はてなキーワード: 薄っぺらとは
http://wotopi.jp/archives/38619
嫌いな理由は二つある。
ひとつめは、なぜ女子会の話題にも勝てないような内容でお金をもらえてるのかムカつくからだ。
正直、結婚を迷ってるとかごくどこにでもいる女の話だ。自分の周りの女子でやる女子会の話題のほうがまだおもしろい。それを共感を誘うわけでもなく、さも自分は特別であるように語る、この、中途半端な経験しかしてない女の話が金で買われてることが耐えられない。
ふたつめは、こういう中途半端な恋愛ライターは、恋愛した相手を傷つけることに鈍感なところが許せない。
この記事の場合、プロポーズした男の気持ちはどうなるのだろう。このあときっと彼女は結婚したことを周りに報告するわけだが、記事は一生残り続ける。結婚したくなかったけどしてみた。そんな気持ちで一緒になった二人をどう祝えばいいのだろう。一生に一度の告白をこんなふうに記事にされている男性がほんとうに哀れである。
恋愛記事のライターは、相手をネタにして金に変えている場合も少なくない。しかし、自分の大切な人も大事にできない、周りに配慮できない奴が恋だの愛だの語られても薄っぺらい。恋愛も仕事もうまくこなそうとしているアラサー女子自称代表顔するのも痛いだけだ、大事な人もうまく愛せずに、誰もしあわせになれない記事を作成していてなにが楽しいのだろう。
長いことはてブにいるが、ずっと気になっているヒトデがいる。
なぜそんなにもヒトデが気になるのか。
そのため、互助、互助と言われていても陰ながら応援を続けていた。
好きなゲームを連想させる名前で書いている記事の内容が薄っぺらいにも関わらずはてブ総合トップに載ってくるからである。
これを分解すると
となる。
このうちの1つでも欠けていたら私はこの日記を書いていない。
しかし、互助の存在故にブクマが付き、そして総合トップに掲載されるのだ。
「参考になります!」などクソの役にも立たないコメントを付ける奴であり
例をあげてみよう
たとえば
使ってみたという割に、1時間程度その辺の情報あさったら誰でも書けるレベルの情報しか載ってない上に、
別に申し込みや切り替えの手順がわかりやすいわけでもない。自分が利用した楽天モバイルしか載せておらず比較すらしていない。
そのくせ、間違っている部分(回線が重たい時があるが、今後利用者が増えて改善されていくとあるがMVNOの場合は逆であることが多い。)
があったり、東京都心部では昼まったくつながらなくなる注意もなく、「ぼったくってるからだよ」などとdocomoはともかく、稲盛さん他、携帯会社の黎明期を支えてきた人を無視するような発言があったりととにかく浅さが目立つ。
イワタ君フリーランスに関する記事は他の方も色々と書いており、
そのそれぞれに深みを感じた。
終始煽り続けながらもフリーランスのきつさを暗に伝えることで就活を促す人、
そこには想いがあったり、自分が生み出したものがあったりする。
しかし、ヒトデの記事はその辺でクダ巻いてるおっさん以上のものはない。
「世の中こういうもんだぞ」と上から目線で説教たれるおっさんと何が違うのか。
他の記事を見た後、この記事を見たとき私が得たものはゼロであった。
イワタ君の気持ちになって読むと、ただ不安を煽られるだけであったことから
単なる話題に乗っかったアクセス数稼ぎにしか思えず腹が立ったくらいだ。
と、いろいろ書いたが、個人的には頑張ってほしい。
そこで満足するヒトデにはなってほしくない。
MVNOでも本気で比較した記事を書こうとしたらもっと時間がかかるだろうし、
おそらくそれは社会人でもあるヒトデが強みにすべき箇所ではないのだろう。
それならば、それでも、なんとかもっと自分の強みが活かせる記事を書いてほしい。
ある分野を勉強したいというから、その本を買ってプレゼントした。
喜んでくれて最初の3日くらいは読んでいるんだけど、そのあと飽きたのか見向きもせず。
簡単な入門書で、120ページくらいしかないし、1ページあたりの文字数も情報量も少ない。
ゆったりやったとして、1日20ページを2時間くらいでやれば1週間で網羅できるはずなのにそれもしない。
おまけに部屋で足の指や陰部をいじるクセや、食事後の食器の片付けも言われないと動かない。
ニュースで取り上げられた事件に憤りを感じて意見を述べるんだけど、それに対する知識も土台もなく薄っぺらい。
直接言うわけにはいかないので、さりげなくその分野の入門書を貸したりするんだけど、その結果は言わずもがな。
なんだか塾で教えていたダメな生徒と過ごしている気分になってきて最近は冷めてきた。
もう別れたほうがいいのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20130416180953
コンビニだけでなく、あらゆる窓口などでバカ丁寧にされたりするけど、こっちが軽く挨拶したりするときゅうに子供に喋ってくるような口調になったり、どっちが客?といった感じに居丈高になったりする店員のたぐいは半数ちかくはいる。実際の関係性ではなくて挨拶するほうが下の身分とみなされるのな。もちろんそんなことない人だって多数いるけどね。
いわゆる日本人のオモテナシって、そんなレベルに堕ちたんだろうな。所詮は、マスコミに刷りまくらせた、薄っぺらい摺りこみだもの。
客の声がうざいなら、おまえもお客を不快に思わせないよう重々配慮しながら必要最低限の対応に縮めろよ。
ごくたまに行ったりする海外旅行でみる光景も、もぎり担当へ無言でチケット渡したり機内に入るのは日本発着便の客だけだな。現在の日本人、かなりガラパゴス的なのは自覚したほうがよいと思う。べつに海外文化が何でも素晴らしいと言うつもりはないが。
だいぶ前はてブ等で長年同人をやられてた方がTwitterをはじめとしたSNSに疲れ同人を卒業したり距離を置いたり…という記事を何個か見ました。
自分も同人ではないのですが、2.5次元界隈でTwitterがしんどくなり、専用アカ消したりしたなあ…ということを思い出しました。
何がしんどくなったのか最初に箇条書きすると、
①色々な人と繋がり、共通のフォロワーさんが増えたことにより、Aというフォロー外だけど苦手な人が出来た。フォローされないようブロックで自衛していたが、Aがアカウントを変えたタイミングでフォローされ、無視してたら、ほんのりフォロバを促すようなリプが来てしまった。(これが大きな理由)
②2.5次元や2次元界隈でよく見られるゆるふあアイコンに拒絶反応
③金銭感覚の違い
とかですかね…。
これらは未成年の若いフォロワーさんに多かったように思えます。
自分はアニメや漫画といった作品に対しての熱は冷めにくいのですが、俳優や声優さん、アーティストさんといった人に対しての熱は元々熱しやすく冷めやすいタイプでした。ところが、あるきっかけでとある俳優さんのことが気になりだし、気づけばめちゃくちゃブロマイド買っていたり、自分の人生史上最大の沼に陥ったのです。こんなにハマった人始めてだしこんなハマり方したのも始めてだったのです。
そこで調子に乗った私は自分以外にもこの俳優さんのことが好きな人と知り合いになりたい!現場で出合い厨とかしてみてぇー!と思って勢い余ってよくある繋がりたいタグでたくさんの方々と繋がりました。(といってもフォローは2桁でしたけどね!ちゃんと自分で見極めてフォローしたはずなんだけどね!)
