そこに「千雪」という女神が介入することで世界を傷つけず存続させることが出来た楽園である。
Straylightはぶっちゃけまだそこまで詳しくないからわからないっすよ。多分、あさひという外を全く気にしない天才と、外を気にするあまり問題をもった冬優子と愛依が互いに影響しあってバランスを保つ感じじゃないっすかね。ココらへんは彼女らのサポートカードが充実してきてからっすね。
問題点の「ユニットを超えた会話」は、期限イベントで発生するので安心してほしいが、基本はユニット単位である。
3つ。
終身雇用制、手厚い福利厚生、残業は多めだが全額出る、そんな昭和の夢の残滓のような会社に勤めていたんだけど昨年退職した。
待遇は非常に良かったんだけど(0.6Googleくらい)、安定が自分の中で恐怖に変わっていき、やがて耐えられなくなってしまったので退職に至った。今は年収が半分になってベンチャーみたいなところにいる。預金残高を見て不安になることはあっても前職で感じたような、先細りの籠に閉じ込められたような気持ちには未だなったことがない。
前職のような会社は日本にあまり無いから参考になる人は少ないかもしれない。これはあくまでも平成という時代に10年間昭和のサラリーマンをやってきた自分のそれまでの人生のまとめであり弔辞だ。
もしかしたら、公務員とかレガシーな産業で利益を独占的に得られる会社に潜り込んだ人にとって何かの参考になれば幸いである。
地方都市生まれ、小中高と公立育ち、大学は他県の国立大学へ、理系でマスターを修了後に学校推薦で就職。
地方の医学部に進学した人がバズってたけど、私は井の中の蛙というか幸せな環境で育ったなあと思う。学区が良かっただけかもしれないけど、所謂ヤンキー的なタイプは少なくて、開業医の子息とかとも普通に遊んでた。うちは公務員だったけど(子供だったから気が付かなかったという事情もあり)、引け目や負い目を感じたことはなかったと思う。財力の違いを感じたのは高3で進学先に私立の医学部を選んでたときくらい、他は塾とかも選択肢が限られていたのでみんな一緒だった。
理系を選んだのは高校で7割くらいが理系を選ぶ環境だから何となくという要素が大きい、医者になりたいとかエンジニアになりたいとか思わなくもなかったけど、何より理系は潰しが効くし、数学が苦手じゃなかったらやっとけくらいの気持ちだった。
高3のときの偏差値は公立の医学部には足りず、迷わず他県の地方国立大に進学。大学でやりたいこと云々より自分の偏差値で行ける最大限の学歴に行ったという感じ。お陰様で入学後に学力不足を感じて本当に苦労した、かろうじて留年を逃れたくらいの成績。マスターは殆どの人が行くからというだけで選択、例によって院試は内部生にも関わらず死ぬかと思った。
そんな体たらくだったので、就職のときは仕事と研究との関連性だとか一切興味がなく、学校推薦で行ける会社の年収を四季報で確認して上から順番に面接。お辞儀できれば受かるという情報通りヌルい面接をあっさり通り前職に内定した。
○どんな会社だったのか
・環境
東京から車で2,3時間くらいでコンビニまで徒歩30分くらいかかる僻地、面接に行ったときヤバイかなと思ったけど、地方の大学生からすれば東京まで2,3時間で行けるというのはそれなりにメリットがあった。あとアマゾンが送料無料をやり始めた頃で、アマゾンが届けば生きていけるかなあとも思ってた。
・待遇
これは無茶苦茶良かった、待遇というか給与だけだけど。就職を決めたときの四季報だと平均年収は0.5Googleくらいで(平均年齢43歳のね)、辞めたときの年収は0.6Googleくらいあった。ただし、基本給:残業代:賞与が4:4:4で、賞与は完全に業績連動のため期待は禁物。リーマンショックの頃に3,4年働いても基本給が5000円しか上がらなかったのは忘れられない(さすがにその後是正された、けど過去の貰えていない分の保証はなし)。
