はてなキーワード: クラスメイトとは
理由。
昔々、もう遠い昔の出来事。
給食当番を無理やり代わりにやらされたり、ひどい暴言で罵られたり。
消しゴムを裂かれて、シャーペンの芯を手や肩に刺されたりしたこともあった。
もう本当にひどくて、つらかった。
よく”いじめられる側に原因がある”なんて言う人がいるけど。
「お母さんがいないこと」
私がまだ小さいうちに両親は別居し、あれよあれよと言う間に離婚した。
父親一族は家の後継ぎ欲しさに、一人っ子だった私をろくに子育てもしないくせに強引に引き取った。
母親は泣く泣く私を手放したが、相当揉めたのだろう(この辺りの詳しい事情を私は知らない)。
月に数回、実父のもとを離れて、母と遊びに行く時間をもらうことができた。
だから厳密に言えば、生き別れでも死に別れでもない。
決して「目の前にいない」わけではなかったのだ。
会いに行こうとすれば会える。
話ができる。
本当に幸せだった。
今考えれば、このあたりが気に食わなかったのかもしれない。
「お母さんいないんだよね」
両親が離婚したことは、その女の子には言っていなかったが、なぜか知っていた。
流行りの通信学習講座でもらったプレゼントがあれば、それを取り上げて隠し、勝手に使う。
お楽しみ会でくじ引きがあれば、私が引く前だけわざと中身を見て、私に都合の悪いくじを引かせようとする。
1人がいじめ出すと、いじめられっ子と特に関わりのない子までいじめるようになるらしく、いじめはクラス全体に広がってしまった。
何かあれば「お母さんがいないのをばらすぞ」と脅された。
いないわけではない。それなのに、そんなことを言われるのが悔しかった。
学校に行くのが嫌だったが、それとは比にならないほど、家庭環境(実父と祖母)が悪かったせいで、不登校にはならなかった。
その頃、母は再婚して、実父とは大違いの、優しい義父と3人で遊びに行くようになった。
それからは、4人で遊びに行ったり、家で家族団欒したりするようになった。
多分これも、いじめてきた女の子にとっては気に食わないことだったのだと思う。
いや、あの女の子にこの辺りのこと一言も言ってないんだけどさ。
というか、このことは友達にも父方の親戚にもほとんど話してない。
何度も何度も、バラすぞと言われて脅された。
仲の良い友達は他のクラスにたくさんいた。だけど、いじめは、友達のいないところで受けていた。
母親がいないせいで(もちろんいじめる側が悪いのだけれど)いじめられてるってバレたくなかった。
相談しても「お母さんがいないからだね」なんて言われるはずがないことぐらい分かっていた。
だけど、どうしてだか分からないけれど、誰にも相談できなかった。
ーーーーーーーーーー
私は知っていた。
いじめてきたその女の子の両親は離婚していて、その子にはお父さんがいないことを。
私が母から聞いたように、きっと、あの女の子も誰かから人づてに、私の家庭環境について知ったのだろう。
不思議と、「相手の身の上をばらしてやろう」とは思わなかった。
結局、ばらすことはしなかった。
きっと、あの女の子は、私が何も知らないとでも思っていたのだろう。
あの時はそう思っていた。
離婚していても、離れ離れになっている親や兄弟と会うことのできている、私の環境がうらやましかったのだろうか?
そんな風に思ったのは、随分後になってからのことだった。
だけど
いじめられる側にも原因がある、という人たちへ。
声が汚いから。
本人がどうにか努力して、変えられることですか?
足が遅いから。
もし百万歩譲って、本人に原因があるとしても、いじめていい理由にはなりませんよね?
伝わりましたか?
いじめって。
それでもまだ、いじめられる側に原因があるっておっしゃいますか??
それでは、見方を変えてみましょうか?
そういうの、身を滅ぼしますよ?
例えましょう。
「〇〇って部署のアイツ、男のくせに男と付き合ってるらしいぜ。俺、先週見たんだよ。男と2人で手繋いでデパートに入っていくの。アイツと同じ部署になりたくねーわ。気持ちわりーww」
あなたがそれを笑いながら話している相手、同性愛者かもしれないって考えたことありますか?
その会話を黙って聞いている、遠くのデスクのあなたの上司、同性愛者だったらどうしますか?
両性愛者かもしれませんよ??
あなたの印象悪くなりませんか?
え?????
ちょっと待って。
だってそれ、取引先の会社の人と飲み会したりしてるときに、酒に酔ってポロっと口走っちゃうかもしれませんよ?
言っていいことと悪いことが分からない人だと思われるかもしれませんよ?
働いている時はダメ?
プライベートな付き合いだったらいい?
あ、絶対違うって?
お気づきでしょうか?
あなたの恋人も、両性愛者であることをあなたに言えないまま、あなたと付き合っているのかもしれないですよ。
いい加減、差別する人間の方がマイノリティな世の中になりつつあるって気づけよ?