最初はとても楽しかったです。毎日幸せハッピーって感じでした。推しに囲まれた生活最高ー!ってなりました。
でもこの頃から自分の性格上②みたいなアイコンの人はあまりフォローしなかったしプロフもゆるふあ〜な感じの人はブロックしてたかな。
(ていうかぶっちゃけた話、ああいうゆるふあアイコンってどこが良いんですかね…はっきり言って痛いしダサいしセンスない。本当にコラージュ上手くなりたいならそこらへんのアプリじゃなくてフォトショ使えば?写真の切り抜きとか透過とかスマホアプリよりフォトショやGIMPのようなパソコンのソフトのほうが優秀だと思うんですけどね。小さい画面で操作するのイライラしません?成人してもあんなのやってる人とかみると大丈夫?て思ってしまう…)
ところが、自分がフォローをしている人達が段々と相互フォローで繋がっていき、⑥のように身内のノリみたいな変な馴れ合いが増えてきた頃から、少しずつ、居心地が悪くなっていきました。
元々「構ってちゃんタグ」とか「私のこと好きな人ふぁぼ」とかいうの好きじゃありませんでした。この頃からリプをURL引用したりする人とか出始めて、「なんで@でリプしないの?面倒臭すぎない?あんたと私の知らない人との会話とか興味ないし他所でやってくれ」って思ったり。あと内容のない薄っぺらいリプ合戦とかね。素で「〇〇好きあいちてる❤️」「私もやで❤️」みたいなリプ送りあってる人達よりも、「うんこ黙れ」みたいなリプ送りあってる人達の方が絆が強い気がします。(あくまでも個人の見解です)
また、③で前述した通り、どの界隈にもいると思うのですが、お金をたくさん使うのにお金にだらしない方はあまり良い印象を抱きません。
別に現場全通したりグッズをたくさん集める人全員嫌いという訳ではありません。が、現場行き過ぎたせいで、次のイベント代のお金を親から借りたりするのはどうなの…って思いました。このような発言をしている相互さんを見かけてかなり引きましたしそこからこの人のこと好きじゃなくなりました。趣味のお金は自分のお金で遣り繰りしろよな。
④も2次元、2.5次元界隈ではあるあるではないのでしょうか。イベントってたいがい東京なんですよね。時々関西も少しあって、たまに福岡や名古屋とか。アニメイベントだとほぼ首都圏ですね。当たり前ですけど、東京に住んでいる方はイベントに行きやすいですよね。
それに対し地方に住んでいる人は、チケット代以外にも交通費や宿泊費もかかって、イベントが終わる時間が曖昧だとドギマギしますよね。イベ終わりどうしよう、新幹線や飛行機乗れるかな、いや一泊しようかな、夜行バス間に合うかな、最終じゃないと無理かな。とか。財布との戦いでもありますよね。公式よりも交通機関のほうにたくさん貢いでる…?!と気づいて絶望したり。TL見てるとイベントに行きまくる関東組とお留守番の地方組とで闇を感じたりしました。
…え?関東に引っ越せばいいじゃんかよって?それが出来たら悩まねえよ!!東京家賃高すぎ!!いや家賃だけじゃなくていろんなもん高すぎ!!
このような事からだんだんTLを追わなくなっていき、裏垢に引きこもりがちになりました。
そしてある日、私は推しの動画付きツイートをRTしたのですが、そのツイート主こそが前述したAでした。
私がリツイートした後「RTありがとうございました、もし良ければ相互になりませんか?」という内容のリプが来たのです。突然のことにびっくりした私は、そのままスルーしたのですが、②のようなゆるふあアイコン、そしてその人のツイートの雰囲気が苦手で無理で…。
共通のフォロワーさんが多かったのでいつかフォローされないように先に自分からブロックしました。
そして、数日後、Aがアカウントを移行した時にフォローされてしまいました。どうやらリプから察するに、少し前から私の事が気になっていたみたいです。フォローされた時はうわ、しまった…と大きなショックを受けたのを覚えています。プロフィール欄も詳しく書かれていなかったため、フォロー返すのやめよう、無視しよう、気づいていないフリをしようと思ったのです。実際それで昔自分が苦手なタイプの人からフォローきても何人かやり過ごしてたし。
ところがそのまた数日後にAから「すみません!!!!フォローさせて頂いたのですけど!!!」みたいな内容のリプが来てもう恐怖しかありませんでした。ツイート一字一句覚えてませんけど!が異常に多かったのを覚えています。
今思えば普通にブロックしちゃえば良かったのにと思うのですが、その頃の私は共通のフォロワーさんにAをブロックしたことをAに言いふらされでもしたら面倒なことになりそう…と変な考えを起こし、フォロバ後速攻ミュートしました。
これあるあるだと思いませんか。共通のフォロワー多すぎる苦手な人にフォローされてブロックしづらいの。
え、ないって?それはすまん。
色んなことが重なって重なって、もう大好きだったこのアカウントやTLが嫌になって、フォローしてる人も嫌になって、気づけばこの俳優さんを好きな気持ちも少し薄れていることに気がつきました。今までと同じポテンシャルでその方を応援できなくなってしまって、すごく残念な気持ちになりました。そしてフォローしてる一部の人に失礼な言動をして傷つけてしまった…。もうこれは本当に申し訳ないと思っているし、人間疲れが重なると言動が酷くなるんだなって痛感しました。
自分と同じ俳優さんが好きな人と繋がって想いを共有したいと思ったのに繋がった人が嫌いになってその俳優さんへの熱も薄れるなんて本末転倒じゃねえか!!くそ!!なんかとても悔しい。なんでこんなことで好きなものが離れちゃうんだろう。
その後私と同じような悩みを抱えていた付き合いの長いフォロワーさんと傷の舐め合いをしたり、やばいそれウケるめっちゃネタに出来るじゃんと励まされたり(?)したのは良い思い出。
この一連の流れから私が学んだことは、
・Twitterで誰かをフォローする時はとにかく慎重に!石橋を叩きすぎることはない!