残業代が4というところからお察しの通りで、残業時間は年間で700〜900時間くらい。寮や社宅は完備のため、平日は会社の敷地から一度も出ることなく過ごしていた。
・業務
表向きは最新技術の研究開発となっているけど、実際は雑用と書類仕事に疲弊していた。入社してから一度も新しい技術みたいなのを研究したことはないと思う。ひたすらに社内調整、下請を買い叩く、行き当たりばったりで問題を解決するの繰り返し。更に営業案件とか製造案件の雑用がバシバシ入ってくる。先のことを考える余裕なんて一切なくてアワアワしているだけで10年過ぎてしまった。
私に限らず全社的にそんな仕事ぶりだったけど、市場は寡占状態なので会社は常に儲かっていた。そもそも枯れた技術なので顧客は新商品とか新機能は望んでいないのだから。たまに声の大きい営業が上げてくるマイナな案件に対応するために右往左往して終わり。そのマイナな案件にかける時間を全体に対する原価削減に当てたほうが良いのではとは皆が感じていた。
一応良いところを挙げておくと、暗い実験室に引き篭もって量産の目処のない机上の空論をやるよりは、現場の問題を拾い上げて設計に反映するのは楽しかった、それは生産技術の仕事ではないのかと思いつつも。
同僚も学校推薦で来る似たようタイプなので、穏やかで話が早くやりやすかった。東大東工大が主な学閥なので地方国立大は肩身が狭いとか無いの?とかはたまに聞かれたけど、管理職になりたいだとか野心がない限りは別段に何も不自由は無かった、学歴よりも上司だとか部署のガチャ要素が大きかったし、皆が平等に不公平という感じだった。
・組織
上の意向を忖度して言われる前にやることが尊ばれる文化という感じ。基本的にマネジメントというものは全く無く仕事もこれやっといてというだけで納期も仕様も何もない。上司の指示どおりに働いていたら、その上から烈火のように直接指導されることもザラ(そうゆう時の上司は沈黙)。酷いなと思いつつも、上司とその上も同じような関係だし、その上もそのまた上も…
これがいわゆる昭和の日系企業かぁと思っていた(違ったらごめん)。賽の河原に石を積むというか、降り積もる雪をひたすら取り除くような気持ちで働いていた。
人事評価みたいなのも形式的で、上司は査定するけど、結局は偉い人の好みに合わせて査定をつけないと書き換えられてしまったうえで上司の評価も下がるので(人を見る目が無いという理由で)、偉い人の好みをどうやって察して査定をつけるかという作業になっていた。偉い人に取り入ろうにも年に一度も話すことがないし。逆に気に入られている人もそんなに親しげではないので、何が基準かは永遠にわからなかった。
こんな状況でどうしてやる気を失わなかったのかというと、査定が悪かろうと昇進が遅れようと、何だかんだで高給をもらっている自覚と責任を感じていたからだと思う。少なくとも自分の給与以上は働かないと、お世話になっている子会社や取引先に会わせる顔が無いという気持ちで踏ん張っていた。
○どうして辞めようと思ったのか
20代の頃は仕事や組織に不満がいくらあっても、それを上回る待遇を得ていたので辞めようとは思わなかった。仕事なんてものは所詮は時間と感情の切り売りで、仕事にやりがいとかいうのは、金が払えない会社の言い訳だと思っていた。
ところが30代になり預金残高が1Googleを超えたあたりで、ふと将来のことを考え始めた。余りにも遅すぎた自我の芽生えだったのかもしれない。
いつの間にか同僚はみな結婚して家のローンや保育園の話をしている。家族がいる奴は良い、自分の代わりにお金を使ってくれて、それで幸せになれるのだから。ここで暮らしていれば子供の1人くらいは私立の医学部に入れられるかもしれない。で、私はどうなる?20代の頃と預金残高以外で何が変わった?
