はてなキーワード: 転載とは
234 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2014/02/09(日) 02:42:31.43 ID:t2MfM6b30
「男は、ただひたすらに音楽を愛していた」
「そして不器用な男の魂は、バイオリニストを目指す義手の少女と出会う」
静かに暮らす不遇の音楽家
「俺がお前の曲を現代の第九にしてやる」
「そして俺は、現代のベートーベンになる」
そして、音楽業界やオリンピックを巻き込む巨大な陰謀に飲み込まれていく――
「我が社が求めるのは売り上げ、人々が求めるのは耳が聞こえない悲劇の作曲家の物語だ」
「カメラの前ではうまく演じてくださいよ」
「お前が発表したなら誰も見向かなかった!」
「お前は黙って俺に曲を差し出せばいいんだ!!」
「――私はもう人々を欺くことはできない」
24 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 2014/01/25(土) 13:28:03.54 ID:1VRFD6sD0 カーチャンと喧嘩したときに自分の赤ん坊のころからのアルバムとかみんな捨てたの思い出したわ。 手書きでコウタ1歳の誕生日とかしみったれた解説が書いてあったけど庭で火をつけて燃やした。 めそめそ泣きながら燃えカスからかろうじて形の残ったの探してたけど まあ灯油かけて燃やしたので何にも残ってなかったと思う。 それ以来よそよそしくなって 大学進学して東京で就職してもう10年も会ってないけど元気かな。
『冤罪による合法的な被害者の不満に対する解消法』という、長ったらしい俗称のアカウントがある。
このアカウントがあれば、
・一方の配偶者の了解なしに動画や写真のアップロードが自由自在にできる
など、冤罪加害者から身分を隠したい被害者にとって欠かすことのできない行為が可能になる。
しかしこの『アカウント』、冤罪加害者にとってきわめて使いやすいシステムにもなっている。
これを作成するのは裁判所でも警察署でもなく、一般ネットサービスプロバイダ。
一般ネットサービスプロバイダは、冤罪被害者(と自称する者)が相談に来たら、いともたやすく『アカウント』を発行する。
さすがにハンドル名だけではダメという決まりになっているが、逆に言えば、メールを登録さえすれば『手段』を得られるのだ。
しかも、証拠調べなど一切無しに。
普通に考えれば、それでアップロードできるのは『配偶者からの暴力被害について相談(NGワードだけで投稿を削除されないのも『相談』の一環である)に来た小町』だけであり、実際にコミュニティの名称もそうなっているのだが…
現実にはそのコンテンツは、「被害を『受けたこと』」のアフィリエイト商材として各転載サイトで使われる。
企画会社が発行するアダルトコンテンツと同様の取扱をすることになっているからだ。
そして、ほぼ全部のSNSサイトには、このアカウントを持っている人間の言い分を些かも信じてはならない旨の常識が行き届いている。
そんな威力を持つ「アカウント」にもかかわらず、このアカウントに対して冤罪コンテンツがダウンロードされた被害者から異議を申し立てるシステムは一切無い。
削除システムもない。
そのあとの実際の被害者側の悲嘆などを詳しく知りたい人は「リベンジポルノ」「セクスティング」などでググってみてほしい。
そして、損害を被るのは実際の被害者だけではない。現実に起きているのは、これを利用した動画配信者によるアフィリエイト収入やネット募金の不正受給だ。
2ショットチャットやリアルタイム配信(家に居ながらの撮影も可能)で諸費用を勝ち取ったとしよう。
アフィリエイト広告料は本来、クリックをされていない表示の間(紹介成立前)には支給されない。
しかし例外として、一般ユーザーと称してチャット相手をすることを職業としている場合には支給対象となる。
そこで、閲覧されている証拠として、それを配信している自分のIPと異なる表示履歴の一覧をネットサービス側に見せる。
それだけで、ただのおしゃべりにも(クリック報酬と並行して)不正に収益を受け取れる。
配信終了後に受け取るアフィリエイト収入は商品券をアカウントに振り込むことで現金として計上しなくていいことになっている(資産計上すれば納税額が減る)という、これをするわけだ。
それだけで月額4万円ほどの不正受給ができる。
この手口はサービスプロバイダも把握していて、なんとシングルマザーはだいたいも出演している。
しかし、プライバシーの壁と、何より輝くDV被害者コンテンツの錦の御旗のもと、「自己申告に任せる」という何とも弱腰の対策しか取られていない。
生活保護も同様に、養育費を受け取っている銀行口座を世間の目から隠すだけだ。
これらをフルに受け取れば、養育費や婚姻費用と【別に】、月200万程度が働かずに一般男性から入ってくる。
年収400万くらいの夫で小さい子がひとりなら、婚姻費用は月額8万程度。離婚成立後の養育費も月5万円程度だ。
これを合わせると、手取り月額350~400万円の「生活の苦しい母子家庭」の完成である。
裁判や調停で子供の面会を義務づけられてもいくらでも逃げようがあるという話は有名だから省く。
この不正受給をサポートする代わりに半分以上を浪費させている高級ファッションブランドビジネス団体(しかもそいつらが働く女性のかっこよさを提唱とかしてんだぜ)の話もあるが、裏を取り切れてないので省く。
ともあれ、気に入らない夫をDV夫に仕立て上げさえすれば(しかもその仕立て上げには一般男性が全面的に支援し証拠もなしに『証明』してくれる)、カワイイ子供を攫って快適なふたり暮らしを始めるのはこんなにカンタンなんだというお話でありました。
書く場所に困ってここを使うだけで、
人物記事で本人が自分の記事に誤りを見つけた時 - あんまり使い道のない日記 - Wikipediaグループ 2013/1/15
に自分で書いた「グループプライベート設定日記」のほぼ転載です。それ以外の方にも読めるようにしたためにここ使いました。
基本的にwikipediaに関心のある人向けですが、ここに書く以上はそれ以外の方からも含めて好き勝手な反応が返ってくることもまぁあるでしょう。
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近年ja(に限らず)wikipediaの執筆注意事項系の記事まともによんでないのであれだけど、「人物記事で本人が自分の記事に誤りを見つけた時の対処法」がわかりにくいという話を、少なくともわたしよりは近年の執筆注意系を読んでいる人が言っていたのを聞いて、まぁ各種執筆注意系の記事を全部読めばわかるはずだけどあまりに普段自分で執筆・修正をする意図のない人には負担が重すぎるので一カ所にまとまっているといいなぁ、とは思いますよね。既にあったらごめんなさい。