・なるべく年が近い人をフォローする!
・共通のフォロワーが増えすぎるのは危険、複数人とのリプは楽しいがその分リスクを背負うことになる
……てところですかね。
結局今でもTwitterで長い付き合いがあるのは2.5次元にハマる前に繋がった2次元界隈の人ばかりです。
皆様も、TwitterやSNSで少しでも疲れたなと思う時は早めに手を打たないと大変なことになりますのでお気をつけ下さい。
ちなみに⑤は、嫌になった方のフォローを整理して大丈夫な方だけ相互を続けていたらこんな感じの状態になってた。相互フォローの関係がいつの間にかなくなって、片方がアカウントを変えて悪口言ってた。これもあるあるじゃなかろうか…
あっちなみにAに前垢ブロックしてたのバレてたみたいです。もう最近のツイッタラー怖い。
※こいつ誰が好きだったんだろうみたいな詮索は呉々もお控え下さいませ。
年齢27
昔から祖母が少女漫画雑誌を買ってくれていたこともあり、アニメや漫画は好きでした。
姉がいたので、姉がりぼん、私がなかよしを買ってもらって回し読み。
腐女子やBLも知っていたし、男同士のやりとりにキュンとすることはありましたが、仲良くしてる男性アイドルを見てる気持ちだと思ってました。
高校生になって
クラスの女子から「おもしろいよ」と借りた漫画がおもしろくて一瞬でハマりました。
その日の帰りにコンビニで連載雑誌を立ち読みしそのとき出ていたキャラに衝撃が走り、完全に腐女子として覚醒しました。理屈じゃないんです。
当時はすでに携帯電話のパケット使いたい放題プランはありましたので、携帯電話でサイトを巡りました。携帯サイト主流の時代ですね。
漫画を貸してくれた子も、クラスの女子もオープンな腐女子でしたが黙ってました。
今でこそスクールカーストという言葉がありますが、私は自分の容姿に自信がなく当時で言う「イケてるグループ」「派手なグループ」の子達とつるむわけじゃないけれど、挨拶をしたり雑談はする中間の位置をキープしたかったのです。
ここでオープン腐女子と一緒に騒いでしまっては「普通の子グループ」から転落するのではと思ったのです。
漫画を借りてから1ヶ月後にはサイトを作ってました。日記で萌えを語り大好きなカップリングの作品をたくさん上げました。
もちろん興味はありましたが右も左もわからず一緒に行く人もおりませんし、なにより笑ってしまう話ですがイベント会場でクラスの女子に遭遇したらどうしようという恐怖が一番にあり縁のない別世界のことのように思っておりました。
ありがたいことにサイトでは毎日のように感想がもらえるようになりました。
匿名のweb拍手が主流だったので気軽にメッセージをくださってたんだと思います。
サイトを運営されてる方からもメッセージをいただけ、相互リンクやバトンなどして交流しておりました。
しかしこれも笑ってしまう話ですが、交流が続いて会おう、オフ会しようとなったらどうしようと、身バレしたりブスだと思われたらどうしようという思いが強くなり苦痛になりました。
高校生でしたので、日記では少し「イケてるグループ」を気取っていたのです。
交流が苦痛になったのでサイトは閉鎖しました。しかし萌えを吐き出せないのはもっと苦痛でした。
性懲りも無くまたサイトを開設しました。休止や閉鎖を繰り返しました。
ちなみに、最初にハマったジャンル意外にもハマり、ほぼよろずサイトとしてやっておりました。
今ほど注意書きもなく好き勝手にしてましたね。
わたしは就職しました。当時の日記では萌えを語ることなく愚痴や日常のみだったような気がします。
当たり前ですが更新のペースが落ちました。時間感覚も変わりましたので自分ではいいペースで更新してると思っても更新履歴を見たら2ヶ月が経過してたり。
そのうちなにも生み出せなくなりました。19歳の頃すっぱりサイトをやめて萌えを吐き出すことなく過ごしました。
変わらず漫画やアニメは好きでしたが、このまま腐女子は卒業かなと思っておりました。
しかし、22歳だったでしょうか、アニメを見て急激にハマる作品と出会いました。即サイト開設。
マイナージャンルだったのでカウンターの回りや感想の数など寂しいものでしたがその作品が好きでただただ楽しかったです。
そんなときアンソロジーのお話をいただきました。オフ経験はありませんので悩みましたがお誘いいただけたことが嬉しくて参加させていただきました。
満足のいく作品が出来ましたが、なんといいますか、発行後の主催者様の対応に疑問を感じました。本は何ヶ月待っても届かず、お礼としてお菓子を同梱してくださってましたが賞味期限が届いた日の翌日だったり。
後から気づいたことですが主催者様は熱しやすく冷めやすいタイプの方ようで発行のときにはすでに別のジャンルのことで頭がいっぱいだったようです。
アンソロジーといえど初めてのオフ活動、がんばった作品、結構なショックでジャンルに罪はありませんがもうそのジャンルは見れなくなってしまいました。
集めたグッズなどはすべて売りました。
そして、今まで家族共有のパソコンが1台しかなかったのですが、自分のパソコンを購入しました。たくさんのサイトを巡りました。pixivというものも知りました。
大好きなサイトではイベント楽しかった!とよく綴られておりました。
アンソロジーの件は被害者のような気分でいましたが、オフのことを分かっていない自分にも問題があるのではと思いました。
昔のように怯えることもなくパンフレットの注意事項もしっかり読み向かいました。
結果、とても楽しかったです。
ただ本を買うだけでしたがこんなにも楽しいのかと感動しました。よくわからず一般のお店のように本を取ってこれくださいと渡したりしてしまいましたが。
