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2016-12-07

童貞逃げ恥を見た感想

真面目に語るのもアホらしいけど、モヤモヤしてるので思いつくままに書いておく。


例えば、フィクションにおける女は、いい印象を持つ男が自分に対して定期的にアプローチしてくるもののその本心は分からず、

そのために相手のことを考えてドキドキするとともに徐々に肥大化する恋心と現実との乖離に疲れ果てたその時、

突然のキスといった予想外の衝撃を受けると落ちる、と仮定する。これを「フィクションにおける恋の法則」とする。


これのために男が越えなければいけないハードルは、①いい印象を与える②定期的に会う③気持ちは隠す

アプローチはする(ドキドキさせる)⑤焦らしに焦らす⑥でもタイミングは逃さない⑦最高のタイミングキスをする、の7こ。

童貞にとっての特に難しいのは全部。なかでも⑥、⑦。


なぜなら、童貞はまず好きか嫌いか自分でもよくわからない女にはアプローチをしない。

そして好きな女にアプローチをする時は基本好き感が出まくる。そして相手気持ちなんて全くわからない。

さらに焦らすどころか初っ端にいきなり告白する。あるいは拒絶されるのが怖く徹底してタイミングを逃し続ける。

相手気持ちを念入りに確認するまではキスなんかできない。


逃げ恥は、星野源の見た目によって①を、契約関係によって②と④を、童貞ゆえの不器用さによって③と⑤を、

なんとか成立させてはいたが、⑥と⑦は単にヤリチン見えざる手によって解決させてしまった。

星野源完璧タイミングキスし、ハグする。⑥と⑦こそが童貞に立ちはだかる難問であるというのに…。


では、この⑥と⑦をどう解決すればよかったのか。あらゆるメロドラマは、

この種の取り返しのつかなくなった想いのすれ違いに(基本的にはヤリチンが)気づいた瞬間から

それを取り返す(例えば女が乗る飛行機の出発に間に合いキスするとか、結婚式に乗り込んで攫うとか)ことができるのか、

という試みを映画的とかドラマ的としか言いようがない瞬間や演出の力を借りながら幾度となく繰り返してきた。


果たして童貞タイミングを間違えまくっても、逸しまくっても⑥、⑦は解決し、恋が成就するのか、

あるいは、新時代の男女のロールモデルを描くドラマならば、この「フィクションにおける恋の法則自体過去のものとして更新してしまうのか、

俺はそれを期待して見ていた。でも、逃げ恥童貞男は結局下手なヤリチン同様の正解行為を瞬間や演出の力も無いままに再生産してしまった。

星野源根拠も無いままに完璧タイミングで「キス」や「ハグ」の正解を出し続ける。


結局、あのドラマ童貞になんか興味なく、星野源ファンファンタジーなんだろうけど、

そこらへんの面白さみたいなものもっと描けてたら良かったのにな―、もったいないなー、と思った。

2016-05-19

今日朝日新聞で善と悪の経済学の著者のインタビューがのってた

でもインタビュアー質問とはずれてる回答だったりして、記事としてはめっちゃ質が低かった

経済数字だけを追って未来リソースを先取りして借金しちゃったりするけどそれはよくないよ

数字だけじゃなくてもっと違うとこも見たほうがいいよ

ってのと、

見えざる手かいうけど、市場はそんなに善性前提になってなくてむしろ悪性が強いかもってのがリーマンとかでわかったよね

ってのが要点かなあと思った

一読しただけだとただの頭お花畑に見えて全然使えないとしか思えなかった

2016-04-16

いいね〟の数で人が死ぬ。それが国を弱らせる。

人の評価で人が死ぬという事態がどれだけ恐ろしいことかを知った方がいい。

巷でたまに人事評価に使われている360度評価ってやつは、あれは闇だ。恐ろしい制度だ。

 拝金主義の良いところは『とりあえずお金稼いでればどれだけ人格が糞でもとりあえずは生きていける』というところ

結局、人格なんていくらでも否定しようと思えば否定できるんだよ、

究極的な話、単にそいつが人気かそうでないか、それだけなんだから

360°評価だとか、人間性がどうとか社会性がどうとかい論議の恐ろしさは、元来労働者しかない存在評価アイドル声優と同じ土俵にまで上げてしまうことを意味する。

そういう不安定な職業につきたくないから、安定したサラリーマンを選んだはずなのに、労働によって何らかの経済的価値還元しているはずなのに、

どういうわけか結局アイドル声優と同じような人気度の評価そいつ経済価値が決まるという恐ろしい現象を生む。

はっきり言うが、人に好かれるために生きる人生ってのはクソだ。

『不必要人間なんていない』なんて言葉は戯言に聞こえるかもしれないが、実は経済の仕組みを考えると『不必要人間はいない』ことをわりと簡単に立証できる。

学問的に言っても、やはり『いなくていい存在なんてのは〝いない〟』のだ。人は死ぬまで何かを消費し、生き続け、存在し続けるだけで何らかの貢献をしている。

 人間が増えないと経済は発展しない。また存在し続けることそのもので人には価値がある。

経済を支える根本的な思想は『人がそこにいて何かを消費し続けること』だ。消費を続けることには勇気がいる。信用が必要だ。

この消費によって回転が続くことこそ、経済の発展と社会の発展だ。それが個人の生存を容易にする。そのシステムの回転を信じて活動する人間の総数の和が多ければ多いほど、その社会経済は強くなる。

日本円リスクヘッジに選ばれる理由は、相互信頼システム機能していたからだ。戦争経験した世代が持つ共通認識がそれを可能にした。大きなストーリー社会にあったから、だからシステムが上手に機能していた。

原理原則にそって考えれば、巷で言われているような『老害』だの『不必要人材』だのという存在ほとんどいない。認知症を抱えたご老体ですら、施設に入って何らかの消費活動をしている以上は、経済活動に携わる重要ひとつ構成要素だ。