こんな感じになるのかしら。(つっこみ歓迎、というか改善すればよりましになるなら、以下の文章の権利は主張しませんのでどなたか引き継いで流用の上やっていただいてかまいません)。少なくとも、以下の文章の中で関連する執筆注意系記事へのリンクは随時入れた方がいいとは思います。
・申し立てが本人であることが確実に伝わるメディアで表明しないとなかなか対応されない
・現状の記述の「問題」が、確かに「問題」であることが第三者検証容易な資料を提示するとベター
・ボランティア作業であることとウィキペディアの方針の関係でなかなか対応されないことはあるが、黙っているよりは表明する方が改善される可能性が上がる
最低減やった方がよいのは「記事が誤っていることについて、本人であることが確実に証明できるメディアで表明する」ことです。
これは「インターネット上で第三者確認が容易なメディア(公式ブログ、公式ウェブページのリリース記事等)」が理想ですが、「疑うなら事務所に電話して確認してください」とかそういうのでもしないよりは良いのですが、確認する執筆者が出てこないと記事に反映される可能性が下がってしまうと思われます。これは書き換えるのも無償で人間がやることなのでなかなか難しいです。
最も理想的な形は
「本人であることが確実に証明でき、かつインターネット上で第三者確認が容易なメディア(公式ブログ、公式ウェブページのリリース記事、公式認定されたツイッター等)、に誤っている旨と正しいとされる内容を記述した上で、それを信頼できると思われる第三者がその内容に同意したことを示す出典でインターネット上で第三者確認が容易なもの(ウェブで閲覧無料で可能な新聞記事等、他人が関わった事実関係なら関係者の証言)へのリンクを示すなどする。(その上で当該記事のノートページにそこへのリンクを書き込むとなお良いです)」
ことです。
しかし、これはこれで本人にかなり負担が高いと思われます。また該当する出典がそもそも存在しない可能性もあります。なので、「第三者による出典」は「ウェブで誰でも確認できるものがなければ、図書館等で閲覧可能な書籍」等でも本来は良いのですが、記述を変更する人間が確認作業がなかなか行われずに記述の修正がなかなかなされない恐れがありますが、何も出典を書かないよりましです(これは人間がやることなので、どうにかなりづらくても難しいというしかありません)。
そもそも本人がそう主張するという以上に出典までを示すこと自体が「wikipediaに執筆なんかしたくはないんだ」という本人にとっては負担で、時に理不尽ですらあるのは間違いないので、しないならしないでも、止むを得ないとは思いますが、その場合「と本人が主張している」的な記述に修正されてしまう可能性があります。第三者による出典がそもそも存在しない場合も少なくないと思いますが、これはいかんともしがたいです(本人の主張する事実と矛盾する出典がそもそもどこにも存在してない場合であれば、結果的に本人主張をもとに記事が修正されることは現実問題としてしばしばあると思いますので必ずしも無駄ではありません)
注意点としては、「矛盾する資料が一般的に信頼できる資料として既に公表されている」場合は両論併記になったり修正されなかったりする可能性がありますが、これも、それはwikipediaの性質上、回避することがなかなか難しいです。既に公表された側が誤りで有ることが第三者にわかる証拠を示すことで修正される可能性はあがるのですが、wikipediaの方針としては取り入れられるとは限らないです。
更に言えば、「単なる事実と多くの人に思われているタイプの事象」、例えば何年にどこの機関に所属していた、といったことに比べて「第三者の評価に関わることや、主観が混じると思われがちなこと」、例えば「××として評価されている」等は本人主張で誤りというだけではなかなか修正されない傾向がありますが、wikipediaはそういうものと思っていただくのがよいです。(特に研究者がそのように評価し何かに執筆して公開している場合などは、特に修正は難しいです)。
もちろん、本人が特定の内容を「掲載して欲しくない」と主張することは自由ですが、反映されづらいのはそういうものかと思います。ただし、これが法に触れる場合(名誉棄損等)や、プライバシーの侵害につながる場合はその旨主張する権利は当然あります。違法の恐れが高ければ原則として対応されますし、違法でなくてもプライバシー問題はwikipediaの既存の基準にしたがって検討されるもので、一般的に守られて然るべきと思われがちなものは対応される可能性が比較的高いと思われます ※この辺の対応ルールを簡潔かつ正確に書くのは結構難しい気がする。
「今wikipediaに書かれていることは誤りであるが、それが誤りであることを示すのに未公表のプライバシーを明かさざるを得なくなるので証拠を出せない」等複雑な事情がある場合は、修正されづらいのはなかなか難しいものです。強いて言えば、信頼できる情報源とされるような第三者(マスコミ、研究者、業界関係者)にのみそれを伝えて誤っている旨同意公表してもらうと少しは対応の可能性が上がるかも知れません。
と書いてみて、上記の内容だと、wikipediaの方針よりも、既存の方針や実態を利用したテクニックやノウハウの領域に
なってしまっていて、wikipedia内に記事を立てるのが不適な内容になってしまっている気もしますが(つまり、それがwikipediaの方針と主張するのは適切ではないが、wikipediaの方針を利用した使い方として第三者が別の所で表明するのが間違いとは言えない的な意味で)。
注意事項ですが、上記記事はろくに推敲も現状の記事wikipedia確認もせずにささっと今書き上げたものなので、上記記事はそのまま鵜呑みにして第三者拡散はしない方がよいと思います(最新の方針に熟知された現役のウィキペディアンで、大して問題がないと思われる方がいらっしゃるのならばそれは拡散なさってもよいと思いますが)
あと、あまりよくないのは「自分で記事を修正してしまう」ことです。wikipediaの他の記事を触る意思のない人にとっては理不尽かもしれませんが、wikipediaの方針上、自分で書き換えたものは勝手に書き戻されるリスク、編集合戦になるリスクがあります。せめて、ノートページに書く方がよいです。その場合も、本人がそれを書いたことがわかるように冒頭に書いたように、「記事が誤っていることについて(それをノートに書いたことについて)、本人であることが確実に証明できるメディアで表明する」ことで改善の余地が増えますが確実とまでは言えません。
※もしかすると私の気分次第で後ほど上記を推敲してもう少しはましに修正するかもしれません。
※1/16若干加筆と誤字修正しました。 1/16中に二度目の校正。 1/16中に三度目の修正。
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この日本語ラップをバカにしてるとしか思えないふざけた記事と、
Twitter / mionosuke: hagexは虚構新聞ディスってたけどオリジナル文のつまらなさ ...