最初にハマったジャンル、もう誰も活動していないあの頃ハマったジャンル、大好きだったサイトの方は今このジャンルにいるのか。いろんな思いがありました。楽しくて楽しくてしょうがなかったです。
腐女子の友達は相変わらずおりませんので、本を読むことで萌えを語り合ってるような気になったのでしょう。
少しでも萌えるジャンルに出会うとすぐ同人誌を購入するようになりました。自分では創作しようという気は一切なくなっておりました。
25歳で衝撃的なジャンルに出会いました。ジャンル自体は大きいものでしたがハマったカップリングはマイナーでした。新幹線に乗ってイベントに行くようにもなりました。
このカップリングで久しぶりに自分で書きたいという思いが生まれました。しかし何年も遠ざかっておりましたのでうまくいきませんでした。買うことに慣れてしまったのでしょうね。
うまくいかなくても18歳のころより更に時間感覚が変わっています。あっと言う間に日だけが過ぎます。
そして急に最近の話になりますが、某ソーシャルゲームに大きな動きがありました。
とても大きなジャンルなので私も例に漏れずハマり先ほどの衝撃的なジャンルほどではありませんでしたが、いかんせん少しでも萌えると際限なく買うようになっていたので、ジャンル内でもトップクラスの人気カップリングを大量に購入してました。
そうです。そのトップクラスの人気カップリングに大きな動きがありました。
急いでゲームを立ち上げわくわくしながら見ました。しかし私は首を傾げてしまったのです。
今まで受けだと思っていたあの子は攻めだった、こんな関係性なのか、まったく萌えませんでした。
このジャンルが特殊なのは承知です。燃料になった方も逆燃料になった方もいらっしゃると思います。
ふと、家にある1500冊を超える同人誌の山を見ました。
このジャンル、アニメは見てたけど原作読んでないな。そんなものばかりでした。
最初にハマったジャンル、同時期にハマったジャンルはほとんど同人誌を持っておりません。高校生でしたしね。
19歳まで二次創作していたジャンルは今でも大好きです。25歳で出会った衝撃的なジャンルも大好きです。どちらも原作を読むときはいい年してお恥ずかしながらドキドキときめきます。
しかし同人誌を買っていただけのジャンルは本当に好きなのか分からなくなりました。
絵が好きだから買う、作家が好きだから買う、文の組み立て方が好きだから買う、皆さんいろいろな理由で同人誌を買われるでしょう。
私は買うことだけが楽しかっただけなのかもしれません。何度も読み返す本は一部です。
コレクター気質なのでサークルさんの本はすべて揃えたい気分になります。
買ってるだけのジャンルの、原作はもうあまりわくわくしません。読んでないものもあります。
イベントデビューしてからたくさんのジャンルにハマりました。たくさん同人誌を買いました。
某ソーシャルゲームの件で気付きました。あまり二次創作は読まないほうがいい、と。
もちろん二次創作は最高です。大好きです。しかし私は二次創作だけを追うようになって原作を捨ててしまっておりました。
アンソロジーの主催者様を熱しやすく冷めやすいと少々批判してしまいましたが、私がずっと創作を続けていたらそうなっていたのだろうか。それとも今でも最初のジャンルで二次創作をしていただろうか。
後悔はしておりません。
1500冊の同人誌には楽しい思いをさせていただきました。手放したものもあるので、実際は倍は読んでいる気もしますが。
今、女性向けのジャンルはとても目まぐるしく動いております。サイクルがとても早いです。同人誌は時期を逃すと手に入りません。
しかし、今一度しっかり自分の萌えと原作への愛を確認することが大切だと気付きました。
最後に、これは某ソーシャルゲームへの批判や愚痴ではありません。
長くなりましたがお付き合いくださりありがとうございました。
高校2年の6月に学校が死ぬほど嫌だったこと、マジで一生忘れないからな。
何十年経っても絶対に忘れないで、人生の節目節目で思い出してやるからな。
「高校時代は色々悩んだけど、やっぱり思い返すと楽しかったよ」
「人生でいちばん大事な時期じゃん! いいなぁ、俺も戻りたい」
「後悔しないように今のうちにいっぱい思い出作っておきな」
「朝礼とか授業とか、今はだるいかもしれないけど卒業したら絶対懐かしくなるよ」
大人のこういう薄っぺらな講釈は飽きるほど聞いた。本当にいい迷惑だ。頼むからお前の自己満足を押しつけないでくれ。お前の勝手な"青春"観を私に投影しないでくれ。
時間の経過によって思い出が美化されるというのはとても恐ろしい現象だ。30代・40代になって高校時代を振り返ったときに「当時はつらかったけど今となっては全部懐かしいなあ」なんて幸福に青春を総括するようなことがあっては絶対にいけない。
朝、教科書がぎっちり詰まった重たい鞄を背負い、学校へ続く長い坂を一歩一歩踏みしめるとき、16歳の私がいま感じているこの苦しさが何十年経っても記憶から消えないように、確かな身体感覚とともにしっかり体に刻みつけなければと思う。
新卒採用期間中によさ気な企業に入社できても、それが必ずしも幸せとは限りませんよ。
私は大学入学から大学院修了に至るまでぼっちで過ごさざるを得なかったレベルのコミュ障だったので、素のままで就活に挑んだら無い内定でフィニッシュすることは確実でした。
だから、就活対策をしっかりとやって、時にはキュゥべえのような論法まで持ちだして、辛うじて高給なIT系大企業に雇ってもらえることになりました。
でも、実際に入社してみたら、そこはIT企業にも関わらず「技術力はどうでもいいから、コミュニケーションスキルを磨こうぜ!」と技術職に要求するような所でした。
そのせいか、1mmでも対人コミュニケーションのスタイルが日本的な「普通」から外れている社員はたとえ技術力が高くともハブり倒され、ただただ煩いだけで技術力も人間力も薄っぺら人々が持て囃される社風が定着しています。