※セクシュアルマジョリティ&いじめっ子&差別主義者の読者が前提みたいな書き方をしてしまって申し訳ないです。読者の大部分の方々は、私がこんなに熱弁せずとも、お分りいただけると思っています(これも一種の偏見なのかもしれませんが)。もうこんなにひどい差別はなくなって欲しいです。
話が逸れました。熱くなりすぎましたね。続けます。
ーーーーーーーーーー
中学2年の時、クラス替えでその女の子とは別のクラスになった。
中学3年になった。
クラスメイトの男の子がいじめられていて、クラス中で大問題になった。
聞いた話だと、わざわざ見張り要員まで用意した上で、ターゲットにされたクラスメイトに対して暴力をふるったそうだ。
この件にあの女の子は無関係だけど、いじめをより一層のトラウマにした。
そう思った私は、合格圏内だった地区二番手の進学校(いじめてた女の子はそこに進学した)を受験するのをやめ、いじめっ子全員とは別の高校に進学した。
やっと自由になれた。そう思った。実際、その通りだった。
好きなことを好きなだけ勉強できた。
幸せだった。
旧帝とか早慶上理とかではないけれど、行きたかった大学にも合格できた。
ーーーーーーーーーー
後日談として。
ここから先はほとんど独り言&愚痴みたいなものですので、読みたくない方は読まなくても結構です。
ちなみに、先にお断りしておきますが、お互いに謝って仲直りの握手をしてハッピーエンド!!めでたく仲直り!!みたいな展開は一欠片もございません。
そもそも、直す仲もございませんし。
まあ、高校が離れていたけれど、相変わらず同じ地区に住んでいたし、買い物したりしてると遭遇してしまうんですよね。
しかも私がよく行く店でアルバイトを始めたから、嫌でも会ってしまうことに。
途中で辞めたんだかシフトを減らしたのか知らないけど、そういやいつの間にか見かけなくなった。
それと、私が勉強に部活に忙しくなって、あんまり学校以外の場所に出没しなくなったせいだと思うけど、街でも会うことはなくなった。
次に再会してしまったのは、高校3年生の暮れにあった、大学入試センター試験の模擬テストのときだった。
大学のキャンパスとか、センター試験が実際に行われる会場を借りて行われるテストで、休憩時間?に遭遇してしまった。
私の名前を呼び、話しかけてきたが、挨拶をしたぐらいでほとんど話さなかった(気がする)。
遭遇したことは覚えているが、多分この頃には、記憶に残すのも勿体無いほど、どうでもいい存在になっていたんだと思う。
ここまでの記憶で終わっていれば、ああ、そんな控えめに言っても人間の風上にも置けない最低な人いたなーぐらいの存在の枠に収まっていたかもしれない(じゅうぶんすぎるほどのインパクトはあるし、自分でもひどいことを言っているとは思うが)。
控えめに言う。
お前、どのツラ下げて友達名乗ろうとしてんの?
勘違いも甚だしいよね。
しかも付随して来たメッセージに音符(♪だったかな?)ついてたし。
そしたら、何年か経った後で、また別のSNSで友達申請が来ました。
このSNSはメッセージつけられないから、友達リクエストが届きましたって通知が来ただけだけど。
あんなにひどいことをしておいて、
自覚ないんだね。
遺憾です。もちろん今回は即ブロ。
友達のお父さんが「みんな預けたくないって言ってる」って言ってたよ。
みんなって誰だか知らないけど。
今、友達のお父さんって言ったけど、実は私も同じこと思ってるよ。
そうこう言ってるうちに、幼稚園お辞めになられたそうですね。
かぶっている猫が足りなくなったんですかね。
知らないけど。
多分、私も相当ひどいこと言ってるね。
一言だけ。
しないと思うけど、もし、この歳になっても、また前と同じことをするのなら、その時はもう容赦しないよ。
中二の2学期頃~卒業までにかけて全く登校しない状態になっていた。
昼間は完全にベッドから出ず、深夜に起き出してリビングのPCでインターネットに接続する日々の中で彼と出会った。
共通の趣味に関する掲示板で知り合った彼は同い年の引きこもりで、
家族から高校だけは卒業してくれと説得され、自分は近くの底辺高校に入学した。
同じように引きこもっていたはずの彼は普通の高校に入学したようだ。
高校に入学してからの彼は引きこもり状態から脱し、部活にバイトに忙しい生活を送っていた。
自分は不登校からは脱したものの、学校ではガラの悪いクラスメイトに愛想笑いをして逃げだし、
そんな中でも彼は以前通りに接してくれていて、自分も彼にだけはどんなことでも相談できた。
彼は地方の底辺高校にいる自分でも名前を知っているレベルの大学に進学することになった。
正直、妬ましかった。
どんどん差が開いていく気がした。
進学後は連絡を取ることも減っていった。
彼がサークル活動で海外にいったり、就活に勤しんでいる様子はツイッター等から伝わってきた。
現状の自分を報告することも恥ずかしく、こちらから連絡を取ることもなかった。
順調にキャリアを積んでいた彼だったが、
何度かDMを送ったが返事がない状態となり、もう3年ほどたつ。
彼のことが気になる気持ちは心の中に確実にある。
彼が何かの失敗をして転落してほしいという嫉妬心なのかわからずもやもやしている。
いっそのこと彼の記憶がすべて消え去ってほしい。
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『僕はこの前クラスメイトのアベベと下校したと思ったら、
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ アベベが好きなことになっていた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ 僕も何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 催眠術だとか超スピードだとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしい小学惑星の片鱗を味わったぜ…
https://webnovel.jp/n/1541741088988
「世界は踊り、取り残されて」
大学四年生の女の子が単位を落とし、すべてがいやになって海を見に行く。自分を包み込んではくれない海に中指を立てて、そして自分に中指を立てるシーンでこの作品は終わる。自分が許せないから、日常の風景が許せなくなる、そんな話だ。恐らく、実際に単位を落とした作者が、自己投影しながら書いた作品なのだろう。
「世界は踊り、取り残されて」には、浅野いにおや花沢健吾の青年漫画、あるいはハードカバーの一般小説によくみられる、都会の鬱屈した日常が感じられる。僕はこういった雰囲気が好きだ。
ではなぜ、人々は陰鬱な物語を愛するのか。暗い物語の担う役割とはなにか。一つ目は「啓蒙」だ。