お前も結婚すれば良いのではないかと言う声が聞こえるけど、これは中々上手く行かなかった。こんな僻地にある会社だから、相手は地元の人ばかり。上記のように地方を転々としてきた自分とはどうしても感覚が合わない、例えば同僚の結婚式で、高校の部活の先輩後輩の関係が30過ぎても未だに残っているのが嫌だった。
敵を増やしそうだけど、地方にはヤンキーと良家の子女しか残っていないんだと思う。ヤンキーは説明不要でいわゆる地元のマイルドヤンキーさん、看護学校もあるので一人でやっていけるこの手のタイプは多い。良家の子女は女子大を出て実家に戻って地元の金融機関に就職という感じ。同僚の奥さんはどちらも結婚したら寿退社して社宅に住んでいた。
私だったら、相手が1Google稼いでいても専業主夫になりたくないなあと思う。その程度の収入に自分の後の人生の選択肢の全てを預けたくない。私は夫婦は人生の連帯保証人だと思っているので、こうゆう自分の感覚と合っている人と結婚したかったんだけど、残念ながらそんな人とは出逢えなかった。それほど立ち入った話はしないけど同僚と上のような話をしていたら「そもそも君は結婚相手に何を求めているの」と言われたのが印象深かった。私は友だちとか親友的な要素、少なくとも同じ地平で物事を見渡せる人が欲しかったし、これまでもそうゆうタイプと仲良くなってきたけど、同僚的にはそうじゃないらしい。明確な言語化はできないけど配偶者に求める要素は、自分や家庭を甘やかし指導する父母か、育て導く愚かな子女で、少なくても対等の関係という要素を求めてはいないようだった。
そんな食わず嫌いをしているうちに同僚の息子は小学1年生、これからも私がああだこうだ言っている間に大学生になって家を出るのだと思う。その頃の私はきっと40代半ば、もう結婚もできないし転職もできない、ただ自分は失敗した、取り替えしがつかないという気持ちを抱えながら、報われることのない仕事をしている。やがて50代になって預金残高が5Googleを超えて、高級老人ホームに入ること夢見て死ぬんだろう。
安定している故に見えてしまう自分の将来、この少し広い会社の敷地の中で人生を終えるであろう現実、その恐怖に囚われてしまってからはもう辞めること以外は考えられなくなってしまった。そこからは早い、たまたま自分のやっていた職種と募集がマッチングしたから逃れることができたけど、本当だったらこの歳で逃れることは難しかったと思う。前述のように賽の河原のような雑務がメインなのでとても潰しが効かないし、何よりも給与が激減する不安に耐えられない。
高校生に対してライフプラン(仕事と出産などを含んだもの)を教育するみたいな話をニュースで見たけど、これは年齢関係なく必要だなと心から思う。別に結婚とか子供とか興味は無く、食べてくために働くというのは本心として良いと思う。けれど同期同僚が結婚して子供ができて、仕事に意味や成果は無く、ただ歳だけが増えていく状況であなたはどこまで正気を保てますか?というのは自分自身によく確認したほうが良い。登山なりゴルフなり何かしら見つけられた人はそれで良いし正気を保ち続けることができると思う、私にはそれができなかった。
昭和という時代は、定職さえあれば誰もが家庭を持ち豊かで幸せになれるという幻想を皆で信じていたから実現できた神話だったんだと思う。家族がいれば多少の理不尽にも耐えられたし仕事に魅力が無く潰しが効かなくても何とかなった。けど平成が終わるこの時代に神話はもう死んでいた。
私は辞めることができたからまだ良い、けど私のような気持ちで辞めることすらできない人が、あの会社に大量に留まっているとするなら。前職に留まらず、世の中の会社や社会のどこかに、私のような人間が大量に潜んでいるとするのなら。
欧米でよくある銃乱射事件とかは、こうゆう時代の歪みから発生するんじゃないかなと思う。俺はきちんとレールに沿って人生を進んできたのになぜ幸せになれない?俺がおかしいのかそれとも社会が狂っているのか?
話が逸れてしまった。10年間よく会社に尽くしたし、会社も十分それに報いてくれたと思う、総じて良い会社だった。ただ、私は会社と同じ昭和の夢を見ることができなくなってしまった、それが退職理由。平成の終わりにこうやって昭和の夢の残滓のような会社を去ることができたのは何か奇縁を感じる。
高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レアな存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.
15年前に卒業.化学系学科.情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.
①進学が容易
後述する.
高校1年次から専門教育を受けられる.全課程が専門教育というではなく,高校や大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養の比率が高く,年次が上がるにつれ逆転するという塩梅だ.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.
①進路が固定されやすい
大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の8割はメーカにいる.世界が技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやすく視野を広く持つことも難しいという点もあったかも知れないが,情報網が発達した現代はまた異なるかもや知れない.教員も普通の研究員なので,理系のアカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろ.コースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.
専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合,モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専は受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.
③恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的に重要だろう.学科構成に依るとは思うが伝統的な学科であれば女性が少ないので競争は激しい.然しながら化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.
授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間をレポートだけで費やしていた.科学的文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通科高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.