同期は出世意欲ばかりが高くて、「コミュ力!コミュ力!!」とバズワードを連呼し、互いにコミュ力のマウンティングを繰り返しているような質の悪さです。
当然、コミュ障でしかも技術力で勝負をしていきたいと考えていた私とこの企業の社員・同期との相性は最悪で、入社3ヶ月目のこの時期に早くも浮き始めました。
今では入社したことを後悔し始めるようになりましたが、入社1年も経たずに辞職するような人間を雇う企業は業種・職種を問わず皆無ですので、身動きを取ることも叶いません。
このよもやま話から何が言いたいのかというと、「自身の適性を無視して就職したとしても直に後悔するから、たとえ今焦っていても上っ面の対策をして新卒採用の波に乗るより、マイペースに就職先を探したほうがいいよ」ということです。
経団連指針に沿って新卒の正社員を採用しようとしているような企業は、その多くがある程度の体面的な真っ当さを有している企業です。
でも、世の中にはいろいろな企業や職種があります。それらは必ずしも社会的なステータスや待遇が良好とは限りませんが、経団連所属の企業よりもユニークさという意味では幅が広いので、あなたに合う企業だって見つけられるはずです。
安定性やステータス、待遇を諦めきれないというのなら、ある程度実力を身につけてから転職すればいいだけの話です。ここであなたを宥めている増田たちの中にもそのような経験をされた方がいらっしゃるようですし、採用率だって新卒後直ちに離職した人よりは遥かに高いはずです。
また、ご自身に合う企業に入社することが出来ていたのであれば、転職に見合う実力を身につけるの日まで耐えることだって難しくないでしょう。
ですから、新卒採用期間中にご自身に合う企業が見つけられなければ、そんなものは一旦無視してエージェントなりハローワークなりに頼って地道にご自身に合う企業を見つければ良いのです。
ましてや気に病んだり死んだりする必要などありません。
私もあなたのように、就活中には内定が取れずに暗澹とした気分になったことがありましたが、今現在感じているこの辛さはその比ではありません。
オープンなネットはイケハヤのような、SEOが小器用なだけの頭の薄っぺらい人間たちがうっほうっほやってる世界になりつつあるよな。
https://www.facebook.com/taizoson/posts/10153788960804492?pnref=story
僕には経営者としてかねてからの疑問がある。ほんとは違うと思いたいので、誰か下記の僕の意見に反論してくれませんか。
かつて世界を席巻した日本の電機メーカー、先日取締役会で揉めたコンビニの最大手、安くて高品質と市場を席巻したカジュアル衣料メーカー、テレビショッピングでいちばん有名な会社、プロ経営者を雇ったがクビにした教育産業の最大手、そして通信などで成長した日本で最も有名なIT起業家の会社など、最近後継者についての話題がすごく多い。
事業を大きくした創業者は、会社の成長もさることながら後継問題がいちばんむずかしい、とよくおっしゃる。「企業は存続してこそ社会に貢献できるのだから、100年続く会社になるように企業文化を創っていきたい」と皆さん口をそろえる。中には徳川幕府だって300年続いたのだから、うちも300年だと言う方もおられる。誰とは言わないが(笑)
なんで?
なぜ存続してこそ社会に貢献できる(=存続しないと社会に大きく長く貢献できたと言えない)、と言えるのだろうか。
存続はしていてもたいして貢献してないことだってある。「売上は社会に貢献して顧客からもらえた対価なのだから、売上が伸びてるあいだは立派に貢献してる証拠じゃないか」「雇用を生み出し続けてるのだからそれだけでも貢献しているじゃないか」などの声を聞くのだが、それはその会社がなくなって別の新しい会社がそれを担ってもいいわけで、「存続してこそ社会に貢献できる」というテーゼを論証したことにはならないと思う。
つまり、存続することと、社会に貢献することとは関係があまりないと僕は思うのだ。それどころか、長く続いている大企業は、分業と縦割りとルールの細分化が進んで制度疲労を起こし、「自己疎外(=働けば働くほど、自分でやっていることが自分のものと感じられなくなっていくこと)」を生み出しているようにしか僕には見えない。
スタートアップ原理主義者の僕には(笑)、必要以上に大きくなりすぎた企業は「自己疎外製造装置」にしか見えないのだ。だからといって共産主義に近い社会主義を礼賛しているわけではもちろんない。ほんとはいろいろ考えているのだが、この文脈においては、単に「アンチ大企業主義」と分類されても僕は全然差し支えはない。
昔であれば、大資本・大組織でないとできない大きな仕事が存在しただろう。しかしこれからの時代には大企業のアドバンテージというのは実はあまり(個人的には「ほとんど」)ないと言っても過言ではないと思っている。
そしてそれは、人工知能とロボットの発達によって、愕然たる事実として現在よりもさらに鮮明にあぶり出されるはずだ。
僕はそのように思っているのだが、僕が違う(それとこれとは関係ない)と思っている、
「企業は成長し続けて大企業となり、そして長期間存続し続けることこそが社会に大きく貢献することなのだ」
ということを誰か力強く理論づけてもらえませんか。
http://www.tez.com/blog/archives/post5052.html
スタートアップがより大きな力を得てより急速に成長するためにも、より大きく、より長い繁栄をして、企業価値を大きくすることを目指すことが必要だと考えられますし、その場合の繁栄の鍵は、いかに「情報処理のハブ」の地位を確保し続けるか、ということに集約されると思います。