厨二病まっさかりの中高生は、血なまぐさいファンタジーや社会の闇など、アンダーグラウンドなものに惹かれていく。
なぜ少年少女が一様に残酷な物語を求めるのか。僕は、いずれ来たる残酷な現実に備え、苦しみを知るための本能的な衝動だと思う。
ほとんどの子供は親の庇護の中では無敵だ。苦しみや痛みや面倒事は親が振り払ってくれる。
しかし、大人になるとそうはいかない。痛みを知らないまま大人になってしまい、社会に出て初めて、人間関係や生活の不条理さ、世界の残酷さを覚えてもまともに戦えないのだ。だから、苦しみと戦えるだけの体力や精神力のある若いうちに、陰鬱な物語を求める。
物語を必要としない人間は、現実世界で理不尽さを経験することで成長していく。
残酷さや苦しみは確かに人を傷つけるが、人間の魂はそういったものを克服しなければ成長できない。
暗い物語は、僕達が傷つかない程度に、傷の痛みを教えてくれる。
明るさだけが人の救いになるわけではない。小説家になろうなどでは、鬱屈した生活を送る主人公が異世界に転移し、自分をいじめていたクラスメイトに復讐するという作品がある。こういった作品は「今の自分から抜け出したい」「惨めさを払拭したい、強くなりたい」という読者の、魂の叫びを癒してくれる。
また、僕の友人は、暗い物語を読むことで、「ダメなままでも生きてていいんだ」と肯定感を得られると話していた。その時、彼女らは陰惨さに救われている。
また、僕はイラストが趣味で、その繋がりからインターネットで小説の書き手と交流させてもらうことがある。そこでわかるのは、陰鬱な物語の書き手は、陰険と言うよりはむしろ、人間の営みの醜い部分を分析し、受け入れていけるだけの強さがあることだ。そんな作者から与えられる陰惨さは、苦しみを抱えた読者にとって、ある意味で慈愛だろう。
慈愛は「小説を読む読者」ではなく「小説を書く作者」に向かうこともある。防衛機制でいうところの「昇華」だ。
この場合は、作者の苦悩が物語にリアルに反映される。誰もが知る有名どころだと、太宰治の「人間失格」がこれにあたる。
「世界は踊り、取り残されて」では、単位を落として内定を逃し、堕落した生活を送る主人公は、海に向かって中指を立て、そして今度は自分に向かって中指を立てる。
これは象徴的なシーンだ。
「癒し」として生み出された作品において、作中の苦しみや悲しみは主人公ではなく、作者に課せられる。中指は海――作品の対象ではなく、自分――作者自身に向けられているのだ。
もちろん、この二つにあてはまらない暗い物語もある。だが、根本に人間の醜さへの受容のない陰惨さは、読者の野次馬根性を煽って購買意欲を掻き立てたい・閲覧数を稼ぎたいだけだ。それはエンターテインメントであっても物語ではない。
陰鬱な物語において、中指は誰に向くのか。その中指は同時に、救いの手となるべきである。
「世界は踊り、取り残されて」:https://webnovel.jp/n/1541741088988
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| (__人__)
| ` ⌒´ノ アベベの事が好きなんですか?
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ヽ }
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| (__人__) | ただのクラスメイトです。
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客と付き合うとか、ないわー。
デリヘル嬢の先輩と雑談していると、何かのきっかけで、客との交際の話になった。
その後、いつのまにか、先輩は、お店に顔を見せなくなった。
給料のことでオーナーと衝突したとか、男性従業員と付き合い始めて辞めさせられたとか、色んな噂が流れたが、真相は分からないままだった。
願わくば、何が真相だろうと、幸運(ラック)に満ちた人生を送ってほしい。
私がそのお客さんに初めて会ったのは、先輩がいなくなった頃のことだった。
口ヒゲがよく似合う、爽やかで優しい顔。
デリヘルを利用するのは初めてらしく、とても緊張していた。
多くの他のお客さんと同じく、私よりは年上だったけど、不安でぎこちない様子は、どこか可愛くもあった。
いつも以上に気を使って、サービスをした。
これは、オーナーの受け売りだけど、デリヘル嬢の仕事は、将棋に似ている。
攻めるべき時があれば、受けに徹するべき時もある。
結果も大切だが、そこに至るプロセスや相手へのリスペクトも重要である。
私は、将棋に疎いので、オーナーの話はよく分からないけど、そんな感じだ。
そのお客さんとは、良い「対局」ができたと思う。
お客さんは、比較的早く、たっした。
どうやら、バックを気に入ってもらえたらしい。
お客さんは、それ以来、定期的に私を呼んでくれるようになった。
モノ扱いされることも多いけれど、そのお客さんは、そんなことは絶対しなかった。
いつだって、私のことを褒めてくれて、私の話をじっくりと聞いてくれる。
聞き上手なので、ついつい色んな話をしてしまう。
くさらず、地道に、自営業の店を自転車操業で切り盛りしていたお母さんのこと。
つやめいた近所のお姉さんに憧れて、目を輝かせていた幼い頃のこと。
手っ取り早く、いじめや当てこすりを避けようと、クラスメイトと距離を置きがちだった中高時代。
リア充の友達の、下半身事情が派手なのに憧れ、空回りしていた大学時代。
ドキドキしながらお店に体験入店して、いつのまにか擦れてしまった、近頃のこと。
お客さんの話も、たくさん聞いた。
そして、コイの話。
いつしか、私は、そのお客さんに会うのが楽しみになっていった。
プライベートでも連絡を取りたかったけれど、連絡先の交換はお店のルール違反だ。
私は、呼んでもらえるのをただ待つことしかできなかった。
首を長くして待ってるのが私の方なのは、なんだか普通とは正反対で、不思議な気がした。
そんな日常がずっと続けば良かったのだが、そうもいかなかった。
あるトラブルで、私は、お店を辞めることになったのだ。
例のお客さんに会うのはこれが最後になるだろうという日。
お店を辞めることを、お客さんに伝えた。
みるみる悲しそうな顔になっていった。
そんな顔を見たのは初めてだった。
その瞳が潤んでいるのを見ていると、私まで悲しくなってしまう。
これまでの色々な思い出が、頭をよぎった。
このお客さんと、もう二度と会えないなんて……。
前日までは、覚悟を決めていたはずなのに、顔を見ると、心が揺らいだ。
私は、つい、こう言ってしまった。
連絡先、交換しようよ、と。
ありがとう、と言いながら泣きじゃくるお客さんを見て、胸が締め付けられるような感じがした。
デリヘル嬢が、「飛車と竜王」に勤める自動車で、客がドラゴンの場合はどうか?