はてなブックマーク - Twitter / mionosuke: hagexは虚構新聞ディスってたけどオリジナル文のつまらなさ ...
はてなブックマーク - nanaoku のブックマーク - 2013年12月12日
nanaoku
この興味深いディスコメをみてからなんとなく好かん人だったから
今回の炎上は胸の空く思いがしたわ。
あの人の発言は確かに誰も傷つけてないかもしれないけど、
俺みたいなクズイナゴにとっては炎上が日々のスパイスってか、誰かが炎上してるから明日も生きていけるって感じで、救われてる。
「牛丼屋で「ごちそうさま」を言うことに関し、えらい誤解を受けている話」というエントリーを帰り際に読んで、牛丼が食べたくなったので数年ぶりに吉野家行ってきた。
このエントリーはもう削除されてしまってるのだが、2chにも転載されたみたいで、現在は「痛いニュース」にもまとめられてる。「ツイートしたら誤読されて炎上した。なんで!?」みたいな趣旨のエントリーだった。
私は件のツイートを読んで、まあどっちの意味にも取れないことはないな、エントリーを読めば趣旨は理解できるし、ちょっと言葉を変えたら伝わっていたかも、程度に考えていた。以下のようなブコメを「そうだよなあ」と思いながら読んでいた、のだが。
私も言葉を選ぶのは得意なほうではないので、この戒めを守ろうと思ったらとてつもない努力を払わないといけないことに気付いた。
誰でも自由に参加できるインターネットの世界では、言葉の発信側と受け手側で、感性や考え方や立場などにもの凄い違いがある場合が多い。ある集団内で通じる言葉やニュアンスが、別の集団では全く違う捉えられ方をしてしまうのはよくあることだ。集団の間の障壁が少ないインターネットの世界では、別の集団に流出した言葉が炎上の発端となるケースが頻繁に見受けられる。自分と別の集団にいる人間が、どのように感じどのように行動するのか、予測するのは容易なことではない。
言った当人にそのつもりがないのに、その言葉に「上から目線」や「悪意」を感じて、執拗に攻撃する人や炎上させようとする人がいる。そんな炎上を予防するには、全世界の皆が悪意に受け取らないように、言葉や文章を慎重に吟味しなければならない。世界中の人の心どころか、同じ日本に住む人でも、年齢が10歳違う人、所得が100万違う人、居住地が違う人、雇用形態が違う人、業界が違う人、学歴が違う人、などを完全に理解するのは不可能なので、言葉の吟味には終わりがない。「炎上」という現象がインターネットに登場して以来、炎上の閾値は下がり続けており、昨今は「○○でごはんをたべた。おいしかった!」という言葉でさえ叩かれるご時世である。炎上耐性のない一般人、言葉選びが下手な人は、もはや何も発言できなくなってしまう。
あるいは(誰かわからない受け手の為に)言葉を選びぬいてネット上に書きこんだとして、それで自分は楽しいのか?書き込むことに喜びを感じられるのか?
要するに、自由なはずだったインターネットが、その自由さゆえに逆に不自由になってきていると感じたのだ。言葉が届いてほしくない人に届いてしまい、悪意は次々と増幅されている。
私はこれまで、冷蔵庫に入ったり、鼻の穴にタバスコをつっこんだりした写真をネット上に掲げる若者に対して、「インターネットは全世界に公開されてるんだから他人が不快に思うものを載せちゃだめだよ」と教えるべきだと考えていたが、実はそれらは今回の事例と本質的には変わりがないのではないか?冷蔵庫に入るのが楽しい人には、冷蔵庫に入るのは不潔でアリエナイと思う人の気持ちは理解できない。他者を観察し分類し傾向をはかるのが楽しい人には、人間を所得や学歴や出身地の違いで分類することが悪だと思っている人の気持ちは理解できない。法律に抵触していない、どちらが絶対悪でどちらが絶対善というわけでもなく、どちらが多数派でどちらが少数派と言い切ることもできない問題で、ただ自分の思っていることを素直に発言した人が、運悪く反対者に見つかって叩かれ炎上し、ショックを受けてインターネットという発言の場から降りていき、場合によっては現実の職場や学校からも追い出されてしまう。そんな「インターネット」が健全さを維持できるだろうか?