そのご老体という資本が生み出す年金によって福祉施設収益を得ている。

死ぬまで誰かの役に立つことが出来る。いなくていい、要らない存在なんてない。それが本来経済システムだ。

必要から施設に入れられているわけではない。

循環することが本質なのだから、その媒介として存在しつづけることと、経済活動を続けることこそがその人の価値である

どんな人間にも、極悪人であったとしても何らかのポジションがある。それが経済原理

ロード・オブ・ザ・リングガンダルフがゴラム言及したときに使った言葉は注目に値する。

〝『善か悪かはともかく、ゴラムにはまだ役割があるとな。そのときが来れば、ビルボ憐れみが多くのもの運命を決することになるかもしれん』〟


どんなクズ人間でも何らかの形でそこにいる理由がある。

いつその理由が明かされるかは不明だが、ひとまずそっとしておいた方がいい。

アダムが述べた〝見えざる手〟は、いちいち評価見える化しなくとも、水面下で勝手に進んでく。

良かったか悪かったか最後になってみないと分からない。

だが経済原理のものが消費を前提にしている以上は、ひとまず参加者全員が構成員であり、敗者もまたひとつ役回りしかないことを肝に銘じるべきだ。

世界ストーリー必要とされているのはそこに信用システム機能するからであり、本質的には経済ひとつ宗教しかないのだから、ある思想ストーリーの元で弱者、あるいは低評価であるからと言って絶望すべきではない。

今後評価経済さらされた個人は、現代においてはもはや単なる労働者というひとつジャンルとしてではなく、一個人として全方位から評価さらされる激烈な世界へと突入することになるのかもしれない。

そのときでも希望を失うわけではない理由として、経済原理さらされた労働者状態を簡単に説明している有名な宗教聖典言葉を引き合いに出すことがふさわしいと考える。

『あらゆる面で圧迫されながらも

動きが取れないほど締めつけられているわけではなく

困惑させられながらも

逃れ道が全くないわけではなく

迫害されながらも

見捨てられているわけではなく

倒されながらも

滅ぼされているわけではありません』

まりほどよく生きて、ほどよく消費して、なにもかも思い通りになるわけではないが、何もかも思い通りにならないわけでもなく

惰性で生きていけるほどに楽ではないが、死ぬほど辛いということもない世界で生き続けるのだ。

そして最終的に物事は収まるところへと収まるということを知りながら、

2016-03-10

>第1位に「神の見えざる手」という言葉が選ばれていましたが、こんな経済用語があるんですね、知りませんでした。

いくらなんでもこのライターレベル低すぎじゃね?

そりゃネット転載ネタしか書けないキュレーションメディア(笑)レベルが高いなんて誰も思ってないと思うけどさ、それにしたってこれは論外じゃね?

アダム・スミスなんて特定の専攻の人しか知らないようなものじゃなくて、中学校で全員が必ず習うはずの内容だろ

誰もが知ってる言葉からこそ少年ジャンプ漫画でもネタにされるわけだろ

中卒未満の知識しかない人間ライター名乗ってるのってさすがにちょっと引くんだけど

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2015-11-16

部長説明するナッシュ均衡ワルラス均衡

よう、昼休み仕事してるとハゲるぞ。

さて、ナッシュ均衡ワルラス均衡が話題だ。

戦略決定とか価格決定とか言うと、部課長級に説明を求められたりする。

本来ggrksとか言いたいところだろうが、言えないのが宮仕えの辛いところだ。

理解してこいよとも言えない。理解できない方は大抵立場が上で、説明できない方のボーナスが減らされる。

ナッシュ均衡ワルラス均衡の説明

「均衡」は、基本的には、ガッチリハマっている状態を示している。

ナッシュ均衡(Nash equilibrium)

参加者選択肢を変更すると今より悪くなるので、変更する理由がない状態

参加者全員が自分目線ベストチョイスの状態

パレート効率的(Pareto efficient)

参加者の誰かを犠牲にしないと、誰かが良くならない状態

誰も損せずに誰かを改善できるなら、パレート改善できる状態

最適な資源配分とは違う点に注意。全体100万円を、老人80万円、子供20万円で分けた「後」の状態パレート効率的。

社会資源配分問題でよく使うので「パレート最適」という単語を嫌う人もいる。最適配分を示さなから。これ豆な)

ワルラス均衡

需要供給が大きく動かないでハマっている状態。「需要供給価格が決まる」だな。

ある1つに注目すると、部分均衡。市場全体の全部コミコミだと、一般均衡

フランス人レオンワルラスさんが1874~1877に書いた本に載ってる、一般均衡(general equilibrium)理論のこと。

具体例での説明

いやー、ナッシュ均衡は、戦略的意思決定学問であるゲーム理論(Game theory)の非協力ゲームを解いた時に出てくる「答え(解)」の状態を示す単語ッス。

協力しちゃダメッスよ?んで、他の「選択肢」を取るメリットがなくなった状態を言うッス。

パレート効率的とかも聞くッスけど、誰も損せずにもっと良い改善方法が無い時の事ッス。

ワルラス均衡は、経済学の話ッスね。需要供給価格が決まるって話ッス。

ワルラス均衡は、ナッシュ均衡だと聞いたんだが?」

同じ「均衡」って単語で僕なんかは間違えそうになるッスけど、全然違う話なんで同じ式の中に入れちゃダメッス。

  1. 価格10万円、需要が5千台、供給が1万台とすると、5千台余るッス。
  2. こう言う時、価格は下げるッス。10万が8万に、5万に、と。
  3. どんどん下げていって「5万なら買い!」の需要が、供給釣り合うと、価格が安定するッス。これがワルラス安定ッス。

経済学価格調整モデルの話で、フツーは戦略的意思決定選択肢をどうするみたいな話は出てこないッス。

ヤマダ安ヤマダ高
ビック安ビック売れる,ヤマダ売れるビック売れる,ヤマダ売れない
ビック高ビック売れない,ヤマダ売れるビック売れない,ヤマダ売れない

ヤマダとビックで、売れたほうが儲かる(利得が大きい)時は、当然ヤマダもビックも値下げするッス。

まあ、ナッシュ均衡と言えなくも無いッスけど……あんま言わないッスね。

「じゃあ、目からウロコ!囚人のジレンマって経済にも繋がる話だったのか! - 嗚呼、学習の日々ナッシュ均衡というのは?」

ナッシュ均衡でも、価格の均衡でも、どっちでも無いッス。

  • ある店が10万円のテレビを値下げして5万で売りに出す(前提が無いッス)
  • A:需要が十分に高く、10万で価格形成されてるなら、他の店は値下げしないッス。売れるんで。値下げ店が馬鹿ッス。
  • B:需要が低くて、供給の方が大きい状態だったとすると、他の店は値下げするッス。売れてないんで。ワルラスさんの言う調整過程の話ッス。