私はまだ、この問いに対して、答えることができない。
https://nakorightnovelvirtual.hatenablog.jp/entry/2018/10/22/205042
↑
今日、テストの日に提出した国語のノートが返ってきた。評価はBだった。
先生はプリントを貼ってなかった人が多かったとおっしゃったから、どこかプリントが抜けたのかと考えた。
友達にA評価のノートを見せてもらって、プリントに不足がないことを確認した。
何かの間違いでB評価かもしれないと思ったから、授業後に、「なんでB評価なんですか?」と聞いた。先生の返答はこうだ。
ぼく「字が汚いと評価を下げるんですか?」
ぼく「ほーぉぉぉん」(諦め)(着席)
何諦めてんだこの陰キャ......。
では問題です。
なぜ授業でノートを取らなければいけないのか、答えを述べよ。
ぼくの答えは、「記憶の補助のため」です。
極論授業の内容をなにもなしに記憶できるのならノートは取らなくていいと思うんですよね。
まあぼくはそんな天才ではない訳で、記憶の補助としてノートを書きます。
はい。たぶんここまでは概ね賛成いただけるでしょう。
じゃあ問題!
「NNDN-TDSISKTKRNDY」
なんの伏字かわかる?正解はね、
なんでノートで成績つけるんだよォ!
じゃあなんでノートで成績つけるんだよ......。
ほとんど同じ内容を書いてまっっっっったく天と地との差ほどのテストの点とって
あなたのために書いてないです。
まったく違う点数なんですが?
字が読めないのは確かに悪いことですが、それはテストで×つければいいでしょう。
ノートを取るのは成績をつけるためか?
内容理解だけで成績つけてくれよ
もうどうしようもない。綺麗にノート取ろうとしたらたぶん成績落ちる。
落書きばっかで汚い字でもいいだろ......。
あなたの読める読めないとこちらの理解しているしていないは関係ないだろ......。
何も考えてなくて、だから30点40点50点取ってるんだろ......。
そういう話だったっけ。いや違う。
小学生の頃からなんでノートを取るのか知らずに考えずに今でも板書しているんだろうな?
といっても、ノートを取る理由を自分の中で確定できたのは中3の田野先生との出会いなので、それまでは彼らと同じく思考停止マシーンであったのである。別に偉くは言えない。
私の勉強観と、高校でつまらない授業を受けている話。 - nakoのラノベ・VTuberブログ
教えて偉い人!どうしてノートを取るの?
ま、結局は自分の評価より上の評価の思考停止マシーンがいるのが嫌だという、身勝手な思いから来ていて、自己正当化がしたいだけなんだけど。
と、こんな内容を母に話したら「じゃあ(先生に)言えばいいんじゃない?」と言われた。そらそうよ。
僕は明日から理由を問いまくるクッソめんどくさい生徒になるぞ〜〜。なりたい。
まあ授業中つまんなかったら寝たいけど時間勿体無いから授業とは別のことしてるという時点で相当めんどくさい生徒なのは既にそうなんだが。
や〜、自分から別のことをやるのが楽しいんですわ、先生にどうこう言われないでやるのが楽しいんです。自分でやってるのが好き。もう先生が自習監督みたいなもんだな。
あと最近この男調子に乗りすぎだろう。もっと謙譲してIKEA。そんなにクラスメイトや先生を馬鹿にするなよ、100点満点のテストで8点取った奴とか馬鹿に......wするなよ......w(性格悪すぎない?)
あ!もしかしたらぼくのノートは自分のためという前提がおかしいのかも!
文科省さんとかはノートは経済を回すABC分析で言ったらAの商品というだけかもしれない!
「板書」が、いちばんやってる感を味わえるのだろう。そうやってやってる気分だけ味わって中身はすっからかーんってか、ははっ。
マジで教師は全員精神鑑定を受けてくれ。そしておまえらの授業を生徒に採点させろ。自分がどんな授業をしているか知れ。
あ、これを読んだ方のご意見が知りたいので、コメントお待ちしております。
SNSで共有していただいてよりたくさんの人に見てもらって意見が欲しい。
おわり。
当時、仕事に忙殺されていた私にとって、丸一日の休日は久しぶりだった。
今日は一日、羽を伸ばせる。
そんなことを思いながらネットをしていると、ふと、魔が差した。
最近は、仕事を除けば、異性と接することがなく、もはや、男性との接し方が分からない。
できれば、女性向け専門のお店が良かったが、それよりも、大手の安心感を優先した。
ホームページを見て、直感で女の子を選び、ドキドキしながら、お店に電話をした。
値段が高めのお店だったこともあってか、電話の応対は非常に丁寧で、少し安心。
指示に従って、ホテルで待機をした。
大柄なわりに短足な私。
私を見てあの女の子はどう思うだろうか……。
亜熱帯かどこかの爬虫類のような私の顔を見て、もし、ヒかれてしまったらどうしよう……。
やがて、彼女が来た。
雑誌に載っていてもおかしくないような、容姿の整った女の子だった。
全身が「改造」されてるわけでもなく、「お絵描き」があるわけでもない。
見惚れるほどのかわいい子だった。
それでも、彼女にその眩しい笑顔を向けられると、とても幸せな気持ちになった。
詳細は伏せるが、それは、とても、とても、良かった。
サービスの合間には、色んなことを話した。
派遣社員をしていること。
今は、坂道系が好きなこと。
私の話も、たくさんした。
同性の友達すら少ない私にとって、仕事以外で、こんなに誰かと話をしたのは、久しぶりだった。
以来、私は、たびたび、彼女を買った。
サービスを受けている時間よりも、話をしているだけの時間の割合が増えていった。
そのお店では、女の子が、それぞれブログを書くことになっている。
また、彼女を呼ぶと、私のことをイニシャルでブログに書いてくれる。
一言でも私へのメッセージを書いてくれると、そわそわするような嬉しさを感じた。
しかし、彼女を呼び始めてから半年も経つと、彼女のブログを見るのがつらくなってきた。
当然ながら、ブログには、他のお客さんへのメッセージも書かれる。