だから、企業がより大きく、より長い繁栄を目指すことは、否定されるべきではないと思います。もちろん単なるステークホルダーの思考停止ではなく、他の(「信用」を担保する)理由があるからこそ、大企業として長期間存続し続けるわけですし、社会に大きな影響を与える企業として長期間存続し続けようという意志のないところに大きな企業価値が生まれることは無いはずです。
孫 泰蔵 「信用資本論」とでもいうべきとても示唆に富む論説ですね。
まず、信用という機能の本質が「思考停止」だからこそ信用は一定の「慣性」を持つ、というのにハッとさせられました。経営者もそこに働く従業員も、会社を長期的に存続させるのが是、というところで思考停止してるなといつも思ってたのですが、それは外部からの信用という思考停止ともリンクしているのだということに気づきました。
また、長期的に存続しうる形態としては「メタ」な存在しかないだろうと私も考えていました。しかし、その際に長期的に「メタ」として存在しうる価値やアイデンティティーってなんなんだろうなあと思うのです。資金であればVCなどでも十分提供できるわけで、スタートアップが嗜好する資金以上のなにかを持ってないといけないわけですが、それはなんなのだろうとずっと考えています。そこも「信用」なのかなあ。
そして、「大企業が自らの存続をあきらめることではなく、既存の『信用』に新たな『信用』がぶつかって倒そうとすること」が「古い組織の制度疲労を打ち壊し社会全体を活性化させるのだ」というのはまったく同意です。
しかし、現在の日本では挑戦者がまだまだ全然少ない状況です。この状況を打破したいのですが、能力的に優秀な人が、挑戦者になって打倒するのではなく、むしろ後継者になりたがろうとする人が多いこの状況(例えば、兄がやってる「アカデミア」という後継者育成機関にすごい優秀な人がいっぱい来てるんです!あんたたちは孫正義の後継者なんかじゃなくて起業家を目指さんかい!と心のなかでいつも苦々しく思ってるんですよね(笑))をどうやったら打破できるのかなあと思案しています。
既存の信用にぶつかって倒した新たな信用の成功事例をつくるしかないですよね・・・そっか、俺が頑張ればいいのか。頑張ります!
孫 泰蔵 ありがとうございます。
そして「そこも信用」なんだと思います。
話がややこしくなるので本文には入れなかったのですが、日本では米国のVCは全部が全部イケてると思われがちですが、実は逆にファンドのうち上場株式のindexをアウトパフォームするものはわずかで、9割前後はindexを下回っています。つまり米国とはいえ、ほとんどのVCファンドは「上場株index投信を買った方がマシだった」ということになってます。しかし米国の上位5%のファンドは常に高いパフォーマンスを上げています。
リスクの高いベンチャー投資でなぜ長期にコンスタントに高い成果が上げられるのかという理由は、まさにVCが行うべきことの本質が「信用の供与」だからじゃないでしょうか。例えば「セコイアが投資したベンチャー」は(もちろん背後に技術トレンドの調査やきちっとしたDDがあることに加えて)「セコイアが投資してるんだからイケてるんだろう」という期待が働くからこそ、いい経営陣やいい従業員が集まり、いい投資家が付き、いい取引先やいい顧客が付くので、結果として本当にいい会社になってしまうという「予言の自己成就」が発生しているのではないかと思います。
ポートフォリオで多数のベンチャーに分散投資すると、仮に失敗したベンチャー成功したベンチャーをならしてポートフォリオ全体として利益が出たとしても、必ずしも「あのVCが投資したベンチャーはイケてる」という期待は働きません。「投資したベンチャーを全社必ず成功させるぞ」という長年の努力をすると、そうしたミダスタッチ(「魔法」)が使えるようになるんじゃないかなと思います。
ベンチャーは先進的であるがゆえに、単独でポツンと存在しても、それがいいものか悪いものか、一般の人にはわかりません。「世の中で最も大きな情報の非対称性が発生するもの」だと言えます。だからこそ、そういう「信用」を供与する投資家が増えることこそが、現状を打破する大きな力になると思います。
亀山 敬司 俺も「会社を続けるために稼ごうぜ!」と言ってるけど、社会貢献とは関係ない。会社が続いて大きくなると俺が楽しいからやってる。だから「辞めたあとは俺のこと忘れていいから勝手に楽しめよ」と社員には言ってる。会社なんてただの人の集まりだし、くっ付こうが分裂しようが、べつにDMMの名前が残らなくてもいっこうに構わない。
300年続けたいとか言ってるやつは、何を続けたいと言ってるのかわかんないけど、ピラミッドでも残したいんじゃない?亡霊の自己満足だね。
昔は「社員の未来を雇用をどうやって守る」とか思い悩んでいたが、「過保護で要らぬお世話だな、いい歳の大人は自分で考えな」になってきた。とりあえず後継者は立てるだろうが、そこからは別の会社だから残りたいかは自分で決めなって感じ。
大企業が長く続くのは、良し悪しで言えばちょっと悪し。ゆとりが有り過ぎると頭が悪くなるし、いい気になっちゃうし、内戦に明け暮れる。良い点は、まずしいスタートアップが時々見上げながら「俺もいつかあの大きなビルに入って、きれいなおねえちゃんを秘書にするんだ」と俗っぽい夢を見させてくれる。
悪い部分が大きくなれば勝手に自滅するので、自然に任せといても大丈夫。
そもそも社会貢献も基本はやっぱり自己満足だね。経済成長や新しいテクノロジーが社会を幸せにするとも限らないんだし、自分たちの活動が徳か悪徳かもよくわからん。でも、こんなふうにいろいろ考えるのは、自分だけのことを考えた自己満より、マシな自己満だよね〜!