ワルラスの均衡は、需要が多くて供給が少ないなら価格は上がる、需要が少なくて供給が多いなら価格が下がる、結果需給が吊り合って価格が安定した状態のことッス。

「店が意味もなく価格を下げたら、他の店も下げざるを得ない」とか無いッス。

先の例だと、TVを普段から100円でヤマダが売り出したら他の店も100円で売るとか無いッス。

ナッシュ均衡は、選択肢がどんづまって他の選択肢を取ると損する状態を言うので、さっきの例とは関係無いッスね。

(ヤマダが100円で利益が出るならヤマダが市場を寡占するというのは、違うモデルの話でワルラス的調整過程の話では無いッスね)

少なくとも、囚人のジレンマから出す話じゃないッス。超時空の飛躍ッスね。リン・ミンメイッス。

良く話に出てくる囚人のジレンマの話

囚人A協調囚人A裏切り
囚人B協調2,20, 10
囚人B裏切り10, 05, 5

数字懲役でA,Bの順番ッス。懲役は少ない方が利得が大きいッスね。

囚人Aは、囚人Bがどちらの選択肢をとっても、常に裏切るのが利得が大きくなるッス。

他の選択肢を取ると損をする、これが全部のプレイヤー囚人A,B)で決定できると、ナッシュ均衡ッス。

囚人Aと囚人Bが、両方とも協調したら2年づつじゃないか」

そこがミソッス。

ご指摘の通り、両方協調なら、両方裏切りより「どちらも損せずに、改善できる」状態ッスね。

まり、両方裏切りナッシュ均衡は、パレート改善できる状態にあるので、パレート効率的ではないッス。

こういう、自分利益だけを考えて最適な選択をする状態(他の選択は損する状態)が、全体としては効率的では無いのが、ジレンマって呼ばれる理由ッス。

それだけの話ッス。

でも、ワリとこういう、利得の表を作ると両方が得する選択肢の組み合わせはあるのに、その選択肢は選べない状態ナッシュ均衡で、パレート効率的では無い)は存在するッスよ。

蛇足的な用語解説

うーん。あんワルラス均衡って言わない気がするんだけども。((※1))

あ、用語定義と、その用語が良く使われる場面と、ある場面を説明するモデルとで、全部違うから混ぜないように注意したい。

  1. ナッシュ均衡」は、誰もが動くと損する「状態」を指す。(それを何に使う・何を分析するとかは別)
  2. 参加者が利得を最大化する場合に、それ以上動かない状態になる経緯・戦略を見つけるために使う。
  3. ナタデココ生産量は、クルーノー競争モデルナッシュ均衡を見つけることで、良く説明できる。

3番のモデル適用は即一般化はできないし、2番のよく使われる場面を定義に入れてはいかん。

勝手に話を補完したり飛躍したりするのもダメなんだけど、まあアレだ。はてなだし。

神の見えざる手

需要供給価格が決まるよね、というアダム・スミスさんの仮説。

個人の利益追求で、市場が適切な状態に落ち着くよね、というわりと哲学的な話。

ワルラス的調整過程

需要供給に合わせて価格が変動して、結果需要供給は落ち着くよね、というヤツ。

(需給が均衡することをワルラス安定、均衡しないことをワルラス不安定と呼ぶぞ)

マーシャル的調整過程

需要(欲しい/欲しくない)は即反応できるけど、供給(作る/作らない)は対応時間かかるじゃん?というヤツ。

なので、需要の変更と価格の変更は即座に動くけど、価格を見て供給が動くのは遅れる。

異なるモデル間の行き来

異なるモデルを、一緒くたに適用することは、フツーは出来ない。もちろんできるものもあるけど。

例えば、Cournot competition(クールノー競争)の均衡点は、「供給を絞れば価格が上がる」→「価格が高いから生産すれば儲かる」→「いっぱい生産たか価格が下る」を延々と繰り返せば「生産量と価格が均衡する」って話で、ワルラス的調整過程の「一部分」の説明であって、違う話。

で、全く同じ生産量と価格との関係モデルで「価格を変える」とBertrand competition(ベルトラン競争)というモデルになって、こっちは「一番低い価格をつけた企業が全ての需要をゲットするので、価格限界費用に一致する(最安値市場を占めるから、一番安くなる)」というモデル

経済学におけるモデルは、現状をどちらが上手く説明できるかのモデルであって、別にどっちが正しいとかそういう話では無い。所詮単純化したモデルだし。

全部違うものっしょ?どれがどれに含まれるとか、ナンセンス

ナタデココ生産量決定におけるベストチョイスは決定できる「だからナタデココ価格市場参加者全員のベストチョイス、とかは言えないかな。(結果的に合っていても、証明過程に飛躍があれば説明したとは言えない)

除草剤耐性穀物種子におけるクルーノー競争ナッシュ均衡との乖離から見る不完全競争推定」とかそういう使い方するかな。

ミクロ経済学オススメ本は……結局思想の話になって荒れるんだよね……ブコメでどうぞ)

http://anond.hatelabo.jp/20151116001112

((※1:この増田では、ワルラス均衡を一つしか財が存在しない仮定で説明している。ミクロ経済学でやる時は、一般均衡になるので、全ての財が均衡するときの話として聞いとかないと単位は貰えない。ワルラス均衡という場合は、全ての市場価格と、全ての需要とペアで示す事が一般的。とは言え、大抵2人と2つの財で説明するんだけどね))

2015-11-10

ブス=障害者

女性仕事子供を生んで育てること。

それに対する報酬男性から扶養

優秀な個体だというシグナルを発することができるのが美人だ。

ブスというのは要するに子供を生んでほしいと思われるようなシグナルを発することができない女性ということ。

男女雇用機会均等法はブス保護法。

「神の見えざる手」に委ねると「優秀な個体(を生むことができるメス)」に資源が集中するので

法律の力で資源配分を優秀でない個体に配分したということ。

形を変えた障害者保護法だ。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-02-26

関数型言語使ってる時の気持ちよさは、ベーシックべた書きの頃と同じ

ひょっとすると、これはべたべたな一直線の手続き書き時代以来の「全てが一直線に並ぶ気持ちよさ」なのかもなぁ、と思った。

Haskellなんかを書いてると、究極的に、関数型言語におけるプログラムとは、一引数関数の深い深い一直線の入れ子みたいに感じられる。

(いやまぁ、タプルとかもあるけど、原則的に)

構造化⇒OOPと来て、プログラミング言語Go to hellを廃し、色んな物をDRYに書けるように進化してきたけど、その結果色々なものが並列にばらばらっと並んでいる感じになった。