そう思うと、どこか心が苦しかった。
かといって、彼女の出勤枠全てを買い取れるほど、暇もお金もない。
もっとも、彼女のお客さんは、他の女の子に比べて、明らかに少なかった。
それは、歩合で稼ぐ彼女にとって、決して良いことではなかったのだろう。
しかし、どうしても私は、そのことを喜ばしく思ってしまうのだった。
いつものように、彼女を呼んで話をしていると、衝撃的なことを告げられた。
彼女は、お店を辞めるのだという。
原因は、あるお客さんとのトラブル。
詳しい原因は、彼女自身すらよく分かっていないが、どうやら、彼女のサービスが、お客さんの逆鱗に触れてしまったらしい。
彼女にとって運が悪かったのは、そのお客さんが、お店の超お得意様だったこと。
お店は、激怒するお得意様を優先し、彼女をクビにするというのだ
そんなことは、おかしい。
私は、そう訴えたが、彼女はそれを受け入れていた。
お店に対して愛想をつかした部分もあるのだろう。
自嘲気味に言う彼女の顔を、私は正視できなかった。
ずっと会える日が続くと思ってたのに……。
私は、目に涙を浮かべるだけで、しばらくの間、何も言えなかった。
「もう……会えないの?」
私が、なんとか言葉を絞り出すと、彼女は、いつもの素敵な笑顔を見せた。
彼女は、私と連絡先を交換してくれたのだ。
今度、食事にでも行こうよ、と言いながら。
天高く舞い上がるような気持ちだった。
その後、私達は、友達として、食事やショッピングに出かけている。
見た目も、住む世界も、何もかもが異なる私達。
私達が、一緒に行動している様子は、はたから見たら、奇異に映ったかもしれない。
でも、そんなことはどうでも良かった。
恋人になれなくても良い。
前みたいに、サービスを受けられなくても良い。
私は、あのお店––飛車と竜王––で彼女に会ったときから、彼女に恋をしているのだ。
私達が、女同士であるにもかかわらず。
最近高校の頃の同級生10人くらいでちっちゃな同窓会?的な集まりがあって、
今何やってるかだのあいつはどこに就職しただの皆が憧れてたあの子はもう二人子供産んでるだの、
近況報告と当時の思い出話で盛り上がってたんだが
俺はふと思い出して
「あの女の子いたじゃん、いつも孤立してて一言も喋んなくて滑り止めの大学全部落ちてた冴えない感じの眼鏡の子。あの子も元気でやってんのかなぁ。」
って言ったんだが、
「え、誰だっけそれ」とか「いやそんな奴いないだろ」とかみんなが微妙な反応をしだした。
いや、確かにいたよなと思って反論したんだが、覚えてる人もそこそこいるらしく、どうやら俺の記憶は間違っていないらしいことがわかった。
みんなの話を聞いたところ、存在は覚えているけど名前を思い出せないのが4人。存在自体を忘れていたのは6人(そのうち途中で思い出したのが2人)
思いの外その話題は盛り上がってしまって、存在しない派と存在する派で議論をしながら当時のクラスメイトを振り返ることにした。
この集まりは高校3年生のとき同じクラスだった男子の集まりで、その女の子もそのクラスメイトの1人。
当時のクラスは割と皆仲良い方だったと思う。
自分らが所属していた3-Bクラスは計35人。それは覚えてた人がいたので、出席番号順に名前を振り返ってみた。
野球部エースの江籐、女にモテた及川、ぶりっ子で女子から嫌われてた春日野さん。ざっくりしたプロフィールと共に五十音順の名前を振り返っていく。
結果、ほとんどのクラスメイトの名前は思い出すことができた。34人。
ただ断片的にはわかった。出席番号は13から17番目くらい。名字はさ行から始まる。
連絡先がわかる当時の同級生に追加で3人と連絡して聞いてみたのだが、やっぱり名前は誰も覚えていない。
卒アルで確認すれば一発じゃんと思って実家の押し入れから引っ張り出してみたんだが、何故か彼女は載っていなかった。
どうやら卒アル用撮影するような高校生活終盤、彼女はちょこちょこ休みがちになっていたから撮影に参加していなかった + 本人の希望で卒アルにはあえて載らなかったようだ。
ここまでくると完全に詰みだ。
13人に聞いてみて誰も思い出せないって逆に凄くないか。
世の中の男を虜にし続けている西野七瀬や1000年に1度の逸材の橋本環奈に似ていると自称するアカウントが量産され、泡のように消えてはまた増える。
このようなイタチごっこは、所詮嘘つきの心を満たすだけなのだが、連鎖は止まらない。
「嘘松」や「虚言垢」と称される前から、ネットには数多の虚言癖が存在するが、ここでは、私のかつての友人であった、虚言癖のAちゃんの話をしようと思う。
スタイルが良くて、ピアノが弾けて、足も速くて、真面目で優しいAちゃん。なんでもできる子だなと思っていた。
中学生で隣のクラスながらも同じ学級委員会に入り、関わる機会は少なくなかった。
ある日の放課後、Aちゃんに泣きながら「いじめられていて死にたい」相談された。
詳しく聞くと、私のクラスメイトに殴られたり、暴言を浴びせられたそうだ。
当時、責任感の人一倍強かった私は、Aの異変に気づけなかったことやクラスメイトによるいじめを見抜けなかったことを非常に悔いた。
「私も守れなくてごめんねAちゃん」
そう泣きながら告げると、彼女は日記を渡してきた。どうやら日記をつけることが日課のようで、いじめのことが事細かに書いてあった。
他にも、同じ部活のBくんに告白されて付き合っていること。大好きな祖母が亡くなったこと。祖母が亡くなった上にいじめられて死にたいこと。Bくんには相談できないこと。たくさんのことがAちゃんの細くて綺麗な、いかにも習字を習っている人の字で綴られていた。
先生は動かないだろうと思った私は、自分で証拠を集めることにした。いじめを認め、謝らせることが先決である。まずいじめの主犯格の子から問い詰めてみた。
当然「何も知らない」と言っていた。しかし、その子は暴力を振るったとする日に最初から最後まで部活に出ている証言。Aちゃんが殴られた現場を見た人はいないどころか、殴られたらしい教室には人が何人か残っていたという証言。