多分そのフォローしてる女オタクの前後のツイート読んだらわかることなんじゃないかと思うけど、
好きな作品の話とかし始めて「俺○○めっちゃ詳しいよ」て話す内容薄っぺらかったりしてるから
ニワカって言われるんだと思う。
オタクじゃなくても、合コンの場とかそういうのよくいるから想像つく。
映画の話で盛り上がってるところに「俺も映画好きなんだよね~結構色々見てるから詳しいよw」て混ざってきて、
こちらの話にまったくついてこれず、結果「映画は女と観るもんじゃないよね~こないだなんかさ~」て
さすがにそこまで酷いのは2,3人くらいしか見たことないけど、最初に自分でハードルあげちゃってることに
まったく気付けてないんだよね。知らないのに話合わせようとして失敗。
だからニワカ扱いされても仕方ないよね。
私がフォローしてる女オタクもあんまり好きな作品の知識とか深い話とかしない人多いけど、
ブコメの何が良くないって、薄っぺらい自己顕示欲がだだ漏れなところだ。
大喜利だなんてそれらしいこと言ってるけど、要するに専門知識がなくても自己顕示欲を満たすための体のいい手段を見つけただけだろ?
でも、そのためにせっかく頑張って作られた記事をおもちゃにするのはどうかと思うんだ。
それって君たちが一番嫌いないじめの構図と全く同じじゃないか。
相手が傷つくかもしれないことをもっと想像して、スター付きそうな大喜利コメントを思いついてもそっと無言ブクマしてあげて欲しいんだ。
誰かに先を越されても、その誰かにスターを付けなければいい話だろ?
もしこの考えに同調してくれるなら、この増田に無言ブックマークをくれた人全員にカラースターをあげます。
文系は専門性がない、供給過多のため、就活は地獄絵図になりがちです。そんな地獄を戦い抜くためのアドバイスをいくつかしようと思います。東大、京大文系のエリート、コミュ力の鬼、イケメンリア充、サイコパスメンタル、とかそういうケースではなく、そこらにはいて捨てるほどいる何のとりえもない文系向けです。
1) 業界
文系には専門がないので、専門を生かせる業界は存在しません。理系であれば、自分の専門が生かせる業界、やりたい分野を手掛ける会社、と絞り込みをしていくことができますが、文系は一から自分がどの業界に進みたいのか?を考えていくことが第一歩です。ここが出来ているかどうかで大きくライバルと差がつきます。
文系は闇雲に何の関連性もない業界を知っている会社だからと、受けまくる人がいますが、これは本当に非効率なので、止めるべきです。業界研究をするにも絞り込みが出来ていれば、エントリーシート、志望動機、面接対策など、業界が同じであれば、ある程度のひな形を持てます。それをガチガチに隙がないように組み上げていけば、そう簡単に振り落とされないはずでしょう。
東大、京大でもない限り、どの業界に就職するにしろ文系なんてパシリみたいなものなので、夢だ、自己実現だ、とか、甘ったれたことを考える前に自分の資質と合いそうな業界を選ぶことが大事です。割り切った性格が持ち味なら金融、ガテン系親父に可愛がられるなら建築、土木、モノ作りが好きならメーカー、体力自慢の体育会出身なら商社、とか決めるわけです。ともかく、飯食っていけるなら、まずはそれでいいんですよ。
凡人はまったく不向きでない業界に潜り込めたら、その業界、会社のいいところを見つけて、そこに前向きになるべきです。否定的なことばかり言えば、完璧な業界なんてないし、嫌になってくるだけです。人間でもそうでしょ? 完璧な異性と付き合って、結婚などまず出来ません。いいところを協調して、踏み切らないと結婚できないし、片目をつぶって、相手を肯定してあげないと、結婚生活を持続できません。
2) 会社
業界が決まったら、大まかに三分類くらいに分けておくといいでしょう。チャレンジ企業群、本命企業群、滑り止め群、とします。これは会社四季報を買ってきて、自分の学歴で判断すべきです。残念ながら、文系は学歴しか売り物がありません。理系のように専門とのマッチングさえするなら、ある程度どこでも受けられるってことはないです。学歴不相応の会社を受けまくっても、時間の無駄で、落ちまくります。
マーチ文系でトヨタ自動車内定、とかは名門野球部のエースとか、オヤジがトヨタのお偉いさんとか、特殊な売りがある人だけでしょう。彼らはそこらの文系ではないです。理系なら、愛知県のショボイ工業大機械出身の上位層でもトヨタ自動車に入る人は一定数います。この辺が文系の辛いところです。
エントリーする会社が絞り込めて来たら、その会社の財務状態を確認しましょう。上場企業なら、有価証券報告書がネットに転がっているので、タダで見まくれます。有名企業でも危険な財務状態に陥っている会社いくらでもあるので、そういう会社は何か特殊な戦略でもなければ、避けましょう。わざわざ泥船に乗り込む愚を侵す意味はないです。例えば、なんで東大理系がソニーなんかあえて入社するのか、私にはまったく理解ができません。学歴バカなんでしょうか?
有価証券報告書にその会社の基本情報がすべて書いてあるので、読み込んでいけば、財務状態だけでなく、株主構成、売上構成、何が強み、弱みなど誰でも理解できます。また、平均給与も書いてあるので、どのくらいの給与水準が確保できるかもわかります。もし、見方がわからないなら、薄い本一冊買って読んでから、取り組んでもいいでしょう。
別に会計を勉強している必要などないです。日本語が読めれば、学校で教えてもらわないとわからないことではありません。こんなものも読めないなら、デスクワークを諦めて、体を動かす仕事をしたほうがいいです。お金の流れが理解できない人は何をやっても出世できません。好き嫌いを別にして、財務諸表も読めないってのはダメすぎです。
3) 面接
応募者にできるのはたった二つしかなく、応募するかどうかを決める、内定を受けるかどうか決める、だけです。「就職はお見合いだ!」っとか言う人がいますが、それは全く間違っていて、企業が選ぶ側であり、強者であり、文系学生なぞ鼻くそみたいな存在のいくらでも代わりのいる駒です。「学生は風俗嬢だ!」っと思います。客は別に誰だって抜ければいいですが、嬢はオッサンに選んでもらえないと、生活できません。人気嬢は東大京大の学生でしょうか?