OOP大本smalltalkメッセージパッシング原則の時点で、対等な二つの並列に並んだオブジェクトのやりとりがベースになっている。

勿論オブジェクトは大体内部に別のオブジェクトを抱えていたりして、親子関係があるのは普通だけれど、子同士はやはり並列に順序なく並んでいる。

この並列性のおかげで、例えばそれこそメッセージパッシングをそのまま引き継ぐErlangなんかは、高いスケーラビリティと耐久性を持つわけで、これ自体は素晴らしい発明だ。

ただ、やっぱり並列なヤツラが、ごちゃごちゃっと同時にあって、そいつらが同時にガチャガチャなんかやってたら、神の見えざる手的に、なんとなく全てが上手く噛み合って、プログラムが動きます、って、これどうしても全体像を把握しにくい。

人間脳みそって、そんな同時並列のものを把握できるようには、出来ていないんだと思う。

上手く動いてはいるんだけど、何で上手く行ってるのか分かるんだけど、分かりにくい。

この気持ち悪さが、今日もどこかのITおじさんを全部staticな書き方に走らせ、OOPわかんねー、と首をかしげながら、何となく使ってる人達の心を、巨大なメソッド作りに導いているのではないかな、と。

なんてったって、Scalaなら並列処理でさえ、モナドなFutureで事実上直線に繋いでいってかいちゃう(Akkaもあるけどあれはオブジェクティブな側面なので)わけで、これは凄く懐かし気持ちいいと思う。

かくして関数型言語は「なんかとにかくきもちいいぃぃぃぃ」な信者を量産している。そしてOOP派との間に、意味分からん溝だけが広がっていく。

2014-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20141203105440

いやだから企業活動なんて「金稼ぐ」のが最大唯一のミッションで、放っておいたら焼畑農業になるのがそもそもの性質として当然なの。だからこそ国家規制かけたりしてるわけで。

企業は「高貴なるもの」なんかじゃないし、だから放っておいたら当然義務も負わない。そもそも資金を供出している側がそれを許さなからね。


市場原理で「もう少し飴を増やさねば人が集まらぬ」と思えば飴を一時的に増やすだろうが、資本ギャップがある国はまだ世界中に幾らでもあるから、神の見えざる手が正常に働くとは思えないしね。

2014-07-10

顔と直感でいいんじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20140710185222

遺伝子が引き合う」って誰かが言ってました。

考えすぎると、人類滅びるんじゃね?

「神の見えざる手」ってやつでいいだろ。

2014-06-24

セックス隠語に「セッ久」「セッ(半角の場合も)」がある

主に腐女子が使う隠語のようだが、まあすごい

AVメーカーも顔負けのシチュエーションプレイがわんさかある

AV監督視聴者が、女性を徹底して「自分たちではない何か」にすることで

えげつないプレイを消費できるのと同じメカニズムが、ここでも働いてるんだろうな

ボーイズラブAVみたいな、女性優位の世界なのかも

ただAVにはたいてい自分アバターである男性がそこに登場するが

ボーイズラブでは視聴者は「神の見えざる手」となってるのが面白い

見たことないんだけどレズものって男性はいるのかな?

女2の3PレズAVの消費のされ方の違い考えるとその辺わかったりするのかな?

2014-05-05

ビジネスアイデアセブンイレブン ワンウェイレンタサイクル

ビジネスアイデアメモ

セブンイレブン店舗で「ワンウェイ方式」のレンタサイクルを行う

★会員登録した人は

 「任意セブンイレブン自転車を借りることが出来」、

 「任意セブンイレブン自転車を乗り捨てすることが出来る」

★利用料は時間比例。

 たたき台としては1時間100円。8時間借りれば800円。

★乗り捨て手数料原則無料

 ただ、県を跨いでの乗り捨ては、さすがに追加手数料を取るか?

★会員になる場合は1万円のデポジット料を支払う。

 万一、自転車を壊したり、返却しなかった場合は、デポジットから差し引き賠償

自転車を借りる際、返す際には、店員に申請する。

 →店員から鍵を借りたり返したりする。

★利用料金は電子マネー・ナナコで清算

 で、ナナコ残高が1万円以上の場合だけ利用できるものとする。

 キャッシュの流れとして、自転車を借りた際に1万円がナナコから差し引かれ、

 例えば3時間利用して返却した際には、300円を引いた9,700円がナナコにキャッシュバックされる。

★各店舗で、5~10台程度のレンタサイクルを用意

 会員はスマホで、どの店舗レンタサイクルがどれだけ用意されているか、確認できる

★これがこのシステムの一番のキモだが、

 「たまたまレンタサイクルが多くなっちゃっているセブンイレブンから

 「レンタサイクルが完全に払底しているセブンイレブン」へワンウェイレンタサイクルした場合、利用料を大幅割引する

 (例:半額にする)

 利用者は「どのセブンイレブン自転車過剰状態で、どのセブンイレブン自転車不足か」スマホでチェックできるので、

 それを見て「なるだけ自転車台数多い店舗で乗ろうとして」「なるだけ自転車台数少ない店舗で降りよう」とする。 

まり、放っておけば、ワンウェイレンタサイクルは「台数の不均衡」が発生してしまうが、

それを「過剰な拠点から不足な拠点へ乗ってくれる客に優遇することで、客に回送してもらう」制度設計することで、

自転車の最適配置を「見えざる手」で行ってしまおう、という発想。 

折角ナナコという電子マネーと、日本最大の店舗網があるので、セブンイレブンならワンウェイレンタサイクルが可能だと思うのだが。

セブンイレブンとしても、レンタサイクル事業自体の売上以上に、自転車貸出時に「ついで買い」が見込めるので、本業にも貢献すると思うのだが。

2014-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20140402232957

資本主義的な競争の結果生まれただけだし。

神の見えざる手に撫でまわされる気分はどうだ。

2013-11-20

私学と公立で学食の値段に差があるのは何故?

かけうどん一杯辺り、公立では170円、私学では220円取られる。

これは何故か?