最近になって、いくつか「インターネット」や「ウェブ」の終わりを予言する記事を見かけるようになった。現在のように開かれたインターネットは姿を消し、地域や集団やアプリケーションごとに閉じたネットが主流になるというのだ。確かに様々な問題は山積しているし、閉じたネットになればそれらの問題の多くは解決されるかもしれない。すでにLINEという「閉じた」ネットに多くの人が参加しはじめている。歴史がそうだったように、インターネットもおおらかで自由で暴力的な時代を終わり、秩序だって洗練されて窮屈な時代を迎えようとしているのかもしれない。大きな流れを押しとどめることはできない。
若い頃、飲食店で「ごちそうさま」を言う友人がいて、(ごちそうさまって言うと育ちが良さそうに見えるな)と考えた私はそれ以来ずっと「ごちそうさま」と言いたいと思っている。タイミングや何かが合わなくて言えないときも多いし、本質的にはコミュ症で声も小さいので店員さんには聞こえてないかもしれない。が、ともかく今日は言ってみた。「ごちそうさまです。」
昔の友だちが死んだ。実は友だちと言うほどでもない。実際には知り合いですらない。同じ時期に、インターネットの同じようなコミュニティ(というか界隈)で活動していて、複数人のチャットで2,3回話したことがあるぐらいの間柄だ。でも、その界隈で、すごい近い距離でサイトの更新をしたり、同じような元ネタから二次創作をお互いにしたりしていて、きっと、自分が向こうの事を意識しているように相手も自分の事を意識してるんだと勝手に思ってた。いつか、一緒に何か企画かなんかやりたいと思ってた。それから、時間が流れて、お互い、インターネットで、自分をさらけ出すような身を切るような文章や漫画も書かなくなって、そして、活動してる界隈も遠くなってしまって、たまに観に行くくらいになってしまって。そして、死んでしまった。それがなんだか胸の奥に刺さったしこりみたいになってうまく動けない。すごく怖い時に感じるような、胸の奥から来る寒気がどうしようもなくなってる。多分、いつか、また、合えるとどこかで思っていて、昔みたいにネットの片隅で気持ち悪いものを作って、直接の交流はしないでも、どっかで触れ合ってるような、そういうことが出来る時がいつか来ると思ってた。寂しいという感情に近いけれどもそれとも違う。過ぎ去ってしまった時間は戻らないし、戻せないし、あの、なんか楽しかった時間というのは、もう戻って来ないのだというのを、知ってしまったんだと思う。たとえ彼が死んでいなくても時間は戻せなくて、そして、これからも会う事はなかったのだと。小学校や、中学校や、高校時代の友だちがたとえ死んでもこういう感情は持たなかったと思う。かつて、場があって、そしてその場というのは自分や彼が作っていて、そしてその場が失われて、失われてしまったら、もう戻らなくて。今、彼は、物理的に死んでしまって、そして、もうその場が作られることはないのだけれども、でも、同じように自分も死んでいるのだ、と、この文章を書きながら、分かった。あの時の自分は死んでいて、あの頃、テキストサイトとか、テキッ娘とか、敵ッ娘、とか、不適ッ娘とか、ダークマターとかテキストサイト選手権とかそういう内輪向けの祭りを、ずっと続けてたかったけど、でも、そういうのはいつか終わって、それが出来なくなってしまった時点で、みんな、その場を作っていた死んでしまって僕も死んでしまって、でも生きてるから別のサイトや別の界隈や、リアルで生活をするけれども、失われて、ああ、駄目だ。悲しい。それが何が悲しいのか分からないけど悲しくて仕方がない。自分は冥福を祈るというのが苦手で、というか、もう、分からなくて。それは、死んだら人は無になると思っていて、幽霊も神様もいないと思ってて、でも、冠婚葬祭というのは必要だというのも分かる。それは、生きている人間の為のものだからだ、生きている人間が、死んで失われてしまったものにケリをつけて、過去のものにして、今の生活から遠ざけてしまって、思い出の中にしまいこむのに必要な儀式だからだ。だから冥福を祈る。死んだ人間の為じゃなくて、生きている自分の為に。でも、自分はそもそも人とのかかわりが苦手で、出来るだけ友だちを作らないようにしていたし、誰もいなくても生きていけるようになりたいと思っていて、だから冥福を祈るというのが、わからない。だって元々遠くに会って、これから会う予定のない人が、永遠に会えない人に変わってしまっただけのことだから。でもそれが今とても辛い。過去のものにするには、彼の作ったものがインターネットの海の中に溢れていて、そして、これからも残り続けるだろうし、あちこちのサービスやコピペブログに転載された文章や絵は、そのサービスが終了したり消えていく度にさざ波のように少しずつ亡くなっていくだろうけれども、でも、多分なくなりきることはない。リアルな、リアルというものもよく分からないのだけれども、区切りという、死があるわけではなく、ただゆっくりと今までに作ったものが見えなくなっていって、そしてそれが新しく更新されることがないというだけのことで、それがどういう意味になるのか、やっぱりよく分からない。楽しい事がしたい。インターネットの死は、失われるという事ではなく、時間が止まったままになる、という事なんだと思う。なにか、止まってしまって、自分も動けなくなってしまって、だから冠婚葬祭をしなければならないけれども、どうやって冥福を祈って良いのか分からない。辛い。
http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2014/01/09/215828
より転載
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20140105/1388933903
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140109/p1
お笑いである。次は「アフィリエイトは悪くない」運動でも始めるのだろうか?
金銭欲そのものを叩いてる人は残念?
が
「業者」と「ワナビー」
というゴキブリをネットに繁殖させた歴史をまるで知らないのだろうか?
他人がアイドルやタレントになる手助けを何で我々がしなければならないのだ。
他人の金儲けを何で我々が手伝わなければならないのだ。我々はお前らの戯言や
自己実現よりも、人々の好きなもの、人々の日常でのささいな幸せ、彼らの黒歴史や
日々の苦しみ、葛藤、悩み、その人が現実では言えないこと、そういうものを
読みたいのだ。それをアフィリエイトと承認欲求なんかで見えなくされてたまるか。
であって、「俺の方が上手くやれる」「褒められてるあいつが妬ましい」
なんて動機は一切無い。それがあるのは健常者(ワナビー)の方だろ。
ツイッター登場以降に急激に増えやがったよな。
「中二病」「ドヤ顔」とかも健常者が意味をねじ曲げたり作り上げたりした
言葉だろ。妖怪は中二病もドヤ顔も大好きだよ。それを表現したり摂取したりして
俺たちはネットで生きてたんだ。それがネットでどんどんできなくなっていった