嫌な予感がした。辻褄が合わない。でもAちゃんはそんな嘘をつく子ではない…
証拠探しに励む中、Aちゃんが普通の子ではないと気付いてしまった事件が起きた。
不要物検査中、Aちゃんのロッカーから私が見せられたのと同じ内容の日記が複数冊出てきたのだ。別の日記ではなく、同じ内容の、祖母の死から恋、いじめまで綴られた同じ日付と内容の日記が何冊も、だ。
凡そ常人のすることではない。理解ができず恐怖した。不要物検査をしていた風紀委員は、化け物に怯えるような声と顔で話してくれた。
事の顛末。Aちゃんの虚言癖が発覚し、私はAちゃんと縁を切った。騙されていたのが嫌だったのよりも、普通の子ではなかったAちゃんが怖くて仕方なかった。
彼女は息をするように嘘を吐いていたことになるが、泣きながら相談したAちゃんも演技には見えなかった。
つまり彼女の中では日記は全て真実なのだ。祖母が本当に亡くなっていたかは定かではなかったが、BくんはAちゃんに告白された側で、虚言のことを伝えると「付き合って1ヶ月しないで別れてよかった」 Bくんは震えながらそう言った。Aちゃんの中ではまだ続いていることになっていたことは追い討ちをかけるようで言えなかった。
Aちゃんに「嘘だったんだね」と告げた時、「みんなに私を見て欲しかったの」
そう言っていた。
「私を見て欲しいから」という理由で嘘をつくのはAちゃんも嘘松さんも大量の西野七瀬似美白透明感爆発ブルベ美少女たちも同じであろう。
虚言垢をキャッキャと楽しんでいる人は、周りに虚言癖を持たない素敵な友人達を持った人なんだなと思う。
私はもう虚言癖に振り回されるのはごめんだが、ついついバズる虚言垢達を見ずにはいられない。怖いもの見たさなのである。
ただ一つ加えるとすれば、彼女達への「嘘乙!」「はい論破」は、煽ってる側からすれば顔を真っ赤にしている姿を思い浮かべるが、実際は火に油で、彼女達は悲劇のヒロインを脚本通りに進められてご満悦なのである。
「虚言癖」が笑いとして消費される日が来ようとは、Aちゃんに恐怖したあの時の私は一切思わなかっただろう。
正直めちゃくちゃにキモいし酔ってるだけの文章です。ただの自己満足です。
あなたと出会ったのはもう六年も前になります。一目惚れではないけれど、二目惚れくらいだったかもしれません。全然話したこともないのに、勝手に私はあなたのことを好きになりました。世間一般的にはイケメンではないだろうけどあなたの顔も、声も、友人と話している姿も、人前でしゃべる姿も、何もかも全て好きでした。今から思えばこれはアイドルに対する気持ちと変わらなかったのかもしれません。私が初めて出会った推し、それがあなただったんだと思います。少しでもあなたと話したくていろんなことをしました。席が近くなれるように神頼みもしたし、列に並ぶときわざとタイミングを見計らって近くになれるようにしたり、ストーカーじみていたなと思います。でも何故かわからないけどそれだけ好きだったのです。話すだけでドキドキしたし、あなたの意識が私に向いてるだけで本当に嬉しかったんです。あの時以上のドキドキを、トキメキを、私は他で感じたことはありません。あれから好きな人ができても、あなた以上に心が波打つことがないんです。
それだけ好きだったあなたにうっかり告白してしまったのが私の過ちでした。話す回数だって多くないただのクラスメイトに突然好意を押し付けられて、困ったと思います。ごめんなさい。そして私はその告白すらまともにできなくて、あなたに壊れてしまいそうだったと言われるぐらいで、そうやって断りづらい状況に持っていってしまったことが本当に申し訳ないです。そして名目上付き合うことになって、でも結局私はまともに彼女をすることができませんでした。駄目でした。あなたを前にした私は、本当に駄目だった。ずっと緊張して、話せなくて、あなたも私に歩み寄ろうとしてくれてたのに、私は何もしなかった。私はあなたの全肯定オタクでもあるので、この時のあなたを責めることはできません。そして何をすることもなく別れましたね。あの時、別れようというお手紙の返事が遅くなってごめんなさい。別れたくないわけではなかったのです。ただ、返事ができなかった。手紙が書けなかった。気持ちの整理がつかなかった。付き合っているといえない状況で、何かしなきゃと焦ってて、むしろ正直ほっとしてたんです。多分このことは返事の手紙に書いたと思うけれど。なのに気持ちはぐちゃぐちゃで、本当に駄目でしたね、私は。別れるということは明確に振られたということで、それが耐えきれなかったんでしょうね。初めて明確に失恋した瞬間でした。こんなにも好きだったのに、あなたには好きになってもらえなかった。これほどつらいことはなかった。お別れの手紙を返したあと、自覚はなかったんですが相当私はメンタルをやられていたらしいです。私はいつもどおりって思ってたのがさらに厄介ですね。ここまで引きずって重い女ですよね。でもあなたはこんな重たい感情をぶつけても受け流してくれるようなそんな我の強さがあって、そこが好きなところでした。
それからずっとあなたのことを忘れたことはありません。何をするにも頭に引っかかってて、ずっとずっとファンでした。あの時の狂気と熱量はなくても、好意が薄れることはなかった。あなたが何をしてもずっと応援していたし、少しでも関われると嬉しかった。同じクラスになって劇で同じシーンに出たの、嬉しかったんです。あの時のあなたは本当にかっこよくて袖からずっと見つめてました。高校に上がって、私が文実なんてやったの、あなたが文実をやると思ったからです。文実なんて、やるような人間じゃなかったのに。でもここであなたと同じ部門を選ばなかったあたり、小心者のストーカーなのです。私たちの代の文化祭、部門は違えどあなたと一緒に作り上げれたの楽しかった。少しだけでも会話もできて、仕事自体も楽しかったし、あの三年間で何よりも頑張った。文化祭が私の青春でした。ちょうどその頃ですよね。私があなたが入っていた軽音の追っかけを始めたのは。一年の文化祭でこっそりあなたのバンドだけ見に行ったことはありましたが、本格的に軽音自体のファンをし始めたのはその頃のはずです。