公立と異なりそれなりに人件費が嵩んでいる私学だからではないかと、これまでは考えていたが、

実際には、それほど関係のない事が分かった。

これはリクナビバイトに掲載されている、公立学校での学食パートと私学のそれの時給が概ね同じだった事が起因である

基本的に学食を作るのは専門業者であり、外部委託されているものが常である

から人件費差別化されてるとは必ずしも言えないのである

では、どこで差が付けられているのか。

授業料であるとか差が付けられている部分を除けば、一般的にどの部分で差が付いているか判断し難い側面がある。

しかしながら一方で、前述のかけうどんのように公立と私学で値段がかなり違って来ることに違和感を禁じ得ない。

何故、価格がこれほど違うのか?

まるで、神の見えざる手がこの価格設定に一枚噛んでるようではないか、と思えて仕方がない。

2013-07-06

ワタミマルクス労働観の呪い

たぶん、今度の選挙で争点になるワタミ社長の話を読んでいると、どうしてもマルクスが唱えた投下労働価値説を思い出しちゃうんだよね。

マルクスの投下労働価値説は、ざっくり説明すると要するに「時間と商品の価値は比例する」っていう話。例えば俺たちが8時間働いたとするじゃない、そうすると商品の価値として8時間分の労働が埋め込まれるという話。もちろん、実際に商品の価値を決めているのはそういう単純な話ではないのだが(市場が決定するわけだから)でもマルクスはその話に納得できないわけよ。だって市場が決めるってことは、価値ってのはもう天から振ってきちゃうことになる。「紙の見えざる手」とか言う表現アダム・スミスは使ったけど。で、マルクスはそれに納得できないわけ。いやいや、だって木を一本切り取って持っていくのだって労働でしょ、って話。

当然、企業は利潤をどっかであげないといけないので、労働者が生み出した価値中抜きする。それをマルクスは「搾取だ」というわけだ。でもそれは労働者側の視点なんだね。これを逆転させるとブラック企業になる。

もし、商品の価値が、労働時間と無関係にあるとするならば、長く働かせることに意味はない。だったら別のことをやる必要がある。しかし、商品の価値労働時間関係あると考えるならどうだろう?そうすると、労働者をできるだけ長く働かせようとする。

マルクスが考えるところによると、労働者というのは労働力を売っているという。労働時間じゃない。「私は働くことによってこれだけの価値をもたらしますよ」というのを売っている。労働者は、商品の価値自分のものになるわけではない(だって経営者労働力を売っているだけだから)ので、商品が労働時間関係あろうとなかろうと、関係ない。ただ、これは経営者視点だと大きな違いだ。というのも、もし「働くこと」によって、つまり稼働時間によって商品の価値が決まるんだったら、出来るだけ長く働かせようとする。少なくとも、その買った労働時間より価値を生み出せなければ、もっと働かせようとするだろう。

で、ワタミ社長が言っていたらしき「客のことを考えてたら昼飯を食う時間なんてない」っていうような言葉というのは、結局のところ、こういった「働く時間=商品」という前提が無ければいけない。というより、多くの企業場合、もうそういう風にしか考えられないわけだし、実際そういう風に構造がなってしまっている業界もある。当然のことながら、休ませないとポカしたり、大事な判断ができなくなることがあるけど、組織化されていれば、もしかしたらもう稼働時間くらいしか工夫するところはないだろう。俺も工場で働いていたが、ボタンをもくもくと押しているとかね。

確かに、経済学的にマルクスが言った上のことを否定するのは簡単なんだよ。だって12時間働こうが売れない商品は売れないし、1時間さらりと作った商品がバカ売れというのもあるわけ。それは認めよう。でも、ある程度組織化がされてきて、機械的な作業になると、工場を稼働させるために、労働者を長く働かせなきゃいけない時間生まれる。ここがトリックなんだ。つまり、この時点において、商品は労働時間によって生み出されると思っちゃうわけ。むしろこれは経済学的な問題というよりも、むしろ社会心理的な問題を引き寄せる。

じゃあどうするの、という話になるのだが、これは商品=労働時間を否定するか、むしろ我々はもう「労働時間」を提供するくらいしかないくらいリソースが貧弱であるかを認めるかということだ。たぶん、ワタミ社長が思っていることというのは、たぶん、今後私たちは「労働時間をのばす」ことによってしか、豊かになれないという絶望的な日本なのだろう。だって日本破産させない」というくらいだから後者の可能性はある。もう、我々は豊かになる方法は一つしかない。「働けば自由になる!」

ワタミブラックであり、労働法無視している。それを叩くのは容易なことだ。しかし、上記のような構造が埋め込まれている以上、第二、第三のワタミが出てくるというだけの話だ。穏便な話をするならば、労働者経営者に対して「投下労働価値なんて無理ですよ」って否定するくらいしかない。ただ、この道はある種の「革命」を起こすことになる。また、他の道は日本貧乏になることなのだが、これもたぶん高度成長期バブル経験した世代死ぬまで無理。あとは戦争くらいだね。

からさ、ある意味自民党に入れるってことは、上記のこと、つまりみんな等しくブラック企業になれば豊かになるって認めちゃおうよ、ってことだ。そして、それはそれで何処かでみた光景だ。

ソ連だ。

一応反論として書かれることとして、自民党賃金を増やそうよ、とかあるいは貨幣発行しまくってリフレしようよ、というのは投下労働価値矛盾しないか、という考え方と矛盾しないかという話もあるかもしれないが、例えばケインズの言う通り、「景気と物価が連動している」と考えたとしても、じゃあ「物価が上がったか給料をあげます」みたいにはそう簡単にはならない。恐らく物価のほうが先行して給料は追いつかないし、経営としても「賃金あげろ」と政府勧告があったとして「はいそうですね」とやっていたら潰れてしまうだろう。だとすると、リフレするとしても、福祉的なセーフティネットと一緒に組み合わせないとどうしようもないんだが、現状としてそういう話はあまりない。むしろ小さな政府を目指す方向だと思う。そうなると、まあ死ぬ人はガンガン死ぬよねという話になる。あともう一つとしてスタグフレーションの話とかはどうかな?

なにはともあれ、日本全体がブラック企業になっても今の豊かさを維持するという話であるならば、自民党に入れるのは選択肢としてアリだと思う。他の野党ゴミみたいだからという消極的な理由で自民党に入れたり、ワタミ社長出馬しなければ……なんて期待は捨てたほうがいい。どちらにしろ、俺は上のことは考慮にいれて、それを覚悟で入れたほうがいいと思う。

2013-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20130415165425

貨幣価値が2倍になるとは限らないのでは?