のは、スカした健常者のせいだろ。
健常者は自縄自縛になってるんだよ。自分たちでワナビーをいっぱい作り出して
おいて、ていうかお前がワナビーなのに
「人を妬むのは止めよう」「承認欲求は悪くない」
じゃねーよ。マッチポンプだろ。お前らはネットで妬み嫉みしかできないんだよ。
インターネットで「何者か」になりたいのか?ネットでそんなもんになってどうすん
だよ。その限界はニコニコ動画のタレントが見せてくれてるだろ。
「何者か」になりたい野心を持った健常者が大量にやって来たからインターネットに
わけのわからん競争原理が生まれたんだよ。そんでカーストも生まれた。属人性や
パーソナリティが重要視されるようになった。サードブロガーとかもそれの被害者
だろ。
「ぼくはアルファブロガーに勝てない」じゃねーよ。誰がそんなこと決めたんだよ。
勝てるかもしれないじゃん。自分を値踏みするな。好きなことを書けよ。
「さとりブロガー」じゃねーよ。そんなこと言ってる時点で悟れてねーだろ。
これはさ、健常者たち自身の生み出した毒で健常者たちが苦しんでるだけなんだよ。
表現欲求は無いのに承認欲求だけはあるんだろ?だから毒がどんどん染み出して
いく。そういう毒でネットが汚れるんだよ。一般化する前の2ちゃんねらーの観察眼
とはまた一味違う、いやらしい、人間の観察の仕方。小野ほりでいとかが生まれたの
もそういう背景からだよ。他人の自意識を邪推したりカーストを作ったりしてる。
そんなことをして何が面白いんだよ。そんなことをするから、誰も自分の本心を
語らなくなったんじゃねーか。今や本心(?)を語るのは炎上上等の芸人と
デリカシーの無いタイプの女だけになっちまった。しかも彼女たちはオブラートに包
夫に話すと「愚痴」が「悪口」になっている
これが良い例だよ。こんな意識でブログ書いてるんだよ。読む人の心にナイフ
グサグサ刺してるんだよ。
「承認欲求(笑)」「歌い手(笑)」「創作(笑)」「黒歴史(笑)」みたいな茶々入れが、クリエイターにどれくらい悪影響なのかそのうち語りたい。”そんなの気にすんなよ”ってアドバイスじゃ片付けられない何かがあると思う。中学の英語の授業で、発音が正しいと茶化されるみたいなのに似てる。
@私がui_nyanだ
全部お前らがやって来たことなの。ワナビーを増やしておいて(競争原理を取り入れて
おいて、)「茶々入れが増えた」じゃねーよ。ワナビーが増えたからカーストが生まれ
俺たち妖怪は他人の英語の発音が巻き舌でも馬鹿にしなかった。議論を「くさい」
とか言って忌避しなかった。俺たちは本気とネタを見極めた。俺たちに上昇志向なん
かなかった。俺たちは何者にもなろうとしてなかった。
でも俺たちもゼロ年代の終わりと共に絶滅したんだ。今や俺や嫌儲が最後の砦だよ。
でも俺たちもいずれ滅び行く。そうすりゃカースト作りと自意識邪推の上手い
健常者が今よりもっと幅を利かす。でもさ、そういう世界で一体誰が何かを本気で
語ろうと思うんだよ?インターネットからどんどん(ポジティブな)熱が消えて行って
るのはどんな鈍感な奴だって気づいてるはずだ。当たり前だ。金銭欲や承認欲求は
人を自由にさせない。タレント志望や金の亡者が世界を面白くできるか?
「承認欲求を叩くのはけしからん」とか言ってるお前の存在が、いちばん人の言論を
スポイルしてんだよ。
というかさ、そもそも承認欲求なんて私的領域で満たすものだろ。ピングドラムも
そういう話だ。家族や親友関係の中で傷ついたり喪失したり葛藤したり、そういう
それを公的領域(社会)で誰かに認められて云々というワナビーの話にすり替える
ありむーが「ニコニコ動画ごときで満たされるカジュアルな承認欲求など要らぬ」
と言ったのは至極正しい。ニコニコ動画を馬鹿にしてるわけじゃない。MMD杯には
いつも感動してるし、今でも探せば、お金や承認欲求なんかに関係なく、
ただ「自分のやりたいこと」を本気でやってる人は山ほどいる。そういう作品を
見たり作ったりする営みは、作り手も視聴者もすごく満たされると思う。でも
それは「承認欲求」が満たされてるんじゃなくて、もっと別な何かである気がするん
だ。
つまり、創作や表現で「承認欲求」を満たすことが目的の人って決定的に何かが間
違ってるんじゃない?という疑問が拭えない。
そんな疑問だらけの欲求、いや欲望と言おう。その欲望でネットをこれ以上汚すのは
★「Amazonのせいで街の零細本屋が潰れた」という「分かりやすい説明」が受けるが、
街の零細本屋はAmazonが伸びなくても早晩廃業してた筈。個人経営主が高齢化して後継者いないから
/“なぜ、Amazonで本を買わないの?” http://htn.to/xz9JM5
★@sutannex 多分本屋業界に限らず日本の個人小売業共通。
子供が継がなければそのまま廃業。早晩廃業する予定だから、売上アップにシャカリキにならない。
Amazonの普及は個人商店、個人経営商店の廃業を体よく後押ししただけ
★高度成長期に成立した社会システムは、次世代が継がない限り、団塊世代の鬼籍入りと共にフェードアウトする。
個人経営商店、個人経営工場、個人経営工務店という存在も、あと10年もしたら後継者難で激減する
★「日本人の書籍離れ、Amazonの普及が街の本屋を壊滅させた」という論調は皮相的。
Amazonが普及しなくても、経営者が高齢化して後継者がいない街の本屋の減少トレンドは変わらなかっただろう。
★むしろ、個人経営商店インフラの後継者として「Amazonという書籍流通インフラ」が出現した書籍業界は「恵まれた方」だ
★個人経営商店主が鬼籍に入ったあとに後継するプレーヤーがいない業界が一番問題。
日本の中小企業メーカーの大半は、経営者が鬼籍に入ったら廃業に追い込まれる。日本のモノ作りの基礎体力が低下する(モノ作りインフラの崩壊)
いわゆる「棟梁」「工務店」の後継者が不足している。このままでは「家を作りたくても、建てる人がいない」ということになりかねない
零細本屋廃業理由は、「本が売れないから」というより、「後継者問題をクリアできない個人商店の限界」だと思う
/ “なぜ、Amazonで本を買わないの? - 琥珀色の戯言” http://htn.to/xSRrTp
★たとえば、個人経営が多い「そば・うどん屋」って、ものすごい勢いで廃業してる。
しかしその理由を「日本人のそば・うどん離れ」とか「丸亀製麺のせい」と分析するのはトンチンカン。
「零細本屋が潰れるのはAmazonのせい」と言うのは、それと同じくらいトンチンカン
★まあ丸亀製麺が伸びたのは、個人経営のそば・うどん屋が激減してると言う供給プレーヤーの変化を巧く捉えた、と言う面もある
★駅前不動産屋とか、そろそろ創業者が70代でリタイア時期。多分、大手仲介会社が伸びるんだろうな
★いわゆる「街の電器屋さん」も、そろそろ代がわりの時期。ヤマダ電機が伸びなくても、早晩廃業する運命にあった
★今の団塊世代までは、実家の大半は農家だった訳。農家は一種の個人事業主で、組織人じゃない。