正々堂々とあなたのファンでいられるのが幸せでした。あなたの何もかもが好きだけれど、あなたが歌っているときほどかっこいい時はないと思います。あなたが歌う「愛はおしゃれじゃない」が、どれだけ私の心臓を掴んだか知っていますか?ずるいです。初めて聞いたとき、本当に背筋が冷えて泣きそうになりました。私はあなたにだけモテたかったのに、あなたがそれを歌うなんて。私のことなんてもう過去のことでしょうが、私にとっては過去じゃなかったのに、あなたがそう思うほどの相手がいるんじゃないかって思わされた。まあ、そのあとあなたはとある人と付き合うわけですが。あなたがその人と付き合い出したときの私の気持ちは知らないと思います。もう昇華されたと思ってたのに、ただのファンでいられると思ったのに駄目でした。付き合う前、あの人もあなたのライブを見に来ていて、私に話しかけてきて、あなたのファンだといった私に「かっこいいよね、本当にこの間のでファンになった!本当に好きかっこいい!」って。私の方がずっと前からファンなのに。ずっと前から好きなのに。でもそんな人とあなたは付き合い出して。悔しかった。過去の女である私が思っていいことじゃないのはわかっていたけれど。私にとってはそれだけ過去じゃなかったんです。その人と別れたときほっとしました。私、あなたと付き合いたいってわけじゃなくなってたんです。ただ、誰のものにもなって欲しくなかった。だって私の神様だから。ただの一人の人間にこんな重たいものを背負わせて、私は本当に最低だなと思います。それでもそうなんです。それからはそこまで苦しくなかったです。あなたのことはただの推しと認識できていたから、私も他の好きな人ができました。振られましたけど。この時悲しかったのにあなた以上に悲しくなくて引きずらなくて、恋という感情が分からなくなったこともありました。あまりにもあなたとその他の人への恋情が別物だったもので。
そして卒業を迎えて、あなたとはもう二度と関わらないと思いました。最後に卒業ライブで、あなたの歌声を浴びました。卒業ライブ、とても良かったですよね。軽音の中の人間じゃなくてもあの時の良さは忘れられないです。二日目、あなたが「あなたは私の一生もの」という歌詞を歌ったの、刺さりました。私にとってあなたは一生ものでも、あなたにとって私はそうでないのでしょう。そのバンド、あなたは気づいてなかったかもしれませんが、あなたの目の前最前列ドセンで見てたんですよ。目の前のあなたは死ぬほどかっこよくて、だからこそ苦しくなりました。そして最終日、あなたの出る最後のバンド、ずるかった。私が初めてみたあなたのバンド、全員が六年の付き合いのバンド、あなたがファンを増やすきっかけにもなったバンド、そしてあなたが「愛はおしゃれじゃない」をやったバンド。あなたの歌う最後の曲がそれだったのは、あまりにも、あまりにもずるいです。それを聞いて、六年間のあなたにまつわる何もかもが、青春のすべてが頭の中を流れていって、泣きました。卒業式でも泣かなかったのに。他の人が泣いていたのとは違う理由でしょう。一人だけあなたを想って、自分を振り返って泣きました。モテたかったよ、あなたにだけに。どれだけ忘れられたと思っても、あなたを見たらこうやって気持ちが蘇ってしまう。ライブ後、わちゃわちゃとするなかで、ツーショットを撮ってくれてありがとうございました。これで本当におしまいにするつもりだったんです。最後に全てを終わらせたかった。からかってくる友人に「もう過去のことなのに」と笑うあなた、そんなあなたに笑って「私にとっては過去じゃないけど」って言ったの、きっとちゃんと冗談として受け取ってもらえたと思います。ごめんなさい。本気の本気で。
こうやって終わりだった筈なのに、何があったのか、何故なのか、卒業後かなりたってからあなたと同じ通話のグループに入ってしまいました。そして通話をして、一緒に友人の家で集まってオールしたの、今でもよくわからないです。そんなの思い出してしまうに決まってるじゃないですか。通話であなたが唯一私の髪色を褒めてくれたのも、死ぬほど嬉しかったし、あえていうならあなたが私の名前を読んでくれるだけで、あなたの話を聞けるだけで本当に幸せだったんです。あなたと会話できるだけでそれだけで。でもそんなあなたは今、1つ下の新しい彼女がいて。ちゃんと長く続いていて。先程も言ったように、私、あなたに誰のものにもなって欲しくなかった。最低なやつだけどそれが本音です。それほどまでに今でも好きなのに、この気持ちをあなたに伝えることはもう許されない。もう一度はない。
本当の私の理想は、あなたが有名になってくれること。あなたは唯一無二の人間です。そうなれると私は信じています。あなたが小さなハコから大きくなるまでずっと通って、ファンクラブにも入って、堂々とでもそっと応援してあなたと関わっていたい。あなたに花を贈る存在でいたい。匿名のファンレターを出す存在でいたい。でもきっとこんな未来はないんです。あなたのことを好きでいたい。応援していたい。でもあなたと私の関わりなんてとても薄くて、あなたがそういう大きな存在にならない限りそれができない。だったら付き合いたい。そういう関係になりたい。でもあなたは彼女がいる。友達ですらないんですよね、私達。なんなんでしょうね。
この好きは伝えられないけれど、こうやってあなたを想う人間もいるのです。気持ち悪くてごめんなさい。好きです。ずっと好きです。あなた以上の推しなんていないんです。ネットの片隅で流すことでこの気持ちが少しでもなくなることを祈ります。
「森永」
「森崎」
「中園」
「園井」
文字だけを頼りに物語を追ってると、漢字から受けるイメージが結構重要じゃないですか。
漢字の字面がキャラの顔っていうと言い過ぎかもだけど、初めて読む作品はキャラクターとも全て初対面なわけです。
リアルで一日にこんなに初対面の人といっぺんに会うことって、私はまずない。
しかし、その文字だけの世界で同じ漢字を使ったキャラが現れると混乱する。
あれ?この漢字のキャラすでに出てるけどなんて名前だったっけ?