うん、現実世界ではその通り。

だけどこれは、抽象化された世界での話なんじゃないの?元増田で『もし世界100人の村だったら』という尺度は、世界が本当に100人なわけじゃない。みたいなこと言われてるし。

現実的な条件を入れたとき貨幣価値を測るんなら、それこそ実際その国を為替市場に放り込んで神の見えざる手価値を測ってもらうしか無いと思う。

2013-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20130401221132

神の見えざる手がなければ、個々人が好き勝手やったらとんでもないことになる。

神の見えざる手があるからこそ、好きにやれって他人に言える。

http://anond.hatelabo.jp/20130401202951

ちょっと書き方が悪かったな

神の見えざる手なんて幻想で、そんなもんねえから好きにやれってのが本旨

http://anond.hatelabo.jp/20130401170144

「神の見えざる手に従え」ってのは要するに、経済学的な意味で合理的に生きろってことか。

全然違う。あんたやその他の人がどう生きても、(見えざる手が調節してくれるから)大きな混乱は起きないってこと。

経済学的に非合理的」ってのは難しいけど、それをやれるならやっても問題ない、ということ。

ちなみに、困ってる人にただでお金やご飯をあげるのも、困難で割に合わない道を選んで進むのも、「経済学的に合理的」な範疇に入り得るからね。

http://anond.hatelabo.jp/20130401110937

「神の見えざる手に従え」ってのは要するに、経済学的な意味で合理的に生きろってことか。

自分経済的利益を最大にするように行動する人間の近似モデル経済人っていうらしいけど

そんなのは経済学者便宜上作り出した単なるモデル

何が利益なのか、人生において何を求めるのか、そんな物は市場が決定するわけでも神が定めるもんでもなく

自分で決めるもの

逆に聞きたいんだけどあんたには他に何も行動原理ないのか?経済人なの?

それとも経済人になりたいとか、そうあるのが正しいとか、本気で思ってるのか?

そっちのほうがよほど異常

高学歴で年上の彼女から感じる違和感

タイトルちょっとだけ釣りです。「彼女」とか書いてるけれど別に恋人ではありません。

別に付き合っている訳ではない年上の友人がいる。アメリカまで留学して PhD を取ってきた高学歴女性で、ハッキリ言ってかなり美人だ。当然英語普通に話せるし、自信を持った話し方もすることができる。しかし話をしていて何か違和感を感じていた。

今までこの違和感は何なのだろうかと考えていたのだけれど、それは「神の見えざる手無視した行動」なのではないかと思うようになった。まとまっていないけれどメモ代わりに書いておく。以下チラ裏

彼女は PhD を持っているのだが、その専門は「食えない」分野で、アメリカ大学学位を取って帰国した後も、今までずっと非常勤で食いつないでいるらしい。いわゆる「高学歴ワーキングプア」で、当然年齢が上がるほど、常勤ポストを見つけることのできる可能性は低くなってしまう。

彼女自身は研究以外の能力 (語学だったり) も持っていたりするのだが、彼女自身も研究者としての道を簡単に捨て去ることはできないような印象を受けるっす。大学の非常勤だけでは食べていけないので、スキルを活かしたバイト (これが本職になっていないのがミソ) をしながら大学講義したり論文書いたりという生活を何年も送っている。その (研究とは直接関係ない) スキルを活かせば、(研究者でないにしろ) 今より楽で安定した生活ができると思うのだけれど。

ハタから見ていると、その専攻で研究者をする限りお先真っ暗に見えるのだけれど、思い切って研究者から足を洗ったという話も聞かない。その分野で 10 年以上勉強/研究して、その後も働き続けてきた訳だし、大きなお世話だとも思うんだけれど。

神の見えざる手というのは市場需要供給から決定されるというのが中学校で学んだ内容なのだけど、どうも彼女はそういうのを無視しているような気がするんだよね。年齢が上がり、大学が潰れていくと言われているなかで、常勤ポストを得るのはますます難しくなっていく…。更に文系の中でもかなり募集の少ない分野っぽいしさ。職歴的な意味でも早いうちに自分のいる分野を変えたほう (つまり研究から足を洗ったほうが) が有利だと思うのだけれど (っていうか、彼女自身もその自覚はあるようなんだけれど)、未だに実行できていない。「今年が勝負の年で、今年ダメだったら、研究者以外の道を本気で模索する」と言ってたのは 4 年前だったかな?

見通しが甘いという一言に集約できるのかも知れないけれど、ハッキリ言って美人だし最終的にどうにかできてしまうのかも知れない。でもさ、あなたのその美も年齢と共に衰えていくわけだよね。何が最悪の事態なのか、そしてそれを回避するにはどうすれば良いのか…。多分頭のなかではシミュレーションできていると思うのだけれど、行動に移せていないということなのかな。

私より年上だし、言った所で (っていうか、何度も指摘しているんだけれどさ) 本人が変わるとは思えないっすよ。でも私も将来損益分岐点とか神の見えざる手無視した (というか、現状に合わない) 行動を取ってしまうかもしれないので、自分に向けての自戒も込めて文章書いた。チラ裏スマソ。

2012-09-20

急げ産業界原発立地近辺へ!

玄海町地価大幅下落 不動産業者「原発立地が要因に」

http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2289398.article.html

これ、要するに原発事故で今まで顕在化していなかったリスク見積もるようになったってことね。

でも財界など多くの現場では、リスク見積が過大だってみなしている様子。

今、地下の下落っていう形で過大なリスクが現れてるんだから、まさに今が土地の買い時なんじゃない?

投機目的じゃなくてもいい、実際に工場を立てても自分が住んでもいいわけだ。

これぞまさしく神の見えざる手

経済活動を自由にさせていれば、自然原発賛成派は原発の近くに住み、

反対派は遠くに住んでいく・・・

2012-05-12

君に欠如しているものを4点にまとめた

http://anond.hatelabo.jp/20120511214417

ブクマじゃ突っ込みきれないからここに書くよ。


1.論理の欠如

昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。

この場合は既に死んでいたが、絶海の孤島に遭難して他に全く食物がない状態で、

仲間の遭難者を殺して食べたらその人は殺人罪に問われるのだろうか?