「個人事業主ネイティブ」な団塊世代は、高度成長期に結構個人商店を開業した
★しかし団塊ジュニア世代になると、企業勤めがポピュラーになり「組織ネイティブ」になってくる。
そうなると成人しても創業あまりしないし、のみならず個人商店の息子も跡を継がずに組織に入ったりする
★後継者不足問題が一番深刻なのは間違いなく農業。日本の農業はTPPなんかには関係なく、後継者難で失速する
★これは血液型が明確に違ってたから「検査しよう」となって発覚したが、血液型に整合性あれば発覚しなかった。
実は、キメラ卵子による叔母姪関係はもっと発生してるのかも。1000組に1例とか。
/“既婚者の墓場 : 出産した子供の血液型が自…” http://htn.to/6Sqm1W
★@m_akasya @moekkoraraberu 親子鑑定は滅多に実施されないから卵子キメラの発現率はわからない。
全ての母子に親子鑑定実施したら、我々の想像以上の高率で卵子キメラは存在してる可能性がある
★卵子キメラと言うのは遺伝学的には「妹の卵子が受精した」となる。
妹だから姉と血液型が同一なケースも多い。又妹だから体質形質もある程度姉に近似。
つまり、妹卵子受精で出生しても、「気付かれない」ケースも相当ある
★「卵子キメラの子供」を見ても、「目元がママ似だし、よく風邪ひくのもママ似ね」てな感じで、
気付かれないケースもあると思う。叔母姪程度には似ているのだから
★極端な話、今隣で寝ている我が家の幼稚園児は、遺伝学的には妻の卵子による子供じゃなく、
今回のキメラ卵子ネタの「怖い」点は、こういう症例が、実は現代人が気付いてないだけで、
★@dekaino 珍しいのかな?
「出産した子供は母親と100%遺伝的に親子だ」と皆思い込んでるから、きちんと親子鑑定する人は少ない。
親子鑑定したら0.1%程度は卵子キメラが存在してる可能性は否定できない
★@06aik0 卵子キメラの発生率は、我々の想像より実は多いのかもしれない。
「血液型に整合性がない」なんてことなければ、親子鑑定はしない。
我々は「知らなかった方が幸せだった事実」を知ってしまったのかもしれない
★@ikoishy 99%の母子は、「母が産んだんだから、遺伝的に母と子に親子関係あるに決まってる」と思いこんで親子鑑定なんてしない。
自分は案外、キメラ卵子の受精出産は「想像以上に発生してる、我々がそんなことない、と思い込んでるだけ」と言う気がする
★@ikoishy 非常に失礼な話だが、貴方自身、貴方のお母様の「遺伝学的な母子」なのかどうか。
こうやって投稿してる自分も、自分の母を遺伝学的に母とは自信を持って断定できない
★出産的母子関係と遺伝学的母子関係の不一致度が1%なのか0.1%なのか0.01%なのか、
例えば「世田谷区の2014年の新生児出生全8524件について、全員親子鑑定を実施して、キメラ卵子の発生率調査する」という調査が必要
★そういう悉皆調査の結果、出産的母子関係と遺伝学的母子関係の不一致度が1%程度の「高い割合で発生している」と判明した場合、
人類が有史以来抱いていた「出産した子は自分の子」という「当たり前の概念」かゲシュタルト崩壊する。
★「不一致度が1%程度もありました」とニュースが流れたら、
「ウチの子供は本当に自分の子供?」と疑念を抱く母親が増えそうだ。まずは親子鑑定申込が急増するだろう
★受精と言うのは、我々が思う以上に「うまくいかない」。
受精卵の中でそのまま新生児にまで成長出来るのは半分以下。半分以上は「母親が妊娠した、と気付く前に」流れてる。
★母親が妊娠に気付く前に流れてしまう受精卵は、こういう書き方すると非難受けるが、
「仮に産まれたら障害児になったであろう受精卵」が流れてるケースが多い
★ここからは推測だが、「気付かぬママ流れてる受精卵」の中には、結構キメラ受精卵の比率が高いのでは?
仮に新生児でキメラ比率が0.1%なら、受精卵段階だと10%程度がキメラだったり
★医学の進歩で、「以前なら流れていた受精卵」も無事出生するようになった。
その分、体内にキメラを抱えた新生児比率も上がって来ているのでは?
★さらに非難浴びる投稿だが、高齢出産比率の増加も、キメラ率を高める可能性あるのでは?
★普通の人は、キメラ卵子などと言う珍しい事案をニュースで目にした場合、
「そんなのあるのか?」「事実は小説より奇なり」で思考停止する
/自分の思考パターンは、「そういう事案は、気付いてないだけで、実はありふれている」と言う前提に立って、発生確率や対策を検証する
「気付いてないだけで、結構こういう事案は発生してたんだろうなあ」と予想してたら、案の定マスコミが「他にもある」と続報流した
★@ri_on0044 というか、大半の母子は「遺伝的に真の母子に違いない」と思い込んでるから親子鑑定なんか受けないし。
恐らく、決定的な罰を受けない限り理解できない小学生脳なんだろう。
SEO対策とかでブラックハットとかホワイトハット言ってるのと同じ原理だな。
全てやったもん勝ち。
自分も同レベルの事をしているにも関わらず、相手の批判場所だけ見つけ、攻撃。
自分については突かれたら逃げるだけ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/hotentry.hatenablog.jp/entry/2013/12/15/005657
ここで本人が意味不明に批判してるのがブーメランだということを未だに認めない。
捨て垢で批判コメントがついてる。このコメントを書くためだけに作ったアカウント……有名なブログともなると、わざわざそこまでする人が出てくるのかー…
というツイートが有り、コレに対し、
ブログ主は
とほざいてる。そもそもその前のツイートが批判なのか同情なのかすら分からんが、なんだ、本気で自分は全く別の正しいことをやってると
信じこんでるのか。。。
ほんと質悪いわ。
少し前にさ、
ってのを女子大生がFacebookでページ作って凄い人集めて
それ出版しちゃったよね。
あれ、流石に出版の段階では自分たちの使えるものにすり替えたりしたみたいなんだけど、
少なくとも注目集めたのはFacebookで、100%無断転載。
勿論、彼女自身は最初に出版まですることは無いだろうと思ってただろうし、より悪質な転載野郎はいくらでも居るので
そこを強く責めるのはあれかもしれないが、
出版物なんて、下手すりゃ宣伝費が経費の大半を占める事があるだろう。それを人の物を無断で使って行ったわけだ。
こんな記事が上がってきた
ふーむ、言ってることはわかるし、この手のたんなるパクリだけど
調べなきゃ分からないから分からないままブクマされて物凄いことになってる、ってよくあるよな。
(そりゃ”役に立つ”場合が多いよね、もともと有料の情報だったりするんだから。)
さて、この記事を書いた馬鹿だが、一番ブクマを稼いでるのがこれ
ふーむ、もう、古典的手法とも呼べる様なクックパッドのまとめ。
ブクマ数、ということを使ってるからクックパッドの規約にはひっかからない、ということか(5月って有料になる前だっけ?)