どこに出てきてどういうキャラだったっけ?
見当がつきそうならその場で遡って読み返して確認する。
漢字が被ってるだけでそれが伏線になることもないことがわかれば、安心してそのまま読む。
どのへんに出てるかがわからなくなってしまったりしてる場合は、もやあっとするけどがまんしてそのまま読む。
でも、もやあっとはしてる。
どのへんで、どこででてきたキャラだっけ、と漢字被りしてるキャラが出てる間、ずっともやあっとする。
歴史物とかで、一族は同じ文字を必ず使うしきたりだったら仕方ない。
しきたりだから。
リアルでも同じ姓の知り合いいたり、似た名前の知り合いができてしまうことは普通にあると思います。
私も同じクラスに自分と同じ名前のクラスメイトが二人(自分を含めると三人)いたこととかあるし。
(名前で呼ばれていた子はそのうち一人だけだったので事なきを得た。)
でも!!!
漢字が被らないようにコントロールすることは可能ですよね!!!???
このキャラにこの漢字を、とか、この音を、っていうこだわりはあるかなーとは思います。
でも、文字だけの世界で漢字が被ったり、音が被ったり(特に初めの二音)っていうの、マジで読みにくい!!
『若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこの作品は書籍版漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。
これは120点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。
演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思います。ふるぼっこだドン。
この映画に関してはTwitterで児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。
じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。
初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいます。トランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイトに挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります。
『若おかみは小学生!』って言うタイトルだから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。
「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽や美術の演出とあいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術のレベルは高かったです。
でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。
小学生の児童にとって、両親を失うというのは、最愛の家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界の崩壊とかいうレベルでの悲哀なわけですよ。
にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。
異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故のフラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。
あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。
そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます。祖母である旅館の経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館の雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。
事実おっこの若女将は雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的な社会人の価値観からすれば)行き過ぎな面もありました。
でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将は労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。
たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所も自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実上ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。
おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働を危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供に接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから若女将をとりあげて、じゃあ不安定な彼女の精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。
だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてものは現代社会において、大学を卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。
そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点の傲慢な物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。
おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女が孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います。
おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである若女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去をある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます。
幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデルと出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。
まずは旅館の女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女の個人人格と職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います。職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとホロリとしました。
二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野で旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢な物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います。
(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)
三番目は宿泊客である占い師・グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこの宿泊客は、都心部に事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています。
抑制的な演出で描写される彼女の鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女の着付けを手伝います。浴衣初経験のそんな彼女の艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。
ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?
私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来の自分」「目指すべき形」です。
祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師が自分の仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。
ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊の少年やおませな幽霊の少女と出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこの幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます。
でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所を確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便の黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。
見終わってから気づいたのですが、この作品の幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています。
おっこは自分の中の勇気やかしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。
すべてのフィクションはファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学に入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館業から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。
でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチュームや身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係と自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います。
以前も書いたけど私は頭の良さそうな顔をしている。子供の頃から美人ともブスとも言われずに、賢そうな子と言われてきた。
https://anond.hatelabo.jp/20170720195709
賢そうな顔をしているだけで実際頭は良くないので、優秀な同僚・上司との会話についていけないこともある。能力としては頑張って頑張って並。でも何故か実力以上に評価され、犯したミスも滅茶苦茶な、こじつけみたいな理由をつけて、なぜかプラスの評価につながった。
皆大人なので顔には出さないが、「なんであいつが?」と思ってる人もいるだろう。私もそう思う。だから基本は腰低く下手に出るようにしてるしたまに軽い自虐もする。ようは卑屈で媚びた八方美人なんだけど、賢そうな顔でそれをやると、ほどよい親しみやすさが生じるらしい。
女性の管理職登用の流れもあって同期の中でも昇進の早い方だったけど、昨年の人事でついに出世頭になった。無理だ自信がないと言ったけど、社内外の事情もあって引き受けざるを得なかった。
理由は簡単で、部下が優秀だからである。特に入社3年目くらいの若手がデキる。そういう子たちに失敗の責任は取るからと(正直に言うと、肩書が重すぎて自分以外の失敗を理由に降格したい思いもあった)好きにやらせてみたら、アイディアは面白いし効率は良くなるし、その上勉強熱心であなたたちは本当にすごいね…という感じ。
加えて、以前私の下で働いていた優秀な部下が、わざわざ希望を出してうちの部署に来てくれた。社内でも指折りの有望株だ。死ぬほど頭がいいので海外に飛び出すか起業でもするのではと思ったが、今のところうちで働いている。
いつ化けの皮が剥がれるかと、若い頃はビクビクしていた。でも今はやれるとこまで賢い顔の恩恵を受け、駄目になった時はその時だなと思っている。悪いことをするつもりもないし、相当やらかさない限りクビにはならないだろうとどっしり構えるようになった。それなりに稼ぐ旦那がいて、余裕があるのも大きいかもしれない。
特に美しい顔ではないのでコンプレックスはそこそこあるが、奇跡のバランスではあるんだろう。顔には助けられている。
1年間同じ教室で過ごしてもクラスメイトの名前すらうろ覚えなのに、満場一致でクラス委員に選ばれた娘は明らかにわたしの血を引いているので、賢そうな子ではなく賢い子になってほしいと思う。どうしたらいいかわからないけど