私は、食べるための殺害は殺生ではなく、自分の体内で他者の命を育む再生行為だと解釈している。

3行目までと4行目がまったく繋がってない。

論理をチェックしながら文章を書く癖をつけよう。

 一貫性の無さや話があっちこっちに飛ぶなどの欠点は文全体に見られる。)


「食べるための殺害は殺生ではない」を言いたいのであれば

別に遭難の極限状態を引き合いに出す必要は無い。

今日マックより人肉の気分だな」と街中で人を捕食してもよいわけだ。


もし逆に「極限状態で初めて人肉を食うオプションが有り得る」ということが言いたかったのであれば

私は、食べるための殺害は殺生ではなく、自分の体内で他者の命を育む再生行為だと解釈している。

は繋がってこない。


2.知識の欠如

どんな種族も自己の種族の存続と繁栄を目的として生きており、だからこそ自らの命をつなぎ子孫を残すのであり、

同種族同士で捕食しあったらその目的の達成が阻害されてしまうことと、

「種の保存」なんて何十年も前に否定されてる。

動物が”同種”同士でどれほど殺しあうものかも学ぼう。

(全体的に高校生チラ裏日記と言うか

 賢しげにゴチャゴチャ考えてる割に物を知らなすぎる。

 つまり読書勉強が足りてない。)


3.思考力の欠如

然るに、なぜ今多くの社会人肉食禁忌とされているか

その種族を捕食する動物植物が減ってしまい、またその種族が捕食する動物植物が増えてしまい、

最終的には生態系全般が崩れ、すべての種族の存続が脅かされるからである

経済レッセフェール原則と同様、各種族が自種族の繁栄という動機に基づいて「利己的に」振舞うことにより、

結果として自然界全般が守られるからである

あなたがおっしゃる自然界全般」てどこの自然かしら?

自然は均衡してるのではなくサバイバルと滅ぼしあいの過渡期に過ぎない。

 知識がゼロでも少し考えればわかるはず、これまで環境生態系もどれほど激変してきたことか。)

 

また、同種殺しを「忌む」理由について説明しだした筈なのに

見えざる手の均衡みたいな所に着地する脳のボンヤリ具合もひどい。

要するに「自然界の維持」は各生物種にとって意識的なことか無意識的なことか?

自説の一貫性すら構築できないのは本当に頭が弱いとしか言いようが無い。


結論を言えば守られるべき普遍的「自然界」なんてもの存在しない。

かろうじて個々の”種”にとって都合のいい環境が有り得るだけ。


4.羞恥心の欠如

次の理由は、自由に人を食べてよいという社会になると、自分自分の大切な人が食べられてしまう恐れがあり、

(中略)

先進国では医療科学技術進歩したため本来自然状態では死んで然るべき老人や障碍者が生き延び、生まれてくるべき子供が生まれてこなくなった。

引用するに耐えない「中学生のボクチンが考えた未来課題」をネットに貼り付ける理由は何か。

もう羞恥心の問題になる。

君のお母さんでもダチでもない、仮にも世間様たるインターネッツで公開する文章がこれでよいのか。

自覚と羞恥心人間の成長の原動力になる。


以上のように、人肉食禁忌とされている理由は

「種族の存続を目指すため」と「自分が食われたら嫌だからそういうルールを決めた」

という非常に単純な2点しかない。

倫理的理由などない。

その前に、君は「倫理」という言葉意味すら知らない。

倫理無意味に空中から降ってくるものではなく

必要性があって作られていくもので、

要するに君は何も言ってないのと同じ。


食物連鎖をはずれ生態系管理する責務をも負わされている人間にとって、

もはや「なすに任せよ」原則は適用されない。

(中略)

「種族の存続を目指すため」という目的にかなうのであれば、上記の後者の「社会的ルールはいくらでも柔軟に変更して然るべきであろう。

中学生小学生かどっちなのか。


結局何が言いたかったのか

自分が生きるために別の人間を食べる。そいつを食べなければ自分死ぬ

このような状況は上記の「各個体が時に他の生命を奪いながら利己的に振舞うことにより、結果として種族の存続が実現する」という自然界の原理原則の縮図である

このような場合、食べるために殺した人間は、殺人の罪に問われるのだろうか?

この締めの段落全然まとめになってない。

これは君自身、何を書いてるのか全然整理できてないから。

こういう文章を読まされる側は一読して混乱、再読してチンプンカンプン

ブックマークコメントが君の話を半ば無視したものばかりなのも、

ほとんどの人間には君の文が読めないから。




アドバイス

・君の脳はこのボリュームの文をまとめる知力がまだ無い。

 5分の1の文字数できちんと意味が通る文を書くほうが訓練になる。

もっと本を読もう。たくさん本を読めば材料が増えるし思考力も向上する。

 どちらも足りないうちに大上段の議論を世に問おうとしてもゴミ生産しかならない。

・気負いはわかるが「私は」とか「然るに」なんて文体は使わなくてよろしい。 

 読む人間を赤面させる以外の効果は無い。

2012-01-23

老害批判してるけど

近頃、若者 対 老人 という構図がますます明らかになってきた

既得権益守って逃げ切りを図る老害マジで氏んでほしい。

まぁそのうち死ぬけど

面倒な問題全部未来に投げてさー 人口問題やら経済やら地球環境やらなんもかんも疲弊させてきた老害どもが憎い。

しかし正直俺達もそうなりそう

エネルギー消費量とかみんなネットとか使いまくりやばいじゃん

原発終わったけど代替案あんの?

それにマネーゲーム化してる今の状況なんとかしないとまずいんじゃねーの?

神の見えざる手とかクソくらえ

科学文化はが発展したはずなのになんで奴隷みたいな人たちが出てくるの?

勝ち組が作ったフィールドで強制的に勝負させられてる今の状況じゃあ

結局今の若者もそれを下の世代に押し付けるんだろ?

自分たちの都合のいいようにルールを整えてから

2011-06-21

BI論者に質問したいんだけど、いいかな。

ベーシック・インカム精神そのものには、私は反対の立場じゃないんだけど、どうしようもなく疑問なんで答えて欲しい。

BIの導入に伴う問題点として、税収の絶対量についてはこの際論じない。それ言えばキリがないので。「国債自己引き受けで余裕さ、地球の自転が止まらないように輪転機も永劫を輪廻するのさ」という前提を置いておく。お予算の問題は、無いものとしての議論。

その上で、まぁBIを導入したとする。日本人口一億2000万人×10万(仮にね)×12ヶ月のカネがマーケットに流れていく。すると、まぁ需要は喚起されるよね、間違いなく。みんながどんどんお金を使い、市場マネーで潤いこの世の楽園となる・・・んだろうか?