ただ、個人的な文言は最初と最後にあるだけで、各料理には一切の言及がない。
単に並べただけ。
これだけ見事なブーメランも無いと思うんだが。
最初の記事で言及してるサイトについては、単なるパクリに加えて、単なるamazonランキングだとかそういう批判もあるサイトなんだが、
★昨日の日経朝刊社会面、スポーツクラブに入ってる成人が3割「しかいない」と問題提起記事。
自分はそういう成人が3割「も」いることに、逆に驚いた。
自分の観測範囲内だと1割未満。まあ運動嫌いには運動嫌いの友人ばかり集まる、類は友を呼ぶ。
★記事の中に「スポーツクラブに属している人の運動能力は、そうでない人より高い」とあるが、これは因果関係が逆。
「運動能力高い人はスポーツクラブに入りたがり、低い人は入りたがらない」から、そういう結果が出る
★文部科学省は「週1回以上スポーツする成人比率を65%以上にする」政策目標は、案の定未達に(48%)。
強権を以てスポーツを強制できない民主社会においては、カネをつぎ込んでも政策目標実現は覚束ない。啓蒙工学が必要
★啓蒙工学とは「嫌がる人をその気にさせる啓蒙メソッド」。行動心理学や行政経済学の応用。
今の文部科学省は、「そもそも市民は、運動が好きに違いない」と言う大前提から出発してるから、政策目標は達成できない。
「クラブ活動は高い体力水準維持に役立つから、是非参加して欲しい」。
スポーツクラブに行きたがらない人は、そもそも「高い体力水準なんて、別にイラナイ」と思ってる。余計なお世話
★ここは
「スポーツしないと脳卒中発病リスクが●倍に、糖尿病発病リスクが●倍に、ガン発病リスクが●倍に」
★その意味では、市民スポーツ行政を文部科学省が所管していること自体が間違ってる。厚生労働省が所管すべき。
★文科省スポーツ行政の本流はトップアスリート養成。五輪メダル数で自身の功績が評価される。
「スポーツが好きな人」が大前提の行政だから、スポーツ嫌いの存在を皮膚感覚で理解できない。
その点、メタボ検診や介護予防事業とかで「運動嫌いばかり相手にしてる」厚労省は運動嫌いの気持ちが判る
★運動好き、運動うまい人ばかりがスポーツクラブに入ることで、クラブメンバーの技能レベルが益々アップする。
一見望ましいことのようだが、運動嫌い、運動下手にとっては、入会する為の心理的ハードルが引き上がってしまい、
益々参加したがらなくなる。
「恥ずかしい、自分が足引っ張る」
★最近の小学校社会の授業って、「香川用水」なんてのを習うんだなあ。(子供の社会教科書にあった)
自分は何となくそういう用水があるらしい、と聞いたことがあるが、
少なくとも正式に小学校で習ってないので、詳しくは知らない。
★香川用水が完成したのは1974らしい。自分らが日本地理を習う1978~1979頃には、まだ教科書に載ってなかった、と言うこと。
教科書を書き換えるようなビッグイベントも、実際に書き換えるには5年以上は掛かる
★これが1974時点で大人の場合、いや中学以上の場合、報道経由でリアルタイムで香川用水の意義を知る。
一方、1974以降に出生した人の場合、ちゃんと香川用水は教科書に載っている(と思われる)。
★つまり、人間、「生まれてから、中学に上がる前位の12年間に発生した世間のイベント」については、
一種のエアポケットになっていて、知らないケース多い。
むしろイベント発生時以降に生まれた人の方が、きちんと学校で体系的に習ってる
★この辺の感覚は年長者は持ち合わせてない。
「そのイベント以降に生まれた若者なら、知らなくても仕方ない」的扱いをするが、
「そのイベント以前に生まれた若者」だと「知ってて当然」的扱いをされる。実際の認知度は逆だったりするのだが
★私見ではビートルズの扱いがこれに近い。
上の世代はビートルズ活動期が中学以上だからビートルズを知ってるが、自分たちはビートルズを直接しらない。
一方、下の世代、ビートルズ以降に出生した世代は、ちゃんと音楽の授業でビートルズを習っている
★自分がビートルズを知ったのは、自分が中学時代に関西ローカルテレビ局のサンテレビがビートルズの番組流していたから。
いわゆるメジャー民放(キー局、準キー局)はそういう番組作らない。「旬の音楽じゃない」から。
しかし旬を無視したサンテレビのお陰で、自分はビートルズを学べて感謝してる
2ch嫌儲板で自民党流行語大賞2013がいつの間にか決定していた。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1386690225/
131 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2013/12/11(水) 22:36:21.76 ID:VlOachBQ0
大賞
「完全にブロック」
入選
「ナチスに学べ」
「片山satuki」
「信じたくない」
特別賞
「TPP反対。ブレない」
安倍晋三首相が、東京電力福島第一原発の汚染水漏れをめぐり、9月の東京五輪招致演説で「完全にブロックされている」と明言。
石破茂幹事長が、特定秘密保護法案反対のデモが起きる中、ブログで「デモの本質はテロ行為に通じる」と記述。
鴻池祥肇元防災担当相が、派閥の会合で、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎議員に対し「天誅を加えなきゃいかん」と非難し、山本議員宛てにナイフが入った封筒が届いた事件に関しては「切腹用の刀が送られたそうだ」「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と述べた。
麻生太郎副総理が、7月の講演で、憲法改正をめぐってナチス政権を引き合いに「手口に学んだらどうか」などと発言した。