多くの企業が学歴フィルターで文系を振り分けるので、面接には似たレベルの学生しかいません。要するに面接までこぎつけたら、そこでの立ち振る舞いが合否を分けるのです。当然、イケメン、美女が有利に決まっていますが、身だしなみはしっかりしましょう。日本企業で個性など求められていないので、無難な恰好、無難な立ち振る舞いに終始すべきです。普段はキモオタでも、髪の毛を短くして、きちんと整え、キモイ眼鏡を変えて、きちんと磨いた靴を履いていれば、きもくないです。
特に男性同士の場合は相手がイケメンでも、大して加点しないものです。ウザイ系のイケメンならむしろマイナスです。一緒に働きたくなるやつってガタイがよくて、どっしり構えて、落ち着きのあるタイプでしょうか? 薄っぺらいことをペラペラ話す人間より、朴訥でも論理的に言いたいことを伝えてくる人間を評価します。
面接官はほとんど男性なので、ウザイ系の美女でも加点されますし、性格の良さそうな女性でも、不細工なら、マイナスにはしないにしろ、積極的に働きたくはないでしょう。一般職、名ばかり総合職採用なら、何年かしたらやめるわけですし、だったら、少々ウザイ女でも、見た目さえよければ採用したくなるものです。なので、女性は見た目にこだわりまくってください。メイクをきちんとすれば、強烈にデブでもなければ、それなりに見えるものです。
コミュ障気味の人は家の鏡の前で笑顔の練習、発声練習をして、明るいリア充を演じる努力をしましょう。就職すれば、文系はリア充を装わないと生きていけないわけで、実態はどうであろうが、そこは生きるために演じるのがいいです。家に帰って、着替えて、気の置けない友人しかいない時に本性を出せばいいのです。仕事なんてそんなものなので、割り切れない人間はニートになるしかないです。
マスコミ系などの目立たなければならない業界なら話は別ですが、一般的な会社でギャグとか言っても、鬱陶しいだけなので、あくまで「俺はかなりあんたの会社を勉強しているぜ!」っというアピールをすればいいです。ただし、面接官が明らかにつつかれたくないような話題はしてはだめです。権力者の自己満足で不採算事業をやっていることもありますが、それをつついても、面接官は答えられません。あと、文系は専攻について、聞かれない限りは何も言わないほうがいいです。文系なんて社会に出たら、何の意味もないことくらいは面接官はよく知っています。
■ まとめ
ここまでやっていれば、相応の会社を受けていれば内定は出るはずです。理解すべきなのは自分は何の専門もない馬鹿文系野郎であり、お金くれる人間なら、誰にでも尻尾振らなければならないチワワみたいのものだと割り切って、相手が望むことを真剣に考え、それに沿ったふるまいを心がければいいのです。体育会が就活に強い一因は縦社会を一足先に経験しているため、立ち振る舞いがそつないっていのがあるでしょう。
自分の腕で生きていきたければ、理系に行くべきだったし、エリート気取りしたいなら、東大、京大に行くべきだったんです。バカだから文系を選んで、何の意味もない講義を受け、人生のモラトリアムを楽しんでいたツケを返す時期が来たってことを自覚して、もうこれからはお客さんではない、と覚悟して就活に臨みましょう。何度も言いますが、「お金を払っているなら楽しくて当然、お金をもらうなら苦しくて当然」です。
数年前までは、見た目が実年齢より少し若く見られるのはどちらかというとうれしかった。
しかし最近は同じ「若く見られる」でもあまりうれしくなくなった。
歳を重ねた証拠か。
よっぽど中身の薄っぺらい男なんだなぁ)凹む。
http://anond.hatelabo.jp/20160524012315
久々にはてなを開いてこれを読んで、やっぱり増田っていいなと思い、久しぶりに書きたくなった。
当方、今回の学歴論争のキッカケになったブログ主と同じ大学出身、男性。
学歴に関しては、色々言われるよ、やっぱり。
同じ大学を出た人と比べると給料の低い仕事に就いてるから、「もったいない」的なことを言われたこともある。
そういう言葉が気にならないといえば嘘になるけど、自分としては納得して職業選択してるので、楽しく生きてます。
むしろ大して中身もないのに出身大学言っただけで一目置いてくれる、っていう役得も同じくらい大きいと思う。
ハードル上げられるのは辛いところもあるけど、「やっぱり」とか「さすがだね」って言ってもらえるように頑張ってる。
「自分が決めたことなんだから、他人がとやかく言うことじゃない。そんな気にしないで好き勝手やればいいじゃない」
でも、いわゆる「学歴の逆差別」に悩む人は、こういう正論じゃ絶対に救われないんだよね。
俺の同期の話なんだけど、この「逆差別」に悩んだ結果、
某ネットワークビジネス(マルチと言われたりもする)にガッツリはまっちゃった人がいる。
そのはまったキッカケってのが、その同期が学歴の逆差別に悩んでた時に、
これは根の深い問題だと思ったよ。
その同期は勤めてる会社で出身大学で変に持ち上げられて、疎外感とか、孤独を感じてたんだ。
(その人の態度に依るところもあるかもしれないけど)
でも、そういう人ほど「出身大学」が自信になってて、心の拠り所でもあったりするんだよね。
救いを求めてそれを自ら投げ捨てて、余計に自信がなくなって、薄っぺらい人間関係に寄りかかる。
結局何ひとつ救われてない。
何でこんなこと書いたのかというと、元のブログが消えちゃってたから。
「ああ、このブログ主は救われなかったんだな」と思ってしまったから。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」と言われると何も言えないし、
その同期に対して何かしようとも思わない。(割と冷たい人間なのです)
でも、ひとつ言いたいことは、学歴だけを特別な能力と思わないでほしいってこと。
俺は人に学歴のことを話すとき、「なんかのスポーツで全国大会に出た」くらいに考えてくれ、と言う。
その大学に入るために努力はしたし、部分的には人より秀でたところがあるかも知れないけど、何でもかんでも出来るわけじゃない。
ただ、こっちも「学歴を鼻にかける」わけじゃないけど、そう思われるような行動や発言を無意識にしてるとも思うんだよね。
そこはいつも気をつけてる。
というわけで、持ち上げるでもなく敵視するわけでもなく、「得意分野がひとつある」くらいに思って頂けると、お互い幸せなんじゃないかと思うよ。