また,数学が難しかったことを殊更に覚えている.入学後すぐに三角関数,確率,2年次に上がる前に微積,線形代数.2-3年次で重積分,偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論,ラプラス変換,ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気,化学,熱力,固体物理・・・うっ.
①就職
就職率100%.求人倍率~20倍.県内の有力企業,大手の現業職(現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業や業態研究をせずに適当に就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生も技術バカが多く,経済的なリテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネットの情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.
②進学
大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.
専攻科:
自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒の資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか.卒業後は旧帝や技術系大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレアな存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.
進学(3年次編入):
ここが最大のうまみであろう.
①いくつも受験が可能.大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分の場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.
②受験科目が少ない.例えば東大は数学と英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題も奇天烈なものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である.
③高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学,提携の私立大学(関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではないモラトリアム層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験,研究発表においては経験の差が歴然.学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.私も彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけずすぐ辞めたというオチ.
ピンキリ.トップレベルの明石高専や豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後.学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料や土木,環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.
全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地からの学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.
さすがに今はもうないだろう.しかし,中学校を出たばかりの小僧に大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭的負担をかけられないため多数は我慢を選択する,という構図だったし,私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力を揶揄した称号があり,1年次から「奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止,テレビ閲覧禁止,風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,陰湿な日本文化を如実に体現しており,乾いた笑いが出る.
私は上級生になった際このシステムを廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.
メーカを何社か転職し,現在はITでデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてからも収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.
【2022年追記】現在37で1700万.幸運が重なり待遇の良いコンサルへ転職することができたが,周りの優秀さに埋もれつつありキャリアピークも近いかと感じている.がんばりたい.
とある大手電機メーカの研究所でソフトウエアエンジニアをやってます。
まともにコード書けるのが全体の3割くらい。
残りの7割はコードを書かずに有能な派遣エンジニアに「これ作っといて」ってお願いするだけ。
コードを書かないんだか書けないんだか知らないけど、なんでお前ソフトウエアエンジニアになったんだ?
そしてコード書かない人が若手の指導するもんだから若手も育たない。
ちゃんとコード書ける人は入社前からプログラミングを嗜んでいた人か中途入社の人。
コード書いてない人は何してるかって?
俺にはわからない。
パワーポイントをいじっているように見えるが、一日中いったい何やってんだ。
よくタバコを吸いに行ってるよなあ。
あるあるかもしれないが、コードが書けることは評価対象にならない。
それっぽいパワーポイントを書いて、それっぽいこと言っている人が評価される。
プログラミングスキルを向上しようと自己啓発したり家でコーディングしてんのが馬鹿らしくなる。
もう本当に転職を考えるくらい嫌気がさしてるんだけど、他の電機メーカのソフトウエア開発の現場はどうなんでしょうか?
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。
元増田と違い中学受験や私立とは無縁で、片田舎の公立中学、公立高校を卒業して京大に入学した。
勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。
一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿、私立高に通って高いお金出さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。
将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒の大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学の工学部を卒業し、自動車系メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。
そんな自分に両親はとても優しかった。自分の選択や意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分の可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。
結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅からの公共交通機関のアクセスが最悪だったからである。
この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大はゼロ、京大が1人いるかいないか、旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さな小さなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。
1年生の夏、家族で京都に旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威のシンボルである時計台、自由を象徴する立て看板、鴨川と百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。
本気でそう思った。
そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師のOBが地方でやっている個人塾だった。英語と数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。
高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立やMARCH、関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しかし学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。
高3になると全国模試のランキングに浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタルが不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由で八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。
高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。
受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるときや不安でやる気を失いかけているときに鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。
【試験】
京大工学部はセンター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学は足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけが生まれた。
私立は早稲田と慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応の試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語の試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。
京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝えたかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。
当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学の試験は試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。
ところで、新年を迎えたころから自分の中のルールとして「前期試験不合格を連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験の対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言の自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分は根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。
合格発表の掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から一段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ちで掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。
【その後】
入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。
【さいごに】
一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章がわたしは世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。
http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html
「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対に無駄にはらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから。
恋でもいい。グラウンドの上でもいい。
そして、エンピツを握ってでもいい。
フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。
元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しかし自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。
すべての人に受験勉強というプロセスが必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式・知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い、自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。