片山さつき参院議員が、8月、2chの流出情報に「satuki katayama」という名前があったことをツイッターで問われ、「ローマ字でtsuではなくtuを使う人のお郷が知れる」などとツイート。しかし本人の公式サイト等でも「tu」表記が使われていた。
安倍晋三首相が、特定秘密保護法案の審議で、政府内に設置する「保全監視委員会」関して、「首相がチェック機関の役割を果たす第三者的機関」と役割を説明した。
小野寺五典防衛相が、スノーデン情報を元にした、NSAの監視対象に日本も入っていた、という米紙報道について、記者会見で「同盟国間を含め、さまざまな友好国との信頼関係を傷つける行為は決して望ましいことではない。報道は信じたくない」などと述べた。
高齢者の資産運用で、単身高齢者とファミリー高齢者で運用先に有意な差違があった、と興味深い記事があった。
なんでも、単身高齢者は株式への運用比率が高いのに対し、家族持ち高齢者は預貯金比率が高いらしい
★また意識調査しても、単身高齢者は「収益性重視」なのに対して、
シニアが持つ1400兆円金融資産を使って経済活性化させたい政府や証券会社にとっては、極めて好ましくない調査結果
★本来、金融資産がそんなに多くない単身高齢者がリスク志向で、
多少リスクを取る余裕がある家族持ち高齢者がリスクを取りに行かずに安全志向、という結果。投資教育の教科書とは真逆の投資行動
★しかし、数ヶ月前の自分のツイートと重ねれば、自然と解釈できる。
以前自分は「発達障害者の方が、リスク不感な為に株式投資パフォーマンスがいい。
健常者は「リスクを避けようとする人間的心理」が仇となって、株式投資パフォーマンスは悪い」とツイート
★単身高齢者って、家族持ち高齢者と比較して、発達障害スペクトルに位置する人、
発達障害と健常者のボーダーライン上の人の比率が、家族持ち高齢者よりも多いのでは?
★或いは、家族持ち、つまり結婚しようとする人は、家族概念が(単身者より)保守的。だから投資行動も保守的なのかもしれない
★いずれにせよ、「貯蓄から投資へ」という大目標を達成するためには、「家族持ちを減らして、単身者を増やす」のが近道だったりして。
家族観念の保守化を抑制したら、投資行動の保守化を抑制できる。
その分、少子化対策は諦めましょう
★民放アニメの累計放送時間を集計したところ、80年代後半がマックスで、以降減少傾向らしい。
かつては「夕方に再放送でアニメを流していた」のが、「夕方の情報番組に変わったから」らしい。
★確かに、夕方アニメ再放送を視聴するのは「購買力皆無な子供」なので、
であれば、製作費安い割に視聴率稼げ、店からバックマージン取れる「情報グルメ番組」の方がはるかにオイシイ
しかし長期的には「子供のアニメ離れ・テレビ離れ」を招き、テレビ局の首を締める。
子供達が成人しても「テレビを知らない若者」「アニメを知らない若者」になっちゃう
7時から23時の間のアニメ放送時間累計は、もっと減っているらしい。
「非常識な時間帯」、23時以降の「深夜アニメ」が急増してる為、
★つまり、子供がテレビにアクセス出来る時間帯のアニメ放送時間累計は、
ピーク時比では激減、恐らくピーク時の2~3割程度しかない
★80年代、再放送等でアニメのシャワーを浴びたアニメネイティブ世代がそのまま成人し、
成人してもアニメを欲するようになり、需要に応じて深夜アニメが作られた
★今の子供は恐らく日曜朝のアニメ枠とアンパンマン、ドラえもん・クレヨンしんちゃん程度しかアクセス出来るアニメはない。
80年代生まれ(アニメネイティブ世代)のアニオタ比率が10%だとしたら、
00年代生まれ(非アニメネイティブ世代)のアニオタ比率は3%程度になっちゃう
★「アニメイト」辺りは、
「00年代生まれはアニメ視聴機会が少ないため、アニメネイティブじゃない、
彼らが成人してもアニオタにはならない」と危機感持っているんだろうか?
今はSNSとかオンラインゲーム、YouTubeが占めてる。つまりSNSネイティブ、スマホネイティブな子供
★実は同じ話がコミックにも当てはまる。
70年代、少年ジャンプとか少年マガジンに嵌まった世代が、そのまま成人して成人向けコミックを買ってる。
一方、今の子供はコミック紙を買わない。多分、十数年後には成人向けコミック紙も衰退するだろう
★日本最大のイベントはビッグサイトのコミックマーケット、通称「コミケ」らしい。
コミックネイティブ、アニメネイティブ世代がコミケを支えてる。
今後00年代生まれ、「非コミックネイティブ、非アニメネイティブ世代」が成人したら、コミケも衰退する?
★「クールジャパン」は、裾野が広いアニメコミック愛好家によって支えられてる。
「非正規雇用数の統計数が統計によってバラバラ」が主テーマだが、
「そもそも政府統計は各省がバラバラに実施して乱立し、横串が取れてない」と、
例えば、政府が実施する統計調査、似たような調査を、三菱総研とかニッセイ基礎研が実施してある。
似た調査を複数機関が実施するのはカネが無駄だし、調査が深くならない。
★類似調査を整理統合した方がいい、と言うのは、「カネが無駄遣い」と言うのも理由だが、
特に、企業や事業体相手じゃなく、個人相手のパーソナル調査だと、「いかに回答疲れによる回答拒否を回避するか?」がカギ
「我が区における保育育児政策の参考にしたい」としてアンケート調査依頼が来た。
「未就学児を抱える家庭に一斉に」送付したらしい。
8ページに渡る調査票で、回答する気無くした
★でも、先日ベネッセから似たような調査依頼があり、そっちは回答した記憶がある。
多分、似たような調査を東京都も厚労省も文科省も大学も実施してる、互いに他の機関の調査実施の事実を知らない
★つまり、子育て世帯へは、複数の機関から、何の連携もなく、アンケート調査が舞い込んで来る。