疑問は二点ある。

一点目は「喚起された需要が果たして国内に向かうのか?」ということ。我々の消費生活は、多くの場合輸入に依存している。中国産製品、例えば100均ショップにある小物類のお値段は、つめ切り一つにしても国内生産ものの四分の一とかそんなものだ。現時点でも、高品質・高価格帯を除けば国内生産品はほとんど壊滅に近い惨状にあると言っていいと思う。これは、皆さんが周囲を見渡せば容易に理解されることだ。メイドインジャパンチェア増田を嗜むブルジョワ御仁がどれだけいるか

すると、国内マーケット供給されたマネーは個人の消費性向の問題として、国内を潤わせることなく海外へと流出していくのではないかインドの綿製品が流れ込んだイギリス状態になる気がするのは私だけかな。

例えば、日本銀行最近になって通称「成長基盤オペ」と呼ばれる金融政策を打ち出している。これは、銀行にどれだけカネを供給してもマーケットに出て行かないことに業を煮やした白川さんが、「じゃあピンポイントヒモつきのカネをブチこんでやるよ!」という、局所療法に出たわけだ。これは、理解しやすい。しかし、それに対して全く逆の効果を持つのがBIではないか

確かに、総量緩和による政策は果てしないマネー預金に積もらせただけで、観念バベルの塔を築く以外にはほとんどなんの効力ももたらさなかった。しかしまた、同様にグローバル化世界において民衆にカネをばらまくことは、海に向かって魚を放流すること以上の意味を持ちえるのだろうか。もちろん、マグロ近海を泳ぐようになるならいい。しかし、そのイワシは大方が真っ直ぐ中国に向かってしまうのではないか

もちろん、魚を囲う「網」になり得る可能性は存在する。マネー総量の爆発的な増加による円安傾向、並びに通貨価値の下落(これを、通貨信認の毀損と呼ぶことも出来るが、それはめんどくさい議論になるので後述。また、「バーナンキ背理法は間違っている」という可能性も排除する。)これが天然の関税として作用する可能性はないか

円の価値が思いっきり落ちて1ドル150円になったとする。確かに輸出産業は活況を呈するだろう。しかしその一方、我々の消費傾向が国内回帰する可能性はあるか?私は難しいと思う。仮に、中国産製品の値段が二倍になったところで、それでも我々はメイドインチャイナ椅子に座り、メイドインチャイナのつめ切りを使うのではないか

この段階で、議論はフィフティ・フィフティだ。どっちに転がる可能性もある。輸出と輸入は美しいバランスを保ち、冷戦構造のような調和ある対立を得るかもしれない。しかし、BIの性質そのものメイドインチャイナを強力に後押しする可能性を考慮して欲しい。というのも、こういうことだ。労働価値というのは、A・スミスの慧眼が予見したとおり通常市場における神の見えざる手で決定付けられている。それに対して、半ばマルクス的な色合いを持つ「最低賃金」や「基本的人権」の観念、ひいては労働法規がその下限を決定付ける。翻ってこのBIの制度、これはかなり強力に労働単価を引き上げる効果を持つのではないか

平たく言えばこういうことだ。働かなくても食える世界で、時給640円で働く労働者存在し得るか?ということ。これは、人間の性質に関わる議論なので、ソヴィエト連邦国家運営がうまくいくかどうかと同じくらい「やってみないとわからない」。しかし、偉大なるレーニンやサン・シモンに敬意を払った上のこととしても、私は多分ダメだろうと思う。いや、ダメだろ?BIには、鎖国、ないしは強力な関税政策が必要になる。

そして、更なる恐怖がBIには待っている。これが疑問の二点目だ。それは、わが国の根本的性質に深く関わっている。

それは、わが国は「カロリーベースですら食料が自給出来るか微妙」ということ。そして、更に絶望的なるもう一点。「資源がありません」ということ。円高になればなっただけ、輸入コストは増大する。これに更に追い討ちをかけたのが先日の震災だ。原子力抜きで、エネルギーの自給が果たして出来るのか?1ドル150円になれば単純計算ガソリンリットル300円くらいだろうか。さて、果たしてこれはどうなる?

企業家にとっては恐ろしい未来が待っている。労働単価は高止まりし、原料費は高騰する。こうなると、「円建てで取引するのがそもそも間違ってんじゃないか」という思考に陥る可能性すらある。折角需要が喚起され、天然の関税障壁に守られたかに思えた国内生産品も価格競争力を持つことが全く出来ない。

そして追加的な怖さはこれだ。確かに、私もバーナンキ背理法は間違っていないだろう、と思う。確かに、マネーの総量が経済に影響を「与えない」と仮定するなら、世界はすぐに楽園になるだろう。なるほど、どこかで必ず飽和点は訪れ、円高は終わりを告げる。問題は、緩やかに落ちるかキリモミ落下して地面に突き刺さるか、だ。確かに円は高い、しかしわが国の財務状況は決して明るい未来を指し示してるとは言えない。つまるところ、通貨バブル国債バブル(私は現在の状況をそう認識しているが、これには異論があるかもしれない。むしろ、通貨の絶対価値とはスイスフランによって計測されるべきである、という考え方に対しては一理を認めるしかない)が大爆発するリスクはどうだろうか。BI,とはベーシックインカムである。それは、やはりベーシックインカムと呼びえるだけのキャッシュフローでなければいけない。しかし、それだけのマネー市場に放った結果について、我々は誰も知りえない。バーナンキ背理法は「リフレ政策の効力を約束した」わけではない。むしろ、「長期的に人は必ず死ぬ」といったニュアンスに近い。老衰で死ぬか、腹下しで死ぬか、爆散して骨も残らないか、誰にもわからない。

以上の観点から、私はBI制度が成功するとは思えない。

しかし、これは端的に私の知識不足、ないしは知能・理性の絶望的不足に根ざしている可能性も否定できない。

私は、BIの精神性を否定しない。むしろ高く評価するし、すばらしいと思う。ここがウクライナだったり、あるいはアルゼンチンであるなら、是非にもやるべきだと思う。また、日本産油国であればもっといい。しかし、そうではない。

ベーシックインカム論者の反論を求む。

あ、ごめん。労働単価の高止まりの根拠として、「BIは高税率が回避できない」ってのがあった。多少働いても、まぁかなり少なめに見積もっても半分は税金で持ってかれる。厳密に計算したわけじゃないけど、「どんなに少なくても」それくらいは要る。労働意欲の喚起はかなり難しいだろうと思うよ。

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